熊殺し




 そのついでに酒場に行くと、また何やら依頼が増えていた。
 「え〜、害虫退治にコランダム原石、エドゥの宝…エドゥの宝ぁ!?」
 酒場の女将が困ったように笑って、その依頼用紙を指で押さえた。
 「依頼人のお爺さんはエドゥ山賊団の仲間で、宝を埋めた地図を受け取ったんですって」
 「…うさんくさー」
 エドゥの宝、というのは非常に有名だ。同時に、S資金だのマウント将軍の隠し金だのと同じく、詐欺に使われることも多い、ということでも有名だ。
 少なくとも、バードとして、そんなもんに引っかかるのは恥ずかしいとしか言いようが無い件だ。
 何たって、エドゥ没後確か150年くらいにはなるはずだし。どんな爺さんだよ。
 「こんなのを本気に取った、とか思われるだけでバードとして恥だしなぁ…でも、5階から上がっていって〜とか言うのは、俺たちが今から行こうってルートだしなぁ」
 ルークはしばし考えた。
 それから、うん、と頷いて、どれにも印は付けずに女将に返す。
 え、と驚いたように声を出されたので、ぽりぽりと頭を掻いた。
 「いや、俺たち、今回も新しい階層に挑む前に3日くらい休もうかと思ってんだよ。心身ともにリフレッシュ!っつーか。もし、この前の蝶目玉みたいな依頼があればついでに〜と思ったんだけど、どれも本気でパーティー組んで行かないと駄目な奴ばっかだしさぁ」
 一人でこなせるお使いイベントがあれば、休みの合間にやってもいいと思っていたのだが、さすがにそんなのは他のギルドが取っていったようだ。
 「ま、また活動開始する前に覗きに来るわ。そん時に残ってるやつを引き受けるから」
 「お願いね」
 ルークが立ち上がって、女将はその依頼メモをしまおうとして、動きを止めた。
 「あら…でも、アクシオンちゃんがさっき来て、依頼を一つ持っていったわよ?」
 「はい?」
 「依頼って言うより、ギルドの試練なんだけど…えっと、確か、6階にいる熊を一人で倒すって言う…」
 「一人で〜!?…悪い、また今度っ!」
 ルークは叫んでばたばたと走って出ていった。
 酒場の扉を乱暴に開いて、全速力でギルドに帰る。
 もう今では6階の熊なんぞ手強くも無いが…それでも一人となると話は別だ。
 ギルドに帰ると、管理長が「あぁん?」と眉を上げた。
 「どうした?血相変えて」
 「アクシーは出ていったか!?」
 「…いや、お前、奥さんに出て行かれた甲斐性無しみたいなこと俺に言われてもなぁ」
 話にならん!と2階に駆け上がる。
 <ナイトメア>の扉をばたんっと開けると、アクシオンがちょっとびっくりしたような顔で、でもいつも通りおっとりと「おかえりなさい」と言ったので、思わずその場にへたりこんだ。
 「あ、アクシー…、いた…のか…」
 ぜいぜいと息を荒げているのを見て、アクシオンが水差しからコップに水を入れて差し出した。それをごくごく飲み干して、ふぅ、と一息吐く。
 「…何やってんの?あんた」
 カーニャが呆れたように腕を腰に当てて言った。
 改めて見れば、みんな普通の日常用服装で、誰も今から試練に挑む、というような格好では無い。
 もう一度息を吐いてから、ルークは立ち上がって扉を閉めた。
 それから、いつもの場所に座り込む。
 アクシオンが差し出したハンカチで額や首を汗を拭ってから、溜息のように言った。
 「いや、さぁ…酒場で、何かアクシーが一人で試練の依頼を受けたって聞いたから…ひょっとして、一人で行ったんじゃって…」
 「あぁ、これですか?」
 アクシオンがさらっと答えてポケットから紙を一枚取り出した。
 「依頼を受けることは受けましたが、リーダーの許可無しに行ったりはしませんよ」
 「…だって、勝手に酒場に行くのも珍しいからさぁ…」
 「あぁ、帰ってきたら、管理長が試練を酒場に出したって仰るものですから確認に」
 迷宮から出てきて、ルークは執政院に、残りはシリカ商店に売り飛ばしに行ってギルドに先に帰っていたのだ。どうやらそこで管理長に吹き込まれたらしい。
 「てことで」
 ずいっとアクシオンが迫ってきた。
 「熊殺し。俺にやらせて下さい」
 「駄目」
 速攻で駄目出しをして、改めて依頼用紙を見る。たかが1000enで命を賭けてたまるか。いや、金額の多寡ではなく、名誉の問題らしいが、それもきっぱりどうでもいい。
 「そんな腕試し、する必要なんて無いじゃないか〜〜」
 「いえいえ、<ナイトメア>がこれを受けて達成することに意義があるんですよ」
 「ホントはそんなのどうでもいいくせに〜」
 アクシオンだって、名誉だとかそういうのには興味ないはずだ。
 「でも…他のギルドが受けるのも、良心が咎めませんか?たとえば、まだ6階に行ったばかりの<ライジング>なんかが受けちゃったりしたら?」
 「脅すな!」
 他のギルドが見る前に奪ってきたんだ、とアクシオンは主張する。
 ルークは6階の熊を思い浮かべた。
 ………。
 こっちが5人なら、絶対勝てる。5連戦でも出来る。…でも、一人となると…。
 「あの、自分が挑戦するというのは…」
 リヒャルトが遠慮しながらも片手を上げた。
 「却下」
 「回復薬さえあれば何とかなると思うのでありますが」
 「その大事なときにテラーで動けなくなったらどうするよ」
 何かもう、ダメージ受ける→回復→ダメージ受ける…のジリ貧しか思い浮かばない。攻撃力はあっても、安定性に欠けるというか。
 「じゃあ、あたしは?ドレインバイトし続けたら勝てるしこっちの傷も無いと思うけど」
 「カーニャも一緒!もしテラーで動けなくなったらお終いだろ?薄いし」
 「私とルークは問題外として…」
 グレーテルがちらっとアクシオンを見た。またずいっとアクシオンが迫ってきて、ほとんど額が触れるんじゃないかってくらい近づいた。
 「そこで、俺ですよ。医術防御かければ、ダメージも少ないですし、いざという時にはすぐに回復。俺以外に誰が行くってくらいです」
 「…駄目だぁあ〜」
 うわああ、とルークは頭を抱えた。
 「そりゃ、カーニャも何とかなるかも知れませんけど、<ナイトメア>は一番幼い15歳の女の子を一人で迷宮に放り込むようなギルドじゃないですよね。…そこで、19歳男である俺ですよ!」
 「聞きたくない〜!」
 理性では。
 アクシオンが適当だということは理解している。
 けれど、惚れた相手を熊殺しに駆り出せるほど、ルークの根性は座っていなかった。
 「俺の胃に穴を開けるつもりかああ」
 「大丈夫!絶対帰ってきますから!」
 びしっと親指を立てられて、ルークはふらふらと立ち上がり、部屋の隅に向いて座り込んだ。
 頭を抱えて、ぶつぶつ呟きながら考え込む。
 「…何あれ」
 「ルークは真剣に考えてくれてるんですよ」
 「根暗〜」
 「やはり自分が行った方が…」
 「却下」
 10分後。
 ルークは血走った目で、アクシオンを見つめた。
 「…どうしても?」
 「えぇ、どうしても」
 「俺が『行くな』と頼んでも?」
 「俺が『行かせて』と頼んでます」
 「あぐわああああ」
 頭を抱えてごろんごろんと転がってから、ルークは盛大な溜息を吐き、懐から地図を取り出した。
 「…本当は…雑魚にエンカウントしないって意味では正面の熊のどれかをやる方がいいんだろうが…実は、こっちの熊なら、一頭必ず扉に背を向けて立ってるんだ…」
 「つまり、先制出来るってことですね」
 「…そう…少しだが有利に運ぶはず…」
 「そうですね、雑魚に遭っても治してから突っ込めますし」
 「その雑魚だって、オレンジゼリーならずっと眠らされることだってあるんだぞ〜…。鈴持って行ってもいいが…」
 「この距離なら、良いでしょう」
 「それから、ファイアオイルとかショックオイルとか持っていくと、ダメージがでかい…」
 「んー、糸も持ちますし、オイル600enまで使ったら、1000en報酬の大半が吹っ飛びますしねぇ。まあ、何とかなりますよ、きっと」
 「…ああああああ…どうせ俺の言うことなんて聞いてくれないのは分かってるがぁ…」
 「そんなことないですよぉ。ルークも冷静に考えてくれていて、すっごく嬉しいです」
 ね?なんて十代半ば少女の甘えたような笑顔で見上げてくれるのは、サービスのつもりか、ちくしょう。
 ルークは、がしぃっとアクシオンを抱き締めた。
 「…合理的に考えて、勝算があるんだな?」
 「もちろんです。無ければ言いません」
 「帰りは、近いからって無理せずに、糸使って帰るんだぞ?」
 「はい。それこそ眠らされたら困りますので」
 細い骨格。柔らかな肌。
 攻撃用の技は持って無くて熊殺しになんて向いてないのに。…性格以外は。
 「…せめて、見守れたらなぁ…」
 「一人で行くのが条件ですので」
 「…分かってるよ…うん…」
 指で赤みがかった金髪を梳くと、さらさらと気持ちの良い音を立てた。
 「まさか…今日行くんじゃないよな?帰ってきたばかりだし」
 「そうですね、明日にでも」
 時間が空けば空くほど、悪い想像をしてじたばた転がり回りそうだったが…仕方がない。
 「…分かってるよ…分かってるんだ、アクシーが一番向いてるってことは…」
 ぶつぶつ呟いて、ルークはアクシオンの体を離した。
 「…ちょっと…管理長に、詳しく聞いてくる…」
 ふらふら〜と立ち上がって、壁に頭をぶつけつつ歩いていったルークにアクシオンはにこやかに手を振った。


 翌朝。
 「糸、持ったか?念のためにアムリタとかメディカとか…」
 「持ってます。まあ回復を薬に頼るようになったらジリ貧だと思いますが」
 「もし、3時間待っても帰ってこなかったら、探しに行くからな」
 「それまでには片を付けますよ」
 ふふふ、と笑って、アクシオンは隣に立っている管理長をちらりと見上げた。手出しはしてこないが、見届ける役を自らするらしい。
 「それじゃ、行って来ます」
 「うん、いっといで」
 昨日はあれだけじたばたしていたのに、いったん決まったら、案外ルークは冷静だった。まあ、そう見えるだけかも知れないが。それでも、あれだけ情に脆い人が、これだけ普通に見送ってくれるようになるには、相当の葛藤があっただろうに、とアクシオンは何となくくすぐったいような気持ちになった。
 迷っても、躊躇っても、それでも、こうと決めたら、まっすぐそれを見据えることが出来る。
 そんなルークを、凄いなぁ、と素直に思う。
 一瞬、行って来ますのキスでもしようかと思ったが、たぶん、それは自分が浮かれているせいだろうと判断して、いつも通りにただ手を振るだけにしておいた。
 それでも、磁軸に向かい、6階に降り立って歩き出すと、ぼそりと管理長が呟いた。
 「随分と、浮き足だっているようだな」
 「ふふふ、分かりますか?」
 くすくすと笑いながら、アクシオンは飛び跳ねるように道を右に曲がった。
 目指す扉の直前、ポイズンウーズが2体出てきたが、幸い毒に冒されることもなく普通に撃退出来た。
 フェザースタッフに付いたウーズの粘液を拭き取って、また笑う。
 「いいものですねぇ、信頼される、というのは」
 あれだけ心配していたルークが、それでもアクシオンを送り出してくれたのは、アクシオンならきっと大丈夫だと判断したからだ。恋心とは別に、ちゃんとアクシオンを一人の冒険者として認めてくれている証拠。
 そうして、アクシオンは扉に手を突いてもう一度笑った。
 こんなにも嬉しいなんて。
 ルークに認められることが、こんなにも嬉しいなんて。
 どうやら、自分は自分で思っていたよりもルークのことが好きらしい。
 面白いなぁ、とつくづく思う。
 その浮き立った心のまま、気合いを込めて体を回転させた。
 蹴り開けた扉を向こうで、背後から扉にどつかれた熊がつんのめってじたばたしている。
 「どうも、おはようございます。申し訳ありませんねぇ、こっちの都合で」
 笑いながら、医術防御を自分に施す。
 「熊さんに恨みは無いんですが…ちょっと死んで下さいねっと!」
 がああ!と熊が鋭い爪を振るった。
 ダメージ量の算出。ぶれも含めると、3撃までは大丈夫。
 ただし、スピードは向こうが上。早めに医術防御をかけ直した方が良い。
 瞬く間に戦術が組み上がる。
 だが、熊は怒り狂った咆吼を上げた。
 そのびりびりと空気を震わせる声に、脳の一部が麻痺するのを自覚した。
 虚ろになった頭で、ぼんやりと思う。
 次は、こちらが攻撃する番。次に攻撃を受けたら、その後医術防御…あぁそれではその次の攻撃を受けきれない可能性がある。では、攻撃ではなくキュアをかけておこう。
 脳が麻痺していても、体は勝手に動いて回復をして、次の攻撃の後には医術防御をかけていた。
 「さて…と」
 アクシオンは、自分の感情を分析した。
 怖い怖い怖い。
 何故、怖い。
 死ぬかも知れないから。
 それはなにゆえか。
 …目の前の、魔物によって。
 「お前の、せいか」
 アクシオンは唇の両端を吊り上げた。

 管理長は壁際からアクシオンの戦いぶりを眺めていた。
 熊広場の別の扉から、冒険者の一団が入ってきた。
 うろうろしている熊を避けて歩いてきた冒険者たちが、奥で熊が誰かと戦っているのに気づいたらしい。
 「ちょっと、あれ!」
 「え…何で、女の子が一人で熊と戦ってんだよ!」
 「助けなきゃ…こっちもぼろぼろだけど」
 性質の良い冒険者たちだったらしい。自分たちの怪我も顧みず、助けに入ろうとしているようなので、管理長は声をかけた。
 「おい、お前ら。あいつは試練の最中なんだ。黙って見てろ」
 「へ…あ、ギルド長…」
 「だ、だって、あんな小さな女の子が一人で…」
 「女の子が聞いて呆れらぁ。ありゃ<ナイトメア>のアクシオンだ」
 アクシオン、と繰り返された。
 「あの<ナイトメア>の、あの<アクシオン>…」
 好奇心に溢れた声にギルド管理長は肩をすくめた。<ナイトメア>の一員だというだけでアクシオンの名は有名だが、更にそれに<男殺し>だの<リーダーのお稚児>などという肩書きも同じように有名なのだ。
 「はぁ、あれが、あの…」
 冒険者たちも、管理長に倣ってアクシオンと熊の戦いを眺めた。
 じきに。
 「…あの…あの人、メディック…でしたよね?」
 「あぁ、その通り。…つか、医術防御かけてるだろうが」
 「ですよねー。…はは…はははは…」
 傍観冒険者の声に、畏怖が混じり始めた。
 まあ、怖いだろうな、と管理長も他人事のように思う。
 あの笑いがいけない。
 にこにこと春風のような暖かい笑みを浮かべたまま、がっつんがっつん熊を殴っている姿は、非常に現実離れしている。
 鋭い爪が頬を切り裂いても、微笑みは変わらないまま、ただ傷が増えたら冷静に回復している。
 そして。
 ぐぅおおお…
 熊が呻いて四つ足に戻る。その頭上に、フェザースタッフが打ち落とされた。
 「はい、終了。すみませんねぇ、苦痛を引き延ばす羽目になっちゃって」
 ころころ笑いながら、アクシオンは足で熊の体を転がした。それでも起きないのを見て、ようやくフェザースタッフを下げる。
 終わったか、と管理長が近づいていったが、アクシオンは荷物からメスを取り出していた。
 「おい?」
 「あぁ、すみません、少しだけお待ち下さい。せっかく殴り殺して毛皮に傷が無いので、ついでに剥いで帰ります」
 「…そこまでやった奴は、珍しいぜ…」
 たいていは、勝つのが精一杯で、終わった途端に帰ろうとするのに。
 「お時間を取らせてしまってすみません」
 言うほどには気にしていないのだろう、手を止める気は無いようだった。
 綺麗に剥いだ毛皮を満足そうに畳んで、アクシオンは立ち上がった。
 あれ、と小首を傾げて、壁にへばりついている冒険者の一団を見つめる。
 にこっと申し訳なさそうに笑って、頭を下げた。
 「申し訳ありません、ちょうどTPがきっかり0になってしまって、そちらの回復までは出来なくて」
 言われた冒険者たちは、一瞬きょとんとしてから、一斉に凄い勢いで首を振った。
 「いいいいいいえいえいえいえいえ、そんな!」
 「じ、自分たちは、もう少し探索を続けますので〜!」
 「そうですか?」
 ん〜、と首を傾げてから、頷く。
 「まあ、そうですね。磁軸まで近いですし…では、頑張って下さいね。俺はこれで失礼しますけど」
 「は、はい!お疲れさまでしたぁ!」
 熊と戦ってる訳でも無いのに、何故だかテラー状態っぽい冒険者たちに少しだけ怪訝そうな顔を向けてから、アクシオンはアリアドネの糸を取り出した。
 「ご一緒にお帰りに?」
 「…何となく、くっついて帰るとうるせぇ気がすんでな。歩いて帰るわ」
 「そうですか。では、お先に」
 すぐに目の前から掻き消えた姿を見送って、管理長は腕をぽりぽり掻いた。
 抱き合って帰ったりなどして、後々恨みの歌でも送られたらたまらない。まあ、上で、ルークがどんな感激ぶりを披露しているのかについては、ちょっと見たい気もしたが。
 「まあ、でも男同士の抱擁なんぞ、見たかねぇからなぁ」
 呟いて、管理長はゆっくりと歩いて帰ったのだった。

 その後。
 がくがくぶるぶるの冒険者たちが噂を広めた結果、<男殺しのアクシオン>が<熊殺しのアクシオン>にレベルアップ(?)して、リーダーの慰み者だとか自分も味見してぇだとかいう侮蔑が減ったことは言うまでもない。



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