ケルヌンノスの脅威




 普通に夜は眠って翌朝。
 <ナイトメア>はケルちゃん戦へと向かったが、その出発はあまりにもいつも通りだった。
 「忘れもんはないか〜。糸は持ったか〜、売り忘れたアイテムは無いか〜」
 「糸OK」
 「荷物も軽いわ」
 「んじゃ、しゅっぱ〜つ」
 ピクニックにでも行くかのような光景に、受付のギルド管理長は額を押さえた。初心者の頃から全く変わっていないその暢気さは、最初見たときには「これはまた<目先の小銭しか見えてないしみったれた冒険者>になるんだろうよ」と思ったものだったが、どうも素でただののんびり集団だったらしい。いや、リーダーに巻き込まれて、そういう空気になってしまったというか。
 管理長はこれまで色々なギルドを見てきた。狡っ辛く他人の上前をはねることだけ考えているような小悪党集団、真っ当に世界樹の謎に挑む意欲に燃えたギルド、ただ冒険という言葉に憧れているような若者たち…。まさか、こんな「なるようになるんじゃないか、はっはっは」という気合いの欠片も見えない奴らがエトリアトップクラスになるとは思いもしなかった。競馬で言えば、先頭集団が次々脱落したところに最後方から馬なりでのんびり走ってきた大穴が、そのままするすると上がってきた状態というか。
 そして、いくら「お前らはエトリアのトップで皆の憧れの的のギルドなんだよ」と言っても、「あっはっは、まーたまた冗談ばっかり〜」と自覚が全く無い。昨日のように、後輩が来れば、多少は偉そうにするものの、基本的には相変わらずお人好しな街の便利屋さんだ。
 「じゃ、いってきまーす」
 子供が家を出る時のような明るい声に、適当に手を振り返して、管理長は溜息を吐いた。エトリア最高峰のギルドを抱えているのは栄誉でもあるのだが…全くそんな気はしない。
 いつまで、こうやってお気楽に行けることやら。


 管理長の憂鬱など知ったことではない<ナイトメア>は、ざっくざっくといつも通りに降りていって、10階のショートカットを使って奥へと踏み込んだ。
 ぐるぐると道を回って、ようやく。
 「…ふむ、この先でありますな。ぴりぴりとはいたしますが…おそらく1体」
 「リヒャルトの妖怪アンテナも、精度が上がったな〜」
 「…妖怪…でありますか?」
 「や、こっちの話」
 広間を遠目に、確認する。
 TP十分、怪我は無し、荷物に余裕。
 「…全力でいけば、大丈夫だろ。よし、いっけ〜!」
 ルークの声に合わせて、5人は広間に駆け込んだ。
 そこにいたのは、頭は獣だが、体はまるで人間のように後ろ足で立っている獣面人体の魔物であった。
 しかし、その異様さよりも気になるのは。
 「角!大きな角!…牙よりも、征服欲そそられるわぁ」
 「ふふふ、切り取ってみたいですよね、ごりごりと」
 「…うーん、巻き具合は羚羊とかそういう感じかね。…草食かよ!」
 一人で突っ込んでから、ルークは猛き戦いの舞曲を奏で始めた。
 「自分はチェイスファイアの用意をいたします!」
 「もちろん、私は大爆炎よね」
 「あたし、いつも通りショックバイト」
 「最初は医術防御ですよねぇ」
 とりあえずはこちらも全力攻撃の前の下準備だ。
 カーニャが攻撃して、リヒャルトがグレーテルの大爆炎を待っている間に、ケルヌンノスが鋭い声を上げた。すると背後の草むらからころころと転がってきた魔物がいた。
 「…アルマジロ?まあいいわ、全部まとめて、大・爆・炎〜!」
 「えーと、このタイミングで…チェイスファイア!」
 グレーテルの大爆炎が魔物たちを包み、それに併せてリヒャルトが斬りかかる。
 「…出来た!出来たのであります!」
 「おおおお!リヒャルトがこんなに活躍をしてるのを初めて見た!」
 「ちぇ、複数攻撃が出来たらあたしだって…」
 「まあまあ。たまには花を持たせてあげても」
 その攻撃でアルマジロはすぐに死んだ。もちろん、ケルヌンノスはまだぴんぴんしている。
 「よーし、そのまま同じ攻撃で!」
 「俺も殴ります」
 ルークとアクシオンも攻撃に参加し、召喚されるアルマジロは大爆炎とチェイスファイアで消えていき…。
 「…医術防御の意味がありませんでした…こんなことなら、最初から殴っておけば良かったです」
 「何だったのかしらね、アルマジロ…ケルちゃんの応援団だったのかしら…」
 ケルヌンノスは、毎回アルマジロを召還した。そしてすぐに大爆炎とチェイス。それが延々繰り返され、結局、ケルヌンノスがこちらを攻撃することも、アルマジロが何かすることもないまま、終わってしまった。
 「何か…微妙にすっきりしないわ」
 カーニャがぶつぶつ言いながらアルマジロの残骸を踏み潰した。
 「だなー。何か弱い者イジメしたような気がすんよなー」
 「こういうのをはめ殺しって言うんですかね」
 などと言いつつ、平然と角をごりごりと切り取っているところがアクシオンだ。
 「タテガミから魔力は感じるんですが…焼け焦げてぼろぼろでした」
 黒くごつごつした角だけを持って立ち上がり、アクシオンは白衣を払った。
 「実はまだ敵が!…って気配は無いよなぁ」
 「ありませんな」
 周囲を見回しても、いつも通り分厚い葉っぱががさがさとそよいでいるだけだ。
 何であれが<他の冒険者たちをブロックしていた強大な魔物>なんだろう、と不思議に思いつつも、ともかくは見つけたうろから下へと降りた。


 「…何じゃ、こりゃ」
 一転して、蒼い光景に呆然とする。
 アクシオンがその辺の岩やキノコに触れてみる。
 「冷たくは…無いですね。上から降りてくると一瞬寒いような気がしましたが、普通の温度ですし」
 「だな。ひんやりはしてるが、普通に洞窟並っつーか」
 目に入る風景が、まるで何もかもが凍り付いたような蒼さであったため寒いような気がしたが、実際にはただ青く染まっているだけで凍ってはいない。むしろ、何となくじめっとしている気がする。
 「ちょっと削って帰るわね。何で青いのか気になるし」
 グレーテルがその辺の小石やキノコ、枝などを袋に入れた。
 「変な景色〜。…昔、絵本で見た雪の女王とかそういう感じ」
 「んー、俺はむしろ海底を思い出させますね。サンゴっぽいですし」
 アクシオンはピンク色の枝をぽきりと折ってしげしげと見つめた。
 「サンゴって何?」
 「虫の白骨死体です」
 手を伸ばしかけたカーニャが、その言葉を聞いて慌てて引っ込めたので、ピンク色の枝は地面に落ちた。アクシオンがそれをぐりりと踏みつけると、軽い音を立ててあっさりと粉々になった。
 「冗談ですよ。色が付いてるのはまだ生きてる虫です」
 「冗談になってないわよ!」
 「死体とか苦手ですか?でも、焼き魚だって魚の焼死体ですし…」
 「言うな〜!」
 ぽかりと思わず後頭部を殴ると、むぅと唇を尖らせて不満そうに見上げてきた。いや、その顔は可愛いが、悪いのはその口だろう。
 「…その死体をばらばらにして稼いでるのに…」
 まだぶつぶつ言うので拳で頭をぐりぐりとしつつ、先へと進んだ。
 途中で扉を開けると、赤く立ち上る光があったため、とりあえず執政院に報告に戻ることにした。


 「…まあ、というわけで、ケルノンノンは全く怖くなかったんだけど…」
 「ケルヌンノス!」
 「何であれが脅威だったのかねぇ」
 眼鏡の突っ込みを聞かなかったふりで首を傾げると、ごほんと一つ咳払いの後にぱらぱらと紙をくった。
 「…ふむ、ヒーラーボールと言われる魔物を呼びだし、それが回復をするためなかなか倒せずやられた、という報告があるが…」
 「そういう情報は戦う前に言えよ!」
 「未確定情報でね」
 けろっとして言う情報室長を睨んでから、ルークは立ち上がった。
 「まあ、いいや。俺たちは、とりあえず3日くらい休養するわ。11階に行くのはその後って感じかな」
 「行くことは行くんだね?」
 「そりゃ行くわな」
 「なら、ミッションスタート」
 「おい」
 オレルスはにっこりと笑って2枚の紙を寄越してきた。
 「いやぁ、せっかく11階以降も通れるとなれば、我々も独自に地図を作製する予定なのだがね。さすがにその階層となると、いくら腕に覚えのある兵士と言えど心許ない。そこで、君たちも助けてくれるとありがたい」
 普通にぺらぺらな紙は、最初に1階の地図を書けと寄越されたものと同質だ。
 「…そりゃまあ、行けば地図くらい書くけどさぁ。兵士さんのフォローまで出来るかどうかまでは保証しないぞ?まだ敵に遭ってないんで、どこまで強いのか分からないし」
 「また謙遜を。ケルヌンノスを倒して11階まで到達した君たちが」
 「雪ドリフん時も、よっしゃ〜俺たち強いんじゃね?って6階行ったら速攻一人死んだしなー」
 ルークはちょっと遠い目になった。
 その階層のボスを倒したのに、次の階層に行った途端、雑魚に「ふはははは、貴様が倒したのは、我々の中でも最も弱い魔物だ!」と言われた気分と言うか。
 まあ、その6階の敵もようやく<雑魚>だと思えるようになったのだから、確かに自分たちも強くなっているのだろうが…また11階の雑魚で死ねる可能性は高い。
 あえて言うなら、アクシオンがリザレクションを覚えている分、死んでもすぐに生き返れるってのがマシなくらいか。
 そう考えて、ルークは自分が初心からだいぶ遠ざかっているのに気づいた。
 仲間が死んでびびって、アクシオンにまで怒鳴った自分がひどく遠い。今の自分の反応は、当時のアクシオンに似ているのでは無いだろうか。
 すなわち、死んでもすぐに蘇生できるんだから問題ない。
 本当は、そのくらい傷を受けているということはものすんごく痛いはずだし、精神にもダメージがあるくらいのことのはずなのに。
 いかん、いかん、人間としてこれではいかん、とルークは首を振った。
 「ま、やれるだけやってみるって方向で。んじゃ」
 ルークは扉を出て行きかけて…ふと止まって振り返った。
 「そういや、ケルノンノンの報酬は?」
 「ちっ、覚えていたか」
 「ちっ、じゃねぇ、ちっ、じゃ!」
 何だかんだ言って、オレルスともだいぶ馴染みになってきて、こんな冗談や突っ込みも出来るようになってきたってことだ。
 ざかざか戻ってくると、袋に入った3500enがあっさりとテーブルの上に出された。最初から用意はされていたらしい。だったら、最初から出せ。
 「はい、ありがとさん。…俺ら以外が面ボス倒した時にも、報酬くらい出してやりゃいいのに…ケチなんだから」
 「<ライジング>かね?」
 さすがに執政院情報室長、間髪入れずにその名前を出してきた。
 「君たちが報酬を出したと聞いているが」
 「まあね。でも、これから先、ずっとうちが報酬を出すのはおかしいだろ」
 「そうそう無いはずだがね。…まあ、考えておこう」
 ルークは革袋を手のひらで持ち上げ重みを測りながら呟いた。
 「そりゃ、1000enくらい、どうってことないけどさぁ。大王狩りすれば牙一本1200enだし」
 「<災いの巨神>と言えば…」
 オレルスは何か思い出したようにごそごそと紙束をめくり、あぁ、あった、と呟いた。
 「3階の大広場の奥で、奇妙な雄叫びを聞いた者がいる」
 「それと<恐怖の大王>に何の関係が」
 「<わ・ざ・わ・い・の・巨・神>。その雄叫びが、えー…『ぱほーーん』?または『ぽおーーん』というような声であるという報告で、確か象という動物も『ぱおーん』という鳴き声だと聞いたので…」
 「カエルでないの?」
 「それは、ぱにょーん!」
 「…あ、ネタが理解できるとは…くっくっく、お代官さまもお好きですなぁ」
 18歳未満禁止のネタに反応したオレルスにいやらしく笑ってやると、眼鏡がごほんっと大きく咳払いした。
 「と、とにかく!3階などに<災いの巨神>がいるならば、非常に危険だ。調査してくれるとありがたい。これは執政院のミッションでは無いが」
 「つまり?」
 「無償」
 「言い切ったよ、おい」
 ぶつぶつ言いながら懐から手書きの地図を出して3階を見た。広間の奥には白い空間が広がっている。抜け道なんぞ無かったはずだが…と思いつつも見ていると、自分のメモが見つかった。
 こちらからは抜けられそうにないが、ひょっとしたら向こう側からなら広げられるかもしれない道。
 しかし、その階はすでに完成して、奥から回ってくるような道は無い。
 念のため4階も見れば、右半分に隙間がある。
 では5階……。
 「あ〜!」
 「な、何だね!?」
 「そういや、水晶の欠片のこと、すっかり忘れてた〜!」
 拾った水晶を付き合わせてみようと言っていながら、全くやってなかったことに気づく。ひょっとしたら、この5階の水晶から上へと向かう階段があるのかもしれない。
 「よし、分かった!マッパーの血にかけて、地図を全部埋めてくれるわ!」
 「その勢いで11階と12階の地図も頼むよ」
 「それは後!」
 きっぱり言い切って、今度こそルークは情報室を出ていった。
 マッパーとして、もう書き終えたと思っていた場所に新たな道があるなど屈辱だ。徹底的に調べ尽くしてくれる。



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