癒しの清水
そして、2回目の挑戦でどうにか抜け道を広げるところまで行った。
「これで、次からは楽に来られるぞっと」
葉っぱや枝だらけのルークのマントを払ってから、アクシオンは奥を指さした。
「でも、この先も棘床ありますけどね」
細い道が奥までまっすぐ続いているが、どう見てもその間に棘床が並んでいて避けられそうに無い。
「アクシー、TPは?」
「エリアキュア3回分ですね。少々辛いところですが、グレーテルさんのTPを惜しみなく使えば、敵に関しては回復を使わず済むかも知れませんし、行けるかも、というところです」
最初にこの階に降りた時には、グレーテルの発動速度から言って、どうせ倒すまでに一撃食らうぜ、だったらTP使わなくても次のターンで殴り倒したって同じじゃん?という方針で、主に肉弾戦だったのだが、最近はレベルも上がって錬金術を使えばダメージ無しに倒すことも出来るようになったのだ。まだまだ不安定だが。
「…まあ、行けることまで行ってみるか」
溜息を吐いて、ルークはまっすぐ進むことを選んだ。痛いのが分かっていても、やっぱり痛いものは痛い。血塗れになるのが分かっていながら、平気な顔でずんずん進むのはアクシオンくらいだ。
ルークとしては、アクシオンが怪我をする姿を見るのは非常に心が痛い…と思っていたのだが、アクシオン本人に「ルークがどう思おうと、どうせ血塗れになるんですから、いっそ視覚的に楽しめばいいじゃないですか。S風味に」と進言された。
とりあえず、ルークにS属性は無い。いやまあ、多少興奮しないでも無いが、むしろ痛そう〜と萎える成分の方が多い。
…まあ、最大の突っ込みどころは、自分の体を餌として進言するアクシオンの神経だと思うが。
ちなみに、アクシオンにこの状況をどう思っているのか聞いてみると、少し考えてからにっこりと笑って言い放った。
「血の匂いを嗅ぐと、何だか心が浮き立ちますよね」
「…いや、同意を求めんなよ、この隠れS」
「え〜?自分から血が流れて喜んでるのは、Mって言うんじゃないの?」
「あははは、どうなんでしょう」
いつも以上ににこにこと足取り軽く歩いて行っているところを見ると、あながち冗談でもないらしい。
棘床を抜けてもそのまま歩いているため、血の筋が地面に幾筋も付いている。
「おーい、アクシー、回復〜」
「…もったいないですけど…まあ、しょうがないですね。血に惹かれて敵が来るかも知れませんし」
足を怪我しているとは思えないようなふわふわした柔らかな動作で歩いていたアクシオンは皆を振り返った。
「あんたは痛くないのかもしんないけど、あたしたちは痛いんだから!さっさと治してよ!」
腕の引っ掻き傷を舐めながらカーニャが不満をぶちまけると、アクシオンは悪いとは思っていないような顔で「すみません」と答えた。
鞄からごそごそと試験管を取り出してエリアキュアを放つ。
「はい、あと2回分」
きっちりカウントしているあたりは、血に酔っているようでいてやはり理性的だ。
「まあ、今のところ棘床も見えないし…進むか」
そうして歩いていくと、扉が見えてきた。
ルークは手元の地図を確認して、その扉を開けても、そう広い空間では無いだろうと見当づけた。
「まあ、一応入っていくか」
言いながら開けると、いきなりずぶぬれになった。
「な、なんで、迷宮の中で雨が降ってんのよ!」
いつもと同じ南国風の植物が生い茂っている光景が、上から降り注ぐ雨のせいで白く煙って見える。地面には水が溜まり、足首ほどまで浸かった。
天井を透かして見ても、どこから水が落ちてきているのか分からない。地上は晴れていたはずなので、本当の雨では無いのだろうが。
「…あ、TPが回復してます」
「細かい傷も治ってるわ。…ひょっとして、これがツスクルが言ってた回復の清水ってやつ?」
「そりゃ便利だなぁ。ちょっと水袋に詰めて行くか?」
ごそごそと水袋を腰から取って蓋を緩めていると、怪訝そうな顔で周囲を見回していたリヒャルトが不意に腰を落として剣の柄に手をかけた。
「…リヒャルト?」
「敵の気配であります!こちらを窺っているような…」
言われてルークも周囲を確認したが、とにかく視界が悪くて見えない。それでも、何となく首筋がちりちりしてくる気配があった。
「…これだけ視界が悪いのは、やばいか。ともかく、いったん出るぞ」
ずぶ濡れの冒険者たちは、いったん扉から外に出た。中から魔物が出てくる気配は無い。
「どうする?ちょっと見えないのがあれだが、やるか?」
「んー…とりあえず、ここで回復できるのは分かったんですし…」
アクシオンは、そこに魔物がいようがTPさえ回復できれば良いらしい。
「あたし、濡れるのやだ」
ぐっしょりと水を滴らせて、自慢のピンクの巻き髪がただのツーテールになったカーニャが髪を絞りながら不機嫌に言った。
「…ま、とりあえず、先に進んで下への階段でも見つけるか」
レザーブーツの中ががっぽがっぽを鳴って気持ち悪い。
この階層は上よりも温度が高いせいですぐ乾きそうだったが、それまでは自分の周りの湿度が高くなって蒸し蒸しすることになり、不快感がいや増す。
うんざりしながら歩いていくと、また棘床があった。
「TP全回復してますから、エリアキュアは余裕です」
「…だな」
無言でいつものように棘床を抜けると、先に抜けていたアクシオンが少し待っていてくれた。
「ルーク、何で機嫌が悪いんですか?」
いや、分かれよ。痛いし暑いし疲れてんだよ。
まあ、ちょっとお喋りしなかっただけで不機嫌に気づくあたり、これはアクシオンの成長として喜ぶべきなのかもしれないが。
「…あ、頬にまで傷がありますよ。クラウドみたい」
くすくす笑ったアクシオンがルークの髪の毛を引っ張って。
ぺろり。
間。
「お…おおおおおおお!?」
温かく湿った柔らかなものが頬を這っていった感触に、ルークは頬を押さえながら飛び上がった。
「い、い、い、いま、いま、いまの…」
「あ、元気になりましたか?じゃ、下への階段がありますから、れっつごー!」
飛び跳ねるように歩いていくアクシオンをよろよろと追いながら、ルークはピンク色に染まった脳の一部でちょっと呆然としていた。
いや、確かに、自分はアクシオンに一目惚れをした。
しかし、アクシオンが男だということもよーく分かっている。
だから、見かけだけでも楽しんで、疑似彼女として恋愛気分を楽しんでおこうと思っているのに。
…相手は、男だと、ちゃんと分かっているのに。
何で…何で、男に頬にキス(というか、傷を舐められただけ)されて、ただ嬉しいんだよ、俺!
ちゃんと相手が男だと理解しているから最後の一線は守る自信があったのに、何だかその自信ががらがらと音を立てて崩れていった気がする。
いや待ていや待てちょっと待て、俺。
ほら、見かけで言えば、可愛い女の子が頬にキスしてくれたんじゃあないか。ただそれだけのことだ。喜んでOK、問題無し。
仮に、だ。
相手が男だとしても、傷を舐めるなんて治療の一環みたいなもんだし、そもそもキスだとしても頬へのキスなんて家族や親しい友人でもやるだろうよ。
…よし、大丈夫。
俺は、ホモでは無い。
ぶつぶつと暗示のように唱えて、何とかルークは自分自身と折り合いを付けた。
それで精一杯だったため、アクシオンがくすくすと楽しそうに自分を観察していることには気づかなかったのだった。
地下8階に降りると、道が真っ直ぐと左とに分かれていた。
「とりあえず、まっすぐ進むか」
ルークのマッピングの癖として、つい右から埋めようとしてしまうのだ。まあ、マップの端が近い、とかならまず周辺から埋めようともするが。
そうしてまっすぐ行って、曲がり道でやはり右に折れると、扉と蔦の絡まる水晶があった。
グレーテルが上で見つけた水晶の欠片を取り出して比べたが、明らかに色が異なっていた。
「1階にも、白い水晶と紫の水晶とあったわよね?」
「うん、俺のメモだと青水晶だが、その2種類あるみたいだな」
「材質は同じっぽいけど…白い方と比べてみないと」
大事にしまいこんでおいて、それからその向かい側の扉を開ける。
「…あ」
見慣れた二人組がいた。
「あぁ、君たちか。…そうか、もうここまで」
感慨深そうにレンが言って、背後を指し示した。
そこには切り株のようなものがあって、上には大きな葉っぱが傘のように被っていた。
「ここには、回復の清水があったのだよ。上から回復の成分を持つ水が滴り落ち、ここに溜まる。非常に便利なものだったのだが…」
過去形で言って、レンは肩をすくめた。
「どうやら、上の階に魔物が棲み付いたらしくてな。水がここへと落ちるのを堰き止めているらしい。困ったものだ」
…全く、困っているようには見えないが。
「私たちは、もっと下へと向かうよう指示を受けているのでね。もし君たちが望むなら、上の泉の魔物を倒すと良い。回復の清水を復活させることは、君たちにも有利に働くはずだ」
そう言って、二人組はすぐに出ていった。
ルークは地図を取り出して、重ねてみた。
マッピングが間違っていない限りは、その小さな空間は上で雨が降っていた部屋ときっちり重なっていた。
「…まあ、倒さなくても回復は出来るかもしれないが…」
「あたし、いちいち濡れるのやだ!」
「だよなぁ。風邪ひきそうだし」
いや、風邪ひきで介抱するというのは、恋愛イベント的には非常に大切なフラグだったりするので、まあ一度くらいは経験しておいても良いような気もしたが…そもそも全員風邪を引きそうだし。
「んじゃ、倒しに行きますか。幸い、TP満タンだし」
てことで、また棘床を通って戻ってきた雨降りの部屋。
「グレーテル、行っきま〜す!」
ひしひしと殺気は感じるが姿の見えない敵に、まずはグレーテルが大爆炎を放った。
…視界が開けるどころか、水蒸気が立ちこめて、ますます見え辛くなったような気はしたが、ともかくかさかさという音を立てて白っぽい魔物が姿を現した。
「む、悪人顔のカニであります!」
「…カニに悪人顔も何も無いだろ」
「敵の攻撃力が分からないので、医術防御かけますね」
「カーニャは一応ショックバイトかけてくれ」
「分かってるわよ!…あ、麻痺はしないけど、結構利くわね。上のカブトガニよりマシだわ」
「…いや、上のはカブトムシであって、カブトガニじゃないんだが…まあ、いいや」
茶々を入れながらも、どうせ回復できるから、と思い切り技も使って、楽にその魔物を倒すことが出来た。
すると、降っている雨は相変わらずだったが、足下に溜まっていた水が少しずつ引いていっていた。
どうも<悪人顔のカニ>は、下へと続く穴に居座っていたらしい。…尻が吸い込まれて気色悪い感触だっただろうと思うのだが、そういう趣味だったのだろうか。
リヒャルトがもう敵意は感じないと言うので、また下に向かって清水受けを確認すると、上から落ちてきた水滴が葉っぱに伝い落ちては切り株に溜まって行きつつあった。
「なるほどねぇ。次からは、ここを拠点にすりゃいいな」
そうして、早速カーニャやリヒャルト、グレーテルが水を飲むのを見ていると、アクシオンがじーっと見守っているのに気づいた。
「あれ?アクシーは飲まないのか?医術防御使っただろ?」
「まあ、そうなんですが」
アクシオンは気が進まない様子で、上へと視線を向けた。
「…カニの出汁風味の水なんて、飲みたくないんですよねぇ…思い切り叩き潰しましたし」
ぶふっとグレーテルが口にしていた水を吹き出した。
飲み終わっていたリヒャルトも微妙な顔になっている。
まあ、言われてみれば確かに、上でカニを叩き潰して味噌から血から飛び散らして、その跡地から流れてきている水ではあるのだが。
それを悪意は無いが無神経に言っちゃうところが、アクシオンである。
「…言われてみれば…ちょっと生臭いような気も…」
グレーテルが吐きそうな顔になった。
「まあ、別にカニが嫌いなわけでも、アレルギーなわけでもないんですけど。でも、出来れば、もっと綺麗になってからの方が嬉しいですね」
にっこり笑ってアクシオンは身を引いた。
どうやら、他人をイヤな気分にさせておいて、自分は飲まないつもりらしい。
「ふん、神経質ね」
喚き散らすかと思ったカーニャが意外と冷静に、というかむしろ自慢そうに水を飲み干した。
「あたし、別に平気だもん。楽になる方がいいわ」
「…ま、まあ…カニの殻って美容に良いらしいし…」
グレーテルも、喉をさすりながら何とか納得した。
ルークとしては、あまりTPが減っても無いのだが(というか切れて困ったことなどない)、流れ的にリーダーがここで飲まないわけにも、という気がして、手ですくって飲んでみた。
完全な無味無臭というわけではないが、どうせ井戸水や1階の清水だっていろいろと不純物は含んでいるのだ。爽やか、とまでは言わないが、飲めない味では無い。
「じゃあ、気分を変えて、この階の探索に向かうとするか。TP切れそうになったら、早めにここに戻って回復するってことで」
そして、この地下8階は、記念すべき階となった。
ついにアクシオンが状態異常になったのだ。
舞い散る花粉にくらくらしつつも何とか花びらを倒して、地面でこてんと寝転がっているアクシオンに這いずって行き、ぺちぺちと頬を叩く。
「…むにゃ…」
「や、むにゃ、じゃなくて。可愛いんだけど、起きてくれ。俺たち、死にそう」
「うにゅ?あれ?ルーク?…あ、花びらが」
アクシオンはおっとり笑ってルークの肩に付いたピンク色の花びらを払った。
二人きりのフローラル空間を味わっていたいのは山々であったが、何せ先立つHPが無い。
「…上で遭った時には、向こうの攻撃の前に倒したのよねぇ、そういえば…」
グレーテルもぐったり座り込みつつ呟いた。
ピンク色の花びらに出逢ったのは、初めてでは無い。6階で一回だけ倒したことはある。だが、その時には1体だけであったので、速攻潰していたのだ。
「あの眠り粉は危険であります…全員が眠ってしまっては、どうしようもないのであります」
やはり顔色の悪いリヒャルトがぜいぜいと言った。
そう、あの花びらは、眠りの粉を全員に撒いてきたのだ。そして、次々眠り込む冒険者たち。
無防備になったところに攻撃を受け大ダメージ、そして何とか反撃するもまた眠らされ…というのを繰り返し、どうにか倒したところである。幸いにも、死者は出なかったが、それはひとえに清水でHPが満タンだったおかげだろう。
「…今日ほど、あんたのその暢気な笑いがむかつくと思ったことはないわね…」
ドレインバイトのおかげで皆ほどぐったりはしていないが、やはり相当傷を負ったのだろう、カーニャが乱れた髪を掻き上げながらアクシオンを睨んだ。
そう、今日は記念すべき日だ。
ついにアクシオンが状態異常になって行動不能になったのだから。
が。
何故か、敵の攻撃はアクシオン以外に来たため、アクシオン的にはぐっすりすやすやお休みなさい状態で、苦労の一つもしていないのだ。
そりゃ、蹴るとか殴るとかすればアクシオンも起きたかもしれないが、そんな暇があるなら花びらを倒さないと全滅しそうだったし。
「それは大変でしたねぇ」
経過を聞いて微妙に他人事のように頷きながら、アクシオンはエリアキュアを2回連続でかけた。
「花びらってことは、姐さんの大爆炎が効きそうなんだが、発動前に眠りが来ちゃうんだよなぁ」
「持ちこたえられたら、一発なんだけどねぇ」
「まあ、リヒャルトのハヤブサ駆けも使って、一体一体確実に仕留めておく方が堅実だよな」
「一応、用意はしておくけどさ。私が杖で攻撃したって、大して役に立たないし」
「医術防御使いますか?ダメージが小さくは済みますが…」
「…んー…それより、攻撃して早めに潰す方が良いかな、たぶん」
どうにか方針を立てて、また進んでいく。
何度もまた眠り込んだりしながらも、死人は出さずに済んでいるのだから大したものだ。というか、もしも花びらが上のナマケモノかジャイアントモアあたりと組んでいたら、速攻で死ねた気がするが…花びらも自分を踏み潰しそうな相手の近くにいるのはイヤなのだろう。
で。
あらかた探索は済んだ。
マップも一カ所を除いては埋まった。
問題は、その残り一カ所だ。
もう一度、その場所に行ってみる。
地面が焼け焦げ、草木一本生えていないというのがまた、危険をひしひしと感じさせる空間。
鬱蒼と茂った立木の合間から、彼らは奥を覗いた。
「…どう見ても…俺らのかなう相手じゃないよな?」
「まあ、伝説のドラゴン、と言われても不思議じゃない姿ですしねぇ」
「手が無いから、ワイバーンだと思うけど…ドラゴンよりは弱いけど、どっちにしたって桁違いだわね」
「ドラゴンスレイヤー…うぅ、腕が鳴るのであります。騎士として、竜と戦うのは最高の栄誉なのであります。…が、自分は一介のソードマンですので、避けられる戦いなら、避けるべきだと思うのであります」
「おい」
そう、その焼け焦げた広場にいるのは、飛竜であった。見張っているのか、時折姿勢を変えているが、一定の場所から動かない。
「下に向かう階段が見つからないんだよなぁ…後は、この奥しか無いんだが…」
「見える範囲に、通路は無いですけど…」
「さすがに、行って確認するか〜なんて言えないしなぁ…」
たぶん、初めて3階に降り立った時にカマキリに感じたものと同程度かそれ以上の威圧感を感じるのだ。要するに、戦ったら惨殺決定なレベル差。
「どうするよ」
「あたし、いい加減、帰って寝たいんだけど」
言われてみれば、清水のおかげで元気なような気がしているだけで、上から踏破してきたままだった。荷物も結構な量になっているし。
「分かった。いったん帰ろう。で、情報収集するわ」
最後に清水で回復しておいてから、糸を使って帰ることにした。