束の間の休息
ギルドの自分たちの部屋で、8人が輪になって座っている。
その真ん中に、ルークは金貨を並べた。
「聞いて驚け。今回の収支。まず、スノードリフト退治に対する執政院からのご褒美1500en」
うちは8人だから1600enにしろ、と粘ったのだが、実際戦ったのは5人じゃないか、と押し切られてしまったのだ。ち、あの眼鏡め。まあ、ルークは本人があまり金銭に執着が無い分、交渉に弱いのだが。
「で、カマキリから切り取った鎌、1本900en、それが3本。雪ドリフから剥いだ純白の薄革830en、その他ごわごわの毛皮等々…しめて5000en以上!」
おおおお!とどよめきが起きた。
半日で5000en稼ぐなんて、初めての事だ。
「凄いわ…これぞ冒険者って感じ!あたしは、こういうのがやりたかったの!」
カーニャがうっとりと金貨を眺めた。
「まあ、よーく考えると、カマキリを倒した方が高かったってことになるのね…執政院って渋いんだ」
グレーテルがぶつぶつ言った通り、今回の収入の大半はカマキリ退治によるものだったが。
「ふむ、これで金銭不足の心配は無くなるのでありますか?」
「まー、宿代とか食費とか、施薬院での蘇生費用の心配ってぇのは無くなるだろうが…」
「…むしろ、金が無いって嘆くくらい、新しい武器や防具が並んでいる方がありがたいんですが…」
アクシオンが溜め息を吐いた。
純白の薄皮から作られた新しい防具は買ったが、武器は変わっていない。まだ6階の敵に遭っていないので何とも言えないが、本当はもっと強い装備が必要になってくるだろうと思う。
「まあ、次から6階の探索に入るし…そうしたら、新しい採集場所も見つかるかも知れないしな」
新しい素材が無いと、新しい装備も作れない。
それでも、スノードリフト相手に死人の一人も出さずに勝てたのだ。そうそうやられはしないだろう、とルークは思っていた。
「てことで、どうせ使うあても無いことだし、今回は思い切って一人400enずつ分ける事にする。昨日のと合わせて500enってキリが良いかな〜っと」
隣に座るアクシオンが少し眉を顰めたが、異議は差し挟まなかった。
いざという時のために残しておきたい、という気持ちも分かるが、こういう時くらいぱーっと使っておくべきだろう。新しい装備が発売されたら、その時改めて稼げば良い。
「…何だか、悪い気がするな。君たちが命がけで稼いできたのに、俺たちも同額では」
クラウドが目の前に来た金貨のタワーを少し取り分けた。どうやら一部返す気らしい。一緒になって取り分けているターベルとクゥに、ルークは慌てて手を振った。
「何言ってんの。稼ぎ高はレンジャー組の方が多いんだって」
「しかし、そちらが苦労して切り開いた場所だからこそ、高値のものを採集出来ているのであって…」
「そう、で、稼いで来て貰ってありがとう。それでいいじゃん。最初に言ったろ?財布は一緒、みんな平等!」
びしっと親指を立てて見せると、グレーテルも一緒になって指を立てた。
「いいじゃない。また稼ぎに連れ回すわよ〜」
「…う…」
クラウドはまだ眉間に皺を寄せていたが、一分ほどしてようやく金貨を自分の懐にしまった。
「…了解。これからも、よろしく頼むよ、リーダー」
「こっちこそ。…まあ、新しい階層なんで、余裕無いかもしんないけど」
採集組を連れて行くと、いつもの戦力を削る事になるので、余裕で戦える階でないと辛いのだ。その護衛のメンバーも、なるべく平等に、を心がけているので、前衛組でなくルークが入る時など非常に辛い。リーダーとしては情けない話だが。
「じゃ、3日ばかり休養期間にするから。各自、自由に過ごす事」
その間に、バード同盟で出来る限りの情報を仕入れよう、とルークは思っていた。
たぶん、リヒャルトは鍛錬するだろうし、グレーテルは飲むだろうし、アクシオンは…裁縫だろうか。カーニャは女の子らしい買い物が出来れば、きっと少しは満足するだろう。
リヒャルトの場合。
ギルドの裏には訓練場が併設されていて、鍛錬には非常に好都合であった。あまり真面目に取り組む冒険者がいないとは言え、元々ソードマンは血の気が多い者がなっていることが多く、練習相手には事欠かなかった。
そうして鍛錬に励んでから訓練場を出てくると、裏庭でクラウドとクゥが木工に励んでいるのが見えた。
「む、次はベッドでありますか」
「はは…だんだん大きなものになってきたな」
最初は椅子から始まったのだが、近頃ではベッドにまで手を出しているのだ。
「クゥ、そっち押さえて…そう」
こんこんっと軽快な音と共に釘が打ち込まれていく。それがたとえ趣味のものであっても、巧みな技を見るのは心地よいと感じるリヒャルトは、感心して見守った。
そして、じきにそこにいるのはクラウドとクゥだけで、一人足りないことに気付いた。
「ターベル殿は?」
「あぁ、あれは木工は得てないんでな。部屋で自分の石を眺めてると思うよ」
伐採を主に行っているのはクラウドで、ターベルは採掘だ。最近では少々クゥに教えて貰って採取もしているようだが、木工はあまり得意では無いらしい。
「石が好き…女性らしいですな」
「そうか?」
クラウドが目をぱちくりさせて手を止めた。
「花が好き、とかなら分かるが…石好きって女らしいか?」
「違いますか?自分の周囲の女性たちは、皆、宝石が好きでありましたが…」
「あぁ、宝石」
肩をすくめて、クラウドは作業を再開した。
「いや、あいつが好きなのは普通の石だから。まあ宝石も嫌いじゃないだろうが、そんなもの持ったこともないしな」
リヒャルトは少し首を傾げたが、それ以上何も言わずに、地面に落ちている木ぎれを手に取った。
「これは、頂いてもよろしいですか?」
「そりゃ構わないが…」
「チェスの駒を作りたいと思いまして」
「作ろうか?」
「いや、自分で作るのも好きなのであります。非実用的なものではありますが」
「そうか」
そうして、適当な大きさに切ってから、部屋に入っていった。
部屋にいるのは、ターベルとアクシオンだけだった。
アクシオンは窓際でせっせと何やら縫っているようだったが、ちらりとリヒャルトを見て、また白い布に目を落とした。
リヒャルトは布を下に敷き、小型のナイフで親指ほどの大きさの木ぎれに細工をし始めた。
そんな風に作業するのは数年ぶりであったため、最初は失敗して折れたり削りすぎたりしたが、段々コツを思い出して駒らしい形に整えていった。
部屋の中には3人いるのに、それぞれが無言で作業しているため、衣擦れの音や石が机に当たる音、それにナイフが削る音しかしない。
5つばかり兵士を作り上げて、リヒャルトは肩を回した。
「アクシオンは、チェスはいける方でありますか?」
「…基礎知識はあります。でも、考え過ぎるので、プレイすると疲れるんです。ですから、あまりしたいとは言えませんね」
「はは…」
分かるような気がする。アクシオンは5手から10手くらい先を読んで冷静に進める方だろう。まあ、意外と好戦的なので、仕掛けが早いタイプかも知れないが。
「ターベル殿は、チェスは?」
机に向かっていたターベルが振り向いて、首を振った。
「…そうでありますか…駒を作っても、相手がおらぬのでは…」
まだ全部作っているのでも無いのだが、作り上げても誰も相手をしてくれないのでは、ただの木ぎれに過ぎなくなる。そう思うと作業にも熱が入らなくなる。
ひょっとしたらルークやグレーテルあたりは出来るかもしれないが、それぞれ忙しそうなので、誘うのも気が引ける。
「教えてあげれば良いじゃないですか」
アクシオンがさらっと言った。自分がやる気は無いらしい。
「…完成してから、考えるであります」
また兵士を削り始めると、ターベルが部屋から出て行った。どうやら、迷惑だったらしい、とリヒャルトは思った。
リヒャルトにとってターベルは<17歳の女性>、それ以上でもそれ以下でも無かった。彼女が自分の容姿をひどく気にしていることも気付かなかったし、それ故、同情する事も無かった。
アクシオンは他人の感情に疎いとは言えメディックの知識として、若い女性が顔に傷を負えば引け目を感じることは理解していたし、そういう女性なら特に若い男性と一緒にいるのは苦痛さえ感じるという推測は出来ていた。
けれど、リヒャルトにそれを教えることはしなかった。
言った場合のリヒャルトの反応が予測出来なかったからだ。…いや、むしろ、悪い方に転びそうだという漠然とした予想が出来ていたから、というべきか。
「自分の周りにいた女性は、かしましいものでしたが…ターベル殿は大人しい方ですな」
大人しいのと、場面緘黙とは違う、とアクシオンは思ったが、解説するのは止めておいた。
「若い女性は、若い男性の前では無口になるものでしょう」
「…自分は、怯えられているのでありますか?」
何となく、基礎的な知識がそもそも全く異なっている気がした。
「リヒャルトが特別、というのでは無いと思いますが」
「でありますか。…奥ゆかしい方ですな」
アクシオンは肩をすくめて裁縫に戻った。
リヒャルトは状況を全く理解していないようだが、ターベルに好意を持ったのは間違いない。どうせ恋愛感情なんて脳の一部の勘違いに過ぎないのだ。リヒャルトがターベルを『清楚で潔癖な女性』と思おうが、アクシオンには何の関係も無い。完全に間違いとも言い切れないし。実害さえ無ければ、基本的に流れは放置。それがアクシオンの行動方針である。
仮に、リヒャルトとターベルが恋人同士になったとしてみる。
…どう考えても、不都合は全く無い。
なら放っておこう、とアクシオンは自分の作業に集中した。
グレーテルは執政院で今まで報告してきた魔物の生態やアイテムについて読み返していた。
情報室長に他の資料も請求する。
「私たち以外にも報告してる奴はいるんでしょ?6階以降のデータは?」
オレルスは少し躊躇ってから、未処理、と書かれた棚を指さした。
「我々は正確を期するべく、一組のギルドによる報告では正式な登録をしていないのだ。複数のギルドから同じような報告があった時のみ、新種として登録している。6階以降は報告が少ないため…」
「まだ、正確じゃないかもって?いいわよ、無いよりマシだから」
あっさり言って、グレーテルはそれまでとは違って読みにくい走り書きの紙束をめくり始めた。
「勉強熱心なのは良い事だな」
「まあね。何たって、最後に勝つのは腕力より知力よ」
「はは…これは頼もしい」
グレーテルは、錬金術を覚え始めたのが他の人間よりも遅い事を自覚していた。だが、それがハンディになるとは思っていない。ただ突っ走るだけの若造よりも、相手の特性に合わせた老獪な戦術を取れるのが年嵩の特権だ。
「ところで…」
「何かな?」
「あんた、奥さんいるの?」
「いるが…それが何か?」
「残念。ターゲット外ね」
一応、王子様候補の確認もしておくグレーテルだった。
ルークはバード同盟で根掘り葉掘り<全てを刈る影>とスノードリフト退治の経過について聞かれていた。
自分の言葉で語って、更に質問されたことについても余すことなく答える。
その代わり6階以降についての情報を頼んでおいて、ひとまずバードたちが解散した。たぶん、これから各自の言葉で語るべく、歌を組み立てて行くことだろう。
「…まあ、君がいいなら、良いけどさぁ」
あまり良いとは思っていない顔で、金髪のバードがキタラを鳴らした。
「独り占めしたら、もの凄く稼げる材料だよ?それをよくまあ、それだけほいほいと正直に語るね。僕にはとても真似出来ない」
「俺が歌えるんなら、歌うわい」
ふん、とルークは鼻を鳴らした。
もしも、自分の言葉を旋律に乗せて語れる実力があるなら、他人になぞ渡さないかも知れないが、端っから諦めていたらそんなに悔しくも無い。
「良いんだよ、これで6階以降の情報が集まるんなら」
「集まるんなら、だろう?僕に言わせれば、見込みは薄いね」
そもそも、まともに迷宮に挑んでいるギルドは少ない。
なおかつ6階以降にも挑んでいて、その情報をバードに流しているとなると非常に少ないはずだ。
「君たちが、売名行為でバードを利用してるって言うならまだ分かるけどね。吟遊詩人に豪華な餌を与えておいて、そのくせ格好良く語るなって、それは無茶もいいところ」
「…今の、どこが格好良い英雄譚だったよ」
「ほんっとに自覚無いんだから」
呆れたように言って、金髪の吟遊詩人は、頭を掻いているルークをしげしげと見つめた。
最初は音痴の癖に吟遊詩人なんて職業を選んで苦労している馬鹿だと思っていたが、どうも人生そのものに不器用なんじゃないかと思う。
でも、ひょっとしたら他人に食い物にされても気付かず笑っていられる、馬鹿は馬鹿でも幸せな大物馬鹿の類かも知れない。
男に惚れた挙げ句にギルドまで作って真面目に探索して、そのくせ、それが報われているという話は全く聞いていない。
大丈夫なのかな、こいつ、と金髪バードは溜め息を吐いた。
翌日の夜。
裁縫をし続けて疲れたというアクシオンを誘って、ルークは酒場に来ていた。
金髪バードが歌う<ナイトメア、スノードリフトを倒す>の巻、を聞いて、アクシオンがくすくすと笑った。
歌を邪魔しないように、ルークの耳元で囁く。
「格好良いですねぇ。どこの強いギルドの話でしょうか」
「まったくだ」
駆け出しだったギルドが仲間達と精一杯戦い、強大な敵に雄々しく立ち向かった結果、見事白い魔物を討ち果たして、歌は終わった。
目の前に置かれた壺に投げ入れられる金貨が一段落してから、金髪バードはルークとアクシオンのテーブルに向かった。
小さく拍手をするアクシオンに頭を下げ、薦められた椅子に座る。
「凄いですねぇ。聞いていたら、しっかり探索に励んで、戦わなくちゃ、という気分にさせられます」
「あなた方のことですが」
「とてもそうは思えませんでしたけどね」
皮肉ではないのだろう、おっとりと首を傾げたアクシオンを見つめてから、金髪バードはルークを見た。しかし、肝心の同業者も他意無く拍手してくれていた。
何てお人好しな、と金髪バードは眉を顰めた。
「すっげーなぁ。見てもないのに、ここまで臨揚感溢れる歌を歌えるなんて」
「感心してる場合?」
「そりゃそうだ」
それでも笑っているルークに、何か言ってやろうと口を開いたが、他の連中から先に声を掛けられた。
「おーい、ルーク、実際戦ったお前の歌はどうしたよ?」
「歌っていいのかよ!」
「あ〜、酒が不味くなるかもなぁ」
「なら言うな!」
<破滅の歌声>なんて二つ名が付いているってことは、ルークの音痴っぷりは<ナイトメア>の勇名と同程度に他の連中に知られているということだ。
本人が気にした様子が無いから良いようなものの、今の言葉は悪意があると取られても仕方が無いところだ。
「そうですね、ルークも語れば良いじゃないですか。あの時、ルークが感じたことを」
腕前を知っているはずのアクシオンが穏やかに笑いながらそう言ったので、金髪バードは軽く舌打ちした。自分に惚れているという男に、恥を掻かせようとしているのか、それとも一緒になって笑うつもりか。
けれど、アクシオンは金髪バードの方は見ずに、ルークの耳に何か囁いている。
「おーい、マジで歌うのか?歌うんなら耳栓するけどよぉ」
「おーおー。しっかり耳栓しとけよ」
あっさり答えて、ルークはオカリナを取り出した。
ふ、と一息吐いてから、目を閉じる。
そうして流れ出た音は、ゆったりと酒場に染み込んでいった。
オカリナ特有の素朴な旋律で、訥々と語られていく。
恐ろしい魔物の気配を感じ取った恐怖感。
自分が何も出来ないのでは無いかと思う無力感。
仲間が死ぬ絶望。
そして、蘇生され、また語らえる喜び。
少しずつ、道を拓いていく。
そうして、戦い。
決して、勇壮ではなく、時には肩すかしをくらいながらも、それでも自分たちの力で敵に食らいついていく。
気付けば、酒場の喧噪は消えていた。
ただ、その音がその場を支配していた。
そうして、ルークが目を開けた瞬間、酒場のそこかしこで大きな息が吐かれた。
負けた、と金髪バードは思った。
吟遊詩人にとって<言葉>は<力>だ。
だが、このバードは、<言葉>の力無しに、自分たちの来た道を語った。
幾千もの美辞麗句を連ねたよりも生々しい、真に経験した者だけが語れる歌。
憧れを持って聞かれる歌ではなく、まるで自分自身がその場にいるような等身大の歌。
ルークはオカリナをしまって、頭を掻いた。
「…全然、格好良くなくて、ごめんなー」
酒場が、どっと湧いた。
また騒がしく会話がなされ、ルークの肩を叩きに来る者、更にスノードリフトとの戦いの様子を聞きに来る者、テーブルの周囲が一気に人で溢れ、金髪バードは溜め息を吐いて立ち上がった。
小さく手を振って笑ったアクシオンにも妙な敗北感を覚える。
金髪バードは酒場を出て、足下の小石を蹴った。
「あぁあ。僕もまた迷宮に入ってみようかな〜」
ちぇ、と呟いて、金髪バードは夜の闇に消えていった。