スノードリフト
宿からギルドの自分たちの部屋に帰ってきたルークは、そこで全員が無事に眠っているのを確認して息を吐いた。同じく確認していたアクシオンが囁く。
「どうやら傷も無いみたいですね。ツスクルさんのところで癒してから帰ってきたんでしょう」
まあ冷静に考えればツスクルはオオカミ退治の補助として治癒の水を分けてくれているのであって、採集を無事に済ませられるように存在するのでは無いのだが、採集で強くなるのだから大目に見て貰おう。
「せめて、朝飯でも作っとくか。アクシー手伝って」
「…えぇ、手伝うくらいなら、手伝いますが」
微妙に乗り気でないのは、裁縫掃除ついでに治癒までこなすスーパーお嫁さんぶりでありながら、料理だけは不得意だからだ。
まあ、下拵えくらいなら出来るだろう、と二人はそっとその場を抜け出し、共同キッチンへと向かった。
「んで、成果は?」
ようやく起き出した皆に、夕べの成果を問う。
「採取も採掘もばっちり」
親指と人差し指で○を作り、グレーテルは共同財布をルークに押しやった。
食事をしながら金貨を数えていると、アクシオンが「汚れます」と少しイヤそうな顔をした。金貨のせいで指が汚れると言っているのか、食事のせいで金貨が汚れると言っているのかは分からなかったが、とりあえずハンカチで指は拭いておく。
「えーと…お、3000en越えた。…よし、少なくて悪いが、みんな100enずつお小遣いだ」
8人分で800en、綺麗に山を作って目の前に並べたら、カーニャが歓声を上げた。
「やっと、自分のお小遣いが貰えんのね!…糸1個分だけど」
いきなりテンションを下げるカーニャに頭を掻く。
8人分で800enとなると、結構な金額なのだが、一人100enと考えると確かに『気持ちばかりのお小遣い』以上のものではないのだ。ちょっと見栄えの良い服でも買おうと思えば、300enから500enくらいはすぐに吹っ飛ぶ。勿論、ルークなど5enのシャツで十分だと思っているが。
「まあ、そう言うなよ。雪ドリフ倒したら、執政院からそれなりにふんだくってくるからさ」
そういえば、「倒せ」とは言われたが、報酬の話は聞いていなかった。どうせ通り道だから、と、報酬の事など考えてもいなかったのだ。これでは、『お人好しギルド』と言われても仕方がない。
「100enかぁ…確かに中途半端ねぇ」
「はは…我らが仕送りをせねばならぬ立場でなくて良かったですな」
家出人が二人に自立した女が一人、そしてプータローに……自立したメディック?
そういえば、と改めてアクシオンを見る。
「アクシーがエトリアに来た経緯は聞いてなかったな、そういえば」
「はい?誰かのお役に立てば、と思って…と最初に言った覚えがありますが」
「確かにそうなんだが…」
両親は健在なのか、とか、仕送りはしなくて良いのか、とかそういう類の事は一切聞いていなかった。まあ、そう言うルークだって両親の話などしていないが。
アクシオンは素知らぬふりで食事を続けていたが、何を嗅ぎつけたのかカーニャがじぃっと顔を覗き込んだ。
「ひょっとして…あんた、家出してきたんじゃないの?」
19歳にもなって家出は無いだろう。というか普通に家を出る年齢だが、見た目がこうなのでついそういう感覚を忘れそうになる。
カーニャとしては家出仲間が増えると自分が責められる可能性が低くなる気がして、徹底的に追及しておきたいのだ。
カーニャが退く気が無いのが分かったのか、アクシオンは小首を傾げておっとりと言った。
「家出じゃ無いですよ。ちゃんと両親に許可は貰ってますし、エトリアに行くとも言ってますから向こうがその気なら連れ戻しに来ます。まあ、俺を怒らせるような真似はしないでしょうが。あの人達、俺に甘いから」
両親に愛されている事を確信している傲慢な口調で言ってのけて、アクシオンはにっこりと最上級の笑顔を見せた。
その裏の微妙にうんざりしているような気配を感じ取って、グレーテルが眉を上げた。
「何?過保護?」
「それはもう」
「そりゃこんなに可愛い子ならなぁ。心配にも…って、過保護なら手放しもしないような気がするんだが」
「いい加減にしないと、親子の縁を切る、と言って出て来ましたから。俺が怒ると深く静かに長いことを知ってますから、そうそう手出ししてこないと思います」
…怒ると深く静かに長いのか…そう言われたら、そんな気もする…味わいたく無いが。
「それって、家出じゃないの?」
「違うでしょう」
…いや、限りなく家出に近いと思うが。
心の中だけで突っ込んでいると、アクシオンがちらりと見上げて、無邪気(そうに見える)に笑った。
「大丈夫。手紙を書いて、近況報告しています」
何がどう大丈夫なんだ。と言うか、その「大丈夫」ってのはただの口癖なのか?
「カーニャもね、ちょっと考えた方が良いですよ。ご両親は、さぞ心配しているでしょうから」
びくっと肩を揺らしてカーニャはそっぽを向いた。
カーニャの両親は過保護では無かったが、子供を愛しているのは間違い無かった。いきなりエトリアで行方をくらましたとなると、心配して探しに来るくらいのことはするだろう。
これまでわくわくと冒険していたのに、冷水をぶっかけられた気分になって、カーニャは不機嫌を隠そうともせずに「…うるっさいわねぇ」と呟いた。
確かに両親に心配をさせるのは良くないことだが、もうカーニャは立派にギルドのメンバーなのだ。いきなりいなくなられるのも困る。
暗雲立ちこめた空気の中、ルークは努めて明るい声を出した。
「ま、まあ、今は目の前の事を考えよう。今日は雪ドリフを倒すのが目標だ」
もう5階の地図はほぼ完成している。抜け道も広げたし、後は中央の空間を埋めるだけだ。
「名前からして、氷の術が通じそうにないところがイヤだけど…ま、何とかなるでしょ」
グレーテルがガントレットを撫でながら顔を顰めた。グレーテルの主力は氷の術なのだ。一応大爆炎を覚えてはいるが、一匹相手では燃費が悪いことこの上ない。
「まあ、安らぎ一本狙いだった俺も、火劇の序曲を覚えたし」
「医術防御も役立つレベルにはなってますし」
「あたし、ドレインバイトの性能が上がったわよ」
「…じ、自分は…ハヤブサ駆け…は、一匹相手には辛いですが、ダブルアタックの発動率が上がっております」
お人好しギルドだが、ちゃんと敵を倒して経験は積み重ねているのだ。
気分的にはまだ『駆け出しギルド』なのだが、それでもだんだん強くなっている。
ルークは、皆の顔を見回して、頷いた。
「よおし、今日は、いっちょ踏ん張るかぁ」
そうして、予定通りに5階まで降りて、抜け道からショートカットで中心付近までやってくると。
「獣の咆吼であります。…さすがに、強敵の気配でありますな」
扉を開けると立ちこめた獣臭さが鼻を突いた。
道は左右と正面に伸びている。
アクシオンが目を細めて奥を窺った。
「さて…まあ、一般論として、ボスは正面ですよね」
「ボスの美学としてはそうだな。獣がそこまで意識するかどうかは知らんが」
「どうする?余力があるうちに、中央突破しちゃう?」
グレーテルが左右をちらりと確認した。見える範囲に敵はいない。
「…もし、人間の悪が奥で待ち構えていたら、どういう罠を仕掛ける?」
「そりゃ、中央で待ち構えておいて、のこのこ現れたら背後を突かせますね」
案外と吟遊詩人的様式美というものを理解しているらしいアクシオンが間髪入れずに答えた。
ひょっとしたら吟遊詩人がうろうろしている大きな街で育ったのかも知れない。今度詳しく聞いてみよう、とルークは心の手帳に書き留めた。
「てことで、一応、左右の道を確認しておこう」
刺激しないようになるべく静かに、まず右へと向かう。まあソードマンの装備ががちゃがちゃ金属音を立てているので、全く忍べてはいないが。
「…いた。本当に、待ち構えてる感じだな」
スノーウルフが一体、折れ曲がった小道の奥からこちらを睨んでいた。
一匹だが、その辺の雑魚とは段違いの強さだとは分かっている。本番のつもりで、しっかり医術防御も使い、グレーテルの大爆炎も惜しみなく使う。
ごわごわした皮を剥いで、背嚢にしまっている間に、アクシオンはリヒャルトの傷を治した。
「まあ、となると当然こっちの道にも…」
今度は左の道へと進んでみたがやはり同じように一匹のスノーウルフが息を潜めていた。
それもあっさり倒しはしたのだが。
「…TP切れます」
医術防御と回復をしたアクシオンが眉を顰めた。
「だよなぁ。一回、ツスクルのとこまで戻るか」
今日は目標は雪ドリフ撃破だが、無理をする必要は全く無い。
ゆっくりと扉まで戻ってきて奥を窺いつつその場を離れた。
上へ向かう階段へとのんびり歩いていると、リヒャルトが考え込みつつ片手を上げた。
「思うのですが」
「何?」
「雪ドリフなる魔物の気配、確かに強敵ではありましたが…カマキリと同レベルに思えました」
そういえば、とルークも思い返した。
最近ではあれだけ怖かった3階の通り抜けも、ざくざくと普通に歩いていけるようになっている。単にカマキリの行動パターンに慣れたせいかと思っていたが。
「ひょっとして…俺ら、強くなってる?」
いや、強くなってるのは確かなのだが、ひょっとして、あれだけ死の気配を感じた<全てを刈る影>にすら立ち向かえるくらいにまでなっているのかも?
「…今から、3階に戻るのよね」
カーニャが腰のボアスピアソードを撫でながら呟いた。
ツスクルがいる3階に戻る。カマキリも、3階にいる。
リーダーとして、あまり危険に突っ込みたくは無いのだが。
でも、本当に雪ドリフことスノードリフトの実力が<全てを刈る影>と同レベルなら、腕試しがてらやってみるのも悪くない。
「…カマキリに突っ込んでみたい人」
はーい、と全員が手を挙げた。
実に好戦的な集団だ。
「では、まずあの細い通路で詰まってる奴にかかってみるとするか」
ツスクルに水を貰ってから、まずは中央にいるカマキリに突撃してみた。
結果。
「…案外、いけるもんだな〜」
もちろん、全力を尽くしたのでTPは危ないが、それでも死人の一人も出さずに倒す事が出来た。
「あれだけ、怖かったのに」
アクシオンが切り取った柔らかな鎌を眺めながら、カーニャが不思議そうに呟いた。
「自分は、鹿の方が恐ろしいやも知れません」
「怖いのはこっちだが」
何故だか知らないが(多分精神力の問題)リヒャルトは精神攻撃にとことん弱いのだ。混乱などといういやらしい攻撃法が無い分、<全てを刈る影>の方がマシなのだろう。まあ、混乱されて困るのは周囲の方だが。
「広い方のも行きますか?」
「だな」
そうして、階段近くの<全てを刈る影>も倒して。
奥にいる2体組も倒した時には、何となくスノードリフトにもかかっていけるんじゃないか、という気になっていた。
相変わらず無言で水をくれるツスクルに礼を言ってから、ルークは躊躇いがちに告げた。
「えー、今までありがとう御座いました」
あまり堅苦しい挨拶は得意では無いのだが、相手は自分とは比べものにならないほどの高レベル冒険者だ。一応敬意を払って敬語になる。
「俺たちは、今度こそスノードリフトに突っ込みますんで、勝つにせよ……全滅するにせよ、ここで手助けして頂くのは最後になると思います。ご協力頂き、まことにありがとう御座いました」
ツスクルは無言でしばらくルークの顔を見つめたが、代わりにマントがうねうねと激しく蠢いた。
それが少し落ち着いた頃、ぽつんと呟かれる。
「…逃げる事は、恥では無いわ」
「まー、敵に背中を向ける事を恥だと思ってる訳じゃないんすけど、実際問題として、俺らあんまり逃げ足が早い方じゃないんで」
一番足が速いのはカーニャだが、前衛なのでやばい時にはもう死んでる可能性が高い。次に早いのはルークだが、多分いざという時には性格が邪魔をして逃げられないと思う。もちろん、敵に背中を向けられないのではなく、仲間の死体を置いて逃げる、という選択肢を取れない、という意味だが。
だから、勝つか、全滅かしか無いのだ、と言うと、ツスクルはゆっくりと瞬きをした。
「…そう…気を付けて」
「はい」
ひょっとしたら、全滅したら死体を連れて帰ってくれ、と言えば助けてくれるかもしれない、とちらりと思ったが、おそらく無駄だろうと口にはしなかった。
自分たちは、『大勢いる若手の一グループ』でしか無いのだ。そこまでして貰える義理も無いし、また、それが必要なレベルならそもそも更に下など行けるはずも無い。
「大丈夫」
また、アクシオンが囁いた。
わざわざ歩調を緩めてルークの隣に立ち、手を握った。
「大丈夫。俺たちは、強くなってます。信頼して下さい、リーダー」
「…ん」
柔らかな手を握り返して、ルークは前を向いた。
「よし、行くか」
再度5階の中央に向かって、念のため左右の小道も確認したが、もうスノーウルフはいなかった。
ということは、中央のスノードリフトだけ…と言いたいところだったが。
こっそりと立木の切れ目から奥を窺いながら、リヒャルトが呟いた。
「奥にもおりますな」
「4匹…ですかねぇ。俺たちが中央に向かったら、当然ボスを守りに来ますよね」
一番近い位置にいるのはスノードリフトと思わしきもの。
「…オオカミのボスには見えないけど」
「まあ、確かに『オオカミたちを率いている』とは言われたけど、雪ドリフ自体がオオカミかどうかは聞いてなかったわな」
当然のようにスノーウルフのでっかいのくらいを想像していたのだが、外見は虎か何かに近い。ただ、白い毛皮だけがスノーウルフと共通していた。
「様式美としては、ボスの手前に部下がいるべきですけどね」
「はっはっは、ボスを倒したくば、まず我ら四天王を倒すがいい!…って感じだな」
「そうそう」
戯れ言を言いつつ、スノードリフトとてんでばらばらに歩いている残りのスノーウルフの距離を測る。
「…どうするよ。手前におびき寄せるって手もあるが」
「大爆炎は、相手が何匹いても一緒だけど」
「ハヤブサ駆けも複数相手のスキルですな」
…………。
「突っ込みたい人」
はーい、と全員の手が上がった。
全く、好戦的もいいところだ。
「…行くか。アクシー医術防御の用意。カーニャ、ショックバイトよろしく。自分がやられたらドレインバイトに切り換えて。グレーテルは大爆炎を後ろの奴らが乱入するまで取っておくか。リヒャルトはまずはダブルアタックで、やっぱり後ろの奴らが参戦してきたらハヤブサ駆けで」
そう言って、自分は火劇のためオカリナを持っておく。
「さて、と。…行っけ〜!」
「あはは、心配性の割には、結構大胆ですよねぇ、ルークも」
今から強敵に当たるとは思えないようなのんびりした調子で笑いながら、アクシオンは試験管の蓋を開けつつ走った。
当然向こうも気付いてこちらに向かってくる。
「行くわよ!」
まずは、カーニャのショックバイトで熱戦の火ぶたは切られた。
アクシオンの医術防御が効いているのか、何とか回復が間に合う程度の傷しか負わないで済んでいる。だが、さすがに奥にいるスノーウルフたちがこっちに向かってきていた。
「どうすっかな〜」
「そろそろ大爆炎解禁でいいでしょ?!いざとなったらアムリタあるんだし!」
「大爆炎一回分じゃん。ま、いっか。姐さん、どうぞ!」
「いやっほぉう!」
ストレスが溜まっていたらしい。グレーテルは嬉々として大爆炎を放った。
純白の毛皮を焼かれ、スノードリフトが怒ったのか木々を震わせる咆吼を上げた。
「ひいぃぃぃぃ!?」
「リヒャルト…またか」
幸い、混乱はしていないようだが、怯えたように突っ立っているリヒャルトを見て、ルークは溜め息を吐いた。まあ、危なかしいが、炎付きの剣で同士討ちされるよりマシだと思おう。
「聞いてたら、ハヤブサ駆け頼むな〜」
「うわああああ!怖いであります!怖いであります〜!」
硬直しているところに攻撃を受けていつもよりも手酷い傷を受けているリヒャルトを見て、アクシオンはさっくりと言い放った。
「医術防御かけ直しの頃なので、そっち優先します。リヒャルト、もう少し踏みこたえて下さい」
もう一回喰らったら死ねるのは分かっていたが、もうスノーウルフたちも乱入し始めている。回復を優先して医術防御が切れると、それはそれで誰かが死にそうなので、まだしも防御優先の方がマシだろうとアクシオンは判断した。
「…あ、俺がメディカ使えば良いのか」
どうせ火劇は使い終わっている。ルークは懐からメディカUを取り出して突っ立っているリヒャルトを引き寄せて口に瓶を突っ込んだ。
「ドレインバイト!」
「カーニャは自己回復でいいですねぇ、便利です」
「でしょ!?あたし、強いもの!」
確かに、現在のところ主力と言って良い攻撃力ではあるのだが、少しTPが心許なくなってきた。
「…あ〜、もういい!雪ドリフに集中攻撃!」
ついでにスノーウルフも、なんて考えるのは止めることにした。残り2匹の迫ってくるスノーウルフは無視して、スノードリフトだけを狙う事にする。
「そーれ、大・爆・炎!」
「…ちぇ、俺にも火劇かけて下さいよ」
「アクシーは攻撃より回復と防御優先!」
「俺だってねぇ!怖いの!我慢して!戦ってるんですから!」
ぐわしぃ!
アクシオンのボーンメイスがスノードリフトの頭頂にクリティカルで叩き込まれた。
飛び散る脳漿。
動きを止めたスノードリフトに、呪縛でも解けたかのように2匹のスノーウルフが駆け去っていった。
「…えーと………」
ルークは、肩で息をしているアクシオンの手から、そっとボーンメイスを取り上げた。
「ひょっとして…あの時の咆吼で、アクシーも恐怖状態…だったり?」
「…まあ…実のところ、そうです。…そうでした」
ふぅ、と息を吐いて、アクシオンは額を拭い、顔を上げてにっこり笑った。
「もう大丈夫ですけどね」
「…一回も、動きは止まらなかったよな」
「そうですか?」
リヒャルトがほぼ動きを止めていたのとは正反対だ。むしろ最後にはクリティカルまで出していた。
「…俺は、アクシーの方が怖いかもしんない…」
恐怖状態なら、もっとこう。
可愛らしく悲鳴を上げるとか。しがみついてくれるとか。
…何で、恐怖に駆られて相手の頭をかち割ったりするかなぁ。
そりゃ合理的だけど。
動けなくなるより、実際的ではあるけど。でももっとこう…可愛げが…。
ルークは深い溜め息を吐きながら、嬉々として純白の毛皮を剥いでいるアクシオンを見つめたのだった。
そのまま糸で帰ろうか、という話も出たのだが、ちょっとだけ下を覗いてみよう、と意見が一致し、そのまま地下6階へと降りてみた。
すると周囲の光景の違いにも驚いたが、何よりも立ち上る赤い光に目を奪われる。
「…何じゃ、ありゃ」
何某かのエネルギーの流れは感じるのだが、何のためにあるのか見当も付かない。
その辺を見回し、肉厚の葉っぱを千切ってその光めがけて投げてみた。
すると、光の流れの内部に入った途端、それが消え失せる。
まるで粉々に砕け散ったように見えて、背筋が凍えた。
「あっぶねー」
触れたら分解されるような危険なものが迷宮内にあるなら、もっと噂になっていても良いようなものだが…そもそも6階まで降りた冒険者が少ないためかもしれない。
「一転して、暑いですねぇ。…単に、植物が熱帯性に見えるための、気分の問題かも知れませんが」
目の前の光景にはあまり動じていないアクシオンが、周囲の葉っぱをしげしげと眺めた。
「…イヤな感じがするわ。これだけ植物相が違うってことは、出てくる魔物も上とは全然違う可能性がある」
グレーテルも鬱蒼と茂った木を見上げて憂鬱そうに呟いた。
「何よ、それ、何か問題あるの?」
「ほら、アルマジロとかカニとかは術式が良く効く、とかそういう知識が、全く役に立たなくなる可能性があるってこと」
カーニャは首を傾げた。あまりよく分かっていないらしい。まあ、相手がカニだろうがオオカミだろうが、カーニャはひたすら攻撃するだけだが。
「今のところ、敵の気配は感じませんが…いったん帰還して、執政院に報告するでありますか?」
「んだなー。…だんだん、情報量が少なくなってきて辛いが…ちょっとバード同盟に収集かけてみるか。こっちにも餌があるから食いついてくるだろ」
新鮮なスノードリフト熱戦の模様、なんて、吟遊詩人ならたいてい欲しがる題材だ。
それから6階以降の噂を集めてみよう。
とりあえずの方針を決めて、上への階段へ向かおうとしたら。
ぎ、と扉が軋む音がした。
慌てて振り返り戦闘態勢を取ると、そこには見慣れた二人組が立っていた。
「おや?君たちか。…ふむ、では、スノードリフトを倒したのだな」
「…おかげさまで。ツスクルさんにはお世話になりました」
無言のままツスクルのマントがはためいた。
レンは刃のような目を少し細めてルークを見つめた。
「最初はひよっこと思ったが、力を付けたな。スノードリフトを倒したということは、君たちも中堅冒険者の仲間入りだ」
「…とてもそうは思えないんすけどね」
「ふ…謙遜するな」
思い切り本気なのだが、レンは喉で笑ってから背後を指さした。
「あれは、迷宮内に複数ある磁軸と呼ばれるものだ。どういう理屈か知らぬが、他の場所に転移出来る。執政院の長は、あれを地上へと繋げている。便利なものだ」
「地上とここが?」
ルークは少し考えてみた。
そりゃ、それが本当で、上まで歩かずにこのまま帰れるのは嬉しい。
が。
「それって、危険じゃないんすか?魔物も転移出来るってことじゃ?」
魔物がこれを使って地上に行き放題だとしたら、えらいことになる気がするのだが。
レンは少しだけ面白そうに口を歪めた。あまり表情が変わらない女性なので、そんな顔は珍しいんじゃないかと思う。
「…考えたことが無かったな。長から冒険者しか利用出来ないと聞いているし、実際魔物が通ったことも無いが…上でもそうだったが、君は、私の思いもつかないことを考える。面白い」
ルークは居心地悪く肩を揺らした。
そんなにおかしな思考回路をしているつもりは無いのだが、目の前の女性は本気で面白がっているようだった。
「ギルド<ナイトメア>…と言ったか。覚えておこう。ではな」
そう言って、レンとツスクルは迷いもなくその赤い光の渦に足を踏み入れた。その姿が、先ほどの葉っぱと同じように粉々になったように見えた。
しばらく見ていても、周囲の光景に変わりは無かった。
「…幻術…でも無いよな。安全なんだよな、きっと」
レンとツスクルが故意に彼らを消そうとしているのなら、こっそり誤魔化して危険へと誘っているという可能性もあるのだが…まあどう考えてもその線は薄い。そもそも、彼らを消そうとしたなら、そのまま討ち掛かって来ればそれでおしまいだ。おそらくレンとツスクルなら、彼らがスノードリフトを5人がかりで倒したよりも早く、彼らを殺す事が出来るだろう。
「んー…俺は、レンさんの言ったことが分かるような気がしますね。ルークは他の人とか街の人の安全をまず考える。そういう思考は、とても感情的で…」
「無駄?」
「いえいえ、素敵だと思いますよ。少なくとも、俺は好きです」
くすくす笑うアクシオンにふらふら近寄りかけて、虫でも見ているかのようなカーニャの視線に、はっと気付いて咳払いした。
「あ〜…ごほん。ありがとう、アクシー」
「…男同士で…不潔…」
「カーニャ〜」
情けない声を上げるルークから目を逸らし、アクシオンは一人で呟いた。
「ただ…もしレンさんが俺みたいな思考回路だとすると…危険だな。敵になる可能性がある」
ルークの思考が新鮮だと感じる、ということは、自分に近い考え方では無いかと思う。
ということは、感情ではなく理性で動く生き物だということだ。アクシオンはルークが好きだが、必要ならばルークを殺せる自信がある。感情よりも理性が遙かに凌駕しているということは、そういうことだ。無論、その『必要性』が無ければ、感情的になって意味もなく殺すことも無いが。
その自分と同類だとすれば、レンといくら顔馴染みになっても、そして今後手を貸す事があったとしても、必要ならば躊躇うことなくこちらを倒しに来るだろう。
相手がルークのような義理人情を優先する人間なら、そういう心配は無いのだが。
勿論、ルークを軽く見ているつもりはない。むしろ、そのような考え方が出来るルークを尊敬していると言っても過言では無い。
が、それとこれは話は別。
まあ、今はまだ大丈夫だろう。自分たちは、彼女たちの脅威にはなり得ない。
でも、もし、そんな可能性が出来たら。
顔馴染みを攻撃する事を躊躇うだろうルークの代わりに、自分が気を付けておかないと、とアクシオンは思った。
(守ってあげなきゃ)
そんな風に考えた自分に気付いて、少し笑う。
それは『必要性』ではなく、アクシオンの『感情』から来る思考だったからだ。
面白いなぁ、と思う。
自分の思考も、アクシオンをしてそんな風に思考させたルークという人間も。
笑ったまま、一歩踏み出した。
「じゃ、行ってみますね。俺が無事戻ってきたら、みんなで帰ればいいし」
躊躇うことなく赤い光へとすたすた歩き出したアクシオンに気付いて、ルークが一瞬ぎょっとした顔で立ち竦み、すぐに手を伸ばした。
「ちょっと待った〜!死ぬ時は一緒だって言っただろ!」
「それは、戦いにおいてです。というか、全滅は避けるに越したことはありません」
「とにかく!一人で行くな!行くなら俺が行く!」
「リーダーが斥候してどうするんですか」
そのまま歩き続けたアクシオンの手を、ルークが捕まえた。
が、勢いの方が強くてそのまま二人とも赤い光に倒れ込む。
「うわああああ!」
「…何とも言えない感触ですね…」
まるでいきなり崖から下に放り投げられたような浮遊感の後に、ルークは下に地面があることに気付いた。
「…えーと…」
きょろきょろと辺りを見回すと、兵士がこちらを凝視しているのが見えた。
ついでに、周囲は地上の光景で、世界樹の迷宮入り口の近くだということも見当が付いた。
ここがあの磁軸とやらの出口だとしたら、冒険者が帰ってくるのは珍しくも無いだろうに、何でそんなに驚かれるんだろう、と思ってから、自分が一人では無いことに気付いた。
アクシオンはルークに手を引っ張られつつ突き倒されるような格好で磁軸に入った。結果として、上向きに倒れている。
で、ルークはそれに覆い被さるように倒れているわけで。
………。
どう見ても…押し倒してる図だよな、とようやくルークは他人事のように思った。
アクシオンがぽんぽんと背中を叩いてきたので、のそのそと起き上がると、アクシオンも上半身を起こした。
とびきりの笑顔で兵士に言う。
「お疲れさまです。磁軸はいつも見張られてるんですか?」
「…は、はぁ…その…間違って初心者や街の者が地下深くに潜らぬよう…」
「それはそれは」
アクシオンは立ち上がってぱたぱたと白衣を払った。ルークもマントの草切れをはたいてから、咳払いした。
「じゃあ、3人を迎えに行くか」
「ギルド<ナイトメア>、6階との磁軸の使用を申請します。よろしいですか?」
「…は、はい、どうぞ…」
兵士が慌てたように一歩下がった。
同じような赤い光が複数あって、その前に看板が立てられていた。
6階と書かれた磁軸に向かい、転移する瞬間、ルークの耳は、兵士の感心したような声を拾っていた。
「…あれが…<ナイトメア>のルークとアクシオン…なんだ、もう出来てたのかっ!」
ものすごく。
間違った噂が流れている気がした。