二人きりの夜



 そんなある日。
 いつものように探索に出かけようとして、ギルドの玄関から出ていったルークは、少しバランスを崩してよろめいた。
 「…あれ?…とっとっと」
 何かに躓いたかな?とルークは片足を振った。
 …が、その片足立ちでも何やらふらふらし、慌てて駆け寄ってきたアクシオンの肩に捕まる羽目になった。
 「何やってんのよ」
 カーニャが心底呆れた、という声で言った。カーニャにしてみれば、よろけたのもみっともないし、男同士で惚れたはれた言って照れてるのもみっともない話なのだ。
 が、ルークはそれに構っている余裕は無かった。自分でも情けないとは分かっているのだが、捕まっていないと倒れそうな気がしたからだ。
 「ルーク、座って」
 正面から抱きつくように脇の下を支えたアクシオンが、メディックの声で命令したので、ルークはよろけながらもその場に座った。
 アクシオンの柔らかな手が頬を撫で、じぃっと正面から覗き込まれてルークは目を逸らしたい気分に駆られた。更に近づいた顔に、うひょー!?と目を泳がせると、こつんと額と額が合わされた。
 「ん、熱は無いようですが…顔色は悪いし、冷や汗も…」
 頬に触れていた手がするりと下がって手首を捕まえた。
 「脈拍増加」
 そりゃ相手が男と分かっていても、惚れた相手とでここっつんすりゃ心臓もばくばくするわ、とルークは思ったが口には出さなかった。
 「ふむ」
 アクシオンは体を離して、人差し指を顎に当てた。
 「メディックとして、リーダーの休養を申請します」
 「へ?いや、俺は別に疲れてなんか…」
 立ち上がろうとして一瞬体が浮いた気がしたが、何とか押さえこむ。
 「大丈夫だって。ちょっとくらっと来ただけだって。今日は5階の奥まで行くんだろ?」
 「…考えてみれば、ルークが宿で休んだことはありませんでしたね…メディックとして失態でした」
 ふぅ、とアクシオンが溜息を吐きつつ首を振った。
 そういえば、とグレーテルも頷いた。
 「そういや、そうよね。私やカーニャは、よく宿に行かされるけど…そういうリーダーは、いっつも昼寝かギルドの床よね〜」
 「いや、別に、全然それで…」
 「帰ってからも、一人で酒場で情報収集しに行ったり、執政院と交渉したりしてますからね。最近は探索に出る時間が長くて、昼寝も出来ていませんでしたし、不規則ですし…リーダーとして責任を全うして下さるのはありがたいのですが、そろそろ無理がたたってるんです」
 はぁ?とルークは不満の声を漏らした。
 別に無理をしたつもりは無いし、不調だとも思わない。
 だが、アクシオンは指を鼻先に突きつけてきた。
 「メディック命令です。今日は宿で休んで下さい」
 「…了解。今日、帰ってきたら、ちゃんと宿で…」
 「今日は、探索に行かずに、宿で休むんです」
 一言一言区切るように言われて、ルークは唸った。
 「…そりゃあ、俺なんざいなくても戦力にあまり変わりは無いかも知れないけどさぁ…」
 「何を馬鹿なこと言ってるんです。単に採取と採掘に行くだけに変更しますよ」
 3階で採取ポイントを、4階で採掘ポイントを見つけたのだ。今までは自分たちで手一杯だったが、幸い近くにツスクルが控えてくれているため、採取組を連れて行けるかな、という話になっていたのも確かだが。
 「…あの」
 リヒャルトが遠慮がましく片手を上げた。
 「何?」
 「その…自分の思い違いでなければ、アクシオンも宿に泊まったことが無いのではないかと思うのでありますが…」
 ち、と舌打ちが聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにする。
 「そう言えば、そんな気も…いつもたいてい一緒に行動してるし…」
 ルークはじと目で自分に安静命令を出したメディックを睨んだ。アクシオンはにこやかに手を広げて、のうのうと言った。
 「俺は、元気ですから」
 「リーダー命令。アクシオンも今日は宿で休むこと」
 「え〜」
 不満そうに呟いてから、アクシオンは小首を傾げてルークを見上げた。
 「俺と一緒なら、リーダーもちゃんと宿で休みますか?」
 「…………まあ…………」
 非常に不本意だが。
 「了解しました。では、明日の朝まで、きっちり宿で安静にして頂きます。俺が付いてるからには、抜け出したりさせませんよ」
 ああ、藪蛇だったか、と思いつつも、これでアクシオンも宿の柔らかなベッドで休めるんだしな、と何とか自分の良心を宥めてみた。
 もう金はそこそこに潤ってきたし、そんなに焦る探索でも無いのだが、歌の一つも歌えないリーダーとして、自分が休むのは非常に気が咎めるのだ。
 「…まあ…前衛二人に錬金術師が付いてたら、ターベルちゃんとクゥちゃんも大丈夫か…回復出来る奴がいないから、しっかり薬を持っていくこと。糸も忘れずに」
 「はぁい、リーダー」
 グレーテルが冗談のように手を上げた。
 その顔が、やけににやにやしているというか、何か裏がありそうだったので、眉を顰めて見つめると、グレーテルはにやついたまま金髪を払った。
 「そうなの、ついに二人は結ばれるのね〜」
 
 理解するのに、10秒ほど要した。

 「む、む、むす、結ばれねーよ!」
 「まあ、無いですね。ルークにそんな甲斐性はありませんから」
 「甲斐性って何!つーか、甲斐性見せていいのかよ!」
 「いえいえ、安静に休めって言ってるのに余計な運動しようとしたら、殴り倒してでも休ませますが」
 がーがーと叫んでから、照れてるのは自分だけで、アクシオンは顔色一つ変えていないことに気づいて、ルークは少し空しくなった。意識しているのは自分だけ、というのは切ないものである。
 ごほん、と咳払いをしてから、意識を切り替える。
 「…とにかく。無理はしないように、採取組を守って行くこと。それなりに切り上げて休んで、明日の朝にはまた本格的に探索に出る。以上」
 「了解」
 「えーと…一応、仮のリーダーはグレーテルにしておくから、判断は任せる」
 「分かった。これでも堅実派だから安心して」
 「ん、頼んだ、姐さん」
 そうして、3人はギルド内に逆戻りし、ルークとアクシオンの二人は宿へと向かった。
 宿のチェックアウト時刻はやけに早いので、もう出ていく人間は少なかったが、中へと向かう人間は更に少なかった。
 宿の受付が、おや、という顔をした。
 「これはこれは、お珍しい」
 「…メディック命令が出たんでなぁ…」
 「ふふ、そう嫌わないで下さいよ。もっとご贔屓にして下さると嬉しいんですけどねぇ」
 「分不相応な気がして、落ち着かないんだよ」
 一応、受付の糸目とは顔見知りだ。仲間が世話になることもあるし、自分でギルドを立ち上げる前には泊まったこともある。
 実際のところ、冒険者たちに恨まれているほど、ここの宿代は高くない。むしろ駆け出しの者には安すぎるほどの低価格で泊まらせている。しかも、5人の団体なら4人分の料金に割り引いてくれるほどのサービス付きだ。
 逆に高レベルになればなるほど料金は鰻登りになるため、中堅どころが一番辛いらしい。装備を調えたり薬を買ったりしてから宿に行ったら、金が無くて泊まらせてくれなかった、という噂もある。まあ、完全先払い、ツケは認めず、というのは、冒険者相手には正しい商売法だと思うが、恨みを買っているのも確かだ。
 「さて、この時間帯は人が少ないので、お部屋は融通が利きますよ。夜までのご休憩ですか?それとも朝まで?」
 「朝までですね。ツインよりダブルの方が安いんですよね?」
 「もちろんです」
 「じゃあ、ダブルで」
 「スイートもありますが?」
 「同じ料金なら」
 「まさか」
 「では、一般ダブル、朝までで。入浴及び、夕食を追加で」
 「ご利用ありがとうございます」
 やはり調子が悪いのだろうか。
 突っ込むタイミングを失っているうちに、話はトントン拍子にまとまってしまっていた。
 「だぶる?」
 呆然と呟くと、糸目がうっすら細目になった。
 「通常使用以上に汚された場合は、それなりの追加料金を頂きます」
 「汚さねぇよ!」
 「そうですか。では、ごゆっくり。お邪魔はいたしませんので」
 鍵と入浴用チケットと夕食券を並べた糸目が頭を下げた。
 アクシオンは平然とそれらを受け取り、鍵の番号を確認して歩き出す。
 何だか何か(というかナニ)を前提とされているような気がしてくらくらする頭を押さえていると、振り返ったアクシオンが腕を絡めてきた。
 支えていてくれているだけなのだが、こういう姿が更に誤解を生むんだろうなぁ、とちょっと遠い目になった。
 部屋に着いて、中から鍵を掛けると、アクシオンはまず窓のカーテンを閉めた。
 「さて、と。えーと服はここに吊すんですね」
 さっさと自分の白衣を脱ぎハンガーに掛け、突っ立っているルークのマントを脱がせていく。
 「い、いいいい!自分で脱ぐから!」
 「そうですか。では楽に寝られるくらいの格好になって下さい。あまり締め付けていると、良質な睡眠は得られません。入浴は、夜にしましょう。ルークは、まず眠るべきです」
 そんなに寝不足のつもりはないのだが、ここまで来て抵抗しても仕方が無い。
 もそもそと脱いでシャツとズボンだけになると、ダブルベッドの布団を剥いだアクシオンが手招きしていた。アクシオンは、下は普通のズボンだが、上はタンクトップになっていて、細い鎖骨の線やら胸元が覗いて非常に目のやり場に困る。いや、胸は平らなのだが。
 端っこの方に横になると、布団を被せたアクシオンが横座りのままぽんぽんと叩いてきたので顔を顰めて見上げた。
 「おい、アクシーも寝ろよ」
 「眠くないんですが」
 「俺だって、眠くは無いっての」
 「そうは見えませんが…」
 反論しつつも、アクシオンは溜息を吐いてベッドに体を滑り込ませてきた。
 上を向いて寝るルークと、その脇で横向きに丸くなるアクシオン、という姿は、いつもの昼寝の格好ではあったのだが、一つベッドの中、というのはまた青空の下での昼寝とはまた違って妙に恥ずかしい。
 「夜、お風呂に入ったら、後でマッサージでもしますよ」
 アクシオンが、体に触れてくるのか。
 ………。
 大丈夫か、俺。
 「別に、サービスしてくれなくても、良いんだけど」
 「サービスじゃないですよ。れっきとした医療行為ですから」
 ふふふ、と笑う声は囁きのようで眠気を誘ってきた。
 「…眠くない、つもりだったんだけどなぁ…」
 「体は正直でしょう」
 「…うわぁ、凄いセリフだなぁ…」
 腕の中の温かい体を感じながら目を閉じると、一瞬くらりとして頭の中が揺れた。その気持ち悪さにもっと目を閉じて真っ暗闇にすると、いつの間にか意識を失っていた。


 次に目覚めた時には、辺りは真っ暗になっていた。え?俺ってここに来たの午前中だったよな?とちょっと呆然とする。
 「おはようございます。…まあ、おはようございます、でも無いですけど」
 くすくす笑いながらアクシオンが身を起こした。
 「何だか、余計に体が怠い気もしますね。しっかり入浴して、老廃物を洗い流したい気分です」
 ベッドから降りたアクシオンはさっさと身支度を整えていっている。それを眺めてから、ルークものそのそと身を起こした。
 「具合は如何ですか?」
 「…少し、頭が重いかな…」
 「では、薬を調合しておきます。夕食を摂ってから飲んで下さい」
 テーブルの上のランプに火を入れ、いつも持ち歩いている鞄から薬瓶を取り出した。
 おかしいなぁ、こんなに眠れるなんて、やっぱり寝不足だったのか?と自問自答しながら、何とか食べに行けるくらいには服を整えた。

 宿の夕食は、決まったコースだった。
 本当に冒険者用なのか?と思うような華奢なフォークとナイフで、皿の上に乗っている複雑な飾り付けだが量はちょっぴりな料理を切り分ける。
 「ここでメシ食うの初めてだが…これは、あれか?あの糸目の嫌味か何かか?」
 どう考えても冒険者向きではない夕食に、ルークは戸惑いながらこっそり他のテーブルを窺った。ここが冒険者の宿であるからには、夕食を摂っているのも冒険者のはずだったが、まるで一般人のような服装の人間が多かった。
 アクシオンは器用にフォークの背に野菜を乗せて口に運んだ。
 「どうでしょう。冒険者は主に酒場に行くか自炊か、でしょうから…一般人の感覚からかけ離れないように、という心遣いなのかもしれませんよ?」
 そんな玉か、あいつが、と思ったが、そんな解釈もあるのかと純粋に感心したため反論はしなかった。
 まあ、冒険者は主には「質より量派」だろうが、たまにはまともな食事をしたくなることもあるだろうし、仲間内で恋愛沙汰になってデートしたくなる時もあるかもしれない。そんな時でも、冒険者は一般人の店に行くのは気を遣うだろうから(法的に禁止されているわけではないのだが)、こんな店も必要なのかもしれない。
 が、疲れ果てて泊まりに来た冒険者が気軽に腹を満たす、というのには実に不便な場所だった。ちなみに、もちろん値段も可愛くない。
 「ワイン、飲んでもいいかな」
 「グラスワイン1杯のみ、許可します」
 堅い言葉だったが、ふふふ、と愛らしい笑い声付きだったので、でれでれとやに下がりながらルークはワインを注文した。
 知識としては持っているが実践が足りないのでテーブルマナーに苦労しつつ、それでもそのひたすら華奢なカテラリーで食事を進めていって、いつもの5倍くらいの時間をかけた食事もようやくデザートの出番となった。
 果物のシャーベットを覆う飴細工の籠を崩しながら、アクシオンが困ったように笑った。
 「少しだけ、気が引けますね」
 今頃、皆は食事どころか探索に励んでいるはずだ。思い出すと、浮ついた気分がずしりと重くなる。
 一気に顔色が悪くなったルークに、アクシオンは僅かに眉を寄せたが、素知らぬふりで言葉を続けた。
 「今度、皆にも、ここで夕食を摂るよう勧めましょう。そのくらいの贅沢は許されるでしょう」
 「…ん…だな」
 呟いて、ルークは転がった果実を指で摘んで口に放り込んだ。
 
 30分ほど部屋で休んでから、大浴場に向かった。
 アクシオンの薬のおかげか、それとも腹が満ちたからか、重かった頭はマシになっている。
 ぼんやりとそんなことを考えていたルークは、当たり前のように男性側に入ってきたアクシオンに一瞬ぎょっとした。
 当たり前だ。アクシオンは男なのだから。
 そう頭では分かっていたはずなのに、今の今まで『一緒に風呂に入る』という可能性に気づいていなかった自分を呪う。
 探索から帰ってきた冒険者たちが汗を流すにはちょうど良い時間帯であったので、脱衣室にはそれなりに人がいた。しかし、そもそも駆け出しならこんなものに使う金は無いので、ある程度優秀な一握りの冒険者のみであったので、一見10代前半美少女のアクシオンが脱ぎ出しても、騒ぎにはならなかった。
 まあ、それでも男の性(サガ)として、ちらちら盗み見られてはいたが。
 アクシオンは気づいているのかいないのか、さっさと上半身を脱いでいった。タンクトップも脱いでしまうと真っ平らな胸が現れたので、ちょっと安堵したようながっかりしたような吐息が複数聞こえた。
 隣のルークは自分も脱ぎつつも、何とも複雑な気分に大きく息を吐いた。
 そりゃ、同じ部屋で着替えもしているし、男同士だと分かってはいる。
 しかし、白くて細い首から肩に掛けてのラインだとか、真っ平らではあるのだが筋肉質ではないために柔らかそうな見た目の胸から腹だとか、そういうものが目に飛び込むのは非常に不都合だ。
 下半身も女性のようなむっちり感は無いものの男性特有の筋肉の凹凸がなく、ひたすらすんなりとして気持ちよさそうだ。
 要するに。
 全体的に肉体は中性的なのである。
 顔はこれなのに体はムキムキなら、さっさと恋心も消滅するってものなのに。…いや、ムキムキな体にこの顔が乗ってるところは想像できないが。
 ちなみに、ちゃんと付くべきところに付くべきものは付いているのだが、それを直視する勇気はルークには無かった。それが、アクシオンを中性的な少女として愛でていたいからなのか、惚れた相手のナニを見るのは恥ずかしいからなのかは、自分でもよく分からなかったが。
 白いタオルを腰に巻いて、アクシオンが先に浴場に入っていった。
 ルークも後から入って、洗い場に腰掛ける。
 循環している水を桶に汲んで頭から被ると、メディックから突っ込みが入った。
 「いきなり頭からは危険です。足から慣らしていく方が体にいいですよ」
 「はーい、メディック」
 ふざけたように返事をすると、アクシオンが立ち上がって背後に回った。
 美少女に背中を流されるなんて、夢見たシチュエーションだとは言い切れるが…ちょっと複雑。
 本当は、お返しに洗うのが礼儀だと分かっていたが、アクシオンに触れる勇気が無かったので、洗い終わったら先に湯船に入った。
 お湯は大きな湯船に焼いた石を浸けることで温められているので、場所によって湯温に差があり、各自好きな場所に座っていた。
 ルークは比較的石から遠い位置でぼんやり座っていたが、アクシオンは石に近い場所を選んだので少し離れる。
 やや濁ったお湯のため、顔から胸の一部だけが見えていて、本当に少女が入浴しているように見える。
 「なぁ、<ナイトメア>のルークか?」
 「あん?そうだけど…あぁ、ちょっと待って。当てるから」
 声をかけてきた男の顔に見覚えはないが、鷲鼻と顎の傷から情報を検索してみる。
 「えーと…<スカイハイ>のスターク?」
 「当たりだ。どこかで会ったかな?」
 「いや、バード同盟からの情報」
 「はは、俺も売れてきたもんだ」
 スカイハイは中堅の冒険者ギルドで、ナイトメアよりも先行しているはずだ。確か2層から3層に向かうところだとか聞いたような。
 「で、駆け出しギルドに何の御用で?」
 「これは謙遜だな。…いや、ちょっと聞きたくてな」
 オレンジの髪の男は、少しにやりとしながらルークの耳に小さく囁いた。
 「あれが、あの有名な<男殺しのアクシオン>か?」
 「…そこまで、有名?」
 別に、アクシオンは男を好んでいるわけではない。
 単に見かけと表面の性格とで<愛らしく献身的な理想の女の子>に見えるために、ついうっかり惚れてしまって、告白した挙げ句に玉砕する冒険者が後を絶たない、と言うだけの話だ。
 エトリアにはまだまだ新しい冒険者が流入してきているため、アクシオンが男だというのを知らない冒険者の数も減らないのだ。
 おかげで酒場では、勘違いした若いのが出たらにやにや見守られ、いつ気づくか賭の対象となっている。
 「なるほど…いやいや、なるほどなるほど。確かに間違っても不思議は無いな」
 うんうん頷いている先輩冒険者にルークは苦笑した。
 アクシオン本人に、故意に女の子に見せようとかいう悪意は無い。ちゃんと一人称は「俺」だし。まあ、よくよく聞いていると、「俺」という言葉自体を滅多に使わないことにも気づくが。
 「いやぁ、良い目の保養になった。うちは男所帯だからな。君のところが羨ましいよ」
 「男と年増とロリだけどな…」
 「おや、その男に惚れていると聞いているが?」
 「…どこまで噂になってるんだ…」
 まあ、題材として面白いのは認める。さぞかし馬鹿な男という役回りなんだろうなぁ、と分かってはいたつもりだが、ちょっと滅入ってきた。
 ぶくぶくと沈んでいると、アクシオンがするするとお湯を割って近づいてきた。
 「こんばんは」
 「こんばんは」
 熱い湯にいたせいか、ほんのりピンク色に染まった肌は色っぽくて、先輩冒険者は眩しそうに目を細めた。
 「ルーク?湯当たりしたなら、早く出た方が良いですよ?本調子じゃ無いんですし」
 「んー…や、そうじゃないんだけどさ…」
 「何だ、具合が悪かったのか?」
 「えぇ、少し体調を崩していたので、ゆっくりと宿で休むことをメディックとして提言したんです」
 「そうか、気を付けてな」
 「ありがとうございます」
 また自分をおいて会話が成立したらしい。
 が、色っぽいアクシオンをこれ以上他の男の目に晒すのも嫌だったので、素直に出ることにした。
 ぺこりと頭を下げて立ち上がったアクシオンは、濁った湯から出た瞬間にタオルをふわりと腰に巻いた。見事としか言い様の無いタイミングだ。
 浴場からの視線を一身に集めていても、アクシオンは全く気づいていないのか、あるいは気にしていないのか、ルークの腕を取って出口へと歩いていった。
 冷たい水を飲んでから、宿に備え付けの寝衣に着替える。だるいなぁ、と座っていると、足首や手首で寝衣を折り曲げるという可愛い姿でアクシオンが覗き込んできた。
 「大丈夫ですか?」
 「ん、平気」
 「部屋に戻ったら、マッサージしますよ。そちらのプロでは無いですが、よく両親の腰を揉んでいたのでそれなりに出来ますから」
 そっちのプロって何だ、と思いつつ、ルークは立ち上がった。

 部屋に戻ると、早速ベッドに押し倒された。もちろん、俯せにだが。
 腰の辺りに乗っかられて、首筋からマッサージが開始される。
 最初こそその重みだの手の感触だのに気が取られていたルークだったが、次第にそのマッサージそのものに意識が集中した。
 言うだけあって、確かに巧い。体中の筋肉が柔らかく溶けていくようだ。
 「うわぁ…俺、凝ってるつもりは無かったんだけどなぁ…」
 「自覚が無い方が危険ですね。もっと軽いうちに何とかしておくべきでした。すみません」
 のほほんとした毎日から、真面目に探索する毎日へ。
 リーダーとして緊張もすれば、本来業務ではない弓も威力の高いものへと買い換える日々。
 考えてみれば、確かに<無理>だったのだ。
 「大丈夫ですよ」
 心を読んだかのように、アクシオンが柔らかく言った。
 「リーダーが、全部背負わなくても良いんです。俺も手伝いますし、グレーテルさんやリヒャルトも言えば任務をこなします。リーダーに遠慮してるだけですから。大丈夫、任せて貰えば、いつだって、何だって、肩代わりしますから」
 「…そうは、言っても、さぁ…」
 リーダーとしてギルドを立ち上げたからには、そのメンバーに責任がある。必ず生きて帰らせることが、リーダーとして一番の責任だ。たとえ、各自が好き勝手に参加したのだ、と言ったとしても、それでもやっぱり自分に責任があるのだと思うから。
 「大丈夫。今までだって、大丈夫でした。これからだって、大丈夫。そりゃ死人の一人や二人、出るかも知れませんけど、それでも生きて帰ってくれば蘇生出来ます。俺たちは、そんなに強くはないけれど、それでも毎日少しずつ進んで行ってます。敵も強くなってますけど、俺たちも強くなってるんです。大丈夫」
 大丈夫、大丈夫、と、何度もアクシオンは繰り返した。
 子守歌のように優しく、呪文のように何度も、何度も。
 「でも、もしも、本当に『大丈夫じゃない』と思ったら、いつでも休めば良いんです。急ぐ理由も義務も無いんですから」
 「…アクシーは」
 「はい」
 「俺の欲しい言葉をくれるよなぁ」
 「そうですか。だったら、良いんですけど」
 不得意分野ですからねぇ、としみじみ言う言葉に思わず笑う。確かに、メディックの割には、他人の気持ちを思いやる、とかいうのは苦手そうだ。
 まあ、メディックという職業上の優しさなんて、欲しくも無いが。
 「俺。…アクシーに。…結構、好かれてるって。思っても。いいのかねっ」
 背中をぐいっぐいっと揉まれつつ言ったので、言葉が途切れ途切れになった。
 「あれ?とっくに知ってるものだと思いましたけど。もちろん、好きですよ。好きじゃなきゃ最初から付いてきてませんし、とっくに別のギルドに行ってます」
 くすくすと喉で笑って、揉んでいる指が少しずつ下がってきた。
 「あぁ、ここは特に凝ってますね」
 筋肉の束をぐりぐりされて「のわー」と叫ぶと「痛かったですか?」と緩められた。
 「い、いや、痛くは無い…っつーか、気持ちいいけどさぁ」
 「それは良かったです」
 真面目に言う声を聞きながら、ふと良くある話を思い出した。マッサージをしている声をドアの外で聞いて勘違いする、とかいう…なら、この場合、やられてるのは俺かよ、と枕に突っ伏す。
 「なぁ、アクシー」
 「はい」
 「俺が、惚れてるってのは、知ってるよな?」
 「そりゃ、隠してませんしね」
 「で、何でそんな男とダブルベッドで休もうなんてするんだ?その気は無いんだろ?」
 「だって、ねぇ」
 くすくす笑いながら背後から抱き締められた。
 ………。
 ごきごきごきっ!
 「どわーーっ!」
 「痛かったですか?」
 「び、び、びっくりしただけ」
 人間の体が、骨も折れてないのにこんなに凄い音がするとは思わなかった。
 「だってねぇ、ルークもその気は無いでしょう?」
 関節が外れたんじゃないか、と密かに心配していたため、一瞬、反応し損ねた。
 「…へ?」
 「ルークはねぇ。俺が男だって知ってますから。ルークは真面目というか常識的ですから、男を抱く気にならないのは当然です。…俺の裸を見たら反応したりする人なら、俺も防衛する必要があるんですけど」
 「…反応って……見た?」
 「えぇ、確認しました」
 「…責任とって下さい…」
 「嫁にならしてあげます。…あ、やっぱり、こんなごつい嫁はイヤかも」
 笑いながらアクシオンが背中から離れたので、ルークはごろりと上を向いた。
 「俺。自分でも分からないんだよなぁ。アクシーのことは可愛いと思うし、嫁にしたいなぁと思うんだが、どこかで『やっぱり男だし』って思ってるのも確かだ。…失礼だよな、ごめん」
 「いえいえ、その『やっぱり男だし』が無かったら、俺は一緒にいられませんから、それでいいんですが」
 隣に転がったアクシオンが、泳ぐようにぱたぱたと足をばたつかせた。めくれたズボンから覗くくるぶしの白さに、心臓が跳ねる。
 「…いいのかよ」
 「良いんですよ。俺も結構、ルークの疑似恋愛、楽しんでますから」
 「俺にやられてる女の子役だって思われても?」
 「他の誰かに、事実ではない中傷をされることを、気にする人間に見えますか?」
 「…いや、まったく」
 合理的と言えば合理的だが、他の人間にどう思われるかについて全く気にならない精神構造ってのもどうだろう。
 それは、強いのかもしれないが、ひょっとしたら寂しいことなんじゃないか、とどっちかというと気にしまくりのルークは思った。
 「俺が、ね。もっと男らしい外見になって、女の子を好きになったら、その時改めて考えますよ。不都合な噂を、どう消せばいいかって」
 そうか、とルークは初めて見るかのようにアクシオンを見つめた。
 今は可愛い女の子にしか見えないが、もっと成長したら…ってもう19歳ならそんなに成長する余地は無いはずだが…男らしい外見になるかもしれないのだ。
 そうしたら、この<恋心>だって、勝手に褪めるはず。
 だったら、普通に男同士の相棒としてずっと付き合って行ける方がいい。ルークはアクシオンの外見も気に入っているが、中身も結構気に入っているのだ。時折理解できない性格ではあるが。
 逆に言えば。
 外見がこんな間は、アクシオン本人も女の子とどうこうなるつもりは無いらしいので、<脳内彼女リアル版>として愛でていても不都合は無い、と。
 触って貢げる脳内彼女、最高!
 …本当に良いのか、それで。
 どう考えてもアクシオン本人の人権をさっぱり無視してるように思えるんだが。
 ルークが悩んでいると、アクシオンが平然と言った。
 「基本的に、俺は実害が無いことは気にしませんから。ですから、どうぞお気になさらず」
 アクシオンらしい判断基準だが…噂が立つのは実害じゃないのか。
 …無いんだろうなぁ、アクシオン的には。
 「面白いなぁ、アクシーは」
 しみじみ言うと、首を傾げられた。
 「そうですか?ルークの方が面白いと思いますけど」
 物事の捉え方が異なるからこそ、こうして一緒にいて楽しいのかもしれない。時折、本気で理解できなくて怒りたくなる時もあるけれど。
 でも、自分だけでは判断できない時には、別の視点から意見を言ってくれるアクシオンが有り難い。
 自分は、たぶん、有能なリーダーでは無いし、戦力としてはたぶんパーティーの中で一番不要な位置にいるのだとは思うけれど。
 「アクシーがいてくれて、本当に良かった」
 一目惚れした<女の子>に良いところを見せようなんて不純な動機で始めたギルドだけれど、それでも何とか続けてみようと思うのは、アクシオンがいてくれるからだ。
 「俺は、こういう性格ですが」
 アクシオンは目を細めて笑った。
 「それでも、必要とされるのは嬉しいと思いますよ。ルークのためなら、俺に出来ることなら何でもやろうって思いますものね。人徳ですよ、ルークの」
 どう考えても、そんな柄じゃないが。
 アクシオンが言うように、自分が必要とされていると思うのは、やはり嬉しい。
 …と考えていると、今まさに自分抜きで探索に励んでいるはずのメンバーのことを思い出した。
 「今頃…どうしてるかなぁ」
 「きっと、クゥちゃんとターベルが頑張ってますよ。大丈夫、ツスクルさんもいますし」
 不安で不安でしょうがないが、それでも夕食の時に感じたほどの胸の痛みは感じなかった。アクシオンの「大丈夫」という呪文が多少影響したらしい。
 けれど、それは0にはならない。
 分かっている。
 吟遊詩人の手慰みの弓なんて大した威力じゃ無いのだから、自分抜きでも十分やっていけるのは、理性では理解できているのだ。
 リーダーとして、メンバーの実力を信じて任せるのも重要だと分かってはいるのだが。
 「それでも、心配だなぁ…」
 「本当に、ルークは優しいですねぇ」
 アクシオンはくすくす笑って、枕元のランプを消した。
 「大丈夫。明日の朝、帰ったらきっとみんな元気で寝てますよ。明日には5階のスノードリフトに挑む予定なんですから、皆もちゃんと適当に切り上げてきてますよ」
 「そりゃそうなんだが…雪ドリフか…強いんだろうなぁ…あ〜!それはそれで心配になってきた〜!」
 じたばたすると押し殺した笑いが聞こえてきた。
 「本当に…俺の冷たさを分けてあげたいですね。まあ、そういうところが好きなんですけど」
 柔らかく温かな手がルークのこめかみと髪を撫でていった。
 「大丈夫。死ぬときは、一緒です。…俺が死んだら医術防御出来なくなって、結果的にみんな死にそうって言うか」
 「…うわあ」
 全く慰めになっていないところが、実にアクシオンらしい。
 「今から心配したってしょうがないんですから、悩むのは明日にして、今日はもう寝ましょう。4時半には起こされるんですから」
 「分かっちゃいるんだけどな」
 「ご希望とあらば、強制的に意識を落としますけど」
 柔らかな手の感触が、顔から首筋へと移った。頸動脈に触れている指を掴んで引き剥がし、ちょっと溜息を吐いて。
 いきなり横を向いて、細い体を抱き寄せると、一瞬だけ緊張したように強張った。
 「…大丈夫、だよな、みんな」
 「えぇ、大丈夫ですよ」
 すぐに力を抜いて、アクシオンは腕をルークの背中に回して、とんとんと宥めるように叩いた。
 一般論として、男を抱き枕にするのは失礼だし、何かおかしいと分かってはいたが、その<生きているという実感>を離せなかった。
 腕の中で動く、温かな生き物。
 その生命力を感じていると、きっと明日もみんな生きている、と、どうにか考えることが出来た。
 「…弱いリーダーでごめんなー」
 「いえいえ、そういうところが好きですから」
 実際、アクシオンはルークのそのへたれなところが可愛いと思っているのだが、さすがに口にするのは控えていた。一応、男性の矜持というやつを傷つけてはいけない、くらいの判断はする。
 ちなみに、身の危険は全く感じていない。
 普通、惚れたという相手を抱き締めたらドキドキする、あるいは欲情するところだろう。それを体温を感じて安心してむしろ心拍数を穏やかに下げているような相手に、何の危険を感じる必要があるのか。
 
 そんな具合で。
 好意を持っている男同士のダブルベッドの夜は、清く正しく更けていったのだった。


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