後ろの正面、カマキリ


 

 「そっちの話も楽しみにしてるからね〜♪<全てを刈る影>に挑む雄々しき冒険者〜♪」
 「挑まないって」
 「え〜、挑んでみてよ〜。それでどんな弱点がある〜とか分かれば、みんなが助かるのに〜♪」
 「全滅したら、反省も教えられないだろうが」
 キタラをぽろんぽろんと鳴らしつつ、歌うように喋る顔馴染みのバードを少しばかり羨ましく眺めてから、ルークは手を振って別れた。
 ギルドに帰ると、アクシオンとカーニャも戻ってきていた。
 「…死んだ、感想は?」
 冗談のように聞いたが、割と本気だった。他人の死にはあれだけ鈍感だったアクシオンが、自分の死にはどんな反応をするのか気になった。いっそ怯えてくれたら、人間らしいと笑ってやれるのに。
 「そうですね、まあ、あのくらいの敵なら全滅は無いなと判断しましたので別段心配は…レンジャーのアザーステップが欲しくなりましたが。回復の出が遅いんですよねぇ」
 瀕死になっても、回復が間に合えば死ぬことは無い。が、回復の前に敵の攻撃が来ると死ぬ。レンジャーがいれば先に動くことも可能だが、今のところメンバー交代の意志は無いので、この体制で考えなければならない。
 「まあ、2撃、できれば3撃貰っても平気な体力があれば問題ないんですけどね」
 もっと強い防具があれば良いのだが、たぶん2階で彷徨く分にはこれ以上新しい素材は手に入りそうにない。かといって、新しい素材を求めるために3階に行ったら、敵はもっと強くなっている。
 「…うん、まあ、予想はしてたが…合理的だな、アクシーは」
 はぁ、と溜息を吐いてから、ルークは皆にバード同盟からの情報を伝えた。
 「まず、第一に。あれは通称<全てを刈る影>と呼ばれている魔物だ」
 「ご大層な名前でありますな」
 「まるで死に神みたい。…冒険者が、いっぱい殺されたの?」
 「んー、長いですね、カマキリでいいです」
 「…とにかく。そんな名前が付くくらい、洒落にならん強さらしい。俺たちより強いギルドでも逃げるのが精一杯だったとか何とか」
 まあ、どのくらい強いのか、とは聞いていないが。
 「で、どうするかってーと…やっぱ扉があるんだとさ。こう、真四角な広場になってて、ちょうど対角線上付近に。昨日グレーテルが言った通り、全力疾走はやばいってさ。こっちも警戒しつつ歩いていったら、あっちはほれ、数歩ごとに警戒姿勢になってただろ?で、うまく扉まで行けるらしい」
 「あの付近の魔物は、カマキリと共生してるんですか?」
 アクシオンの問いに、ルークは「は?」と間抜けな声を上げた。
 カマキリ対処法は聞いたが、そんな生態までは聞いてない…というか、知られてないんじゃなかろうか。
 アクシオンは、自分が間抜けなことを言ったとは思っていないようだった。
 ルークが大雑把に書いた四角の上を指で辿っていく。
 「俺たちの速度と、あっちの速度、警戒態勢に入ることを考えれば、抜けることは可能かもしれませんが…それは、他に敵と遭わないなら、という前提ですよね?」
 「…あ」
 「あのカマキリが本当に<動く者全て>に反応しているのなら、他の敵も餌として刈っているでしょうから安心ですし、上の階から森ネズミやウサギを持っていって投げつけておけば、少し安全性が増すんですが…共生してたら厄介ですね。敵と戦っている間に背面や側面から襲われたらひとたまりもありません」
 途中で非常にえげつない戦法が混じった気がするが、それはともかく。
 「確かになぁ。…そりゃ聞かなかったな」
 「シリカ商店に獣避けの鈴が売ってたけど…」
 「やだ、あれ200enもしたもん。そんなの買うくらいならレザーブーツ買ってよ」
 うー、とルークはこめかみに指を当てて考えた。
 そりゃ安全性は大切だ。
 しかし、通るたびに200enかかるのは困る。そんな通行税、暴利もいいところだ。
 「…ぎりぎり…間に合わなかったら、襲われる前に糸使えば、100enで済むよな。で、どうしても敵が多くて抜けられそうに無かったら、鈴買う方向で」
 メンバーの顔を見回すと、納得したように、あるいは不満そうにだが、全員が頷いた。

 「さて、うまく大した傷も無しにうろまで来たわけだが」
 そーっとそーっと3階に降り立つ。
 全員が、足音を忍ばせて一歩踏み出してみたが、しっかりカマキリは反応してこちらに向かってきた。
 「とりあえず…こっちの壁沿いに行ってみようか」
 降りてきた階段から見て右方向に壁に沿って歩いてみる。
 「…なるほど、確かに、向こうも警戒歩行であります」
 「しっかし、心臓には悪いな、こりゃ」
 圧倒的な殺気はひしひしと伝わってくる。ともすれば鈍りがちな足を叱咤して、じわじわと進んでいくと、隅にぶつかった。
 「んで、やっぱ壁沿いに降りていくとして…」
 …………。
 「すごく、間に合わない気配が」
 まるでこちらから近づいて行ったかのような形になり、とてもじゃないがあれをかわして奥に行ける気がしない。
 「も、戻ろうよ〜…ホントに信用できんの?あんたの情報〜」
 カーニャが無意識なのか微妙にリヒャルトの陰に立ち、自分の体をカマキリの視界から隠した。
 「…そうだな、こっちに向かうのは駄目っぽい。また、そーっと戻るぞ、そーっと」
 もしも誰かがパニックになって駆け出したら、一気に襲ってきそうだ。
 冷や汗をズボンで擦りながらも、頭のどこかで、「うまく作れば文字通り手に汗握る冒険譚が作れそうだな」などと考えていた。
 しかし、全員が危険を認識していたのだろう、想像したようなパニック映画もといパニック展開にはならず、じわりじわりと歩いて戻って…すぐ斜め前にカマキリがこちらの動きに合わせて追ってくるのが非常に嫌だったが…上への階段まで辿り着いた。
 2階に戻って、しばらく水を飲んだり深呼吸したりして時間を潰す。
 「えーと、あの広場は、ほぼ正方形だと言われましたっけ?」
 「ん、正確かどうかは知らんが、それに近いとは言ってた」
 「じゃあ、壁際を往復したんですから、対角線上に向かったのと同じくらいの距離を歩いたってことになりますよね。その間、他の敵は見つからなかったってことは、ちょっと期待が持てますね。…まあ、階段から離れた場所では、また生態系が違うかもしれませんので油断は出来ませんが」
 相変わらず以下略。
 まあ、確かに一人くらい冷静そのものの人間がいる方が便利なのは確かだ。
 落ち着いてるつもりでも、隅までの歩数をカウントするのを忘れていたことに気づいたルークは、そう自分を慰めてみた。
 …まあ、出来れば自分の方が<冷静で頼れる男>の役割でいたかったのだが。
 いや、意外と女の方がリアリストだと言うから、本当に男女の恋人でも案外こんな関係なのかもしれない…だと良いな…。
 まあ、それはともかく。
 たぶん全員落ち着いたと判断して、もう一度3階に降りていった。
 「今度は、こっちを壁際にがーっと…」
 降り立ったまっすぐ前を向いてさっきと同じように歩いていく。
 隊列上、一番カマキリ寄りのアクシオンが、冷静に距離をカウントしていく。
 こっちはまっすぐに歩いて、向こうもまっすぐ横向きにやってきて…木立の合間にぬぅっとそびえ立つカマキリ…いや、間近に見た姿は確かに<全てを刈る影>と表現したくなる威圧感があったが、ともかくそれが威嚇するように鎌を振り上げた。
 カーニャが小さく悲鳴を上げる。
 「大丈夫、ここで警戒姿勢に入るはずです」
 いつもと変わらないおっとりした声で告げられて、目の前が暗くなるような圧迫感がほんの少し薄れた。
 「はい、進んで」
 一塊になった冒険者たちは、また一歩進んだが、カマキリは自分の顔を隠すようにやや体を伏せただけで動かない。
 「…本当に、規則的だわ。やっぱり中身は昆虫なんだ」
 グレーテルがほっとしたように呟き、セットした氷の術式をガントレットに戻した。
 「壁が見えてきたのであります」
 壁、というのは言葉としての表現で、実際には木立が密集して奥には行けないことを指している。木立がまばらに立っている広場とは明らかに異なる光景が、奥に見えてきた。
 その間際まで行って、方向転換したら、カマキリも距離を保ったまま方向転換した。
 「…計算上は行けそうなんですが…問題は、人間が通れそうにないここも、ウサギなんかは通れそうなことですよね…」
 別の敵がいつ飛び出してくるか分からない。
 そして、それに気を取られると、カマキリが逆側面から襲ってくる。
 来るなよー、来るなよーと念じながら歩いていく。首筋を冷や汗が伝い、逆に口の中はからからだ。だんだん意識が麻痺してきそうな気分に陥っていると、アクシオンが小さく右手を上げた。
 「右前方、扉発見。ややカマキリ側なのが心配ですが…」
 「近くまで行ったら、一気に飛び込むか」
 「いえ、この距離ですから…同じようにそぅっと行って、刺激しない方が良いかと」
 「おーらい」
 ひどく長い距離に思えたが、じわじわ進んでいって、方向転換し扉の前に立った。
 カマキリはこちらを見つめている。
 あれの知能が昆虫並で、この扉を開いたら自分たちが消えることを知らないってことを、神に感謝しよう。
 「じゃ、全員で一斉に」
 前衛が扉を開く。3人通れる隙間に後衛も飛び込むと、左右から扉を閉められた。
 木の板のようなそれに触れていると、かりりと引っ掻かれるような響きを感じた。さすがにこの厚さの壁を裂くことが出来るほど強い鎌では無いのだろう…というか、もしそうなら防具ごと真っ二つ間違い無しだ。
 1分程してかりかり言う音は消えた。たぶん、広場の中央に戻って行ったのだろう。
 「…何とか、なったな」
 「いや、それがその…奥」
 アクシオンが指さす方向を見れば、またしてもカマキリが鎮座ましましている。
 「…マジかよ」
 がっくりと肩を落としたルークの背中を、アクシオンがぽんぽんと慰めるように叩いた。
 「大丈夫、奥に行った人がいるからには、あれも行動パターンを読めば何とかなるはずです」
 「そりゃそうだが…」
 はぁ、と溜息を吐いてから、ルークは地図を見た。
 「ま、こっちの端から埋めていくか。…見張り、よろしく」
 壁に沿って歩くルークは、丹念に抜け道などが無いか確認していって地図に書き込むことに集中するため、どうしても周囲への反応は疎かになる。
 まあ、背中を預ける…この場合は前方だが…仲間がいれば、大したことではないが。
 「あ、敵です」
 「カマキリ、動いたのか?…って、別敵か」
 まだカマキリまでは距離がある。初めて見る敵でも何とかなるだろう。
 …などと甘く見ていたら。
 「やぁだ、このダンゴ虫、かったーい!」
 「んー、これ、ダンゴ虫って言うより、アルマジロじゃないかしら」
 「あるまじろなんて知らないわよっ!」
 「とにかく、根っこを先に落としましょう。グレーテルさん、アルマジロは術式で…うわっ!」
 丸まったアルマジロ(仮)が凄い勢いで飛び跳ねてアクシオンの腹にぶつかってきた。
 「…あ…肋骨、折れた…エリアキュア間に合うかな」
 ぶつぶつ言いながら薬を取り出したアクシオンの前で、凍り付いたアルマジロ(仮)の動きが止まる。幸い、錬金術なら一発で倒せるようだ。
 もう一撃来ると死ねる、と思っていたが、アルマジロは完全に丸まって防御を高めているようだ。こちらの剣も通らないが、あちらからの攻撃も止まっている。
 「もう一発!」
 それでアルマジロ(仮)は2匹殺せたが。
 「タマネギのくせに痛〜い!もう!ドレインバイト!」
 エリアキュアも間に合って、幸い全員生き残ることは出来たが。
 どう見ても植物な死体(?)と硬い甲殻をつついて、アクシオンは溜息を吐いた。
 「…強い武器が欲しいです…」
 まだナイフなアクシオンは、攻撃してもダメージがほとんど通らなかったのだ。かといって、今売っている杖は、ナイフ以下の攻撃力しかないし。
 「後衛に下がればいいじゃない」
 同じくナイフ装備なグレーテルが呆れたように言ったが、アクシオンは首を振った。
 「ダメージを散らした方がいいので、やっぱり前にはいますけど」
 「しっかし、一回戦っただけでぼろぼろだしな…」
 ルークはぽりぽりと頭を掻いた。
 3階に降りたら2階よりも敵が強いかも、とは思っていたが、ここまでぼろぼろになるとは思わなかった。アクシオンなど、生き残った方が奇跡だ。
 「まあ、アルマジロには術が有効って分かっただけでもいいじゃないですか。それに、こんなところで戦ってても、カマキリが動かないのが分かったのも収穫です」
 とりあえず全員の傷を癒してから、アクシオンが奥を指さした。
 先ほどの広場のカマキリのことを考えれば、この距離ならすでに動いてもおかしくなかったが、カマキリは狭い通路に居座ったまま動いていなかった。
 「…基本的に、攻撃的なんじゃなくて、蜘蛛みたいに獲物を待ち構えるタイプなのかしら」
 「ある程度、追尾してきますが」
 「しかし、あの位置から動かなければ、奥には行けないのであります」
 「でも、抜け道無かったしな〜…あそこしか…」
 ぶつぶつ言いながら、先ほどまでと同じように壁に沿って歩いてみる。
 一番奥に辿り着くと、カマキリがぴくりと動いた。
 「…ひょっとして、あのカマキリ、正面しか認識してないんじゃ…」
 一歩、踏み出すと、カマキリも一歩近づいた。
 横に避けて近づくと、カマキリは動かない。
 確かに、真正面だけに反応しているようだ。
 「…てことは、だ。正面から誘き出して、ある程度隙間が出来たら横に避けて進んで奥に向かう、と」
 「あはは、スリリングですね」
 全くスリルを感じているようには思えない暢気な声でアクシオンは笑った。
 「あの細いところを通る時が勝負!って感じね〜」
 アクシオンほどでは無いがかなり冷静…というか理性と好奇心が勝っているらしい錬金術師が、ガントレットをぱきりと鳴らした。
 「…ひょっとして、姐さん、ギャンブル好きだったり?」
 「残念、私、これでも手堅いのよね。勝てる勝負しか仕掛けないわよ」
 世の中、勝てると思ってるからギャンブルに賭ける人間が多いのだが。
 まあ少なくとも、このグラマラス美女が見かけに似合わず堅実派、というのは何となく納得できた。
 「それでは、他の敵も見当たりませんし、挑戦するであります」
 「ん、じゃ、こう正面から…」
 いくら避けるつもりとはいえ、敵に真正面から近づいていくのは非常に心臓に悪い。
 昆虫らしい焦点がよく分からない目がこっちを見つめていると思えば尚更だ。
 「はい、ここで後退…」
 ずりずりと下がると、引き寄せられるようにカマキリがまた前に出た。
 「…予定では、これで隙間が…」
 ぎりぎりで左に踏み出し、正面から外れると、カマキリの動きがぴたりと止まった。
 そーっとそーっとその巨躯の隣を行き過ぎ、細くなった通路に駆け込む。
 「…あ、振り向きました」
 「へ?…のわー!通路抜けたら、すぐに曲がること!」
 大慌てで通路を駆け抜けると、がっしょんがっしょんと背後から迫ってくる音がして。
 曲がって壁にへばりつくと、カマキリは不思議そうに首を傾げてから、また方向転換して最初と同じように細い通路に収まった。
 「ど、どういう知覚神経なのか、気になるわ…」
 息を荒げながらグレーテルが呟く。
 「いくら生態系が無茶苦茶とはいえ、お尻に顔は付いていないようでしたからね」
 左右は認識していないのに、正面と背後は敵感知。
 確かに説明しがたいが、考えてどうなるものでもなし、とりあえず抜けられたことを感謝しよう。
 「ま、まあ。帰りも同じようにすりゃいいんだよな…」
 とにかくせっかく奥に行けたのだから、ちょっと抜け道の一つでも見つけられたら便利だ。
 カマキリから離れる方向で壁沿いに歩いていると、リヒャルトが困惑したような声を上げた。
 「何やら、殺気のようなものを感じるであります。…先ほどのカマキリとは、また異なる感じの…」
 「ん?敵がいるのか?」
 皆で武器を構えつつきょろきょろしたが、見える範囲には敵はいない。普通に葉っぱが近づいてるだけで…葉っぱ?
 「あ、さっきのタマネギ!」
 「先に見つけられて良かったですね」
 「んー、見かけは植物だから火に弱そうよね〜。そろそろ火の系統も覚えておこうかしら」
 今度はアルマジロ(仮)抜きでタマネギ(仮)2体だったので、苦戦しつつもどうにか倒したのだが。
 「…気配は、変わらないのであります…」
 リヒャルトはやはり困ったようにぶつぶつ呟きながら目を細めて遠くを見通した。
 「扉…があります。ひょっとしたら、その奥に強敵がいるのではないかと愚考する次第でありますが」
 リヒャルトが見ている方向を確認すると、迷宮の中に何であるんだろう、といつも思う両開きの扉のようなものが見えた。
 「…その脇…人、ですかね」
 アクシオンも手を翳して見ている。
 「殺気、ってーのがイヤだが…近づいてみるか?」
 「いえ、完全な殺気、というのでは無いのであります。こう、何と申し上げますか、『何が何でも殺〜す!』ではなく『返答と次第によっては斬る!』という…あぁ、うまく表現できないであります」
 「いや、十分」
 坊ちゃんとは言え、パラディンとして鍛えられていた男のことだ、他のメンバーよりもその手の殺気には慣れているのだろう、と思う。
 「問答無用で無いなら、ちょっと話しかけてみるか」
 「念のため、糸用意しとくわ」
 グレーテルが大きなガントレットの手の中に糸を隠し持った。
 隊列を少しだけ乱して、ルークは先頭に立って歩き出した。
 弓なら届くが剣は届かない位置で止まり、様子を窺う。
 そこにいるのは、額に傷のある女性と、フードを被った少女だった。額傷の女性の方は、見たことが無い靴を履いて、スカートとも長いキュロットとも付かないものを履いている。今までの知識と照らし合わせると、神事に携わる女性の衣装に近いような気がしたが、腰には細く長い剣が吊されていた。
 フードの方はもっと分からない。着ているものはぼろぼろのように見えるが、風もないのにゆらゆらと蠢いていて、まるで触手で誘っている食虫植物を連想させた。
 「何者だ!」
 背の高い方がルークを誰何した。
 扉の脇にいて、奥に行く様子は無くこちらを向いている、ということは、門番のようなものだろうか。
 「…通行料がいるって話は聞いてないけどな」
 独り言を呟くと、背後にいたカーニャが不満そうな声を上げた。
 「何よ、それ!強盗みたいなもんじゃない!…ちょっと!あんたたちこそ、何者なのよ!そこ、どいてよ!」
 「カーニャ、下がって。…交渉は、ルークに任せておけば大丈夫」
 跳ね返りを抑えてくれて助かった。確かにカマキリのような圧倒的な殺意は感じないが、気が付けば死んでいる、なんてことが起こりそうな、静かで秘やかな危険を首筋に感じているのだ。
 敵意は無い、と軽く両腕を開いて、ルークはなるべくのんびりとした声で言った。
 「あ〜…何者、と言われると困るんだけどな。ギルド<ナイトメア>って言っても、無名だから、知られてないだろうし」
 背の高い女性は、刃のような目を細めて、ルークを見つめた。
 「…冒険者…」
 「執政院には、登録してるよ。ちなみに、俺がリーダーのルーク」
 「…そうか」
 少し、気配が和らいだ。
 「この先は、立入禁止になっている。下の階で狼が大量発生してな。狼どもが上に来るのを食い止めるのと、まだ駆け出しの冒険者がいつもと同じつもりで奥に行くのを止める役目を、執政院より与えられているのだ」
 「はぁ、なるほど」
 ちょっと考えてみる。
 「…それ、大変じゃないか?」
 「あぁ、ゆゆしき事態だ。何でも狼どもを統率する魔物がいるとか…」
 「や、そうじゃなくて、ずっと立ってるあんたたちが、大変じゃないかって」
 「我らが?」
 冴えたジョークでも聞いたかのように、背の高い女性は喉を反らして笑った。
 そんなに笑うことか?とルークは思った。
 強いんだろうことは分かる。たぶん、カマキリなんぞ目ではないくらいに。…ついでにカマキリを倒してくれれば後が便利なのに…。
 それはともかく、いくら強くても、人間、ずっと立って見張りなんぞやっていられない。交代ってものが必要なはずだ。
 「ともかく。奥に行きたい、というのなら、執政院の許可を貰ってくれ。我らは言いつけ通り、ここより先に冒険者を通すつもりは無いのでな」
 「あいよ、了解。…つーか、奥に行くってのは、イコール狼と戦うってことかな?」
 「無論。奴らは素早いぞ」
 「…考えとくわ。それじゃ」
 彼女に背中を向けるのは、カマキリに正面から近づいていくのと同じくらい度胸が必要だった。
 首筋の毛が総毛立って、ぴりぴりする。
 それでも仲間たちのところに戻ると、少しだけ落ち着いた。
 「ん、まあ、そういう訳だから、いったん戻るか。…この辺りの地図だけ完成させて、な」
 少し大きめな声なのは、彼女たちに聞かせるつもりだからだ。他意は無い、敵意は無い、と。
 「…狼、ですか」
 アクシオンが首を傾げた。
 「やっぱり、集団で狩りをするのかしら。だったらややこしそうね」
 実家で牛がやられた記憶のあるカーニャは顔を顰めた。一匹だけなら、牛より遙かに小さいのだが、何せ集団で動く性質だ。統率力のあるリーダーがいたりすると、相手は人間なんじゃないかと思うくらい知恵が働くこともある。
 「ま、とにかくは執政院で話を聞いてからだな」
 小さな裂け目は見つけたが、こちらからは通れそうに無かったので諦めて、ルークは地図に印だけ付けた。
 葉っぱや枝が付いた服を、アクシオンがぱっぱっと払ってくれた。
 「んじゃ、帰りますか。余裕あるから、歩いて」

 で、帰り際にまたタマネギ(仮)×2とアルマジロ(仮)×2の敵にグレーテルがやられてしまい、錬金術師抜きではどうにも攻撃が通る気がしなかったので逃亡した挙げ句に糸を使う羽目になった彼らだった。
 ルークは逃げ様、ちらりと扉の方を見たが、二人組は手助けするつもりは全くないようだった。まあ、初心者を笑う気配も無かったが。


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