初死亡




 珍しく朝から探索に向かう彼らは、明るい日差しの元でルークのメモを読んだ。
 「えーと…このハンドアックス材料の依頼は済ませましたよね」
 「こちらの神秘の水も届けたな。…この森林蝶討伐の依頼は、未達成であります」
 「柔らかい皮は?」
 「えーと…あ、あと2枚ですね」
 巷には冒険者が山ほどいるのに、何でこんなに依頼があるのだろう。まあ1階を彷徨いているのは『目先の小銭に捕らわれたしみったれた冒険者たち』だし、深い階層に潜れる冒険者はこんな町の人のおつかいはやらないのかもしれない。
 しかし、ギルド<ナイトメア>にとっては、ちょっとの報酬でもありがたいので、出来る限りの依頼を受けてみた。
 「とりあえず…指定の場所周辺のチョウチョを討伐して、ついでに皮が剥げればいっか、って方針で」
 「あたし、早く下に行きたいな。ドレインバイト使ってみたいもの」
 「依頼が終わったら降りるから、ちょっとだけ我慢してくれよ」
 和気藹々と1階を彷徨き、もう1階の敵なら攻撃を受けることなく倒せることに些か驚愕する。こんなに早く強くなるものなのだろうか?てことは、よっぽど周囲の冒険者は真面目にやっていないんだな、とルークは思った。まあ、まだ鹿も避けているような実力だが、うっかり慢心してしまったのは否めない。
 「…思うんですけど」
 「ん?何?」
 「森林蝶、今討伐しても…施薬院の子が来る頃には、また湧いてるんじゃないですか?」
 「まあ…そんな気は俺もしてるんだけどさ…」
 未だこの迷宮の敵が湧くシステムは解明されていない。次から次へと出てくるし、巣が見つかったという報告も無い。現時点でその付近の蝶を倒しても、いつまた蝶で一杯になるか分からないのだ。
 「そんなの、あっちだって分かってるんじゃない?とりあえず出来るだけ倒して、さっさと報告したらいいじゃないのさ」
 もう森林蝶程度なら術を使う必要も無くなったので暇になったグレーテルが退屈そうに言った。
 「気が咎めるのであれば、またいつでも討伐すると請け負えば良いのであります」
 「うわお、延々ただ働き?…ま、いっか。大して危険でもないし」
 何とかそれで良心との摺り合わせを完成させて、周囲に蝶が見あたらなくなった時点で下へと向かう。
 いつも通り鹿の咆吼を手がかりに道を擦り抜け、新しい道をマップに書き込んでいく。
 「あ、宝箱!」
 誰が置いたとも自然のものとも知れない木箱が道の突き当たりにあった。カーニャが一番に駆けていってそれを覗き込んだが、つまらなそうに中のものを拾い上げた。
 「なーんだ。糸じゃない。100en相当だわ」
 「タダで拾えるものに文句言わない」
 「その100enすらケチって、まだ使ったことが無い我々が言うセリフでも無いですけどね」
 そう、一応一個買ってはあったのだが、まだまだ普通に歩いて帰れる、と使ったことは無いのだ。
 「そもそも仕組みがよく分かんないわよね」
 グレーテルが眉を顰めて手のひらの上で糸を転がした。迷宮入り口に糸を結ぶ。それを辿ると帰れる。それは分かる。だが、一瞬で、と言われると、どんな理屈なのか分からない。
 「まあ、いざという時のための保険って奴だな」
 ちなみに、慣用句として<保険>という言葉は残っていたが、ルークは未だ本物の<保険>というものを見たことは無かった。
 そんな話をしていると、がさりと茂みが鳴った。
 ばさりと舞い上がったのは3体の毒アゲハ。
 「うわ、3体は面倒だな」
 「大丈夫よ、あたしとリヒャルトで一体、グレーテルが1体落とせば……きゃああ!?」
 自信満々で毒アゲハに攻撃したカーニャに1体の毒アゲハが反撃した。そしてもう一体がばさりと燐粉を振りまいて…カーニャは崩れ落ちた。
 「アクシー!回復!」
 「無理です」
 一言告げて、アクシオンはナイフを振るった。その数十cm離れた足下に倒れているカーニャの体がびくり、びくりと跳ね…動きを止めた。
 「よっくもー!」
 グレーテルが氷の術式で毒アゲハを一体落とした。残る一体もリヒャルトとアクシオン、ルークの弓で射落とす。
 敵を3体倒してから、ルークは前に出てカーニャを抱き起こした。顔色は青紫色で、皮膚はまだ温かいがどんどん指先から冷えていっているようだった。
 「アクシー!」
 「無理です、と言いました。施薬院でないと」
 凍り付いた毒アゲハから手早く複眼をむしり取り、アクシオンは平然と告げた。
 ルークが思わず上を仰ぐと、リヒャルトが痛みを堪えているような顔で目を閉じているのが見えた。グレーテルも怒ったような顔で腕を組んでいて、いつもと変わらない穏やかな表情をしているアクシオンが、一種異様に見える。
 「どうします?糸を試してみるいい機会かもしれません」
 「いい機会って何だよ!」
 アクシオンはルークの怒声に不思議そうに首を傾げた。
 「これ以上無いくらいの機会だと思いましたが…歩いて帰りますか?」
 完全に擦れ違っている。
 「仲間が死んだのに、<良い機会>というのは如何なものかと思う次第であります」
 「…あぁ、なるほど。<死>に対する意識の違いですね。それについては後で議論するとして、今はまだ仮死に近い状態ですので、施薬院に運び込めば蘇生できますが…糸にせよ、歩くにせよ、急ぎませんか?」
 ルークは震える腕でカーニャを抱き上げた。
 思ったよりも重く感じるのは、完全に力の無いぐんにゃりとした肉でしか無いからだろうか。
 こめかみが冷えていき、みっともないと思いつつも自分の歯が鳴るのを感じた。
 「…グレーテル。糸、頼む」
 「分かった。…えーと、こうして全員に結んで…大丈夫よね、で、これを外すと…」

 体がぐいっと引っ張られるのを感じた。
 「のおぅわあああ!?」
 体が宙に浮いたのかなぁ?なんて思う間もなく、そりゃもう凄まじいスピードで周囲の光景が流れていった。
 「か、階段、階段!ぶつかるぅう!?」
 「ええええええ!?」
 「…これ、他のパーティーとぶつかったりしないんですかねぇ」
 入り口でようやく動きが止まり、彼らは顔を見合わせた。
 どうやら糸は、ものすんごく勢い良く巻き戻るらしい。無茶苦茶なアイテムだ。
 「と…とにかく、施薬院…」
 「あの〜、半分持ちましょうか?」
 気遣い、とも取れるが、まるで死体を物扱いしているかのようなセリフにむっとして、ルークは無言でカーニャを抱え直した。
 先頭切って足早に歩いていくルークを追いかけながら、アクシオンは自分の懐からメモを取り出して指で辿った。
 「えーと…リザレクションは…あぁ、まだまだ先になりそうですね。まず医術防御を覚えたいので、せめてレベル5まで取ってからそっちの枝に入りたいし…」
 「…あんた、意外と冷静ねぇ。もっとカーニャを可愛がってるのかと思ったわ」
 若草色の大きな瞳が、くりくりと動いた。
 「意味が分かりませんが…」
 「そりゃ、死んだからって泣いてても生き返りはしないけどさ。でも、もうちょっと悲しそうな顔をしても…」
 まだきょとんとしていたアクシオンが、ぽんと手を叩いた。
 「あぁ、本当に死んだら悲しみますよ?俺だって。でも、死んでませんし…グレーテルさんも、誰かが怪我したくらいで、いちいち落ち込まないでしょう?」
 「…そりゃ、怪我くらいなら…」
 「後ろ、うるさい!」
 ルークが怒鳴ったので、アクシオンとグレーテルは首を竦めた。
 ひょっとしたら、アクシオンの言うことは正しいのかもしれない。何たって相手はメディックだ。カーニャはまだ死んでなくて、施薬院に行きさえすれば助かるのに、ルークが大騒ぎしているだけなのかもしれない。
 それでも。
 腕の中のぐにゃぐにゃした体の冷たさが、ルークの心も冷えさせる。
 おかしいのは、俺か?
 それとも、アクシオンか?
 うっすらそんな疑問も浮かんだが、施薬院の扉が見えた途端に意識から吹き飛んだ。
 アクシオンが小走りになって先に立ち、扉を開けて押さえる。
 「お願いします!」
 彼らの姿を見た見習いメディックが慌てて奥に駆けていってキタザキを呼んできた。
 「毒アゲハの一撃と、毒で」
 「なるほど。こちらの部屋へ。君は残るかね?」
 「はい」
 アクシオンとキタザキの冷静なやり取りの後、別室の台の上にカーニャは寝かされ、アクシオン以外の人間は外に出された。
 ひどく長い時間が経ったように思えたが、おそらくほんの十数分のことだっただろう、扉がまた開かれた。
 「もう大丈夫。彼がキュアもかけたし、すぐにでも帰れる」
 言葉通り、アクシオンとカーニャが部屋から出てきた。
 「…まだ、顔色が悪いじゃない」
 「ショック反応だろう。何なら夜まで休んでいくかね?宿のような快適さは無いが、無料だよ」
 冗談のようにキタザキは言ったが、とても笑う気はせずに、ルークは深々と頭を下げた。
 「お願いします」
 「そうか、では、こちらに移って貰おうか」
 「カーニャ、肩を貸しましょうか?」
 「…いらない」
 結局、ルークは頭を下げたままで、アクシオンの顔を見ることは無かった。


 硬いベッドだけが置かれた部屋で、カーニャはそこに横になり天井を睨み付けていた。
 丸い木の椅子に腰掛けたアクシオンは、いつもと変わりなく穏やかな微笑を浮かべて彼女に言った。
 「ルークが、一番心配してました。本当に死んだのではなく仮死状態だ、と説明しても、ね」
 「…そう…」
 「カーニャも、ゆっくり考えて下さい」
 「…何を、よ」
 「本当に、これからも冒険者を続けていくのかどうかを。これからもこういう機会は多々あるでしょうし、今回はカーニャだけでしたが、全員が仮死状態になれば、本当に死にますから」
 僅かに笑いさえ滲ませて言うアクシオンに、カーニャは少し体を傾けて顔を見た。アクシオンの表情は、いつも通りで変わらない。本当に全く変わらない、目の底まで穏やかな微笑。
 「…あんた、おかしいわ」
 「そう、ですかね。自分では気づきませんでしたが」
 「あんたも、死ぬかも知れないのよ?」
 「そうですね」
 「怖くないの?」
 「怖い?何故?」
 大きな若草色の瞳が、驚いたように見開かれた。
 「死とは、解放でしょう?何故怖がる必要があるんですか?どうせいつかは通る道なんですし」
 もしも死ねないとしたら、その方がよほど恐ろしい、とアクシオンは思った。周囲は流れていくのに自分だけは留まり、何の変化も無いなんて。ただ停滞し続ける存在は、そもそも<生きている>とは言えないだろう。ぞっとするような虚無に、アクシオンは首を振ってその感覚を追い払った。
 カーニャはしばらくアクシオンを睨んでいたが、じきに目を逸らしてまた天井を睨んだ。
 「…あたしは…怖いわよ」
 「そうですか」
 慰めようとか、頑張れだとか、そういう意見は全く差し挟まずに、アクシオンは立ち上がった。
 「夜にはお迎えにあがります。それまでどうぞごゆっくり」
 「…怖いって、言ってんのに」
 「では、グレーテルさんに来て頂きますね。それでは」
 外見はともかく妙齢の男女であることのだから、あまり長い間同じ部屋でいるものではない、とアクシオンは判断した。
 それでも、部屋を出てから若い女の子のメディックに「怖がっているのでよろしく、後で仲間の女性を寄越す」と伝えておいた。
 別の患者を診ていたキタザキが、アクシオンをちらりと見た。
 「君は、メディックになって長いのかね?」
 「いいえ」
 「<死>が日常になるのは危険だよ」
 一般人との乖離を心配しての言葉らしいと判断して、アクシオンは苦笑した。
 「自覚はしていませんでしたが…気を付けます」
 「君は、優等生過ぎるな」
 キタザキは手を止めて溜息を吐いた。手袋を脱ぎながら、外を指さす。
 「もっと喜怒哀楽を表した方がいい。それが私の助言だ」
 「ありがとうございます」
 アクシオンは一礼してから、少し不思議そうに言った。
 「これでも、いろいろと楽しんでいるんですけどね」
 他人には分かり辛いらしいが。
 毎日の探索も、ルークの作る食事も、仲間との会話も、魔物の解体も…<死>も。
 日々の様々な出来事を、凪いだ水面に弾ける泡のように楽しんでいる。
 アクシオンにとって、面白くない出来事、というのは滅多に無い。一般論として不愉快な出来事でも、たいていは興味深い事象として捉えられるからだ。
 「それでは失礼します」
 もう一度礼をして、アクシオンは施薬院を出ていった。
 
 ギルドの部屋に戻り、グレーテルにカーニャのことを頼んでから辺りを見回すと、ルークの姿が見えなかった。少しだけ首を傾げてから、アクシオンは酒場に向かった。
 まだ昼下がりの時刻で、酒場には人がまばらにしかいない。そのため、すぐにルークを見つけられた。
 隅の席でぐったりとテーブルに伏せているルークの前にはジョッキやグラスが並んでいる。
 心配そうに見ている女主人に軽く会釈してから、ルークの前の席に座る。
 ルークは片手にジョッキを持ったまま、ぶつぶつと何か呟いている。その呂律の回らなさと赤い耳からして、かなりの酔っ払いだ。
 アクシオンは声をかけずに、ただそれを見ていた。
 面白いなぁ、と思う。
 ルークも。
 そして、自分の心の動きも。
 一段とただの呻きのようになった呟きを漏らしてから、急に体を起こしてジョッキを傾けようとして…目の前のアクシオンに気づいたようだった。
 「カーニャのところには、グレーテルさんに行って貰いました。子供ですが女性ですので、俺が一つ部屋にいるわけには参りませんからね」
 一応リーダーに経過を報告する。
 ルークはどんより濁った目で、手を伸ばしてきた。頬に触れた指先がじっとり湿って冷えていたので、あまり良い兆候では無いな、と眉を顰める。
 「アクシオンはぁ〜可愛いなぁ〜」
 「それは、どうも」
 「可愛いのに〜…いつも、同じ顔なんだよなぁ〜」
 「ころころ変わるような器用な顔は持っていませんので」
 「…泣くとか、怒るとかしろよ、この野郎!」
 いきなり怒鳴ったので、他の客や女主人が驚いてこちらを見たのが分かったが、まあ酔っ払いの言うことだと思ってもらえるだろう、とアクシオンは振り向かなかった。
 「キタザキ院長にも、同じことを言われました。喜怒哀楽を出せ、と」
 くすくす笑って、指先でルークの頬に触れた。
 「ルークは、喜怒哀楽がはっきりしてて、見ていて楽しいですね。それを思うと、俺の顔が面白くないのも頷けますが」
 「メディックなんざ糞食らえだ!」
 …いきなりの話題の転換に目をぱちくりさせる。まあ、相手は酔っ払い、筋道だった話を期待する方が間違っているが。
 「大したことないって顔でさっさと治療しやがって!何だよ、おかしいのは俺かよ!仲間が死んだの初めてなんだよ!どんどん冷たくなって、ぐんにゃりして、さっきまで元気いっぱいだったのにただの肉になって…俺はなぁ!すっげーびびったんだよ、ちくしょー!」
 がー!と吠えて、ルークはまたテーブルに突っ伏し灰色の髪を掻き回した。ぐしゃぐしゃになった髪を見て、アクシオンは鳥の巣を連想し、可愛い、と少し思った。
 「…たぶん」
 アクシオンは手を伸ばしてルークの髪を梳いた。
 「ルークは、おかしくないです。おかしいのは、俺、なんでしょうねぇ」
 その時のことを思い返してみて、アクシオンはゆっくりと言った。
 「怖い、とか、悲しい、とか、全く思いませんでしたし。考えたのは、どうやって帰るか、と、今後の対策くらいでしたからねぇ」
 「…おかしいだろ…」
 「えぇ、そのようです」
 改めて、自分の精神構造に思いを馳せてみる。しかし、どう滓を搾り取ってみても、ルークの言うような感情はさっぱり働かなかったし、それが必要とも思えない。
 「でも、いいじゃないですか。俺は、貴方の気持ちはさっぱり理解できません。何で敵の死体は平気で、味方の死体だけ特別なのか、どうにも理解できませんし、逆に貴方も俺の感覚は理解できないんでしょう?お互い様です」
 「…んだとぉ、てめぇ!」
 ぐいっと襟首を掴まれて引き寄せられたが、アクシオンは目を細めてルークを見つめた。
 「みんながみんなで死体を囲んで悲しんでる間に次の敵が来ても困りますし。パーティーの中に一人くらい俺みたいなのがいてもいいんじゃないですか?…まあ、付き合いきれないので俺を外す、と言われたら、リーダーに従いますが」
 アクシオンは少し笑った。笑うべき時でないのは分かっていたが、面白がっている自分を隠す気も無かった。
 「…俺が惚れてんの知った上で言ってんのか、そういうことを」
 「えぇ、承知の上のことです」
 「洒落になんねぇぞ、その性格」
 呻いてから、ルークは手を離し、どすんと椅子に腰を下ろした。
 「女将!水!」
 速やかに運ばれてきた大ジョッキの中には、氷の塊が浮かんだ冷たい水がなみなみと入っていた。
 ごくごくと飲み干して、口の脇からこぼれた水を拳で拭う。
 ルークがぶるりと震えたので、アクシオンは素知らぬ顔で奥を指さした。
 「酒を醒ますのには、しっかり水分を取って排尿するのが理にかなってますね。…ふらつくようなら、支えましょうか?」
 「…惚れた相手にちんこ見られたくねぇの分かってて言ってんのか、それ!」
 「えぇ、もちろん、承知の上で。でも、公衆の場で『ちんこ』はどうかと思います」
 ルークはぐるるると唸って女主人と少ない客を威嚇しておいてから、ふらふらと立ち上がった。アクシオンは席から立たずににこにこしながら手を振って見送った。
 戻ってきたルークは、少しだけしっかりしていて、顔色も戻ってきているようだった。
 「あぁもう、くそ!」
 どすっとまた酷い動きでルークは座り、髪を掻き回しながらアクシオンを横目で睨んだ。
 「お前、その性格が<素>なのか?」
 「はい?」
 「天然ドSだろ!」
 「さて」
 アクシオンは首を傾げ、しばらく考え込んだ。
 んー、と指を組んでそれを顎を乗せ上目遣いで見上げるという愛らしいポーズで、にっこり微笑んだ。
 「俺、いろいろなことが面白いんですよね。たとえば、この後、あの冒険者さんたちがどんな風に俺たちのことを噂するのか、とか、ツケで、とお願いしたら女将さんの顔がどんな風にひきつるのか、とか想像するのも興味深いんですが」
 そこでいったん切ってから、一層にこやかに言い放つ。
 「でも、一番面白いのが、ルークの反応なんですよねぇ。特定の人間に、こんなに興味を引かれるのは初めてです」
 ルークもしばらく考え込んだ。
 その表情を見るに、希望的観測とか妄想とか自虐とかいろいろなものがせめぎ合っているようだったが、それもアクシオンにとっては面白い見物だった。
 「…それは、なにか。実験動物的な、興味か」
 「そうかも知れません」
 さらりとアクシオンは答えた。
 ルークの顔の歪みを堪能してから、付け加える。
 「あぁ、でも実験対象は俺自身ですよ?ルークの反応と、それに対する俺の感情が興味深いんですよね」
 面白いなぁ、としみじみ思う。
 毎日いろいろなことが起きる。
 新しい道が開けたり、新しい生き物を見つけたり、新しい武器が出来たり。
 それにリーダーがこんなに愉快だなんて、冒険者とは何て面白い職業なんだろう。
 「…俺に惚れた、という説は…」
 「無いですね、今のところ。たぶん、ルークが死んでも、同じような反応にしかならないでしょうし」
 がくぅっとルークは突っ伏した。
 春風のようだと評判のおっとりした笑顔でもって、アクシオンはそれをずっと眺めていた。
 しばらくして、ルークが地を這うような声で告げた。
 「女将…勘定」
 「67enになります」
 「あぁ、意外と少なかったですね。お金ありますか?リーダー」
 ルークがのそのそと財布を取り出した。顔色が優れないところを見るに、こんなところで散財したのが今になって胸に堪えてきたのだろう。
 「ツケにしないで済んで、良かったですね」
 このくらい、ちょっと探索に出れば元が取れる。
 女将がコインを受け取りながら、声と顔は笑いつつも目は冷ややかに
 「ツケは勘弁してね。いつもにこにこ現金払いでよろしくね」
 「死んだら取り立てられませんものね」
 こちらは目までにこやかに答えておいて、アクシオンはルークを促した。
 「さ、帰りましょうか、酔っ払いさん。どうせ、今日の探索は休みでしょう?」
 「…あぁ…もういろいろと、ショックで…」
 よろよろしているルークの腕を掴んで、アクシオンは元気良く酒場から出ていった。
 何なら担いで帰ってもいいかな、とも思ったが、惚れている相手に抱えられてはルークもショックだろう、と思い直し、ただ腕を組むだけにしておいた。
 「…あ〜…くそ〜…可愛い彼女と、腕を組んで歩くなんて、絶好のシチュエーションなのになー…」
 「聞こえてますよ、独り言」
 「何で、お前は男なんだ〜」
 「男で良かった、と、しみじみ感じていますが」
 女の子だったら、今頃押し倒されてそうだ。ルークは手が早いとは到底思えなかったが。
 「くそー!天然Sでも、アクシーが好きだー!」
 「そういうことは、本人に聞こえないところで言うか、逆に、本人に面と向かって言うかにして下さい。往来の皆様に言われても困ります」
 
 ぐだぐだの酔っ払いをギルドに放り込むと、リヒャルトが顔を上げた。
 「カーニャとグレーテルは、宿に泊まるそうだ」
 「まあ、それが良いかも知れませんね。後でお金を届けて下さい」
 床に毛布を敷いてルークを転がし、懐から財布を取り出してリヒャルトに渡した。
 何で自分が、という顔をしたので、ルークをぽんぽんと寝かしつけながらアクシオンは言った。
 「ちょっと、レンジャーさんたちを鍛えて来ようと思って」
 「なら、自分も…」
 「すみません、酔っ払いの面倒見てて下さい」
 リヒャルトは鍛錬の方に心が傾いていたようだったが、酔っ払いを一人で寝かせるのは危険だということくらいは知っているのだろう、渋々頷いた。
 そうして、アクシオンはクラウドとターベル、クゥを連れて清水近くに向かった。
 ナイフを振るいながら、しみじみと思う。
 たぶん、自分は今、気が高ぶっている。
 どうやら<死>を感じると、余計に興奮するタイプらしい。
 別に血が見たいと言うのでは無いのでSという指摘は不本意だが、どのみちやっていることは敵を殺してレベルアップ狙いなので、似たようなものかもしれない。
 それでも、まあ。
 自分が強くなれば防御も張れるし、回復も早くなるし、もっと高度な蘇生術も使えるようになる。そうしたら、死ぬ確率は減るはずだ。
 自分は、誰かが死んでも涙はこぼせないが、他にやるべきことがある。
 今は、それでいい。
 

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