初戦闘
「何だ、あんまりおどろおどろしく無いのね」
「…どういうイメージだったのか、聞いてみたい気もするが…ま、感想はそんなところが一般的だろうな」
自分が一般的と言われたことにむっとしたのだろう、カーニャがじろりとルークを睨んだ。
アクシオンが素知らぬふりで奥を指さす。
「あちらに兵士さんがいらっしゃいます。あの地点より手前部分の地図を作らない限り、奥へは進ませてくれませんので、ともかくは地図を埋めることが最優先になります」
「…地図、でありますか」
「そ、こんな感じで」
ルークは懐から1階の地図を取り出し皆に見せた。手前の広場と細い道が幾つかだけしか埋まっていないが。
「面倒くさそう〜、私、パス」
「いいよ、後衛の俺がやるから」
そもそも、ルークはこういう作業が結構好きだ。自分の歩幅と歩数で精密な地図を作り、不自然な空間を見つけたり、他のギルドの地図と付き合わせたりすることに妙な満足感を覚えるのだ。
「で、魔物ってどこにいるの?」
何だかぎこちない様子で大振りのナイフを持っているカーニャから、さりげなくリヒャルトは距離を取った。記念すべき迷宮の第一歩で、味方から傷つけられてはたまらない。
「…あ、解説しておくべきでしたでしょうか。この辺りだと、森林蝶と森ネズミ、ひっかきモグラってところですね」
「蝶々が魔物なの?」
「血を吸いに来ますから。羽音も不快にさせる音波ですし」
「ちなみに、森ネズミは結構旨い。モグラは固くていまいちだな」
などと言っていると茂みががさりと鳴った。
「お、記念すべき第一号は…モグラだな」
「え〜!?これ、モグラなの!?」
カーニャが悲鳴を上げながらも斬りかかる。どうやら今まで自分の知っている<モグラ>とは全く違っていたらしい。
まあ、普通のモグラはこんなに犬みたいな大きさじゃないわな、と思いつつ、ルークも弓を引いた。
幸い一匹だけだったので、集中攻撃でこちらにはダメージ無く倒せた。
ぐぎぃ、と悲鳴を上げて倒れ、動かなくなったモグラを見て、カーニャは腰を屈め足下の柔らかそうな草を引きちぎってナイフを拭った。
「はい、お疲れさん。…うん、カーニャも結構動きが早いな」
「だから言ったじゃない。あたし、戦えるって」
少し声は震えていたが、カーニャは拳を握って胸を張った。
「反応が良いのは、悪くないな。…けど、誰かにダークハンターの技を教えて貰わないとなー」
確かに攻撃は出来ていたが、あくまで素人が護身でナイフを振り回すのと同じようなものである。一応ダークハンターだと名乗るからには、それなりの技を身につけて貰いたい。
「剣術なら自分が…」
「ソードマンの、あるいはパラディンの剣術でどうするよ」
参ったな〜、とルークは頭を掻いた。
自分が見知っているダークハンターの面子を思い浮かべてみるが、どうも鞭を使う奴ばかりだ。ちょっと渡りを付けてみないと他人にダークハンターの剣術を教えられるような人間が見つかるかどうか見当も付かない。
ルークが悩んでいる間に、アクシオンは腰のバッグから攻撃用よりも細いナイフを取り出した。ほとんどメスと言って良いようなそれを手に、モグラの傍らに腰を屈める。
迷うことなく腹にメスを入れ手早く皮を剥いでいく様子を、グレーテルが後ろから覗き込んで
「うへぇ。あんまりいい気持ちはしないわね〜」
と呟いたが、アクシオンは平然と皮を剥いでしまって、ついでに尻から大腿あたりの肉を切り取った。
「俺は全く気になりませんが。錬金術は、あまり生物に関する実験はしないんですね」
「そうねぇ。たまに生物由来の材料を使うこともあるけど…たいていはもう<材料>になってるから生々しくないのよね〜」
アクシオンは皮と肉を別々の袋に丁寧にしまい込み、メスを柔らかい布に包んでしまった。
「完了しました」
「お、ありがと、アクシー」
今まで二人で潜っていた時も、解体はアクシオンが、ルークはその見張り、という体制であったので、ごく普通にルークも返事した。
「それじゃあ…ちょっと奥だけど、清水まで行っておくか」
「あ、何か不思議な作用があるってやつ?よーし、私も興味あるな、それ」
カーニャは少しイヤそうな顔をしたが、自分でもこんなモグラ一匹で帰るわけないのは分かっているのだろう、大人しく付いてきた。
清水に行くまでに森ネズミと森林蝶にも襲われたので、だいたいの生態を教えておく。
「まあ、1階ならこのあたりの敵が多いな。…面倒なカブトムシもいるけどな」
「カブトムシ、でありますか」
怪訝そうな顔のリヒャルトの脳裏には、おそらく普通の虫が思い浮かべられているのだろう。
「まず。サイズがでかい」
ルークが自分の肩幅より少し広いくらいに手を広げて見せると、リヒャルトが苦笑いした。
「この森は、随分と生態系がおかしいようですな」
「だから<謎の迷宮>なんだろ」
「はは、確かに」
カーニャが考え込んでいるような顔で自分のナイフを見つめて、それからルークに聞いた。微妙に声が低くて機嫌が悪そうなところを見るに、どうやらルークに物を尋ねること自体がイヤならしい。嫌われたものだ。
「そのカブトムシ、ナイフでやっつけられるの?首の付け根だけ狙え、とか?」
「お、よく気づいたな。そうなんだ、何が面倒くさいって、物理的な攻撃がなかなか通じないんだな、これが」
それを聞いてにやりとグレーテルが笑い、ガントレットを撫でた。
「ってことは、私の出番なのね」
「そ。錬金術なら気持ちいいくらい通じる」
「楽しみね〜」
「…術の完成前に一発食らうときっついんだけどな…」
「清水前なら、いいんじゃないですか?」
どこだろうと一発食らったら死ねるかもしれないんだが、とルークは突っ込みかけて…アクシオンが清水の方を指さしているのに気づいた。
でーん。
清水がちょろちょろ流れている目の前に、灰色の甲羅に覆われたものが居座っていた。
「…カニ?」
「いや、どう見てもカニだが、執政院の発表ではカブトムシ」
などと言っている間に、意外と早い動作でハサミカブトがわしわしと近寄ってきた。
「前衛は防御!グレーテル、術頼む」
「オッケー!うふふふ、凍っちゃいなさぁい!」
グレーテルも素早く調合しているものの、どうしても術は発動が遅い。
「…うわぁ、防御してないとやばかったですね」
柔らかな腹をカブトの鋏で切り裂かれたアクシオンが、大量の血を地面にこぼしながら平然と呟いた。
隣に立つカーニャがぎょっとした顔で思わず棒立ちになるのに、「防御、防御」と忠告するほどの余裕まで見せている。
「…完成!」
きぃん、と硬質な音を響かせながらハサミカブトが凍り付き、びしりと甲羅をヒビ入らせて動きを止めた。
「本当だわ、術なら一発なのね」
感心したように呟くグレーテルに返事せず、ルークは目の前のアクシオンを支えた。
手慣れた動作で薬を調合し、腹部に塗ってテープで留める。
使った道具をしまいながら、アクシオンはカーニャににっこりと笑って見せた。
「大丈夫ですよ。死んでさえなければ、治せますから」
「で…でも、痛い…でしょ?」
「それは、まあ…」
苦笑して腹を一撫でしてから、アクシオンは小首を傾げた。
「冒険者として迷宮に挑む、というのは、こういうことですけど。…どうします?無理なら、お帰りになりますか?」
本人に皮肉を言っているつもりはないのだろう。その分、余計に強烈だが。
カーニャの頬がピンク色に染まった。
「あ、あたし!別に、怖がってなんかないんだから!ちょっとあんたの心配しただけじゃない!」
「あぁ、それはありがとうございます」
さらっと返して、アクシオンはまだ背中を抱いていたルークを見上げた。視線を受けて、ルークも苦笑いに近いものを浮かべる。
「まあ…俺も心配した。この辺にハサミカブトが出てくるのは珍しいからな」
今まで二人で潜っている間に、あれと出くわさなかったことを神に感謝しよう。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
「ん」
名残惜しくアクシオンの髪を一撫でしてから、ルークは体を離した。
頭を切り替えて、もう安全になった清水を指さす。
「はい、これが一階名物、回復の泉」
泉、というほどの水は無く、ちょろちょろと流れているだけの水だったが、夜の空気も相まって、とても透明で清冽に見えた。
グレーテルがまず手をさらしてみる。
「うわ、冷たい。気持ちいい〜」
「…いや、楽しむのも良いんだが、飲んでくれ、姐さん」
「はぁい。…うん、いける。…あ、ホントだ、何かすっきりするわね、これ」
満足そうに頷くグレーテルを見て、カーニャも手を出して啜った。まあ、何も起こらなかったが。
リヒャルトも試してみているのを横目に、アクシオンはカーニャとリヒャルトの細かな傷を治すべく、せっせと傷薬を作っていた。
「じゃあ、俺も」
薬を渡してから、アクシオンも迷うことなく清水に口を付ける。
全員が回復したところで、ルークは戦利品を確認した。
柔らかい皮が3枚、小さな花1つ、複眼1つ。
「カーニャ、この皮1枚で何enになると思う?」
ぺろんと広げられた皮を見つめて、カーニャはぶつぶつと呟いた。
「…サンダルが80enだったわよね…この皮の大きさからサンダルは3足…ううん4足くらい取れるとして…技術料もあって…えっと…40enくらい?」
「…途中まで、良かったんだけどな〜」
苦笑して、ルークは皮を丸めた。
「柔らかい皮、1枚9en。こっちの小さい花8en、複眼は少し高くて20en」
「ええええええ!?」
一瞬間をおいて、カーニャが叫んだ。
「ちょ…やだ!それってぼったくりじゃないの!?」
「この街は、こんなもんなんだよ。…だから言ったろ?思ってるよりきついぞって」
「だって…だってあたしが食べたオムレツ、8enだったわよ!?」
「うん、まあ…」
ルークはどう説明するかな〜、と顎を撫でた。
「何つーか…一般の食堂はそこまで高く無いんだが…」
「じゃ、あの店がぼったくりなの!?」
「や、そうじゃなくて」
アクシオンが自分の裂けた服を着たまま器用に縫いながら口を挟んだ。
「カーニャは、自分の住んでた街で、食堂でご飯を食べている時に、大きな剣を下げた人間が集団でやってきたらどう思いますか?」
カーニャは一瞬詰まってから、渋々答えた。
「…怖いと思うわ。…あ、あたしは怖くないわよ!?でも、何て言うか…暴力的な奴らじゃないかって…」
「この街の人たちも同じですよ。冒険者って、乱暴な人間も多いですし、一撃で殺せる武器を携帯しているんですし」
「法律で決まってるってこたぁ無いんだけど、暗黙の了解って言うか、冒険者は冒険者用の酒場で食えってことになってるんだ。…んで、冒険者用の酒場は、乱暴者が壊したりするのも込みで、少々お高めになってる、と」
あう、とカーニャは黙った。
リヒャルトもよく分からないような顔で聞いていたが、ようやく分かったというように頷いた。
「ふむ、執政院はこの街の秩序を守ろうとしているのでありますね。長として、当然のことであります」
「何言ってんの。問題は、私らの生活がやばいってことよ」
グレーテルに突っ込まれても、まだリヒャルトはピンときていないようだった。つくづく良い家に育ったらしい。
針をしまったアクシオンがにっこり笑った。
「結構、暮らせるものですよ?郊外で昼寝して、夜にこの清水に頼れば。ごはんもルークが作ってくれますし」
元々質素な暮らしぶりだったのか、そもそも疑うことを知らないのか、アクシオンはルーク流の生活にすっかり染まっているようだった。
でもなぁ、とルークは溜息を吐く。
自分の生活が、その日暮らしの危なっかしいものであることは本人が一番よく知っている。自然と共に生きると言えば聞こえはいいが、将来の見通しなど全く無い生活なのだ。
今は、いい。アクシオンも一緒にいてくれるし、これまでに比べれば天国と言っても過言ではないが、それでもやはり、将来的には家の一つも持った方がいいんじゃないかな〜とか…いや、そこにアクシオンと住むかどうかはともかくとしてだ。
そんな先のことでなくとも、ギルドのリーダーとなったからには、メンバーに野宿と魔物肉を食わせ続けるわけにはいかないだろう。まあ、魔物、というのは言葉のあやで、実際にはちょっとでっかいだけの普通の獣…だといいな…だとは思うのだが。
「…まあ、執政院に認められるギルドになったら、街の人たちの依頼も受けられるし、もうちょっと楽になるはずだから。…けど、しばらくメシはこれな」
そう言って、ルークはアクシオンから肉の袋を受け取った。
「モ、モグラの肉でありますか」
「モグラはちょっと硬いから煮込む。森ネズミは焼いても食える」
「ルークはお料理上手ですから、美味しいですよ?」
「…フォローありがと。でも、一般論として、酒場のメシの方が旨いってのは分かってるよ…」
「そうですか?俺、ルークのご飯、好きなんですけど」
にこにこするアクシオンを抱きしめたい気分に駆られてから、ルークは頭をぶんぶんと振った。
金が無くて自炊(それもサバイバル風味な)するしか無かったので自然と身に付いた料理技能だが、そんなもんでも無いよりマシだったんだなぁ、としみじみ思う。
いつもにこにこして付いてきてくれて掃除裁縫をこまめにこなす可愛い嫁のために料理する男、という図は、まあ悪くない。
アクシオンは<嫁>にはなれないだろう、という冷静な理性部分のつっこみはこの際忘れておくとして。
「ま、とりあえず今日は帰るか。明日から本格的な探索に入るからな」
言われて気が抜けたのか、カーニャが欠伸をした。
眠そうなお子さまには気の毒な気はしたが。
「宿代も浮かすために、ギルドの部屋で雑魚寝だがな〜」
ギルドに帰り着くまで、不機嫌オーラを垂れ流しながらぶつぶつ言っているカーニャを見て、やっぱりもうちょっと金を稼いでせめて宿に泊まれるくらいにはならないと、とルークは思ったのだった。