生者の喧噪



 クイーンガードが立ち去った後の酒場にて。
 彼らは無言で杯をあおっていた。
 「…本当に、これで良かったのか?」
 ついに、リカルドが呻いた。
 「あんな男に、あんな男に、あんな男に〜!ダークマターを任せる、なんてのは、間違ってなかったのか?」
 うがーっと叫んで、頭を掻きむしる彼の額を、ルイが呆れたように人差し指で弾いた。
 「何も、娘を嫁にやってるんじゃないんだから」
 そのまま突っ伏し、しくしくと泣き出したリカルドの隣で、サラは果実酒の小さなグラスを傾けながら溜息を吐いた。
 グレッグも徳利から直接酒を呷って、どん、とテーブルの上に置いた。
 「実に、不愉快だ。私の主君であるというのに、他の忍者の力を頼るなどっ!」
 「いや、だからね?普通、忍者は主君を2人は持たないけど、一人の主君に忍者が複数いてもおかしくはないと思うんだけど」
 「しかし、あ奴めは、ダークマターに忠誠を誓った忍者ではない!」
 やはり、テーブルに突っ伏してしくしくと泣き出す。
 「俺たちの〜ダークマターが〜〜〜〜」
 「私の主君が〜〜〜〜」
 ルイは、先ほどから何度も吐いた溜息の中でも特大のものを一つ吐いて、二人を眺めた。
 「…男って…アホね…」
 「あら仕方ないと思うのよルイ姉さんだって二人はダークマターと最初から付き合ってるんだし最初の全然感情が無い頃も一緒にいてやっと笑ってくれるようになったと思ったらこれですものがっくり来ても無理ないと思うわ途中からいる私だって私だって…少しずつ感情が育つのを楽しみにしてたのに〜〜!」
 サラまでもが天を仰いで両手を組み、叫ぶ。
 
 そう、ダークマターは、少しずつ、本当に少しずつ感情が増えていっていたのだ。
 何も感じないような最初から、だんだんと微笑む機会が増えてきて、時には声を上げて笑うことすら出来るようになり。
 最初から付き合ってきたリカルドとグレッグは、それはもう感動して、「今日はこんなことで笑ってくれた」「今日は、これくらい笑ってくれた」などと迷宮から帰っての酒盛りで言い交わすのが常になっており、特にグレッグなど『ダークマター観察日記』なるものまで(暗号で)書いている始末だ。
 それが。
 あのクイーンガードと接触して以来。
 笑う、といえば、確かによく笑うのだが、どこか棘を持ったような悪意のある笑顔をするようになったり。
 自分にしか分からない冗談でも見つけたように、不自然なところで笑ってみたり。
 時に微笑む以外は無表情であったのが、ずっと不機嫌そうな表情になっていたり。
 「嫌だ」とか「嫌い」とか言う表現が出現したり。
 感情が増えるのを楽しみにしてきた彼らだったが、なんだか、これは違う!と落ち込んでいるのだった。
 無論、彼らとて、『感情』には『負』のものがあることを忘れていたわけではない。
 だが、彼らの思惑としては、それはもっと先、ちょっと知るだけで主には嬉しいとか楽しいとか好きとか信頼するとかの『陽』の感情を持って欲しいと思っていたのだった。
 しかも。
 近頃のダークマターが、妙に生き生きとして見えるのが、また悔しい。
 わざと攻撃を受けて血塗れになっているのに楽しそうに笑っていたり、と、どこか歪んだ感情の表れもあったが、それでも、以前の何を考えているのか分からないような表情よりもよほど人間らしくて。
 ちょっとあのクイーンガードのことを話題にでもしようものなら、地団駄踏んで
 「あいつ、嫌い、嫌い、嫌い!」
 と子供のように頬を膨らませる。
 てことは。
 どう考えても、あの忍者が、ダークマターの感情を呼び覚ましたと認めざるを得なくて。
 「くちおしや〜くちおしや〜」
 などと呪いの言葉を呟きながら、酒を飲んでるリカルドとグレッグであった。

 テーブルに涙の水たまりを作っている男二人の頭を、ルイは平手ではたいた。
 「いい加減にしなさい。もっと建設的なことでも話したらどう?」
 「建設的、と言われてもな」
 雪焼けか元々赤い鼻を一層赤くして、グレッグは目だけをルイへと向けた。
 「私だけの主君v計画が破綻しようとしている今、私に前向きな意見など、一切無い」
 「…開き直るんじゃないわよ」
 「あぁ、ダークマター…私だけを信頼して心を開いてくれるという、ある意味『忍者にとって最高のロマン爆走第一位』を叶えることができると思っていたのに…」
 「何で、お前だけなんだよ。俺も信頼してくれるっての」
 「君らに分かるまい…主君が私だけを頼りにするという、このロマンが!私だけに微笑みかけてくれて、私の言葉で右往左往して、私の意見でお心を決められる…これを忍者の夢と言わずに何と言う!」
 「お前さんが、今まで主君持ちで無かった理由が、よーく分かったぞ」
 「むしろ、フリーで本当に良かった、と思うわね」
 冷静に突っ込む二人には目もくれず、グレッグは天を仰いだ。
 「あぁ、ダークマター…今からでも遅くはない。あ奴めを抹殺して…!」
 「…それが出来るんなら、苦労しねーぞ。相手がクイーンガードで俺らの歯の立つ相手じゃねーから、仕方なく任せてるんじゃねーか」
 いきなり投げやりな口調になって、リカルドは、だらしなく足を伸ばしてジョッキを持ち上げた。
 「…クイーンガード、か」
 くらくらする頭を押さえながら、リカルドは暗く唸った。
 「あん時は、二人の動きを追うので精一杯だったが…なんか、女王陛下がどうとか言ってなかったか?まるで、ダークマターが、女王に仕えていたのを裏切った、みたいな口振りだったが…」
 「あら、そういう話だったの?」
 「…あ?ルイ姉さんには、どう聞こえたんだ?」
 「えーっと…」
 ルイは、指を額に当てて半ば目を閉じた。
 「信頼してたのに裏切った、とか何とか…あぁ、そうそう!『共に過ごした全ての時を裏切った』!」
 それまで、眠っていたかのように身動き一つしなかったサラがいきなり目を見開いた。
 「そう!それなのよー私びっくりしちゃったわまるでダークマターとあの人が仲良く一緒に生活してたみたいな言い方だったんだものまあエルフ同士なら同じ森の出身なのかもしれないけど」
 「私の意見は、ずばり!」
 ルイはリカルドに人差し指を突きつけた。
 「痴情のもつれ、よ!」
 「あぁ!?」
 思わず手にしたジョッキを落としかけてリカルドは慌てて手に力をこめ直した。
 胡乱な視線も気にせずに、ルイはそのまま人差し指を横に振って見せた。
 「クイーンガードって言ったら、ファイヤドラゴンをも一人で倒すって猛者でしょ?それが私たちでも撃退することが出来たってことは、あいつに迷いがあったってことじゃない。ずばり!あいつはダークマターを殺したくなかったのよ!」
 「…いや…その意見だと、そもそもダークマターに手裏剣を投げもしなかったと思うがよ…」
 「そこはそれ!可愛さ余って憎さ百倍ってやつよ!実は、ダークマターとあいつは、恋人同士だった!これよ!」
 リカルドは、酔いの回った目を必死に見開いて、彼女を見た。
 興奮したように手を振り上げるルイの頬は紅潮し、金の瞳は妖しく揺らめいている。
 「……ルイ姉さんも、実は相当、酔ってたのか……」
 呆然と呟くリカルドの言葉が聞こえなかったかのように、ルイはがしがしとグレッグを揺さぶった。
 「こーゆーのをロマンっていうのよ!聞いてる?この危険思想君!」
 「いーやーだー…私の主君が、男の恋人持ちなぞ、絶対にいやだー…そんなことは、不許可であるー」
 あのダークマターと、あの疾風のクルガンが恋人。
 その想像は、先ほどまでのダークマターが女王に仕えていたとか何とかいうのを吹き飛ばすほどの威力があった。
 「うー…悪酔いしそうだぜ…」
 頭を抱えるリカルドに、サラがしなだれかかった。
 「あによだらしないわね男がしょのくらいで酔っぱらうなんてこたないでしょそもそもあんたいつでも飲んでんだしねほらほら嫌なことがあったら飲むに限るのよこのサラさんが注いであげるからねーあらやだこぼれちゃったわもったいないことしちゃったまいっかあんたの金だもんねー」
 きゃはははははっと甲高い笑い声に耳の奥がズキズキする。
 だが、しかし。
 もう、こうなったら。
 リカルドは、意を決して立ち上がった。
 その手には、溢れるほどになみなみと注がれたジョッキが。
 「リカルド、一気飲み、いきまーす!っとくらぁっ!」
 

 クルガンと実に非友好的な話し合いを終えて、酒場に戻ってきたダークマターが見たものは。
 テーブルに仲良く酔いつぶれている仲間4人の姿であった。
 「…ひょっとしたら、人が首落とされてるかもしれないって時に…何をやってるんだ、こいつらは…」
 どこから手をつけたものか、と、ただ彼らを見つめるダークマターに、店の主人が声をかけた。
 「今日はずいぶんと荒れてたみたいだねぇ。ちっと他のお客さんに迷惑になるくらい、飲んでは騒いでたぜ」
 「はぁ…それは、申し訳ない」
 「ま、こっちは、金さえ払って貰えりゃいいけどね」
 店の主人は、肩をすくめて勘定書をダークマターに手渡した。
 その額面に、ダークマターの眉がぴくん、と上がる。
 懐から財布を出して主人に金を払い、くるりときびすを返す。
 「連れて帰らないのかい?」
 「…俺に、4人も運べ、と?」
 女性であるサラやルイよりも細身の腕を指してみせ、ダークマターは顔をしかめ、そのままスタスタと酒場から出ていった。
 天を舞う雪を見上げながら、呟く。
 「神様…俺は、たった今、『呆れる』という感情も学習しました…」
 
 あらゆる意味で感情豊かになりつつあるダークマターであった。







…勢いで、ルイ姉さんがそれ系になってしまた。ごめんなさい。色々と(笑)。


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