女僧侶の狂騒曲




 3度目の探索で、ようやく彼らは王宮管理室に辿り着いた。
 だが、入り口の衛視の言葉から、許可証を発行してくれる者は誰もいないことを知る。
 「まー、でも、通り抜けはできるんだろ?ちょっと先に行こうぜ。確か、2階に降りるときに許可証は必要だが、それまでは自由に歩き回れるはずだし」
 リカルドの提案に従い、王宮管理室の扉を開ける。
 数歩、足を中に踏み入れたところで。
 「ちょっと、ちょっと!あなたたち、冒険者?」
 先頭を歩いていたリカルドが、横合いから飛び出してきた小柄な影にぶつかって、うわっと声を上げる。
 「ほらやっぱり冒険者ねあなたたち!」
 最後尾の彼は、その明るい声と、娘の僧衣に見覚えがあった。
 「あぁ、宿屋で会った…」
 呟きを拾って、女僧侶がこちらを向く。
 その勝ち気そうな目が、くるりと回った。
 「あらやだ宿屋で会ったハンサムエルフじゃない!これぞ神のお導きよね!」
 何が、と聞く暇もなく、女僧侶は立て続けに喋り出す。
 「あのねあたしはサラっていうんだけどね?もう困っちゃってあたしどうしようかと本当にもう実はあたし冒険に出たはいいけど雇った冒険者たちにここで放って置かれたのようるさいって何よねその理由か弱い女の子をこんなところに放置するかしら普通やっぱり冒険者やってるようなむさい男は駄目よねちょっとお金はかかっても礼儀正しい騎士様とか雇えば良かったかしらでもそんなお金無いしあらやだそんな愚痴言う気じゃなくてね本当に今あたし困ってるのよねえ貴方も僧侶みたいだけどパーティーに僧侶が二人いても困ることはないわよね?」
 彼は、我知らず1歩後ずさっていた。
 句読点がだんだん無くなり、これぞ立て板に水、いやむしろ立て板に豪流とでも言うべき破壊的な語りかけは、彼の対処能力を越えていた。
 それなのに、何故か女僧侶の目標は自分らしく、じーっとこちらを見て話し続けている。
 最後に語尾が上がったところをみると、何かを問いかけられたようだが、とてもじゃないが何を聞かれたのかすら理解できない。
 じわりと下がった距離を詰めて、いや、それ以上にずずいっとサラは彼に迫ってきた。
 「ねえそう思うでしょだって魔力には限界があるんだしここに許可証を貰いに来たってことはあなた達も新米冒険者なんでしょだったら傷を治せる者がもう一人いるって便利なことだと思うのよこれでも手投げナイフで攻撃することだって出来るけどねでもやっぱり僧侶たるもの攻撃は僧侶魔法に限るって思うんだけど治癒の魔法も同じレベルじゃないそしたらなかなか攻撃魔法って使えないんだけどでも複数いたらどっちかが治癒に専念することだって出来るわよねそれに第一冒険て6人組くらいが主流じゃないあなたたち男3人組ってむさ過ぎないほらやっぱりあたしみたいな女の子が一人入るのも悪くはないでしょあぁだからって粉かけては来ないでよねあたしは神に一生を捧げる身なんだからでもねでもね愛し合う男女が結婚することを否定する気はないわだってそれもまた神の御心ですものねあなたも僧侶ならそう思うでしょ?」
 先ほどより、更にパワーアップした語りかけに目が回る。
 呆然とした目で、グレッグを見上げた。
 黒衣の忍者は、重々しく頭を振って見せた。
 「ダークマター。女とは、お喋りなものだ」
 おしゃべり。
 そんなレベルを超えている、と思う自分は、やはり人生経験が足りないのだろうか。
 「いやー、俺はこいつのお喋りは、度が過ぎてると思うがな」
 リカルドが、はあっと溜息を吐きながらダークマターを気の毒そうに見た。
 「ちょっとちょっとあんたたち何よあたしがおしゃべりですってそんなわけないじゃないそりゃいつもより喋っちゃってるかなぁって自覚はあるわよでもそれはこんなところで独りぼっちで放って置かれたあたしの繊細な乙女心がそうさせてるだけよ普段はそんなことないのよ信じてくれる?」
 今回は短かったこともあり、どうにか最後まで意識を保って聞いていられた彼は、きっぱりと首を振った。
 「あらやだひどいそれでもあなた男こんなにか弱い女の子が怯えて…」
 「か弱い、と言うなら、冒険などしないことだ」
 遮った言葉のあまりの冷たさに、サラの瞳が燃えた。
 「ちょっと!それはないんじゃないそりゃあたしは全然冒険の経験が無いかもしれないけど…」
 「あー、ちょっと悪いね、お嬢ちゃん。こいつは感情が表に出にくい奴でね。あー、えーっと、その、記憶喪失なんで、他人を警戒してる…」
 リカルドがサラの肩を掴んで制止したが、サラはそれを振り払った。
 「記憶喪失!」
 リカルドが、サラの背後から両手を合わせるのが見えた。
 他人にそれを言ってしまったことを謝っているのだろう。
 別に、気にしてない、と伝えようとして、彼は、いきなり抱きつかれて小さく叫び声を上げた。
 「何て可哀想なの!きっとあの閃光のショックなのねああ神よ彼にお慈悲をそんな理由なら仕方がないわ許してあげるじゃあやっぱりいろいろと不便でしょあたしがパーティーに入ってあなたの記憶が戻るよう頑張るわ!」
 じたばたじたばた。
 さすがに女性相手に力尽くで引き剥がすのは躊躇われて、何とかそっと離れられないかと努力はしてみるが、そんな程度ではどうにもならない。
 「…リカルド」
 「おう」
 「…グレッグ」
 「何だ?」
 「………助けてくれ」
 同行二人は、笑い出すのを堪えている顔で、彼女を引き離してくれた。
 サラは一瞬不満そうな顔をしたが、思い直したのか、彼を見つめた。
 その目にはキラキラと善意の情熱が燃え盛っており、彼は軽く溜息を吐いた。
 「あなたもこんな男二人と一緒じゃ不便だったでしょ!あたしがあなたの面倒をみてあげる!」
 「…必要ない」
 「照れなくてもいいのよ!これは男女の愛情じゃないの!そうよこれは神があたしに遣わされた使命なんだわ!」
 「…あ、そう」
 なんだかズキズキと痛み始めたこめかみを揉みつつ、彼はもう抵抗する気力を失って、そう小さく呟いた。
 「さあっ!共に迷宮の謎に挑みましょう!」
 「仕切んなよ!」
 やる気満々で王宮管理室を出ていこうとするサラに、リカルドは怒ったように叫び、後を追った。
 仕方なく、それを追って歩き始めた彼の肩を、グレッグがぽん、と叩く。
 「ようやく君も、恐怖というものを覚えたようだな」
 「……いや、さすがに恐怖とまでは……」
 そこまで言って、自分がこの忍者にからかわれていることに気づいた。
 「あんた、冗談とか言うんだ」
 「そうだな。昔は、そんな余裕も無かったが…いやいや、なかなかどうして感情を抑えずにいるというのも面白いものだ」
 感情を殺して当然の職業であり、なおかつ恐怖を打ち消したいとの依頼をした男が、そんな風に楽しそうに言うのを見て、彼は少しばかり微笑んだ。
 「いいんじゃないの」
 「何が、かな?」
 「忍者でもさ。感情があるのが当たり前なんだから」
 普通は、忍者に感情があるのは恥ずべきことと認識されている。
 だが、何故か、感情豊かな忍者というものも存在するのが当然、という気がして、彼はそう言った。
 「そんな風に言うのは、きっと君だけだよ」
 笑ってグレッグは口元を押さえた。
 感情を抑え、かつ僅かな感情の動きすら他人からは見えないように目には隈取りを、口元は布で覆い隠す自分と同職業の者を思い出してのことだった。
 「そうかな、でも、確かに…」
 激しい感情を隠さない忍者が存在する。
 嵐のように荒れ狂う感情を、抑えることなくぶつける忍者が。
 視界の端に、風が舞った気がして、そちらを向くが、ただそこには簡素な机があるのみであった。
 初めて手にした記憶の欠片。
 きっと、これは、以前の自分が所有していた記憶から導き出された感想に違いない。
 だが何故か、喜ばしいとは少しも思えなかった。
 むしろ。
 自分が自分で無くなるような。
 胸の中が真っ黒に塗り潰されていくような。
 不快感だけが、ざらざらとした感触で脳に残った。
 「あー!お前ら、さっさと来いよ!このバカ、うるさく喋り続けるから、魔物がこっち向いてんだよ!」
 「君の声も、十分大きい」
 前方から聞こえるリカルドの声は、セリフほど怒っている調子はない。どこか陽気なその声と、冷静に茶々を入れるグレッグに、何やら清涼な水を飲んだように頭がすっきりする。
 「さあ、仕方がない。急ぐとしよう、ダークマター」
 自分の知っている忍者は、この黒衣の忍者。
 恐怖に怯えたりもするが、ちょっぴりお茶目なところも見せ始めた黒髪の忍者。
 今は、それで、十分だ。
 ひょっとしたら捕まえられたかもしれない記憶の尻尾を、するりと逃げるままに任せる。

 今は、それで、十分だから。



 2階への階段に通じる道を頭上に見上げつつ、広めの廊下を進んでいく。
 人工的な曲線を描く道を辿れば、その先にちょっとした広間があるはずだ。
 多分、そのあたりに剣士様はいるんじゃないか、とリカルドに言われて、彼らはそこを目指していった。
 「こっちに曲がれば…」
 言いかけたリカルドの言葉が、ふと止まる。
 彼も何かの呻き声のような音が聞こえた気がして、周囲を見回した。
 「こっちかしら…」
 一番打たれ弱いくせにサラが逆側の扉に向かう。
 突出させるわけにはいかず、彼もそちらへ向かい、彼女に並んだ。
 今度ははっきりと、呻き声が聞こえる。
 「…人間だな」
 そう判断すると、彼は扉を開いた。
 本当はグレッグを待ちたかったが、間をおくとサラが一人で開けかねなかったからだ。
 幸いにして、中に魔物はいなかった。
 中央に、戦士風の男がうずくまっている。
 こちらの足音に気づいたのか、僅かに顔を上げ、声にならないような声で囁いた。
 「助けて、くれ…」
 駆け寄ろうとするサラを制する。
 非難の言葉が次々と綴られるが、それを聞き流して、相手の様子を観察する。
 ぜいぜいという呼吸の調子。
 落ち窪んだ目に、生への狂おしい渇望こそあれ、いわゆる狂気の色はない。
 腹部から流れる血液はごく普通に赤。ただ、傷口周辺は緑がかっていて、毒を受けたことを示していた。
 「あなたはとても冷たい目で人を見るのね」
 それも聞き流して、背後の二人に言う。
 「間違いなく一般的な生きている人間だ。毒を受けて、放っておけば10分も経たずに死ぬだろうが」
 淡々とした声からは、助けようという意志が全く見受けられないため、男の目が絶望に染まる。
 「た、頼む!そうだ、助けてくれたら、礼はする…」
 男が胸から何かを取り出しかけたが、彼はそれを見ることなく首をゆっくりと傾げた。
 「そんなものは、どうでもいいんだけど」
 「ちょっとちょっとあなた見損なったわよ相手は死にかけてるのよそれでもあなた僧侶なの助けてあげなきゃそうだわあたし実は帰還の薬持ってるのよこの人にかけたら…」
 怒濤の勢いで喋りながら、ポシェットから薬の瓶を取り出したサラの手を掴む。
 また、怒鳴りかけたサラの言葉が、彼の顔を見て、止まる。
 
 頭が、がんがんする。
 「間に合わない」
 自分が喋っていることも、どこか水底で聞いているかのように遠い。
 「それでは、間に合わない。今、すぐに、解毒の魔法を使う必要がある……そうじゃないと、間に合わない………」




 「間に合ったわ!!」
 ひどくひどく遠くに聞こえる女性の声。
 澱んだ意識がゆらゆらと覚醒に向かう。
 「あぁ、心配したのよ、ダークマター!本当にもう、間に合わないかと……」
 ふわりと抱き締められる感触。
 寄せられた頬が、温かい何かで濡れていく。
 「       」
 その人の名を、呼ぶ。
 「間に合って、本当に、良かった…」
 その人は、何度も、間に合った、と喜んだ。神に感謝し、彼の体力に感謝し、世界の全てに感謝した。
 だが、その居心地悪いほどに暖かな空気は、突然荒々しく開けられたドアの音で壊される。
 女性は彼から身を離し、乱入者に抗議の声を上げる。
 だが、その男は一直線に彼に向かって大股に歩み寄り。
 「この、大馬鹿者!」
 怒鳴り声と同時に、頭に衝撃。
 くらくらする目を閉じていると、今度は少し弱めに頭に拳骨が落とされた。
 「部下の解毒を優先するのは、悪いことじゃない…だが、自分の体も、もう少し大事にしろ!」
 「…間に合うと、思ったんだよ…俺が、一番、体力が残ってたし……」
 言い訳がましい声が、自分の口から漏れる。
 「あぁ、間に合ったから良かったようなものの!」
 そうして、怒鳴っていた男の顔が、ふと歪む。
 ぐい、と引き寄せられ、ごつごつとした体に力任せに抱き締められて、身動き一つ取れない。
 その男は、決して顔を見られぬよう、じたばたする彼の顔を自分の肩に押しつけたまま、掠れた声で呻いた。

 「もしも、お前が死んだら」

 「俺は」

 「かけがえの無い友を、失うことになったんだぞ!!」

 


 「違う!」
 誰かが叫んでいる。

  「かけがえの無い」

 「違う!俺は、違う、そうじゃないんだ…!」

  「友を」

 「違う違う違う違う違う違う!!」
 
 首筋に、ひんやりとした感触が落とされ、彼はそれを振り払いながら顔を上げた。
 目の前には、黒衣の忍者が困ったような顔で首を傾げていた。
 その手には、濡れた手ぬぐい。きっとそれを彼の首に押し当てたのだろう。
 2重写しになっていたような光景が、一つに収束していく。
 そうして、日差しに満ちた明るい部屋は消え失せ、暗い洞窟が出現する。
 
 頭が痛い。
 がんがんと脈打つ血液の音が鳴り響く。
 ぼんやりと浮遊したような意識のまま、彼は、うずくまる男に手を向けた。
 「神よ、ここに巣くうは蛇なるもの、給われし肉をはみ、その邪悪なる気にて浸すもの」
 目の奥が、熱い。
 視界が、赤く染まる。
 「どうか、我に其の汚れを浄化する力を…!」
 
 彼は、冷たい石畳に膝を突き、自分の肺に空気を送り込むことに全力を費やした。
 迷宮のすえたような冷たい空気が行き渡るにつれ、霞む視界が晴れていく。
 額を拭うと、薄く赤い血の跡が手に付いた。
 腕を掴まれ引き上げられ、頭が揺れる。
 「大丈夫か!?」
 悪意は無いのだろうが、耳元で怒鳴るリカルドに、力無く答えた。
 「やめてくれ…気持ちが、悪い…」
 「あ、あぁ、悪い」
 揺さぶるのを止めたのは良いが、支えるように脇の下を持たれ、触れた筋肉の張りつめた感触が、先ほどの白昼夢を思い出させて、彼は思わずリカルドの手を振り払っていた。
 逃れるように部屋の隅にうずくまり、同行者に手を振ってみせる。
 「平気だが…しばらく、俺に触らないでくれ…」
 目の奥がずきずきと痛い。視界が部分的に欠落しているのは、網膜が出血でもしているのだろう。
 彼が小さく治癒の魔法を唱えるのとほぼ同時に、女性の治癒魔法の詠唱が聞こえた。
 目を上げると、サラが毒を受けていた男に治癒を施しているところであった。
 傷が塞がったのを確認して、サラがこちらを振り向く。
 その目には、憧憬と同時に不審が込められていて。
 「貴方が解毒の魔法を使ってくれて助かったわ、これでこの人は大丈夫だとは思うけど念のため街に帰って休んだ方が良いわね、それにしても」
 彼を値踏みするように凝視する。
 「解毒なんて高等な魔法を使えるとは思わなかったわ、貴方はかなり高位の僧侶様なのかしら?」
 彼女なりに気を使っているのか、その声は幾分抑え目で、文章の区切りもあった。
 そのせいで、その問いをしらばっくれる訳にもいかず、彼は唇を歪めた。
 「さあ」
 いつもの答えに、リカルドとグレッグは目を見合わせて肩をすくめる。
 だいぶ顔色の良くなった戦士が、口を出しにくいのか少しの間逡巡した後、ようやく気まずそうに声をかけた。
 「いや、世話になったな。そのー…これ、あんたたちには必要ないかも知れないが、これくらいしか礼の品はねぇんだ。これで勘弁してくれ」
 「あら魔術師の魔法石ねそうねこのメンバーじゃあまり役立たないけど忍者なら基本魔法は使えるはずだしありがたく貰っておくわね」
 一番近くにいたサラが、それを受け取った。
 男はますます言いにくそうに頭を掻いている。
 彼は、小さく囁いた。
 「サラ。帰還の薬を、こいつに使ってやれ」
 サラの顔が、ぱあっと明るくなる。
 「あらやっぱり貴方良い人なのねそうね忘れてたわこの人一人で帰るほど元気じゃないものねさあじゃあ薬を使うわよ」
 男は、目を白黒させながらも頷いた。
 その体に瓶から薬を振りかけると、すぅっと溶けるように消え失せる。
 それを見送って、サラは両手を組み合わせ、天に祈るように上を向いた。
 「あぁ!神様あたしは人を助けることが出来ました!」
 「それは、主にダークマターの功績のようだが」
 咎めるでもなく、ただ事実を述べるようにグレッグが指摘した。
 サラは可愛らしく小首を傾げ、上目遣いで彼らを見上げる。
 「まあそれはそうかもしれないけどあたし初めて人助けが出来たのよちょっとくらい感動に浸らせてくれてもいいでしょう?」
 「…あんたの好きにすればいいけど」
 言いながら身を起こした彼に、感激も露に抱きつこうとしたサラだったが、察知した彼がすいと身をかわしたため、つんのめった。
 「もう!ちょっとくらい感激を共にしてくれても良いじゃない!」
 「結構だ」
 ぱたぱたとマントの裾を払っている彼を押しのけるように、リカルドがサラの目前に立つ。
 「ちょっと聞いておきたいんだがな」
 いつも陽気なリカルドにしては珍しい怒りを押さえ込んでいる声で。
 「てめぇ、薬を隠し持ってやがったのか。何で、それで帰らなかったんだよ」
 サラが数歩後ずさる。
 助けを求めるように彼とグレッグの顔を見るが、彼の顔は相変わらず無表情であったし、グレッグもまた興味深そうに見守るばかりで彼女を助けようとはしなかった。
 サラは舌をせわしなく動かし、口中を湿らせておいてからすぅっと息を吸い込んだ。
 「だってだってそう言われると思ったから見せられなかったんじゃないの決してあなた達を信じてなかったわけじゃないのよだけどこれを持ってたらそれだけで安心できたしでもあたしのレベルじゃ高価なものだったからあんな場所から使って帰るのはあんまりにも勿体ない気がしてだってそうでしょあそこなら誰か冒険者が来ると思ってたしそしたらあたしを仲間にしてくれるかもしれなかったし…」
 いったん切って、唇を噛む。
 「悪かったわよ黙ってたことはあなた達はいい人みたいですもんねでもあの時点ではわかんなかったのよ今更言い出しもできなかったしああでももし困って街へ帰りたいようなら言うつもりだったのよそんなあたしは自分だけ助かろうなんて考えてたわけじゃ…」
 「もういい」
 うんざりしたように手を挙げて、リカルドはサラを制した。
 そして、くるりと振り向いて、足下の石を蹴り上げた。
 彼は、無表情のままに考える。
 サラは確かにあまりレベルは高くない。呪文を唱えるにせよ攻撃するにせよ、全てワンテンポ遅いくらいに不慣れだ。
 だが、いないよりはマシ、という程度はクリアしている。足を引っ張るだけの存在というのではない。回復呪文は戦闘後に使うなら、詠唱の遅さも気にならない。
 となれば、リカルドも本気で彼女がパーティーに加わらなければ良かった、と考えているのではないだろう。
 従って。
 リカルドが怒っている(あるいは拗ねている)原因は、彼女が自分の帰還の薬を使わなかったことにあるのではなく、持っていたことを言わなかった、ということにある。
 どうも、この戦士は、仲間の信頼、というものに過剰な期待を寄せているようで、彼は、やれやれと肩をすくめた。
 「サラ」
 平板に呼び、振り向いた女僧侶に説明する。
 「リカルドは、あんたが薬のことを言わなかったことに拗ねているだけだ。あんたを信用してないということではない」
 「拗ねてなんかいねぇよっ!」
 返事は、リカルドの方が先だった。
 「それから、リカルド。あんたも悪い。妙齢の女性が、見ず知らずの男3人のパーティーに加わる時に、隠し技の一つや二つ、持っておくのは賢い選択だ。あんたが求める「信頼」とやらは、一朝一夕で築けるものじゃないだろう?これから、何でも話して貰えるように信頼を高めていけば良いんだ」
 声の調子に説教じみた色は無い。まあ、そもそも何の感情も込められてはいないが。
 だが、その淡々としたセリフに、リカルドは素直に頷いた。
 「そうだな、悪かった。だが、出来れば、今度からは話して欲しい。…俺らのパーティーの一員だってんならな」
 大の男に頭を下げられ、サラは慌てふためいた。
 「や、やだわそんなあたしが悪かったんだしそんな謝んないでよあたしの方こそごめんなさいね今度から話すわきっとだってあなたたちホントにいい人みたいだし…」
 ごめんねごめんね、と二人で謝り合っている姿は、とてもいい歳した大人には見えなくて、彼はかすかに笑みを浮かべた。
 やはり喉を鳴らしつつ、グレッグは彼を意味深に見つめた。
 その視線に振り返ると、くつくつと笑いながら、一人頷く。
 「君が、このパーティーのまとめ役…すなわちリーダーということだな」
 「はあ?」
 思わず問い返しつつ、眉をひそめる。
 リーダーとはパーティーの中心であり、調整役であり、最も他人を引導する能力がある者であろう。
 感情の無い(最大限に表現しても「乏しい」)彼には不向きだと思う。
 今の時点では、リカルドがこのパーティー1の戦力であるし、冷静な判断を下すという意味ではグレッグも適任だろう。
 そう考えたのを察知したのか、グレッグは手を振って見せた。
 「私は臆病者だし、とてもパーティーをまとめる器ではない。それに、君に従う、と決めているしね」
 「いつの間に…」
 「昨日」
 「勝手に決めないでくれ」
 「押し掛け忍者とでも呼んでくれたまえ」
 「呼ばない」
 掛け合いをしている間に、リカルドとサラの謝罪合戦も終了したようだ。二人とも面白そうにこちらを見ている。
 「あたしはダークマターがリーダーで良いと思うのよだって見かけは一番優男風じゃないそしたら他人の信用を得られやすいでしょ酒場での依頼も受けやすいんじゃないかと思うし何よりあたしは貴方になら付いていこうと思うけどリカルドなんかに命令されるとちょっとイヤかも〜なんて思うしね」
 「…ひでぇ」
 「だってあんたよりダークマターの方が頭良さそうなんだもの」
 サラは悪びれずに、仰々しく落ち込んだふりをするリカルドに澄ました顔で言ってのけた。
 そのリカルドも、胸に手を当てて芝居がかった仕草で一礼した。
 「俺の繊細な心はズタボロだ。…だが、俺も、あんたがリーダーだと思ってるぜ?」
 3人に見つめられ、彼は困惑した。
 これからは、自分自身のことばかりでなく、彼らの行動にも責任を持たなければいけない。
 それは、面倒くさいことのように思えたが…だが、何故か、そんなに大袈裟なことでもないことのように思えた。
 誰か他の者をまとめ、それぞれの適材適所を心がけ、一つの目的に向かって軍団を構成する…それは頭の痛い作業だったが、同時に複雑なパズルを組み立てるような楽しさも……
 「軍団?」
 彼は、一人ごちた。
 そんなわけはない。
 軍団を指揮するなんて、それは国の重鎮だ。彼には関係がない。

 「隊長」
 楽しそうな、野太い男の声。
 
 「指揮官殿」
 こちらを量っているような皮肉のたっぷり詰まった声。

 それらを打ち消すように彼は頭を振り、ゆっくりと彼らを見つめた。
 数十秒の後、彼は唇の両端をつり上げた。
 「いいだろう。指揮系統の混乱は、無駄な犠牲を呼ぶ。俺一本に絞るということにしておこう。仮に、俺が戦闘不能になった場合は、グレッグ、次にリカルド、と決めておくことにする」
 あら、とサラが首を傾げた。
 「まるで軍人さんみたいな言葉使いね」
 彼の口から、軋るような笑いが漏れた。
 表情が変わらぬままのそれに、一瞬ぎょっとしたように3人は彼を見つめる。
 耳が痛くなるような哄笑が、ぴたりと止み、相変わらず感情のない声が告げる。
 「さあ。そうだったのかもしれないね」
 それ以上の会話はするつもりが無い、と彼は3人に背を向け、扉に手をかけた。
 すぐにその隣に立ち、グレッグは独り言のように呟く。
 「なに、君が何であれ、私は付いていくつもりだがね」
 リカルドも、にやりと笑って、剣の柄をぽんと叩いた。
 「面白そうだもんな」
 最後に残ったサラが、呆気にとられたように男3人の背中を見つめ、それから慌てて追いすがった。
 「ちょっとちょっと何よあたしを置いておかないでよあたしだって付いて行くわよ当たり前でしょちょっとくらい変な人でもいい人みたいなんだからあたしの夢のためにも付いていくわよ負けるもんですかっ!」
 



 この日、ダークマターを中心とすることがはっきりと決定されたパーティーが生まれた。
 「信頼」というものが存在するのかどうかは不明だったが、かすかな連帯感に近いものなら育ちつつある4人である。
 そうして、彼らは、白髪の剣士の待つ広間へ向かうのだった。





ふと気付くと、最初から順を追って書いてる自分がいたな(笑)。
やだい、めんどくさいから、いいとこ取りするんだい。(←開き直るな)


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