女盗賊は、傍観する。
彼女が、彼を見たとき、最初に抱いた感想は、
「お人形みたいな子ね」
であった。
薄暗い迷宮の奥、日の射し込まぬ牢獄であるにも関わらず、その姿は、うっすらと周囲から浮き上がっているように見えた。
淡い金色の髪は緩く編まれて背中に垂らされ、鮮やかな青のマントとの対比で小さな顔はますます白く、ぼんやりと夢見るような瞳は硝子玉のように透き通っていて。
陽気な戦士と、黒衣の忍者の背後にいる様は、まるで騎士にかしづかれるお姫様だ。
彼女が銀の採掘を頼み、戦士がせっせと岩盤を掘っている間も、手伝うでもなく興味がなさそうに静かに立っていた。
女僧侶は、彼とは逆にしげしげと戦士の作業を見守っている。
「こっちとか多いんじゃない?ああでも固いのかしらまあでも仮にも戦士だもの何とかあるわよねでも剣とノミって全然扱い方違うのかしらあらやだこっちに飛ばさないでよびっくりしちゃった」
訂正。
見守っている、ではなく、口だけ出している、というべきか。
彼女は、皮肉に真っ赤な唇を吊り上げて、彼に近づいた。
「キミは手伝ってくれないの?」
まるで聞こえていないかのように、彼は入り口の方向を見ている。
「ねぇ、ちょっと…」
「リカルドは、そのまま続けてくれ」
ややハスキーな声が、彼の唇から漏れた。
その迷宮を吹き渡る乾燥した風のような殷々とした響きに驚く暇があればこそ。
青いマントがふわりと翻ったかと思えば、彼の手にはメイスが持たれ、隣には音もなく黒衣の忍者が進み出た。
「あんたは」
目だけが、彼女を向いた。
「あっちにいろ」
そうして、何やら荘厳な雰囲気を持つ言葉を紡ぎだした。
彼女は、僅かに目を細めた。
その昔、魔術師として修行をしていた頃、戯れにかじってみた古代魔法語。
完全な独学であったため、すぐに挫折したのだが、もしも、彼がその時そこにいれば、きっと投げ出すことなく修得しようとしただろうに。
そんな気持ちにさせられるほど、その言葉は美しい響きを持っていた。
魅せられたように彼の唇を見つめていた彼女は、鼻腔を刺激した不快な匂いに顔をしかめ、入り口を見やった。
かたり、かたり。
乾いた何かが、ぶつかり合う音。
骨となった魔物が、ゆっくりと侵入して来ようとしていた。
不意に、詠唱が途切れた。
と、同時に。
アンデッドコボルトの周囲を、白く冴え冴えとした光が包む。
かたかたかたかたっ!
10体はいたと見えた魔物が、力を失い、ただの骨の山となる。
だが、それを踏み潰すように現れる集団があった。
「ハイウェイマン!」
忌々しく吐き捨てる。
同じ盗賊でありながら、魔に魅入られ魔物と成り果てた存在は、彼女にとっては天敵とも言えた。
投げナイフを構える彼女の前で、青と黒が渦を巻いた。
切り裂く、音。重い、打撃音。
「おーい、こっちは終わったぜ。これでいいんだろ?」
場違いなほどに明るく声をかけられ、彼女は危うく飛び上がるところだった。
両手一杯に掘り出した銀を抱え、戦士がにこやかに立っている。
「お仲間が戦ってるのが、見えないの!?」
苛立ちのままに叫べば、戦士はこめかみを掻きかけ…落ちた銀の塊を慌てて掬い上げた。
「まー、何と言うか。ダークマターが俺を呼ばなかったってことは、俺がいなくても大丈夫だってことだからな」
陽気に笑う戦士の目が、彼女の頭を通り越して背後に焦点を合わせた。
それに釣られるように彼女も振り返り……何もなかったかのように平然と佇む二人の姿を認める。
「よぉ、こっちは終わったぜ」
「聞こえてるよ」
笑うでもなく、淡々とした応えが返る。
そのまま、彼女に挨拶も無くきびすを返した彼を、彼女は追いかけて腕を掴んだ。
「何?」
見返す瞳には、何の感情も浮かんでいない。
別の意味で、お人形のようね、と浮かんだ考えを追い出し、彼女はにこやかに言った。
「上まで送って頂戴」
そうして、彼女は、彼らの仲間になった。
それは主に彼女の好奇心のためではあったが。
仲間に守られた、愛らしいお人形のような僧侶、という最初のイメージのままなら、ただ馬鹿にしたように鼻を鳴らしてさっさと袂を分かっただろう。
だが、見かけに寄らず冷静な…むしろ冷徹な戦いぶりと、感情を見せない様子が、あまりにも最初のイメージとギャップがあって、突つかずにはいられなかった。
彼女は、自分の魅力というものをよく弁えていたし、逆に、自分の魅力に振り回される男にうんざりもしていた。
たとえば、戦士。彼のようなタイプは、軽く彼女にちょっかいかけてきて…意に添わないと激昂したり、いきなり自分のものだと主張し始めたりする。
たとえば、忍者。彼女の魅力に動揺する己ではなく、彼女そのものを悪しきもの、誘惑する蛇のように扱う。
たとえば、初な少年。彼女の冗談をうまくかわすことが出来ずにおたおたする。
たとえば、同性。彼女を疎ましく感じ、陰口を叩く。
パーティーなど組んで迷宮に潜るなど、ほとほと愛想が尽きていた。
ところが。
酒場で彼らにちょっかいを出してみると。
陽気な戦士は、予想通り彼女の胸を注視はしたものの、
「いやー、いいねぇ、大きな胸は!だが、迷宮に潜るには、向いてない服装だよなぁ」
と、あっさり胸の話は切り上げ、盗賊の服装はかくあるべきだ、などという議論を始めたし。
わざと胸を押しつけるようにして話しかけた忍者は、迷惑そうでもなく、かといって嬉しそうでもなく極普通に会話をして。
いかにも女性には慣れていなさそうな綺麗なエルフにいたっては、何故彼女がそこに存在するのかすら不思議そうに見るだけで、特に興味も示さず。
紅一点の女僧侶は、盗賊なのに魔術師の魔法も修めている彼女の経歴を聞いて、「まあまあすごいのね大変だったでしょうにでもせっかくの高位の魔法を盗賊してたら使えないんじゃないのもったいないわぁもう一回魔術師になるとか司教になる気はないの?」などと、ただただ純粋に感心しているし。
自分の魅力を否定された気がして、わざと彼らの気を引くような真似もしてみたが、彼らの反応は変わらない。
そして、躍起になっているのが馬鹿馬鹿しくもなったし…意外と、居心地良いと思い始めている自分にも気づいた。
だから、彼らにこう言ったのだ。
「ねぇ、キミたち、盗賊がいないんでしょ?私を入れる気は無い?」
彼らの目は、一斉にエルフの僧侶へと、向かった。
それまで、彼女はリカルドなる戦士がリーダーだと思っていたのだが、その視線で、そうではなくこの無表情なエルフがリーダーなのだと初めて知った。
「ねぇ、どう?罠外すのも得意だし、魔法だって使えるわよ?キミたち、魔術師の一人もいなきゃ、この先苦労するわよ〜?」
赤く塗った爪先で、冗談のように彼の頬を抓る。
振り払うでもなく、彼はただ、彼女を凝視した。
白目と境のはっきりしない淡い水色の瞳に、奇妙に拡がった瞳孔が浮かんでいて、ひたすら見返していると浮遊感さえ感じるような奇妙さだったが、彼女はあえて目を逸らすことはしなかった。
ずいぶんと長い間、見つめ合っていたようにも思うし、他人から見れば一瞬であったのかもしれない。
ゆっくりと、彼の唇の両端が僅かに持ち上げられた。
「いいんじゃないの?来たければ、一緒に来れば」
誰かが、詰めていた息を吐く音がした。
それには気づかぬふりをして、彼女は彼の手を取った。
「じゃ、これからよろしくね、リーダーさん?」
ほっそりした手は、もっと血が通っていないような冷たさでも不思議では無いと思っていたが、意外と暖かかった。
そして、何度か共に迷宮に潜ってみると、彼の何も見ていないような瞳が、仲間に関することなら揺れ動くことを知った。
確かに、これは参るのも当然だわ、と彼女は溜息を吐いた。
何を見ても無感動で、世の中の全てのものに興味がなさそうな顔をしている綺麗なエルフが、自分たちにだけは微笑んだり気遣ったりしてくれるのだ。
あの戦士が得意そうな顔になるのも無理はない。
リカルドは一番彼を庇っているようでいて…彼に頼られることに依存しているようにも見えた。
他の二人にしてもそうだ。
無表情さと非常識さで周囲と摩擦を起こしやすいリーダーを必死で守っている様子は微笑ましい。
だが同時に、守るべき相手がいる、自分は他人の役に立っている、という一種の酩酊感をも醸し出している。
だとすれば。
彼を庇護している集団とも見えるこのパーティーは、実は、彼に依って存在する集団でもあるのではなかろうか。
もしも、彼が意識的に行っているのなら大した役者だろうが、彼自身に問いただしても無駄であろう。
きっと、気のない微笑を浮かべて「さあ」と答えるだけであろうから。
その奇妙な共依存のパーティーは、それなりに安定しているように見えた。
『仲間』だけに微笑むリーダーと、感情の薄い彼を周囲から庇護する『仲間』。
彼女、という新たな分子を加えても、その関係にはヒビ一つ入らない。
静かな水面に石を一つ投げ込んで、波が僅かに揺れても、また元に戻るように。
安定しているように見えても、それは偽りの静けさだ。
いつか、その関係は破綻する。
出来ることなら、と彼女は祈るように考えた。
出来ることなら、それは、静かな変化でありますように。
必死で身を寄せ合っている雛鳥が、自然に巣立っていくような、ゆっくりと穏やかな変化でありますように。
だが、彼女の祈りも空しく、水面をかき立てる風が吹くのは、それから間もなくのことだった。
水の表面だけでなく、根底から揺るがすような、風が。
実は、これ、次のクルガン遭遇編(笑)の前フリのつもりだったんだけど、
何か途中でテーマが変わった気がしたんでぶった切ってみました。
なので、いつもよりちょっと短いん。