帰還報告




 それは、ダークマターが初めてクイーンガードとして任務を受けた時のこと。


 女王は、それまでサインをしていた書類から顔を上げ、戸口で憮然と佇む忍者に柔らかな声音で問い返した。
 「それでは、ダークマターの帰還は、遅くなるということですか?」
 「…多分」
 クルガンはもう一度手にした小さな羊皮紙を読み上げた。
 「命令完遂不可能。努力継続」
 持たせておいた鳩を使っての連絡は、朝には届いていたのだが、どーしよーもないほどの悪筆(可能な限り誉めれば、誰にも真似しようがない個性的な筆跡)であったため、報告が昼過ぎになってしまった。
 暗号を読み解くのは忍者が適任だろう、と押しつけられたそれを、悪戦苦闘の末、解読した結果がコレであったため、クルガンは思わず羊皮紙を床に投げつけたものだったが。
 そのときの苛立ちを思い出して、クルガンは手の中の羊皮紙をぐしゃりと握り潰した。
 「まったく…たかが滞納している税を徴収してくる程度の任務を完遂できない、などと…陛下、やはりあのような得体の知れぬ男をクイーンガードに取り立てるのは如何なものかと」
 女王は、クルガンのイライラした声などどこ吹く風で、たおやかに指を顎に添えて微笑んだ。
 「ですが、努力はしている、と言っているのでしょう?結果を見てから考え直しても遅くはないでしょう」
 「ですが…!」
 「クルガン」
 不意にかけられた冷徹な声に、首をすくめる。
 山ほど積まれた書類に隠れて見えなかったが、どうやら女王の傍らにはガード長もいたようだ。
 「おまえは、女王陛下が誤った判断を下した、と考えておるのではあるまいな?」
 「…よもや、そのようなことは」
 素直に頭を下げながら、クルガンは内心歯がみしていた。
 どうもあの新入りは女に受けるらしい。
 女王陛下は一目で気に入りガードに取り立てるわ、ソフィアにいたっては「放っておけないでしょ」の一言で何かと世話は焼くわ…。
 女王の身を案じて警戒してしかるべきのガード長まで鼻毛を抜かれている状態だ。…最もこれは、ダークマターに抜かれていると言うより、女王に逆らえない、という方が正しいかもしれないが。
 となれば、彼が一人であの男を疑うしか無いではないか。
 クルガンとて何も好きこのんで他人を疑うというイヤな役回りを引き受けたいわけではない。無いのだが…あまりにも女王及びクイーンガードは他人の悪意というものに鈍すぎる。
 これからは表だって非難せずに、目立たぬよう監視を続けよう、と一部生真面目な忍者は考え直し、一例をして執務室を辞去した。

 それを見送って、女王はそぉっと溜息を吐き、次の書類を手に取った。
 「レドゥア」
 「何か?」
 「ダークマターは、どうかしら」
 「そうですな…」
 彼に命じたのは、辺境にある小さな山村の税の徴収。
 任務としては、単純なものであり、クイーンガードを派遣するほどのものではない。徴税人を差し向ければ良いだけのことだ。
 だが、仮に税を滞納するだけの理由があるならば。
 それを如何に解決するするかを見たかったのだ。
 「冷酷な男であるならば、村人が泣き叫ぼうが決められただけの税を取り上げて来るでしょうな」
 そして、そんな男ならばクイーンガードたる資格は無し。
 無論、そこまでの説明はせずに任務を与えている。クイーンガードに必要なのは、女王に代わって判断し動く能力なのだ。
 「努力継続、というのは、判断に苦しむ言葉ですな。はてさて、無茶なことをせねばよいのだが」
 ダークマターの現在の身分は「クイーンガード候補」だが、民にとってはクイーンガードそのもの、ひいては女王の意志そのものであるだろう。それが村人に無体を働けば女王への忠誠にも関わる。
 だが、それでも彼らがダークマターを派遣したのは、彼の無表情さや時折見せる鋭い敵意にも関わらず、性根はそう悪くはない、と踏んでのことである。
 「悪い子じゃ無いと思うの、私は」
 レドゥアだけに見せるくだけた言葉で、女王はくすりと笑った。
 「クルガンには、説明しておくべきだったかしら」
 「なんの。それくらい推してしかるべきでしょう、あやつも」
 憤懣やるかたない、といった体で出ていった部下を思い、レドゥアはくつくつと喉を鳴らした。
 「さ、陛下。今日中にこの書類は終わらせましょうぞ」
 「そうね…私のガードたちは優秀なのだけど、サインだけはどうしようもないのですものね…」
 溜息をもう一度、小さな朱唇からこぼし、女王はさらさらとペンを走らせるのだった。


 それから4日ばかり経った頃。
 
 もう日も暮れようかという時刻に、ダークマターは帰ってきた。
 たまたまその日は女王、レドゥア、クルガン、ソフィアといった面々が全員揃っていたため、ダークマターの報告は、彼ら全員の前で行われた。
 土埃をうっすら被ったままの武装姿で現れた彼が入室する前に、戸口で待ち構えたクルガンが、おい、と顎をしゃくってみせた。
 「陛下の御前だ。剣は置いていけ」
 ダークマターの目線が、あからさまにクルガンの腰に動く。そこに携えられた短刀を認めたが、不服は唱えず、ただ嘲笑気味に唇の両端が吊り上がった。
 無言で剣を外し、入り口の衛視に押しつけて、ちらりとクルガンを見やる。その動作にふてくされたような様子はない。ただ淡々と受け入れているようでいて…かすかな敵意が漂っていた。
 ふん、と鼻を鳴らし、クルガンは、先に入れと目で促した。
 眼前を横切ったダークマターの背中を睨み付けると、意識がこちらに向けられるのが分かる。
 注意を背中に向ける、そのくらいの方が良い、とクルガンは足音も立てずに後について入室した。

 「任務、ご苦労でした。ダークマター」
 女王の優しい声がかけられる。
 すい、と跪く姿は、どこかぎこちない。
 単に慣れていないせい、と考えることも可能だったが、クルガンには、それがダークマターが本気では膝を折っていないがゆえと感じられた。
 「何を恐い顔をしているの?」
 近寄ってソフィアが囁く。
 分かっていて聞くか、この女は、とクルガンは仏頂面で無視を決め込んだ。
 途端に走った爪先の痛みに思わず声が漏れかけて、慌てて口を噤んだ。
 「ねぇ、クルガン。何を恐い顔をしているの?」
 微笑みは聖女のようだったが、その堅いブーツのかかとは、クルガンの爪先にめり込んでいる。
 それでも「関係あるか」と返そうとしたクルガンだったが、ダークマターが口を開いたおかげでソフィアの注意が逸れ、ゆっくりと足先を引き抜くことができた。この分だと、爪先は青黒く変色していることだろう。
 そのダークマターは、といえば。
 「任務は果たせなかった。処罰は、如何様にも」
 それだけを告げ、さっさと立ち上がり女王に背を向けたところだった。
 あまりにも簡潔すぎる報告に、皆が呆気にとられている隙に、ダークマターは出ていこうとしている。
 「ちょっと待て!」
 クルガンは、咄嗟に目の前を通り過ぎるダークマターの腕を掴んでいた。
 それを胡乱そうに見て、ダークマターは身を捩る。
 手を外そうとするそれを許さずに、クルガンは腕を捻ってダークマターを再度女王に向き直らせた。
 「そんな報告があるか!失敗したならそれなりに経過を言え、経過を!」
 「経過はどうあれ、失敗は失敗だろう」
 薄い水色の瞳が、絶対凍土の冷ややかさでクルガンを見返した。
 「それでも!貴様は、努力したんだろうが!」
 何を言ってるんだ、俺は、と頭の片隅で感じつつ、ダークマターの肩をべしっと叩く。
 背後から、ソフィアの忍び笑いが聞こえてきた。ほら、貴方も放っておけないんでしょ、と言わんばかりの笑いに、そんなわけあるか!と、もう一度ダークマターの肩を叩いた。
 顔をしかめて振り返るのに、さっさと前を向け、と睨み付ける。
 僅かに肩をすくめ、ダークマターは女王とレドゥアの方を向いた。
 「ダークマター。詳しく報告されねば、また別の者を差し向けねばならぬ。まずは、そなたの思ったこと、取った行動をつまびらかにするが良い」
 どこか笑いを堪えたような声でガード長が重々しく告げた言葉に、ダークマターは首を傾げた。
 しばし考え込んだ後、ぽそりと一言。
 「滞納に関して釈明の使者も立てなかったのは、住民が無気力になっていたためだと思う」
 それからまた考え込んで。
 「無気力になったのは、住民の半数が死んだせいで…あぁ、死んだのは…」
 ぼそりぼそりと続けられる言葉に、クルガンはイライラとダークマターの頭をぽかりと叩いた。
 「筋道立てて話をしろ!筋道立てて!」
 振り返ったダークマターは、頭をさすりつつ、クルガンをじーっと見つめた。
 無表情なようでいて、どこか困惑したようにも見える瞳に、クルガンは一つ咳払いをし、小声で指南した。
 「だから。そもそもの発端から順序立てて説明すればいいんだ」
 噛んで含めるような言い方に、またソフィアのくすくす笑いが漏れた。やかましい!と睨み付けてもソフィアには通じない。
 クルガンを無視して、慈愛に満ちた表情で、優しく語りかける。
 「ねぇ、ダークマター。その村は、山奥だったわね?何か特産物がある村だったかしら?」
 本当は知っているくせに、ダークマターに最初の取っ掛かりを与えようとしている。
 「あぁ、その村は…」
 「陛下の方を向け!」
 振り返ったままソフィアに向けて説明しようとするダークマターに、叱責を与えると、素直に向き直った。
 「その村で採れるのはせいぜい芋の類で、住民の大半は狩人だった。獣の肉や毛皮を下の街と交易して生活していたようだ。それが…」
 ふと、ダークマターの眉が寄った。
 数瞬の逡巡の後、平板な声で淡々と続ける。
 「普段の狩り場付近で小動物が獲れなくなったらしい。それで奥へ奥へと狩り場を拡げていった結果…熊の縄張りに踏み込んだ。
 熊の方も、獲物が少なくなって来ていたんだろう。確認していたよりも麓へ棲息地域が降りていたということだが…ともかく熊と狩人は出会い、熊が勝った。
 それから、熊は人間も格好の獲物と思ったんだろう。段々と大胆に村付近へ降りてくるようになり、防ごうとした狩人たちは熊に狩られ、畑の芋まで取られる始末」
 昂然と頭を上げたダークマターは、むしろ堂々と言い放った。
 「だから、税を取り立てようにも取り上げるべきものが無い。任務失敗。以上」
 「以上、じゃないっ!」
 間髪入れずにクルガンの突っ込みが入る。
 「そこまでが状況説明だ!そこでお前はどうしたのか説明しろ!」
 「クルガン」
 女王の穏やかな声に、クルガンはがしがしと揺さぶっていた手を止めた。
 「ガードになったばかりのダークマターに報告の仕方を教えるのは、大変良いことです。ですが、もう少し…」
 堪えきれないように、鈴を転がすような笑い声がこぼれる。
 「もう少し、優しく教えてあげなさい」
 「いや、俺は、その…」
 わたわたと言い訳するクルガンの肩が、見かけによらない膂力で掴まれた。
 「そうよ。ダークマターが困っているわ」
 ソフィアの首が愛らしく傾げられ、透き通るような声でダークマターに語りかける。
 「ねぇ、ダークマター。私たち、貴方の帰りが遅いから、それはそれは心配したのよ?」
 聖女に見つめられて、ダークマターはかすかに笑みを見せた。だがそれは、限りなく冷笑に近いものだった。
 「それは申し訳ない。俺の無力のせいで心を痛めさせたとは、遺憾の限りです、ソフィア様」
 「まぁ、ダークマター…貴方を責めているのではないわ…」
 クルガンは、この男はいけ好かない奴だが一つだけ認めてやっても良い、ほとんど魔力と言って差し支えないような『聖女の悲しそうな視線』を受けて冷淡な態度を崩さないというあたりは、などと考えていた。
 だが、ダークマターは恬淡そのものというわけではない。瞳の奥には、憎しみにも似た光が鬼火のように輝いている。
 危険な男だが…全くの無感動な奴よりは面白い。クルガンはそう結論づけて、にやりと笑った。
 その表情を見咎めたのか、ダークマターが不意に彼の方を見やった。
 「あんたも」
 「何だ?」
 「あんたも、俺を『心配』したのか」
 「あぁ。お前が、村人に無体なことをしていないかどうか、をな」
 不本意そうに眉がひそめられる。
 「それは心外だな。無力な人間を虐げて喜ぶ趣味はない」
 意外なことに、それはクルガンの心にすとんと落ちた。
 女王に翻意があるか否かはともかく、それはダークマターにとって真実なのだろう、と素直に信じられる自分に驚くほどだった。
 絶句しているクルガンを後目に、ダークマターはくるりと向き直る。
 「遅くなったのは、山に精通している者が全滅していたからだ。おかげで7頭狩るのに3日もかかってしまった」
 以上、説明終わり、と言いたげなダークマターに、当然の疑問がかけられた。
 「7頭?狩る…とは?」
 「熊を。5頭成獣、2頭幼獣。あの規模の山なら、放っておいても淘汰されたかもしれない数だったが。生態系の維持のため、一頭は見逃した。」
 何故理解できないのか?と言うように不機嫌そうな声のダークマターの肩を掴む。
 またか、とうんざりしたように振り向くのに、思わず怒鳴りつけた。
 「一人で人食い熊の縄張りに入ったのか!」
 「無論。怯えて震えている女子供を引っぱり出すわけにはいかないだろう」
 「馬鹿者!そういうときには連絡を寄越せ!そうしたら兵士を派遣してやるから!」
 「たかが熊如きで…」
 そっぽを向くダークマターを再び怒鳴りつけようとして、ガード長の忍び笑いにぎょっとする。
 「そのように怒鳴ってばかりでは、真意は伝わらぬぞ」
 「真意…俺は!ただこいつが無謀過ぎると…!」
 「7頭一度に相手にしたわけじゃない」
 「当たり前だ、馬鹿!」
 「…馬鹿?」
 「おぉ、馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!」
 ダークマターの青白い頬が僅かに紅潮した。凍り付いた湖の瞳は、爛々と輝く炎に取って代わる。
 「だから、たかが熊だと言っているだろう!」
 「その『たかが』が危ないんだろうが!野生動物の縄張りに、知識のない人間がのこのこと踏み込むなど愚の骨頂だ!」
 「知識がないのは兵士も同様だろう!それならまだしも俺一人の方がよっぽどマシだ!」
 「マシだと!?貴様、結果的に怪我一つ無かったからそういうことを言えるが…!」
 言いかけて、ふと止まり、ダークマターをじろりと睨め付ける。
 「そこまで言うからには、怪我はしていないんだろうな?」
 そこで初めてダークマターが目を逸らした。
 目線が宙を漂い、決まり悪そうに咳払いを一つ。
 「…まあ、それはともかく」
 「何が、ともかくだっ!」
 激しく突っ込みながらも、ざっとダークマターの全身を検分する。見たところ目立った怪我はないようだが…と考えて、ふと思い出す。
 この男は、神殿に住んでいたとかで、多少の僧侶魔法の心得があったはずだと。
 ソフィアが心配そうに壁から離れて手を伸ばすのに、ダークマターは制するように手を上げた。
 「いや、自分で治癒魔法を重ねがけ…」
 しまった、と唇を噛んだダークマターに、クルガンは怒鳴りつける。
 「やはり、重ねがけするほどの怪我を負ったんだろうが!」
 「……あぁ、どうせミスったよ!」
 ダークマターいきなりの逆切れ。
 「仕留めた奴を担いで帰ってる時に、2頭同時に襲われて、腹かっさばかれたよ!悪かったな!」
 細い肩が波打っている。
 悔しそうに唇を噛み締めて睨み付けているその感情は、演技ではなく本物だろう。
 こいつでも、こんなに感情を露にするのか、という驚きとともに。
 「腹、かっさばかれたって…お前なぁ…」
 こっちの背筋が寒くなるような発言に、かえって脱力する。
 「腸は洗って詰めた」
 「洗うな!」
 「洗わなきゃ不潔だろうが!」
 「そもそもはらわたが飛び出すような真似をするな、と言ってるんだっ!」
 「山の中で火炎系の魔法を使うわけにいかないだろうが!なら、剣で戦うしかないだろう!」
 それはまた壮絶な光景だろうな、とクルガンは怒鳴りあいながら想像した。
 切り裂かれた腹から腸をはみ出させながら剣で戦い、その後腸を洗って腹腔に詰める。
 生半可な精神力では出来ることではない。
 そのあたりは誉めてやっても良い。良いのだが…全然誉める気がしないのは何故だろう。
 どんっと床が振動する音で、二人は言い争いを止めた。
 苦い顔でガード長が顎を撫でている。
 「陛下の御前である。控えよ」
 慌てて口を閉じ、頭を下げつつ先ほどまでの喧嘩相手を見ると。
 いつもの青白く無表情な顔に戻っていて、いささかつまらんな、などと思った。
 「ダークマター」
 「はい、陛下」
 その機械的な応えに、女王に対する忠誠や思慕は微塵も含まれない。
 「クルガンは、貴方が無茶をする、と心配して怒っているのです。決して貴方の実力を軽んじているのではありません」
 ちらりとダークマターの視線がクルガンに走る。
 心配、と言われればそのような気もするが、そのような優しい感情ではないような気もする。
 「俺は…仮に『心配』というなら、それはあくまでこいつの行動であって、身を案じたわけではない」
 ふん、と目を逸らすダークマターに、渋々ぼそりと付け加える。
 「実力は…認めている。そう滅多なことではやられんだろうが…」
 そう、普通に平地で熊と1対1で戦ったのなら、ダークマターが手傷を負うなどとは毛ほども思わない。ただ、敵の領分で、敵の数も分からないのに一人で戦ったりするから重傷を負ったりするのだ。
 …と考えて、先ほどのダークマターのセリフを再び思い浮かべる。
 「熊を担いでいた、と言ったな。そんなことをするから、やられるんだ」
 「いくら狩人の村とはいえ、女子供が山奥に入るわけないだろう。他に誰が持って帰るんだ」
 頭悪いな、と言いたそうな口調に、またクルガン激情起爆スイッチがオンになる。ちなみに、そのスイッチの引き金は、恐ろしく軽くできているのだが。
 「持って帰る必要はないだろうが!放っておけ!死体は他の動物が始末するだろうが!」
 「もったいないだろう!肉は干せば冬場の食料になるし、毛皮は売れるし、肝は薬になるからもっと高く売れるし!」
 ダークマターの方も、先ほど言い争いしたせいで簡単に興奮してしまったようだ。クルガンに向き直って声高に主張する。
 「だからと言って、自分の命を賭けるほどのことか!」
 「俺の命は一つだが、持って帰らなきゃ村中の命が失われるかもしれなかったぞ!」
 「お前が死んでいたら、失われるのは村人+1だ!」
 「持って帰れば助かるのが分かってるのに、みすみす放置できるか!」
 「それこそ、兵士でも呼び寄せれば荷物持ちくらいにはなっただろうが!」
 「肝はすぐに傷むんだ!早く解体するために、その場で持ち帰るのが一番だ!」
 「それは、認めてやるが、そもそも、その体で熊を担いで帰ろうとするのが問題…」
 す、とダークマターの表情が変わった。興奮して朱が差していた頬が、青白く色を失う。
 「…俺の体は、多少骨格が歪んでいるかもしれないが、機能的には問題ない」
 ひどく淡々と言われた言葉に、自分がダークマターを侮辱した形になったのを知り、素直に頭を下げた。
 「すまん。そういう意味じゃなかったのだが、気分を害したのなら謝る」
 え、とダークマターは戸惑ったようにクルガンを見つめ、どこか子供のような仕草で口元に手を当てた。
 「えと…あ、その…べ、別に…」
 切れ切れに意味不明な言葉をこぼすのを遮るように、クルガンは勢いよく頭を上げた。
 「俺が言いたかったのは!貴様が身長2m体重100kgの巨漢だったら文句は言わんが、ということだ!貴様、せいぜいその半分ってところだろうが。そんな細い体で熊を担ぐから隙が出来ると…」
 「半分って何だ!俺が身長1mのドワーフ族にでも見えるのか!」
 「目方の方だっ!」
 「それに、仮に俺がドワーフだったとしても、熊を持って帰らない理由になるか!」
 「あくまで自分の非は認めないつもりか!」
 「非じゃないっ!」
 「この、頑固者っ!」
 「頑固者〜?それなら、あんたは、この…この…」
 言葉に詰まるダークマターに、背後からそっとソフィアが囁いた。
 「過保護」
 「そう!この過保護!……って、過保護…?」
 叫んでおいてから、何か違うような、と首を捻るダークマターに溜息を吐き、額を押さえながらふと周りを見回すと。
 言い争いを生暖かい目で見守られていたことに気づき、クルガンは決まり悪そうに咳払いした。
 「…失礼を」
 笑いを多分に含んだ暖かな声で、女王が柔らかく言った。
 「貴方も、ダークマターがクイーンガードとして適性が高いことは、認めますね?クルガン」
 うぐ、とくぐもった声を漏らし、半歩下がる。
 複数の瞳に見つめられ、いかにも嫌そうに低く答えた。
 「…認めます。頭の悪いやり方ですが、行動理念は崇高と認めざるを得ない」
 余分な一言が精一杯の抵抗だ。
 首を傾げたままのダークマターにも、声がかけられる。
 「ダークマター。大儀、ご苦労でした。貴方は、十二分に任務を果たしましたよ」
 納得がいかない、という顔で僅かに頭を揺らすのに、レドゥアがこれも笑いを抑えた声で説明した。
 「そなたのおかげで、一つの村が救われた。来年からは再び税も納められよう。また、女王陛下への敬意も高まったことであろう。そなたの行動は、クイーンガードとして相応しいものであった。今後も励むが良い」
 ダークマターの顔に、ちらりと別の影が走る。
 だが、一瞬でそれは消え、ただ無言で深く礼をした。
 「疲れたことでしょう。今宵はゆっくりとお休みなさい」
 微笑む女王に、低く「別に」と答えて、ダークマターはきびすを返した。
 その腕を掴み、クルガンは先ほど気づいた疑問を投げかける。
 「待て、まだ日数が合っていない。熊を退治するのに3日、体を休めたとして4日。残り3日は何をしていた?」
 「…男が、そんなに細かいことを気にするな」
 「何を!していたんだ!」
 握られた腕に不服そうな目を向け、どこかふてくされたように、
 「どうせ、あんたの気に入らない答えだ」
 「…何を、していた?」
 また怒鳴り疲れる羽目になるんだろうか、と一瞬自分を他人のような目で見つつ、クルガンは握る手に力を込めた。
 「…畑を、耕すのに1日」
 「……畑」
 「山側に防御用の柵を作るのに1日」
 「………」
 「周辺の街の酒場で、村に男手が足りないことを噂として広めるのに1日」
 「はぁ?」
 「うまく行けば、未亡人という言葉に釣られたお調子者が…」
 そこで、ごほん、というわざとらしい咳払いが聞こえ、ダークマターは鋭い一瞥を、苦虫を噛み潰したような顔のガード長に投げかけ、皮肉な笑みを浮かべた。
 「失敬。夫を亡くし悲嘆にくれた若い女性に助力を惜しまないと言う騎士道精神にあふれた若者が村に向かうのではないかと期待して」
 平板にそこまで言って、少し思案気な表情になる。
 「ただ、帰り道に考えたのだが、悪くすれば無法者が村を襲う可能性もあった。奪うような金品はないが、何分、その…女性ばかりの村なので。出来れば、兵士を確認に向かわせてくれるとありがたい」
 「分かった。兵士を遣わそう」
 ガード長の承認に、ダークマターは僅かに頬を緩めた。
 クルガンは、ようやく掴んでいた腕を放したが、額を押さえながら話す言葉はうめき声のようだった。
 「ダークマター。ガードは、雑用係ではないんだぞ?」
 「別に、ガードとしてやった訳じゃない。村唯一の労働力としてやっただけだ」
 「…貴様には、まず、他人を信用して仕事を依頼する、ということを教える必要があるな」
 はぁっと深く息を吐いて顔を上げ、ダークマターにニヤリと笑ってやった。
 「まぁ、とりあえずは無事で何よりだ。おかえり、ダークマター」
 ダークマターが、ぎょっとしたように身を震わせた。
 同時に、クルガンの体も揺れる。
 ……頭に、杖がめり込んでいたから。
 「ずるいわ、クルガン」
 小さな、歌うような声がクルガンだけに聞こえるように囁いてから、ソフィアはダークマターににっこりと笑いかけた。
 「お帰りなさい、ダークマター」
 「大儀、ご苦労でした。ダークマター」
 「うむ、よい働きであった」
 口々にかけられる声に、ダークマターの体が、いちいちびくりと震える。
 困惑を露にする姿は、彼には非常に珍しい。
 狼狽えたように、目線が左右を忙しく彷徨う。
 「あ…え…その…えと…」
 何度か言葉を探すように口が開きかけては、閉じる。湿らせるように、舌が忙しく下唇を這った。
 「ねぇ、ダークマター」
 ソフィアが、少し腰をかがめて、ダークマターの顔を下から覗き込むように見上げた。
 「こういう時はね。ただいまって言うのよ?」
 「え…あ、た、た…」
 「待て、まずは女王陛下に『ただいま無事に戻りました』だ」
 せっかく見つめられていたのを邪魔したのがお気に召さなかったのだろう。ダークマターの目が女王に向かった隙に、またソフィアの杖が頭にめり込んだ。
 「…ソフィア…」
 「ずるいわ、クルガン」
 何が、ずるいんだ!?と心の中だけで叫び、クルガンは無表情に杖を手で払った。
 「た…た、ただいま、戻りまし、た…」
 奇妙にひきつるような声でダークマターは女王に挨拶をした。体が30度ばかり斜めに傾いでいる。
 そのままふらふらと振り返るのを捕まえて、ソフィアはそれはそれは優しい表情でダークマターに教えた。
 「そして、ね?私たちには、『ただいま』よ」
 胸中では『私たち』ではなく『私』と言いたかったに違いない、と意味のない確信を持ちつつ、クルガンはダークマターに頷いて見せた。
 「た…た…」
 すっかり俯いてしまって、垂れる前髪で顔を隠しつつ、ダークマターは震える声で呟いた。
 「た…た、た、たたっただいま……」
 そして、いきなり弾かれたように顔を上げて、無言で部屋を飛び出していった。
 
 無礼を咎める暇もなく出ていったダークマターを見送って、残された4人は、何とはなしに目を見交わした。
 女王が、満足そうに微笑む。
 「やはり、悪い子ではなかったでしょう?」
 レドゥアが苦笑しながら同意する。
 ソフィアは胸の前で両手を組み合わせ、うっとりとした顔で宙を見つめて言った。
 「何て、可愛いのかしら、ダークマター…」
 成人男子に『可愛い』は無いだろう、と思いつつも、クルガンも密かに一部同意していた。
 部屋を飛び出す前のダークマターの顔は、熟したトマトもかくや、と言うくらいに、真っ赤に染まっていたのである。
 何故『ただいま』程度でそこまで照れるのかは不明だが、普段が青白く凍ったような表情なだけに、なんだかとても可愛らしく見えた。
 今日一日でずいぶんとたくさんの表情を見た、としみじみ振り返っているクルガンに、女王の柔らかな声が降った。
 「クルガン。これからもガードとしての心得を教えて上げなさい」
 そういうのは、ガード長の役目ではないだろうか、と目を上げたクルガンに、女王はにっこりと笑って見せた。
 「ダークマターは、貴方に一番心を開いているようですしね」
 ああいうのは、『心を開いている』というのだろうか。
 だが、確かに怒鳴り合いをするうちに、ダークマターの氷の鎧が剥げ落ち、むき出しの感情を見せた気がする。
 考え込むクルガンを横目に、ソフィアが懇願のポーズで女王に向かった。
 「陛下、私が…」
 「承知しました。あいつに、部下を信頼して組織する方法を教えてやることにします」
 振り向くソフィアの表情は、悲しげというより恨めしげだ。
 素知らぬふりで聖女から放たれた念波(無属性)をかわしつつも、クルガンは自分の意識が昂揚しているのを感じていた。
 「見極めてやるぞ、貴様の正体」
 





 そうしてダークマターの指導係も兼任したクルガンであったが。

 「…あんた、過保護だ」
 
 今度は本気でしみじみ言われるのは、そう遠くない未来のことであった。







うちのダークマター(SS版)さん:育ちが特殊なため歪んだ知識を持っている。
                   ゆえに、天然ボケ。基本的に属性:善らしい。
うちのクルガンさん:激しくツッコミ体質。すぐに感情的になるが、無論悪い奴ではない。意外と世話焼き。

うちのソフィアさん:…菩薩ガン様…。悲しげな顔が恨めしげに見えた途端、もう脳内で黒決定
うちのクルガンさんとダークマターさん:楽しくケンカ友達。
                        言い争いは、周囲に生暖かく見守られているらしい。

こういう話を書くのは、私だけが楽しい。…いいや、それで、もう。



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