ピースオブパズル 6




 その部屋へは、クルガンが最初に到着した。
 荘厳な両開きの扉を押し開けると、3つ目の水晶が静かに輝いていた。
 後からばらばらと入ってくる冒険者たちを、クルガンは仁王立ちで睨み付けた。
  早く
 この数年、考え続けた、渇望していた真実が、ここにはあるのだ。
 本当は、そんなに彼らが遅かったのでもないのだが、クルガンはイライラと足を踏み鳴らした。
 「はいはい。そんなに焦んないで」
 故意にかのんびりした声を出し、ダークマターは扉を閉じると、表面を軽く撫でた。
 「さっさとしろ!」
 「あのね〜。見てるときに敵に襲われると厄介でしょうが」
 呆れたような物言いで返し、ダークマターは小さく呟きながら表面をなぞり、それからゆっくりと彼らの元にやってきた。
 水晶に影が滲む。
 「もういいのかい?最後の水晶を見るんだね?」
 浮かび上がったピクシーが、くるりと回る。
 「さあ、おいで、想いの波に」


 歌が聞こえる。
 死者を悼む歌が。

  あぁ、ダークマターがよく歌ってるやつなー
  まったく、他に歌は知らんのか
  え〜?一応色々違う歌を歌ってんだよ?これでも


 青年は、鐘楼台の窓に腰掛け、外に顔を向けて、ひたすら歌っていた。
 夜の静けさを壊さぬように抑えられてはいたけれど、それでも止めることなく紡がれる。啜り泣くようなそれは、王宮を緩やかに流れていく。
 今日は、戦勝会があった。
 東の砦付近に侵攻してきた敵を、クイーンガードが鮮やかに撃退した。
 普段は陰口を叩いている貴族たちでさえ、褒め称えるを得ないほど、少ない犠牲と、少ない日数での解決であった。
 だが、それでも。
 青年は、知っていた。
 その少ない犠牲の一人一人にも夢や未来があったことを。
 だから、褒め称えられても嬉しくもない。
 もしも、指揮官が彼でなければ、生きていたかもしれないのだ。
 戦勝会の主役は、青年であった。
 だが、耐えきれずに、逃げ出した。
 青年が歌い続けているのは、鎮魂歌であった。
 せめて、安らかな眠りにつけるよう。御霊が神の御元に辿り着けるよう。
 青年は、歌うしかなかった。それより他に、この悲しみを癒す術を知らなかった。
 王宮の広間では、今も祝賀会が行われているだろう。
 ならば、その喧噪に紛れて己の歌など聞こえはしまい。
 そう思って、青年はやや声を大きくした。歌っていないと、叫んでしまいそうだった。
 ふと。鐘楼台に、別の気配が紛れ込んだ。
 その気配は、するすると上がってきて、青年のいる天辺へとやってきた。
 「おい」
 不機嫌そうな声に、青年は歌うのを止めた。
 だが、それでも窓の外を見つめている青年に、忍者はますます不機嫌そうに唸った。
 「お前以外が指揮を執っていたら、もっと犠牲者は多かったはずだ」
 青年は、答えなかった。
 「傭兵は、いつでも死を覚悟している。お前を恨む奴など、おらん」
 それでも、振り向かない青年に、何かが投げつけられた。
 咄嗟にそれを掴んだ青年は、手の中のものを見て、首を傾げた。
 「飲め」
 言われて、瓶に口を付け、直接飲み下す。
 青年は眉を顰めて、抗議するように呟いた。
 「酒だ」
 「ふん」
 忍者は、青年の手から瓶を奪い取って、自分も一口飲んだ。
 「こんなジュースみたいなもんで酔ったりするなよ」
 「…あんたと一緒にしないでくれ」
 苦笑して、青年は差し出された酒を、また一口飲んだ。
 しばらく、黙ったままで瓶から酒が減っていくだけであった。
 月が天を移動して、窓から差し込む光が無くなり、青年の顔が陰に隠れた頃。
 「自分が、死の使者になった気がする」
 青年が、独り言のように呟いた。
 「俺が棲んでたところは、死の世界で…俺のせいで、この綺麗な世界が汚れていってる気がする」
 そう言って、膝に埋めた青年の頭を、忍者はぽかりと殴った。
 「お前は、大馬鹿者だ」
 「……」
 「お前如きで、世界が変わるか。馬鹿者が」
 「……」
 「だいたい、死んだらそれで終わりじゃないんだろう。僧侶共に言わせれば、神がそいつを愛してるから手元に置きたがってるんだろう。なら、死んだ奴は今頃幸せに暮らしてるんだ」
 青年は、僅かに顔を上げて、目元を綻ばせた。
 「あんたが、神について話すなんて珍しいな」
 「ふん、俺は神なんて信じていないからな」
 傲然と言った忍者は、青年から目を逸らし、窓の外を眺めた。
 「そんな奴のことを、神が愛するはずがない。だから、俺は死なない」
 「滅茶苦茶だなぁ」
 くっくっと青年は小さく喉を鳴らした。
 そして、思い切ったように立ち上がった。
 「あんたまで抜けて来たんじゃ、長は怒ってるだろうな」
 うっと一瞬詰まった忍者は、同じく立ち上がりながら不機嫌な眉をやや下げた。
 朝には待っているだろう長の説教を思って、青年は忍者の肩を叩いた。
 「何とか俺が引き受けるから、あんたは上手く逃げてくれ」
 「逃げる、だと?」
 どんなものからでも『逃げる』のが嫌いな忍者は、ぴくんっと顔をひきつらせた。
 「あんたが前面に立ってくれるって言うんなら、それはそれで構わないが?」
 「…それも、勘弁してくれ」
 うんざりとした調子の忍者に少し笑って、青年は鐘楼台から降りるべく、踏み出した。

  結局、お前が逃げやがったがな…
  逃げたんじゃないやい。部下の家族に見舞金を届けに行っただけじゃんか
  …夜も明けないうちにか?


 青年は、心から女王に忠誠を誓い、クイーンガードとしての任務をこなしていた。
 だが、そうして任を果たし女王にお褒めの言葉を頂くほど。周囲の人間に認められて頼りにされるほど。
 青年の心は蝕まれていった。
 己を暗殺者と思い、影に潜んでいる時には感じなかったのに、己をクイーンガードと認めると、自身の闇に耐えられなくなった。
 自分が、この綺麗な世界に影を落としている。
 そんな風に感じられて仕方がなかった。
 特に、女王や女僧侶のように、手放しで信用してくる相手と共にいるのは落ち着かなかった。
 だって、本当は。
 本当は、青年は暗殺者であったのだから。
 現在はともかく、暗殺目的でクイーンガードとなったのは確かなのだから。
 いくら塗り潰したくとも、過去は厳然としてそこにある。
 だから、自らを偽っていた時には見返すことが出来た女王の目を、見ることが出来なくなっていた。
 女王の剣となり、盾となる。
 その志に変わりはなかったけれど、時に、そこに存在することがひどく苦痛であった。
 それに。
 生きていくためだ、と全く何も感じていなかったはずの過去の殺人が思い返される。
 彼の暗殺の技術を磨くためだけに地下神殿に連れてこられた人たち。
 部下たちと違い、彼らのことは何も知らない。名も、家も、家族がいたのかも何も知らない。
 青年には、彼らに報いる術が無かった。謝罪の途すら無かった。
 ただ、鎮魂歌を歌うしかなかった。
 光の世界に馴染めば馴染むほど、己の影が濃くなっていく。
  己は、ここに存在するべき者ではないのだ。
 己を嘖む意識は、クイーンガードとなった当初より、ますます強くなったかもしれない。
 そんな中で。
 まだ忍者は青年を疑っていた。
 青年の暗殺の技や、どこか非常識なところや、それから女王に対するぎこちない態度や。
 そんな様々な事柄から、青年に完全には心を許していなかった。
 おかしな話だが、青年にはそれが心地よかった。
 女王や女僧侶のように、まるで青年が光の側の人間であると完璧に信じ込んだ態度をされるより、青年の闇を認めつつそこにいるのを許してくれているようで安心した。無論、忍者にそんなつもりはなかっただろうけど。
 だから青年は、故意に疑われそうな欠片をこぼすことさえあった。
 逆説的だが、もしも、誰もに完全に信じられていたら、むしろ青年はそこに存在できなかったかもしれない。

  (……恥だ……)
  くちおしや〜くちおしや〜
  うふふ…うふふふふ…
  …ルイ姐さん、妖しげな笑いは止めろよ〜
  お前がそんな風に考えていたとはな。このひねくれもんが
  そういうのとはちょっと違う気がするんだけどいやだわこの人単純な考え方するんだもの
  (そういう奴だから一緒にいて落ち着……無し!今の無し!考えるな、俺のアホ〜!)


 青年は、王宮にいるのは落ち着かなかった。
 だから、女王の身辺警護の任を受けている時以外は、城から離れていることが多かった。
 そんな中で気に入っている風景があった。
 城から少し離れた小高い丘の上。
 そこからは、ドゥーハン市街を見下ろすことが出来た。
 城を中心としたその光景を見るのが好きだった。もちろんそこに存在する人間を個体識別出来る距離ではなかったが、見えないけれど確かに存在する人たちを含めて眺めているのが好きだった。
 女王や女僧侶。
 ガード長や忍者。
 それに、青年の部下の傭兵たちや、忍者兵、魔導兵、僧兵たち。
 城下に住んでいる多数の一般の人たち。
 『自分の含まれていない』綺麗な世界の人たちを眺めているのが好きだった。
 自分がそこにいるのは耐えられないけれど、この綺麗な世界を守るためなら、もう少し頑張ってみよう、と思えるのだった。
 
 ある日、いつものように眺めていると、声がかけられた。
 「貴方は、ここが好きね。何を見ているのかしら?」
 女僧侶が現れると、それだけで暖かな日差しを感じるような気がした。
 だが、彼女は綺麗な世界の象徴のような気がして、目の前にいると落ち着かなくなるのだった。

  だから…お前は女というものに幻想を持ちすぎだと言うのに。はっきり言って、あいつは普通にがさつな性の良い女だったぞ

 青年は、返答に困った。
 人を、と答えたくても、ここから人を個体識別できないことは、彼自身よく知っていた。だから、ただ黙ってそこから見ていた。
 彼女も、青年に並んで一緒にそちらを眺めた。
 しばらくして。
 「私、任務に出るの」
 珍しい、と青年は思った。
 クイーンガードは女王を守る存在だったが、同時に軍を動かす権限すら持っていた。だが、城外に任務に出るのは比較的稀であった。何せ4人しかいないのだ。一人いないと、途端に陛下付き任務のローテーションがきつくなる。
 ちょうど貴族間の抗争があったり、騎士団長の代替わりがあったりして手が足りない時であったから、青年が軍を率いたり、忍者が短期間で周辺の村へ出張することはあったが、女僧侶が城を離れるのは滅多にないことだった。
 「辺境の村にね、不死者が大量に出たらしいの。100体くらい。まあ、よくあることなんだけど…」
 …よくあるのか?…と青年は思った。
 「陛下は事態を重く見ていらしてて、このドゥーハンという国を揺るがす事件と判断なされたの。だから、私が行くことになった」
 不死者の群。
 国を揺るがす大事件。
 青年は、司教を連想した。何故か、今まで司教からは全く何の反応もない。青年が裏切ったことくらい、すでに知れているだろうに。
 だが同時に、司教が城内に直接手を出せないことも知っていた。そこには強力な魔法結界が張られていて、『そこから出ない限りは』女王の身は安全なはずだった。
 だからこそ、青年のように暗殺者を子供から育てるという遠大な計画に頼ったのだろうが。
 「陛下のご慧眼には感服するばかりだ」
 青年は呟いた。
 もし司教が本格的に動き出したのだとすれば。
 確かに、その事件は辺境で起きた『よくあること』かも知れないが、ドゥーハンを揺るがす大異変の前触れであるかもしれないのだ。
 青年はふと気づいて、彼女を見た。
 「うちの傭兵も必要か?」
 彼女がわざわざ青年に伝えに来た意図が不明だったので、彼はそう聞いてみた。

  に…鈍すぎだ…(がっくり)
  あ〜可哀想〜癒し手さま〜
  え?な、何が?


 「いいえ」
 彼女は首を振った。
 「秘密裏に片づける必要があるの。だから、行くのは私一人よ」
 供も無しに不死者100人に亡者消滅…多分、それ自体は彼女は得意だろう。
 だが、もし司教が関係しているとすれば。
 「その…俺も行こうか?少なくとも、秘密裏に、と言う条件は満たせると思うが…」
 「あら、心配してくれるの?」
 彼女の顔は、これ以上もなく輝いた。その嬉しそうな顔のまま、彼女は言った。
 「大丈夫よ。陛下が私を信頼して命を下さったのだもの。私は、それを誇りに思うし、それに応えたい」
 「信…頼」
 内心、顔を顰めて、青年は呟いた。女王の信頼は重い。成し遂げなくてはならない、と必死に応えたくなる。
 彼女自身が果たせると判断したのだから、彼が口を出すべきでは無いのだろうが。
 だけど。
 もし、司教が関係しているのなら。
 それは、ただの不死者100人切りとは、異なる内容となるはずだ。
 だが、どう説明する?
 司教について説明するなら、彼自身が暗殺者として育てられたことから話さなくてはならない。
 この輝くような笑顔を、もう見られないかも知れない。

  いててててててっ!ちょっ…何だよ、こりゃ!
  胸が引き裂かれそう…!
  (言えば、良かった…)
  ダークマター、これは、お前の『今の』想いか!?
  (言えば、良かったんだ…結局のところ、俺は自分の保身のために言わなかったんだ…!言えば、良かったんだ…言えば……!!)
  ダークマター!落ち着け!そっちの波に流されそうだ!
  (言えば…一言、伝えれば、こんなことには……!)
  ダークマター!落ち着けと言っとるだろうが、この大馬鹿者!(がつっ!)
  ……意識体で殴る、というのは、認めたくはないが、ちょっと凄いな
  あぁ…さすがはクイーンガードだぜ
  それ、割と関係ないんじゃないかしら
  …………
  落ち着いたか?この馬鹿者が
  悪い……多分、もう一回来るから、また殴って


 小高い丘から駆けて行こうとする彼女に、青年は咄嗟に声をかけた。
 「ソフィア!」
 彼女は嬉しそうに振り返った。
 「初めて名前を呼んでくれたわね。なんだか照れくさいな」
 輝く顔。
 晴れ渡った雲一つ無い青空のような、澄み切った笑顔。
 彼女に何を言える?
 下水の水を啜り、他人を殺して暗殺の技を磨いた彼が、何を言える?
 「…気を…付けて…」
 それだけ、絞り出すように言った。
 彼女は幸せそうに微笑んだ。
 「帰ってくるわ。貴方とまた、この景色を見たいもの」
 彼女は帰ってこられるだろうか?
 青年は首を振った。
  帰って来るに決まっている。
  だって、今まで司教は何も仕掛けてこなかった。
  不死者の群が出るのは『よくあること』らしいじゃないか。司教じゃない。あの人は、あそこから出てこない。
  きっと、無事に帰ってくる。
  そうに決まっている。

 じくり、と胸が痛んだ。
 大声で、叫びだしたい気分だった。

  えー…これは告白に見えるんだけどよ…
  何の?俺は結局ソフィアに何も言わなかったよ?
  いや、そっちじゃなくて、そのー
  癒し手様って結構積極的な方だったのね何だか親近感湧いちゃう
  …結局、通じていないようだがな
  だから、何がだよ
  ソフィア…もっとがんがん行っても大丈夫だったみたいだぞ…今更遅いが


 数日後。
 青年は、女王に呼ばれた。
 「貴方の最近の働きは目覚ましい。あのあまり他人を誉めないレドゥアが賞賛を口にするほどです」
 青年は、ただ膝を折った。
 こうして手放しで褒められるのには、どうにも慣れなかった。恥ずかしくて顔が上げられないのだ。
 「貴方に、これを」
 女王は傍らのテーブルから包みを取り、青年に差し出した。
 戸惑いながらも受け取った青年は、布を解き、それが一振りの剣であることに気づいた。
 「代々クイーンガードに受け継がれている剣です。今の貴方ならこれに相応しい」
 一瞬、どう答えて良いのか分からなかった。
 確かに、魔術師である長や、僧侶、忍者には扱えない武器だろう。だが、青年は自分の筋力の限界を知っていた。だから刀と呼ばれる斬撃ではなく切断目的の鋭い刃を持つ武器を選んでいるのだ。この剣は、軽くはあったが、彼には扱いにくい形状をしていた。
 だが、これは象徴なのだろう。
 青年が忠誠心高きクイーンガードであるという。
 未だ聞こえる『どこの馬の骨とも分からぬ者』だの『女王の哀れみで引き立てられた不具者』だのといった声を封じる目的もあるのだろう。
 青年は女王の心遣いに感謝し、深く身を折って感謝の意を示した。
 だが。
 次の瞬間。
 ざわり、と背筋が総毛立った。
 「己の命を狙う者に、その剣を渡すか、女王よ」
 この声を知っている。忘れるはずもない。
 青年は剣を手に、女王を背に庇った。
 目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
 司教が来るはずがない。この魔法結界の内部には入れないはずだ。
 青年の考え通り、司教はそこには現れなかった。だが、ゆらゆらと揺れる虚像だけがそこに浮かんだ。
 凶々しく顔を歪めた司教と、それから。
 「ソフィア!」
 辺境の村に出たはずの女僧侶がそこに浮かんでいた。硬直した様子から見て、魔法で縛られているのだろう。
 「弱みは作るな、と、教えたはずだぞ。我が道具よ」
 青年の体が強張った。弱み、と言われた。それは、彼女が青年のせいで囚われたことを意味した。
 「任を果たせ、我が道具よ。さもなくば」
 彼女の体を、目には見えないロープが締め上げる。苦悶の表情で身を捩る彼女の姿に、青年は「止めろ!」と叫んだ。
 「女王を殺せ、ダークマター。この娘と、女王。どちらを選ぶのか、よく考えることだな」
 そう言い残して、虚像は途切れた。
 魔法障壁を虚像とはいえ突き抜けてきたのだ。さぞかし魔力を消費したに違いない。
 だとしたら。
 司教が魔力を消費したなら。
 回復するより前に、決着をつけるのが利口だ。
 青年は、女王に一礼した。
 「陛下は、ここでお待ち下さい」
 この結界の中でいる限り、女王に手を出すことは出来ないはずだ。
 「必ず、ソフィアを取り戻してきます。…処罰については、その後受けさせて頂きます」
 女王の言葉を待たずに、青年はそこを辞去した。
  早く、行かなくてはならない
  女王を守り、彼女を無事に帰さなくてはならない
  そのためには…

 青年の脳裏に、ちらりと忍者の顔が過ぎった。
 
  何だ、これは!?城内で起きたことを、この俺が気づかなかっただと!?
  (…嗚呼…)
  お前が、陛下をお呼びするために、ソフィアをさらったのでは無かったのか!?
  (…嗚呼…嗚呼…嗚呼…)
  うわっ!また来たっ!
  痛い…痛いってば、ダークマター!
  (…言えば…良かったのに…)
  これは…先ほどよりも、もっときついな
  (言えば…全てをさらけ出して、助力を乞うていれば…あんな風にはならなかったかもしれないのに!少なくとも、陛下を城内にお留めすることは可能だったのに…!)
  …ダークマター!
  (言えば、良かったのに…クルガンに、全て話していたら…!)
  もう一回、殴るぞ!(がつっ!)
  …………
  お前の…せいじゃ、ないだろう

 青年は、忍者の顔を思い浮かべた。
 長も、忍者も城内にいる。二人に事情を説明して、陛下の警護を増して、それから忍者と一緒に地下神殿に行けば、奪還確率は上がるはず。
  だけど
  もし、信じてくれなかったら?

 青年の歩みが弱まった。
 これまで、故意に忍者に疑われるのを放置していた。
 彼女のことを説明するには、地下神殿のこと、司教のこと、そして、自分のことを説明しなくてはならない。
  彼は、信じてくれるだろうか
  本当に暗殺者であったという確固たる事実を前に、彼はそれでも己を信じてくれるだろうか

 歩みが、完全に止まった。
  もし、信じてくれなかったら
   信じてくれるまで説得する時間はない

 それが、自分に対する言い訳であることも、同時に知っていた。

  もし、信じてくれなかったら
   完全に見限られたら
     また、捨てられたら

 
 だから、青年は、一人で地下神殿に向かった。

  (ああああああああああああああああ!!)
  落ち着けっと、言って、るんだっっ!(がつっ!)
  (ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ…)

  

 幼少時から育ったそこは、綺麗な世界を見た後では、ひどく薄暗く凶々しい場所だった。
 迷うことなく祭壇に向かった青年は、そこに育ての親と、女僧侶を見つける。
 「それでは、この女を見捨てるというのだな、我が道具よ」
 「…ソフィアは、渡さない。陛下も、渡さない」
 青年は、剣を抜いた。
 「お待ちなさい!」
 地下神殿に、凛とした声が響いた。
 司教が、にやりと笑う。
 青年は振り向けなかった。代わりに、背筋をどっと汗が流れた。
 「これはこれは。道具の代わりに命を差し出すと言われるのですな、女王陛下」
 「お黙りなさい!下郎に渡す命はありません!わたくしはわたくしのガードのために来たのです!」
 「へい…か」
 あそこなら、安全なはずだった。
 魔法結界に守られた城内なら安全なはずだった。
 その安全な場所から出てくるなんて、思ってもみなかった。
 だが、女王は昂然と頭をもたげ、青年に微笑んで見せた。
 「以前言ったでしょう?わたくしは、わたくしのガードのために、命を賭ける、と。さあ、ダークマター。ソフィアを連れて、皆無事に帰りましょう」
 「はい、陛下」
 それは、女王らしい命令だった。
 女王は、完全に青年のことも、女僧侶のことも信頼しているのだ。
 …誰のことも、信頼出来ない、青年とは違って。
 頭を振って埒もない考えを追い出し、青年は剣を構えた。

 司教と、女王の魔力がぶつかる。
 周囲には司教が召喚した不死者たちが彼らを襲う。
 一瞬の隙を突き、ソフィアを取り戻すが、同時に左腕に怪我を負う。
 クイーンガードの剣は、見た目の割には軽くて、何とか右腕だけでも扱うことが出来た。
 青年は、司教から放たれた魔力をその身に受け、背後を振り向き、女王を襲うシェイドを斬り捨てた。
 シェイドが消滅した瞬間。
 「何をしている、ダークマター!」
 青年の体が、ぎくり、と強張った。
 数人の騎士と忍者兵を連れた男が、礼拝堂の崩れた入り口から姿を現す。
  見られた
 この場にいることを。
 司教と対峙しているところを。
 動けなかったのは、ほんの一瞬。
 だが、その間に、司教が勝利を確信した叫びを上げた。
 「時間稼ぎ、ご苦労、我が道具よ!儀式に必要な魔力は練り上がったわ!」
 青年は、振り返る。
 そして、司教の手に浮かぶ、光の球を見た。
 「駄目ぇっ!」
 女僧侶が、駆け出し、彼らの前に手を広げた。

 白い光

 体と魂が引き剥がされるような衝撃

 青年は、最後の力を振り絞って、剣を投げた。



 不意に、体に重力が戻った。
 冒険者たちは、呆然とそこに座り込んでいた。
 「馬鹿な…今まで、俺は…」
 いつもならすぐに立ち直るクルガンでさえ、虚ろに呟くばかりだ。
 彼の目には、ダークマターが女王に斬り掛かっているように見えた。
 それに、司教のセリフからすると、ダークマターが奴の手駒であることは明白であった。
 だが、事実は。
 ダークマターに謝らなくては、とクルガンは周囲を見回した。
 そして、目的の相手が、紙のような顔色をしているのに気づいた。
 真っ白な顔には、表情が全く無い。
 淡い水色の瞳には、瞳孔が拡がって焦点が合っていない。
 「ダークマター?」
 「行かなきゃ」
 ぽつん、と呟かれた。
 音もなく立ち上がり、ふらりと歩き出す。
 「まだ、終わっていない。だって、俺の知りたいことは、まだ映されていない」
 ぼんやりと吐かれた言葉に、ピクシーがきゃはは、と笑った。
 「もうおしまいだよ?他に水晶は無い。これでおしまい」
 哄笑が聞こえているのかいないのか、ダークマターの虚ろな視線が水晶に向かうことは無かった。
 「行かなきゃ…何故、俺はエルフなのか…俺を生み出した、あいつの考えを…!」
 いきなり、ダークマターが駆け出した。
 「ちょっと、待て!」
 クルガンと、それから一歩遅れて冒険者たちも後を追う。
 その部屋を出ると、そこは崩れた柱が散乱する広間だった。
 魔物の影も迫ってくる。
 だが、まるでそれが目に入っていないかのように、ダークマターは一人で走っていく。
 「待てと言ってるんだ、この馬鹿!」
 怒号と共に速度を上げたクルガンの気配に気づいたのか、ダークマターもまた速度を速めた。
 狂喜の叫びを上げるレイバーロードの剣をくぐり抜け、レッサーデーモンの魔法をかいくぐり。
 クルガンもまた同様に駆けていく。
 背後では、4人の冒険者たちが魔物の襲撃を食らっていたが、その声を聞いてもダークマターの速度は落ちない。
 舌打ちして、クルガンは一瞬背後を振り返ったが、あの程度の敵なら大丈夫だろうと踏んで追いかける方に専念した。
 崩れきった広間の、一段とえぐれた場所に近づいて。
 奥に階段が見えて、クルガンは焦った。一人で階下に降りることは阻止しなければならない。
 そこに。
 ぼんやりと、何かの影が浮かんだ。
 途端に、ダークマターが歩みを止めた。
 刺激しないように気配を絶って、そっと忍び寄り、そしてクルガンも認めた。
 そこに浮かんでいるのは。

 「ダークマター」
 優しい、春の日差しのような声。
 「貴方が思い出してくれたから、私は姿を見せることが出来た。見守るしか出来ないのは、辛かったわ」
 悲しそうに、だが柔らかく包み込むような微笑みを浮かべ、聖なる癒し手は手を差し延べた。
 その手が、触れることの出来ない手が、ダークマターの頬を包んだ。
 「あんたは、知ってるのか?俺が、誰なのか」
 真っ白い顔色のまま、ダークマターは虚ろな視線を彼女に向けた。
 「知っているわ…彼はもう、私の姿は見えない…」
 ゆっくりと首を振る彼女に、ダークマターは一言「そう」と答えた。
 意味が分からない会話に、クルガンはイライラしたが、その場の空気を壊すのは躊躇われて、ただ見守っていた。
 開ききった瞳孔が、僅かに小さくなった。
 首を傾げて、子供のような口調でダークマターは問うた。
 「あんたさ、ダークマターのことが好きだったの?」
 「えぇ、大好きだったわ」
 間髪入れずに返った言葉に、もう一度「そう」と気のない返事を返した。
 仲間たちもその場に追いついた。だが、やはり黙って彼らを見守っている。
 「だけどさ、『あの男』はあんたを特に好きだったんじゃないみたいだね。陛下もあんたもクルガンも長も、全部引っくるめて『好き』。しかも、あんたと陛下は死んじゃったから、罪悪感を感じて何とか助けなきゃって感じてるのは、むしろクルガンに対しての方が大きいみたいだ」
 淡々と語られるそれに、ソフィアは幾分悲しそうに耳を下向けた。
 「そうね…あの人らしいわ…いつでも、自分のことを責めていて…」
 そっと閉じられた瞼が震える。
 次に開けられたときには、その瞳には決然とした光が輝いていた。
 「ダークマター。まだあの凶つ神は復活していない。だけど、尊き魂を中心に、ドゥーハン国民の魂を取り込んで、間もなく完全に力を得てしまう」
 「尊き魂!?まさか、それは…!」
 思わず割り込んだクルガンに頷いて、ソフィアはダークマターの頬を撫でた。
 「えぇ、陛下の魂よ。まだ抵抗していらっしゃるけど、もうじき…」
 「分かってるよ」
 投げ捨てるように、ダークマターは肩を竦めた。
 「分かってるよ。陛下の魂を救えって言うんだろ?そんなことは言われるまでもなく、やりますよ。だって、俺はそのために、そのためだけに造られたんだし」
 そうして、けらけらと笑い声を上げた。
 「迷惑な話だよねぇ!自分では成し遂げられないからって、こんな不完全なもの造って、押しつけるなんてさ!」
 けらけらと、笑う。
 目は虚ろのまま、顔の下半分だけが笑う。
 そうして、嘘のようにぴたりと笑い声を止めて、ソフィアを見上げた。
 「あんたにも、謝らなきゃ」
 「謝るのは、私の方だわ…私が捕まりさえしなければ…!」
 「予測してて、言わなかったあいつが悪い」
 クルガンは、眉を顰めた。
 先ほどから、会話がおかしい。
 まるで他人事のような言い方。
 だが、水晶での感情の振れを見れば、エルフではあるがこいつがダークマターであるのは間違いないのに。
 「ねぇ、あいつはどこにいるの?」
 お強請りする子供のように、ダークマターは上目遣いで彼女を見た。
 「知ってるなら、教えて。あいつは、今、どこに?」
 そのとき、ソフィアの体が一瞬ぶれた。
 「私も…もう駄目ね…何とか貴方に会うまではって頑張ってきたけど…」
 呟いて、ソフィアは背後の階段を差した。
 「あの人は、下にいるわ。もう、この世界では、姿を保つことすら出来ないの……クルガン!止めてっっ!!」
 悲鳴が貫く前に、クルガンは動き出していた。
 どうにか、階段に踏み出す手前でダークマターの手を捕らえて引きずり戻すことに成功する。
 「行かなきゃ…」
 呟いて、身藻掻くダークマターの瞳には、誰も映っていない。
 宙に浮くソフィアも、自分を押さえつけているクルガンも、そして心配そうに見守っている仲間の姿も。
 「確かめなきゃ…俺の…」
 見ているのは、ただ一人。
 白く抜けたばさばさの髪と、土気色の肌をした、骨格の歪んだ剣士。
 行かなきゃ、と繰り返して、ダークマターは階段に手を伸ばした。
 それを全力で押さえ込んでいるクルガンの前に、ソフィアがふわりと舞い降りた。
 「貴方って、本当に良いところばかり取っていくんだもの。嫌いよ」
 拗ねたような言い方に、涙が出るほど懐かしい気がしたが、クルガンは何も言わずに元同僚を見返した。
 「ねぇ、クルガン。陛下をお願いね。それから…ダークマターのことも」
 「…当たり前だ」
 その力強い返答に、ソフィアは軽く笑って、それからダークマターを見つめた。
 「微力だけど…私に残された力を全て貴方に託すわ…」
 ふわり
 影が、薄くなった。
 代わりに現れた小さな金色の光が、ダークマターの胸に飛び込む。
 「きゃうん!」
 途端、石をぶつけられた子犬のような声を上げて、ダークマターの体から力が抜けた。
 「おい?」
 クルガンが軽く頬を叩いたが、意識を取り戻す気配はない。
 さて、どうするか、とそれを抱き起こしたクルガンは、周囲を冒険者が取り囲んでいるのに気づいた。
 黒衣の忍者が、憤然と主君の体を取り返し、抱きかかえる。
 「いったん、帰った方が良いだろうな。そいつにとっても刺激が強すぎたんだろう」
 クルガンは立ち上がってダークマターの顔を覗き込もうとしたが、黒衣の忍者がふいっと後ろを向いたためそれは叶わなかった。
 「ま、なんつーか」
 リカルドが頭をがりがりと掻いて、考えながら言った。
 「事態が急を要してるってのは分かってるんだが、ちょいと休息期間を置いた方がいいんじゃねーか?少なくとも、ダークマターが落ち着くくらいには」
 仲間に賛同を求めて見回せば、皆、頷いた。
 「赤の他人の私たちだって見ててすっごく疲れたんだもの当事者の衝撃は計り知れないわよねしかもこのことを覚えてなかったところにあんなことがあったんじゃ…」
 「大丈夫よ。ちょっと混乱してるみたいだけど、きっとすぐに元通りになるわ」
 自分に言い聞かせるようなルイの言葉に、クルガンは唇を歪めた。
 「だと、良いがな」
 冒険者たちは、抱きかかえられたダークマターの体を中心に集まった。
 そして、ルイが呪文を唱えた。
 「リープ!」
 
 そして、後には。
 「…置いていくか、貴様ら…」
 ただ、そう呟くしかないクルガンが立っていた。

 
 ちなみに。
 クルガンが宿屋に辿り着いたのは、すでに夜も更けきった頃であった。
 当然、冒険者たちは寝入った後。
 クルガンが合流できたのは、結局昼近くになってからのことであった。



どうでもいい話ですが、作中女の子の骨は私が高校の時に友人触って感じた感想。
「こ、これが女の子の骨格か〜!」…いや、俺様も女ではあるが、普通に骨太。
女の子って華奢だなぁ、骨は細いし折れそうじゃん!って感じで衝撃的でした。

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