ピースオブパズル 3
「はい、ここでワープね。はぐれないように」
小さな見落としそうな通路の扉をくぐったダークマターは、背後の仲間を振り向きもせずに注意した。
そして、躊躇いなく緑色に輝く魔法陣に足を踏み入れる。
僅かな浮遊感の後、現れた異なる通路から出て、眉を顰めた。
それまで喋る以外は間断なく綴られていた歌が止まる。
「どうかしたか?」
リカルドの問いに、首を傾げ、耳を澄ます動作をした。そして、ゆっくり首を振る。
「駄目だ、召喚コードが変更されてる。ここから先は、盟約者パスワードが通じない」
少しずつ混じる理解できない単語にリカルドも首を傾げた。
だが、すぐに周囲にひたひたと迫る敵意に、何となく内容が推測できた。
「要するに、こっから先は敵と戦えってんだろ?退屈してたんだ、ちょうど良いだろ」
騎士に転職しても、軽い調子は変わらない。けろっとした調子でリカルドは腰の大剣に手をやった。
「ま、そんなとこです」
同じく苦笑して腰の刀に手をかけたダークマターは、するりと角を曲がった。
途端、通路の半ばに複数の影が出現する。
赤い肌の悪魔は、げらげら笑いながら足を踏み鳴らした。
「召喚者の道具だぜっ」
「道具っ道具っ大事なお道具っ!」
「かーわいそうに、召還コードは通じないっ」
「通じないったら通じないっ♪」
喉を反らせて高笑を上げる赤い悪魔の喉が、ぱっくりと裂けた。
「…そーやって足並み揃えない人はいるし」
最後尾からいきなり飛び出した忍者兵筆頭の姿に溜息を吐いて、ダークマターは手早く仲間に指示を与えた。
レッサーデーモンが5体。
だが、魔法を唱えようと動きを止めれば手裏剣とナイフが突き刺さる。
肉弾戦となれば、身軽く避け続ける忍者と侍に、がちがちにフルプレートを着込んだ騎士となれば、ほとんどダメージは与えられない。
げらげら笑いながら人間を見下していたレッサーデーモンが自分たちの過ちに気づいたときには、時すでに遅く、大勢は決まっていた。
次々に膝を突き断末魔の雄叫びを上げて、赤い肌の悪魔は消滅した。
何事もなかったかのように歩き出すダークマターと仲間たちをやり過ごして、クルガンは最後尾に付いた。
「…道具、か」
独り言のように呟いたそれを聞き咎めて、ダークマターは振り返った。だが、何も言わずに水色の瞳を細めただけでまた向き直った。
クルガンにとって、『道具』という単語はある光景を思い出させる。忘れたこともない、あの時の。
「時間稼ぎ、ご苦労、我が道具よ!」
閃光の張本人である年老いた司教が、ダークマターに向けて叫んだ言葉。
それは、ダークマターが裏切り者である証拠の一つであった。
もしも、レッサーデーモンが言う『召喚者の道具』が、同じ意味を持っているとしたら。
先ほどから何度も出てくる『召喚者』あるいは『盟約者』とは、あの老司教を意味するということで。
だとしたら。
その盟約者を知り、それが召喚した魔物が襲いかかってくるのを防ぐ術を知っているダークマターは、やはり。
僅かに体から漏れ出た殺気に、黒衣の忍者が振り返り鋭く睨んだ。ダークマターの背を庇うような位置に立ち、指に苦無を挟む。
「いいから」
淡々と告げて、変わらず歩くダークマターに、グレッグは微妙に唇を歪めて苦無を収めた。しかし、位置は変えず、クルガンからダークマターへの射線を完全に断つ。
「クルガン。あんたも他人に察知されるような殺気を出してんじゃないの」
面倒くさそうな投げやりな言い方に、クルガンは肩を竦め、気配を絶った。
何度か敵に遭遇しながらも、彼らはある扉に辿り着いた。
他とは異なる、どこか傲慢に睥睨しているような扉。
その表面を、ダークマターが手早く撫でる。
「…解除されてる。高レベルの魔術師…長かな?」
呟いて、無造作に扉を押した。
密閉された空間特有の黴臭いような空気に、サラが咳き込んだ。慌ててハンカチを出して口を押さえる。
部屋の中心で目が痛いほど輝いている水晶には目をくれず、ダークマターは奥の壁に進んだ。そして、壁の一部を一定のリズムで叩く。
突如、壁が重い音を立てて開いた。
更に黴臭いような埃っぽい空気が流れ出る。
彼らの目に映ったのは、壁中を天井まで埋め尽くした本の山。ほとんどが整然と並んでいるが、ところどころ抜けていて、床に乱雑に散らばったものもある。
「ここまでは、気づかれなかったか…」
安堵したような溜息を吐いて、ダークマターは一冊の本を取り上げた。古びて崩れそうなそれを無造作にぱらぱらとめくる。
一瞬だけ唇を噛み、すぐにそれを本棚に戻し、仲間の元に戻った。
仲間たちは、輝く水晶を囲んでいた。本より何より、それがあまりにも部屋とは異質であったから、気になって目を離せないのだ。
ダークマターが歩み寄ると同時に、水晶の表面に滲むような影が現れた。
それは見る間に浮き上がり、一体のピクシーの姿となった。
「これは、想いの結晶。魔力の媒体として作られたものだけど、神殿がここに移動しても、まだここにある。そのうち、強い思いが宿るようになった。あんた達も、これに触れに来たの?」
嘲笑めいた甲高い声でピクシーは問いかける。
彼らは一斉にリーダーを見た。
だが、ダークマターの視点は遠い。独り言のような単語が漏れる。
「強大な精神エネルギーが魔力媒体に焼き付いた…とすれば、この結晶の源は……」
ふと、初めて周囲に仲間がいるのに気づいた、と言った風に顔を上げ、各自の顔を見渡す。
「見て、面白いものじゃないと思うけど。それでも、見る?」
感情の籠もらない問いかけに、リカルドは大げさに肩をすくめた。
「リーダーの仰せのままに」
グレッグも軽く一礼した。
「同じく。主君の命のままに」
サラが首を傾げながらもまくし立てた。
「面白いかどうかなんて見てみないと分からないし見ないとずっと後悔するんじゃないかと思うのよね何があったんだろうってそりゃ誰かが見て説明して貰うのでも良いんだけど百聞は一見にしかずっていうじゃない?」
ルイが簡潔にまとめた。
「要するに、皆、見てみたいってことよね」
最後にクルガンがイライラした調子で吐き捨てた。
「見るために来たんだろうが。さっさと見れば良いだろう」
彼らの言葉をくるくる回りながら聞いていたピクシーが、あはは、と笑った。
「言っとくけど、よほど強い思いを持っていないと、見ても帰って来れないよ?皆、想いの波にさらわれてしまった。帰ってきたのは目の鋭い人間のじーさんだけ」
「長か!」
クルガンの顔が厳しくなる。それでも促すように視線を寄越す律儀さに、ダークマターはかすかに笑った。
そして、一歩下がる。
「じゃ、皆、見てきて」
一瞬、ぽかん、と皆の口が開く。
「はぁ?」
「あら貴方は興味無いの?」
「…臆したか!」
仲間の方は見ず、ダークマターは水晶の表面を撫でた。淡い水色の瞳に、瞳孔が拡がる。白目に黒い深淵のみが覗くような奇妙な目で、彼は水晶を通して何かを見つめていた。
「俺は、知ってるから。これに触れて、見えるものを知っているから」
相変わらず焦点の合わない瞳で背後を振り返る。
「あんた達が見ている間に、俺にはやるべきことがある」
本の山を見つめて、風が吹き渡るような声で呟いた。
「あんた達にあの中身は理解できない。時間短縮のために、あんた達はこれを見る、俺はあれを見る、それが手っ取り早いと思う」
それは淡々としていて、決して命令ではなかったけれど、彼らはダークマターがそう言いだしたなら意を曲げることはない、と知っていた。
「んじゃま、リーダー抜きで見るとしますかね」
「それが主君の命なら、従うのみだ」
「土産話を楽しみにしてて」
「戻ってこれなさそうだったら、呼んでね。期待してるわ」
口々に言って水晶を取り囲む仲間を虚ろに見て、それからぶすっとした表情で立っているクルガンに目を移す。
「俺としては、お前を単独行動させるのは嫌なんだが」
獣が唸るような声で低く言い、だがクルガンも水晶の前に進んだ。
「戻ってきたとき、お前がいなかったら…殺すぞ」
「そういうことは、戻ってきてから言うんだね」
素っ気なく言い捨てて、ダークマターは本棚へと向かった。
振り向きもせずに進む姿を見送って、残りの冒険者たちはそっと水晶に手を翳した。
彼らが見たものは、ある信仰篤い司教の記憶。
ドゥーハン一の司教と讃えられながら、信心深い者を救えない悲しみと憤りに、打ちひしがれていく一人の人間の物語。
何故。
何故、神は我らを救って下さらぬのか。
神の存在を疑った時点で、僧侶は信仰の道を外れる。
ドゥーハン一と謳われた司教は、徐々に自身の信仰を信じられなくなってきた。
嗚呼。嗚呼。嗚呼。嗚呼。
嘆いて嘆いて嘆いて嘆いて…心を嘆きが埋め尽くしたとき、司教の心に、一つの考えが灯った。
私が悪いのでは無い。
民が悪いのでも無い。
悪いのは……我らの声を聞き遂げて下さらぬ神だ。
そうして、彼は一心不乱に研究を始める。
意のままになる新たな神を創り上げるために。
それは無論、一般的には受け入れられぬもの。
司教はついにクイーンガードたちの手によって倒された。
私は死なぬ。
必ずや、新しき神をこのドゥーハンに光臨させてみせる。
理想郷を実現するために。
誰も死なない…死ぬことに満足しない限り死なない世界が始まるのだ。
司教の叫び声に満たされながらも、彼らはふと地面に足が着いていることに気づいた。
目の前ではピクシーが楽しそうにくるくると回転している。
「あははははは、戻ってきた!戻ってきたねぇ、あんた達!でも、次はどうかな?」
「次?次があるのか?」
「ここには無いよ。先に進みな」
「次…か」
思案に耽るクルガンをよそに、リカルドとグレッグは無言で顔を見合わせ溜息を吐き、サラとルイは興奮したように話し合う。
「まあね分からないでもないのよ自分の力及ばずロストさせてしまった悔恨っていうのは」
「でもねぇ、結局の所、責任転嫁って気がするわ、この男。人間思い詰めると高位の司教でも突飛なこと考えるものね〜」
「私お年寄りって基本的には嫌いじゃないんだけどああいう頑固なお爺ちゃんは嫌いよ人が何言っても聞き入れようとしないんだもの」
「そうね、年寄りに限らず頭の固い男って嫌だわ」
何となく話がずれてきている気がしたが、彼女たちの会話に割り込む勇気のある男はいなかった。
「俺は…あの司教を知っている。あれは、確かに…」
呟いて、クルガンは何度も思い返したその光景を脳裏に浮かべる。
あの狂気に歪んだ顔。振り乱した白髪。
確かにソフィアをさらい、ダークマターを『我が道具』と呼んだ……
そこまで考えて、クルガンは顔を上げた。
「ダークマター」
その名前に、仲間たちも一斉に本棚を向いた。
彼は、そこにいた。
一心不乱に本をめくっていて、彼らの方には見向きもしない。
何を探しているのか、ただページを凄まじい勢いでぱらぱらとめくり、すぐに次の本に手を出す。
そうして、本棚の隅の本を全てめくり終えて、ダークマターは座り込んだ。
両手で抱えるようにした頭は俯けられて、表情は見えない。
「……術式は、想定どうりだと考えられる…当たり前だ、所詮、俺の考えることは、かなりの確率で同一のものにならざるを得ない……なら、何故……データコンバートの最中に重大なシステムエラーが起きたか、それとも、そもそも容量が足りなかったのか……」
指が髪に巻き付けられ、ぴん、と伸ばされる。頭の皮膚が引っ張られるほど力を込めているダークマターに、声がかけられた。
「ダークマター」
びくんっと背筋を伸ばし、ようやく見られていることに気づいてダークマターは無表情に立ち上がった。
だが、次の瞬間、体がふらついた。背後の本棚にぶつかる直前、腕を引かれて逆に前側に体が傾いた。
咄嗟にダークマターの体を支えたクルガンの背後から、歯軋りが聞こえた。
「お〜の〜れ〜〜」
聞こえない、ことにした。
ダークマターは、真っ白な顔で、クルガンの胸を突いた。
そうして、逃れて、歪んだ笑いを浮かべる。
「問題ない。全て予測の範囲内だから。問題ない」
どこか自分に言い聞かせているような響きに、クルガンは鼻を鳴らした。
「無理するな」
瞬時に、真っ白だった顔に血が上る。
「だ、誰が!」
「お前だろう。何なら、一度、宿に戻るか?付き合うぞ?」
わざとらしいほど優しい声に、ダークマターの顔どころか耳や首まで真っ赤に染まった。
「俺は!全然、問題無いの!コンディションオールグリーン!」
地団駄踏んで、ダークマターは足音高くずんずんと部屋の出口に向かった。
慌てて後を追ったリカルドとグレッグを見送り、最後尾で付いていこうとしたクルガンにルイが声をかけた。
「わざとでしょ」
「まあ、な」
「好きな子に意地悪して気を引く男の子みたいね」
「なっっ…!」
故意に怒らせて活気づけたつもりのクルガンは、思いも寄らぬ言い方をされて絶句した。
それきり何も言わずに遠ざかるルイの背中を見つめ、それが扉を抜ける直前、我に返った。
「取り消せ!今の言葉は取り消せーっ!」
広い部屋に絶叫を残して、疾風のクルガンは姿を消した。
後に残ったのは、部屋の中央に変わらず輝く水晶と、奥があるとは分からぬほどぴたりと閉められた壁のみであった。
水晶の妖精は、
「騒がしい連中だわ」
呆れたようにそう呟いて、水晶の中に溶け込んでいった。
ずんずんと進んでいくダークマターが、いきなり体ごと振り返った。
思わずつんのめるリカルドに手を貸しつつ、グレッグが目だけで問いかける。
「次は、俺の部屋だから」
顔の下半分だけが、笑いの形に歪む。
「俺が誰かを部屋に招待するなんて初めてだよ。……ま、すでに長が家庭訪問済みかもしれないけど」
そして、またサラとルイの顔を交互に見た。
「本当は、もし水晶がそこにもあるなら、特に女性には見せたくないものが見えると思うから不本意なんだけどね」
不本意、と言った口から、甲高い哄笑が漏れる。
自分で自分の言った冗談に反応している、といった風に、喉を反らせて笑い続ける。
突如切り捨てたように哄笑が止まり、何も写さぬ虚ろな瞳が、クルガンに向けられた。
「そして、あんたは」
迷宮を、乾いた風が吹き抜けた。
「『裏切り者』の確信を得る」
そうして、また笑う。
笑いながら刀を抜き、廊下に現れた影に突っ込んでいった。
それぞれの武器を抜きながら、リカルドとグレッグは囁きかわした。
「おかしいな、最近じゃああいう笑い方はしなくなってたんだが」
「あぁ。あの本の山で、何かを見つけたのか…」
思案に耽る暇は無い。
大剣を構えて、リカルドは叫びつつ突撃した。
「まったくうちのリーダーは危なっかしくていけねーよ!」
手裏剣を投げながら、グレッグも声を大きくした。
「一生側にいるから、頼りにして欲しいものだ!」
ルイは、指でこめかみを押さえた。
「まったくもう、この男たちは…」
それに笑いかけてからサラも声を上げた。
「私も頼りにして欲しいわ!貴方がどんな人でも最後まで付いていくって決めたし!」
ダークマターの刀が、敵の首を一撃で落とした。
返り血を浴びないようワンステップで下がったダークマターの耳は、いつもより少しだけ先が下向いていた。
「…迷宮で叫ぶなっ!あんた達は、馬鹿かっ!」
前方の敵に向かいかけていたクルガンは、反転して、背後から忍び寄っていたキメラに短刀を向けた。
「あぁ、馬鹿かもなっ!」
「馬鹿で結構」
「馬鹿でーす」
「馬鹿なんじゃない?」
口々に返している仲間に絶句しているダークマターの顔を想像して、クルガンは僅かに唇を綻ばせた。
「お前が、一番、馬鹿なんだろう!」
叫んで、炎のブレスを吐きかけた口を真横に切り裂いた。
「あんたに言われたくない!この筋肉馬鹿っ!」
罵りを背中に受けつつ、クルガンは山羊の頭を飛ばす。
もしも、本当に、『裏切り者』の確証を得るのなら。
こいつらとも敵対する羽目になるのだろうな。
そう思って、クルガンは僅かに軋んだ胸に気づかない振りをした。
多分、ドゥーハン国民全員が敬愛していた女王陛下を裏切った者であっても、こいつらはダークマターに付くんだろう。
この暢気な奴らを手に掛けるのは些か心が痛むが……
むしろ、もしも彼らにすら糾弾されたなら、ダークマターが哀れすぎる。
一瞬よぎった考えをすぐに捨てる。
何にせよ、自分の目で見たことしか信じられない。
水晶で、何か『真実』が分かるのなら、それまで考えるのは止めておこう。
全ては、この奥に。