ピースオブパズル




 最初は、何が描かれているかも分からないような小さな断片だった。
 それでも少しずつ欠片を繋ぎ合わせていく。
 欠片は自分で手に入れたものもあるし、望むと望まざるとに関わらず勝手に与えられたものもある。
 そうして組み立てられていったパズルは、徐々にその姿を現していった。
  放っておく方が良い。
 そんな囁きが聞こえる。
  その完成型を見ては駄目だ。
 分かっている。
   分かっているんだ、そんなことは。
 けれど、彼はパズルを組み立て続ける。
 何かに餓えたように。
 何かに追い立てられるかのように。
 そうしてそれが完成したとき。
 彼に与えられるのは、完成したことに対する満足なのか。
 それとも…絶望なのか。




 その階に踏み込んだ時、一歩で彼は理解した。
  自分はここを知っている。
 壁の色、建築様式、床の踏み心地。そして、ぴりぴりと肌を差すような空気。
  よーく、よーく知っている。
  何故なら、ここは……。

 彼は、突如として襲ってきた頭痛にしゃがみ込んだ。吐き気がするほどに脈打つ頭を押さえて、呟く。
 「俺は、ここが嫌いだ」
 目の奥を原色のハレーションが舞う。
  殺せ。
  あの女を殺せ。

 脳の中心に囁きかける声。
  この声を知っている。この声は……
 肩に何かが触れて、思わず振り払った。
 チカチカと原色の光が瞬く中、徐々に焦点が合っていく。
 心配そうに見守る仲間を認めて、力を抜いた。
 「悪い。ちょっと頭が痛いだけ」
 サラが延ばした手をさりげなく避けながら、ダークマターは先ほどから耳を刺激する音の方へ目をやった。
 同様にそちらを向いていた黒衣の忍者が、そのままの姿勢で問う。
 「どうする?体調が優れないのなら、このまま帰還するという手もあるが」
 冗談の欠片も含んでいない声からするに、多分に本気なのだろう。
 「ま、俺もそれに賛成だけどな。勝手に仲間割れでも何でもしといてくれって気分だが」
 リカルドも軽く肩をすくめる。
 剣戟の音はそのままに、うんざりしたような声がそこから漏れた。
 「言いたいことはそれだけか、冒険者たち」
 5人の忍者兵に囲まれ、更には不格好な人造生物に攻撃されているクルガンが、二つ名の通り疾風のように身をかわしている。
 時折人造生物の方に短刀が振るわれるが、見る間にその傷が塞がっていく。
 放たれたティールを天井まで飛んで避けながら、クルガンがちらりと彼を見た。
 「おい。何とかしろ」
 「…何とか、って、あんた」
 これ見よがしに溜息を吐いて、ダークマターはいかにも嫌そうな足取りでそちらに向かった。攻撃の合間にするりとクルガンの背後に滑り込み、人造生物と相対する。
 「長の仕業?」
 「らしいな」
 「そっちも?」
 「だろうな」
 簡潔なやり取りの間にも、攻撃の手は緩まないが、まるでそれがうざったい蠅でもあるかのようにふわりふわりと避けていく二人に、思わず見惚れたように冒険者たちは立ち止まっていた。
 「もし俺が来なかったらどうするつもりだったのさ」
 「ま、こいつらの体力なんぞたかが知れてるからな。スタミナ切れまで粘るつもりだったが」
 仮にもドゥーハンの誇る高レベル忍者兵に向かって、平然と体力勝負を挑むと言うエルフに、ダークマターは頭を押さえた。ついでにそのまま刀を薙ぎ、人造生物が延ばした腕を斬り払う。
 「あんたってさー…ホントに脳味噌まで筋肉で出来てんの?何て大雑把な作戦!」
 苦笑しながら、クルガンは忍者兵の打ち込みを短刀で受け流して、ついでに蹴りを一発腹に入れた。
 「そうは言ってもな。洗脳されているだけなら、殺すのも惜しいからな。待っていたら、お前が来るんじゃないかとも思ったし」
 ダークマターの耳が、僅かに赤らんだ。どうせ背後の男には見えないだろうと思いつつも、忌々しそうに首を振って顔に上った血を散らす。
 「生命体への付与魔術はあの人の得意分野じゃん。俺にどうしろって?」
 「さあな。だが、俺よりお前の方が魔術の知識はあるだろう。いろいろと隠し技も持っているようだしな」
 「そーりゃ、あんたに比べりゃ誰だって魔術の知識があるだろうけどね、武闘派エルフさん。…ちょっと、煩いよ、お前」
 人造生命体の肩から生えたもう一つの上半身が、甲高い悲鳴を上げた。ごぼごぼと泡立つ音がその声に混じる。
 喉まで突き立てた刀を引き抜きながら、身を沈める。その頭上を音を立てて巨大な張り手が通り過ぎた。
 「それで?あんたの部下を助けろって?」
 「あぁ。もし助けてくれたら…」
 「助けてくれたら?」
 意志がない故に正確に何度でも斬りかかってくる部下をいなしながら、クルガンは、にやっと笑った。
 「俺の感謝の言葉が聞ける。貴重だぞ?」
 「……はいはい、そりゃ、確かにレアもんだわ」
 背中を合わせたまま、ダークマターもかすかに笑った。
 「確約は出来ないけど、努力はしましょ。んじゃ、殺さず気絶させて」
 「分かった」
 頷き、初めて攻勢に出たクルガンを見もせずに、ダークマターは仲間に指示を出した。
 「サラ、俺とリカルドを強化、ルイ姐、グレッグはそっちの馬鹿が呪文唱えようとしたら邪魔してやって、リカルド、魔法かかり次第ダブルスラッシュ行くよ」
 「了解」
 「分かった」
 サラがザイバを唱え始める。
 駆け寄ってきたリカルドがその勢いのまま人造生物に斬り込んだ。
 体に触れる直前に淡く光り始めた刀身ににやりと笑って、肩口から体の半ばまで剣を埋めた。
 同時に斬りかかったダークマターの刀は、逆側の肩から腕を落としている。
 身を振り絞るように体を捻った第2の上半身が、悲鳴のような声を上げた。途端、その口に手裏剣とナイフが突き刺さる。
 巨体が咆吼を上げた。
 傷口がぶちぶちと音を立てて繋がっていく。
 「はいはい、さっさとやっちゃいましょうね〜」
 ダークマターは、どことなく暢気な口調で軽く言った。もしも、5体の忍者兵及びこれを相手にするのなら、確かに多少面倒だったかもしれないが、今倒すべきはこの人造生物だけだ。ならば、そんなに苦労する相手でもない。
 背後の忍者兵から攻撃を受ける心配は、全く必要無かった。何故なら、『彼』がそんなことは許さないだろうから。
 同時に、背後で戦っている男も、人造生物から攻撃を受ける心配は全くしていないだろう。何故なら彼がそんなことを許さないから。
 本当は背後の男のことを考えるのは好きではない。
 だが、この感覚は悪くない。
 ダークマターは唇を歪めて、自嘲するように笑い、第2撃に備えた。

 目の前のでかぶつが倒れるのと、5人の忍者兵が全て地に伏すのとは同時だった。
 腐汁の付いた刀を嫌そうな顔で拭うダークマターの前に、忍者兵が綺麗に並べられる。無言の圧力に、ダークマターは渋々と刀をしまって、忍者兵の頭巾を取った。
 「多分、前頭葉だと思うんだよね。動作には異常なかったし…とすれば、自発的な意志を奪ってるだけと見たんだけど…」
 小さく呪文を唱え、手をかざす。
 「えーと、脳自体が弄られてるんじゃないみたいだな…もし外部から切り取られたりしてたら俺ではどうしようもなかったけど、そんな時間はかけられなかったってとこか…」
 ぶつぶつ呟きながら、かざした手を移動させる。頭を撫でるように動いていた手が、一点で止まった。
 「見つけた。…種か…もう根を張ってるなー…」
 独り言のように呟き続けて、一瞬目を閉じ、また別の呪文を唱えた。全員分唱え終わった後、行儀悪くあぐらをかく。
 「えーとね。ここに」
 自分の額をとんとんと指で叩いて、続ける。
 「種みたいなもんが植えられてて、脳に根を張ってるんだよね。無理矢理引っこ抜くと、脳に大ダメージが行くから駄目だし。今はとりあえず進行止めるために凍結したけど」
 腕を組んで首を傾げ、固い顔で覗き込んでいるクルガンを困ったように見上げた。
 「多分、まだ思い出してない記憶の中に、植物操作系の呪文もあったと思うんだけど、絶対とは」
 「…何とかならんのか」
 低く言われて、ダークマターはがしがしと頭を掻きむしった。
 「だから〜、絶対思い出すとは言えないけど。…一応、今から記憶を探るから、もし敵が来たらよろしく」
 ひらひらと手を振る先は、クルガン及び仲間たち。
 彼らに周囲のことは任せて、自分はそのままの姿勢で頭を抱え込んだ。
 ずきずきと脈打つ頭を押さえて、思わず呻く。
 吐きそうなほど、脳内が圧迫される。
  思い出すのは、危険。
 そんな警告に、もう止めてしまおうか、と、ふと思う。
 だが、同時に思い出すのだ。
 明るい日差しの中、訓練をするクルガンと忍者兵たち。
 彼の部隊を率いて任務に就くときにも、情報収集として何人かの忍者兵に助力を乞うた。
 各人の名前を覚えていると、驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑った若い忍者兵。
  これは、クルガンのためじゃない。ましてや、自分のためでもない。
 唇を噛み締めて、頭を強く押さえた。
  これは、彼ら忍者兵に受けた恩を返すためだ。
  ただひとときでも、「仲間」と認めた者を救うためだ。

 ずきずきする脈動の中で『何か』を見つけた。
 巨大な本棚のイメージ。見上げれば首が痛くなるほどに天井まで延びた棚を埋め尽くす本、本、本。
 その部屋の造りが巨大だったのではない。相対的に、自分が小さかったのだ。
 彼は崩れそうな梯子を押して、目当ての本を取り出す。そうして、一心不乱に読み始める。
 最初は、単語の一つを理解するのも難しかった。だが、徐々に読み説けていけば、それは快感に変わった。
 そうして、彼は失われた知識と、失われた呪文を手に入れる。
  その場所は。
   その部屋は。
    その書物は。

 「見つけた」
 彼は小さく呟き、手に入れた欠片を分析し始める。
 膨大な知識が、脳内に視覚情報として映し出される。無意識のうちに、手が書物をめくるような動きをした。
 「植物操作…種の枯死または生えた植物を種へと戻す呪文…」
 ばさりばさりと架空の本がめくられていく。
 虚空を見つめたまま、彼は呟き続ける。
 「…材料…マンドラゴラの根…硫黄…水銀…それから…」
 ゆっくりと頭が振られる。そんな材料が揃うはずも無い。今から揃えようにもどこへ行けば手に入るのか。
 そう思考した途端、脳内に別のイメージが過ぎった。
 材料がしまわれた引き出し。
 それは、『ここに』あるはずだった。
 「取りに行って…帰ってくる…」
 また、別のイメージが過ぎっていった。
  そんな面倒なことは、命じればいいんだ。
 ダークマターの頭が、項垂れるように落ちた。そして、次に顔が上げられた時、彼は鋭く何かを呼んだ。
 「ホッテンスワンプリープ!」
 実は周囲でキメラと戦っていた仲間たちは、一瞬ぎょっとしたように彼らのリーダーを振り返った。
 「すぐに来い、ホッテンスワンプリープ!さもなくば、人間たちの前でお前のフルネームを呼ぶぞ!いいか、ホッテンスワンプリープゲルテンヨザークハイエハイデルハイネセン…」
 白い獅子の顔の魔物が、どうっと地に倒れる。
 それに紛れるように、小さくキキキ、と軋むような声がした。
 「やあ、これは珍しい御仁が来たものだ」
 天井の隅に、小さな妖魔が逆さまにぶら下がっていた。枯れ枝のような手足に、金色に光る目、そして、2本の角。インプと呼ばれる下級妖魔である。
 もう一度、キキキ、と笑って、小鬼は天井をぶら下がった姿勢で彼の真上まで移動した。
 「ちょいと攻撃せんで下さいよ?あっしはこの御仁に呼ばれて来たんだから」
 そう言ってクルガンの手にした手裏剣をじろりと睨み、空中を回転しながら降りてくる。
 「ホッテンスワンプリープ、俺の机の引き出し、右側の上から2段目に入ってる水銀とマンドラゴラの乾燥させたやつ…いや、引き出しごと持ってきて貰う方が早いか。机の引き出し右の上から2段目、全部持ってこい」
 「久々に現れて、いきなりそれですかい?相変わらず人使いの荒い御仁だ」
 小鬼がやれやれ、とでも言うように肩を竦めた。だが、ダークマターの眉がきりりと上がったのを見て、その場でくるりと宙返りする。
 「はいはい、行って来ますよ」
 駆けていき、扉がぱたんと閉まる。
 それを見送って、クルガンは座ったままのダークマターを呆れたように見下ろした。
 「何だ、あれは?」
 「俺の使い魔」
 どことなく焦点の合わない瞳で、素直に答えるダークマターにクルガンは額を押さえた。
 「分からん…ますますお前が分からなくなってきた…」
 「それは良かったね」
 これ以上もなく憂鬱そうにダークマターは答える。
 「俺なんて、ますます俺が分かってきて、やな気分」
 ふーっと溜息を吐いて頭を押さえるダークマターに、それ以上かける言葉を失って、クルガンは腕を組んで壁にもたれた。
 ダークマターの仲間たちは、広間を探索し、宝箱を見つけたり扉をチェックしたりしている。
 こめかみを揉みながら床を見つめているダークマターの傍らにいるのはクルガンだけだった。信用されているのか、甘く見られているのか。
 クルガンも何となく溜息を吐きたい気分だった。
 それでも、尊敬する長に命を狙われ、信頼する部下に刃を向けられ…そんな状況だと言うのに、さほどショックでもないのは、多分、これがいたからなんだろう、とクルガンは思った。
 かつてと変わりなく、背後を任せられる『友』。
 かつてと変わりなく、部下たちの命を救うのに奔走する『同僚』。それが彼自身の部下でなくとも同じこと。
 かつて、彼は判断したはずなのだ。「これは、信頼に値する人間だ」と。
 自分の見る目が甘いと思ったことはない。むしろ他人より厳しい方だと思っている。まあ、ソフィアあたりに言わせれば、いったん懐に入れた人間にはとことん甘いらしいが。
 本当なら、この得体の知れない男を信頼するなど愚の骨頂だ。
 なのに、これが本気で彼の部下を救おうとしていることを疑う気は無い。
 むしろ今となっては、敬愛する女王陛下やガード長よりも、信用できる相手ではないかと思えた。
 「長は何故、俺を邪魔者扱いするのだろうな」
 ふと呟いたのは、独り言のつもりだったが、打てば響くようなタイミングでダークマターは返した。
 「そりゃ、あんたを奥に行かせたくなかったんだろ」
 「奥に何がある?」
 両膝を抱えて、そこに顎を乗せるという、どこか子供のような姿勢で、ダークマターは一つの扉を見つめた。
 「あの人の部屋。俺の部屋。そして、祭壇」
 『あの人』とは誰のことか、そもそも『俺の部屋』が何故こんなところに、とクルガンが問う前に。
 いつの間にか戻ってきた仲間が、クルガンとダークマターの間に割り込んだ。
 「気分はどう?」
 「こやつの言葉など無視して、君の思うようにすれば良いのに」
 「どうするの?奥に進む?」
 まるっきりクルガンを無視…どころか明らかに敵意を発散されて、クルガンは頭を押さえた。
 無論、最初殺そうとしたのだから、信用されないのは分かる。だが、さっきは全く気にせず彼と二人きりにしておいた。
 ということは、つまり、彼と二人で会話をするのは気に入らない、ということ。
 それではまるで……そう、子供が仲の良い友達を取り合っているような雰囲気だ。
 訳の分からない嫉妬をされるくらいなら、まだしも普通に信用されずに敵意を持たれた方が遙かにマシだ、とクルガンは内心でうんざりとした溜息を吐いた。
 ルイに頭を撫でられて、猫のように目を細めていたダークマターが、ぼんやりと目を開く。
 「ちょっと待ってね。うちのが戻ってきたら、こいつらの術を何とかして、それから奥に行くから」
 そのとき、きぃっと小さく扉が軋む音がして、皆が、ばっと振り向いた。
 そこには、自分の身長ほどもあろうかという箱を持った小鬼がいた。
 「やれやれ、そんな殺気だって見ないで欲しいやね」
 ひょこひょこと歩いてきて、ダークマターの前に荷物を下ろす。
 中を検分したダークマターが、頷いた。
 「ご苦労様、ホッテンスワンプリープ」
 「ま、それがあっしの仕事ですしね」
 肩を大袈裟に竦める小鬼を、目を細めて見たダークマターが、不意に姿勢を正した。
 「ホッテンスワンプリープ。盟約者の名において、お前を解放する」
 言われた小鬼は、一瞬何を言われたのか分からない、と言うように立ち尽くしていた。それから、へ?と間抜けな声を出す。
 「15年の長きに渡って、仕えてくれてありがとう。もういいよ。還るべき所に還るがいい」
 「あんたがいなかった時期を含めりゃ18年ですがね」
 言い返して、小鬼は落ち着かなさそうに体を揺すった。
 「そうですか…あっしはもう用済みですか…」
 「もしも、ここに縛られていたいのなら、取り消すが…」
 躊躇いがちに言うのに、小鬼はひどく年寄りめいた動作で手を振った。
 「いいんすよ。こんなクソ忌々しいところにいる気はありやせんや」
 そうして、ふと目を閉じて天を仰ぐ。
 「そうですか…もう、いいんすね…」
 じわり、とその体が滲んだ。
 「あんたは、悪いご主人じゃ無かった」
 体同様、滲んだシミのような声で、小鬼はダークマターに晴れ晴れとした調子で言った。
 「あんたに命じられるのは、悪くなかった。…それじゃご主人、お元気で」
 黒々とした影になった小鬼は、それでもキキキと笑った。
 「…ロードが来てます…お気を付けて…」
 ふわり、と影が散った。
 「お休み、ホッテンスワンプリープ」
 そう呟いて、ダークマターは一瞬だけ目を閉じた。
 それから上げた顔は無表情で、何を考えているかは余人には窺い知れなかった。
 「さーて、んじゃ、始めますか」
 引き出しの中から、いくつかの瓶を取り出し、乳鉢に少しずつ匙で移す。
 ごりごりと摺り合わせながら、ダークマターはふと小首を傾げた。
 「んー…やっぱ紛い物よりは本物が良いよなぁ」
 意味を問いただす間もなく、次の言葉が紡ぎ出された。
 「そこの武闘派エルフ。知性の欠片も無いようなのでも森の民に違いはないんだから、ちょっと血を寄越せ」
 「…どういう意味だっ!」
 「植物に関する魔法は、なんだかんだ言って森の民の得意分野なんだよ。だから」
 「いや、俺が言いたいのはそこではなく。…まあ、いい」
 自分に敵意を持っているらしいこれの皮肉にいちいち反応していては時間がかかるばかりだ、少なくともこれは自分の部下を助けようとしているのだ、と、さっさと頭を切り替えたクルガンは、手を差し出した。
 「それに入れれば良いのか?どのくらい?」
 「吹き出すほどはいらないよ。練り合わせられればそれで良いくらい」
 短刀を指に滑らせ、血液を滴り落とす。
 ゆっくり混ぜ合わせていたダークマターが合図をするのに併せて手を戻す。途端、サラから治癒魔法がかけられた。
 「ありがたいが、そこまでの傷じゃない」
 素っ気なく言えば、サラの眉がきっと上がり、口から説教が奔流のように飛び出してきた。初めて出会うそれに目を白黒させて後ずさるクルガンを助ける者は誰もいなかった。
 その間に、練り合わせた物を忍者兵の額に置き、呪文を唱える、というのを繰り返す。他人の目には見えなかった黒い粒が忍者兵の額に現れ、ぽとりと落ちる。ダークマターは、それを5つ手にして立ち上がった。
 「サラ、もういいから」
 壁際まで追いつめられていたクルガンが露骨にほっとした顔になる。
 「あらまだ言い足りないわよだいたい何様のつもりなのよあぁお偉いクイーンガードさまだってのは分かってるわよだけどちょっとした傷が命取りになることくらい知っていてもいいじゃないそれを何よありがた迷惑みたいな顔されて…」
 「い、いや、それはすまなかった、と」
 辟易とした表情のクルガンが、ダークマターの手の中を見て表情を引き締める。
 「うまくいったのか」
 サラをかわして兵たちの元に戻り、床に膝を突く。その呼吸を確かめて、いきなり怒鳴った。
 「起床!」
 「…気絶した人を、そんな起こし方する?」
 呆れたような物言いのダークマターの顔が、今度こそ呆れ果てた表情になった。
 何故なら、5人の忍者兵が、途端に跳ね起きたからだ。
 腕を組んだクルガンが、自慢げに言う。
 「鍛え方が違う、鍛え方が」
 「…そんな問題かよ…」
 リカルドの呟きは、その場の全員(クルガン除く)の共通した感想であった。
 「隊長!自分らは…」
 「長に命じられて、途端に訳が分からなくなりまして…」
 「すみませんでした、隊長!」
 口々に状況を説明する部下を抑えて、クルガンは難しい顔で腕を組んだ。
 「上にもまだ残っているな?」
 「はい、ゲインの班が」
 「よし、お前たちは、上の奴らにこのことを伝え、各自潜伏せよ。俺が命じるまで出てくるな。もしすでに長にやられた者がいれば気絶させておけ」
 「了解しました!」
 「俺は少しこの階を探ってくる。散!」
 瞬時に消え失せた忍者兵を見送り、クルガンはきびすを返した。
 「一人で行く気?」
 ダークマターの前を通り過ぎたとき、小さく声がかけられる。
 それを振り向きもせずに、クルガンは歩を進め、扉の一つに手をかけた。
 「そこまでお前と馴れ合う気はせん」
 ずいぶん崩れてはきているが、これでもまだお前を裏切り者と疑っているのだ、と言ってやれば、皮肉な微笑が返された。
 「へぇ。ま、やってみれば?」
 悪意ある冗談を言ったかのように、ダークマターの瞳が冷たく輝く。
 「俺のお薦めは、俺に付いてくることだけどね」
 ひらりと手を振って、クルガンは扉を抜けた。
 残されたダークマターの元に仲間が集まる。
 「どうする?我らは別の扉から行くか?」
 グレッグの問いに、ダークマターは笑ったまま首を振った。
 「ま、10分待ってあげようね」
 グレッグの眉が、ぴくりと上がった。
 だが、何も言うことなく周囲への警戒態勢に戻った。
 ルイとサラは目を見交わし合って、結局ルイが口を開いた。
 「ねぇ、ダークマター。いろいろと、私たちの知らない魔法を知っているようだけど?」
 「ん〜。ま、ね。いろいろと本読んだ記憶を呼び起こしたから」
 ダークマターはへらりと笑った。その目が徐々に焦点を失っていく。
 「やーだよねー。この階進むと、ますます記憶が鮮明になっていくよ。…行かないわけにはいかないんだけど」
 ぼんやりと壁にもたれるのに、リカルドが不思議そうに首を傾げた。
 「何だ?思い出したくないのか?」
 リカルドのような男にしてみれば、自分の知らない自分がいるよりも、全てを知る方が良い、と考えるだろう。良くも悪くも単純明快な思考だ。
 ダークマターは答えないまま、伸びをした。
 「あ〜あ。俺としては、事実を突きつけられたくないんだけどねぇ」
 それっきり黙り込んだ彼に釣られるように、仲間も皆黙り込んだ。

 そうして。

 「13分。あんたが鈍ったのか、それとも平均以上に敵と遭遇したのか」
 別の扉から飛び込んできたクルガンを見て、ダークマターは驚くでもなく淡々と言った。
 「何だ、この階は!一方通行の扉だのワープだの…!」
 「そりゃ、侵入者撃退としてそう造ってあるんだよ」
 よっと掛け声と共に壁から身を起こしたダークマターは、扉に手をかけた。
 「最短距離で行きたかったら、俺に付いて来るんだね」
 「…お前、知ってて行かせたな!」
 「当然。あんたが一人で行くって言ったんだもんねー」
 んべっと舌を出すダークマターに、クルガンはぎりぎりと歯噛みした。だが、しばらく憤怒を腹の中で飼い慣らしてから、渋々と頷いた。
 「仕方があるまい。お前に付いていくことにしよう」
 返事はなかったが、勝ち誇ったような表情が十分雄弁に語っていた。
 殴ってやりたい気分を抑えつつダークマターと肩を並べようとしたクルガンは、放たれた殺気に反応して短刀片手に振り向いた。
 「私としては、私の主君の隣を、殺そうとした者を歩かせるつもりはない」
 顔の下半分は笑っているが、目は全く笑っていない黒衣の忍者が、そう言ってずずいっと前に出た。
 「まあ、背後を取られるのも嫌なんだけどよ」
 大剣で肩を叩きつつ、リカルドもクルガンとダークマターの間に割り込んだ。
 「まさか、か弱い女の子を最後尾につけるつもりじゃないわよねぇ?」
 背後を突かれてのはただでさえ危険な上に、その際最前面に司教が立つのは命を捨てるも同然だ。それゆえ、いつもはリカルドが最後尾を務めていたのだが。
 疾風のクルガンは、深々と溜息を吐いた。
 「…分かった…俺は最後尾で付いていくことにしよう…」
 俺はお前たちの配下になったつもりはない、と頭の中でだけ呟いて、クルガンは彼らの後ろに回った。
 さて、肝心のダークマターは。
 興味なさそうに眺めていたが、決着が付いたのを見て、扉を開いた。
 「途中の隊列はどうでもいいけどさ。戦闘になったらちゃんと俺の隣まで出て来いよな、疾風のクルガン」
 途端膨れ上がった殺気に、クルガンはもう何度目か数える気にもならない溜息を吐いた。
 「お前…故意か?」
 「さあて、何のことやら。じゃ、行くよ」
 へらりとかわして、ダークマターは扉をくぐった。
 大人しく付いてきている男のことを思って、ダークマターは知らず笑みを浮かべていた。
 あの男は甘いのだ。何だかんだ言って、彼の仲間を傷つける気は無い。
 こんなにも挙動不審な彼に黙って付いて来る。
 クルガンのことを考えるといつも感じる胸の痛みを、拳を当てて抑えながら、ダークマターは小さく呟いた。
 「ほーんと、馬鹿な男だよねぇ」
 隣のグレッグが、ちらりと視線を寄越した。だが、何も言わずに歩いている。
 それに甘えて、ダークマターは自分の思考に沈んだ。
  最後尾の男は、馬鹿で、熱血漢で、直情で、でも彼には甘くて、それから女王に最大の忠誠を誓っていて。
  だからこそ。
  そんな男だからこそ、彼に強力な命令が刷り込まれているのだ。
  とても厄介な『あの男』の執念が。


 パズルのピースが揃っていく。
 多少の欠如など物ともしない勢いで、完成に近づいていく。
 有耶無耶に始まった彼の生の、その理由が、目的が、そもそもの成り立ちが明らかになっていく。
 本当は、嫌なのだけれど。
 本当は、知るのはとても恐いのだけれど。
 だが、『嫌』とか『恐い』とかの感情を遙かに凌駕して、冷徹な観察者の自分が確かに存在する。
 客観的に、外から自分を見ている自分が。
 一歩進むごとに清明になっていく記憶に、彼は僅かに笑った。
  さて、『あの人』の行使した術式は何だろう?『彼』の予測と同じものだろうか?
  だとすれば…何故、『あれ』は残っている?
 それが明らかになるということは、彼の存在を根底から脅かすのだけれど、厳然たる興味が恐怖を上回る。



 全ては、この奥に。



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