女王陛下のプティガーヅ




 オティーリエの手記。



 宿で一休みして、いつも通りにカルマンの迷宮に向かおうとすると。
 ソフィアが何となくもじもじしながらわたくしを見上げた。
 「あの〜、ですね。ちょっとこっそりローミちゃんの依頼を受けていたんですけど」
 ローミ…あぁ、あの無礼な少女の幽霊。
 まあ、年端も行かぬ子供ゆえ言葉が率直なのは仕方が無いが…。
 「それの報告に支店に行って、それから酒場に向かったら…その…新しい依頼があったんですけど」
 さあ、魔女と対決、おそらくはその後蠢くものと対峙する、という時に、新しい依頼などとは、暢気なことを。
 「カルマン迷宮ガイド。何か5階までのツアーをやってて、ガイドが足りないんだそうです」
 …ツアー…迷宮のツアーガイド…。
 暢気にもほどがある。
 「リーエ、お気持ちは分かるのですが、マスターのジンが困ってるようで…我々は彼には世話になりましたし」
 酒場の主としては、確かに困るであろうし、冒険者に依頼をするのも分かる。が、何もわたくしたちでなくとも…。
 「素人引き連れて迷宮の5階まで潜るとなるとね〜。やっぱ、敵を瞬殺出来るパーティーでないと危険なんで」
 …仕方がありませんね…。
 「分かりました、引き受けましょう。…それにしても、意外ですね。貴方が一番、そんなことは面倒だと言いそうな気がしましたが」
 ダークマターが子猫のように無邪気に小首を傾げた。
 「我々にも想い出になるじゃないですか。あぁ、こんなところもあったな〜みたいな」
 わたくしは、想い出に耽るよりも先に進みたいのだが…まあ、逸ったところで仕方が無い。きっちりと義理を返しておくことにしよう。
 そんな訳で、わたくしたちは、たぶんは魔女との決戦前だというのにカルマン迷宮ガイドを引き受けた。
 まずは、1階、投身のバルコニー。…そんな名前が付いているとは知らなかった。
 2階の滝の前、3階の悲劇の間…確かに、感慨深いものはある。実際にわたくしたちが通ったのは、随分昔のような気がするが、まだまだ生き延びるのに精一杯であった頃なので、このように風景を楽しむ余裕など無かった。
 こうしてみると、この迷宮はそれぞれ趣の異なる階であったのだと改めて思う。
 残念ながら4階の貯水槽はすでに水を抜いていたが、それすらも市民には感動を与えたようだった。
 そして、最後に武神。
 市民がこうして異形に触れることで、過ぎた技術は悲劇なのだと感じて貰えれば良いのだが。
 さて、この階までの敵などすでに敵では無いので、余力は十分にあるのだが。
 市民たちが帰還の薬でいなくなってから、わたくしたちは武神の前で少しだけ話し合った結果、このまま先に進もうということになった。
 ソフィアのトランスの呪文で階の最初に戻り上へと上がっていき、3階から金の鍵を使うルートで10階へ進む。
 そして、まだ踏んでいないワープを通り抜けると、遠目にも光の渦を巻き上げている巨大な魔法陣が見えた。
 「…あっさりいるもんですね、アウローラ」
 無論、10階を駆け巡ってスイッチを入れた結果ではあるが。
 わたくしたちは自分たちの傷を確かめ、ついでにわたくしは荷物の空きを確認し、準備万端で魔女の前に進み出た。
 こうして改めて見ると、魔女は小柄で美しい女性形をしていた。元は戦闘ではなく侍女あたりの役割であったのではなかろうか。
 「もうじき門が開く。やっと、かの者と再び相まみえる時が来る」
 魔女は歌うように言って、背後の魔法陣を指し示した。
 そして不意に喉を逸らして笑い出した。
 前触れのない突然の高笑は、再びやはり何の前触れもなく止まった。
 「…自分、見てるみたいで、やだなー」
 ダークマターの微かな独り言が聞こえた。
 魔女は首を傾げて問うように言った。
 「楽しい時には、笑うものなのでしょう?私は今、楽しいと思っている。だから笑ったのだけれど」
 「…ホント、似てる」
 呟いたダークマターの頭をクルガンがぐりぐりと撫でた。
 「そういえば、貴方は私と会ったときに、私を羨ましいと言ったわね。永遠に生きることが望みなの?」
 「キュキキキュキュイィ」
 ダークマターの返答は、またしてもあの金属を引っ掻くような音であったのでわたくしたちには理解できなかったが、肩をすくめる様子から否定であることは見て取れた。
 魔女はどこか奇妙なものを観察するような目でダークマターを見ていたが、不意に興味を無くしたようにダークマターから目を逸らしわたくしを見つめた。
 「さあ、闇の母が生まれる。アシラは闇に蠢くものたちを産み続け、奴らはこの世界を食い尽くす。オルトルードは20年前の約束の証に貴方を寄越した。アシラを止めるのは、私かしら、それとも貴方かしら」
 ふわり、と魔女の体が舞った。
 金色に光るオートマタとウィル=オ=ウィスプが彼女の周囲に現れた。
 「貴方は、悪しき魔女では無いのかもしれません。ですが、わたくしの前に立ち塞がるのなら、排除します!」
 「ま、周囲のを先にやっちゃいましょ」
 そうしていつも通りのアレイドが炸裂する。
 ソフィアとダークマターがソウルクラッシュで2体ずつ葬っていき、クルガンとレドゥアがクリティカルを叩き込む。わたくしとユージンはマジックキャンセルをかけて魔女のメガデスを阻止する。
 わたくしたちも強くなったものだ。
 闇のものにも通じれば良いのだが。
 一体残った魔女に盗みを仕掛けつつ荷物が一杯になったので前衛に合図する。
 一歩下がったわたくしの前で、ソウルクラッシュとウィークスマッシュが魔女の細い体に吸い込まれる。
 改めて、アレイドは美しい、と思う。
 太刀筋通りにいくつもの弧を描いて切断された魔女の傍らに、ダークマターが跪いた。
 「キキィキュキ?」
 「…そう…私の役目は…終わる…ようやく…数千年の時を経て……これが……死ぬということなのね………」
 闇より生まれし者を倒すためだけに数千年を生きてきた魔女が、ヒビの入った白い手をわたくしに差し伸べた。
 思わずわたくしも手を伸ばすと、何やら黒いガラスの塊のようなものを渡された。
 「黒い炎…ディアラントを滅ぼした……蠢くものは、こちらに現れたものを倒しても、また蘇る…これを…彼らの世界で……」
 かたん、と音がした。
 黒い石を受け取った後、魔女の手が崩れて床に落ちた音だ。
 「…キュキュキィキ」
 ダークマターが呟いて、自分のマントを外し魔女の残骸の上に掛けた。
 魔女はもういない。
 であれば、わたくしたちしか、闇の母を止める者はいないのだ。
 わたくしは皆を振り返った。
 「皆、覚悟は良いですか?これより、闇の母の討伐に向かいます」
 全員が頷くが、どれをとっても悲愴な顔は一つも無い。
 まあ、あえて言うなれば、レドゥアが何とも言えない苦い顔をしていたが。
 「…ガイドツアーに来て、そのまま魔女を倒して異界に行くことになるとは思いませんでしたな」
 「あら、ひょっとしたらあっちの世界が迷路みたいになってて、途中で一回帰ることになるかも知れませんけど?」
 「出来れば、早めに倒したいものですけどね」
 闇の母に挑むと言っても、特に用意がある訳でも無ければ、別れを告げる者がいる訳でも無い。
 わたくしたちは、そのまま魔法陣に乗って、闇へと向かったのだった。

 闇の世界と覚悟をしてきたが、普通に床があり壁があり彫像まである場所に飛ばされた。
 ただ、そらが緑色に蠢き……
 「…うっわ、でっかい顔が浮かんでるよ」
 「あれが、闇の母、か?」
 何となく呆れた口調で言っている通り、空には女の顔らしきものが浮いていた。
 無論、闇のものの感覚ゆえ、あれは女ではなく顔ですら無いのかもしれないが。
 ユージンが壁から下を覗き込んで嫌そうな顔になった。
 「柱が見えませんな。どうやら浮いているようです。螺旋階段が続いているようですが…」
 「降りるしか無いでしょう」
 崩れる心配などしていても仕方が無い。
 わたくしたちはいつものように隊列を組み螺旋階段を降りていった。
 こんなところに出てくる侍の形をした魔物に驚きつつも、どんどん回っていくと平らな地に着いた。
 普通に進んでいくと転移の魔法が仕掛けられているのかすぐに元に戻される。
 「スルーの呪文をかけておきます。転移した瞬間にバックアタックされては面倒ですからな」
 レドゥアが呪文を唱え、魔物の気配の無くなった広間で転移を繰り返し、ようやく先へと進んだ。
 細い階段を登っていくと、少し開けたところに出て。

 空に浮かぶ目玉のような亀裂から、無数の黒き者が生まれ出ていた。

  食らい尽くせ 我が子たちよ

 女の声…と言えなくも無い声が聞こえてくる。
 どうやら、これが闇の母で間違いないようだ。
 細かな闇を生み出していた亀裂から、ずるりと抜け出るように何かが降ってきた。
 「…女の外見をしているとは思いませんでしたな」
 「手加減するなよ?」
 「せぬよ。タコの化け物のようなものを守るべき女性とは、騎士道は定めておらん」
 笑うように言い合って、配置に付く。
 青白い触手を持った女性の左右に、奇妙に捻れた人のような柱が2本立っている。
 「…まあ、いつも通り仕掛けてみますか。とりあえず、左右の柱を潰しましょう」
 いつも通りウィークスマッシュとソウルクラッシュが左右の柱に叩き込まれ…アシラがにやりと笑って腕を捻れさせた。
 突風が吹き荒れ、皆ばらばらに飛ばされる。
 「ややっこしいな〜。ま、いいや、行けるでしょ」
 少し隊列が変わったが、同じように仕掛け、左の柱が崩れた。
 アシラは唇を尖らせ、何やらぶよぶよしたものを口から吐き出した。
 それを切り裂いたクルガンがひゅんっと剣を振る。
 「たぶん、まだ闇の種に過ぎんのでしょう。大した力は無い」
 だが、もう一本の柱を崩した頃からアシラの体の色が変わった。
 途端に剣を振るう音が変わるのが、わたくしの耳にも分かった。
 「かったーい!」
 「ワープアタックで行きましょう。…でもその前にいったん体勢を整えてラフィールかけておいて下さい。結構ダメージ重なってます」
 何度も崩された隊列を整え、ソフィアとレドゥアがラフィールをかける。
 そこからは耐久力勝負だった。
 ワープアタックとマジックキャンセルで手一杯、時折ワープを開いているレドゥアに攻撃が集中して回復をして…。
 それでも。
 またアシラの肌色が変わってから数分で、アシラの動きが鈍った。
 ばたりばたりと触手をばたつかせ、地面で痙攣するように体を蠢かせた。
 周囲に、どこから現れたともつかぬ怨霊たちが集まり、餓鬼が果物を前にしたかのようにアシラの体に食いついた。
 あまりの陰惨な光景に眉を顰めていると、ダークマターがわたくしの手を引っ張った。
 「何となく、やばい気配です。ちょっと離れた方がいい」
 勘が良い…というか、異界やら結界やらに強い子の言うことであったので、わたくしたちは彼に急き立てられるままにそこから足早に離れた。振り返ると、アシラは時折触手を震わせて周囲の怨霊を払いのけているようであったが、すぐに食いつかれて徐々に躯が欠けていっているのが見えた。
 わたくしたちはあの転移陣だらけの広間まで戻り、転移陣を踏む前に背後を振り返った。
 アシラはずるずると少しずつ這い上がるように空の亀裂に逃げ込んでいるようであった。
 「あ、そういや、あれってどうなってます?ちょっと見せて下さい」
 ダークマターに言われて、懐に黒い石をしまったままであることを思い出し、それを取り出して眺めた。
 別に何か変わったところは見られない。
 これを…どうせよと?
 確か、闇より生まれし者はこの世界で滅ぼしてもまた現れる、だから本体を倒すより他は無し…。
 
 ダークマターが、わたくしの手から石をひょいっと取り上げた。
 何気ない動作であったので、わたくしも特に不審には思わず、そのまま手を開いたままだった。

 「ストレイン。ついでに、スルー」

 ぴしり、と体が固まる。
 辛うじて気配を探ると、他の皆も魔法で縛られたようだった。
 何を、と視線だけで問えば、ダークマターはにっこりと微笑んで見せた。
 「や、ちょっと俺が行って来ようかなって」
 ひょいっと石を口にくわえ、装備を外していく。
 背嚢に突っ込まれる2本の剣の重みに、彼が戻る気が無いことを知らされた。
 胸当ても外して簡素な服だけになりながら、ダークマターはどこか楽しそうな声で説明していった。
 「俺なら一人時間差シングルジャンプアタックなんて反則技使えるし〜。ちょっとあそこまで行って、これ突っ込んで、メガデスでも近距離でぶっ放せば、何とかなるんじゃないかなーって思って〜ってゆーか、そこまでやっても駄目ならどうしようもないってゆーか〜」
 わたくしの背後からまた正面に現れる。
 「あ、メガデスは将軍に玉でなる前に、ちょっと魔術師に転職して覚えておきました。用意周到でしょ?俺って凄い」
 くすくすと笑って、ダークマターは「誉めて」と言うように少し首を傾げてわたくしを見つめた。
 「ストレインは後ちょっとで解けるようにしとくから、後は振り返らずにしっかり逃げて下さいね。何が起こるか分かんないんで〜。…もちろん、クイーンガードの面々は、女王陛下をお護りするのが第一の使命なんだから、ちゃんと陛下をお連れして逃げるよね?」
 人差し指を顔の横でちょっちょっと振って、それから少しだけ体を移動した。
 「…そんな、人を殺しそうな目で睨まないでよ。ちょっと任務に行って来るだけじゃん。俺だって単独任務出来るんだからさ〜、いい加減子離れしなよ、クルガンパパ」
 あくまでにこやかに、子供が悪戯を成功させた時の楽しそうな口調でもって言ってのけて、ダークマターはすいっと身を引いた。
 「んじゃ、ダークマター、任務に行って来ま〜す!」
 ばいばい、と軽く手を振って、ダークマターは駆けていった。

 その後ろ姿が小さくなり階段にかかった頃、ようやく体の戒めが解ける。
 思わず走り出そうとしたわたくしの肩を掴んだのはクルガンであった。
 「陛下、あれの言う通りです。何が起こるか分かりません。撤退を」
 「しかし…!」
 わたくしは周囲を見回した。
 どれも、蒼白で強張ってはいたが、わたくしの身の安全を優先する覚悟をしている顔であった。
 
 わたくしたちは転移陣に乗った。
 螺旋階段を駆け上がりつつ、時折空を見る。
 階段を半ばまで駆けた頃。
 わたくしはようやく決断した。
 「クイーンガードクルガン。クイーンガードダークマターを無事に連れ戻しなさい。これは命令です」
 クルガンは、聞き返したりはしなかった。
 油断の無い目でわたくしの顔と元の世界へ戻る魔法陣との距離を測り、それから軽く頷いた。
 「拝命いたします」

 彼らが無事に帰ってくるよう、階段や魔法陣の周囲にスルーを唱えつつ、わたくしは不安に苛まれていた。
 わたくしの命令は正しかったのだろうか。
 ダークマターのみならず、クルガンをも失うことになりはしないだろうか。
 
 神よ。



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