女王陛下のプティガーヅ
ユージンの記録。
朝食を摂りに宿屋の食堂に向かうと、ダークマターが一人でぽつねんと、つまらなさそうにジュースを飲んでいた。
そういえば、会ってから初めて、横にクルガンがいないところを見た気がするな。
「おはよう」
「おあよー」
元気が無いな。低血圧なのか?
結局、私が朝食を終えても、クルガンは現れなかった。
「あー…クルガンはどうしたのかな?」
「ソフィアと話があるって、朝早くから出ていったよー」
投げやりに言って、空になったカップを手で転がしている。
「ふむ、妬いているのかな?」
私の言葉に、ちょっと眉を上げて、彼は不服を示した。
どうも、彼らの関係がよく分からないな。
とても仲が良いのは確かだが、恋人というのでは無論無く、だからといって友人、という言葉では説明しきれない雰囲気もあるのだが。
彼には恩もあることだし、グレースのことももっと聞きたいし、ここは一つ、連れ出すとするか。
「君も、彼に妬かせたいとは思わないかな?」
その言葉には、ちらりと目を上げた。続きを促されていると感じて、私は説明する。
「冒険者ギルドに行くのだろう?私が供では不服かね?」
「んー、妬くの妬かないのは、どーでもいーんだけどー…昔から、あいつら仲良かったのは知ってるしー」
…それを、妬いている、というのではなかろうか。
「話がどこまで長引くかも分かんないしね。んー、そだね。行こうか。時間が無駄だし」
決めると、さっさとダークマターはカウンターにカップを返しに行った。
私も身なりを整え、準備した。
街を二人で歩いていると、時折ちらりちらりと視線が寄せられるのが分かる。
やれやれ、少しクルガンの気持ちが理解できるようになったぞ。
このエルフは見た目が綺麗で、しかも戦い以外の時はどこか夢でも見ているような焦点の合わない瞳をしているからな。女性はもちろん、ある種の男性の興味も惹くだろう。
これがあの『凍てつく瞳』のダークマターとは思えないな。
一度だけ見た、あの全ての者を拒んでいるような凍り付いた表情。一部不均衡な細い肉体から放たれる恐ろしいほど鋭い斬撃。
そうしてクイーンガードダークマターのことを思い出していると、隣から、やはり夢見るようなぼんやりとした声がかけられた。
「…グレースちゃんのことが聞きたいんじゃないの?」
夢を見ていたのは、私の方らしい。
首を振って残像を追い出し、私は彼に頼んだ。
「あぁ、聞きたい。彼女は、その…どうだろう?」
実に不明確な聞き方だったが、隣を歩くエルフは微かに笑って答えてくれた。
「いい人だねぇ。神様が、正しいことしかなさらないって信じてる。そして、自分もそういう神様に背かぬよう、自分を律している。いい人だけど…」
そして、小さく呟く。
「俺は、苦手だったよ、少し。俺は、神様ってすっごく意地悪だと思ってるから」
「ははは、僧侶とは思えない言い方だな」
「まーねー。でも、ホントに、神様って、俺たちのことを玩具か何かだと勘違いしてるんじゃないかな。それで、上から俺たちがじたばたしてるのを見て、楽しんでるの」
淡い金色の睫毛が、翳りを落とす。
「そうだな。神は、とても皮肉屋だ。さもなくば…」
あんな『神』の出現をお許しになるはずはない。
「あー、それでね、グレースちゃんだけど」
いきなり明るいのんきな声でダークマターは話し始めた。
目線はまだ前方を向いて、どこか虚ろだったが。
「あんたを救おうと、そりゃ必死だったさー。ヴァンパイアロードに立ち向かったりしてさー」
「ヴァンパイアロード!」
あの不死の王か!?そんな存在相手に彼女が…。
「まー、倒すことは出来なかったけどねー。せいぜい押し戻した程度?」
「それはそうだろうな。だからこそ、『不死の王』だ」
「で、そんときにも、ウォルフが付いてたの。彼は単純明快でねー。か弱い女性が一人で迷宮に挑むなんてって無償でご奉仕。純粋に、自分が戦うのを楽しんでるってとこもあるんだけどさ」
その名は昨日も聞いた。
単純な戦士、か。白百合の姫と、魔法一つ使えぬ戦士。ふん、釣り合わぬ。
「俺には女心ってものはさっぱり分かんないけどさー。あれだけ側にいたら、ちょっとは気が向かないものなのかなー」
不思議そうに首を捻る。
うーん…このエルフに、女性の心の機微など、理解しろという方が無駄なのか。
それでは、グレースが本当にそのウォルフとやらに傾いているのか、それとも全く興味がないのか分からないではないか。
「たとえば、君は仲間の女性に好かれていたようだが、それで心が動いたかね?」
「いや、全然」
見事に即答だったな。
なかなか見目麗しき女性たちであったと記憶しているのだが…まあ、クイーンガードクルガンのような筋骨逞しい男性に惹かれる気持ちというのは、私には全く理解が出来ぬが、女性の見た目は気にならぬものなのだろうか。
「俺にとって、仲間っていうのは、恋愛感情の対象じゃないよ。とても大事だけど、でも、個人として大切にしたいっていうのじゃないって言うか…」
うーむ。私が、部下を可愛いと思うのと同じようなものだろうか。
「では、クルガンは?」
「あぁ、あれは」
あれ、なのか…。
「俺が大切に庇ってやらなくても全然平気っていうところは楽で良いんだけど、でも、あいつ、俺のこと子供か何かだと思ってるみたいなんだよね。俺は対等でいたいのにさ。そーゆーとこ、嫌い」
うーん、十分、子供のような言い草なのだが。
このエルフは見た目より言動が幼くて、どうも危なっかしいところがある。そういうところが放ってはおけないのだろう。
…クルガンの気持ちの方がよく分かる、といのは、内密にしておくべきだろうな。
そうこうしてる間にギルドに着いた。
「そういえば、何の当てがあるのかな?」
「えーとね、登録に、何か見た名前があるんだよねー。一応、確認しておこうと思って」
こんな数百年も前に、知った名前がある、と?
まあ、我々とて原因も分からず飛ばされてきた身、誰がいても不思議ではないが…。
扉を開けると同時に、ダークマターの目が見開かれた。
そして、相手の目もまた。
「リカルド!グレッグ!」
「うおーーっ!ダークマター〜!」
駆け寄って、がしぃっと抱擁。
うーむ、クルガンが見ていなくて良かった。
リカルド、と呼ばれた男は、じたばたと藻掻くダークマターの体を離そうとしない。どうも感激屋のようだ。
そのうち、黒衣の忍者が無理矢理引き剥がした。
うむ、見事なスリーパーホールドだ。
そして、やはりダークマターに抱擁。
「な、何で、あんたまで俺に抱きつくんだ!」
「リカルドばかりとでは、不公平だと思わないか?」
「不公平も何もあるかーっ!」
ダークマターは嫌がってはいるが、声は明るい。彼にとって、我々よりは、彼らといる方が自然体なのではなかろうか。
そして、黒衣の忍者も引き剥がされる。
「ずるいわずるいわあたしだってダークマターと感激の熱い抱擁をかわしたいわよまさか貴方もここにいるなんて思いもしなかったわそういえばクルガンはどうしたのかしら一緒じゃな…」
立て続けに喋っていた女僧侶の目が、私に止まる。
「まあユー…」
「ストップ」
ダークマターの手が、彼女の口を覆う。
「一体、どれだけの人が飛ばされてきたのかしら」
肌の露な服装の女が、楽しそうに言って、やはりダークマターに抱きついた。
「ちょ、ちょっとルイ姉さん、どこ触ってんの!」
「いいじゃない、ちょっとしたサービスよ」
「いらない〜!サービスなんていらない〜!」
騒がしい集団が、ギルドの奥へと移動した。
ダークマターは彼らを巧みに導きながら、私に視線だけで振り返った。
ふむ、彼が落ち着くまで、私は待つことにするか。
さて、何か暇つぶしは…。
辺りを見回すと、まだ午前中なのか冒険者はまばらで、あの騒がしい集団を見る者も少なかったが、一人壁際で、彼らをうらやましそうに見つめているエルフの女性がいるのに気づいた。
何とも線の細い優美な肢体に、白い透けるようなローブ。白金の髪はゆるやかなウェーブを描いて彼女の肩にはらはらと降りかかっている。
「ははは、いや失礼。驚かせてしまいましたかな?」
私は朗らかに彼女に声をかけた。
彼女は軽く狼狽し、恥ずかしそうに頬を染める。
神秘的な紫の瞳を伏せて、金の鈴のような声で謝罪した。
「ごめんなさいませ。わたくし、そんな、見つめるつもりはございませんでしたのよ?」
「なんの、こちらこそ騒がしくして申し訳ない。あれでは美しい小鳥も逃げてしまう」
「小鳥?」
彼女は細い首を傾げた。浮き出る鎖骨の線が美しい。
「ここに、一羽」
私は、彼女の手を取り、騎士の礼として甲に軽く接吻した。
「まあ」
染まった頬は、決して嫌がってはいない証。
「貴方のようなお美しい女性が、なにゆえこのような場所に?」
「あ…わたくし、これでも司教なのですけれど…」
ほう、司教。
「ですが、体力もございませんし、頼りになる仲間もございません。それでも、何かのお役にたてはしまいかと、こちらに参った次第でございます」
これは……。
うむ。神の思し召しとは、時にとてもありがたきことだ。
私は、にこやかに微笑んで見せた。
「麗しの君よ、お名前は?」
ダークマターが帰ってきたときには、両手一杯に装備を抱えていた。
私の横には、エルフの女性が。
彼は、ちらりと彼女を見ただけで何も言わず、ただ宿に戻ろう、と提案した。
私に否やがあろうはずもない。彼女に挨拶をして彼を追った。
そうして帰った宿屋では。
どう考えてもイライラと待ち受けていたのだろう、クルガンが玄関先で仁王立ちになっていた。
「ただいまー」
うーむ、この顔を見て、よくそんなのんびりとした挨拶ができるものだ。
「…他に、言うべきことはないのか」
クルガンの声が、地を這うように低い。
しかしまあ、客観的に考えたところで、ダークマターがクルガンとではなく私と同行したのは、クルガンがいなかったからなのだから、謝罪する必要もなかろうと思うのだが。
ダークマターは、んー?と首を傾げて、跳ねるように階段を上がっていった。
「何?お帰りのちゅーでもしてくれるっての?」
ちゅーはないだろう、ちゅー、は。
「…してやろうか?熱烈なのを、一発」
「…ごめんなさい、俺が悪かったです、クルガンさん」
うーむ、やはりどういう関係なのか今一つ理解できぬ。
クルガンが伸ばす手を、きゃーっと楽しそうに悲鳴を上げてダークマターはかわした。
そのせいでこぼれたロングソードが床にがちゃんと音を立てる。
「…何だ?同じ装備があっても無駄だが…いや、そもそも金はどうした?」
「巻き上げてきましたぁっ!」
褒めてっと言いたそうに胸を張るダークマターの頭を、クルガンががつっと殴った。
「返して来いっ!」
「痛〜!」
「当たり前だっ!痛いように殴ったんだ!」
「何で殴るんだよー」
「お前が、恐喝などするから…」
「いや、ちょっと待ってくれ」
私は思わず口を挟む。
「殴る前に、彼の話を聞いてやってはくれまいか?」
騒ぎが聞こえたのだろう、陛下とレドゥアも部屋から顔を覗かせた。
クルガンはこちらを射抜くような視線を飛ばしていたが、そのうち喉を低く鳴らした。
「…分かった。話を聞こう」
部屋に入って(それも昼には追い出されるらしいが)、ダークマターの報告を聞く。
「…というわけでしてー。あっちの時代での知り合いがいたので、原因が分かったら一緒に帰るという約束で、装備を頂いてきましたー」
うーむ。
辻褄が合っているようで、微妙に綻んでいるような。
冒険者の仲間なのだろう?初期装備すら奪って、彼らはこれからどうやって糧を得るというのだ。
しかし陛下はそこまで気が回らぬのか、鷹揚に頷かれた。
「そうですか。それは、彼らに報いねばなりませんね」
「はいー」
…気の毒だな、冒険者たち。
「いいのか?」
クルガンの問いはとても短いものだったが、ダークマターには通じたようだった。
「いいよー。俺、今回はクイーンガードやるって、決めたし」
つまり、「彼らと一緒ではなく、我々と一緒でいいのか?」という問いなのだろう。
「それに、あいつらも初期状態で弱っちぃし」
うーむ、冷たい。
本当に、気の毒だ。冒険者たち。
「これ、どこかで売り飛ばしますねー。そしたら結構、金になると思いますよ」
「それなんだけど」
ソフィアが口を挟んだ。
「何だかね、この街ってば武器屋も防具屋も開店休業状態なのよ。辛うじて、ヴィガー商店っていうのが買い取りだけしてるみたいだけど」
ふむ、我々がいない間に店を探したのだな。
「一応、バザーを庁舎前でやってるって言うから行ってみたけど…小さな盾だの品質の悪い小手だの、そんなものしか無いのよ。お金があっても、買うものが無いんじゃ、意味が無いわ」
「えー?せっかく、ぶんど……貰ってきたのにー」
返せばよかろう…。
そこでクルガンが腕を組んで顎を撫でながら頷いた。
「では、酒場に行ってみるか」
「何?情報収集?裏取引はやだよ?高いから」
「いや、壁に『トラップゲーム1回500Gold』という紙が貼ってあったのが気にはなっていたんだ。賞品によっては挑戦するだけの価値はあるかもしれん」
「トラップゲーム…」
何故か、ダークマターが遠い目をした。
「あんたに任せて、酷い目にあったことがあったっけ…」
げほげほと咳き込むクルガン。
「…今の俺は、盗賊だ!罠外しは得意なはず!」
「はずってのが恐いよねー…」
遠い目をしたまま呟くダークマターの口の両端を引っ張りながら、クルガンは叫ぶ。
「な、ら、お、ま、え、が、は、ず、せ!」
「いひゃい〜!俺、侍だもん〜!僧侶だもーん!」
相変わらず、仲が良い…のか?
ようやく外された口を撫でながら、ダークマターは涙目でクルガンを睨んでいた。
うむ、かなり赤くなっているからな…相当痛いだろう、あれは…。
仲が良いのは結構だが、どうも話が進まないきらいがあるな。この二人に任せていると。
「私も、酒場に同行しよう。少し興味がある」
クルガンはイヤそうに眉をしかめたが、速攻でダークマターに後頭部をはたかれた。まあ、私は聞いていないことになっているが、夕べ、私のことを信じるとダークマターに言ったばかりだからな。
陛下がその場をまとめるように言った。
「分かりました。これよりクルガン、ダークマター、ユージンの3名は酒場でそのゲームに挑んで下さい。わたくしたちは錬金術ギルドで魔法石についての情報を集めることにいたします」
それで立ち上がりかけた皆に、私は朗報を伝えた。
「あぁ、私の方から一つ。私も今朝は冒険者ギルドに参りましたが…」
そこで出会った麗しいエルフの女性司教の話をする。
「まあ、そのようなことで、彼女は私たちが持ち込むアイテムを無料で鑑定してくれることになりました」
はっはっは、私の騎士道を発揮すれば、女性は助力を惜しむことはなかろう。
「騎士道?」
「騎士道だ」
私は、きっぱりと頷いて見せた。
「背筋が痒くなるような言葉を並べ立てて、相手の瞳を覗き込み、強引に唇を奪うのが騎士道?」
「騎士道だ」
見ていたのか、ダークマター。
だが、まだまだ甘いな。あれは強引に奪ったのではない。あくまで騎士道に則った礼儀作法だ。
少なくとも、私はそう心得ている。
「ユージン。…いろいろと言いたきことはありますが」
陛下はそこで一旦言葉を切った。
「無料で鑑定をしていただける司教は貴重です。心変わりされること無きよう、努力を惜しまぬように」
「はい。無論、全力を尽くす所存です」
私が膝を折るのを、レドゥアが魂の抜けたような顔で見つめていた。
「オティーリエが…私のオティーリエが、世俗にまみれていく…」
そんなことを呟かれても。
「それで、その崇高な志の女性のお名前は?」
「フィーカンティーナと」
…略してカンテイちゃんと覚えると良いだろう。
そして、我々はまずヴィガー商店なる所に行き、装備を換金した後、酒場に向かった。
もちろん、私はフィーカンティーナについてダークマターに釘を差すのは忘れなかった。
「グレースには、内緒だぞ?」
彼は、ぼーっとした目で私を見つめ
「…やっぱり、俺には、男女の仲ってさっぱり分からないかも…」
「こいつのは、特殊な部類だ。お前には難しすぎる…」
うーむ、クルガンまでおかしな目で私を見る。
そういえば、この男も、浮いた話の一つも無かったか。ふむ、この男とも親交を深めるために、第一歩として騎士道精神を教えるとするか。
「いらん!」
何故かクルガンは断固拒否して早足で歩いていった。
うーむ、やはりダークマターさえいれば良いと考えているのだろうか。
酒場では、やはりトラップゲームなるものが行われていた。
その賞品を書き連ねた紙を見て、クルガンはにやりと笑う。
「よし、そう来なくては」
「1回500Gold」
クルガンはその場にあぐらをかき、静かに深呼吸した。
「始めるぞ」
すると、次々とその場に錠前のようなものが差し出され、彼は忙しく手を動かし始めた。
ちんっと小さな音がして、錠が外れる。
休む間もなく次の錠前。
彼の手の動きはリズミカルで、戸惑うこともない。
うーむ、簡単なのだろうか?あれは。
他にすることもなくただ眺めているうちに、外された錠前はどんどん積まれていっている。
多分、50個を越えたあたりだろう、クルガンは小さく呟いた。
「…っと、少し複雑にしてきたか」
だが、その顔は実に楽しそうで、不敵な笑い、とさえ言えるような表情であった。
うーむ、女性なら惚れ直すであろう男っぷりだが…彼を好きだというエルフにとってはどうだろう。
そう思って、傍らで見つめているダークマターを見やると。
実に退屈そうな顔をしていた。
「飽きたよー、クルガンー」
………。
いや…だからといって、芸をしながら出来るものでもなかろうしな…。
ダークマターは、クルガンに背中を預けて座り込み、退屈ー退屈ーと歌い出した。
それでも、クルガンの手元は狂わない。
「なー、飽きたー、つまんないー」
駄々をこねながら、ダークマターはクルガンにぺたりと抱きついた。
一瞬、クルガンの手が震えたが、無言のまま錠前を外していく。
「クルガンさんってばー」
あ、耳を囓った。
エルフ特有の長い耳をかぷっと…甘噛みだろうな、本気で噛んだら痛いだろうから。
うーむ、普通は、そういうことはしないだろうな、男同士では。後ろでざわめきも聞こえる。
あぁ、クルガンの錠前外しが見事だったのだろう、いつの間にか見物人が増えていたのか。
ダークマターは気にする様子もなく、まだ耳を囓っていたが、それでもクルガンが無言なので、また背中合わせに座り込んだ。
あぁ、もっとちゃんと座らないと、僧衣が乱れるとまた足が見えるのだが。
「何だ、兄ちゃん。退屈なら、俺たちが遊んでやろうか?」
「そうそう。こんなところ出て、たっぷりとよ?」
…また、か。
こうなるのが分かっていてやっているのではあるまいな?
ダークマターは、鬱陶しそうに目を上げて、一言。
「失せろ。俺は、機嫌が悪い」
うーむ、男らしい。しかし、実力が今は伴っていないのが残念だ。
「そう言うなよ。後ろの痩せっぽっちの兄ちゃんと違って、退屈させたりしないぜ?」
痩せっぽっち。
その単語で、エルフ耳がぴくっと動いた。
同時に、ダークマターの目が。
何と表現すればよいのだろう、色が淡くなり瞳孔が拡がって…白目に瞳孔だけが浮かんでいるような、奇妙な瞳に見え。
あぁ、これは確かに『凍てつく瞳』のクイーンガードダークマターなのだな、と改めて感じた。
だが、触れる者を凍り付かせそうな瞳をしていながら、未だ立ち上がろうとはせず、目を細めて顎をしゃくる。
私には、ダークマターが相当に殺気を押さえ込んでいると理解できたが、野卑な男にはただ馬鹿にされたようにしか見えなかったのだろう、人混みから、ぬっと姿を現した。
やれやれ、こんな時に限って、またもマスターの姿は見えぬのか。
私が守らねばならぬのだろうな。
溜息を吐いて、ダークマターの前に立つ。
酒臭い息と共に、男の腕が私に伸びてくる。
ふむ、単純な腕力では敵いそうにないな。なら、関節を極めるしかないか。
私はその男の手首を掴み、同時に引き込んで肘の関節を逆手に極めた。
哀れな悲鳴にも、クルガンが振り向くことはない。
さすがに大した集中力だ。
もう一人、寄ってきた男は、ダークマターが足払いをかけ、おぉ、ついでに突こうとした手まで足払いか。見事に、庇うことなく後頭部が床に激突だな。あれは、しばらく起き上がれまい。
ダークマターもそう思ったんだろう、立ち上がりかけて…つんのめった。
床に延びた、と思った男が、ダークマターの足首を掴んでいる。
まずいな、筋肉強化でもしていたのか?
さっさと私の捕まえているこの男を戦力外にしたいのだが、あまり手荒にして事を大きくするのは困るだろう…などとつまらぬ事を考え、時間をかけていたのが拙かった。
ダークマターの足首を持ったまま、筋肉男が立ち上がる。
逆さにぶら下げられたダークマターは、逆の足で相手の首筋に蹴りを入れたが、全く堪えた様子がない。
しかし、僧衣が見事にめくれているし、かなり危険な状態にも関わらず、ダークマターは、声一つ出さず、ちっと小さく舌打ちをしただけだった。
がちゃん。
今までとは異なった音が響いた。
「…あ、と。残念、失敗しましたね」
店の男がこちらをちらちらと見ながら上の空でそう言う。
クルガンは、無言でコインを数えて、店員に差し出し何かを言っているようだ。
おいおい、さっさとダークマターの手助けはしないのか?
その間に、筋肉男は、ダークマターを床に叩き付けようとしたのだろう、大きく振りかぶって…う、これは拙い体勢ではないのか?
本当に、ダークマターが怪我をし……
あ、すっぽ抜けた。
ワンテンポ遅れて、男が悲鳴を上げる。
ダークマターはと言えば、床上20cmという地点で器用に身体を反転させて着地していた。
猫かね、君は。
「これは、石化のダガーというそうだ。試すか?」
うーむ、いつの間に、男の背後にいたんだね?クルガン。
男の首筋には、多分今、景品として貰ったのであろう短剣が突きつけられている。
クルガンの声は、淡々としていて、怒りも何も感じられない。
…が、やってることは、かなり怒りの賜物という気がするぞ。
男の目が、恐怖に歪む。
まあ、石化されて嬉しい人間など、どこにもいないだろうが。
私の方も、すっかり肘の靱帯が延びきって使い物にならなくなっただろう男を解放してやった。
それを契機に、筋肉男も「ちっ、覚えてろ!」と典型的なセリフを吐いて逃げ出した。
クルガンは、ふん、と鼻を鳴らして、男の腕から回収した投げナイフの血を拭った。
それから、ぽかりとダークマターの頭を殴る。
「馬鹿者。お前が騒がしいから、失敗したぞ」
「あー、自分の失敗を、俺のせいにしてるー」
「お前がうるさかったんだ!」
……うーむ。
音量的に騒がしかったのは、むしろその前であったように思うのだが。
失敗したタイミングは、ダークマターが危機に陥った時であって、その時彼は悲鳴の一つも上げなかったのだが。
何というか。面白い奴らだな。
きっと、ダークマターは、クルガンの集中を乱さないように声を出さなかったんだろうし、クルガンはクルガンで、ダークマターが危険だったのを助けたという事には言及せず、『うるさいから失敗した』ことだけを怒ってみせるし。
うーむ…熱い男の友情、というには何かが異なるか…かといって、出来上がっている恋人というのでもなく…
「あぁ、『夫婦漫才』」
ようやくかなり近い単語を見つけ出したというのに、彼らは同時に振り返って怒鳴った。
「「違う!!」」
照れずとも良いのにな。
それから、退屈だ退屈だと言っていたダークマターもトラップゲームに挑戦し、93回という記録を出した。
しかし、クルガンの記録(273回)には遠く及ばなかったため、もう一度挑戦すると息巻き、それに鼻を鳴らしたクルガンが再度挑戦し、今度はダークマターの本気の邪魔が入ったり…と、何度も挑戦した結果、金は減ったがコインは増えた。
うーむ、ずいぶんと簡単そうに見えるし、私も一度やってみたい…。
「あ」
彼らが口喧嘩をしている隙に、挑戦する。
しかし、2回いじっただけで失敗した。
「…ユージン…」
「お前は、手を出すな!」
うーむ、賞品の『銀の髪飾り』が欲しかったのだが…ベイクド銀で出来た美しい髪飾りは、グレースへの手土産にぴったりだと思ったのだが…。
「んー、気持ちは分からないでもないけど…もーちょっと、金に余裕が出来てから挑戦してねー」
仕方があるまいな…。
待っていてくれ、グレース。
必ずや、銀の髪飾りを持って、君の元に帰ると誓おう。
「あのさー、多分、あんたの腕前だと、トラップゲームで賞品得るより、魔物から奪う方が早いと思うよー」
私の決意に、水を差さないでくれ給え……。