女王陛下のプティガーヅ
ユージンの記録
酒場では、すでに王国掲示板に「王女が生きていた!」という題で書き込みがあり、大勢の市民が反応していたが…削除された書き込みも多いところをみると、どうやら懐疑派や王女を悪く言う市民も存在するらしい。
比較的穏便な懐疑派の言い分では、「王女は、王が娘可愛さに他の国に送っていたのだろう」というものが多かった。自分たちはいくら危険でもこの国を離れられないのに、自分の娘だけ安全な場所に送るなんて、という妬みと僻みからくる反応らしい。
さて、どうしたものか。
そんなことはない、と書き込んだとしても、「ソースは?ソースも無い妄想でつか?プギャー」と返ってくるのは目に見えている。
ここは穏便な論調で…「仮にそうだったとしても、王女は戻ってこられた。自らの義務を知っている立派な態度だ」とでも書いておこう。この場合、オルトルード王は悪者になるが…王女の名誉には代えられまい。
本来なら、こういう情報操作は忍者が得意なのだろうが、クルガンはこの手のものを嫌っているからな。仕方あるまい。
酒場に来たついでに、依頼を確認すると、カウンターに透き通った少女の姿が浮かび上がった。
「あら、貴方達…お願い、私の体を探して…教会に遊びに行ったら、司教さまに呪文を唱えられて…その教会の内部と、迷宮の下の方の様子が似ているって聞いたから…もし、私の死体があるとしたら、祭壇近くだと思うの。死体はともかく…両親の形見の宝石は取り戻したくて…」
うむ、哀れな話だ。
どうやら、その教会とやらは悪しき神を祀っていたのだろう。
いずれは美しく成長するはずであった幼き少女の命を絶つとは言語同断。せめて彼女のために依頼を受けたいところではあるが。
「…こっそり…受けても良いだろうか」
「良いんじゃないかな…」
彼女は、支店に住んでいる幽霊で、イベント会場で才能占いというものを行っているのだが。
……我々は、皆、才能が無い凡人なのだそうだ。
それは構わぬのだが…私はさして才があったと自惚れてもいないが…陛下がご気分を害しておられるのだ。
まあ、顔を見た瞬間、「可哀想…リーダーなのに何も無いなんて、可哀想…」などと言われれば、穏やかではいられぬだろうが。
間をおいて全員占ってみたが、全員何も無い凡人、ということになった。リーダーである陛下が何も無いのに、誰かに才能があったならそれはそれで気まずいという気もするので、平等で良かったのだが。
ちなみに、ダークマターに関しては、非常に見えにくかったらしく、ローミは何度も首を傾げていた。
「…困ったわ…本当に、何も無い…才能が無いって言うんじゃなくて…魂が…」
体を薄れさせて消え入るような声で囁いたローミに、ダークマターは苦笑して答えたものだ。
「うん、俺の魂は87%しかない模造品だから。欠けてるから、見えにくくてもしょうがないよ」
どうやら慰めているらしいが、むしろ彼が慰められるべきではないのだろうか。
ダークマターの言うところによると、魂というのは綺麗な球形をしているらしい。だが、彼の魂は完全には移せなかったので、球形ではなく落としてひび割れたり欠けたりした玉のような形になっているのだそうだ。無論、本当に己の魂を目で見ることが出来るわけではないのだろうから、たとえ話なのだと思うのだが。
ともかく、そのような経緯で、陛下はあまりこの少女と会いたくないようなので、陛下には内密にこっそりと依頼を受けることにしておいた。
いつも通りカルマンの迷宮に入り、ショートカットを使って4階に降り5階6階と降りていって、不思議な形の邪魔物が消えた部屋の転移陣を使うと、割合すんなりと7階へ降りられた。いちいち降りねばならないのだと、それだけで疲れるところなので助かったな。
さて、その7階は。
「…一瞬、カビカビ再び!かと思ったけど…」
骨が浮き出たような床を進み、妙な生温かさを持つ壁に触れ、染み出てくる液体の酸性臭に顔を顰める。
そこは、まるで生物の体内にいるかのような場所だった。
ダークマターの言うカビカビ、というのは、かつての迷宮でインキュバスと契約した階のことを思い出してのことだろう。あれは緑色の胞子に覆われた不快な場所であった。
確かに、一見空気が緑色を帯びているあたりは似ているかも知れないが…明らかに床の触感や臭いが違う。
「こういう動きづらい場所は好かん」
クルガンが眉を顰めている。一歩進む度にブーツの底に粘り着いてくるような床が気に入らないらしい。
それでもじわじわと進んでいき。
「でも、上の階より楽よね」
「ユージンのレベルが下がる心配をしなくていいもんねー。ソフィアが忍者にクリティカルされる心配とか」
などと暢気に探索を進めていると。
とある部屋に入ったところで、少女の悲鳴のような声に動きを止めた。
「あ〜!あなた達は!」
一瞬、またメラーニエが勝手に迷宮に入ってピクシーが叫んでいるのかと思ったが、今回現れたのはエルフの少女であった。確か…リュートだったか。
「助けて!王女様がウェブスターにさらわれちゃったの!」
「はやっ!」
ダークマターが思わず突っ込んで、クルガンに頭を殴られていた。
確かに、予想したより早いが。
王宮に戻ってほとんどすぐではなかろうか。よほどウェブスター公の決断が早いか…あるいは、内通者がいるか。
「それでは、ウェブスター公は5階に上がったのですか?」
陛下の言葉に、リュートはぶんぶんと首を振った。
「うぅん、まだこの階にいるはずよ」
武神を起動させるつもりならば、あの広間に向かうはずだが…まだ何か企んでいるのか。
「では、急ぎましょう。この先なのですね?」
陛下は悩むこともなく王女救出の道を選ばれた。拒否する理由も無いが。
駆け足になりながら、ダークマターがちらりと私を振り返った。
何だ?と目で問うと、小声で口早に説明する。
「暗黒の書ってのが何か分からないけど、リッチが更に永遠の命を望むような中身だとしたら…ユージンにはイヤな相手かしんない。…目の前に出ても、動ける?」
「…何、が?」
「えー…ぶっちゃけ、死神」
一瞬で背筋にどっと冷や汗が流れた。
死神、か。
私の肉体を滅ぼし…あまつさえ、魂までも貪り食った、あの存在。
思い出すだけで体温が下がり、手足が痺れてくる気がする。
「…戦えるのか?あんなものと」
ダークマターは薄い水色の瞳を興味なさそうに遠くに飛ばしながら肩をすくめてみせた。
「さあ。少なくとも、あの時代にはぶちのめしたけど。実体さえ取ってくれれば、この世界の物理法則に従うから、やりようはある。もちろん、死神という存在自体を抹消出来る訳じゃないけど、いったんこの世界から放逐することは可能だよ」
私はルーングレイブを握りしめた。武器が通じるのならば、さして畏れる相手では無い…のか?
だが、私は魂が砕け散る瞬間を覚えている。
あの恐ろしいほどの虚無。
ほんの少し思い出しただけでも…このユージン=ギュスタームが子供のように泣き声を上げて家に逃げ帰り布団にくるまりたくなる。
「ユージン。恐れることはありません。神はこのドゥーハンに光を取り戻すために、わたくしたちをお遣わしになったのですから、闇はわたくしたちの前に滅びる運命なのです」
陛下は相変わらず雄々しくていらっしゃることだ。
仮にあの時代、武神が生まれ出た時に陛下がその討伐の指揮を取られたならば…私は反乱など起こすことなく喜んで従っていたろうに。
…無論、陛下の魂なくして武神は復活しなかったのだから、あり得ない話だが。
えぇい、私も騎士の端くれ、敵に怯えて背を向けるなどという恥さらしな行為は出来ぬ。
今度こそ、立ち向かって見せようではないか。
今の私には、仲間がいるのだ。
そうして、私が決意を新たにしている間に、我々はウェブスター公を発見した。
ウェブスター公の言い分によると、彼こそが古来からのドゥーハン王家の血筋なのだそうだ。
得々と語っている彼には悪いが、王家や貴族の血筋というのものは、かなりの確率で初代からは繋がっていない。彼の運命は気の毒だとは思うが…オルトルード王は王として良くやっているのだから、民はそれでよいと思うであろうな。
「…て言うかさー。普通もっと裏を取るもんじゃない?知ってて宰相にした、とか?」
ダークマターがこっそりとリュートに話しかけている。
王女のお付きであるエルフの少女が、またひそひそとダークマターに答えている。
そうこうしているうちに、ウェブスター公は覚悟を決めたのか、懐から1冊の本を取りだした。
「これは賭だよ。私が武神を使ってドゥーハンの救いの主となるか…それともこのまま潰えるか。チップは私の魂だ。なかなか潔い賭だろう?」
ウェブスター公は躊躇うことなく自分の腕を切り、その本に血を垂らした。
ざわり、と全身が総毛立った。
「…来る」
「いや…変わる、と言うべきかな」
空間が歪み、室内の温度が急速に下がっていき。
ウェブスター公の肉体が捻れ丸まりあり得ないほどの小さな玉になったかと思うと、それが弾けた。
重力さえ増した気がする。
体中の力が抜けるようだ。
<それ>は私を見て、哄笑を上げた。
「…ま、所詮、一人の人間の肉体と魂を媒介にした死神なんざ、たかが知れてるっしょ。てことで、いつも通りいきましょ。ユージンは、マジックキャンセルだけ頑張って」
ダークマターの声が遠くに聞こえる気がする。
耳までおかしくなったのか、と首を振る私の前から、ソフィアとダークマターの体が消える。
慌てて顔を上げると、クルガンも見えなかったが、すぐに帰ってきた。
「…死神はクリティカルで死んでくれんだろうな」
「ディスペル出来る死神並にイヤだねー、それ」
攻撃を終えて元の位置に戻ってきたダークマターが少し笑った。
「あ、何だか指輪のようなものを盗めました!」
…陛下はちゃっかり盗みに入っている。
むぅ…死神に怯えているのは、私だけか…。
体は重いが…せめて自分の役割だけはしっかりせねば。
だが、そう決意した私を嘲笑うように死神が目を光らせた。
何やら謂れのない恐怖が全身に走る。
「レドゥア、フィアケアを…貴方もですか」
辛うじて横目で確認すると、ガード長も体を強張らせていた。…私だけでなくて良かった。
思わず逃走しかかったり、怯えて何もできなかったりする後衛を後目に、エルフたちは着実にダメージを与え続けている。そして、陛下も着実に何かを盗んでいっているようだ。
「もう持てませんね」
「じゃ、本気出して殲滅しますか」
…今までは、本気では無かったのか。哄笑を浴びて恐怖に覆われた頭でも、何となく突っ込みたくなるセリフであった。
レドゥアがフィアケアを唱えて体が動くようになるが、またすぐに恐怖が襲ってくる。
私とレドゥアがそんな状態だというのに、前衛のエルフたちは不自然なほど生き生きと攻撃し、また死神の振り下ろす剣を軽々と避けている。
散開しては浮かんでいる死神に攻撃を当てていくエルフたちのおかげで、ようやく死神は消え去った。
いきなり軽くなった空気に、私は大きく息を吐いた。
レドゥアが改めてフィアケアを唱えたので、謂れのない恐怖も失せ、改めて死神が存在していた場所を見た。
…何も、無かった。
血も、肉も、髪の毛の一筋すら。
そこに<人間>がいたのだ、という証を欠片も残さず、ウェブスター公は消えた。
これが…魂を賭けて、敗れる、ということなのだな…。
私が感慨に耽っていると、レドゥアが少しばかり近寄ってきて、小声で言った。
「…あれは…死神であったな?…紛い物ではなかろう?」
「はぁ…そのようでしたな。あの威圧感は、まさしく死神であったかと」
何故、レドゥアがわざわざ私に聞いたのか分からぬまま肯定すると、レドゥアは疲れたように溜息を吐いた。
「我がガードたちは、さすが剛胆と誉めるべきなのか、それとも無神経ぞ、鈍感ぞ、と責めるべきなのか…」
レドゥアも恐怖に襲われまくっていたので、納得できないらしい。人間らしいことで、私としてはありがたいが。
我々の会話が聞こえたのか、前衛が振り向いた。
ソフィアは雄々しく力こぶを作り叩いて見せ、ダークマターとクルガンは目を見合わせてから、同時に肩をすくめた。
どうやら、彼ら自身にとっては極当たり前のことであったらしい。
「神のご加護です」
陛下もあっさりと頷かれ、奥の台座へと向かわれた。
そこにはオリアーナ姫が横たわっていた。
我々も陛下の後から駆けつけたが、姫は体の自由が奪われているだけで傷などは無いようであった。
「…彼を…責めないで下さい…」
かすかに唇が動き、囁き声が聞こえた。
「そうですね。彼は己の出来うることを為そうとしたのでしょう」
「…えぇ…」
陛下のお優しい言葉に、姫はほっとしたように寄せていた眉を開いた。
エルフの双子が揃い、姫を起こそうとしたところで、不意に空気が動いた。
現れた異相の男に、双子たちが敵意も露に叫ぶ。
「ゼル!姫は渡さないわよ!」
「…いや、俺は王の命で事態を見守れと言われてはいたが、本当に危険になったら介入するつもりだった。決して、ウェブスターの味方ではない」
「信じられるわけ無いでしょ!」
「俺の主は、オルトルード王のみ。俺は、王の命令に従うだけだ」
確かに敵意は無いようだが…背後の会話が気になってしょうがない。
「…いける?」
「5秒で魔法が発動すれば何とか」
「一番早くて俺とあんたの魔法協力クレタだけど…足止めにもならないか」
………まだ敵でも無い相手に、シミュレートするのは止めたまえ…。
相手は恐らく忍者たちの長であろうに、臆するどころかむしろ戦ってみたそうにうずうずしているのが私にすら伝わってくる。こと戦闘のこととなると、この二人は異様に息が合っていることだ。
ゼルとやらも気づいているだろうが、素知らぬ顔で姫を軽々と抱き上げた。
「ともかく、城に戻るとしよう。…お前たちも、城を訪ねてくるがいい」
陛下が優雅に礼をしたのに頷いてから、ゼルと姫と、エルフの双子は消えた。
完全に彼らの気配が消え失せてから、陛下が考え深そうに首を傾げられた。
「これで、オリアーナ姫はまた王家の一員となり、おそらくは次の女王となるのですね。やはり、ここはわたくしたちの直接の過去なのでしょうか」
「さて…オリアーナ女王に初代クイーンガードが誕生せねば、何とも」
そして、狂える老司教による武神復活の試みを打ち砕く、と。
やれやれ、我々はどこまで歴史に介入するのであろうな。