女王陛下のプティガーヅ





  ユージンの記録

 さて、こうして我々は6階まで挑める冒険者となったのだが…酒場に赴くと依頼が増えていた。
 ふむ、まずは魔法の泉計画パート3…どうせ6階に向かうのならばついでに引き受けても…と思ったのだが、クルガンとダークマターはひそひそ相談した末に、これは後回し、と判断したようだ。何でも、達成期間が2日なのが引っかかる、もしも6階の奥の奥なら見つけられないうちに終了してしまうかもしれない、と言うことらしい。
 さて、他には…よし。
 私が率先してその依頼にサインしていると、うわぁ、と背後から愛らしい少女の声がした。
 いつもながら、振り返った時の落差が大きいな。
 「ふふ…うふふ…僕たちって、趣味が合うよねぇ。…それじゃ、楽しみにしてるからよろしく〜♪」
 オークの着ぐるみを着て頭だけ出した男は、踊るように酒場から出ていった。
 「えー…なになに?…サッキュバスファンの集い?…なるほど」
 「いやいや、これはなかなか良い趣味と言わざるを得ませんな」
 サッキュバスに関して語り合うなら、私もそれなりに対象について研究せねばなるまいな。
 「ここは、不肖ユージンがサッキュバスについての研究を深めるということで…」
 「むぅ…私も生態について興味はあるのだがな…」
 レドゥアも頷いたが、陛下の視線が怖かったのか、最後の方には声が消え失せていた。
 「俺としては、生態よりもその依頼を達成するために生息地が気になるけどね。貯水槽は壊したし」
 ダークマターが気の無い様子で言った。いかんな、男子たる者、サッキュバスを見て敵としてしか認識できぬようでは、先が思いやられる。
 結局、どうせ依頼の期限は無いのだから、ということで、そのまま降りることになった。
 さて、そうして向かった地下6階。
 階段を下りて、左右に分かれた廊下の右に向かって…背後から進軍ラッパが聞こえたのでつい振り向く。
 「懐かしいな〜、あの時はユージン率いるモンスター軍団だったけど」
 …いや、心底懐かしそうに言わないでくれたまえ…あれはかなり忘れたい過去だ。
 しかし、現れたのはモンスター軍団などではなく、規律正しい騎士の集団であった。
 中央からきびきびとこちらに向かってきたのは、サンゴートの姫であった。やはり、何度見ても惜しい。何故女性がこのように肉体を鍛えて先頭に立たねばならぬのか。
 「5階で愉快な光景を見たぞ」
 姫は片手を上げて陛下に挨拶しながら、くつくつと喉を鳴らした。
 「ウェブスターはあのがらくたを前に異様にはしゃいでいたぞ。武神の情報を与えたのは我らだが…ああも浮かれられると少々気が咎めるな」
 気が咎めると言いつつ、サンゴートの姫は馬鹿にしたようにまた笑った。
 「あれは動かぬよ。それが我がサンゴートの脳味噌たちの結論だ。あれを動かすには黒き霊が狩り集めた魂と、霊力に優れた古代ディアラントの血を引く乙女が必要なのだそうだ。黒き霊は誰かが召還し、今も冒険者たちの魂を狩っていることだろうが…古代エルフの血を引く乙女などどこにいる?生まれ変わりでも探すのか?」
 サンゴートの姫は賛同を求めるように我々を見たが、微妙に反応が悪いのをどう捉えたのだろう、自分たちの軍勢へと顔を向けた。
 「ウェブスターの無邪気な幼稚さを、我が国の司教どもに分けてやりたいものだな!」
 内輪受けの冗談なのだろう、騎士たちが野太い笑い声を上げた。
 「あれは、反乱を起こすぞ」
 ふと振り向いて吐かれた言葉は冗談めかしてはいたが、目は真剣であった。陛下がゆっくりと頷かれるのを見て、姫は満足そうに顔を動かした。
 「裏切りによって得た地位は、裏切りによって簒奪されるのは世の習い…とはいえ、摂政の位まで与えた男に裏切られるとは、オルトルードも哀れな男よ」
 「…あの王が、手をこまねいているとは思えませんが…」
 怒りによる反論ではない、ただ冷静な意見に姫は改めて陛下を見直したようだった。
 「さて、な。未だに騎士たちを動かさぬことに、何の意味があるのかは知らんが。その間に我々がこの手で子蛇どもを倒し、親蛇アウローラの頭も潰すまで。…はは、貴公らの手柄を残しておかぬでも恨むなよ?」
 「御武運を」
 仮にサンゴートの者たちがアウローラを倒したとして…それはドゥーハンにとっては悪いことではなかろうが、彼女たちにもあの国の半分を報酬に出すのだろうか。
 この黒騎士どもを相手にするのは厄介だろうがな。
 まあ、我々は一歩ずつ着実に進むよりなかろう。
 サッキュバスの研究をするという大事な任務もあるしな。

 姫たちを見送ってから少しすると、どこからか声が聞こえてきた。
 「どうすんのよ、あの馬鹿戻ってこないじゃない」
 「あなたが虐めるからでしょ!そりゃ確かに、あんまり役に立つ人じゃ無かったけど…少なくとも、あの人は錬金術で魔法石を作ってくれるのに…」
 甲高い声と、苛立ったような少女の声。
 ふむ、あのメラーニエというエルフの少女とピクシーだな。
 陛下も気づかれたのか、扉の前に立ち中の様子を窺っておられる。
 「そうよね、荷物持ちとしては非力だったけど、石を作ってくれるおかげで街に戻る手間は省けてたわ…あぁ、もうあの馬鹿、どこをほっつき歩いてんのよ!」
 「知らないわよ!私はここから出るのイヤだからね!」
 ふむ、あのメラーニエという少女は、ピクシーと二人きりなら案外とお喋り出来るのだな。自分の都合だけを主張するあたり、実に思春期入り口、といった少女らしさがあるな。
 「あぁあ、こういうときに、あのオティーリエみたいなただ働きしてくれる便利な冒険者がいてくれたらな〜」
 ぴく、と陛下が身じろぎされた。ソフィアが、まあまあと言うように手を下に向けている。
 ダークマターはすっかり興味を失ったらしくうろうろしかけてはクルガンに首根っこを掴まれ引きずり戻されていたが、面倒になったのか、足を延ばして目の前の扉を蹴った。
 ぎぃ、と軋みを上げた瞬間、中から息を飲む音がした。
 陛下が溜息を吐きながら扉をきちんを開け、中に踏み込む。
 ピクシーがぱたぱたと激しく飛び回った。
 「あ、あら!ちょうどあんたの噂してたところなのよ!あんたみたいな頼れる冒険者が助けてくれないかなーって!」
 メラーニエは、我々の姿を見た途端に石のように押し黙り、表情も硬く強張ってしまった。やれやれ、微笑めばいかにか愛らしいだろうに。そうすれば、あのクンナルという男も引き寄せられていただろうに…おや、クンナルはどこに?あの男、というのがクンナルなのか。
 「…何か、お困りなのですか?」
 内心がどうあれ、穏やかな声を出される陛下はさすがだな。
 どうやらその優しさに、聞かれていなかったと判断したらしくピクシーはあからさまにほっとした顔になった。
 「あのクンナルって馬鹿が、いきなりあたいたちを置いてふらふら〜って行っちゃったのよ。あたいたちはこの階のことはよく分かんないし…報酬は無いんだけどさ、クンナル見つけてくれない?」
 きっぱり報酬が無い、というあたり、すでに甘く見られているというか何というか。
 陛下は気分を害しておられるだろうが…さて、だとすればレドゥアもあまり良い気はしておらんだろうな。ソフィアは、あの少女がお気に入りだから喜んで手助けするだろうし、私も女性の手助けをして笑顔を報酬として頂けるならそれで構わぬが…。
 それで気分的には2対2だな、とクルガンとダークマターを見ると。
 ダークマターはまじまじと何か興味深い物でも見ているかのようにメラーニエの前に立って顔を覗き込んでいた。クルガンがいつでも制止できるように手を宙に浮かせている。
 何をしているのだろう。彼もついに恋に目覚めたのか…と言いたいが、どう見てもそんな目では無いな。どちらかと言うと女性が他人の宝石を見定める時の目に近い。
 しかし、ダークマターはまた興味を失ったようで、何も言わずにふいっと顔を背けて壁際まで下がった。
 「…分かりました。もしも、会えば、伝言を伝えればよろしいのですね?」
 「そうね〜、ここまで連れてこなくてもいいわ。あたいたちがここで待ってるって伝えてちょうだい。…ほら、あんたもお願いしなさいよ!」
 泣きそうな顔でダークマターを目で追っていたメラーニエは、慌てて陛下に向かって礼をした。
 やはり無言ではあったが、確かに頭を下げたので、陛下も軽く頷かれた。
 「それでは、怪我などせぬよう、しっかり隠れておいでなさい」
 そういえば、まだこの階で敵は見ていないが…彼女たちを脅かすようなむくつけき男どもがこの部屋に入ってこないと良いな。





  クルガンの覚え書き

 さて、本格的に6階の探索を始めようとしたのだが。
 「…何なんだ、このあからさまなトラップの山は…」
 床をびっしり埋め尽くす罠の文様に、ダークマターが俺を振り返った。
 「どうする?フロート唱えても良いけど」
 どうやら一定の時間床から浮かび上がれる呪文らしい。侍の髭を捻り合わせて作り上げた石を(そう表現すると、全くもって作成理論が不明だが)、ダークマターとレドゥアがある程度習得しているらしい。
 「…ま、やるだけやってみるか」
 一歩踏み出してはトラップ解除、一歩踏み出してはトラップ解除…。
 「…あ」
 「あ、じゃないっ!この武闘派エルフッ!」
 思い切りスピアに貫かれたダークマターが文句を言う。
 他の連中など、文句すら言えないらしい。…麻痺毒にやられて。
 同じく無事だったレドゥアが、一人ずつ治痺の呪文をかけていく。
 「クルガン」
 「はい」
 「フロートの呪文を使うと言うことで良いか?」
 「しかし、後一歩で扉ですが」
 むぅ、と唸ったレドゥアを置いて、俺だけ一歩踏み込んだ。
 …よし、解除成功。
 結果オーライ、通り抜けられたのだからよし、と扉を開けて進んでみれば。
 「…また、トラップの山だね…」
 「また、奥に扉があるな」
 「フロート」
 「聞いてからかけろ!」
 俺をもっと信用しろ。
 「さ、呪文が効いている間にマップを埋めましょ」
 …く、また酒場に行って、腕を磨くか…。
 そうして、通り抜けた先で、素早いだけが取り柄のワーウルフ(とデュラハン)を撃破すると、また鑑定もしていないがダークマーダーと思わしき武器を手に入れた。
 「捨てれば良いだろう」
 「まったく、その通りではあるんだけど」
 ダークマターは手に持ったそれを弄んでから、ひょいっと陛下に手渡した。
 陛下は戸惑ったように手の中のそれを見下ろした。前回無理して持ち帰った時でも、陛下だけは遠慮して渡さなかったからな。何で今回に限って…。
 「いや、その…非常に言いにくいんですが、リーエの死体が必要な依頼があったなー、みたいなー」
 てへっという効果音が付いていそうな顔で、ダークマターは首を傾げた。
 まあ、依頼があるのは、確かだ。
 そのかなりむかつく依頼を受けたのは陛下ではある。
 が。
 だから、死んでくれってのは、さすがにクイーンガードとしてどうかと。
 「…偶然そうなってしまったら、ということで了解していたのではないのか?」
 レドゥアが不愉快そうに陛下の手からダークマーダーを取り上げた。
 「でも、依頼受けっぱなしって気になりません?一応、リーエの防御は目一杯頑張ってるんだし、ひょっとしたらこれまでみたいに易々とは死なないかもしんないし〜」
 6階に来てから出会った敵は、確かに大したことがない。まあ、オートマタの後衛攻撃とクリティカルの可能性は脅威だが。
 「リーエが怪我を負わないのは良いことではないか。嘆くことではあるまい」
 「無理にとは言いませんよ。リーエの判断に任せます」
 ダークマターは肩をすくめて引っ込んだ。
 このまま死なずに依頼を踏み倒すか。
 死ぬのを期待(いや、語弊はあるが)するか。
 あるいは、ダークマーダーの呪いによってじわじわ確実に死ぬか。
 …冷静に考えると、たかがサレム寺院のために、何でそこまでやらねばならんのだ、という気はするが。
 陛下はしばし悩まれた後、きっぱり言い切った。
 「分かりました。依頼を完遂いたしましょう」
 「…何とおいたわしい…」
 レドゥアが男泣きに泣いたが、陛下は決然と歩き出した。
 まあクリティカルで死ぬよりは…痛みは少ない死に方だとは…。
 一歩進むごとに顔色が悪くなっていく陛下の腕をレドゥアが取り、一緒に歩き出した。
 そして。
 「んじゃ、薬で帰りますか」
 敵にも合わずに廊下を歩いた結果、陛下は傷もないのに眠るようにお亡くなりになったので、ダークマターが背嚢から薬を取り出した。
 地上に戻ってから、サレム寺院の裏手で輪になる。
 「さて、と。おさらいするよ?リーダー死体をそっと台の上に置く。手を握りしめ、静かに涙を流す。祈りの言葉を唱える…生き返ったリーダーはそっと手を握り返す。この部分はリーエの役割ですからねー」
 死体の耳に向かって言ったダークマターの頭をとりあえず叩いておいた。
 「俺は、そもそも意識しなけりゃ感情は動かないから、笑い出しはしないだろうけど…やばい人、手を挙げて」
 「不謹慎だけど…私もひょっとしたら笑っちゃうかもしれないわ。だってあの司祭、おかしいんですもの」
 もちろん、俺もやばい。芝居、というものには向いておらん。
 厳粛な気持ちで臨めば自然と行うべき流れではあるんだが…あのハゲ頭の出方によっては笑うかもしれんな。
 「…お前たち…もしも、仮に、だ。リーエが本当に復活できなかったらどうしよう、と。そうは思わぬのか」
 疲れたような声でご老体が呟いた。
 「ま、そういう方向性で行くしかないですよね。それでは、気分を盛り上げるために、悲しかった話、略して<かなばな>でもしますか」
 何で教会の裏庭で、死体を囲んで悲しい話をしているんだ、俺たちは。
 しかし、ユージンによる「部下を救えなかった話」だの、レドゥアによる「死んだ魔導士の妻と子供たちの生活」だのを陰鬱な口調で聞いているうちに、確かに厳粛な気持ちになってきたような気もするな。
 はぁ、と溜息を吐いたところで、無表情に話を聞いて…いや死体に寄ってきた虫を追い払っているので真面目に聞いているのかどうか不明だが…とにかくダークマターの顔が目に入った。
 …何だ。
 考えてみれば、俺は厳粛な気持ちになることなぞ簡単だった。
 あいつのことを思い出せば良いんだからな。
 二度と会えない、あいつのことを。
 話が一段落したところで、全員立ち上がる。
 各自、葬式にでも出ているかのような沈痛な表情で(無表情の1名除く)寺院の表に回った。
 レドゥアが頑張って一人で抱いている陛下(の死体)を見て僧侶が駆け寄ったところに、ダークマターが小さく囁いた。
 「…フーケ司祭より依頼を受けている冒険者です。司祭をお呼び下さい」
 頷いて奥へと駆けていく僧侶を見送って、所在なく周囲を見れば、一般市民だの冒険者たちだのがこちらをちらちら見ていた。
 まあ、一般市民にとってみれば蘇生料は法外な値段だろうからな。そう簡単には利用出来まい。
 フーケ司祭がにこやかに現れて、我々の元へ「どうされました?」と大きく言いながらやってきて、いきなり小声になり続けた。
 「準備はよろしいですか?」
 …というか早くしてくれ。厳粛な気分がもたん。
 「おおおおおお!」
 無表情だったダークマターまで飛び上がるような大声でフーケ司祭は嘆きの声を上げた。こいつ、まさかバンシーなのではあるまいな。
 「なんだなんだ?」
 「いったい、何事だ!?」
 …寺院の入り口から、通りがかりと思われる市民や冒険者が覗き始めた。まあ、観客は多い方がこいつにとっては有利なのだろうが…頼むから、これ以上厳粛な気分を吹き飛ばさないでくれ。
 一瞬歪んでしまった口元を隠すように俯いていると、フーケ司祭は周囲の人々に芝居がかった動作で状況説明をした。
 「何ということでしょう!彼らは愛するリーダーを喪ってしまい、この寺院へと救いを求めてやってきたのです!」
 …が、市民の反応は鈍い。冒険者たちも、カーカス唱えればいいじゃん、とか、自分なら帰魂の薬使うな〜とか言っている。
 フーケ司祭はその反応を打ち消すような大声で更に寺院の素晴らしさを説いた後、俺たちの方を向いた。
 「…それでは、あなた方の手で、彼女を蘇らせるための奉納を」
 ソフィアが頭を下げながら金貨の入った袋を捧げる。
 軽く頷いて、フーケは背後へと手を向けた。
 「どうぞ、こちらへ」
 レドゥアがしずしずと陛下を運び、台の上にそっと横たえ、両手を胸の上で組み合わせた。
 血の気の無い顔、だらりと弛緩した筋肉。明らかに死体だ。
 無責任に口を出していた市民や冒険者たちも、少し声を小さくして哀悼の意を捧げた。
 フーケが白い布を陛下の顔に掛ける。
 同時にこつんと台を蹴ったので、レドゥアが陛下の手に自分の手を添え、静かに涙を落とした。
 ソフィアもハンカチを取り出し自分の鼻と口元を押さえ、ユージンもなにやら握り拳を震わせ俯いている。
 むぅ…皆、迫真の演技、というやつだな…俺も何かせねばならんだろうか。
 演技をせねば、と思った時点で、だいぶ本物の厳粛な気持ちは薄れてきているということだが。
 そのとき、ダークマターがこつんと俺の肩に顔を押しつけてきた。そちらに目を落とし、ゆっくりと慰めるようにその頭を撫でる。
 結構良い演技だと思ったのだが…背後から女性の微妙に黄色い悲鳴が聞こえたような気がするのは何故だ。
 フーケが合図すると僧侶たちが集まってきて祈りを歌を歌い始めた。
 その哀切な調べに、観客まですすり泣きを始めた。
 僧侶たちの祈りの言葉に合わせて、俺たちも祈りの言葉を口にする。
 フーケの手に光が灯り、陛下の顔へと翳される。…何だ、本当に司祭だったのか。随分世間ずれしていると思ったが、実力はあるらしい。
 一段と高く祈りの言葉が捧げられ…光が薄れた後、陛下の顔にうっすらと紅が差した。
 重ねられた手が、ぴくりと動き、レドゥアの手をそっと握る。
 ゆっくりと開かれた目で周囲を見回し、俺たちの顔を確認するように見てから、柔らかく微笑んだ。
 慈愛にも似た微笑に、ソフィアがたまらないといったように飛びついてしがみついた。陛下は上半身を起こし、ソフィアの背中をそっと叩きながら、穏やかに言った。
 「皆、心配をかけましたね…」
 背後の観客は号泣だ。
 「良かったな、リーダーさん!」
 「もう死ぬんじゃないぞ!」
 「あぁ、いいわね…私も信頼できる仲間…親友が欲しいわ」
 口々に暖かな言葉を告げて、観客はちりじりに去っていった。
 そうして、周囲に俺たち以外にいなくなった時。
 フーケ司祭が感激も露に陛下の両手を握った。
 「すばらしい!これで我が寺院の素晴らしさは、市民に広がることでしょう!これは約束の品と、お礼です!何、礼はいりませんとも、あなた方への感謝のしるしです!また何かありましたら是非我が寺院をお頼り下さい!」
 苦笑しながらソフィアが布の袋(どうやら俺たちが収めた金貨そのまんまらしい)を受け取り、ユージンがマントを受け取って素早く背嚢にしまった。
 手を振るフーケ司祭に見送られて俺たちは寺院から出て…まだ肩にへばりついていたダークマターを引き剥がした。
 「いつまでくっついとるんだ」
 「あ、もう終わった?」
 …掠れた声と、抑揚の無い口調に聞き覚えがある。
 両頬を指で引っ張ってやると、怒りもせずに首を傾げた。
 「…あれ?元に戻らないな。…えーと、感情を動かして顔で表現するって、どうやるんだっけ?」
 ぶつぶつ言いながら無表情な顔を少し上げた。瞳孔が点のように小さくなり、淡い水色の虹彩だけのような奇妙な瞳が、焦点が合っているのか合っていないのか落ち着かない気持ちにさせられる。
 こういう時。
 俺は、どうしたらいいのか分からなくなる。
 どうしたらいいのか分からないので。
 「よし、宿屋に帰ったら訓練だ」
 「…時間はあるから良いけど」
 体を動かしていたら、余計な考えも吹き飛ぶだろう。
 どうせ陛下とレドゥアは宿に帰って休むのだろうし、俺たちも部屋を取ってから裏庭で訓練すればいい。
 自分の手で顔の筋肉を動かしている馬鹿の腕を掴んで宿屋へ走っていき、裏庭に連れ込んだ。
 俺も忍者になったし、危険になるとこいつは暗殺者の技が出るので、本気でやり合うとクリティカルが出そうで非常にやばいのだが…思い切り真剣勝負を繰り広げて、すっかり暗くなったのでとりあえず中断すると。
 「…ありがと、クルガン」
 いつもよりは、ややぎこちなかったが、ダークマターの表情は辛うじて微笑と言えるものだった。
 「感情の回路をあんまり切断しない方がいいみたいだねー。次に繋ぐのが大変だ」
 徐々に表れる、おどけたような表情と声。
 赤子でも出来る、感情を覚えて表現する、という行為が、こいつにとっては意識して努力しないと出来ない代物らしい。
 それでも。
 たぶんは、そうやってるうちに本物になるのだと思うから。
 俺は唸って刀を収め、宿屋の入り口へと回った。
 「ほら、メシ食って、風呂入って、寝るぞ!」
 「クルガンって、ホント、健康的だなー」
 あっはっは、と声を出して笑って…顔はいまいち笑顔分が足りなかったが…ダークマターも刀を収めて俺の後を付いてきた。
 体を動かす。メシを食う。風呂でさっぱりする。寝る。
 当たり前の日常的な行為をしているうちに、ダークマターもようやく調子が戻ったのか、寝る頃には何とか普通の表情に戻っていたのだった。



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