女王陛下のプティガーヅ
レドゥアのノート。
若い者が酒場に依頼の終了確認だの掲示板の確認だのに行っている間、私はずっと宿屋の部屋に閉じこもっていた。あの魔術師と万が一にも顔を合わせたくは無い。
そうこうしているうちに全員が揃ったので、今日もカルマンの迷宮へと探索に赴いた。
…入り口付近で、見覚えのある魔術師の姿を確認したので、思わず回れ右したくなったが…入り口はここしかないのでそういう訳にもいかぬ。
そもそも一生逃げ回れるものでもなし、さっさと誤解を解けば終わりなのだが…さて。
私が憂鬱な気分で進んでいると、向こうも私を認めたらしく真っ赤な唇をきゅっと吊り上げた。
「はぁい、ハニー!夕べは逃げちゃうもんだから、僕、泣きそうだったよ〜」
…周囲の冒険者が私を見た。…あぁ、私まであれと同類だと思わないで欲しい…。
魔術師は胸に手を当て、溜息のように、あぁ、と言った。
「何て憂鬱なんだろう…きっと、愛する君が危険な迷宮に向かうからだね!自虐的な君が傷を負ったり死神に憑かれたり…更には灰になってしまうことを想像すると、僕の胸は張り裂けそうだよ!」
「…喜びで?」
ダークマターがぼそりと呟いたが、魔術師の耳には届かなかったようだった。
「じゃあ、僕はいつまでもここで君の帰りを待っているよ…愛するハニー、早く帰って来てね〜!」
…こんなに、迷宮に早く潜りたいと願ったのは初めてだ…。
ふぅ…周囲の冒険者の目が痛いわ…。
1階の行き慣れた道を歩いて行っていると、オティーリエが首を傾げた。
「彼は、更生していっているのでしょうか?」
悪化しておるわ。
だが、ユージンは明るく笑って頷いた。
「無論、そうでしょう。他人の不幸を蜜とするしか無かった男が、愛を覚えたのですぞ。いやはや、私は感動しましたな」
「ダークマター」
「はい?」
「あれの呪いは解けぬのか?」
「やだなぁ、呪いじゃなくて祝福ですよぉ。…レドゥアにとっては呪いも同然だったみたいだけど」
自分で自分の言葉に、ぷっと吹き出してから、ダークマターは真面目な顔で首を傾げた。
「周囲の感情に共振するはずなんですが…何で、レドゥアにだけ共振してるのかなぁ。周囲全部だったら、面白がってる感情とか気の毒がってる感情も感じるはずなんだけど」
「うむ、俺なんぞ、正直面白がっていたぞ」
おい。
「だよねぇ、そういうのも感じてるはずなんだけど…死神憑きがよっぽど好きなんでしょうねぇ。他の人間の感情なんて霞むくらい強烈なんでしょう」
どこか不思議そうにダークマターは言った。どうやら、感情の話となると、理解できないらしい。
とにかく、理論なぞどうでもいい。私はどうやったらあの魔術師から逃げられるのだ。
「ということで、他の人間が死神憑きになってるのを見たら、そっちに向かうんじゃないですか」
だと良いのだが…私は、もう二度と死神には近づかないことにしよう。
ユージンが重々しく頷いた。
「ふむ、強烈な感情に共振する、ということは…彼を熱烈に愛する人間がいれば、彼もまた相手を熱烈に愛するのかね?」
「理論上は、そうだね」
「愛によって、更生するするとは…素晴らしい。彼に良き伴侶が現れることを祈ろう」
騎士という輩は、どうしてこう愛だの名誉だのに弱いのだ。
まあ、何にせよ、他の人間が死神憑きになればそちらに向かうだろうということが分かっただけでもマシだと思おう。
さて、頭を切り替えて。
我々はショートカットを使って4階へと降り、すぐに5階に降りた。
まだ未踏破の区域を探索していくと、3階へと通じるショートカットや6階へと降りる道も見つかった。
しかしまだ地図が埋まっていないので5階を歩いていっていると。
扉を開けかけたクルガンの手を、ダークマターが止めた。
クルガンは一瞬眉を上げたが、すぐに気配を消して扉の脇に身を寄せた。
我々も同じく身を潜めたが…鎧を着ている人間がどこまで気配を消せたやら。
それでも身じろぎせずにいると、扉の隙間から悲鳴が聞こえ…オティーリエが飛び出そうと動きかけたところをソフィアと私が腕を捕まえた。
ダークマターが緊張した声で小さく囁いた。
「奴の臭いです。顔を合わせない方がいい」
私には濃い血臭しか感じないがな。そのせいで扉を開けるまではダークマターも気づかなかったようだが。
「やれやれ…がっかりさせてくれますねぇ」
確かに、あのマクベインとかいう男の声だった。
「騎士様たちを喜んで虐殺したくせに、自分が殺される番になると醜く命乞いとは。それでも悪に染まった錬金術師ですか」
また、悲鳴が聞こえた。
「お頭!暗黒の書は見つかりませんぜ!口を割らせようにも全員殺しちまったし…どうしましょう?」
「おぉ、頭を使いなさい、頭を。彼らは誰かにそれを渡したのです」
…我々は知らぬぞ。
だが、錬金術師の一人と接触したのは確かだ。向こうが確認のために我らも殺す、と言い出したなら…。
私が緊張したところで、マクベインはくっくっと笑った。
「ウェブスター公でしょうな。さて、それでは取り返しに行きましょうか」
それから300数えるほど待って。
ようやくクルガンとダークマターが息を吐き、扉を開けた。
予想通り、錬金術師たちの死体がごろごろ転がっている。
「…騎士たちの無念は晴れたのやら、余計に苛立っているのやら」
ダークマターが呟きながら、ブーツの先で死体の一つを上向きに転がした。
「識別ブレスレットは無し、と」
「こいつらが持っているとは思えないが。まともな冒険者では無いのだし」
「んー、こいつらには与えられてなくても、誰かから奪って持ってるって可能性もあるし」
そう言って、ソフィアとユージンが祈りを捧げているのを余所に、ダークマターはてきぱきと死体の確認をしていった。
「暗黒の書、だとか言ってたな」
クルガンも刀の先で死体を転がしつつ呟いた。
「いかにも、魔道、という題名だな。分かり易くて良いが」
ウェブスター公がが手に入れたとして…法王庁と手を組んだにも関わらず、暗黒の書で何を…まさか、法王庁に献上するのではあるまい。
ダークマターの顔をちらりと見たが、あまり反応はしていなかった。あの狂える老司教が興味の無い本まではフォローしておらんらしい
「ふー、骨折り損のくたびれ儲けって奴か。じゃ、先に進みましょ」
これだけの死体の山を見て、感想がそれか。情が薄いというか何というか。まあ、私にしたところで、騎士たちを惨殺した錬金術師たちなぞ、死んでも気の毒とは思わぬがな。
彼らの後を付いていったのだから、当たり前と言えば当たり前だが…また扉を開ける前にダークマターが鼻に皺を寄せた。
「また、いるよ。で、また新鮮な血の臭いがたっぷり」
またか、とうんざりした気分になったのは間違いない。
そのせいで反応が遅れ、オティーリエが決然と扉に向かったのを制止し損ねた。
慌てて腕を伸ばしたが、間に合わず扉が開かれる。
部屋の奥には、あの濃い青のフードの男と血塗れの司教。
だが、我らの視線はそれより上に向かった。
広い空間に縛られた物体。
ぞくり、と背筋に震えが走る。
死んでいる。
少なくとも、活動はしていない。
だが、それは確かに…武神だった。
「お…おおおお…法王庁に逆らうと言うことが…どういうことか分かっておるのだろうな…」
「…もちろん、知っておりますとも。司教どのは肉体の楔より解き放たれたら、神の御元で永遠の命を授かるのでしょう?私もご相伴に預かりたいものですな」
ざくり、ざくりと肉が切り裂かれる音がする。
くぐもった声を上げて崩れ落ちる司教をしばらく見つめて、マクベインは肩をすくめた。
「お気の毒に。貴方の神は、手を差し伸べてはくれなかったらしい」
それから、足下のモノになど興味を失ったかのように、我々の方を見た。
わざとらしい優雅な一礼。
「これはこれは。またお会いしましたな。先ほどは覗き見をされていたようでしたが、こたびはお顔を合わせることができて嬉しいことです」
…ばれておったか。
まあ、忍者ではあるまいし、気配は消せておらなんだだろうが。
「こうもこの迷宮の中で何度も顔を合わせるというのは、何かの縁。これは私が永遠の命を手に入れる儀式を、最前列でご鑑賞頂きたいものです。…お待ちしておりますよ」
上機嫌な笑い声を上げ、マクベインは姿を消した。
奴が、何を狙っているのかは知らぬ。
ひょっとしたら、我らに恐怖か畏怖を覚えさせたかったのやも知れぬが…その目論見は外れたと言わざるを得まい。
我らは奴と司教よりも、目の前の光景に心を奪われていたのだ。
ダークマターがふらりと前へ足を踏み出す。
床の最先端に立っても、あれには手が届かない。
今度は下がってきて、扉を背に上を見上げた。
そうしてようやく全体像が把握できる大きさ。
「…起動は…全くされていません」
ひどく掠れた声が漏れた。
「以前見た姿と違うな」
クルガンが背後を気にしながら言った。
確かに扉を背にして、背後から強襲されるのは願い下げだな。
「…卵の、殻みたいなもんだね…本体が劣化しないように、コーティングされてるんだ…」
私が思い浮かべたのは、ホムンクルスの培養槽だ。何本ものチューブで栄養液を循環させていた槽を空中に浮かべたなら、こんな光景になったことだろう。無論、大きさが段違いだが。
「起動には、人の魂と…核が必要です。ディアラントの血を引く者。…この時代の人間が文献を読んだとして、狙うのは…オリアーナ王女でしょうね」
「ですが、彼女は…そう、でもわたくしたちの歴史には、オリアーナ女王が存在しています。ということは、亡くなられたのではなく、誰かに隠されている、と思った方が良いのでしょうね」
それが敵方ではなく味方によるものであることを祈ろう。
もちろん、オティーリエが起動の鍵になりうることは、最上級の秘密にしておかねばならない。これまで以上に、気を付けておかねばならぬ。
我々はこれまでもこのドゥーハンを救うことを目的としていた。
だが、今は魔女の脅威と同程度に、あの武神が起動しないことを目的とすることでも意見が一致した。
いずれは、あのマクベインともウェブスター公とも決着を付けねばなるまい。
そう出来るほどに、まずは実力を鍛えねばならぬのだが。
我々はそれまで残しておいた区画へと赴いた。
何故かイヤな予感がして向かっていなかったのだが、そこにはあの白塗り魔術師の依頼であるオークがぶるぶると震えていた。
「もういやだど…オラは何も悪いことしてねぇのに…おっきな冒険者がぼかーんって叩いただ…」
何故かダークマターは完全に背後に溶け込んでオークと対面しようとはしなかった。あの白塗りと面識があるということは、このオークとも知り合いであろうに。
オークの言うとおり、北の異形の像がある部屋に、大柄な戦士がいた。
「哀れなオークを殴るとは、弱い者虐めにもほどがあります」
「へっ!冒険者がモンスターを倒して何が悪い?…モンスターに肩入れするような悪い冒険者にはおしおきが必要だな」
…向こうの方が正論である気もするが…。
「無論、わたくしたちはモンスターにも容赦はいたしません!ですが、依頼となれば話は別です!さあ、大人しくなさい!」
…オティーリエ…私のオティーリエが…冒険者稼業に染まってしまって…。
私は心で泣きつつも指示通り前衛の回避力を上げた。
いつも通りソフィアとダークマターがソウルクラッシュを繰り出し、クルガンが一撃必殺を狙う。
筋肉を見せびらかしカラフルに彩った戦士は、前衛に攻撃を当てることが出来ずに苛立ったうなり声を上げた。
むぅ…全滅した夢を見たのが嘘のようだ。
結局、我らはダメージを受けることなく狂戦士を倒したのだった。
そうしてオークにそれを伝え、その足で4階に向かう。
あの白塗り魔術師がいた部屋に向かうと、オークはもうそこにいて我々に礼を言った。
「ありがとだど〜」
「思ったより時間がかかったねぇ。腕が落ちたのかい?お嬢ちゃんたち」
ダークマターは挑発に乗らずに、ただ肩をすくめた。
「ま、いいよ。あたしらはもっと下に向かうんだ。元の時代に戻れる方法があるんじゃないかってね。このくそったれな時代にゃ飽き飽きしてんだよ」
元の時代に戻る方法?
そんなものがあるのか?
どうせ我らはこの時代のドゥーハンを救うことを目的としているのであるから、それを使うことはあるまいが…ユージンがびくりとしたな。
ユージンはこれでいてあの白百合の姫を心から愛しているらしい。
私には理解できぬ。そんな相手がいるのに、何故女性を見れば口説いてしまうのだ。
「じゃ、約束の品だ。どれがいい?」
オティーリエが悩みつつも魔術師のブーツを選ぶ。今は魔術師も司教もいないのだが、祝福の鎖かたびらは回避が落ちるといってダークマターが嫌がったし、小剣を使う者もいなかったからだ。
「それじゃあね。ひょっとしたら、もう二度と会うことは無いかもしれないけど…ま、しっかりやんな」
…案外、この白塗りは我らが為そうとしていることを理解しているのかもしれぬ。
ダークマターも手を振り返していたが、扉を閉じてからぼそりと呟いた。
「もう二度と会うことはないって…やな言葉だよね」
クルガンが無言でダークマターの頭をわしわしと撫でたが、私はすぐに目を逸らしたのでいつまでやっていたのかは知らぬ。
そうして、5階の探索も終えたしキリが良いだろうと地上へと帰ったのだった。
なお、迷宮内で日付が変わるほどいたらしく、魔術師の姿は無かった…良かった…神よ、感謝いたします。