女王陛下のプティガーヅ



 ソフィアの日記。


 陛下の魔法も、一日1度が限度、ということらしくて、私たちは宿を取った。
 でも、いきなり宿の女性には、
 「ただいま、2人部屋が2つしか空いておりません」
 などと言われてしまった。仕方ないわね、私たちは駆け出しだし、選べる立場ではないものね。
 納得して2階に上がり、まずは部屋で今後の方針について相談することにした。あら、いやだ。お茶のセットも置いてないのね。水差しとコップがあるだけましなのかしら。それに狭いし。かろうじて清潔そうなだけが取り柄だわ。
 「さて。我々は、あまりにもひ弱すぎますね」
 陛下のお言葉に、ダークマターはくすくすと笑い、クルガンは唇を噛み締め、ユージンは項垂れる。
 「はーい。意見、その1。ボギーキャットには魔法は効くので、誰かもう一人クレタ使えるようにするか、僧侶がバレッツ覚えるかしたらいいと思いま〜す。…ま、素材集めからしなきゃならないんだけど」
 ダークマターが手を挙げた。でも、自分で結論を付けて苦笑いする。
 「クレタ…そう、わたくしが1度しか使えないのでは…でも、レドゥアも僧侶ですし、他に…」
 す、と視線がクルガンに向かった。
 「はあ!?俺ですか!?」
 確かに、盗賊も魔法は使えるけど…まさか、自分が魔法を覚えろと言われるとは思ってもいなかったのね、クルガンはひどく慌てて腰を浮かせた。
 「いいじゃん、武闘派エルフから知性派エルフに転職だよ」
 「そういうのは転職とは言わん」
 突っ込みながらようやく冷静になったのか、クルガンは腕を組み難しい顔をした。
 「…駄目だ、結局、レベルが上がらなければ魔法は使えない。で、レベルが上がる頃には、直接攻撃でダメージを与えられるようになっている」
 結局は、堂々巡りだわ。
 今現在、どうやって魔物を倒すか、なのだけど…。
 「…少しずつ、何度も入り口付近で下っ端の魔物を倒して経験を稼ぐ、というのが正攻法ではないのかな?」
 ユージンの意見は、極真っ当だ。私の好みではないけど。
 陛下は少しの間、悩んでおられたが、首を振った。
 「そうですね。でも、こうしている間にもドゥーハンは病み疲れ、魔女の支配が多大になってきていることでしょう。出来れば、あまり時間をおきたくはないのですが…」
 そうね、少し戦っては、宿で休息するなんて、無駄に日数が経つだけだわ。どんどん敵と戦えば、経験も積めるというもの。
 …このメンバーに、慎重だの臆病だのといった性格の者はいない。こうして考えているよりも、生むが易しよ。明日も朝から迷宮に挑めばいいのだわ。
 「うーむ…あとは、強化できるとすれば、武器、防具の類だが…我々の手持ちは、約1000、か。多少の役には立つだろう。明日はまず、店を探すということで良いだろうか」
 陛下は浮かないお顔で頷かれた。
 「いざという時のために、お金は使いたくないのですが…仕方がありませんね。皆の無事には代えられません」
 「大丈夫っすよー。装備が良くなって、怪我もしなければ、どんどん稼げますって」
 ダークマターが妙な慰め方をした。正論だけど、口調がタメだったので、ガード長に怒られたけど。
 陛下も、こんなちみちみしたお金を扱うのは初めてなのね。それで、不安になるんだわ、きっと。
 これでも、普通の一般人なら1ヶ月は優に暮らせる金額なのだけれど。
 「リーエ、私が明日、店を探しますわ。こう見えても、値切るのは得意ですから」
 そう、相手の目をじっと見て、ぎりぎりの値段を見切るあの快感。
 値札の半額ほどで手に入れたときの充足感。
 あぁ、お買い物って大好きよ。
 「軍資金、ひょっとしたら、もうちょっと入るかも…明日、ギルドにもう一度行ってみるけど」
 「一人では行くなよ。俺も行く」
 ……心配性、ってことでいいのかしら。昔から過保護に過ぎるところはあったけど。
 ま、まあ、ダークマターも今レベルが低くて頼りないんですものね。そのくせ綺麗な顔が人目を引くし…クルガンが心配するのも無理ないかしら。
 「まったく…こんな奴のどこがいいんだか、声をかける奴が多くていかん」
 両腕を組んで、苦々しくクルガンは言った。
 あぁ、私たちと合流する前に、色々あったのね、きっと。
 「大丈夫だよー。そんな、500Goldくらいで体売ったりしないから」
 「金額の問題じゃ無いだろうが〜!」
 …どこから出現したのかしら、そのハリセン…。
 「こんなものは、標準装備だっ!」
 「だから、そんなわけあるかーってば!」
 狭いんだから、ベッドの上で暴れないでちょうだいよ。
 「ダークマター」
 陛下の声で、ダークマターの動きがぴたりと止まって、怒られるのを待ってるみたいに首をすくめた。
 「体を売る、などと、口にするものではありませんよ。そんなことは、わたくしが許しません」
 「ですからー、する気は無いですってばー。…5万、とか言われると、ちょっと心が動くけどー」
 「冗談でも、おやめなさい」
 「いえ、枕抜けする誘惑に駆られるだけですよー。…個人的には、こんな身体に全然価値を認めないんですけどねー」
 ころころと笑って、ダークマターは自分の胸を指さした。
 人間のダークマターも、どこか寂しげな風情で線の細い美形だったけど、このエルフときたら、さぞかし神は丁寧に手を入れたのだろうと思えるほど綺麗な顔を身体をしているというのに、何が不満なのかしら。むしろ、人間のダークマターの方が、自分の身体を気に入ってるようだったわ。
 前も、神経を張りつめている感じが放っておけなかったけど、今も何だかへらへらしてるようでいて不安定で、やっぱり放っておけないわね。
 「ねえ、ダークマター。その顔も身体も、綺麗でしょ?私は、好きよ」
 「……あ、そう?」
 あら。
 顔は笑ってるけど、目がひどく冷たくなったわ。…何か、地雷を踏んだわね、これは。
 前のダークマターは、自分が綺麗だとは思ってなくて、綺麗って言うと、慌てたように真っ赤になったものだったけど…この子は、綺麗って言われるの、嫌いなのかしら。
 「ダークマター。貴方が気に入ろうと気に入るまいと、それが貴方の身体でしょう。大事にしなさい」
 「……はい、陛下。仰せのままに」
 全然、誠意がこもってないわね。
 なんだか気まずい雰囲気の中、ガード長がごほんと咳払いをした。
 「あー、今夜の部屋割りについてだが」
 露骨な話題変換ね。でも、乗るしかない。
 「あら、私とリーエの二人が1つ使うでしょう?男性陣は2つのベッドで我慢していただくしかないと思うんだけど」
 普通、そうよね?女性と男性とで1つずつ。
 「いや…へ…オティーリエをお守りするのに、一人というのでは…」
 むか。
 私が頼りないとでも!?
 ガード長ってば迷宮に入るときには、私を女性扱いしなかったくせに!
 「ソフィア一人で、十二分だと思うんだけどねー」
 …それはそれでむかつく言い方ね。
 「しかし、仮に2名を警護に就けるとしても、男性が女性二人の部屋に泊まるわけには。それも、このように狭い部屋では如何なものかと思うのだが…」
 ユージンは、さすがに騎士らしい言い方をする。
 ガード長は、さらに咳払いをした。頬を染めるガード長なんてちょっと不気味。
 「いや、だから、私なら、問題ないか、と思うのだが…」

 ちょっとした間があった。

 「問題ないことないでしょーがー!」
 奇しくも叫びは男性3人同時であった。
 「いや、あのね?ガード長が、ソフィアに興味ないってのは分かりますけどね?だからってへ…リーエと一緒に寝ていいってもんじゃないでしょーが!」
 「うむ、それを言うなら、俺など、どちらにも興味ないので一番安全と言うことになる」
 「俺だってそうだよー。俺が好きなのは、クルガンだけ…痛い、痛いですって、クルガンさん!」
 拳でこめかみをぐりぐりと挟まれ、ダークマターは涙目になっている。
 「私とて、グレースに顔向けできぬことはせぬと誓うが…」
 ユージンの言葉には、クルガンが顔を強張らせて首を振る。陛下に謀反を起こした男など信用できぬ、と言いたいのだろう。
 「わたくしも、それはどうかと思います」
 陛下にすら却下されて、ガード長は肩を落とした。…ちょっと可哀想。
 「どうしても、わたくしにガードを2名以上付けろと言うのなら、クルガン、ダークマターの2名が1つの部屋を取り、ユージン、レドゥアがわたくしたちの部屋に泊まるとよいでしょう」
 な、何で、そんな風になるのーーっっ!?
 私も驚いたが、何故かダークマターの方がもっと驚いたらしい。ベッドから転げ落ちてきた。
 「へ、へーか…もしかして、ものすごく変な気の使い方なさってますー?」
 髪を振り乱したまま、ダークマターは床から陛下を見上げた。
 「リーエとお呼びなさい。仮に、仲間だけであっても」
 「はい、そーします。そーしますけど…いや、ホントに、俺は確かにクルガン好きですけどね、わざわざ部屋まで二人きりにして貰わなくて全然結構なんでございますけどね」
 じたばたと手を振る様子は可愛いのだけど…何か妙ね。何で、そんなに嫌がるのかしら。クルガンが嫌がるというのなら分かるけど。
 「ダークマター。わたくしは、何も恒久的にあなた方が二人きりでいればよいと思っているのではありません。ただ、今晩は、貴方たちが、また翌晩には別の者が休めばよいと思ったのですが」
 「それにしても、何故、クルガンとなんですかーっ」
 「今日、あなた方は何度も口論していたからです。不和となることなきよう、きっちり話し合っておきなさい」
 口論…だったのかしら?ただ、じゃれ合ってるだけに見えたけど。
 ダークマターは、助けを求めるように皆の顔を見回した。
 ガード長は、ユージン付きでも陛下と同じ部屋にいられるのが嬉しいのだろう、口を出す気配はない。
 ユージンは、人の悪い笑みを浮かべていたが、ダークマターの視線を受けて慌てて真面目な顔を取り繕っていた。
 そして、クルガンは。
 「まあ、交代制としては、無難なところだな。では、行くか」
 あっさりとベッドから立ち上がった。
 ダークマターも立ち上がったが、これはいかにも嫌々であった。抵抗してのろのろとしか歩かないのを、クルガンがイライラと三つ編みを引っ張って隣の部屋に向かった。
 「うわーん!痛い、痛いってば〜!」
 ぱたん、という扉が閉まる音で、その声は小さくなった。
 ふぅ…あの二人は、この隣で二人きり…クルガンに限って、何かするはずもないけれど、ダークマターの方はあれだけ「クルガン好き好き〜」なんて言ってるし…二人きりならベッドに押し掛けくらいしそうなんだけど。
 私たちの方は、あっさりと、私と陛下はベッド、床にガード長とユージンが寝るということで決着が付いた。
 陛下はマントを外され、ローブ姿でベッドに腰掛けられる。私も重い鎖帷子は外して、剣は枕の下に敷いた。
 もう寝るのかしら、と思っていた頃。
 陛下が、ぽつん、と仰った。
 「そろそろ、頃合いでしょうか」
 何がでしょう?
 陛下はおもむろに、サイドテーブルのコップを取り上げられ…隣部屋との境の壁に当てられた。
 「へ、へ、へ、へへい…リーエ!?」
 「静かになさい、ソフィア」
 「あ、あの…何をなさって…」
 「貴方は、気になりませんか?あの二人が、どの程度進展しているのかと」
 気になります。気になりますけど…何も陛下がそのような盗聴を〜!
 「仮に、行き着くところまで行っているというのなら、わたくしの名において、クルガンにはきっちり責任をとらせなければなりません」
 責任を…ど、どのようにして…いえ、むしろ『行き着くところ』って〜!?
 陛下は、滅茶苦茶に真面目な顔をして、耳を澄ませている。
 意外と…ゴシップ好きだったのね、陛下ってば…。
 でも、私も気になるし…いいわ、私も聞くしかないわね、これは。
 「…お前たち…やめないか」
 ガード長も凍り付いてたのだろう、ようやく声を絞り出した。でも、私も陛下も止める気はない。
 「あら…まあ…」
 陛下の呟きに、ガード長はぎょっとした顔をして、
 「ま、まさか…オティーリエの耳が汚れるようなことがなされているのではあるまいなっ!」
 そんな、気になるくらいなら…はい、どうぞ。
 私が渡したコップをガード長は複雑な目で見ていたが、意を決して壁に押し当てた。
 ユージンも、残ったコップを取る。
 「私だけ、何も聞こえないと言うのでは、不公平だからな」
 結局は、私たちは4人で壁にコップを当てて、隣に耳を澄ませるという羽目に陥っていた。
 他人が見たら、さぞかし笑える光景だろう。
 さて、隣では。
 「あんたは、どうしてそう、人を信用しないんだ!」
 ダークマターが怒ったように叫んでいる。叫んでいると言っても、こっちを憚っているのか、音量は抑え目だけど。
 てっきり、クルガンがダークマターを信用しない、ということかと思えば。
 「お前が、人を信用しすぎるんだ!あいつは、陛下に反旗を翻した男だぞ!」
 あら〜…ユージンの話なのね〜。
 横目でユージンを見れば、複雑そうな顔で聞き入っている。
 「だ〜か〜ら〜!それは、偽物の陛下にでしょーが!ってゆーかさー、むしろ、ガード長の政策に問題があったんじゃんか!陛下を助けるためだけに動いてて、国民無視してたっしょ?そうじゃなきゃ、何もクーデターなんて起こしてないって!」
 今度は、ガード長が複雑そうな顔をした。
 「だが!陛下の命令とあらば誰もが従っていたのに、あいつだけは翻意を示したということは、やはり某かの権力欲だとか…」
 「違うよー!むしろ、誰も変に思わなかったのが、変なの!たとえば、あんたあたりが上申すべきだろ!?あんな変な政策!自分は、『陛下に限っておかしなことをされるわけがない』って思考停止しておいて、他人がやったことをとやかく言える立場かよ!」

 …きついわね…。
 正直言って、クイーンガードとはいえクルガンは武人そのものだものね。政に口出しする気は無いだろうし、そもそも自分が口出し出来る立場だってことにも気づいてなかったんじゃないかしら。
 あんまりクルガンばかりを責めるのは酷だわ。
 「そりゃ…俺も、そんなこと言える立場じゃ無かったけどさ」
 あら、ダークマター、一人でにトーンダウン。
 「分かった、俺の非は認めよう。だが、それと、あいつを信用して良いという根拠がないということとは別だ」
 「だーかーらー!疑う根拠もないだろーっ!?」
 「だから!それは、一度は反乱を起こしたと!」
 「あーもーっ!」

 うーん、平行線ね。
 ダークマターの言い分も分かるし…クルガンの言い分も分かるわ。
 まあ、問題は、その謀反した当人及び謀反された陛下御本人がここにいるってことなんだけど。
 ユージンは、ぶつぶつと「信じていただけるのは嬉しいが、確かに証拠は無いな」と呟いている。
 「では、聞くが。何だって、お前はそんなにあいつを信用できるんだ!?」
 「何でって……」

 ダークマターの声が、少し途切れた。多分、考え込んでるところだろう。
 「んとー…グレースちゃんが、信じてるからかなー」
 「何だ、それはっ!」

 のんきな声に、クルガンのイライラした声が被さる。
 「だって、あのグレースちゃんだよ!?神様が正しいことを信じ切ってて正義ってものに敏感なグレースちゃんだよ?ユージンが仮に私欲で謀反起こす奴なら、見限ってるに決まってるじゃないか!」
 「そんなこと、分かるか!惚れた男のことなら、目も曇る!」
 「えーっ!そんなことないってばー!ああいう、えーとほら、そう!純潔っぽい処女さんは、女の勘で心の汚れを感じ取るって!」

 「お前…あの女はユニコーンじゃないんだから…しかも、処…いや、それは、おいといて」
 「何をおいとくんだ?」
 「いや、いいから、おいとけ」

 見えはしないけど、ダークマターが首を傾げている姿が手に取るように分かった。
 でも、この会話は…。
 ユージンも、こっそりと「うむ、それは置いておいてくれ」と呟いていた。
 あのねー、騎士様。…婚約者だと思って…むにゃむにゃなのね?
 ガード長も、分かったみたいで、「うーむ、これは、ダークマターの人を見る目はあまり信用出来ぬということだろうか」と呟いていた。
 人を見る目と、女性がその、純潔か否かを見る目は、ちょっと違う能力のような気もするけど。
 「ともかく!それは、まったく当てにならん!」
 「何でだよ!」
 「とにかく、当てにならん!」
 「暴君だーっ!…んーと、じゃあさー」

 ダークマターの声が、少し自信なげに落ちた。
 「んとー…俺が、信用できるって言うんじゃ駄目?俺の人を見る目って、信用できない?」
 「うっ…」

 うっ、じゃないわよ、うっ、じゃ。
 私には見える…ダークマターが潤んだ瞳で縋り付くように見上げている姿が…うらやましいわね、クルガン。
 必殺『捨てられた子犬の目』。これを繰り出されて、クルガンが抵抗できるわけ無いわね。…意図的にやってるなら、大したものだけど。
 「分かった…」
 ほら。
 「あくまで、あいつではなく、お前を信用しよう」
 「やたっ!」

 ダークマターの声が弾む。あぁん、もう。私だって、ダークマターの言うことなら信じるのに。
 それからしばらく、声が途絶えて。
 「ほら、さっさと寝るぞ」
 「んー」

 小さく言い交わす声は、余程耳を澄ませないと聞こえてこない。
 「何をニヤニヤしている」
 「んーとさー。えへへ、何か、楽しいなーと思って」
 「何が楽しいんだ。俺は、この事態に相当苛立ってるぞ!」
 「だってさー、あんたがいてさー、俺がいてさー、ソフィアもいて、ガード長もいて、ユージンもいて、陛下をお守りするんだよ?俺、嬉しいけど」
 「…そうか」
 「俺はさー…クイーンガードじゃないからさー。…陛下をお守りする機会ができて、ホントに、嬉しい」
 「お前は、立派なクイーンガードだ。俺が、保証する」

 あらら…クルガンが、こんなに優しい声出すのって、初めて聞いたかもしれないわ。
 「そっかなー」
 「何だ、お前は、俺の言う事を信用出来ないのか?」
 「んー?…信じてるよー、ダイスキなクルガンさん?」
 「お前なぁ」

 ちょっと溜め息。呆れたような、でも、相手を嫌ってるんじゃない、暖かな。
 「そういう事を俺に言うのは、まあ諦めたが、あんまり他人の前で言うな。ホモだの何だのと指を差されて嫌な思いをするのは、お前なんだぞ?」
 「俺、平気ー」
 「…なら、いいが」

 良くないでしょうが。
 それって、自分が好かれている事については、構わないって事?
 しばらく沈黙が続いたので、もう寝たのかと、皆コップを外した。
 私も外そうとして…耳に飛び込んだ言葉に思わずコップを割るところだったわ。

 「おい、寒いんだろうが。もっとこっちに寄れ」
 「んー」


 あんた達、一緒に寝てるの!?
 ベッドは一つで良かったの!?ねぇ!?


 翌朝。
 私は、目覚めた途端、隣の部屋を襲撃した。
 「おはよう、クルガン♪」
 返事も待たずに、ずかずかずかと踏み込む。
 途中、やはりベッドの一つは空だった。
 ふ…うふふふふふ…そう…あなた達、すでにそういう仲だというのね…。
 シーツをばさりとめくると、クルガンは素裸で寝ていた。
 忍者のくせに、朝に弱いんだから…さっさと起きなさいよ。
 あぁ、ちなみに、クルガンの<ぴー>くらいなんてことないわよ。
 こちとら癒し手一筋80年よ。男の裸の一つや二つ、珍しくも何ともないわ。
 ダークマターの方は、逆にきっちりと下着を着けている上に、クルガンの物と思われる赤いシャツまで着込んでいた。寒がりなのね…。
 ようやくクルガンが目を覚まし、伸びをする。
 「ソフィア…着替えるから、少し外せ…」
 「良いわよ。でも、寝直さないでよ?」
 「そういう、寝汚い真似はせん」
 のろのろと動き出すクルガンの隣で、ダークマターも起き上がった。
 ふに、と言いながら目元を擦る姿は、とっっても可愛かった。
 あぁ、どうしてこんな可愛い人が、私のものじゃないのですか、神よ。
 「おはよう、ダークマター。少しクルガンを借りるわね?」
 「うに」
 …返事かしら。
 な、なんて愛らしい…。
 もう少しダークマターを眺めていたかったのだけど、クルガンの視線に押されて、私は部屋の外で待った。
 中から
 「こら、ダークマター。俺のシャツを返せ」
 「うにゃー…」
 「あ、こら、お前、それは後ろ前が逆だろうが。まったく、世話の焼ける…」
 …実に腹立たしくも仲の良い会話が聞こえてくる。
 人がちょっと死んでる間に、ずいぶんと仲良くなってくれてるじゃないの。
 私の立場ってものが無いじゃない!
 ようやく出てきたクルガンと共に、裏庭に向かう。
 「…私が言いたい事は、分かるわよね?」
 返答と次第によっては、爆裂拳も辞さないつもりで、私は問うた。
 クルガンは、あくびを一つして、背後の樹に寄りかかる。
 「端的に言おう。お前の恋愛が成就する目は、かなり小さい」
 半目なのは、私を睨んでるからじゃなく、単にまだ眠いのだろう。それもむべなるかな、空はまだ暗かった。
 「まあ、0では無いだろうが」
 そしてあくびがもう一つ。半目どころか、完全に閉じた目に、腹が立つ。
 勝利宣言?それとも宣戦布告?どっちにしたって、眠りながら言うなんて、ずいぶんと余裕をかましてくれるじゃないの。
 「さて、どこから話せばよいか」
 クルガンは、ゆっくりと目を開け、その紅い瞳で私を見つめた。
 「元々、ダークマターは恋愛というものに疎かった。それはお前も知っているだろうが」
 そうね。特に、自分に向けられた感情なんて、さっぱり理解していないみたいだったわ。
 「そのくせ、女にはそれなりにもてる。昔、あいつがそういう女向けに取った方法を覚えているか?」
 忘れるわけ無いわよ。
 ダークマターが女性に告白されているところを見た私は、彼に忠告した。
 そう言うときには、誰か他に好きな人がいるって言えば、すんなりと諦めてくれるわよ、と。勿論、それは相手を私と想定しての事だったんだけど。
 それを、何を間違えたのか…というか、「どなたのことが好きなんですか!?」と聞かれたとき、たまたまクルガンが通りがかったから「あ、クルガン」なんて呟いたせいで、相手にはクルガンが好きだと誤解され、それが噂として広まり…あれは、実に不愉快な事件だったわ…笑えるけど。
 「今、あいつがやってるのも、まさにそれだ。意識的か、無意識かは知らんが」
 えーと、それはつまり。
 女避けに、「自分には好きな人がいるから、関わらないでね?」とアピールしていると?
 「女としても、他に好きな女がいると言われれば、その相手と自分と比べて、何故あの女と!と言う気にもなるが、男なら、そもそも女には興味ないということで引き下がりやすいんだろうな。意外と丸く収まるやり方ではある」
 まあ、それは…ただ、自分が道化扱いされる可能性もあるけど。
 「同性愛者から見れば、なら自分が相手に、ということになるかもしれんが、そこはそれ、この俺相手に戦いを挑む者などいないしな。結果、あいつは自分に恋愛感情を持つ相手を全てカット出来たわけだ」
 ただ一人を除いて、ね。
 「無論、俺があいつに『恋愛感情』など抱くはずもない、ということをよく知っているからこそ、俺がターゲットなんだろうが。あいつは俺を追う。俺は受け入れる事がない。よって、事態は安定しており破綻する事はない」
 ………理解は出来る。
 だけど、何故、私では駄目なのか。それが抜けている。
 彼は、私に好意を抱いていたはず。だったら、その安定した立場を抜けて、今度は私を本当の恋人にすれば良いだけの話ではないの?それはそれで、他の者からの恋愛沙汰を切り抜ける事が出来ると思うのだけれど。
 それまで真剣…というか、どこか遠い過去を悼むような目をしていたクルガンが、顰め面をした。
 現実主義の彼にしては珍しく魔除けの印を切って、言いにくそうに口を開いた。
 「あ〜、その、何だ。俺は、あいつの感情まで追体験してしまったから、分かったんだが。…あいつ、俺とお前が恋人だと思い込んでたぞ?」




   間。




 「な、何ですって〜〜〜!?」
 「気持ちは分かる。俺とて、それを『見た』時には、絶叫しそうになった」
 うんうん、と頷くクルガン。
 な、何故よりにもよって、クルガンと私が恋人なの!?
 「まあ、何故そう思い込んだかについては長くなるから省くが。ともかく、あいつにとって、お前は『大事な友人の恋人』という立場だった。で、ここからは、あいつ独特というか、5歳児レベルの恋愛価値観というか、だが…そういう立場の女なら、自分に恋愛感情など抱くはずがない、よって、安全。…そう感じて、あいつはお前に心を開いていたというわけだ」
 「はあ!?他人の恋人なら、恋愛感情が無いですって?もしそうなら、世の中に不倫なんて言葉はないわよ!」
 「俺に怒鳴るな。あくまで、あいつの考え方だ」
 参ったわ…恋愛に疎いとは思っていたけど、そこまで疎かったとは…。
 そもそも、何?その私とクルガンが恋人っていう思いこみ…。
 私は、がくりと地面に膝を落とした。
 「ところが、今のあいつは、俺とお前は何でもない事を知っている。つまり、お前もその他大勢の女同様、あいつにとっては『警戒すべき相手』の一人になったということだ」
 それで、「私には目が無い」のね…。
 でも、今はその他大勢でも、これだけ近くにいるんだもの。他の女よりは有利よね。
 「ついでに言っておくが、あいつは過去のあいつと比較される事を極端に嫌う。過去のあいつを知っているお前は、他の女より不利かもしれんぞ?」
 …滅入るような情報をありがとう。
 そうね。
 私は、今の彼を前にして、過去の彼と会話しているのかも知れない。私にとっては、過去の彼こそがダークマターだから。
 今のダークマターも可愛いとは思うのだけれど…駄目ね、切り離して考える事なんて出来そうにないわ。
 「今のあいつは、生まれ変わったようなものだ。恋愛どころか、全ての感情が5歳児並に見える」
 あら、ひどい。
 クルガンは、僅かに目を細めて私を見つめた。
 その視線は、私を透して、過去に棲む誰かを見ているかのようだった。
 「今のあいつが、きちんと人並みな感情を持つようになり、誰かと恋愛をして俺から離れる事が出来る日まで、俺はあいつにとことん付き合ってやるつもりだ。それが、俺に出来るせめてもの償いだと思っている」
 その『償い』の相手が、誰なのかはすぐに分かった。
 やっぱり、悔やんでいたのね。
 彼を信じてあげられなかった事を。
 あれは、誰が悪かったのでもない。
 仮に、クルガンがあの時ダークマターを信じていたとしても、やはり私は死んでいただろう。
 だけど、もしも、クルガンが信じていたなら…あの後、二人であの狂った司教を倒すために迷宮に挑んだかしら。
 ダークマターは…あんなに傷ついて、一人で罪を背負って逝くようなことにはならなかったのかしら。
 そして、勿論、今のダークマターは産まれなかった。
 …そう考えれば、クルガンが今のあの子に保護者感情を抱くのは分からないでもない。
 『償い』という気持ちで傍にいることに気付いたら、あの子は傷つきそうな気もするけど。
 あの子、か。
 私は、ダークマターが大好きだった。
 一人の男性として見ていたのに、今の彼に対しては『あの子』という表現になる。
 どうやら、私の彼に対する感情も、『保護者』に近いらしい。
 「なんだか、今、私、失恋した気分だわ」
 彼が生まれ変わって生きているから、私の恋も続いているのだと思っていた。
 だけど、私の相手は死んでしまったのね。…私も死んだのだけど。
 そこで、私が一瞬、「今の彼ではなく、昔の彼がここにいればいいのに」と思ったことは否定できない。
 それは、今の彼にはとても失礼な話で。
 駄目ね、やっぱり、私の恋は終わりかしら。
 「分かったわ…私も、あの子の保護者として、目一杯愛情を注ぐわっ!そして心を開いて貰うのよっ!」
 私は、ようやく顔を出した朝日に誓った。
 そう、今のダークマターもすっごく可愛いんだから。
 昔のダークマターは、長くて細い手足を持て余したような、成人男子とは思えない可愛さがあったけど、今のダークマターも、スピッツみたいな可愛さがあるのよ。懐いてくれたら、嬉しいわ。
 「あぁ、そう言う気持ちでいてくれると、俺も助かる」
 何で、貴方が助かるのよ。
 「そこで、だ」
 なにやら気まずそうに、クルガンは目を逸らした。
 「出来れば、お前からあいつに教えてやってくれ」
 何をよ。
 「あいつは、結婚する前の女は、全部処女だと思っている。その辺を何とかうまく…」
 「男の子の性教育は、男親の仕事でしょうが〜!」
 「俺が、どんな顔してそんなことを伝えられると思っている!」
 「だからって、私にどう言えって言うのよ!」
 「いや、だから、女の生態というやつをだな…」
 「女が処女じゃなくなるのは、女だけの責任じゃないでしょう!?男がいなきゃずっと処女だわ!」
 「俺は言えん!」
 「私だっていやよ!」
 結局。
 さんざん口論した末に、とりあえず雄しべと雌しべの話から始める、ということで合意したときには、すっかり日が高くなってきていた。
 遅い朝食を摂るために宿の中に戻ると、ダークマターはいなかった。
 「あの馬鹿、俺が一緒に行くと言ったのに!」
 きっと、冒険者ギルドに行ったのだろう、と飛び出しかけたクルガンを、陛下が引き留められた。
 「お待ちなさい、クルガン。ダークマターなら大丈夫です。ユージンが共に行きました」
 「なっ…!」
 相手が陛下だけに何も言えず、クルガンはそれきり黙って朝食に向かった。
 だけど、パンを引きちぎる顔は鬼気迫っていて、どう差し引いても、『箱入り娘のデートに怒り狂う父親』でしかなかった。
 
 昔から過保護だったけど…ホントに、過保護そのものなのね、クルガンてば。
 
 どーでもいいけど…それ、すでに『独占欲』の域に入ってる気もするんだけど、本当に『保護者感情』って言葉で片づけてもいいのかしら。

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