女王陛下のプティガーヅ
クルガンの覚え書き
5階へと降りる階段で、明るいところに踏み出す直前に俺は足を止めた。同時に、隣を降りていたダークマターも壁際に身を寄せる。
聞き覚えのある声と…聞いたことがない老人の重々しい声。
それが遠ざかってから、ゆっくりと5階へと降り立った。
「ウェブスター公は、反乱を起こすつもりなのでしょうか」
「騎士団を動かさない王を見かねて、自分の力でドゥーハンを救うつもりなのかも知れませんが…その気持ちも分かりますので、私としては何とも」
元反逆者が苦笑して言えば、レドゥアもやはり苦笑に近い表情で頷いた。
まあ、ユージンも似たような理由で反乱を起こしていたからな。複雑な気持ちになるのも無理はない。
「武神の力を使って、魔女退治?…ま、成功する訳ないからいいけどね」
仮に起動したなら、人間の手に負える代物では無い。起動しないのなら、事態は何も変わらない。
「とは言え…もしベルちゃんに会ったら、一言伝えておいた方がいいかも」
「城に行くの?」
ダークマターはしばし考え込んでいたが、やがて首を振った。
「…今、確実な情報は、ウェブスター公が法王庁の人間と迷宮5階に立ち入っていたっていうだけになるし…武神が何なのか、というところから説明するとなると、すっごくややこしいし…」
「つまり、わたくし達が彼の野望も打ち砕けば良いのですね」
…陛下がソフィアに似てきたな…昔から案外と好戦的な方だったが。
もう少し様子を見る、という結論に落ち着いて、まずはこの階の探索だ、と意気込んだところで。
1体のワーウルフが襲いかかってきたのできっちりと返り討ちにしてやって、拾った武器をとりあえずしまっていると。
「…クルガン、何か顔色悪いよ?」
…だろうな…。
ダークマターは勝手に俺の腰から先ほどの武器を取り出した。
「ひょっとして、呪われてない?」
代わりに寄越された封傷の薬を飲み干すと、少しすっきりした。
すっきりしたところで、その辺を彷徨いていたモンスターを倒すと、間がよいのやら悪いのやら、レプラコーンの面が手に入った。
「…どうします?陛下」
土毛色になった顔でソフィアに武器を放ったダークマターは、リーエと呼ぶのも忘れているようだった。倒れかけだから仕方が無いが。
「どうせなら、この面を届けて鍵を手に入れて、あの転移陣を使用可能にすれば、今後便利ですが。これを持ってると、どんどん生命力が吸われていってます」
「捨てましょう」
「でも、これって、呪いの武具だから高値で売り飛ばせるんですよねー」
「私なら、もう少し保ちますから、頑張ってみましょうよ」
パーティー内で一番体力のあるソフィアが、速攻で反応した。陛下は悩んでおられるようだったが、金があるに越したことはない、というのを理解されたのか、渋々頷かれた。
幸い階段近くだったのですぐに上に戻り、小鬼に面を渡せば銀の鍵を寄越したので走って転移陣のある部屋に向かい…。
「ユージン、パス!」
「おっと。…なるほど、確かに生命力が…」
…そこまでして持って帰るほどの物か?
まあ、誰かが死んで渋々帰るよりは生産的だが…。
転移陣の先にいるリディとかいう女は、どうやら冒険者活動はこれで終了し、後は情報屋として生きるらしい。
そこで俺たちは無事銀色の鍵を入手し…。
「…レドゥア殿、頼めますか」
「むぅ…」
…いや、だから…そこまでして持って帰らなくとも…。
ちなみに。
鑑定の女を恐怖で満たしたその武器は、約1万ゴールドほどの価値で、他に持って帰った呪いの武具と大して違いは無かった。
今度から捨てることを主張しよう。
今回も二人部屋だったので、俺とダークマターが休むことになったのだが…どうも落ち着かん。
色々と考えた結果。
「ダークマター。一人で寝られるな?」
「子供じゃあるまいし」
よく言う。
が、一晩くらいは何とかなるだろう、と、俺はこっそり窓から外へと出ていった。
この時代に来て1ヶ月。
毎晩のように女のところに出かけているユージンだの、枯れた精神ご老体と違って、俺も生理的な処理をする必要がある。
と言うわけで。
元の時代のドゥーハンの町並みから類推した通りの場所にあった娼館で一夜を過ごすことにした。
で、とりあえず落ち着いたところで、外を見ると、女も釣られたように外を見て、まあ、と呟いた。
「寒いと思ったら、雪が降ってきたのね。もう昨日から2月だし、不思議ではないけれど…」
女は柔らかな肌を俺に押しつけ、暖かな布団の中へと誘った。
俺としても、その誘惑に屈したいのは山々なんだが…。
はぁ、と溜息を吐いてから、思い切ってベッドから出る。
「どうしたの?寒いでしょ?」
「帰る。金は払っているから、いいな?」
「それは構わないけど…雪が積もってるのよ?朝まで待てば良いのに…」
「…いろいろ、あってな」
俺の思い過ごしである可能性もあるが…もしそうなら、冷え切った手で顔を触ってやろう…あれをこの風景の中置いておくのは、どうもまずい気がする。
手早く着替えて、俺は部屋を出ていった。
入り口でも、親切に「もう少しお待ちになったら?」と言われたが、手を振って外に出る。
灰色に染まるドゥーハンの街並み。
音もなく降り続く雪。
ふぅ、と息を吐き、俺は町外れへと向かった。
古代からあるという碑が見える前に、声が聞こえてきた。
己の直感が当たったことを喜んで良いのやら悲しんで良いのやら。
俺は足を早めて碑へと向かった。
哀切な歌声は、下の方から聞こえる。いろいろと裏技を持っている奴だが、さすがにアレイドの記憶が無い状態では、一人時間差シングルジャンプアタックなどというあり得ない技は使えないらしい。
碑を回ると、ぼんやりともたれて歌い続けている奴がいた。髪にも肩にも雪が積もっている。
顔を顰めて雪を払いのけても、俺の顔を見もせずに、少し仰のいた姿勢のまま歌い続ける。
「…おい。帰るぞ」
歌は止まず、ただ、細い腕が迎えを待つように天へと差し伸べられた。
「聞いてるこっちが滅入ってくるような歌を歌うな。…帰るぞ」
それでも歌は止まない。
俺も上へと視線を向けた。
黒い空から舞い落ちてくる雪片。
イヤと言うほど見続けた光景。
こいつにとっては、あのドゥーハンにいるような気分にさせられるのだろうか。
誰へかも分からぬ鎮魂歌を歌っていたあの頃。今は…誰のために?
「明日になれば、太陽が照る。あのドゥーハンではない。…真っ白な、綺麗な世界が現れる」
聞いているのかいないのかも分からない焦点の合ってない目の前で手を振って、俺は溜息を吐いて軽い体を担ぎ上げた。
胸郭が圧迫されるのか、声量は落ちたが、それでも呟くように俺には分からない言葉を紡ぎ続けている。
やれやれ。
俺のいない夜に限って雪が降るとは…間の悪いことだ。
人っ子一人通らない道を辿り、宿屋に窓から帰れば、ようやく歌が止まった。
そのままぽてんとベッドに横になるのを、無理矢理マントを脱がせて布団に突っ込んだ。
俺も寝るか。どうせなら暖かい方が、とダークマターのベッドに潜り込もうとしたら。
「…香水臭いから、やだ」
と蹴り出された。
…臭いってお前、失礼な…確かに、きつい花の香りだとは思うが。
仕方なく、一人で寝ながら、明日は朝一番に浴場に行こうとうっすら思った。
朝風呂を終えて宿屋に帰ってくると、ちょうど陛下が東国の服装をした侍と話をしているところだった。
「素晴らしい!この妖気…これぞ我が刀に相応しい!いや、感服つかまつった」
そして、己の腰に下げていた刀を鞘ごと抜き、陛下に押しつける。
「これさえあれば、もはや長船は必要無し。長きに渡って我が苦楽を共にした刀ではあるが…納めてくれい」
うっとりと新しい刀を見つめながら去っていったフドウを見送っていると、ひょこっとダークマターが顔を出した。どうやらあのフドウと言う男は、同じ侍のいるパーティーには依頼しないようなので、隠れていたらしい。
ダークマターは俺に近づいて、顔を俺の肩あたりに埋め、ふんふんと鼻を鳴らした。
「…よし、OK。おはよ、クルガン」
「あぁ、おはよう」
夕べのことが嘘のように、水色の瞳が俺を見上げてほんわりと笑った。
こいつ自身があの状態を覚えているのかどうか、と疑問に思わないでもなかったが、わざわざ口に出して思い出させたくないのでスルーすることにしておく。
ダークマターはくるりと振り向いて、陛下に駆け寄り、その手から長船を受け取った。
今、あいつが下げているのは無銘の刀。無論、長船の方が攻撃力があるのだが。
ダークマターは眉を寄せて、陛下を上目遣いに見上げた。
「あのぉ…我が儘だって分かってるんですけどねぇ…」
分かっているなら言うな。
内容次第では拳骨を落としてやろうと俺も近づいておく。
「これ…柄を作り直してきて良いですかぁ?…他人の汗と脂と、ひょっとしたら唾液が染みついた柄を握る気になんないんですよねぇ…」
う…こ、これは…我が儘、と言えば我が儘なんだが…拳骨レベルでは無いな(俺判定)。
他人の握り癖が付いている武器なんぞ、俺もイヤだ。ましてや、少し潔癖性の気があるこいつでは、触るのもイヤだろう。
陛下もそう思われたのだろう、苦笑しながら頷かれた。
「良いでしょう。ですが、作り直す当てがあるのですか?」
「いやぁ、ジンさんがやってくんなきゃ、自分でやるしかないですけどね。てことで、ちょっと酒場に行って来ま〜す」
「なら、俺も行こう。ひょっとしたら、新しい依頼があるかもしれんしな」
「分かりました。ではわたくしたちは商店に寄りますので…そうですね、迷宮入り口で合流いたしましょう」
ということで、俺はダークマターと酒場に行くことになった。
もう通りは踏み固められて雪は黒く濁っているが、木の葉の上や道の脇は日差しを浴びて溶けかけ白く輝いている。
本格的な大降りにならなくて良かったな。このくらいなら、いわゆる「雪化粧」というやつだ。
ダークマターはブーツが汚れないように綺麗な場所を選んでひょいひょいと飛ぶように歩いていた。高レベルの冒険者の身のこなしというのでは無いのだが、元の造りが良いせいで道行く一般人が見惚れている。
何となく溜息を吐いてから、俺もさっさと走っていった。
酒場に着いて、ダークマターがマスターと話している間、俺は依頼をチェックした。
えー…地下5階に来て下さい?急ぎで。
「あ、それ、裏取れてねぇんだけど…ま、行くなら止めねぇよ」
…怪しげだな。まあ、どうせ次から5階を探索するんだ。ちょうどその場に行けばよし、駄目なら誰か他の冒険者が何とかするだろう。
他には…サレム寺院の依頼…これは、身元は確かだが…寺院の名声を高めるためにってのがなぁ。
「あ〜、それね。あの人、性格があれだから、あんまりみんな行きたがらないっつーか…ま、受けるんなら、寺院で直接内容を聞いてくれよ」
酒場の兄ちゃんも、乗り気ではないらしい。
俺が言える立場では無いが、一応商売なんだから、そんなに自分の好き嫌いを出して良いのだろうか。
依頼は…こんなところか。寺院には全員で行って話を聞く必要があるだろうな。
「あ、そういや、あんた、トラップゲーム得意だよな」
「まあ、な。面倒だが」
店員が目を輝かせてカウンターに身を屈め、何やら紙ががさっと鳴ったかと思うと。
ちょうど奥からダークマターが手を振りながら出てきた。
「クルガン〜!何かね、トラップゲームコンテストって言うのをやるんだって!」
「…自分で出ろ」
「だって、あんたの方が得意じゃん」
ダークマターは俺の隣に来て、ぷぅ、と頬を膨らませた。子供じゃあるまいし、そんな顔は止せ。
「だってさー、商品はジンさんが打った虎撤だって言うんだよー。不死者も倒せるってゆーし、侍しか使えないんだし、やっぱ欲しいじゃん」
ね?と俺を拝むように両手を合わせて、上目遣いで見上げてくる。
ここで甘やかしてはいかん。
「だから、欲しいのなら自分で…」
その時、横合いから戦士の格好の男が近づいてきて、ダークマターの肩を抱いた。
にやにやしながら耳に口を近づけたが、ダークマターがくすぐったそうに首をすくめたのですぐに顔は離れた。
「もしもよぉ、俺が優勝したら、お前にやろうか?どうせ、俺には使えねぇんだし」
「ありがとう!」
「あ!じゃあ、俺が優勝したときにも、お前にやるぜ、ダークマター!…だからよぉ…一回くらい…」
「俺も!俺も!俺も出場するから!」
「みんな、ありがと〜」
わらわら寄ってきた冒険者たちに、ダークマターは無邪気に微笑んだ。
仮に、だ。
俺が出場せず、他の奴が優勝して、<何か>と引き替えに刀をくれるとして。
こいつは<何か>を差し出すんだろうか。
……差し出しそうだな。自分の体に興味が無い奴だから。刀にもそんなに執着は無いだろうから、絶対とは言えんが。
溜息を吐きつつ、カウンターの兄ちゃんがそっと差し出した出場登録用紙にサインした。
「…大丈夫っすよ。たいてい、コンテストに出る奴らは、3桁いかないし。あんたの記録、未だ破られてませんから」
こっそり囁いた店員は、ますます声を小さくして俺に笑いかけた。
「それに、あの人、ああ見えて身持ちが堅いっすよ。あんたがいない時でも、うまいこと身をかわして手すら握らせてませんって」
いや、俺はそんなことは心配してないが。
もし本当に不愉快なことをされたら暗殺者の技が出るに決まっている。
…しかし…そんな風に他人にすり寄っていかねば冒険者生活が成り立たないなどという事態は不愉快だな。俺もあいつも、元のレベルならそんな必要など欠片も無いというのに。
冒険者に囲まれてにこにこしている奴の頭に、がつっと一つ拳骨を落とす。
「まったく…いい加減にしておけ。どうせ俺が優勝するんだから、無駄な期待をさせてやるな」
「…いったぁい…もー、素直に、俺のために優勝するって言ってくれればいいのに…」
「だーれーがーお前のためだ!」
手首を掴んで引っ張ると、あっさりと冒険者の輪から抜け出してきた。
「またかよ」
「あ〜あ、何だ、お手つきだったのか」
「けっ、盗賊風情が…」
ぶつぶつ言われているが無視して酒場の外に連れ出した。
暢気に背後に手を振っているダークマターの手首を思いっきり握りしめてやれば、くすくすと笑った。
「面白いよねぇ。いくら綺麗でエルフの細身だって言っても、俺は男なのに、何を期待してるんだろ」
「…分かってないのなら、危なっかしい真似をするな」
「んー、いいんじゃないかなぁ、どうせあっちも本気じゃないでしょ。殺伐とした冒険稼業のささやかな息抜きってとこ?…まあ、ホントの女の人を相手にした方が生産的だと思うんだけどね〜」
時々、こいつがどこまで分かってやってるのか分からんな。
自分が綺麗で、女性の代わりとして見られていることは理解しているんだろうが、具体的に何をされるのか分かっているんだろうか。
…いや、深く突っ込みたくは無いが。
「お前が、男好きだの何だのという噂が立てば、リーダーまでそういう目で見られるかも知れん。自重しろ」
ダークマターが目をぱちくりさせた。
しばらく考えてから、妙に素直に頷いた。
「そっか。そういう考えは無かったな。…んー、分かった。みんなに迷惑かけないようにしとく」
…ま、実際のところは、陛下にまでは累は及ばんだろうがな。こいつがちょっかいをかけられるのは、一見、ぼんやりと夢でも見ているような瞳でほわほわと漂っているから、あっさり落ちるんじゃないかと思われているからだ。平たく言えば、頭が軽いと認識されているわけだ。
しかし、陛下はお美しいが威厳もたっぷり持ち合わせておられるから、そんじょそこらの冒険者風情が声をかけられる雰囲気では無い。
…が、そこまで説明する必要は無いだろう。
「とりあえず、酒場に一人で行くのは、止めておくんだな」
「…はぁい、クルガンパパ」
誰が、パパだ!