女王陛下のプティガーヅ
レドゥアのノート
一晩明けて、我々は再度地下三階に向かった。
地図を見ながら、前回行かなかった方向を埋めることにした。
そうして一つの扉を開けると、そこは巨大な吹き抜けの広間になっていた。
迷宮の中だというのに、美しい装飾がされた白い鉄柵がぐるりと通路を取り巻いている。
そのまるで王宮のような通路に足を踏み入れると、少し離れたところにいた集団から一人の女がこちらに向かってくるのが見えた。
しかし、女性、と表現するのが憚られるような姿だな。私のたおやかなオティーリエとは正反対だ。
黒くしっかりとした眉、無造作に束ねられた髪。
かろうじて胸の膨らみを覆っている金属の鎧。
剥き出しになった体は、筋肉のうねりがよく見える。
「冒険者の一団か。少し問いたいことがあるのだが」
高慢、というのではないが、命令し慣れた言い方でそのアマゾネスは我々の顔を見つめた。
「上で何があったか知らぬか?どうやら闇の眷属が冒険者に倒されたという話だが、それは本当か?」
そんなはずはなかろう、と言いたそうな顔でそう聞いてくる。
さて、我々としては成果を誇る気はあっても、それを吹聴するほど顕示欲が強いわけではないのだが。さりとて、秘密にしておいて、情報を得られるかも知れぬ機会を失うのも困る。
オティーリエは、如何にもなんでもないことなのだ、といった風にさりげなく言った。
「わたくしどもが倒しました。無論、苦戦いたしましたが」
「何と!」
その黒髪の女は我々の顔をじっくりと品定めするように見て、それから女性とは思えぬ豪快な笑いを上げた。
「はは、冒険者の中にも腕が立つ者はいるのだな!あのような異界の代物、倒せるとしたら人斬りアオイか、異端者ウーリ、そしてこの私しかおらぬと思っていたのだが、認識を改めねばならぬようだ!まあ、腰抜けの騎士団どもでは敵わないだろう、という意見は変える気は無いがな!」
「わたくしどもは六人で一丸となって戦いましたゆえ…お一人で戦いあそばす方と比較するのは難しゅうございましょうが」
己の力を誇ることなく、さりとて卑下することなく自然な微笑みを浮かべた我がオティーリエの態度に感銘を受けたのか、その女は居住まいを正した。
「我が名はヴァイル。ここへは、かつてバンクォーの戦いで父が受けた汚名を濯ぐためにやってきた。あのバンクォーの戦い、二万の軍勢をオルトルードが倒せたと思うか?世間は父の作戦ミスと罵るが…それは違う!」
ヴァイルと名乗った女性は口惜しそうに床を蹴った。
私の背後では、ダークマターがぶつぶつと呟いている。
「ヴァイル…ヴァイル…どこかで聞いた気が…」
「我が二万の軍勢は、あの闇の眷属に食われたのだ!何故、あの時、あの場所にそれが現れたのかは知らぬ。だが、それが事実なのだ!オルトルードは、ただその場で生き残った武将の一人に過ぎない!聖王が聞いてあきれるわ!」
「生き残った者が勝ちってのは、ある意味歴史が証明してるけどね〜」
ぼそりと呟いたのが聞こえたのか、ヴァイルは私の背後をじろりと睨んだが、すぐに目を逸らした。
「私は、あの闇の眷属を倒し、我が父の受けた汚辱を濯ぐのだ」
その時、黒い甲冑に身を包んだ男ががしゃがしゃと駆け寄ってきて、ヴァイルに耳打ちした。
ヴァイルは重々しく頷き、我々に向き直った。
その顔は期待と自信に輝いている。やれやれ己の力に自信を持っている若者を見るのはいつでも楽しいものではあるが…その輝きが失せぬことを祈ろう。
「闇の眷属の相手をするのは、人間では力が足りぬ。だが、この迷宮にはそれに対抗する力が眠っているのだ。君たちも興味があるなら地下五階に向かうのだな。そこに古代エルフ都市の武器が眠っている…そう、一夜で都市を壊滅させた「武神」がな」
我々が一様に息を飲んだのに、ヴァイルは気づいただろうか。
彼女は足早に部下たちの元に向かい、一団となって下へと行軍していった。
「…あぁ、思い出したよ、ヴァイル。あの毒を受けた姉ちゃんが最後に呟いてたんだったっけ」
ぼそりとダークマターが呟いた。
ちょっと待て。
ここは「武神」について驚くべきところでは無いのか。
「てことは、あの姉ちゃんは移送隊にいながら、敵国の女を「殿下」と呼んでたわけか。…諜報員?」
「バンクォーでオルトルードと父が戦ったというなら、あのヴァイルという女はサンゴートの者だろう。騎士団が何をしているか探らせていたのだろうが…」
クルガンが返事をしつつも、腕組みをして何か考え込んでいるようにとんとんと指で腕を叩いた。
「あの臆病モンクもアレイドがどうとか言っていたな。…やれやれ、こんなにあっさりと敵に内部を探らせるとは、この時代の忍者部隊は何をしているんだ」
自分が指揮を執っていれば、とでも言いたそうにクルガンは顰め面をした。
さて、我がドゥーハンの誇る忍者部隊は、いつの時代から王宮標準装備になったのであったかな。
「あら、ちょっと待って。殿下ってことは、彼女、サンゴートの姫なの?父、はサンゴートの王ってことかしら」
「ふむ、あの黒い甲冑は黒騎士の証だろう。それが従っているということは、サンゴートの姫で間違いなかろうな」
ユージンが実に残念そうな顔で肩を竦めた。クルガンの「無念」は、「敵国の姫がこんな中枢近くまで進入させている忍者部隊」にあるのだろうが、こやつの「無念」は「相手が敵国の姫なので口説けない」もしくは「せっかく姫なのに好みではない」のどちらかであろう。
これだから騎士という輩は嫌いなのだ。
女性と見れば口説かずにはいられぬのだからな。
などなどと。
あの女性について、及びサンゴートとドゥーハンの関係について話しながら歩いていた我らは、いつの間にか「武神」という衝撃的な単語を聞いたことをすっかり忘れていたのであった。
ぐるりと通路を一周して、階段を降りていこうとしたが、ちょうど降りた位置には黒々とした大きな穴が開いていた。落とし穴にしては随分と大雑把な造りだ。このように穴が見えていたのでは、落とし穴としては機能せぬのではなかろうか。
また落ちて確かめるのかと思っておったら、ちょうど階段のところでコボルトどもと戦闘になった。
前衛を呪文集中クレタで片づけ、残りを普通に倒していくと、一匹残った者が戦意を失ったのか両手を上げて降伏してきた。
「ちょうどいいや。確かめてみましょうよ」
ダークマターがあっさりと言って、コボルトの逃げ道を塞ぎ、階段下へと追い込んだ。
コボルトは穴の前でうろうろしつつ、我々の方をちらちら見てくる。
どうやら向こう側には渡れないので、我々が立ち去るのを待っているらしい。
だが、そこで、ダークマターが投げた小石が頭に当たった。
咄嗟に頭を押さえたコボルトの足にもう一つ小石が当たる。
そうして、バランスを崩して落とし穴に落ちたコボルトは。
1…2…3…。
「ぎゃああああっ!」
ぶすっぶすっっと肉を突き刺す音と、断末魔の悲鳴が響いた。
ダークマターはあっさりと肩を竦めた。
「あれに落ちるのは、止めておきましょ?」
安全を確かめる方法に些か難があったような気もするが、あえて深くは突っ込まぬことにしておこう。
どうせ我々は悪属性なのだ。
我々さえ無事ならそれでよしとしよう。
どうやらあの落とし穴もどこかの仕掛けで塞がるらしいので、我々はいったんそこは諦めて別の道へと行くことにした。
柱の崩れた通路に戻り、残ったドアの方に向かうと。
「…割りと新鮮な血臭」
ダークマターが鼻をすぴすぴさせてそう呟いた。
「それも、たくさん」
その言葉に、クルガンが無言でドアに耳を当てる。
だが、しばらくして立ち上がって首を振る。
「今は、何の気配も無いな」
「焦げるような臭いもする。大きな戦闘があったんだろうけど、今は終わってるってとこかな」
二人が振り返ってオティーリエを見た。
オティーリエがゆっくりと頷く。
二人がドアに手をかけ、ソフィアとユージンがドアの前に立つ。
そうして開かれたドアの向こうでは、部屋が真紅に染まっていた。
確かにところどころに焦げた跡もある。あの人型に焦げた跡は、明らかに人間が焼き付けられたのであろう。実験に爆発した部下がよくあんな姿になったものだ。魔術師の塔では、もはやスタンダードとさえ言える壁のシミである。
だが、ここには爆発以外の死に方をしたと思われる死体がごろごろ転がっていた。
「無惨ですね…」
陛下がお美しい眉を顰められた。
あぁ、ローブの裾が血で汚れる。後でしっかり洗って差し上げねば。
「騎士…じゃないわね。冒険者かしら」
辺りの死体を顔を顰めつつも眺めていたソフィアが案外冷めた口調で言う。
「近くに、これだけの戦闘を引き起こせる魔物がいる、ということか?」
クルガンの目が左右を探る。だが、ダークマターが天井を指さした。
「さぁねぇ、少なくとも体はでかくない魔物みたいだね」
確かにこの部屋は、普通サイズの天井である。我々が遭遇したようなあの巨体は部屋には納まるまい。
クルガンが音もなく奥のドアに向かい、耳を澄ませる。ダークマターも慌てて近くに寄っていった。侍ならともかく、僧侶が一人近くにいても直接戦闘の助けにはならぬと思うが。
オティーリエは憂い顔で部屋中央の瓦礫と死体が積みあがった辺りを眺められた。
そのとき、瓦礫が僅かに揺れて、小石がからりと落ちた。
私は咄嗟にオティーリエの手を引き、背後に庇った。
「た…助けて…くれ…」
呻き声が瓦礫の中から聞こえてきた。
「生存者がいるのですね!」
オティーリエの声に、皆が集まる。
死体と瓦礫を少しずつ除いていくと、中から顔色の悪い男がのろのろと這い出てきた。
「悪い…助かったぜ」
「あぁ、確かゲロ吐き忍者」
ぽん、とダークマターが手を叩いて頷いた。
「普通の状態」ならその言葉に突っ込みたかっただろうが、顔色の悪い忍者は一層顔色を悪くしてその場に蹲り瓦礫に向かって一度吐いた。
「すまねぇ…まだ余韻が残ってやがる」
口元の布でごしごしと擦って、忍者は少しだけ顔色を良くして、我々を見、それから周囲を見回した。
「何てこった。生き残ったのは、俺だけかよ」
呟いてから、改めて我々に頭を下げた。
「俺の名はテュルゴー。こう見えても、冒険者じゃなく、立派な公務員なんだぜ?それが何だって、こんなことやらなきゃならねぇんだ!」
天井に向かって呪いの言葉を吐いてから、テュルゴーは我々に説明し始めた。
まとめると、魔女アウローラと遭遇して、誰かが無謀にも戦いを挑んだ挙げ句に思い切り返り討ちにあった、と。
「あの女は俺が生きてるのを知ってやがった。その上で陛下に伝えろって言ったんだ。
私はお前に時間を与えている気は無い。
これから闇の世紀が始まる。
私は朽ちゆく者にレクイエムを捧げよう。
あの女の魔力は圧倒的だ。レベルが違いすぎる」
テュルゴーはまた呪いの言葉を口にしてから、傷ついた腕を押さえながら呻いた。
「ちっくしょ、もう絶対ごめんだぞ、こんな職場!どこの公務員が、こんな迷宮に放り込まれるってんだ!」
エルフ三人が、各自、己の顔を指さした。
うむ、クイーンガードは立派な公務員だ。女王陛下の御身をお守りするのも大事な役目だが、陛下のお心を煩わせぬよう、民に危害を加える存在を駆逐するのもまた役目。
「くそ…あの化け物市長め…労災申請してやるっ!」
のろのろと足を引きずりながら去っていく忍者を見送って、我々は顔を見合わせた。
「労災…あらぁ、この時代って私たちの頃よりも福祉が充実しているのかしら」
「うーん、迷宮で怪我したのまで労災申請してたら、国庫がいくらあっても足りないよねー」
「怪我は給料のうちに含まれているはずだっ!危険手当としてな。それを己の非力も省みず、労災などとは忍者の風上にも置けんっ!」
…どうやら、我がクイーンガードたちは、「労災」に気を取られているようだ。
このような浅い階層に魔女が出現した、というのは滅多に無い出来事…つまり緊急事態のような気がするのだが。
「いや、しかし労災等の福利厚生システムが充実しているからこそ、部下たちも安心して危険に立ち向かえるのだしな」
ユージンの言葉に、クルガンが噛みついた。
「安心して危険に立ち向かう、とは何だ!いつ如何なる時でも背水の陣のつもりで戦地に向かうべきだろう!」
「騎士団と忍者兵を一緒にしない方が良いな。我ら騎士団は「家」を持っている。残された遺族や家名、「家」のことを案ずるのは当然のことだ」
「戦地で家族も糞もあるか!」
「それは、君に守るべき家族も「家」も無いから言えることだ」
「そもそもそのようなものに縛られることが…!」
平行線だな。
騎士の言い分も分かるが、これだから「クイーンガード」と騎士は成り立たぬのだ。クイーンガードたるもの、女王陛下以外に守る者を持つのは御法度であるからな。
そうして言い合いながら先を進んでいっているうちに、我々は、そこに魔女が現れた、という重大事項について話し合うことをすっかり忘れていたのであった。
こうして、一日の終わりに出来事を書き留めておくと、色々と反省すべきことが多いことに気づいてうんざりするな…。