女王陛下のプティガーヅ





 クルガンの覚え書き


 これまでとは格の違う魔物との戦いは、我々を疲弊させていた。
 いつもなら宿に帰るなり未鑑定アイテムを手土産にそそくさと出ていくユージンも残っている。
 更に驚くべきことに、いつもなら意地汚く俺の分までデザートを食っていくダークマターが、食事途中でうつらうつらと体を傾け始めた。
 まあ、今日の戦いではこいつは本当に死ぬ直前までいったのだ。疲れているのも当然か。
 「おい、眠いのなら部屋に帰れ」
 「…うに…」
 目を擦りつつもう一度ナイフとフォークを手にしたが、肉を切りかけたところでがしゃんと派手な音を立てる。
 「だから、もう寝ろ、と…」
 「うにゃー…」
 半分どころか1/4ほどになった目で皿を睨み付けていたダークマターだったが、さすがに諦めたのかナイフとフォークを置いた。
 「では、へい…リーエ、中座する非礼をお許し下さい…」
 言葉だけは立派だが、途中であくびが入ったのが減点だな。
 のろのろと立ち上がったダークマターは、ふらふらと揺れながら食堂を出ていった。途中で眠り込まなければ良いんだが。
 「あら、送っていかないの?クルガン」
 たかが食堂から部屋までをか?馬鹿馬鹿しい。
 だいたい、冒険者が大勢いる宿屋で何の危険が…
 「お、ダークマター。ずいぶん眠そうだな。俺の部屋で休んでいくか?」
 「ふに?」
 危険は……多分、無いと……
 「お前いつもいい顔しながらつれないじゃねぇか。今夜こそ付き合って貰うぜ?」
 「…うにゃあ…」
 ………。
 こ、ここで甘やかすのは、本人のためにならんと……。
 「貴方が行かないなら、私が行くけど」
 俺の返事も待たずにソフィアが立ち上がる。他の冒険者に腕を取られて引きずられるように歩いているダークマターに近づき、逆の腕を取った。
 「ごめんなさい、今日は本当に彼、疲れてるから。また今度にしてくれないかしら?」
 「あぁ?何だ?お前。こいつの仲間だっけか」
 胡乱そうにソフィアを見る男は、まだダークマターの腕を放していない。
 「仲間だからって関係ねぇだろ?こいつは今日は俺の部屋で休むんだ。だよな?ダークマター」
 ダークマターの返事は無い。ゆらゆら体が揺れている。
 「勝手に決めないでちょうだい。この子は私たちとゆっくり休むのよ」
 「はーっ、この子ねぇ。あんた、こいつのお袋さんかい?」
 「…何ですって…?」
 駄目か。
 雰囲気がどんどん険悪になってきている。
 陛下が俺の顔をちらりと見た。俺に収めろ、と?
 仕方がない、と立ち上がりそちらを向くと、ダークマターを間に挟んでソフィアと冒険者の体からは殺気まで滲んできている。これで寝ているような奴じゃないんだが。
 そう思っていると、揺れていたダークマターが、目も開けずに細い声を出した。
 「クルガン〜」
 「何だ」
 「ご飯、終わった〜?」
 「…まあな」
 「じゃ、寝ようよ〜」
 お前、この状況を何だと……まあ、いい。
 俺はテーブルの上のタルトを紙に包んで懐に入れた。どうせ後でデザートがどうのと言われるのは目に見えているからだ。
 「そうだな。寝るか」
 背後でレドゥアが何か呟いたようだが、どうせ聞くだけ無駄なので耳でシャットアウトする。
 ずかずかと近づくと、それまで腕を掴まれていたのが嘘のようにするりと二人の間から抜け出たダークマターが俺のシャツの裾を掴んだ。
 「ちょっ…待てよ、ダークマター!」
 「もうっ!貴方ってばそうやってすぐ美味しいところを持っていくんだからっ!」
 付いてくるとうざったいと思ったが、何故かユージンが出てきて冒険者の肩を抱いていた。
 「まあ、待て。君には私が、あの二人の愛が如何に偉大なものかを解説してやろう」
 …後で、殺す。
 しかし、今はこれを寝かしつけるのが先だ。目を閉じたまま俺のシャツに付いて歩いている馬鹿を、特別サービスで肩に担ぎ上げてやった。

 ブーツを脱ぐのもそこそこにベッドに撃沈したダークマターを転がして、この分なら、どうせ朝まで何も起こさずに寝るだろう、とは思ったのだが、癖で俺も隣に滑り込んだ。
 だが、すでに意識は無いだろうと踏んだダークマターが、ごそごそと俺の胸の上に頭を乗せてきた。こういうのは珍しい。一緒に寝る割には、あまりくっついてこない奴なのだ。
 しばらくじーっとしていたダークマターが、ぼそりと呟く。
 「あ〜、生きてるなー」
 …そりゃそうだが。
 気持ちは分からんでもない。そこには心の臓がある。拍動を感じると落ち着く、というのは種族を越えた共通項だ。
 しょうがないので、胸に乗せられた金色の頭を軽く叩く。ぽん、ぽん、とゆっくりとリズムを刻んでやるとすぐに瞼を閉じる。だが、まだ眠りには遠いらしく、はふ、と溜息を吐いている。
 「どうした」
 「エルフの身体ってさ〜…ひ弱いよね〜」
 まあ…な。
 今日の戦闘で心底危険に近づいたのは、ダークマター及び俺。どちらもエルフだ。無論ソフィアもエルフなのだが、あれは今の職業が戦士なだけに体力だけは俺たち以上だ。
 「前のクルガンなら、心配なんてせずに済むかもしんないけど、今のクルガン、普通のエルフなんだもん。俺、あんたが皮鎧で前線に立ってんの見る度、心配で死にそう」
 失礼だな。お前に心配されるほど落ちぶれた覚えはない。
 …と言いたいが、実際あの頃の俺に比べるとこの肉体はひ弱でいかん。だがあの肉体は200年以上鍛えた賜物なのだ。そう易々とあれと同じというようにはいかん。
 「俺の方もさー。あの人、こんな外見に拘るくらいなら、耐毒性を付加しといてくれた方がよっぽど役に立ったのに」
 あの人、というのは、元のあいつだな。
 そんな無茶を言うな。そう簡単に人間の体を好き勝手できるもんじゃない。
 「クルガンさー。俺が死んだら、悲しい?」
 …うっ…。
 こ、これは真面目に答えんといかんのだろうな…。
 「か、か、かな、悲しい、ぞ?」
 「…何故、どもりますか」
 んなことを真顔で言えるか!!
 しばらくして、ダークマターは溜息を吐きながら頭を持ち上げた。
 そして、ころん、と逆側を向いて丸くなる。
 もう寝たのか、と思う頃、小さな呟きが聞こえてきた。
 「…俺は、あんたには幸せになって貰いたいんだけどなー。…悲しませたいわけじゃないんだけどなー………ごめんね」
 ?
 小さな引っかかりを感じたが、多分独り言であって返事は無いだろうと声は掛けなかった。
 単純に考えれば、今日の諍いについての謝罪なんだろうが…しかし、どことなく、何かが引っかかる。
 俺を悲しませる=自分は先に死ぬ。→それについて謝っている
 つまり、相変わらず自分の回復より俺の回復を優先するぞ、と言っているのか。
 …それとも、全く別の理由か。
 どうもこいつは自分の身を大事にすると言う考えが薄くていかん。せいぜい俺が引っ張り戻してやらんと。
 それにしても、俺の幸せ、か。
 幸せ…幸せ…戦っている時…か?
 それも、魔物ではなく、意志のある奴で、実力が伯仲している相手が良い。しかも、完全に殺すべき敵ではなく、従って、何度でも死合いが出来る相手がいれば言うこと無し。いわゆる生涯の好敵手、というやつだな。
 そんな相手がいれば幸せ…………待て。
 いるぞ、おい。
 元のあいつ、及び、こいつ、だ。
 ままままっまままま待て、俺。
 このまま考えていると、これと一生一緒にいるのが幸せ、というとんでもない結論になるぞ!?
 落ち着け、俺。どこかで考え方がおかしいんだ。
 …とは言うものの…いわゆる一般的な幸せ、というやつは、素晴らしい伴侶を娶って子孫を残し、穏やかな老後、というものか。
 はっきり言って、いらん。
 伴侶と子孫は、まああってもいい。
 しかし、穏やかな老後、なんぞ想像しただけで鳥肌が立つ。むしろそんな状況になるのは恐ろしいほどだ。
 そんな将来を迎えるくらいなら、一生こいつの面倒見ながら放浪しているほうが数段マシだ。
 …………。
 寝よう………。
 これ以上考えるのは止めておいた方が、俺にとってもこいつにとっても『幸せ』な気がする……。

 翌朝、珍しくすっきりとした目覚めをした俺は、まだすぴすぴ寝ている奴を置いてベッドを出た。
 しばらく爽やかな朝の空気の中でいつも通り鍛錬していると、欠伸をしながらダークマターも中庭に出てきた。
 「何だ、もう少し寝ていてもよかったろうに」
 「んー、起きちゃいました。俺もやる〜」
 言って、柔軟を始める。正直言って、こいつの柔軟体操は気持ち悪い。ほとんど人間として(エルフでも同様だ)あり得ないほどぐにゃりと曲がるからな。人間、どうやったらこんなにコンパクトに丸まることが出来るんだ。
 それからぴょんぴょんと飛び跳ねていたダークマターが、納得したように頷いた。
 「よっし、快調。やる?」
 「そうだな」
 最初は離れていたレベルもすっかり近づき、能力的には大差が無い。対等で戦えるのは嬉しいが、どちらかというと俺が勝っていたい、というのはまあ微妙な心理だ。
 数度手合わせをする。
 やはり、何をしているよりも気分が高揚するのだが…これを俺の幸せと言い切ると、色々と不都合があるような、無いような。
 そんなことを考えていると、真下で水色が煌めいたかと思うと、顎に小さな衝撃を受けた。
 避けようとした体がバランスを崩して腰が落ちる。
 まずいな、顎をかすめたか。
 頭を振って立ち上がろうとしたら…くらり、と揺れてバランスが保持できない。軽く脳震盪を起こしているらしい。
 頭を押さえて座っている俺の前に、両手を腰に当てたダークマターが偉そうに見下ろしてきた。
 「俺とやってる最中に、違うこと考えてるからです」
 「…悪い…」
 言い訳のしようもなく、俺は手を振った。まだしも鳩尾に叩き込まれなかっただけマシだと思おう。
 「何、考えてたのさ」
 ダークマターが俺の前にすとんと座る。ほつれかけていた髪を解き、また結い始めた。
 「切らんのか?」
 面倒だろう、と何気なしに聞けば、俺をちらりと見て、にやりと笑った。
 「ん〜、長い方が、色々と仕込みやすいからね」
 …仕込むなよ。
 いつの間にか服にも色々と仕込んであるようだし、つくづく暗殺者の性根が抜けない奴だ。無論、暗殺を生業にする気は毛頭無いんだろうが、隠し技を持っていないと不安らしい。
 「なぁ」
 「何?」
 「お前の幸せ、というのは、どんなものだ?」
 何の気なしに問うてみたら、ダークマターは少し驚いたように瞳を見開いてから、首を傾げた。
 「ん〜…あんたが笑ってたら、幸せかなぁ」
 いや…そういうことを言われても。どんな顔をしろと。
 「後は〜、あんたが焼いてくれたケーキを食べてるときとか〜…夜中に目が覚めたときに、あんたが隣で寝息立ててる時とか〜…」
 ………。
 勘弁してくれ。
 「クルガン、耳、真っ赤〜」
 やかましいわっ!
 誰のせいだ、誰のっっ!!
 しばらく頭の中が灼けついていた俺だったが、冷静になって考えてみると、一般論としてそれはまずいのではなかろうか、と思い至った。
 俺がいなくなったらこいつにとって『幸せ』を感じる機会はない、ということなのか?
 幸せ、というのはそういうものではなく、何というかこう…世間的に言う『他人に与えられるものでは無く、自分が感じるものだ』というものではなかろうか。
 一応、うまく言えないなりにも、そう言ってみたが、ダークマターはけろりとして手を振って見せた。
 「あ、俺、それ無理だから。基本的に俺の感情って欠落しててさ〜。せいぜい他人との関わりの中で『相対的』に感じるしか無いんで、『絶対的』な幸福論を説かれても、理論的に納得できても本当に感じることは不可能なんだよね」
 え〜〜〜…よくは分からんが……『感情』と言う点ではずいぶんマシになったと思ったんだが、まだうまく感じられないのか。
 「あははは、パッと見、分からないっしょー?俺も普通の人間のフリが上手くなったもんです。『学習』しましたからっ!」
 ビッと親指を立ててみせるダークマターの頭をとりあえず殴っておいた。
 「馬鹿者!フリも何も、お前は『普通の人間』だっ!」
 「痛いです、クルガンさん」
 「『普通の人間』だから、痛いんだっ!」
 「…本当に、そうだと良いねぇ」
 なにやらしみじみと言われたので、殴る手が止まってしまった。
 ダークマターは、すくっと立って俺に手を伸ばした。
 「続ける?それともメシ食いに行く?」
 その顔は、ひどく柔らかな笑みを浮かべていたが、どことなく儚い感じがした。病床の母親が、子供を気遣うような顔…自分の未来は無いのに、ただ残された者に対して愛情を注ぐ時の顔に似ていた。
 何故、そんな連想をしたのか、自分でも分からない。
 なにせこいつはエルフで、俺より若くて、戦闘で死にでもしない限りあと800年は生きているはずだ。まだまだ死には遠い若木のはずだ。
 なのに、何故…生を諦めきった人間の表情に見えるのだろう。
 ただ黙って見上げている俺の様子に気づいたのか、ダークマターの表情がすぅっと変化した。いつも通り悪戯っ子のような楽しそうな表情。
 「なになに?まだ立てないの?修行が足りないよーん」
 そう言って無理矢理俺の手を取り引っ張り上げる。
 立ち上がっても、足がふらついたりはしないが、何となく目の前の体を抱き締めてみた。
 「うわ、珍しい。何?どーかしたの?」
 温かい体。背中からでも感じられる拍動。首筋にかかる呼吸。
 「お前は…生きているな?」
 そう、今現在、こいつはここに生きている。
 「多分
 …いや、そんな力強く言うなら、「生きてる」と言って欲しかったぞ。
 「死にかけの人間から無理矢理造り上げられた人工生命体だけど、活動を維持するのにエネルギーを消費するし、器が壊れれば活動を停止する、って意味では、『普通の人間』並みに生きてます」
 だから、何故いちいちそう小難しい表現を…。
 とりあえず、最後の「普通の人間並に生きている」という自覚があることに、安堵しておこう。
 俺の考えでは、こいつはあくまで普通の人間(エルフ含む)だがな。ちょっとばかり変わった経緯で生まれては来たが、人間誰しも神に創り上げられた生命体だ。神の代わりにあいつが造ったというだけの違いだ。そんなに自分を卑下する必要も特別視することもない。
 体を離し、細い金色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回してやった。
 「うわ、せっかく三つ編み上手に出来たのに!」
 途端にぎゃーぎゃーと文句を言うダークマターの頭をぽかりと殴った。
 「生きているという自覚があるなら、死ぬな!」
 髪を解きかけていたダークマターが手を止めて俺を見上げる。困ったような顔でこめかみを掻く。どんな反応をしようか悩んでいるらしい。
 「お前は、精一杯生きていればいいんだっ!」
 「えーと………はい」
 「お前は俺より若いんだから、俺より先に死ぬな!」
 「え〜〜〜……前向きに、善処します…」
 曖昧な笑みを浮かべて、ダークマターは身を翻した。
 「さ、早く朝飯食べに行こうか」
 「逃〜げ〜る〜な〜!」
 追いかけると、きゃあきゃあ言いながら走っていく。
 角を曲がったところで。
 「…あれ?ガー…レドゥア?」
 ガード長が突っ立っていた。
 何故か砂山に足が埋もれるように立っていて、しかも白目を剥いている。
 ダークマターが顔の前でぱたぱたと手を振った。
 「おーい、レドゥア〜〜」
 ぴくりとも動かない。完全に固まっている。ストレインか麻痺の攻撃か?まさか、こんなところで敵襲が?しかし敵意は全く感じられなかったが…。
 「…あ、でも俺、パラズケアまだ唱えられないし〜」
 「俺の治痺の薬ももう無いぞ?」
 「とりあえずリーエに報告しよっか」
 「そうするか」
 見張りとしてダークマターを残して宿の中に入った。
 陛下をお捜しして報告し、皆でレドゥアの元に戻ってみると。
 しっかり勝手に回復したらしいレドゥアが、ダークマターに懇々と説教していた。
 正座をして神妙な顔でこくこくと頷いているダークマターが、ちらりと俺を見て、恨めしそうな目をした。口が小さく動いて…なになに「裏切り者〜」?
 いや、まさかこんなにすぐに回復するとは思わなかったし、いきなり説教を食らう覚えは無いし…む、そう言えば、その説教は俺にも関係することなのか?
 ………レドゥアの説教はねちっこいからなぁ………。
 「では、回復しているようなので、問題解決、ということで」
 陛下たちを促してきびすを返すと、今度は声を出して「裏切り者〜!」という悲鳴が聞こえた。
 だが、すぐに
 「待て!まだ話は終わっておらぬ!」
 レドゥアに止められたのか、ダークマターは追ってこなかった。
 はっはっは、今日も空が灰色だなぁ。





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