女王陛下のプティガーヅ




 
 ユージンの記録。


 さて、改めて我々は迷宮に向かった。
 いつも通り若き騎士に見送られ、ショートカットを利用しようといつもの通路に向かったところ。
 扉を開けた途端、何やら激しい言い合いが聞こえてきた。
 「陛下は何を考えておられるのか!騎士たちを温存し、あのような冒険者たちを向かわせるとは!しかも犯罪者も含まれていると言うではないか!」
 「…私は、陛下のお心に従うのみだ」
 「もしも仮に魔女を倒したとしても、ベノア中のいい笑い者になるぞ!」
 あの服、あの髪…確か宰相の男だったな。騎士団長と言い争いか。内容は宰相の方が正しい主張に思えるが…さて。
 しかし、気まずい。
 身を隠す場所もないこの位置では、ただ彼らの言い争いを見守るより他に無いではないか。立ち聞きなど、騎士たるものが行うべき所行ではないのだが。
 彼らの方も我々に気づいたのだろう。まだ何か言いかけた宰相の男が、ふと口を閉じた。
 「まあ、良い。私は私の判断で動くとしよう。…国よりも身内が大事か。ふん、所詮外様ということか」
 傲然と顔を上げ、我々の横を擦り抜ける。なかなかに肝の据わった男であることは確かだ。あのような服装でこの迷宮に一人でいるとは。
 残された騎士団長は憮然と
 「そんなことは改めて言われずとも…」
 そう呟いた。
 騎士を温存している、と陰口を叩かれるのは、彼が一番辛いに違いない。だが、陛下の命には逆らえぬ。騎士団長とは、そういうものだ。自らの意志で動くのは、騎士たりえない。…いや、私が言うのも何だが。
 騎士団長は、我々に軽く手を上げ、やはり横を擦り抜けて行った。
 「…宰相ってさー、一応王の下に存在するべきもんだよねぇ?」
 ぼそっとダークマターが呟いた。彼は騎士団長がお気に入りのようだから、どうしてもそっちの肩を持ちたくなるのだろう。まあ、私も騎士の端くれ、騎士団長を贔屓にしたいのは山々だが、この状況ではあちらが正しいようにも見えるしな。
 「えーと、騎士団長及び騎士は王の下、宰相は独自路線、さて忍者兵はどれに与してるのかな?」
 「本来は、王の手駒であるはずだがな」
 元忍者が頷く。だが、その口調からするに、そうは思っていないということだろう。
 「基本的に好きじゃないんだよねー、貴族とか宰相とかってさ」
 「それはお前が正面からぶつかるからだ。あんなもんはうまいことあやしておけば良いものを」
 昔の話だな。
 確かに貴族間ではクイーンガードダークマターの評判は悪かった。何せ特別扱いせぬ上に真っ向から反対意見を押し潰したからな。その点クルガンの評判はさほど悪くなかった。しかし今の言い分を聞けば、単に貴族はクルガンに良いように扱われているのを気づいていなかっただけか。
 無論、それも凄い手腕だと誉めるべきだが。
 「お前は、正直過ぎるのだ。嫌っていても、うまく煽てて自分の思うように動かすのこそ、戦略の醍醐味というものではないか」
 「すみませんねー。あの頃は俺も若くて。いや、今の方が若いんだけど」
 珍しくレドゥアにまで笑われて、ダークマターはふて腐れたように唇を尖らせた。
 「ま、今となっちゃ良い思い出ってやつですか」
 そう納得したのか、ダークマターはそれきり口を閉じた。
 
 さてそれから順調に1階から2階へと進み、先日エルフ…ではなかった、人間の忍者に出会ったところまでやってきた。
 「さあ、皆、油断無きよう」
 陛下の仰る通り、これまでよりも強大な敵が待ち構えていることを想定して、我々は緊張する。
 だが、部屋の中は空っぽで、大きな墓石があるだけだった。
 拍子抜けして顔を見合わせる我々の中で、クルガンとダークマターがそれぞれ部屋の隅に向かい壁を調べ始めた。
 「…こっちは、何もない。そっちは?」
 「あぁ、ちょっと待て。…ここをこうして…」
 壁をごそごそとナイフで突いていたクルガンの前に、がたんっと壁が倒れてきた。
 「よし、倒すぞ」
 クルガンの背に隠れて何があったのかは分からないが、ぎぎぃっと何かが軋むような音を立てたかと思うと……。
 落ちた。
 私は墓石の前に立っていたのだが、不意に足下が抜けたのだ。辛うじて受け身を取るが、突然であったため派手な音が立ってしまった。敵がいたなら私一人だけでもあるし危険…と思ったが、幸いそこも同じような造りの部屋で、中には何もいなかった。
 上を見上げると、金色の頭が覗いた。
 「ユージン、大丈夫?」
 「あぁ、平気だ。ここには、何もいないしな」
 それがまた引っ込んだかと思うと、エルフが二人身軽に降りてきた。装備の違いがあるとはいえ、さすがにエルフ族、優美なものだ。
 「じゃ、次、誰が降りてきます?一応、俺たちで受け止めますけど」
 …まあ、本人が身軽な分、受け止める、と言われたときに信用度が薄いのだが。むしろ私が受け止めた方が良かろう。
 結局、まずレドゥアが降りてきて、それからリーエが穴の縁を掴んでそろそろとぶら下がり、下でレドゥアが受け止めるということになった。これは我々を信用していない、というよりも単にレドゥアの希望だろう。
 最後にソフィアが降りてきたときには、受け止めようとしたダークマターが一緒に潰れ、「どーゆー意味よっ!」とソフィアの拳がクルガンに炸裂するというおまけは付いたが、まあ無事皆合流した。
 それにしても、どう考えてもクルガンが殴られる筋合いでは無いと思うのだが、誰もそこを突っ込まないあたり、何ともはや。無論、私も何も言わなかったが。
 しかし、合流したは良いが、また目の前には穴があるのだが。
 「斥候がてら、俺が行くぞ」
 まずクルガンが穴に消える。
 次いで、すぐにダークマターが後を追った。
 「俺も行く〜」
 すぐに、ダークマターののんびりした声が下から響いた。
 「敵発見、敵発見。ただし、いつもと同じ程度の敵」
 …何故、のんびりした声なのだ。二人きりで敵に遭遇するのは危険ではないのか。
 慌てて下に降りた我々の前には、楽しそうにメイスを振るうダークマターの姿があったのだった。
 我々が戦闘に参加する間もなくカエルを叩き潰したダークマターは、メイスを拭いながら戻ってきてにっこり笑って見せた。
 「いやー、久々にストレス解消っvv」
 早く侍になれれば良いな。というか、後ろからナイフを投げたりバレッツを撃ち込んだりするだけではストレスが溜まるのだな、彼の場合。
 
 さて、そんな風にどれだけ下っただろうか。ようやく平面に続く扉を発見して、ほっと一息吐いた。
 クルガンの地図によると、それでもまだ最下層ではないようだったが。以前大きな岩が邪魔して通れなかった道よりもまだ上に位置しているらしい。
 いつも通り扉の前にクルガンがしゃがんで向こうの様子を窺う。頷いて扉を開けると、そこは明らかに他とは異なった空間だった。
 「…生臭い…」
 嗅覚の鋭敏なダークマターならずとも、この不快な匂いは感知できた。
 切り立った岩場から下を覗き込むと、白いものがちらりと見えた。それはふらりふらりと揺れながら、どんどん下に向かっている。
 「確か、シムゾンとかいう男ね」
 ソフィアが顔を顰めながら言う。
 さて、あのような形の男が、何故ここまで無傷で来られるのだろう?すぐに魔物に引き裂かれてもおかしくないのだが。
 それとも…魔物は彼を故意に見逃したのだろうか?なにゆえに?
 「こっちから降りられそうですが」
 彼でさえ降りられるのだから、どこか降りやすい箇所があるに違いない、という予想通り、端の方に比較的なだらかな崖があったため、我々はそこから降りていった。
 ぶつぶつと何事か呟きながら歩いていたシムゾンが、我々の方を振り返った。
 「来るんだ…来るんだよぉ…終わりだ…神様は見つからなかった…」
 ほぼ同時に、女の声で「こっちよ…」と囁くような声もどこかから響いた。だが、それは、女性と言い切って良いのか躊躇われるような、『人間の女』の声の悪意あるカリカチュアのような響きであった。
 狂気をはらんだ目で我々を見たシムゾンが胸を掻きむしりながら近づいてくる。
 ばりばりと引き毟ったシャツの中から、はち切れんばかりに膨満した腹部が見えた。まるで妊婦のようなそれは、青白い皮膚に静脈が浮かび上がったところまではっきりと見えた。
 それが、ぞろり、と蠢いた。
 途端。
 「後でお小言は承りますっ!神よ、我が敵を撃ち抜く力に実体を与え給えっ!」
 そう叫んだかと思うと、ダークマターの掌からバレッツが撃ち出された。
 目前まで来ていたシムゾンの腹に食い込み、その体を弾き飛ばす。
 僅かに広くなった空間の真ん中近くまで飛ばされたシムゾンの腹から真っ赤な鮮血が迸った。
 「ダークマター!」
 さすがに陛下のお声は厳しい。
 だが、ダークマターはシムゾンの方を食い入るように見ている。
 「だから、後で伺いますってば!…えーと、開きかけた門の閉鎖方法……」
 手が忙しく動いている。まるで書物をめくっているような動作からするに、また自分の中の記憶を掘り起こしているのだろう。
 その様子を見て、声をかけるのは断念したのだろう、クルガンが陛下の視線を受けてシムゾンへと足を向けた。仮にも元高レベル冒険者、バレッツの一撃で死んだとは思えぬ。救命できるものなら、との陛下のご意向であろうと思われるが。
 数歩進んだところで、ダークマターが急に意識を取り戻したように慌ててクルガンに追いすがった。
 「行くな!やばいってば!」
 クルガンが振り返って、はぁ?という顔をした。確かに、そこにあるのは、ただの死体に見える。いや、死んでないかもしれないが。
 膨れ上がった腹を外から突き破られてはらわたをはみ出させた人間以外の何物でもないようなのに、それを見つめるダークマターの顔色は酷く悪かった。
 「あいつのセリフじゃないけど、『来る』んだよ!ちょっと俺が傷つけたけど、多分それくらいの誤差は気にせず抜けてくる」
 クルガンはそれ以上問い返さなかった。そのままダークマターと共に視線はシムゾンへ向けたまま後ろ向きに戻ってくる。見ようによっては滑稽だが、やや腰を落としてずり足で移動する姿は、忍者の戦闘動作を思わせるほど隙が無い。
 「『何』が、来るんだね?」
 私の問いに答える前に。
 シムゾンの血を吸った赤い地面が、まるで水面のようにざわついた。
 空気が軋むような音を立て、びしり、と稲妻が閃いた。
 地面はどんどんうねりを増し、ぼこりぼこりと盛り上がっては弾けている。
 しかし、我々が立っている場所の地面はまるで動いていない。シムゾンの血を吸った部分だけが異質な物に変化したようだ。
 真っ赤に沸き上がっていた地面に、ふと丸い薄緑色のものが見えた。
 赤い皮膜に覆われたそれが数度震えたかと思うと小さな破裂音と共にその体が空気に触れる。同時にその全身がずるりと地面から抜け出た。
 「…まるで、出産場面だな」
 思わず漏らした私の感想に、ダークマターが小さく笑った。
 「似たようなものかもね」
 おおおおおおおおおおおおっっっ!!
 とすれば、この耳の痛い雄叫びは産声か。
 愛らしさとは程遠い巨体をぶるりと震わせて体の滴を払い飛ばす。それが地面に落ちると、そこから同じく湧き出るようにアンデッドコボルトがかたかたと地面から生えてきた。
 広場中央に今まで見たことのない巨大な魔物、それを守るようにアンデッドコボルトが並ぶ。
 確かに、これが我々の直前で生まれてきたなら危険であったろう。まさか、ダークマターもここまでのものが生まれてくるとは思っていなかったのだろうが、何か勘が働いたのだろうか。
 鋭い牙を見せびらかすように大きく口を開いたそれが、邪悪な喜びを持って我々を見る。まあ、目だけはつぶらな瞳、と言えなくもないか。
 しかし、おそらく我々のことは餌くらいにしか思っていないような相手だろう。話し合いは不可能だろうな。
 「前衛フロントガード、後衛呪文集中プロテクトを前衛に」
 ダークマターが淡々と戦闘開始の作戦を提示する。どちらかというと防御傾向の彼にしても、最大級に慎重だ。長期戦になると踏んだらしい。
 私、クルガン、ソフィアがガードを組む。
 だが、12体のアンデッドコボルトはラッシュを仕掛けてこなかった。奥の魔物が体を丸めて震えている。まさか、戦闘に怯えているのか、と思いきや。
 轟、と音を立てて空気が変質した。
 「やばっ…!ポイズンブレスだ!」
 毒々しい紫色に染まった空気を透かして、また魔物が体を丸めるのが見えた。
 「2回連続だと!?」
 崩れそうになる体を堪えてフロントガードに専念する。そこへばらばらと統一の取れていない動作でアンデッドコボルトたちがかたかたと寄ってきた。
 「プロテクト!」
 寸前、前衛の体を防御膜が包む。おかげでアンデッドコボルトたちの攻撃からは、ダメージをほとんど遮断できた。
 「ごめん、先にザティールで潰しときゃ良かった。でも、前衛フロントガード、後衛呪文集中フィール前衛ね」
 アンデッドコボルトのラッシュを警戒しているのだろう、フロントガードの指示に、クルガンが舌打ちしながら防御姿勢を取る。
 「ダークマター、フィールは…」
 「すみません。陛下をお守りするべきでしょうが、前衛が攻撃を食らうので」
 「わたくしではなく、貴方が…」
 ポイズンブレスのダメージは、前衛、後衛無関係な上に、鎧の防御力も関係ない。とすれば、我々の中で最も生命力が低いのは…ダークマターか。
 私もぼろぼろとはいえ、まだまだ戦える。だが、フロントガードを組みながらこっそり背後を覗き見たところ、ダークマターの顔色は真っ白で、半分身を折っていた。今の彼なら、オークでも一撃で殺せるだろう。
 「来るよ。頑張ってね」
 声だけはそんなことを感じさせないほど明るかったが、よくよく気を付ければ語尾が僅かに震えていた。
 この攻撃を耐えきったら次は後衛にフィールをかけるだろう。それまでの辛抱…と考える私の前で、魔物が巨体を丸めてぴょん、と飛び上がった。まるで幼子が遊んでいるような風体だが…危険だな。
 そのまま、魔物は我々の方へ転がり、共にアンデッドコボルトが一斉攻撃を仕掛けてきた。
 「よし!止めるぞ!」
 この攻撃を後衛に逸らすのは危険だ。我々は力の限りガードを組み敵の攻撃に耐える。
 「フィール!」
 そして、攻撃が終了した頃、背後から我々の体を暖かい光が包んだ。
 「ごめん、もっかいフロントガード、で、後衛に呪文集中フィールね」
 あのラッシュを警戒するのは当然だ。あれをフロントガード無しで食らうことを考えたら、私はフロントガードするのに賛成だが、確かにじり貧ではある。何せ敵にはまるでダメージを与えておらずこっちはぼろぼろなのだからな。
 仮にもう一度ポイズンブレスが来れば、我々はこの場で全滅だろう。
 またフロントガードを組んだ我々に、魔物が襲いかかってきた。意外なほど身軽にアンデッドコボルトの頭上を飛び越え、ぐるりと振り向きざま我々を尻尾で薙ぎ払う。
 きん、と頭が痺れた。
 どうやら目には留まらなかったが、側頭部を尻尾が掠めていったらしい。
 くらくらしているうちにアンデッドコボルトたちが襲いかかってくる。まあ、プロテクトもかかっていることだし、所詮かすり傷……と甘く見ていたら。
 そのたかがかすり傷から、じんわりと体の自由が奪われていく。よりにもよってこんな時に、不死者の麻痺毒に冒されたらしい。
 「…あ、ユージン動けないってことは、フロントガード使えない。しょうがない、クルガン、ソフィアとスレイクラッシュ、後衛呪文集中ザティール!」
 もしもラッシュが先に発動したら…と思うと気が気ではなかったが、まずはクルガンとソフィアの攻撃が始まった。石化のダガーではアンデッドにダメージを与えられないが、これはむしろ後ろの魔物を狙ってのことだろう。
 「ザティール!」
 3人の声が重なり、中央を雷が駆け抜ける。場が静まった後には、巨大な魔物とアンデッドコボルトが2体しか残っていなかった。
 これでラッシュの心配はない。
 「えーと、前衛スレイクラッシュ、後衛呪文集中ヤイバ前衛に」
 …おーい。私はどうなる?
 残念ながら私の声も聞くことなくクルガンが走り出す。魔法がかかるのを待てば良いのに、せっかちな男だ。ソフィアが合わせて攻撃し、右のアンデッドコボルトも消滅する。
 ヤイバもかかり、さて次の攻撃こそ…と思えば。
 魔物が、がぁっと吼えた。そして身を丸めて震え出す。この様子は…ポイズンブレスか!?もし2回連続来ると、拙いぞ!
 だが、どうすることができるでもなし、我々はせめて息を詰めてそれを迎える。
 辛うじて耐え切ったが、次を耐える自信は無い。
 だが、魔物は身軽に天井に飛び移ったかと思うと、岩を掴んでするすると移動し、我々の背後を取った。無論振り返るが、プロテクトもかかっていない、特にローブしか身につけていないリーエが魔物の真正面に立つことになる。
 「ちょっ…下がって、陛下っ!」
 毅然と魔物を睨み付ける我らが陛下の両腕を左右から取って、ダークマターとレドゥアが我々の背後へと移動する。
 そこにはアンデッドコボルトが待ち受けていたが、それはダークマターが素早く「失せろ」と呟いただけでかたかたとただの骨に戻った。短いディスペルもあったものだ。
 「前衛ダブルスラッシュ、後衛呪文集中フィールを前衛へ」
 いや、だから、私は…?無論、アンデッドコボルト如きに遅れを取った私が悪いのだが、攻撃力を遊ばせておくのも無駄な話だぞ?
 内心思いつつもぼうっと立っておくしかない私の左右を、ソフィアとクルガンが走り抜けていく。
 ちなみに私は麻痺したままなので、敵に背中を向けて立っているのだが。
 そのおかげで後衛の様子がはっきり見える。
 指示の声では分からなかったが、ダークマターはいよいよ弱り切っていた。オークどころか、子供の攻撃でも倒れそうだ。それでも前衛の回復を優先させるのだから、愛とは偉大なものだ。
 無論、直接攻撃を受けるのは前衛が主で、ポイズンブレス以外で後衛の彼が攻撃を受けることはないし、仮にブレスが来ればフィールをかけなかった方が死ぬ、という計算に基づいてのことでもあるが。それにしてもクルガンはまだまだ意気盛んなのだし、少しは自分を優先させてもよかろうに。
 そんなことを考えていると、いきなり吹っ飛ばされた。また尻尾で薙ぎ払われたらしい。そのまま倒れれている私の目に、同じくくらくらしているのだろう膝を突いているソフィアとクルガンが見えた。そして、魔物が大きく口を開け、クルガンに囓りつく様子も。
 「くそっ!」
 まだ目が回っているのだろう、いつものような回避が出来ずに見る間に血塗れになるクルガン。
 これは、次の指示もフィールが前衛にかかるな、と思っていたら、指示が来ない。どうにか目を動かして見れば、ダークマターは一瞬意識が飛んでいるのか、真っ白な顔で虚ろに立っていた。
 「ソフィア、勝手に突っ込んでろ!レドゥア、ダークマターにフィール!陛下、ザティールを!」
 代わりに指示を出したクルガン本人は何をするのかと思えば、懐に手を突っ込みつつ私に走り寄り、ぐいっと頭を持ち上げたかと思うと口の中に丸薬を押し込んできた。
 治痺の薬か。…そういえば、クルガンが持っていたのか…。
 「助かったよ」
 礼を言う間もなくクルガンは元の位置、つまりダークマターと魔物の間に走り去る。私も出来るだけ素早く起き上がり、所定の位置に付いた。
 レドゥアにより回復されたダークマターは、意識が戻った瞬間にフィールをクルガンにかけていた。さすが、と言おうか。全く愛とは偉大なものだ。
 「ユージンとソフィアでダブルスラッシュ、クルガン単独攻撃、後衛呪文集中クレタ」
 リーエのザティールはまだ2回しか使えないのだ。もうそれは使い切り、あとは威力の弱いものしか残っていない。それを何とか呪文集中で威力を高めようということらしい。
 クルガンが僅かなダメージを与え、クレタが多少のダメージを与え、さて次こそ、と勢い込んだ私の前に。
 また尻尾が振られていたのだった。
 「…ユージン…せっかく動けると思ったのに…」
 す、すまない。私としても本意ではないのだが。
 「しょーがない、前衛ダブルスラッシュ、リーエとレドゥアで牽制射撃ユージンとクルガンに。俺はクルガンにフィールかけるから」
 くらくらする頭を押さえつつ、庇われる身を喜んで良いのか嘆いて良いのか悩んでいたが、その恩恵を私が受けることはなかった。
 何故なら、クルガンとソフィアのダブルスラッシュによって、ようやく片が付いたからだ。
 魔物が生まれたときと同様にあたりの空気を全て震わせるような雄叫びを上げる。
 その声が徐々に消えた時、魔物の体は力を無くしてそこに崩れ落ちたのだった。

 我々の方もしばらくその場から動けなかった。
 宣言通りにクルガンにフィールをかけつつ、ダークマターは青い顔で謝っていた。
 「猫皮、少ないからって出し惜しみせずにフィール強化しとけば良かった。そしたらもっと回復してたのに。ごめんね」
 実はダークマターもレドゥアもフィールはレベル1だったのだ。これまで封傷の杖を戦闘後に使う程度の怪我しか負っていなかったからな。気を抜いていたのだろう。
 黙って手当を受けてから、クルガンがダークマターの口の中に封傷の薬を放り込んだ。
 「…俺も、さっさとユージンを回復させれば良かったな。すまん。俺が持っていたのを忘れていた」
 頭を下げられて私は慌てた。あの疾風のクルガンに謝罪を受ける日が来るとは…。
 「い、いや私の方こそすまない。結局、私は一太刀も浴びせることが出来なかったのだから」
 そうなのだ。改めて考えてみれば、私はあの魔物に一太刀も…剣が泣く。
 「わたくしももう少し攻撃魔法を強化していれば…」
 …我々は勝ったのに、何故、このようにしんみりと反省会などしているのだろうな。立ち上がる気力もない、というのも一因ではあるが。
 「…それはそれとして、だ」
 クルガンの口調が変わった。
 付き合っているうちに分かるようになったが、これは怒る一歩手前だ。
 「お前、俺の回復を最優先させるのは止めろ!残り体力が少ない者を優先させんか!」
 もちろん、標的はダークマターだ。
 言われた本人は、つーんと顔を背けた。
 「あんたに言われるまでもなく、効率的に回復してまーす」
 「嘘をつけ!」
 「ホントでーす。自惚れないでくださーい」
 「語尾を延ばすな!」
 「そんなのは俺の勝手でーす」
 「気持ち悪いから止めろと言ってるんだ!」
 「だったらあんたも怒鳴るのを止めてくださーい」
 「だから止めろと!」
 「怒鳴らないでくださーい」
 …あぁ、論点がどんどんずれていっている。
 またクルガンはダークマターの思うつぼにはめられるのかと思いきや、さすがに気づいたのか、自分で口を噤んで深呼吸した。
 「いや、だから。お前、途中死にかけただろうが」
 比較的静かに言っているのに、ダークマターはますますそっぽを向いた。
 「あんただって死にかけました」
 「いいや!お前の方が死にかけだった!お前など転んだだけで死にそうだったぞ!」
 「それなら、あんたなんかちょっとナイフで突いただけで死にそうでした」
 いや、普通人は、生命力満タンでぴんぴんしててもナイフで突いたら死ねるが。
 もう一度、クルガンは深呼吸した。笑いを浮かべているつもりらしいが、額に青筋がくっきりだ。
 「俺は、回復して欲しくなくて言っているんじゃないぞ?単に、お前は自分の身も回復しろよ、と」
 「…したじゃん。ちゃんと」
 「いつした!?あぁ!?何時何分何秒!?戦闘開始何撃目!?」
 …子供かね、君は。
 まあ、確かにダークマターが自分個人にフィールをかけてはいなかったな。後衛全員にかけてはいたが。
 「しーまーしーたー!だから生きてるんですー!」
 「結果として運良く生きてるんだろうが!俺の方が体力が残ってるんだから、自分を優先しろ!」
 「あんたは前衛で!攻撃を受ける人で!でもって、前衛で一番薄い人じゃんか!」
 「プロテクトがある時点でダメージ量は微々たるものだ!」
 あー。
 長くなりそうだな、これは。
 どうにも、どちらも折れる気配がない。
 同じ判断を下したのだろう、レドゥアがポイズケアをかけ始める。
 さて、結局間近で見ることの無かった魔物でも見てくるか。
 完全に死んでいるらしい魔物の体は、早くも融解を始めている。腐敗するにはまだ早いだろうに。
 幸い匂いはただの血臭であったため、私は遠慮なくそれを剣の先でつついてみた。
 じゅるり、と融解が進む。
 そうして何度か肉塊を掻き分けていくうちに、剣の先に固い物が触れた気配がした。魔物の骨だろうか?
 そう思ってそれに沿って剣の先を進めていくと、周囲の肉が融け落ちた後には、金属製の丸い何かが残っていた。どうも魔物とは異質な…つまり、我々に近い物体らしい。
 どうにかそれを手元に引き寄せることに成功して、私はそれをしげしげと眺めた。
 最初はヘルメットだと思い、多分運の悪い冒険者の遺物だろうと判断したのだが、どうも違う。それによく考えれば、あれが生まれて最初に遭遇した冒険者はこの我々だ。そんなものを飲み込む機会はない。
 とすれば、これはあれが元々体内に持って生まれ落ちたということになるのだが…さて、これは一体どこから生まれてきたのだろう?
 考えつつ皆の元に戻れば、ソフィアが新しい識別ブレスレットを見つけてきていた。
 いつものように陛下がお身に付けないのか、と思っていたら、視線で教えられた。
 「いいか、お前が俺を死なせたくない、という気持ちも分かる。だが、俺もお前が死ぬとつ、つら…ごほん、つ、辛いんだが、お前、俺に辛い思いをさせたいと思っているわけではないだろう?」
 「…だって、あんたが死んだら、俺だって辛いもん…」
 まだ続いていたらしい。
 クルガンは戦法を変えたようだが、さてどこまで通じるやら。

 結局。
 彼らを残して4人であたりを探索し、下に降りる階段を見つけ、大岩をどける装置を動かし…と一回りして帰ってきても、二人はまだ額を突き合わせていたのだった。
 いい加減、宿に帰って休みたいというのに、困ったものだ。
 「ごほん。あ〜、貴公らが愛し合っているのはよく分かっているのだが、それを見せつけるような真似は控えて頂けないだろうか。私としてはグレースに会いたい気持ちばかりが募って辛いのだが」
 「誰が愛し合っているかぁっ!!」
 思った通り、速攻でクルガンが立ち上がった。すかさず陛下がブレスレットを付ける。
 いつもの不快な記憶を経た後には、ようやく二人も落ち着いたのか立ち上がって合流……
 「やっぱり、あんな目に遭わせるかと思うと、死なせたくな〜い!」
 「だから!それは俺も同じだと言っているだろうが!」
 ……逆効果だったのか?
 しかし、さすがに陛下もこれ以上付き合っていられないと判断されたのだろう、下への階段へと歩いていった。釣られたように、ぎゃーぎゃーと怒鳴り合いながら足だけは付いてきていたダークマターが、ふと首を傾げた。
 「え?こんな状態で下に行くんですか?」
 生命力も魔力も尽きたぼろぼろの状態で?と不思議そうに見るダークマターに、陛下はにっこりと微笑まれた。
 「いいえ、一歩だけですよ。どうやらそれでわたくしたちは3階に到達した冒険者と認定されるようですから、それで依頼も増えるかもしれませんしね」
 うーむ、いつの間にそのように逞しくなっておしまいになったのやら。後ろでレドゥアが男泣きに泣いておられるぞ。
 「はぁ、まぁ、その一歩でいきなり敵に囲まれてる可能性もあるんですが、ま、行ってみますか」
 思い切り反論しているようだが、ダークマターはいきなり先頭に立って階段を降り始めた。
 「待て!俺が先頭だ!」
 「二人くらい並べますって、この階段」
 …実際、死に急いでいるというか、生き急いでいるというか。こういうところはエルフとは思えないな、この二人は。
 で。
 一歩だけ踏み込んでみた3階では。
 「きゃああああああっっ!」
 敵の大群はいなかったが、いきなり少女の悲鳴、というオプションが付いていた。
 「あの扉の向こうからですね!」
 走りだそうとする陛下の袖をダークマターが引っ張った。
 「何も聞こえなかったと思う人。はーい」
 一瞬誰も手を上げなかったので、ダークマターが、あれ?と首を傾げた。
 次いで、ソフィアが手を上げた。
 「私たちは疲れているので、幻聴が聞こえたのだと思う人、はーい」
 「もしかすると先ほどの魔物の前触れのようなものだと非常に危険だと思う者、挙手」
 「仮に扉の向こうに敵の大群がいた場合、どの道我々が為す術は無いと思う者、はい」
 いつの間にかクルガンも手を上げていた。どれに賛同したのかは不明だったが。
 「では、あの者を見捨てろと言うのですか!」
 きっ、と陛下が我々を睨み付けた。
 ダークマターはますます困ったように首を傾げる。
 「え〜、リーエには何か聞こえちゃったんだ〜?」
 んー、と今度は逆方向に首を傾げたかと思うと、ぽん、と手を叩いた。
 「じゃ、俺がちょいと斥候に行って来ま〜す」
 言ったと同時に走り出したダークマターの首根っこを容赦なく引きずり戻してクルガンが怒鳴る。
 「行・く・な!!まだへろへろのくせに!!」
 そしてずりずりと我々のところに連れ帰ったところで、レドゥアが懐から小瓶を取り出し、問答無用で全員に振りかけた。

 迷宮入り口まで転移し、陛下のご機嫌を窺う。
 がっくりと肩を落としていた陛下であったが、これ以上何かを言うと、またダークマターあたりが一人で突っ込みそうだと判断されたのだろう、弱々しい笑みを浮かべられた。
 「元はと言えば、わたくしが1歩でも3階に踏み込もうと言ってしまったのが悪かったのですね。皆の者、本日はご苦労でした。さあ、宿に戻って休みましょう」
 申し訳ないとは思いつつも、我々は宿へと戻ったのだった。
 私としても、本日は女性の暖かな肌が恋しい気分だったのだが、何せあのように熱烈に愛し合っている恋人の姿を見せられてからグレースの笑顔が脳裏から離れない。
 今夜はグレースを想いながら一人静かに休むことにしよう。





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