女王陛下のプティガーヅ





 レドゥアのノート


 さて前日に湯浴みも済まし、各自服装も整えたのを確認して、我々は朝から王宮へと向かった。
 話は付いていたのだろう、すぐに門を通され、中でも騎士により広間のようなところへと案内された。我々の時代ならば、こじんまりとした謁見に使われた間である。
 待つことしばし、体の左右を二人の騎士に支えられた王が姿を見せた。足取りは弱っているとは言え、さすがにドゥーハンの王、眼光は鋭く威厳に満ちた顔つきである。
 「このような姿ですまぬ。魔女の呪いにより我が体は徐々に腐れてきておるのだ」
 それは噂ででも聞き及んでおるが…さて、そもそも『魔女の呪い』とは何であろうか。異教徒の魔法に悪しき効果を生むものがあるというからそれに似たものか?しかし、そういうことなら我らの魔法の『敵を弱体化させるもの』や『敵を遅くするもの』なども『呪い』と言えよう。
 基本が我々の魔法に共通しているのならば、その解呪も共通であろうが、王ともあろうものがそれらの術を試しておらぬとは考えにくい。なれば古に失われて久しい術なのか、それとも、我々の想像も付かぬような『魔法』であるのか。
 それとも。
 あるいは、そもそも『呪い』などではないのか。
 毒の症状であればダークマターが詳しかろう。後で感想を聞いてみるとするか。今は、私としては症状を見逃さぬよう観察するより他無い。
 王はイスに崩れるように座り込んだ。ふむ、筋力低下か麻痺か。
 「まずはレジーナたち移送隊の救援に感謝する」
 間に合わなかったのだがな。
 「さて、移送隊を襲っていたのは魔物ということで相違ないか?」
 陛下は優美なお首をすらりと伸ばし、透き通るようなお声で答えられた。
 「いえ、毒が使われておりましたので、魔物ではなく人間の手によるものではないかと」
 そうしてダークマターをちらりと振り返ると、気配を薄くしていた奴が目を伏せたまま続けた。
 「クラルクです。魔物が持っている毒とは明らかに成分が異なりますし、保存料と思われる薬物が添加されていましたので、人間、とまでは断言できませんが、人間並みの知能を持った者が殺傷目的で精製したものということで、まず間違いありません」
 人間(デミヒューマン含む)とは断言しないのがダークマターらしい。100%とは言えぬものを断言しないのは科学者の嗜みであるが、この場合はあのマクベインとかいう男のことを念頭に置いての発言であろう。
 それにしても…これだけ毒に詳しい僧侶、というのは、やはり異質であろうな。本人も分かっていて影を薄くしていたのであろうが。
 王はそれを聞いて満足そうに力を抜いた。
 「ふむ、では騎士でないことは確実だな。騎士ならばそのような殺し方をするはずがない」
 騎士道に則った騎士であるならば、という注釈を要するが。
 「何故か民の間で、騎士が移送隊を襲っているという噂があるのだよ。これで噂が払拭できればよいのだが」
 その辺は…クルガンが得意であろう。仮にも忍者だ、情報操作は一応心得ている。…本人の性格が邪魔をするのだが。性格で言えばダークマターの方が得意であろう。冒険者の顔見知りも多いようだし、酒場ででも噂を流すにはもってこいであろうな。
 「さて、お前たちの働きに見合うとは言えぬが、これでも魔法の品だ、礼として受け取ってくれ」
 「謹んで拝領つかまつります、陛下」
 オティーリエが…女王であるオティーリエが他者に頭を下げるところなど見たくはなかったが、仕方があるまい。それに、ああ見えて楽しんでおるようだし。確かに初めての臣下体験であるからな。昔『王子と乞食』なる本をよく読んでおったな、そういえば。
 「お前たちは、何のために迷宮に潜る?金か?名誉か?それとも?」
 我々の目的…このドゥーハンを救いたい、それは名誉欲ではない。陛下にとっては我が子の苦しみを何とかしたいとでもいうようなお気持ちであろうし、私としてはオティーリエがそう望むから、というものであるし。それはソフィア、クルガン、ダークマター、そしてユージンも同じであろう。
 「我らの目的は、金銭でも名誉でもございません、陛下」
 だが、『何』とは言わずにオティーリエは微笑んだ。
 王の鋭い眼光が、ふと柔らかくなった。
 「そうか。では、一つ言わせて貰おう。…仲間を育てるがいい。信頼し共に戦う仲間は、何物にも代え難き宝だ。仲間は全て分かち合ってくれる。困難も苦悩も…夢も」
 かつての自分の仲間を思い出しているのか、どこか遠い目で王は言った。そこまで信頼した仲間であるなら、何故あのドワーフに側にいるよう求めぬのであろう?
 「では、今後のお前たちの活躍に期待している」
 「励ませて頂きます」
 簡潔に答えて、王が退席するまで待つ。
 そうして、我々は魔法の石弓を手に入れ、城を辞去したのであった。
 
 完全に門から離れたところで、我々は王について小声で話し合った。
 「呪いで腐ってるって、どの辺が?」
 ダークマターがしかめ面で言う通り、少なくとも外見に変わりは無かった。
 「あの腕の筋肉を見たか?衰えているどころが、まだまだ現役で通じる見事さだったぞ」
 クルガンが自分の腕を叩きながら、多少忌々しそうに言った。自分より筋肉質なのが許せないのだろう。はっきり言って、元のクルガンがエルフ族としては突然変異なのだ。あの肉体を完全に取り戻すのは不可能だと思うのだが。
 「腐臭は全く無し。内臓も腐ってないと思うよ」
 「足は萎えている様子ではなかったか?」
 「それにしたって「腐ってる」ってほどじゃないわ」
 歴戦の(記憶を持つ)僧侶や錬金術士や忍者、ついでに暗殺者が頭を寄せ合って話し合った結果。
 「じゃ、あれは呪いじゃなく廃用性萎縮、または老化に伴う筋力低下ってことで」
 そんなところに落ち着いた。
 問題は、王は故意に魔女のせいと噂を流しているのか、それとも、自らの能力低下を呪いのせいにしているか、であるが。
 「よいではありませんか。魔女の呪いのせい、となっているのを、反論する必要もないでしょう」
 確かに、民の魔女への反発は高まり、魔女狩りに一致団結するであろうが。
 陛下が仰る通り、藪をつついて蛇を出す必要はあるまい。
 「うーん、老化だとすると…一見まともに見えたけど、いきなりぼけた命令する可能性もあるってことなのかなー、それとも、何か考えあってのことなのかなー」
 まだダークマターがぶつぶつと言っている。まだあの報酬に拘っているのであろうか。
 しかし、ふと視線に気づいたかのように顔を上げると、それからはけろりとしていた。
 「ま、いいや。なるようになるでしょ」
 この脳天気さが冒険者には必要なのだろうか。
 

 迷宮に向かう前に、商店へ寄ってみると、店主がぶつぶつと呟いていた。
 「やっぱりね、オーダーで品を揃えるのがセルフショップとの違いってことよね、あぁもう人手が足りないったら!」
 そこで我々に気づいたのか、ばっと走り寄ってきた。
 「あぁ、あんた達!良いところに来たわ!あんた達はこの度あたしの店の店員として雇うことに決めたから!あたしの店の倉庫を自由に使える権利をあげる!ただし賃金は売り上げだけだからね!」
 …ちょっと待て。それは、ほとんど何の利益も無いのでは…。
 「それでね、これからお客様のご注文に合わせて武器や防具を売ることにしたの、あんた達への報酬も弾むから、集めてきてよ。お願い!」
 オティーリエの手を握りしめてまくし立てる様子は、子供のお強請りのように微笑ましい光景ではあったが。
 「うーむ、子供と言えど、なんと商魂逞しい…」
 「私は賛成よ。店の競合に、売り文句を付けるのは商売の基本だし」
 「俺、基本的にお金が増えてくの見るの好きなんだよね〜」
 我々は、現在彼女に雇われた店員でもある。無論、快く引き受けたのだが。
 オークがオーダーリストを持ってきて、我々に見せる。
 「これが、今店が引き受けてるオーダーだど!」
 なになに。
 ロープ、アイテム…まあB1Fでも稼げるアイテムではあるが、問題は。
 「これって、義賊だと便利だろうけど…うちの盗賊じゃあねぇ…」
 「何が言いたい!」
 何故『盗賊』なのに、敵からアイテムを盗めぬのだろうな…。仮にも王宮に忍び込んだくせに、クルガンも盗みの一つくらいしてみせればよいのだ。
 「俺は忍者だ!」
 「ブー!まだ盗賊でーす!」
 そう言えば、まだ転職条件は満たしておらぬのだろうか?私も錬金術士となりたいのだが。
 結局、我々はオーダーは保留にしておき、迷宮に向かうことにした。
 
 そして、念のため依頼が無いか酒場に立ち寄ると、2件依頼が増えていた。
 早速陛下がお名前を書き込んでいると、背後から何というか…微妙に甲高い…きゃぴきゃぴ、というのか少女の鼻にかかったような声がかけられた。
 振り向くと、予測した少女がいない。
 いたのは、奇怪なオークの着ぐるみを着て、頭部を手に持った男であった。まさか、この男ではあるまい、と思っていたら。
 「あー、僕の依頼を受けてくれたんだ!」
 ………。
 い、嫌なものだな、この見てくれの男の口から、少女の声が出るのは…。
 「あのさ、ピクシーたんって可愛いと思わない?思うよね、絶対!僕、モンスターが好きでさ、冒険者になったのもモンスター図鑑が貰えるからなんだよね。いいよね、この図鑑!」
 …戦わないと、図鑑も埋まらぬと思うが…。
 「でさ、ピクシーたんについて語り合いたいと思ったんだけど、君たちの図鑑を見せてくれない?」
 陛下が躊躇いながらも本を取り出すと、予想以上に素早い動作で男は我々の本を奪い取った。慣れた動作でばさりとめくると、ぴたりとピクシーのページが開いた。うーむ、一応素晴らしいと誉めるべきであろうか。
 「あ〜、駄目じゃん!全然駄目!」
 男は、甲高い声で叫んだ。興奮したようにオークの頭を振り回す。
 「この本って、倒した魔物の魔力を吸い取って情報を映し出す仕組みなんだよ?だいたい50体倒せば全部の情報が載るのに、君の本って全然埋まってないじゃない!」
 えー…うむ、ピクシーはまだ15体しか倒しておらぬ。あれは1体しか出て来ぬからな。
 「あのさ、本が埋まったら来てよ。つまり…ピクシーたんを…あぁっこれ以上は言えないっ!」
 …嫌だ…この声で身を捩るのは嫌だ…。
 「図鑑が埋まったら、一階のセラフショップに来てね。待ってるからね!」
 男は強引に陛下の手を取って振り回し、スキップしながら酒場を去っていった。むぅ、汗くさそうな体でありながら陛下のお手に触れるとは…許し難いな。
 「ピクシーを50か〜。1階中心で狩るしかないけど…オーダーも1階のものだけど…」
 ダークマターがちらりと陛下を見た。
 「わたくしたちは、急いでおります。頭の片隅にだけ、このような依頼を受けていることを置いておけばよいでしょう」
 つれないお言葉だ。顔色は変わっておらぬが、やはり不愉快であったのだろう。
 クルガンも嫌そうに顔を歪めている。
 「何が『ピクシーたんv』だ!」
 「あんた、声真似上手いね」
 「うるさいっ!男たるもの、迷宮には冒険をしに挑むべき!ピクシーの観察に行くなど、もっての他だ!」
 私もそれには同意だ。真の冒険とは男のロマンだ。男たるもの、身を張って戦いに挑むべきなのだ。
 「しかも、ピクシーのみならずレプラコーンにまで興味を示すなど、言語道断!」
 …どこに怒りの焦点があるのか、いまいち不明だな。
 それにしても、れぷらこーん?
 「何?クルガン知り合いなの?」
 「お前もだ!2階で会っただろうが!」
 2階で?我々も会った、レプラコーン……あ。
 言われてみれば、確かにあの男はオークの衣装を着ていたな。なるほど、人間が化けたオークだったので訛りのない人間語を話していたのだな。
 「あ〜、あの時の」
 ダークマターも思い出したのか、ぽんと手を叩いた。
 「いや〜、あそこまでして魔物と仲良くなりたいってのは凄いねー。頭が下がるよ、ある意味」
 仲良くなりたい…のか?
 グッズを集めたり対象についてとことん話したい、というのは、『仲良くなりたい』というのとは微妙〜に異なる気がするのだが。
 まあいい。
 少なくとも、これを目的として迷宮に潜る、という必要のない依頼だということは確かだ。そのうち50体倒した頃に思い出せば良い。私はあの本を見るのが好きなので、毎晩寝る前に確認しているのだ。その時にでもチェックしておこう。
 「もう一個、依頼あるけど…受けます?」
 ダークマターが、オティーリエの顔を窺うようにページをめくる。オティーリエは僅かな逡巡の後、頷いて署名をした。
 途端、背後から落ち着いた男の声がかけられた。
 「ふむ、君たちが受けてくれたのか」
 振り向くと、そこに立っているのは以前錬金術ギルドで会った男だった。相変わらず思慮深そうな目で我々を見て、頷く。
 「あの時会っていないメンバーもいるようだな。改めて自己紹介しよう。私の名はギョーム。錬金術ギルドの長だ」
 「オティーリエと申します」
 わざわざオティーリエが名乗ってやったと言うのに、ギョームはそれへはちらりとしか目をやらず、すぐに目を転じた。ソフィアとクルガンとダークマター…つまりエルフに均等に目を向けて話し始める。
 「私の依頼というのは他でもない。迷宮の地下3階はあの古代ディアラントの遺跡が埋もれているのだ」
 あの、という言葉に熱が籠もっていたが、ソフィアは僅かに首を傾げて何かを思い出そうとするように目を細めるばかり、クルガンは何のことやら、といった体で顰め面をしている。残るダークマターは。
 うげ、とでも言うような声を出して一歩下がった。クルガンの背後にさりげなく隠れようとしたようだが、ギョームがずいっと前に出てその手を捕らえたため、それは叶わないようだ。
 「君もエルフなら古代ディアラントのことは知っているだろう。あの我らエルフ族の永遠の理想郷、飢えも死も無い素晴らしき時代…」
 目を輝かせて語るギョームの手を何とか振り解こうとしながらダークマターがひきつった笑みを浮かべた。
 「い、いやぁ、あんまり良い記憶が無くて…滅びた原因が原因だし〜」
 「おぉ!その部分も知っているか!そう、古代ディアラントは理想郷であったはずなのに、何故か突如としてこの地上から消え失せた。一説には流行病とも兵器の暴走とも言われているが、詳しいことは分かっていない。そして、それこそが私の求める生涯の研究テーマ!!」
 「そ、そうっすか…あの時代の本、難しすぎて解読が面倒だったんで、俺、あんまり好きじゃない…」
 「何だと!?あの時代の本を読んだ!?それは素晴らしい!!」
 ついに両手を情熱的に握り締められたダークマターが、目をきょろきょろと落ち着かなく動かす。たーすーけーてー、、と声が聞こえるようだ。
 しかし、先ほどのセリフはいわゆる『墓穴』『自業自得』というものだろう。
 「その謎に満ちたディアラントのことが僅かでも分かれば!今、地下3階には私の手の者が向かっている。何か手がかりを掴んでいればいいのだが…君たちには、何でも良いから古代ディアラントにまつわる遺物を探してきて貰いたい!」
 「は…ははは…ぜ、善処します…」
 ぶんぶんと両手を振られたダークマターが、目で早く終わってくれ、と語りつつおざなりに頷いた。
 「じゃ、じゃあ、そーゆーことで…」
 逃げかけたダークマターの手を、まだギョームが握っている。一瞬、ダークマターが泣き出しそうな目で我々を見た。
 それに気づいているのか、気づいても無視しているのか、頬を染めて目をきらきらと輝かせたギョームがダークマターの両肩をしっかりと掴む。
 「さて、それはそれとして。君の読んだという書物について教えて欲しいのだが…」
 「…勘弁して下さい…」
 「頼む!!教えてくれ!!それは何という書物で、どんな内容…あぁ、そもそも一体その本はどこに!!」
 …駄目だ。目が輝いているどころか、血走って来ておる。研究者の情熱、といえば聞こえは良いが、つまるところそれしか見ていない研究馬鹿だ。
 「クールーガーンー!」
 ついに名指しで助けを求められて、しぶしぶ、といった風にクルガンが動いた。ひょいっとでもいうような気軽な動作でギョームの手首を掴んでダークマターから引き剥がす。
 「君も読んだのかね!?仲間のエルフなら君も知っているのか!?その本は一体どこに…!?」
 「俺は、知らん」
 赤くなった手首もなんのその、詰め寄るギョームに、辟易した表情でクルガンがそっぽを向く。体力馬鹿のクルガンとは対極に存在する相手だろうからな、このギョームというエルフは。苦手なのだろう。
 クルガンの背後に回って体を縮めたダークマターが手をマントの裾で擦っている。癇性な動作は、接触恐怖症の者の神経質さを思わせた。
 ギョームはしばしクルガンの背後のダークマターを窺おうとしていたが、やがて諦めたのかふぅっと溜息を吐いた。
 「今日は素晴らしい…古代ディアラントにまつわる依頼をして、ディアラントを知る冒険者が受けてくれるとは!」
 「忘れて〜」
 こそりと小さく呟くのは、ギョームの耳には入っておるまい。
 「君!後ろのエルフ君!」
 「はい〜」
 「また、是非とも時間がある時に私の研究室を訪ねてきてくれたまえ!歓迎するよ!」
 さぞかし丁重な歓迎を受けるのであろうな。仮に朝訪ねていって夜に帰ってこられるかどうか。
 クルガンの背中からひょこっと顔だけを覗かせたダークマターが、ぎこちなく笑みを浮かべた。
 「あ、あのですね〜、ホント、そんな大した内容じゃなかったんで…」
 「内容が理解できたのだね!?」
 しまった、と顔に浮かぶ。先ほどから墓穴ばかりだな、こやつは。
 うー、と鼻に皺を寄せて唸っていたかと思うと、意を決したように口を開き。
 「*@#&¥!!」
 …何だ?
 「♂$&+%…」
 一瞬呆気に取られたギョームの顔が、興奮に真っ赤に染まる。
 「古エルフ語!それもあの時代のものか!素晴らしい!実に素晴らしい!」
 興奮のあまり脳の血管の2本や3本切れそうな勢いで両手を握り締めている。
 我々には意味不明な小鳥が囀るような言葉を喋り続けていたダークマターが、ふと口を噤んで額の汗を拭いた。
 「思い出せるのはこのくらい。ただの詩でしょ。あの時代の滅亡原因には無関係…」
 「いや!素晴らしき朗読だった!あぁ、何と良き時代、良き街であったのか、ディアラント…その偉大な空気に僅かでも触れられて、私は幸福者だ…」
 ぐったりとイスに腰掛け、背もたれにあおのいて目を閉じるギョームがあまりにも幸せそうであったので、我々は足音を立てぬようにそっとその場を離れたのだった。
 酒場から離れて、広場付近まで歩いていった頃。
 ダークマターが噴水に腰掛け、ぐったりと頭を下げた。
 「しくじった〜〜」
 「アホが、自分の知識をひけらかすからだ」
 苦々しく言うクルガンをちらりと見上げて、ダークマターは深く溜息を吐いた。
 「そだね〜。知ってるのに無知なふりするのって結構難しいんだよね〜。あんたにはそんな苦労無いだろうけどさ〜」
 「…どーゆー意味だっ!」
 「あんたの想像してる通りの意味v」
 きゃっと両手を合わせて頬に当てるという乙女のような姿勢は、どう考えても故意であろう。予想通り挑発に乗ったクルガンがダークマターにヘッドロックをかけて拳骨でぐりぐりと頭を揉む。
 「痛い、痛いですって、クルガンさん!」
 「痛いようにしているんだっ!」
 「きゃいーん!」
 …落ち着け、私。
 これは、故意だ。
 故意にスキンシップすることにより、溜まった毒を吐き出すというダークマター流のやり方だ。
 これは、決して!度を過ぎた友愛では無いのだっ!
 それにしても、古代ディアラント。どこかで聞いたような…確かにエルフのかつての理想郷、だが、他にも何かあったような…?
 私が目の前の光景から意識を切り離し、思索に耽ろうとしたところ、ソフィアが首を傾げて言った。
 「エルフの理想郷…でも、何か後ろめたいような罪の意識がどうとかいう話もあったわよね?」
 …エルフでさえこれだからな。まあ、ソフィアも決して知力派とは言い難いのだが。
 クルガンの腕の中でじたばたしていたダークマターが、水色の瞳を見開いた。
 「…うそぉ!気づかなかったの!?あれだけ酷い目にあっておきながら!」
 「えーと…何が?」
 うふ、と指を顎に添えて微笑む姿は、聖なる癒し手と呼ばれた頃を思い出させた。つまるところ、そうやって誤魔化しているのは見え見えなのだが。
 「『オティーリエこそ古代ディアラントの血を色濃く受け継ぐ女。その魂を以て核と成し、我が神を復活させるのだ』」
 色の薄い唇から、感情の籠もらない声が流れ出た。
 我々は一斉にぎょっとする。
 「うっそ、マジ忘れ?あの神様が創り出された時代のことなんですけど?古代ディアラントって」
 心底呆れた、というように両手を拡げるダークマターに、我々は一言も返すことが出来なかった。
 言い訳がましいが、あの頃はあの禍つ神が創り上げられたものだのいつの時代のものだのと考えるような余裕も無かったのだ。あの狂える司教が創り出したものだと思いこんでおったわ。
 「それで…」
 と、クルガンが呆けたような声ながら、確認するようにダークマターを見た。頷いてダークマターが苦々しく答える。
 「そ。あの人の蔵書には古代ディアラント関係が一杯あってね。実は全制覇してます。おかげでエルフでもないのに古エルフ語に堪能になってしまいました」
 呆れたな。あの詩の詠唱で誤魔化したようだが、実はもっと詳しい書物を覚えていると見た。
 しかし、あのギョームという男には気の毒だが、これ以上の知識を与えるのは危険であろう。いつのものともしれぬ書物の内容を教えるのは…いや、あの司教が生きていたのはこの時代であったか?であればこの時代以降に手に入る書物ということにはなるが…はてさて。
 ユージンが興味深そうに顎を撫でた。
 「ふむ、君の読んだ書物には、あの禍つ神の創り方まで書いてあったのかね?」
 「まさか、そこまでは」
 書いてあったら恐いわ。
 「でも、理論なら多少。基本はエーテル理論なんだよね。つまり魂を全く捕らえ所のない質量0の物質としてではなく素粒子と仮定した場合、特殊な力場を形成すれば本来拡散するベクトルの素粒子をその場に固定することが出来るんじゃないかと…」
 ………。
 さっぱり分からぬ。
 この私の知恵を以てしても単語の一つすら理解不能とは…古代ディアラント恐るべし。
 「本来は何かに対する兵器として開発されてたらしくて、重力場を形成し座標点0に向けて巨大な質量が自己崩壊していく連鎖式質量崩壊のブラックホール理論を利用した、いわば力場発生装置というのが本来の姿で…」
 まだ何やらつらつらと並べ立てていたダークマターの頭を、クルガンが一つぽかりと殴った。
 「止めろ。誰も理解できて無い」
 お前と同列に扱われるのは不愉快だが…この場合は仕方あるまい。
 頭をさすりながら、ダークマターがけろりとした表情で締めくくった。
 「ま、よーするに、俺としてはあんまり良い思い出が無いので、古代ディアラントの遺物なんて見つからなくてもいいかなーみたいな〜」
 少なくとも、見つけた場合、お前があの男に報告するのは止めておいた方がよかろうな。
 「依頼は依頼ですから。もし偶然にも見つけてしまったら、わたくしが届けます」
 「そうして頂けますと。俺はなるべく逃げてます」
 「どれだけ逃げ切れるかな。あの男、ずいぶんとお前に惚れ込んだようだから」
 クルガンのセリフに、嫌そうに顔を顰めて、ダークマターは手を振った。
 「正確には、俺の古代ディアラントの知識にね。もー、これだからオタクってやなんだよなー。他のこと全然見えてないんだから」
 せ、せめて研究馬鹿、という言葉にして欲しい。何となく、そう、何となくだが、あのヨッペンとかいう男と同じように扱われているようで、私にまでダメージが来た。
 胸を押さえていると、ソフィアがそっとやってきて私の背をさすってくれた。
 「ご無理なさらぬよう。もうお年なんですから」
 発作では無い!





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