女王陛下のプティガーヅ





 ソフィアの日記。


 陽はもう傾きかけている。オレンジ色の空が、紺色がかる瞬間は、いつ見ても美しい。
 酒場に行って、それから宿で休むにはちょうど良い頃合いだ。
 そう思っていたら、酒場へ行くのをダークマターが反対した。
 「だってー、俺たち、いつもより凄い匂いが染みついてるよー?メシ食うとこには迷惑なんじゃないかなぁ」
 そうかしら…改めて自分の鎧や髪を確認する。
 迷宮内ではそんなに気にならなかったけど、確かに外の新鮮な空気を嗅いだ後では、血臭が酷いかしら。
 「では、先に宿屋で湯浴みをお願いしますか?」
 陛下もそのまま行くのは躊躇われたのだろう、そう提案なさったけど、ダークマターが嬉しそうに懐から何か取り出した。
 「へっへー。こんなもの、貰ってたんだー」
 数枚の紙束をひらひらさせて上目遣いに私たちを見る。
 「公衆浴場、入場券!行ってみたいなー」
 「公衆〜?それは、その他大勢と一緒に入浴するものであるか」
 ガード長が、嫌そうに言う。もー、元々のお育ちが良いから、そんな経験がないのね。結構、楽しいんだけど。
 「オティーリエの身体を誰か他の者にさらすなど!」
 …あぁ、陛下の方が心配なのね。
 「あのー、ガ…じゃなかった、レドゥア、混浴じゃなくて、男女別だと思うから、どうせ見るのは女性ばかりですが?」
 「それでも、どこの者とも知れぬ女と共に入浴など…」
 そんなに悪いことかしら…。
 陛下の方をちらりと見ると、私に苦笑して見せて、柔らかく仰った。
 「ソフィアが共に入るのです、何も心配することはありません」
 「ですがっ!」
 「俺たちも男風呂にはいるんだしー、何かあったら、速攻駆けつけるよー?」
 「駆けつけるなっ!」
 「大丈夫だよー。ちゃんと目は閉じておく…って、それじゃ敵と戦えないけど」
 明るく笑うダークマターに、ガード長は苦い顔をしたけど、陛下が止める気がないのを見て渋々頷いた。
 「仕方があるまい。げせんな女が大勢入っていないことを祈ろう」
 うーん、公衆浴場って、あんまり庶民は入ってないんじゃないかしら…まだそんなに安いものじゃなかったと思うわ。
 ともあれ私たちはその公衆浴場へ向かった。
 そして、入り口の広間で男女に分かれようとした時。
 「おっ!来たのか!」
 若い男の声に振り向くと、明るいオレンジ色の髪の男が、ダークマターに走り寄ってきた。
 「…なるほど、それで割引チケットを持っていたんだな」
 クルガンがひっそりと呟く。
 「リカルド〜。ごめんねー、こんな格好で。さっぱりしたいから、来ちゃったよ」
 「いいって、いいって!風呂屋なんだから、綺麗に血を落としてから来い、なんて本末転倒なこと言いやしねーよ!…っと、俺が許すもんじゃねーんだけど」
 リカルド、と呼ばれた男は、白い半袖のシャツに、裾まで捲り上げたズボンという寒々しい格好で、柄の長いブラシを手にしていた。察するに、この浴場の従業員なのだろう。
 「何で、お前、こんなところに?」
 クルガンも知ってるってことは…あの時代の仲間なのかしら。
 「よーく言うぜ!俺の商売道具、取って行ったのはどこのどいつだ!」
 あら、でも、仲は良くなかったのかしら。ダークマターに対する態度は、人懐こそうで『面倒見の良いお兄さん』タイプだと思ったのに、今はあからさまに牙を剥いてるわ。
 「はーい。それ、俺。だけど剣は返したじゃんかー」
 「まあな。だけどよ、体も鈍ってるし、金稼ぎと体力増強のために、バイトしてんだ。結構きついぜ?ここの掃除。稽古付けてくれる奴もいるしな」
 そう言って、からからと明るく笑う。きっと、この快活そうな態度が本来の性格なのだろう。よほどクルガンとだけ相性が悪いのかしら。
 「こらーっ!リカルド!さぼるな!」
 「はいっ!今、行きますっ!」
 奥から聞こえてきた声に、大声で返事をしておいて、リカルドは立ち去ろうとして…ダークマターが袖を掴んだ。
 「リカルド、ちょっと紹介だけしとくな。ユージンとはこないだ会ったからー。こっちのが若くなってるけどレドゥア。で、こっちのエルフは、リカルドは見たことないだろうけどソフィアね。で、こちらは…」
 「げ……」
 「リーエってことで統一してるからね。そう呼んでね」
 「リ、リーエって…お前…」
 目を白黒させているリカルドに、陛下はにっこりと微笑まれた。
 「ダークマターのご友人ですか?」
 「はいっ!いや、その、ダークマターとは、仲間として信頼を教えていただきまして、まことに…」
 「あのねー、リカルドは、記憶も何もかもを失ってるときから仲間になって貰って、色々と助けて貰ったん」
 「まあ…ダークマターがお世話になりました。そして、わたくしの魂を救っていただき、感謝の念に堪えません」
 「いやもー俺なんて、何もしてませんからっ!…あ、呼ばれてるんでっ!失礼いたしますっ!」
 陛下にあわあわと手を振って、真っ赤な顔で逃げるように走り去ってしまった。まあ、普通の冒険者が、女王陛下と親しく話をするのは難しいだろう。たとえ、今は陛下も一冒険者なのだ、と言ったとしても。
 彼が呼ばれていったのは男湯の方らしい。もうそちらへ歩き出したダークマターを追うようにクルガンが動き、それに釣られて、私たちも女湯の方へ向かった。
 入り口で簡素な鍵を受け取り自分たちの装備をボックスにしまう。
 更衣室には、他の人はおらず、タオル一枚で向かった扉の向こう側にも、誰もいなかった。
 考えてみれば、この時代で、公衆浴場なんてちょっとした贅沢を払う金を女性が持っていることは少ないだろう。貴族や豪商は、自分たちの屋敷に浴室をもっているし、平民は平民で、ただの風呂に金を払うなんてことはしないでしょうねぇ。それこそ冒険者くらいかしら。たまには贅沢しちゃおう!なんて刹那的なお金の使い方するのは。
 素足に磨き上げられた岩の感触が心地よい。私たちは、湯の張られた浴槽に入る前に、壁に積まれた手桶を取って、お互いの体を流すことにした。
 まずは陛下の髪を解いて湯を流す。陛下はご自分の指で髪を梳かれる。もう一人いれば陛下の髪を洗うことも出来るのだけど…しょうがないわね。外見だけなら、ダークマターなんかタオル巻いて入れば女でも通りそうだけど、本人が厭がりそうだわ。
 体もタオルで拭って、ゆっくりと浴槽に身を沈めた。
 「気持ちがよいですね…」
 陛下も緊張していたのだろう、ほうっと息を吐かれた。私も自分で手早く体を流して湯に浸かる。
 「二人きりですわね。貸し切りのようで楽しいですわ」
 伸び伸びと体を伸ばして俯せる。
 「それにしても…へ…いえ、リーエは人間なのに、相変わらず肌がお若くていらっしゃる」
 「まあ、ソフィア。褒めても何も出ませんよ?」
 「あら本当ですわ。肌のきめなんて20代でも通りそうですもの」
 「ふふ…ありがとう。でも、ソフィアも素敵ですよ。腕はそんなに細いのに、張りのある胸は素晴らしいプロポーションですね」
 そんな風に私たちがお互いの体を誉め合っていると。
 壁の向こう側がやけに騒がしかった。
 湯気に隠れてよく見ていなかったが、壁の上の方は向こう側、つまり男湯と繋がっていたらしい。
 聞こえる声の中に、ダークマターのものを見つけて、私はそちらに声を張り上げた。
 「ダークマター?何の騒ぎなの?」
 「ソフィアー?何でもないよー。ちょっと、ホントにこっち側から女湯が覗けないのか、試してみてるだけだよー」
 …覗いてみるつもりなのかしら…。
 というより、向こう側からこちらが覗ける、ということは、こちら側からも向こう側が見える、ということね。上の隙間を見れば、余裕で頭…どころか上半身くらい覗けそうなのだけど。
 壁はそんなにつるつるしているのではなく、自然の岩のままだし…登れるわね。ちょっと見てみようかしら。
 「ソフィア…それは、少しはしたないかと…」
 タオルは巻いてますわ。
 私は岩をよじ登って、頭だけ覗かせた。
 湯気ではっきり見えないけど…。
 あら、一番近いところに、筋肉隆々の戦士が皮鎧と棍棒を装備というとても入浴とは思えない格好で座ってるわ。その目はこっちじゃなく浴槽に向かってるけど。何をそんなに真剣に見ているのかしら。
 目を凝らして湯気を通して浴槽を見ると、いきなり金色の頭が浮かび上がった。
 「うーん、やっぱり下は向こうと繋がってるねー。でも、腕が通るくらいの穴だから、覗けはしないと思うけど。あ、すぐ向こうに座ってたら、何か見えるかもしれないけどね」
 にこにこと報告して、髪を掻き上げる。
 あら〜…湯に浸かってたら、まるで女の子ね…。
 下ろした金髪が湯に拡がって白い肌に貼り付くのも色っぽいけど、それをタオルにまとめてうなじが見えるのもまた可愛いわ…首から下が湯に隠れてると、どう見ても女の子の入浴で、男湯には目の毒じゃないかしら。
 あ、あの戦士の目はダークマターに向かってたのね。ま、他の人の目もそっちに向かってるけど。
 …って、これじゃ私が痴漢みたいだわ。気付かれないように降りましょう。
 「…どうでしたか?」
 私が湯に戻ると、陛下が苦笑しながら問われたので、私は正直に答えた。
 「ダークマターが色っぽくて可愛かったですわ」
 陛下は何も答えられなかった。
 
 浴槽の水は、焼いた石を駕籠に入れて沈めて温めのお湯にしている。それ以外に、体を洗うための水場があったので、私は鎧をそこで軽く拭った。マナー違反かしら、とは思ったんだけど、せっかく良い気分でお風呂から出て、また血塗れの鎧を着ける気にはならなかったんだもの。
 陛下のローブも少し血の匂いが付いてたんだけど、さすがにこれは洗ったら乾かない気がして、中の下着だけ新しいものに替えることで我慢していただこう。
 そうして、心身ともにすっきりして待ち合わせの入り口前広間に出てきたら、男性組はもう上がっているようだった。
 ダークマターはまたあのオレンジ色の髪の男と話している。
 手にしてるのは…レモンを浮かべた冷たい水ってところかしら。あぁ、グラスに浮かんだ水滴が、中の水がきんと冷えてることを示唆してて、何とも美味しそう。
 髪を払いながら近づくと、リカルドがこちらを向いた。
 「あぁ、あんた…あなた方にもおごります」
 そう言って、盆を手にきびすを返すのに、クルガンがふて腐れたようにぼそりと言う。
 「…俺たちには無しか」
 「てめーで払え。一杯5Gold」
 …とことん仲が悪いのね…。
 クルガンの隣に座って、彼を見上げる。
 「なぁに、クルガン。何か彼にしたの?」
 クルガンはちらっとこっちを見てから、僅かに顎をしゃくって見せた。それが示すのは、ダークマターとリカルドが楽しそうに話している様子。
 「あいつは、ダークマターが生まれたての時からの付き合いだからな。保護者を自認していたのに、俺が出てきたのが気に食わないらしい」
 男が男の保護者の役割を争って仲が悪いって……不毛ね。
 「それに、まあ、そもそも俺はダークマターを殺そうとしたからな。『仲間』になっても、結局最後まで信用して貰えなかったか」
 まあ、それは分かるけど…肝心のダークマターがクルガンに懐いてるんですものねぇ。リカルドには悪いけど、どうにもならないわね。
 昔からの親友と、新しく出来た生死を共にする友人の、どっちが大切か、なんて正解はどこにも無いけど…ダークマター自身はクルガンを選んだってことなのかしら。でも、リカルドと話をしているときのダークマターも、安心してるって言うか、年齢相応に子供っぽい顔をすると言うか、自然な様子なんだけど。
 クルガンは私にだけ聞こえるくらいの小声で、ぶつくさと呟いた。
 「まだ、あいつは敵意が表面に出てるだけやりやすい。グレッグなんぞ、敵意を持ってるくせに表面上はわざとらしく礼儀正しいからな」
 グレッグっていうのがどんな人かは知らないけど…たった一つ分かるのは、ダークマターは男にもてるってこと。…何か可哀想かも…。
 「まあ、ぺーぺーの冒険者にとって、初めて冒険に出て危険を分かち合った、という体験を共有する仲間が、特別に大切なものだというのは理解はするが」
 一応大人なところを見せたクルガンだけど、ダークマターとリカルドから目を離さないあたり、保護者本能噴出ね。
 ダークマターはクルガンの視線に気づいてるのか気づいてないのか、ひたすらリカルドと喋ってる。他のメンバーの情報交換らしい。
 ホントはもっと話をしたいようだったけど、リカルドはまだ仕事中だし、渋々って様子でそこを離れた。
 「じゃあな、ダークマター。俺たちも俺たちなりに鍛えるから、またこっちとも組んでくれよ?」
 「うん!」
 あら、約束しちゃった。
 クルガンの機嫌が、見る間に悪くなる。
 子犬が尻尾を引きちぎれんばかりに振っているようなダークマターの背中に、地を這うような声で言う。
 「滅多な約束をするな。お前はリーエのガードだろうが」
 にこにこ無邪気な笑顔のままでダークマターは振り向く。
 「えー?こっちが休みの時に、ちょっと遊ぶだけだよー」
 「休みの時など…!」
 「それに、あんたも一緒だし」
 言い募っていたクルガンの口が、ぽかんと開く。
 そういえば、彼らのパーティーメンバーにはクルガンも入っているのよね。リカルドが無視してたから忘れてたけど。
 クルガンが何度か喋りかけて、また口を閉じるのを繰り返している。
 「いやー楽しみだなー。皆、滅茶苦茶な職業構成になってるけど。前衛はリカルドと俺とあんたで変わり無いかな。グレッグなんて魔術師だよ、何故か」
 きゃっきゃっと笑うダークマターに、クルガンはまだ何も言えない。
 ホントはあっちに加わるな、と言いたいけど、結構自分もあっちが気に入ってるのね。もし強固に反対したら、クルガンは放っておいてダークマターだけ行っちゃうかもしれないし。かといって、クイーンガードとしての意識が強すぎて、ほいほいと向こうには行けない。うーん、クルガンらしいわ。
 クルガンの葛藤は、ダークマターにも通じているのだろう、楽しそうに笑いながらクルガンの言葉を待っている。
 結局、最終的には
 「……絶対に、行くときは俺を誘うこと」
 陛下の目を意識しつつも、そういうことになった。
 言うことを聞く気があるのか、単に面白がっているのか、ダークマターはとっても良い子の返事をした。
 「はぁい!」
 手を挙げて大きく声を上げる。
 あぁんもう、可愛いんだからー!





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