女王陛下のプティガーヅ




 ソフィアの日記。


 次に私たちが進んだ道の先では、先日も会った仮面のこびとが、壁に突進していた。
 「おかしい…何故、あのデブ女が進めて、俺っちが入れねーんだよ!何か!?逆体重制限とかそういう不条理な罠がしかけてあるのか!?」
 私の見たところでは、部屋の奥の壁には隙間一つ見えないんだけど、仮面の子は、勢いを付けて何度もぶつかっている。
 「くそぅ!マッチョになってやる!そうと決まれば、今から走り込みだ!退け!お前ら!」
 私たちが声をかける間もなく、仮面の魔物は、とてとてと走り去ってしまった。
 「…何だったのでしょうね」
 陛下が、首を傾げられている。私も同感だけど。
 クルガンは壁を子細に調べていたけど、やがて諦めたように立ち上がった。
 「物理的な仕掛けは見あたらないな。だが…」
 そこで言葉を切って、何か考え込んでいる。
 ダークマターも壁にぺたりと張り付いてみて、胸を押さえた。
 「うん。何となく、この感じは…」
 ガード長とユージンも、彼らの様子に心惹かれたのか壁に触ってみて、顔をしかめた。
 「はっきりと言葉には出来ぬが、胸騒ぎがする、とでも言うか…」
 「…私は、覚えがあるな。この嫌な波動には」
 ユージンは、憂鬱そうに額を押さえた。
 「これは、いわゆる暗黒界への通路、というものだろう。死神に取り憑かれるなどで、『そちら側』の視界を持った者だけが通れるという」
 「まさか、冥界へと繋がっているのですか?」
 驚いたような陛下の問いには、首を振る。
 「そこまでは。上位の魔物が宝物を隠している、という噂もありますが、所詮こちら側に実体化できる程度の魔物ですから、大したことは…」
 「ま、死神にわざわざ取り憑かれてまで、入るほどのことはないですよ、きっと。運悪く取り憑かれでもした時に、探索してみれば良いって程度じゃないでしょうか」
 ダークマターが肩を竦めながら壁から離れる。
 そこに宝物があるなら、無視して進むのも落ち着かないんだけれど。
 とは言っても、仕方がないわね。死神がこの迷宮に棲息してるのかどうかも分からないし。
 ユージンにしてみれば、自分を殺した相手ですものね。出来るだけ会いたくはない代物でしょうね。
 ただ…
 「デブ女が通った…って言ったわね、あの魔物」
 あの娘をデブ、と言っていいのかどうかは分からないんだけど(種族が違うから平均的な体型がよく分からないわ)、でも、ポポーという娘は確か「普通では通れないところを通れるようになるメダル」を研究してるのでは無かったかしら。
 私は、もう一度依頼票を確認して、頷いた。
 「依頼のメダルが見つかれば、入れるかもしれませんね。それまで、この場所は記憶だけしておく、ということでよろしいのでは?」
 「そうですね。それに期待いたしましょう」
 陛下が頷かれたので、私たちはその場を去った。
 ユージンは、嫌そうに首を振っていたけど。

 それから、私たちは、本命と思われる真ん中の階段を上がっていった。
 移送隊が襲われていた橋を通り、いくつかの扉をくぐり。
 途中、何カ所か水場はあったのだけれど、水の流れがあったり小さすぎたりして、依頼の水場には見えなかった。
 そして、ある扉をくぐると、正面に張り紙がしてあるのが見えた。
 えーと…壁が壊せる?偉大になる戦士オトム?
 ふと左を見ると、壁に亀裂が入り、奥が通して見える。
 「じゃ、力のある人、体当たりしてね♪」
 ダークマターが、ひらひらと手を振った。
 ……何?私?私が力があるっていうの!?
 か弱いエルフ女性を捕まえて、失礼な…とは思うんだけど、確かにクルガンは私より力がないし…ガード長も駄目、ダークマターに至っては、陛下以下…私とユージンがやるしかないのね…はぁ。
 「何なら、私が一人で…」
 気を遣ってくれてありがとう。でも、どうせやるなら確実な方を選びましょう。
 二人並んで、せーのっと。
 がしゃあん!
 積まれた石が崩れ落ちる。
 だけど、せっかくそこまでして通った先には、鍵のかかった部屋しか無かった。
 「どーゆー理屈か知らないけど、この手の壊せる壁って、入る度にまた復活してんだよねー。鍵が手に入ったら、またよろしく」
 …言ったのがダークマター以外だったら、首を絞めてたわよ、まったく…。

 張り紙の横の扉を入ると、綺麗な水場があった。
 「む…ここではないか?」
 ガード長が喜色を滲ませて、いそいそと水場に近寄った。
 ダークマターが、手を広げて計測している。
 「えっとー、俺が大体163cmでー、ひーのふーの…約4m?」
 「ふむ、そして、幅と深さは予想通り約50cmか。とすると…」
 目を宙に向けて暗算中。
 「約1000リットル。それにこの薬液が約100ml。1万倍の希釈か」
 頷くガード長に、ダークマターが水袋を取り出して聞いた。
 「試してみます?この水袋がだいたい300ml入るとして〜…0.03ml…駄目か。計れないや、さすがに」
 「むぅ…1リットル入る水袋なら…」
 「無いですよー」
 ………。
 困ってるのか、楽しんでるのか、判別しがたいわね。
 さっさと混ぜればいいじゃないの、と思っている私たちを後目に、ガード長とダークマターは頭を寄せ合って悩んでいる。
 「やっぱ、同比率で確認してから、本式に入れたいですよねー」
 「うむ、取り返しが付かぬことだからな」
 「んじゃあ、このストローでこの辺まで入れたら約0.1mlじゃないですか。で、それを300mlに混ぜて、それから…」
 「うむ、こっちの水袋にも水を入れておき…」
 ………
 「あ〜!もう〜〜!!」
 あ、クルガンが切れたわ。
 「どうでもいいだろう!依頼通りに、ここに混ぜればそれでいいんだろうがっ!!」
 あらら。
 ダークマターの手から無理矢理薬瓶を取り上げて、水場に開けちゃった。
 「「あーーーっ!」」
 悲鳴とも非難ともつかない声を二人は上げるが、クルガンはそのままぽいっと空の薬瓶を放り投げた。
 水場からは、ほんのりと甘いような良い香りが立ち上ってきた。
 成功…ね。多分。
 「わたくしが、確かめてみましょう」
 いきなり陛下が飲むのも危険とは思ったんだけれど、陛下しか魔力を消費してないのよね。
 私たちが見守る中、陛下は手に掬った水を飲んで…微笑まれた。
 「えぇ、確かに、魔力が回復するようです」
 「これで、依頼完了だな」
 素知らぬふりで、クルガンはそっぽを向いた。
 「ひでー、クルガンのいけずー、いじめっ子〜」
 ダークマターが目を潤ませながら、上目遣いにクルガンを睨んだ。
 「酔狂に遊んでるお前が悪い」
 クルガンは言い切ったが、視線は明後日の方向に向いたままだ。さすがにガード長に向かって言う気は無いらしい。
 「…遊んでんじゃないもん…」
 あら。声の震え具合といい、濡れ具合といい…泣いてるのかしら。
 クルガンも、慌てたように振り返る。
 だけど、俯いているダークマターに先に声をかけたのはガード長だった。
 「良いではないか。所詮、器具も何も使わぬ、大雑把な希釈だったのだ。いずれ私が錬金術師となり、実験機材を揃えた暁には、お前にも使わせてやるから」
 「え?ホントに?」
 ぱっと顔を上げて、ダークマターははしゃいだ声を上げる。
 「あぁ。いずれ金を稼ぎ部屋を借り器具を買いそろえ…先は長いが、必ず私は環境を整えて見せる!」
 ガード長が萌えている…もとい、燃えているわ。
 そういえば、ガード長は実験おたくだったわね…ダークマターも時々一緒に記録してたりしてたわね、確かに。私は、あれはガード長に無理矢理付き合わされてるのかと思ってたんだけど…本人が好きでしてたとは…。
 「俺も使っていいんだ?」
 「うむ、その代わり、私の助手も務めて貰うが」
 「やるやる〜!」
 さっきまで声が震えていたのが嘘のように、きゃっきゃっと跳ね回るダークマターに、クルガンは押し殺した声で呟いた。
 「ちっ、どいつもこいつも、こいつに甘すぎる…!」
 正直に言わせて貰えば、「鏡を見なさい」ってとこだけど。

 私たちはまだまだ元気だったんだけど、いったん外に出ることにした。依頼完了の報告をするのと、拾ったアイテムが嵩張ってきたので売るのとが目的で。
 酒場の方にはダークマターとガード長、ついでにクルガンも付いていく、ってことになり、陛下と私とユージンがヴィガー商店に売りに行くことにした。
 店では相変わらずオークがうろうろと荷物の整理をしていた。それだけの荷物があるなら、売ってくれれば良いのに。
 「いらっしゃいませ、なんだどー。いつもありがとうなんだど!」
 「うむ」
 ユージンがやや照れ臭そうに頷いた。
 まあ、騎士様にとっては、毎日商店に足繁く通って、オークに顔を覚えられる、という状況は、ちょっと恥ずかしいことかもしれない。でも、私たちが彼にその任を押しつけたわけじゃないわ。ユージンが、フィーカンティーナとかいう司教にアイテム鑑定して貰って、その足で売りに来るからそうなるだけで。
 「今日は、何を売ってくれるだべか?」
 「うむ、今日はまだ鑑定が済んでおらぬので、アイテム類のみだが」
 結構溜まるのよね、解毒の薬に封傷の薬、転移の薬、治痺の薬…は一つは置いておくとして。
 「使わずに売るのも、惜しい気がしますが…」
 「でも、いい加減荷物を圧迫してますから」
 「そうですね。封傷の薬を使う必要が無いことを、神に感謝しましょう」
 ついでなので、封傷の杖も一本売って、それなりに荷物に空きを作れた。
 「ではまた、鑑定が済んだら持ち込むとしよう」
 「おでは鑑定も出来るだど!」
 「はは、無料でしてくれるのなら、頼むのだがな」
 そんなみみっちいセリフを爽やかに言えるあたり、ユージンもだいぶ吹っ切れたらしい。…何が、と言われると困るけど。
 
 酒場組と合流すると、予想通りと言えば予想通りなんだけど、クルガンはむすっとした顔をして、ダークマターはえぐえぐと泣いていて、ガード長は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 顔を合わせた途端に、ダークマターは私に泣きついてきた。
 「ソフィア〜!クルガンが虐める〜!」
 「誰が、虐めた、誰が!」
 「だってだって、俺が楽しくラングさんと薬品について討論をかわしてたのに、いきなり殴って引きずっていくんだよーっ!?」
 「あの医者は、ようやく一息ついてメシをゆっくり食えると喜んでたろうが!その邪魔をするお前が悪い!」
 「だってだって〜!成分とかすっごい気になったのに〜〜!!」
 「そ、れ、は、お、ま、え、の、り、く、つ、だ!!」
 「うにゃ〜!痛い、痛い〜〜!」
 ………。
 私にしがみついてくるところは可愛いのに…会話は思い切り私を無視してるわね…。
 まあ、いいわ。
 この髪の手触りとか、細い肩の感触とか、すべすべな肌とか、触れただけ儲けものと思うことにしよう…オヤジ臭かったかしら。
 「正直なところ、成分が気になったのは、私も同様だ。いずれ、あの町医者に教えを請うことになるかもしれんな」
 ガード長が苦い顔のまま重々しく言った。
 「町医者如き」に成分を聞くのが嫌なのかと思ったら。
 「いい加減、離れろ、お前たち。頼むから、これ以上私の神経をかき乱すな!」
 クルガンとダークマターは、単にじゃれ合ってるだけだと思うんだけど…でも、ガード長の胃痛の種らしい。どう見たって家族程度(または主人と犬?)なんだから、気にしすぎる方がおかしいと思うわ。
 クルガンは、ふん、と鼻を鳴らして、ダークマターのこめかみから拳を離した。
 ダークマターも、私から体を離したけど、その顔は全く泣いた気配もなく、けろっとしていた。
 やっぱり、わざと泣きついてみせて、クルガンと遊びたかっただけなのよね。分かりやすいと言えば分かり易い行動なんだけど。犬…言い得て妙だわ…とすると、顔立ちは綺麗なんだけど、行動は雑種ぽいわね。私、犬はあまり詳しい訳じゃないけど、しっぽを千切れんばかりに振ってるやんちゃな子犬ってとこじゃないかしら。
 「…何か、おかしい?」
 思わずダークマターの顔をまじまじ見つめて笑っちゃったから、不思議そうに覗き込まれてしまった。
 「何でもないわ…もー、ダークマターってば、可愛いんだからーっ!!」
 「うきゅーっ!つぶれる、つぶれます〜!」
 失礼ね!この、『エルフにしては豊満』と有名な私の胸に抱かれて、潰れる、は無いと思うわ!
 でも、ダークマターは、離した後、本気で背中を痛がっていた。
 おそるべし、戦士の筋力。

 もう一度、迷宮に入ると、やっぱり入り口には騎士が立っていた。でも、すぐに道を開けてくれる…と思ったら。
 なにやら話したそうにしている。
 「何か?」
 陛下が優しく仰られると、その騎士は居住まいを正して、敬礼した。
 「いえ!何でもないのであります!…えーと、そのー…」
 あぁ、この声は、私たちに戦闘口座をした研究家の騎士さんね。確か、名前はサミュエル。
 「あの、オティーリエ殿たちは、悪魔をご覧になったことがありますでしょうかっ!」
 悪魔…私は、何度かこの拳で語り合ったことはあるけど。多分、クルガンとダークマターも何体も殺ってるはずよね。でもって、ガード長もああ見えて迷宮奥深くまで潜ってたし、ユージンに至っては盟友(?)だったし…けど、陛下は。
 「いえ、まだです」
 ま、そうよね。
 それを聞いたサミュエル君は、ほっとしたように叫んだ。
 「そうでありますよね!普通悪魔はB6階より認められておりますので!…実は先日」
 完全に面覆いが被ってるので表情は分からないけど、多分照れているのだろう、ちょっとした間があって。
 「アオイという女性の侍の方が、魔物の首を持って帰ってきたのであります。悪魔と戦ってきたとは全く思えぬような綺麗な出で立ちでありました…」
 ほぅっと溜息を吐く。どうでもいいけど、サミュエル君には奥さんがいるんじゃなかったかしら。普段からこの調子だとすると、さぞかし奥さんはやきもきすることだろう。
 「数名の騎士も共にあったのでありますが、どうも彼女を監視しているのであります。何故、監視しているのかについてまでは私には分かりかねますが…あ、これは内密にしておいてくださるとありがたいです!」
 「…おいおい」
 クルガンがうんざりしたように呟いた。
 「彼女は、私に目を留め、こう仰いました。『貴方も、迷宮に挑むつもりなの?』私はもちろん、はい、と答えました。アオイ殿は、『夢も野望も、大きいほど迷宮の闇は深くなる。失ってから、初めて平穏な日々の幸せが分かるんだわ』と仰いました。私に、迷宮には入るな、と忠告されているようでありましたが、私はやはり早く研鑽を積んで、迷宮に挑みたいのでありますっ!」
 あぁ…若いって良いわねぇ…って言うと、お婆ちゃんみたいな言い方だけど。
 見えないけど、サミュエル君の目はキラキラ輝いているのだろう。迷宮で魔物を殺す=崇高な使命、みたいに感じているのではないかしら。悪いとは言わないけど、そう単純なものでもないんだけど…。
 クルガンは、すっかりげんなりした顔でそっぽを向いている。
 ダークマターはこめかみをぽりぽりと掻いて、苦笑いしている。
 ユージンは、顎を撫でながら、「うーむ、騎士たる者の心得としては、誤ってはいないが…」と呟き。
 ガード長は、我関せず、といった風に明後日の方を向いている。
 で、我らが陛下は。
 「そうですか。魔物に怯える民草を思い、一日も早く魔女を討ち果たしたいという貴方のお心は、素晴らしいものと思います」
 「い、いやぁ、そうでありますかっ!?」
 「ですが、力無き者が命を落とさぬよう、また、魔物が迷宮を出ること無きよう、ここで警備をされるのもまた立派な使命だと、わたくしは思います。貴方のような方がここを守っているからこそ、わたくしたちは安心して迷宮に挑むことが出来るのです」
 「は、はいっ!」
 「これからも、ここで貴方のお顔を拝見できるのを、心より望んでおりますよ」
 「はいっ!光栄でありますっ!」
 ………。
 サミュエル君、感激に棒立ち。
 女王陛下、という肩書きが無くても、威厳というかオーラパワーが滲み出てるのよね、陛下ってば。
 ま、言ってる内容は、「いいからお前はここにいろ」って意味なんだけどね。
 不動の敬礼を後に、私たちは迷宮の階段を下りた。
 「…長生きしてくれると良いですね、彼は」
 ぽつん、と陛下が呟かれた。
 嫌みにも聞こえるけど、陛下のことだから、きっと本気で心配しているのだろう。
 「そうですね。…可愛いですものね、彼」
 顔は知らないけど、言動が何とも可愛いわ。純真無垢って言うか。
 「…ソフィアの『可愛い』って、基準がよく分かんない…」
 ダークマターがぼそりと一人ごちた。
 そうかしら。
 守ってあげたくなるものは、全部可愛いんだけど…そんな無節操に可愛いと思ってる訳ではないつもりなんだけど。





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