女王陛下のプティガーヅ




 オティーリエの手記。


 わたくしは、自分が存在する、ということに困惑した。
 本当に突然に、わたくしはそこに出現したのだ。
 自らの顔に触れ、確かな存在感に目を細める。
 「わたくしの名は、オティーリエ」
 声も、わたくしの鼓膜を震わせる。

 わたくしは生きているのか。
 そんなはずはない。
 わたくしは、確かに武神の生け贄の核となり、魂だけの存在となったはずだ。
 ゆらゆらと悪夢に漂う記憶もあれば、解放された際の記憶もある。
 わたくしは、それから神の御元へと参ったはずだ。無論、神にみまえた記憶など無いが。
 それが、どうして。

 わたくしは、城塞と思わしき壁に体をもたせかけた。
 目を上げれば、幼い頃よりずっと見続けていた山脈が変わりなく見える。
 となれば、ここは紛れもなくドゥーハンということになるが…。
 だが、この寂れようは如何なることか?
 確かにドゥーハンは『閃光』で壊滅状態となった。わたくしが肉眼で見たわけではないが、中心部はえぐれ、周辺も瓦礫の山となったはず。
 そこまでの被害ならば、きっと遷都したであろう。たぶんは、次期女王であるはずの我が従妹の領地がその最有力候補であろう。
 ならば、ここはただの一領地となったが故に寂れた元首都か?
 いや、そんなはずはない。
 閃光の衝撃でえぐれた地面は、そう容易く修復は出来ない。むしろそのまま利用する方が余程手間がかからない。
 となれば、残る可能性は一つ。
 わたくしは、過去に飛ばされたのだ。
 閃光が起こる遙か以前のドゥーハンに。
 さて、我が愛しきドゥーハン王国に、このように没落した時期があっただろうか。
 …確か、あれは…
 魔女アウローラの呪い、と言われる時代があったはず。
 女王オリアーナ…いや、聖王オルトルードの治世だったか。
 
 わたくしは、城壁から身を起こす。
 
 神が、わたくしに何を思って、この時代へと送り込まれたかは、分からない。
 だが愛しき我がドゥーハンが病み疲れているというならば、微力ながら全霊をもってわたくしはドゥーハンの力となろう。

 わたくしは、ゆっくりと街の中心と思われる地域へと、歩いていった。





 ダークマターのメモ


 あれ。
 何だ?ここは。
 確か…宿屋で寝てたんだよな?で、何で草原なんかにいるんだ?
 しかも、何か寒いんですけどー。確か、初夏だったんですけどー。
 とすれば、これは…夢か。
 夢なら、一度やってみたかったことがあるんだよな。
 こーゆー広いところで、思い切り叫ぶのだ。
 「おーい!」
 おーい、だけじゃつまらないな。
 「クルガンの<ぴー>は×××〜!」
 ×××〜×××〜×××〜…
 うん、エコーがかかっていい感じだ。
 よし、もう一度。
 と、俺が思い切り息を吸い込んだのと、後頭部にものすごい衝撃を受けたのはほぼ同時だった。
 「馬鹿者!何を叫んでいる!」
 あぁ、この声は。
 俺は頭をさすりながら振り向いた。
 「やあ、クルガン。あんたまで俺の夢に出演?どうせ出演するなら、もっと色っぽいシチュエーションで出てきて欲しいよな」
 「…目が覚めてないなら、もう一発殴ってやろうか?」
 拳骨に息を吐きかけるのは止めて欲しい。
 にしても、これでも目が覚めないってことは…夢じゃ無いってことか。
 ふと思い立って、俺は腰を探った。
 手に触れたのは、刀ではなくメイスが一本。ついでに衣装は僧衣。
 「クルガン」
 「何だっ!?」
 怒るなよ。もー短気なんだから〜。
 「ちょっと、手合わせしてくれ」
 「はあ?」
 クルガンは問い返しつつも腰の短刀を抜いた。…投げナイフ。やっぱりな。
 その可愛らしい武器でクルガンは俺に斬りかかったが、全然当たらず。もちろん、俺のメイスも空を切った。
 「…何だ、これは」
 自分で自分が信じられないといった顔で、クルガンは短刀をじっと見つめた。まさか、あんた、今頃自分の得物に気づいたんじゃあるまいな?
 「あのさ、俺が思うに」
 腰にメイスを戻して、魔法を思い浮かべる。
 かろうじて記憶にあるのは、治癒魔法の初歩の初歩。
 「俺ら、めちゃくちゃレベル1」
 「…もう少し、俺にも分かるような言葉を使え」
 クルガンも忌々しそうに短刀を鞘にしまい、その場で演武をしてみていた。それが、かなり素人臭いことは俺にも一目瞭然だ。
 「くそっ!何なんだ、一体!」
 「俺は、これ、2回目だからねー。ま、前回のは記憶も無かったから、変だとは思いもしなかったけどねー」
 「だから!さっさと言え!」
 胸ぐら掴むなよー。ただでさえ体力も後退してんだから。
 「だーかーらー。俺ら、初心者に逆戻り。今まで培ってきた戦闘技能、ぜーんぶパー」
 両手を開いてパー、と言ってやると、クルガンの目が点になった。
 「俺は初期状態の僧侶だしー、あんたは元盗賊だろ?多分、今のあんたは盗賊、しかも駆け出しってとこじゃないかと」
 クルガンは、相変わらず点目のまま固まっていた。意外と保守的な男だからなー。事態に付いていけないんだろうなー。
 俺なんか、ちょっと面白いくらいだけどな。
 ま、また鍛え直したり魔法覚えたりするのかと思うと、メンドクサイんだけど。
 「そもそも、ここ、どこだろうねぇ。ドゥーハンぽいけど、俺らのドゥーハンとは違うような気がしないか?」
 ようやく石化が解けて、クルガンもあたりを見回した。
 「…少なくとも、ついさっきまでいた場所でないことは確かだな」
 「とりあえず、あっちに街が見えるから、入ってみようか。情報収集には酒場が一番!」
 言いつつ、懐を探る。金貨が数枚か〜。
 「ちょっと軍資金は厳しいけどねー。でも、俺の手投げナイフ使わないし、売ればちょっとは金になるでしょ。さ、行こうか」
 「お前は、何で、そんなに前向きなんだ…」
 溜息を吐きながら、クルガンは腕をぶんぶんと回した。以前のような筋肉の盛り上がりはそこにない。本人にもそれが分かってるんだろう。これ以上、憂鬱なことは無い、といった風にもう一度溜息。
 「俺が元気なのは、あんたがいるからだろうね」
 「…あぁ?」
 「あんたさえいれば、俺はどこに行ったって、何をしていたって元気だよ。なんたって、俺はあんたがダイスキだからねー」
 「…聞き飽きた」
 あぁ、可愛くない。
 でも、尖った耳の先が赤くなってるのを俺は見逃さなかった。
 そーいや、俺の耳も尖ってんなー。エルフバージョンの方か。色々と数奇だね、俺の人生も。






 ソフィアの日記。
 

 私は、冷たい土の感触で目を覚ました。
 ちょっと、待ってちょうだい。
 何故、私が『冷たい』なんて感じるのかしら。死んだんじゃなかったかしら、私って。
 起き上がって、私はもう一度地面に逆戻りするところだった。
 …墓地だわ、ここ。
 この、墓石の列は、どう見ても墓地よね。
 私ってば不死者になったのかしら…何かこの世に未練を残していて…未練!ありまくりよ!
 ダークマター〜〜!あの男、私の問いにしれっとして「好きな人なら別にいるよ」だなんて、しかも、相手がクルガンだなんて〜〜!
 死んでも死にきれないわよっ!よりによって男に男を盗られるなんて冗談じゃないわっ!
 不死者になったっていうならちょうど良いわ、ダークマターを探し出して、取り憑いてあげる。そして、クルガンとの仲を徹底的に邪魔してあげるのよ、うふふふふ。
 ……それにしても……何故、私、ロングソードなんて下げてるのかしら。
 私の魂は、僧侶よりも戦士に近かったと仰るのですか、神よ。






 レドゥアのノート。
 
 
 私は、目の前に光る装置を前に、困惑していた。
 自分の研究室のようでいて、明らかに異なるその部屋に、私は佇んでいた。
 何故だ。
 私は、確かに死んだはず。
 我が身我が肉が焼け焦げていくときの匂いすら思い出せるというのに、何故、私はこんなところにいる。
 そもそも、私は、生きているのであろうか?
 「…あのー、何か御用ですか?」
 エルフの青年が気弱そうに声をかけてきた。
 ふむ、私の姿は、他人に見えている、と。
 「何でもない。気にするな」
 そう言って、私は、自分の声に驚く。何だ?まるで他人の声…いや、確かに覚えがあるが、これでは…。
 私は、自分の手を見た。
 しわ一つ無い…とまではいかないが、せいぜい30歳代の皮膚の張りだ。
 「そこの青年。鏡がある場所に案内してはくれまいか」
 エルフの青年は、何か言いたそうにしながらも、私をその部屋から別の部屋へと案内した。
 その洗面台で鏡に映った顔を見て、私は自分の推測が正しかったことを知った。
 これは、私の30歳代の顔だ。そう、愛しいオティーリエと出会った頃の。
 さて、それが分かったところで…一体、何が起こったのかは全く分からぬ。
 「青年」
 「何でしょう」
 このエルフの青年は、強い命令口調で言われれば、抵抗することが出来ぬらしい。
 せいぜい利用させて貰うとしよう。






 ユージンの記録


 私の耳に、荘厳なパイプオルガンのミサ曲が流れている。
 おかしい。
 私は地獄に堕ちる身であったはず。
 重い目を開くと、石造りの建物の裏に、私は横たわっているようだった。
 起き上がり確認すると、私は簡素な鎖帷子とロングソードしか携えていない。
 何としたことだ。このような、まるで一般の兵士のようななりで私は何をしていたのだ。
 ゆっくりと、私は建物を回った。
 入り口付近で、シスターの姿をした女性に出会う。
 「どうされました?」
 シスターは、慈愛に満ちた表情で、どこか事務的な匂いのする言葉を、私にかけた。
 「いや…私は、どうしたのか、と…」
 いかん、これでは、不審に過ぎる。
 だが、目の前のシスターの顔に、同情と慈悲が満ち溢れる。
 「まあ…貴方もあの迷宮で記憶が混乱してしまったのですね」
 「迷宮!」
 そう、私は、迷宮にいたはずだった。
 そして、死神に魂すら砕かれて…惨めな屍を晒しているはずだった。
 「どうぞ、こちらへ。あまり思いだそうとはなさらずに、ごゆっくりお休みなさい」
 病人か…はっきり言えば精神異常者に対する優しさで、シスターは私の腕を取り、寺院の中へと導いた。
 中には大勢の信者たちがいた。
 半分以上が冒険者のなりで、傷を負っているようだった。
 私の視線に気づいたのか、シスターがそっと囁く。
 「皆、カルマンの迷宮に挑んで、怪我をなさったのです」
 「カルマンの迷宮?」
 違う。
 私の知っている迷宮は……。
 だが、私の思索は、突然の大声で中断された。
 「あ〜〜〜!ユージン卿〜〜!」
 私は、振り返る。
 それはそうだろう。ここがどこかは知らないが、自分の名を呼ばれれば振り返らずを得ない。
 すると、二人組の冒険者が寺院の入り口からこちらを見ていて…背の高い方のエルフが、だだっと駆け寄ってきた。
 目の前まで来ると、私の胸ぐらを掴み、怒鳴った。
 「貴様!何故、貴様が生きている!」
 この赤い瞳。鼻の上の傷。
 ずいぶんと華奢になっているが、まさか…クイーンガード・クルガンか?
 「あぁ、はいはい。どっかで聞いたようなセリフを使わないように」
 後からのんびりと歩いてきたエルフが、クルガンの手をぽんぽんと叩いて外させた。
 この薄い水色の瞳と金髪は、確か迷宮で会った冒険者だ。
 「あの…」
 シスターが不安そうに私と彼らを見比べる。
 「あ、大丈夫。敵じゃないんで、ちょっと借りていきますねー」
 明るい声でシスターにそう言って、冒険者は私に視線を寄越した。合わせろ、と言っているらしい。
 「うむ、知り合いだ。それでは、私は失礼する」
 まだクルガンの方は殺気を露に睨んでいるが、まるで気にしていないように、もう一人のエルフは背を向けて歩き出した。
 私もそれに付いていく。
 「んーと…金ないからさー。酒場でゆっくり話すわけにもいかないし、ちょっとここで話しようか」
 結局、寺院の裏手に逆戻りだ。
 男3人でしゃがみ込んで輪を作っている姿は、傍目にはきっとひどく間抜けなことだろう。
 だが、確かにあまり大声で他人に言いふらすような話の中身でもなかろうから、仕方なくぼそぼそという小声での密談に付き合うことにした。
 「俺は!このような陛下に謀反を起こしたような男など、さっさと首をはねればよいと思う!」
 歯噛みしながら言うのに、小柄なエルフはけろっとして、
 「あんた、忍者じゃないから、首なんてはねられないしー」
 …あのクイーンガード・クルガンに向かって、良い度胸だな、このエルフも。
 だが、忍者ではないとはどういうことだ?
 疾風のクルガンは忍者で間違いないはずだが…そういえば、このエルフも最後に見たときには侍であったように思うのだが。
 真っ白な顔色で、なにやらぶつぶつ呟いているクイーンガード・クルガン。
 「あぁ、まだクルガンは自分が盗賊ってことに納得がいかないらしくてねー。いわゆるアイデンティティーの崩壊ってやつ?」
 邪気のない笑顔でエルフは言って、私の目を覗き込んだ。
 「でさ、あんたも多分、ただの戦士になってんじゃないかと踏んでるんだけどさ。自覚ある?」
 はあ!?私が、ただの戦士だと!?
 生まれながらにして騎士、このユージン=ギュスタームに向かって…向かって…。
 「確かに…魔法が一つも思い浮かばないな…」
 神よ。私が何をしたというのですか。
 ………いろいろと、したか。
 「それとさ」
 虹彩の水色が、ますます淡くなった気がした。
 「あんた、自分が死んでたって記憶もある?」
 口元が笑いの形を取ってはいるが、ひどく悪意に満ちた目をするのだな、このエルフは。
 だが、表情だけはどこか無邪気で、虫の足をもいで喜んでいる子供のような顔だ。
 「あぁ、分かっている。私は、死神に貪り尽くされたはずだ」
 「だよねー。あんな惨めな屍晒しちゃってさー。いっそ、体も食われちゃってた方が、よっぽどマシだったねー」
 そ…そんなに惨めな死体だったのか……。
 エルフは、笑いの一欠片も無い目で、私の目をじっと覗き込んだ。
 「あのさ。グレースちゃんも見ちゃったんだよね、あんたの死体」
 グレースちゃん!?私のグレースをちゃん付けなどとは、貴様、一体グレースの何だ!?
 …いや、問題は、そこではなく。
 グレースも私の死体を見たのか…惨めな私の姿を……。
 「サイテーだと思わない?国家に反乱起こしたとかさ、グレースちゃんを置いてったとかさ、色々とあんたはやったけど、それはまあ信念の賜物って解釈は出来るけどさ。…あんな屍を惚れた女に晒すなんて、一番サイアクじゃん。てめーも男なら、自分の死体の一つや二つ、自分で始末しろよな」
 あぁ、何だ。
 むちゃくちゃなことを言われているようだが、何のことはない、このエルフは、グレースのために怒っているらしい。
 根が善良に出来ているのか、それともグレースによほどの好意を持っているのか。
 グレースも…このエルフが好きだったのだろうか。
 まあ、よく見れば綺麗な顔立ちをしているし、なかなか腕も立ったようだし、性格も悪くない…私よりも、よほどグレースを幸せにしてくれるだろうか…。
 遠い目をした私に、エルフはちょっと気が抜けたような顔をして、それからころころと笑い出した。
 つい先ほどまで本気で怒っていたようなのに、ずいぶんと気分屋のようだ。
 「あのさ、グレースちゃんは、ウォルフって戦士が守ってるからさ。多分、元気だよ。やー、ウォルフ良い奴過ぎて、まあまず手は出さないから、いつまで経っても未婚かもしれないけどねー、グレースちゃん」
 せ、戦士だと!?ただの戦士と付き合っているのか、グレース!
 「まー、俺なんかは応援しちゃうけど、肝心のグレースちゃんは、まだあんたのこと吹っ切ってないみたいなんだけどねー。…あんな死体見たりなんかするから、よけいに「私がユージンの敵をとる〜!」だもんねー」
 ふん、とまたちょっと怒ったようにエルフは言った。
 そこでようやく立ち直ったのか、クルガンがうんざりしたように口を挟む。
 「ダークマター。いつまで、そんなどうでもいい女の話をしているつもりだ。今、聞くべきことは、他にあるだろうが」
 私にとっては、全然『どうでもいい女』ではないのだが。
 「きゃー♪クルガン、妬いてる〜?」
 わざとらしく手を口に当てた可愛らしいポーズを取ったエルフの頭が、すぱーん!と景気の良い音を立てた。
 「ちょっと、待った〜!何で、便所スリッパなんて持ってんだよっ!」
 「標準装備だ!」
 「そんなわけあるかーっ!」
 ……楽しそうだな。
 あのクイーンガード・クルガンも、ずいぶんと丸くなったものだ。
 きゃっきゃっとじゃれ合っているあのエルフのせいだろうか…ダークマターと呼ばれていたようだが…ダークマター!?
 「まさか、あの、『凍てつく瞳』のクイーンガード・ダークマターか!?」
 薄い水色…凍り付いた湖の色の瞳が、こちらを見た。
 「あれ?気づいてなかった?」
 「い、いや、その、間近で見たことは無かったもので…あまりにも、様子が変わっておいでで」
 「まーねー。厳密には、クイーンガード・ダークマターとは別人だからねー。ま、何てーの?あいつの魂と記憶を受け継いだだけの人ってゆーかー」
 面白くもなさそうな顔で、肩をすくめる。隣に立つクルガンは何とも微妙な表情をしていた。
 「とにかくさ、俺のことは、ただのダークマターでいいからね。俺も、あんたのことユージンってよぶからさ。さっきは思わず『卿』付けちゃったけど」
 彼に、そう馴れ馴れしく呼ばれる筋合いもないとは思うのだが、クルガンも苦い顔で頷いていた。
 「仕方があるまい。聞き咎められれば厄介なことになるかもしれんからな。下手をすれば称号詐称だ」
 何だと!?我が由緒あるギュスターム家の正当なる当主である私が、何の称号詐称だと!?
 まあ、現在でもギュスターム家が存続しているのかどうかは、難しいところだが。
 …現在。
 そういえば、あれからどのくらい経ったのだろうか?
 そもそも、私は何故生きているのだろうか。
 愛しいグレースに、再び会うことが出来るのだろうか。
 「えーとね」
 ダークマターが、ぽりぽりとこめかみを掻きながらどうでもよさそうに言った。
 「今って、俺らが生きてたより数百年くらい前みたいなんだよねー。何で飛ばされたのか分かんないけどさ。とりあえず、死んでたはずのあんたも見つけちゃったことだし、他にも誰か飛ばされて来てないか、酒場かギルドに行ってみたいんだけど」
 
 数百年前!?

 本日は、ずいぶんと驚くべきことがたくさんあったが、これは一番強烈であった。






 クルガンの覚え書き


 不本意ながら、謀反者であるユージンと、ダークマターとを伴って酒場へ向かった。
 寂れているとはいえ、街の中心はさすがに人通りがそこそこある。もっとも、大半が冒険者のようだったが。
 この弱っちそうな奴らが、今は俺よりも腕が立つと思うと、はらわたが煮えくり返って煮えくり返って、もう…!
 ぎりぎりと歯がみしていると、ダークマターが突然振り返って、俺の両頬を引っ張った。
 「あにをすう!(何をする!)」
 「はいはい、歯に悪いから、歯ぎしりはやめようね〜」
 手を振り払うと、ちょっと困ったような顔で俺を見上げる。
 「あのさー、あんたの気持ちも分かるんだけど、怒ったってしょうがないじゃんか。いっそ開き直って、楽しもうよー」
 「お前は、どうしてそんなに脳天気なんだっ!」
 どうせへらへらとした返事が返ると思っていたのに、ダークマターは何故か潤んだ瞳で上目遣いで見上げてくる。
 やーめーろー…その、捨てられた子犬のような目はやめろー!
 俺が悪いのか!?そうなのか!?
 「分かった…悪かった」
 渋々と謝罪したら、ダークマターはくるっとユージンの方を向いて、淡々と解説しやがった。
 「このように、クルガンはすぐに怒るけど、すぐに直るから。まー、悪気はないんで、あんまり気にしないでやってねー」
 何だ、それはーっ!今のは演技か!?そんなに俺に殴られたいのか?
 ユージン、貴様も頷くな〜!
 「君たちは、仲がよいのだな」
 「…どうでしょう?」
 おどけたように言って、ダークマターは俺の顔をちらりと盗み見た。…仲がよい、と言い切れないあたり、気を使っているらしい。妙なところで自信の無い奴だ。
 「あぁ、仲は良いぞ。悪いか」
 ふん、と鼻を鳴らすと、ダークマターは困ったように笑った。
 まったく…仕方のない奴だ。
 「また、おまえは、あいつと…」
 「あああああああっっ!!」
 な、何だ!?
 今の女性の悲鳴は何だ!?
 広場を歩いていた他の者たちも一斉にそちらを向く。
 そうして、俺たちは、顔を合わせる。

 かつて別れた、大事な同僚と。

 「ちょっとちょっと〜!やっぱりあなた達は一緒にいるのねっ!?もー、信じられないっ!!」
 ざかざかざかと女性にしてはどうだろうと思うような大股で、ソフィアは足音も高くこちらに走ってきて……俺とダークマターの肩に手を当てて、間に割り込んだ。
 「考えてみれば、ダークマターは貴方の好みだったわっ!骨細で一見儚げで、でも芯が強い子が、貴方のタイプだったでしょう!」
 「へー、そんなのがタイプだったんだー。意外とステレオタイプ?」
 「あれだけ懐かれてて冷たくできるわけないのよ、貴方って人は!あぁもう、やんなっちゃう!」
 「待て」
 「ダークマターって天然ボケ入っててすっごい可愛いと思ってたのに、やっぱり貴方も可愛いと思ってたのね!」
 「だから、ちょっと待て!」
 「てゆーか、俺って儚げ?」
 「あぁ、今の貴方は儚げって感じじゃなくなったわね。でも、精神的には前よりも脆くなっちゃって、やっぱり放っておけないところがあるわよね」
 「だーかーらー!お前らは一体、何の話をしているんだーーーっ!!」
 ついに絶叫し、ぜーぜーと背中を波打たせている俺に、ユージンが言いにくそうに声をかけた。
 「あー、貴公ら。先ほどから、周囲の視線が痛いのだが…場所は変えぬのか?」
 ………。
 三角関係?とかホモ?とか言う声が聞こえてくるな。
 無言でその場から早足で離脱し始めた俺を、まずはダークマターが追ってきて、それから、他の者たちも付いてきたようだ。
 少し離れた所に人気のない路地を見つけて、そちらに入った。
 そして、残りの者たちが合流したところを見計らって……知らない奴が、一人混じっているな。
 確か、ソフィアと連れだって歩いてきたようだが…。
 「おい。ソフィア」
 「何よ」
 「そっちの男は、誰だ?」
 顎をしゃくって示すと、その男のこめかみに青筋が立った。
 「馬鹿者!私だ!レドゥアだ!」
 なんだってー!?なんだってーなんだってーなんだってー…
 いや、一人エコーを付けている場合ではない。
 これが!?このどう見積もっても30歳代というこの男がガード長だと!?
 「うーん…言われてみれば、面影あるよねー」
 「どの辺に」
 「額の生え際とか」
 うむ。この、如何にも今から後退します、という生え際は、確かにガード長の若い頃、という気はするな。
 俺がガードになった頃には、すでにその、あれだったが。
 それにしても…忍者であれば、気配で分かるというのに…落ちぶれたな、俺も。
 「えーとですね、ガード長。念のため確認しますけどー」
 俺が黄昏ている間に、ダークマターが冷静に質問していた。
 「ご記憶はどの辺まで?俺たちのことが分かるってことは、その見かけの年齢の記憶じゃなさそうってのは分かるんだけど」
 あぁ、確かに。
 しかし、ユージン相手にはいきなり「あんた死んでた記憶ある?」と来たのに、さしものダークマターもガード長には気を使うのか。
 このダークマターにはガード長とはあまり良い記憶がなかろうに、律儀な奴だ。
 ガード長は苦々しい顔で頷いて見せた。
 「最後の最後まで記憶はある。お前たちの目の前で焼け死んだところまで、な」
 ユージンの目が、幾分驚いたように見開かれた。あぁ、こいつの記憶は自分が死んだところまでだろうから、それ以降の出来事は知らないんだな。
 ダークマターは、なにやら考え込んでいる。
 「俺だろ、クルガンだろ…この2名は、生き残ってたはずなんだ…でもって、ユージン及びガード長は死亡、それから、ソフィアが…」
 そこで、顔を上げてソフィアを見る。だが、何となく…どう表現すればよいのだろうか、眩しそうな、ともちょっと違うな、別の所に焦点が合っているような顔だ。
 そういえば、仮にも好き合っていた男女が死に別れて再会したというのに、ちっともしんみりとした感動が見られないな。
 「あんたの記憶は?」
 硬い声で、ソフィアに聞く。
 「私?私の記憶は、貴方に会って、力を譲り渡したところで最後よ。………そう、貴方が『クルガンが好き』なんて言ったところね………うふふふふふ…」
 後半、目が据わっているぞ、ソフィア…そして、何故、俺の方を見る!そこで怒るべきはダークマターにだろうが!
 壮絶に命の危険を感じたので、俺は仕方なくソフィアに説明した。
 「その時点で、こいつが俺のことを好き、と言ったのなら、それは俺に対する嫌がらせだ」
 どう考えてもそうだ。あの時点では、こいつは俺のことをとことん嫌っていたからな。
 ダークマターは否定もせずにくすくすと笑っている。…正解か。
 それから、ふと真面目な顔になって、独り言を再開する。
 「てことは、やっぱりこれも死亡後ってことかな…武神に吸収されてたってことじゃなく、普通に魂の消滅…いや、神の御元へ?」
 ガード長もそれを受けて、一人語る。
 「ふむ、共通事項はクイーンガード…いや、余分が一名いるが」
 そこでじろりと一瞥をユージンへ。
 「うん、核として陛下がここに飛ばされてるなら、説明がつかなくも無いよね。俺たちは、陛下をお守りするために巻き込まれた、ってことで」
 巻き込まれた、という表現は気になるが。
 だが、陛下がこの時代へ!?
 死んだはずの者が3名もここにいるんだ、不思議ではない!
 「お探しせねば!」
 「はいはい、ちょっと落ち着いてねー」
 路地から飛び出そうとした俺の皮鎧の裾を、ダークマターが掴んでいる。
 「まだ落ち合う場所も決めてないっしょ?そもそも俺らがすっげー脆弱な存在になってることを忘れないように」
 脆弱…この俺が…疾風のクルガンともあろう男が脆弱…。
 「うむ、まずは全員で……王宮、には向かわぬだろうな。陛下も、仮にここにいらっしゃったとしたら、ここがいつの時代のドゥーハンかくらいはすぐに御理解なさるはず。ならば、御身分を隠しておられるだろう」
 俺たちですら、ここが過去のドゥーハンだと分かったのだ。聡明な陛下が分からぬ道理はない。
 さて、なら、陛下はどちらへ向かわれるか…。
 「第一候補、寺院。それなりに人が集まる場所で、かつ、そこそこ高尚な場所だから。でも、さっきはいなかったけどね」
 ダークマターが人差し指を立てる。
 「ふむ、第2候補、酒場。陛下とて、情報収集には酒場が適していることはご存じだ。だが、そのような低俗な場所に、いきなり足を踏み込まれる陛下ではない。もしも、陛下も我ら同様に駆け出しの冒険者風になっていたなら、の話だが」
 自分で言って、自分で心配になったのか、ガード長はイライラと手にしたメイスを自分の手に打ち付けた。
 …そういえば、ガード長は僧侶なのか…魔術師ではなかったんだな。
 「第3候補、冒険者が集まる、となると、では、冒険者ギルドかな?駆け出しの者ばかり集まっていて、目立たぬだろう」
 ユージンが3本目の指を立てた。
 最後にソフィアが4本目の指を立てる。
 「もしも陛下がお疲れなら、宿屋を探すのも手ね。まさか野宿をなさったりしないでしょうし」
 ダークマターの目がちらっとこっちに走って、それからすぐに逸れた。どうせ俺にはそれ以上良い意見などない。はなから意見を聞かれないのも業腹だが。
 ガード長が、もう一度手にメイスを打ち付けた。…いつもの杖のつもりでいるんじゃないだろうな…結構痛そうだぞ。
 「まずは、ギルドに向かう。その後、酒場で情報収集。夜になれば宿を探す。それで依存は無いな」
 俺たちは、一斉に頷いた。
 本来なら、各自が別の場所を探索するのが近道だろうが、何せ駆け出し冒険者だ。連れだって行動することになる。
 あまり団体行動というものを好かない俺だが、このメンバーなら何とか耐えられる。何せ、慣れ親しんだクイーンガード4人組だからな。
 …約1名、気を許せない奴はいるが。
 「それにしても、陛下をお守りするガードが召還されたとして、私は如何なる理由だろうな」
 その、気に食わぬ男が、歩きながら首を傾げるのに、ダークマターが、楽しそうに言った。
 「敗者復活戦じゃないか?」
 「はぁ?」
 「今度は、間違えずに陛下をお守りしましょうって、もう一度神様がチャンスをくれたんだよ、きっと」
 「…ありがとう」
 「神様に感謝するように」
 「そうだな、神よ、感謝します」
 ユージンは、厳かな表情で両手を組み合わせ、一瞬目を閉じた。
 その敬虔さに偽りは無いように見えるが…いや、まだ油断は出来ない。
 一度は謀反を起こした男だ。2度目がないと、誰が言える?
 

 ………それにしても………何故、ダークマターは、こうもこいつを庇うのだろう?



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