ただひとたびの






 僅かに膜を破るような抵抗を抜けて、彼らはそこに降り立った。
 赤とも青ともつかないような色彩の乱舞の中、人工的な床が宙に浮いている。
 「踏み外したら、どこへ落ちるのかな」
 「試すなよ?」
 「試しませんって。戻ってこられる保証が無いのに」
 苦笑しながら、ダークマターは一歩踏み出した。
 向こうの方には、巨大な影が数体彷徨いているのが見える。
 「神様ってのは、普通、上の方にいるもんだと思うんだがなー」
 リカルドが上を見上げて呟く。何層にも重なった人工的な通路の輪は、下にも見えるが、上にも連なっているように見える。
 「下に行くのは、容易いだろうが…」
 グレッグが下との重なりを確認した。だが、上に見える物体には、手がかりになりそうな突起も何も無い。忍者二人がどうにかして上に行って、ロープを垂らす、といったところだろうか。
 「どうする?ダークマター」
 クルガンは、ダークマターを振り返った。だが、その目が宙を見つめているのに気づいて、怪訝そうな顔になる。
 「おい?」
 「…あんたには、聞こえないの?…あんたを呼んでるのに…」
 囁くような声に、顔を顰めながらも、クルガンも耳を澄ませてみた。
 聞こえるものは何かの脈動、それに魔物の上げる叫び声、徘徊する音…。
 「…泣いてる…のかしら?」
 ルイが首を傾げてぽつんと言った。
 それでも何も聞こえないため、クルガンは仏頂面で他の面々を見た。それぞれ何かに耳を澄ませている様子だ。忍者の聴力は他よりも優れているはずなのに、何故俺にだけ聞こえないのか、と思いつつ、クルガンはダークマターの見ている方を見つめた。
 
  ああああああああああああああ

 何かが聞こえた気がした。
 ダークマターが宙に手を差し伸べる。
 「おいで、ダークマター・オリジナル」

  ああああああああああああああ

 「謝りたかったんだろ?クルガンがここにいるよ…クイーンガードダークマター、こっちにおいで」

  クルガン…クルガン?
   謝らなくては謝らなくては謝らなくては謝らなくては


 耳鳴りがした。
 甲高い悲鳴が脳を震わせる。
 「おい!ダークマターか?!どうした、攻撃されているのか!?」
 クルガンは思わず一歩踏み出した。それほど、その悲鳴は断末魔のようで、生きている人間のものとは思えなかった。
 ふいに。
 目の前の空間が揺れた。
 靄のようなものがわだかまり、徐々に色を付ける。
 いや、色など無かったのかも知れない。そこに存在したのは、全てを灰色で埋め尽くされた人間だったから。
 金色だったはずの髪は色が抜け汚れた灰色となってべっとりと肌にまとわりついている。肌の色は真っ白で、血の気が全く通っていない屍のようだ。
 裸よりマシ、と言う程度にボロボロになった布を身につけていて、見える皮膚は細かい傷で一杯だった。
 見開かれた瞳だけが…淡い水色を、辛うじて留めていた。
 
   謝らなくては謝らなくては謝らなくては謝らなくては

 ぶつぶつとただそれだけを呟きながら、それは自分の顔を掻き毟った。尖った爪が頬を破り、べろりと皮膚がテープのように垂れ下がる。
 
   ああ、ああ、ああ、ああ、ああ

 目から涙は溢れてこない。代わりに、皮膚が涙のように幾筋も垂れた。
 「止めろ!」
 クルガンが思わず手を伸ばす。
 だが、その体は彼をすり抜けた。
 
   謝らなくては謝らなくては謝らなくては謝らなくては

 「何つーかさー…俺の方が空しくなるじゃんか。あんたが俺の元かと思うと」
 がりがりと頭を掻いて、エルフのダークマターが呟いた。
 他の者は声も出せない。それの狂気にも似た罪悪感に押し潰されそうだ。
 「クルガン。あんたが呼んでやって。あんたに謝りたくて、まだ残ってんだから」
 あぁあ、と大きな溜息と共に、そう言うと、クルガンが彼の真正面に立った。蹲る彼に合わせて膝を突き、手を伸ばす。触れられないのは分かっているから、ぎりぎりのところで止めて、口を開いた。
 「ダークマター。聞こえるか?クイーンガードダークマター」

   クイーンガード…クイーンガード…そう…私は…クイーンガード…陛下を守れなかった…守れなかった守れなかった守れなかった守れなかった

 「んなもん、俺も一緒だ。いいから、さっさとこっちを向け、ダークマター。さもなきゃ殴るぞ」
 無茶苦茶言ってるなぁ、とその場の誰もが思ったが、他に良い言い方も思いつかないので黙って見守った。
 すると、両手で顔を掻き毟りながらぶつぶつと呟いていた彼が、のろのろとクルガンの方を向いたのに気づいた。
 
  クルガン…?クルガン…?クルガン…?

 「あぁ、クルガンだ。クイーンガードクルガン。お前にスコーンを散々作ってやったクルガン」

  スコーン…

 ふわり、と懐かしそうに彼が笑った。
 そうして、淡い水色の目に、理知的な光が宿り始めた。
 幾度か、目をしばたく。
 髪の色やボロは変わりなかったけれど、肉が見えるほどに掻き毟られた顔から傷が消える。

  クルガン…それに、ダークマター
  あぁ、みっともない姿を見せてしまったようだ…


 恥ずかしそうに、彼は立ち上がった。
 「全く。これが俺のオリジナルかと思うと、俺の方が身悶えするくらい恥ずかしいって」
 そんなことを言うエルフの頭をさりげなく殴っておいて、クルガンは人間のダークマターを見つめた。
 「ダークマター、俺はお前に…」

  あんたに、謝りたかった

 クルガンの重い声が、遮られた。
 目の前の体が薄れかけているのに気づいて、クルガンは無駄と分かっていて手を伸ばす。
 その姿が、頭を振って、また幾分はっきりとした。
 
  あんたに謝りたくて…何とか残ってたけど…もう、無理みたいだな…

 「何故、お前が俺に謝る?」
 何かが喉に詰まったような声で、クルガンは呻いた。
 「お前は…何も、悪くない。お前が、罪悪感を感じる必要は、どこにもない。むしろ、俺が…」

  言えば良かった…あんたに、全て言っておけば…あんなことには…

 見開かれた水色の瞳の焦点がぶれ始める。いびつに伸びた爪が、頬に当てられる。
 「ま、ねー。それは同意なんだけど…って、所詮俺なんだから、同じこと考えてるけどさ。でも、とにかく、反省は終わって、さっさと謝って楽になってくんない?俺の方が潰されそうだから」
 同じ顔のエルフのイヤそうな声に、彼の瞳に焦点が戻り、手が降ろされた。
 
  すまない…お前にも、謝らなくては…
  何もできなかった私の代わりに…作り上げてしまったダークマター…


 「…自分に謝られるって、変な気分」
 エルフはイライラした調子で髪を掻き上げた。
 「俺の方は、別に良いよ。ろくでもない存在だけど、目的意識ははっきりしてるから、安心して。…あ、念のため聞いておきたいんだけどさ。あんたが残ってんのは、何でさ。全部転送出来なかった理由は?」

  あぁ…新しい自分には…醜い感情を移したく無かった…
  ただ…綺麗な感情だけ…持っていて欲しかった…


 「あ、そ…そうしたら、感情全部持って来損ねた、と…アホですか、あんたは…いや、俺なんだけど…」
 がくぅっと床に突っ伏したエルフの頭をわしわしと撫でてやったクルガンは、僅かに唇を上げて彼に言った。
 「ま、何だ。こいつの面倒は俺が見といてやる。…あの頃から、お前の面倒を見るのは、俺が一番得意だったからな」

  あぁ…面倒をかけて…すまない…

 灰色の影が、一瞬膨れ上がって、また収束した。

  謝りたかった…謝りたかった…
  あの時、あんたに何も言わなかったことを…その後も、あんたに合わせる顔が無くて…事実を言っておけば…もっと早く、真相に辿り着けたのに…

  
 「そんなことは無いだろう。あれは…不可抗力、ってやつだ」
 「ちょっと。黙って聞いておいてやって。…本当に、もう駄目っぽいから」

  すまない、クルガン…本当に、すまない…
  あの時のことも…それから…陛下をお救いする役目を、あんたに押しつけることも…


 「ふん…クイーンガードとして当たり前のことだ。押しつけられたつもりは無い」

  あぁ…陛下…ソフィア…長…クルガン…
  みんな…大好きだった…笑っていて欲しかったんだ…
  なのに…それなのに…

  
 彼はゆるゆると首を振った。
 その体が滲んでいく。

  すまない…クルガン…すまない…すまない…
  …陛下…ソフィア…長…


 体が、灰色の霧に代わっていく。そうして、拡散していって…最後に、水色の光がちかりと瞬いた。
 誰もが無言で見送る中、金髪のエルフがようやく立ち上がって、足下の小石を蹴った。
 「はいはい、ご苦労さん、オリジナル。さっさと自分だけ楽になりやがって、ずるい」
 「…楽に、なったのか?あいつは」
 ぼんやりとまだそこへ目を向けているクルガンを、ダークマターはじろりと見た。
 そして、投げやりな調子で言う。
 「なったんじゃないの?死ぬってことは、そこで意識が途切れておしまいってことでしょ?もう、罪悪感に苛まれることも無いんだからさ。ああやってバンシーみたいに彷徨いてるよりは、楽でしょ」
 相手が自分と思って言いたい放題だ。
 「そういえば…結局、俺はあいつに謝れないままだったな」
 言いかけては遮られたため、はっきりと謝罪の言葉を口に出来ないままだった。何となく落ち着かない気分で、クルガンは頭を振った。
 まあ、自分の性格から考えて、謝罪したくて残ったり、人生最後の言葉が謝罪になったりはしないと思うが、とクルガンは自分を慰めてみた。
 そういえば、とクルガンはダークマターを見た。
 「何さ」
 「いや…お前には、最後の言葉が『すまない』じゃない人生を送らせてやりたい、と…」
 「うーん…『ぎええええ!』とか?」
 「…いや、そう言う意味じゃ無いぞ」
 背後からは、ルイの「うーん、どうせならもう一声。『俺がお前を幸せにしてやる』くらいは言って欲しいわ」などという呟きが聞こえたが、さくっと無視する。
 ダークマターが盛大に伸びをして、体の骨をぱきぱきと鳴らした。
 「さーて、気分も滅入ったところで、神様倒しに行きますかー」
 「滅入ってどうする、滅入って」
 とりあえず突っ込んでおいてから、頭を切り替える。
 実際、通路の向こうの方にいた魔物の影が、こちらに近づいてきている。気を引き締めて行かなくてはならない。
 「じゃ、行きますか」

 
 近寄ってきた魔物を倒し、安全を確保した状態で、ロープを垂らしながら下の階層へと移る。
 何度かそれを繰り返して、段々狭くなる通路から下を覗き込んだグレッグがダークマターに報告した。
 「一番下の階層から、魔法陣の輝きが見える」
 「あっそー。このままじゃ埒開かないし、行ってみますかー」
 そうと決めれば、ちょっと降りるときにグレーターデーモンの頭を踏んづけたとしても、構わず下へと飛び降りるだけ。
 2回ばかり、ひょいひょいと輪状の通路から飛び降りて、光の中へと足を踏み入れる。
 そうして、転移した先は…最初に出てきた通路の上の階層だった。
 「いねーな、神様」
 てっきり上の階層にいるものだと思いこんでいたリカルドが、肩すかしをされて不本意そうに口を尖らせた。
 「うーん…まだ、あっちに転移っぽい光が見えるから、行ってみようか」
 が。
 ダークマターが選んだ道はことごとく外れだったようで、何度も元の位置に戻っては、下へと飛び降りるのを繰り返す。
 「だんだん慣れてきたわねー。あら、失礼」
 シルバードラゴンの尻尾に着地したルイは、ほほほと笑いながら下へと飛び込んだ。
 「…ま、今は見逃しておいてやるか」
 最後尾のクルガンは、こちらに向かって大きな口を開いたシルバードラゴンに、惜しそうな目を向けてから下へと飛び降りた。自分の方が危ない、という意識は全く無いらしい。
 そうして、また上の階層に着き。
 「おい!そっちは、さっきも行っただろうが!こっちがまだ試してない転移だ!」
 「え〜そうだったっけ〜」
 感覚だけで進んでいくダークマターに、クルガンが手元の地図を見ながら怒鳴る。
 「あっはっは、マッピングご苦労」
 「お前らに言われたく無いぞ!」
 騒がしく言い合いながら走っていた彼らは、最後の転移陣の前で、人影を発見した。
 「あれは…長と…あー、陛下、だ」
 ダークマターは何と言おうか悩んだ末に、結局『陛下』という単語を言いにくそうに発音した。
 二人が振り返る。
 「ふっ…お前たちのおかげで、ここへと至る道が開いた。感謝するぞ」
 「…あ〜、長には抜けなかったんだ、あれ」
 どうやら、クイーンガードの剣を抜いた後で、レドゥアとホムンクルスはやってきたらしい。それが先行しているとなると。
 「…お前の運が悪くて、迷いまくるから…」
 ぼそり、とクルガンが呟いた。それは聞こえないふりをして、ダークマターは長を見つめた。
 「どうするつもりです?あれのところに行っても、陛下の魂を素直に渡してくれる訳無いのに」
 「わたくしは、人となるのです…オティーリエの魂を得て、本物の人間に…!」
 長に縋り付くように立つ『女王』が、うっとりと夢見るように言った。
 「…うわー…何つーか…びみょー」
 ダークマターは困ったように頭を掻いた。
 「実際、俺っていう例があるから、容れ物と魂があれば…だけど。でも、肝心の魂がなー」
 「まさか…そのために、なのか?」
 クルガンがレドゥアに詰め寄った。
 「そのために、王宮の他の責を全て放置して、何人もの部下を犠牲にして…!陛下の魂を、取り戻すために…!」
 「何が、悪い。クイーンガードクルガンよ。全ては、陛下の御ため。女王陛下さえ取り戻せば、ドゥーハンの復興は後から付いてくる」
 「いや、だからぁ。陛下の魂は、もうあれの核に使われてるから、あれを壊すイコール陛下の魂は天へと召される、ってことなんだけど」
 「そうはさせぬ!私は、オティーリエの魂を取り戻す!」
 ホムンクルスの手を引いて、レドゥアが魔法陣に身を踊らせる。
 「うーん…仮に、本当にそれが可能なら、陛下の魂を取り戻すのは大賛成なんだけどさー」
 「可能なのか?」
 素早く聞いたクルガンに、ダークマターはゆっくりと首を振った。
 「もし、白ワインのグラスの中に、一滴垂らした赤ワインを取り出すことが可能なら」
 「…無理じゃねーの?それって」
 「何故、自信が無いように言いますか」
 「いやー、魔法の力を使えば可能!とか言われると分かんねーなーと思って」
 「そんな魔法聞いたことないわ」
 「俺も」
 「…で、何をぐずぐずしているんだ!行くぞ!」
 転移陣の前でしみじみ語り合っている彼らを、イライラとクルガンが遮った。
 自分だけでも飛び込みそうな姿勢を見て、ダークマターが溜息を吐く。
 「ま、行きますか。長がどんな行動するのか、ちょっと間をおいてみたいとも思ったんだけど」
 そして、彼らは全員で転移陣に乗った。


 風景が少し変わった。
 相変わらず、<空>は赤とも青とも付かない色で埋め尽くされていたけれど、色彩がやや暗い。
 そして、遠くからでも、その巨体はよく見えた。
 「あれ、が、神さんなのかー」
 それと戦うことを想像したのだろう、リカルドがうんざりしたように言った。
 見るからに装甲が厚そうな金属質の体は、まだ地面に腰から下が埋まっており、上に乗った人に似せた顔は、目を閉じて目覚めていないようだった。
 そして、その額には。
 「女性…陛下、か?」
 クルガンが目を細めて呟く。ダークマターも目を細めて見るが、体の半ばが<神>の顔に埋もれた状態では、どうもはっきりしなかった。
 足早に一本道を駆けていく。
 あと少しで<神>のいる場所へと辿り着く、という地点で。
 ぎろり、と<神>の目が開いた。
 それは、彼らではなくもっと下の…レドゥアとホムンクルスを見たようだった。
 「おぉ、何故、我と一つになるのを拒むのか」
 女王陛下の声に似ていて、同時に人間の声では無い響きが、彼らの耳にも届いた。
 「オティーリエの魂を返して貰おう!そうして、私は私の愛しいオティーリエを取り戻すのだ!」
 「え…レドゥア?わたくしは?」
 無邪気な声が、レドゥアに問う。
 「わたくしを、人間にして下さるのですよね?わたくしを…オティーリエではなく、わたくしを…」
 「黙れ!愛しいオティーリエの体で、不埒な真似をするな!」
 縋り付き、レドゥアの首に腕を回したホムンクルスが、払われて崩れ落ちる。
 「何故ですか…?わたくしを…愛して下さるのでは無かったのですか?」
 それでも、その声に恨みは混じらなかった。ただ心底不思議そうな響きがあるだけだった。
 <神>がゆっくりと瞬いた。
 「なるほど。それがあるために、汝は我と一つにならぬのか。では、心残りを消してやろう」
 古代魔法語の詠唱も何も無かった。
 ただ、目の光が強くなっただけであった。
 だが、その瞬間、ホムンクルスの体が紅蓮の炎に包まれた。
 「おぉ…オティーリエの体が…美しいオティーリエの体が…!」
 「…レドゥア…」
 思わず手を差し伸べるレドゥアに、ホムンクルスの体が飛び込んだ。
 「わたくしの…もの…愛して……」
 レドゥアの体にも炎が燃え移る。
 「オティーリエ…オティーリエ…!」
 
 「うわっちゃー…間に合わない…よねぇ」
 「下手に間に合っても、どうしようも無いだろう」
 元部下二人が身も蓋もないことを言いながら、黒焦げになっていく二人を見送った。
 炭化した体が、風に吹かれて消え失せた頃。
 ようやく彼らは<神>の前に辿り着いた。
 きろり、と目が動く。
 「我と同化せぬ魂が、まだそんなにいるか」
 「いるいるいるいる一杯いる」
 ダークマターは、宿で休んでいるはずの3人や、仲間にはなっていないが知り合いの冒険者たちを思い浮かべた。
 「あいにく、お前如き機械人形と同衾する趣味は無い」
 「あ、俺の望みは、お前さんをぶっ壊すことなんでな、心残りを消すっつー意味で、自分で壊れてくれてもOKだぜ?」
 「私はただ、我が主君の思うままに」
 「陛下やみんなの魂返しなさいよあんたのために生まれて来たんじゃないのよ」
 「さあ…楽しく、ダンスをしようじゃないの」

 「ま、そういうわけなんで。せっかく起動したところに悪いけど…停止コードが分からなかったんで、破壊しちゃうってことで、勘弁ね」

 ダークマターが、刀を抜いた。
 同時に、背後の仲間もそれぞれの武器を構える。

 「ふ…我を倒す望みを消し、同化させてやろう…そして、永遠の夢に漂うがよい…」
 
 <神>が、その体を震わせた。腕を引き抜いた衝撃で、地面が揺れる。

 「それじゃ、ま、いつも通りの戦法でね」







 <神>の女性の面が、信じられない、といった表情を浮かべた。
 その顔も、体も、多数の傷が付けられ、幾つかの傷の奥からは機械のコードが覗き、電流がぱちぱちと音を立てている。
 「我は…<神>…唯一の…」
 「残念でした。あんたは、ただの機械人形です。古代エルフによって<造られし者>」
 <神>は、己を破壊しようとしている小さな存在を見下ろした。
 金色の髪、白い肌、優美な痩身、尖った耳…<何か>を思い出しかけて、<神>は己の思考を中断した。
 「違う…我は…我は…」
 
  いいえ、貴方は<造られし者>です

 <神>の内部から、威厳に満ちた女性の声がした。

  古代エルフの<負の遺産>…貴方の役目は終わったのです。もう、お休みなさい。

 「違う違う違う我の存在は人々を幸せに導くこと永遠に我がかいなにて安らぎを与えること」

 <神>の内部で、何度もスパークが走った。
 次第に低下していく機能の中で、<神>は己の体からエネルギーとなった魂が抜けていくのを感じていた。
 「何故、安ラギヲ、拒ムノカ?」
 ひび割れた声に、エルフの妙に楽しそうな声が答えた。
 「うーん、それの答えは俺は持ってないからー。リカルド、どうぞ。人間の幸せとはっ」
 「え?えぇっ!?お、俺かよっ!…えー、ごほん。幸せとはっ!己の手で掴むものであって、誰かに強制的に与えられるものではないっ!…かーっ!照れるねぇっ!」
 聞こえる音を解析して、意味を判断するのに、時間がかかった。
 <神>は、そうか、と一人ごちた。
 彼らは、<特別な>人間ではなかった。
 ごく一般的な能力の者たちでしかなかった。
 だが、その<普通の>存在は、<神>の優れた至高の安らぎよりも、自分たちの泥臭い生活を、より良きものとしか理解できぬらしい。
 素晴らしき夢を見せてやるのに。
 そう、病も無く、死も無い。皆が平等で、争いの無い世界。
 美しく気高い人々が住んでいた……あの、世界を。

 <神>は、その世界を想った。
 素晴らしき<理想郷>。
 知っている。その世界は、確かに存在したのだ。
 何故なら、そこで造られ……


 そうして、<神>は、機能を停止した。






 「崩れるね」

 「あぁ」

 <神>の体が小さな爆発を起こしながら砕けていく。
 それと同時に、『地面』も、割れていく。
 もはや立つことも不可能な状態でありながら、彼らは穏やかな顔で座っていた。
 どこから来たのかも分からない。
 ただ宙に浮かぶ『地面』にいるのだし、それも崩れて行っている。
 そもそも、逃げよう、という意志も無い。
 <神>の体からは、白い光が無数に立ち上っていっている。
 それを見上げて、ダークマターは、笑った。

 「綺麗だねぇ」
 










 

 ふわり、と頬が何かに撫でられた気がして、ダークマターは目を覚ました。
 頭を振りながら身を起こす。
 固い地面、頬を撫でる風。
 そして、体中に感じる痛みが、自分はまだ生きているのだ、と伝えていた。
 擦り傷だらけの手を舐めると、血の匂いが口の中に広がった。
 
  生きている。何故。

 ぼんやりと、彼は周囲を見回した。
 その景色には、彼本人は見覚えは無かった。だが、『ダークマター』の記憶が、そこはドゥーハン市街を見渡せる丘…彼のお気に入りの場所で、ソフィアと最後に会った場所であることを教えてくれた。
 だが、記憶の中の景色とは随分と違う。
 削れたような城、えぐり取られた地面。
 周囲の町並みも、皆、廃屋で、生き物の気配も、草一本さえも見られない。
 ただ。
 彼は、ふと手をかざした。
 太陽が、出ている。
 覆い尽くすような雲が晴れ、雪が止んでいる。
 では、彼は、この国を救ったのだ。
 ダークマターは唇を歪めた。
 生き物の気配の無い、ただ死の静寂だけが存在するこの国を、『救った』と表現するのならば、だ。
 
  ダークマター

 誰かの声がした。

 彼は、空を見た。
 暗さに慣れた目には眩しすぎる青空を、目を細めて見上げる。

  ダークマター

 「…陛下」
 自然と、体が臣下の礼を取る。
 
  ダークマター。礼を言います。
  貴方は、わたくしの魂も、ドゥーハンの民の魂も、救い出してくれました。


 「別に…」
 乾いた声が、淡々と呟く。
 「俺は…ただ…それしか、無かったから…」
 焦点の合いにくい水色の瞳が、空を映した。
 「礼なら…オリジナルにどうぞ」

  ダークマター

 空の女性が、何かに呼ばれたかのように、ふと彼から目を逸らせた。
 
  わたくしは、もう、参ります。
  わたくしの謝意と、ソフィアの謝意、そして、ドゥーハン国民全ての願いを以て…


 続きは、風に流れた。
 掴もうとしても掴めない幻のように、姿が溶けていく。

 しばらく、彼は礼をとったままの姿勢でいた。
 それから、ゆっくり立ち上がる。
 「…どうしろって?」
 そう、呟いた。
 「俺に、どうしろって?残ってるのは、俺だけ?俺は目的を果たしたのに、何故、俺も連れていってくれない?」
 両手を空に延ばす。
 だが、彼を迎えに来る者は、どこにもいない。
 ただ、冷たい風が指の間を通り過ぎるだけ。
 「はは…はははははは…」
 笑い声が、喉から漏れた。
 「何でだよ!何で、俺だけ……!」
 
 どこにもいない。
 生きているものは、誰もいない。
 あの陽気な騎士にも。生真面目な顔をして突拍子もないことを口走る忍者にも。ひたすら喋り続ける勝ち気な司教にも。妖艶な笑いを浮かべる元盗賊の司教にも。そして…懐かしく憎たらしいあの筋肉馬鹿忍者にも。
 二度と、会えない。
 どこにも、いない。

 心臓が、死に神に握り締められたような気がして、彼は胸を押さえた。

  「死」とは、もう二度と再び会えないことなのだ。
 
 初めて、気づいた。
 そして。
 真っ黒な絶望が足下から浸す。

 自分は、彼らのことを『好き』だったのだと。
 もう会えないと思うと、こんなにも恐ろしいほどに、彼らのことが『好き』だったのだと。

 「何で…今頃…こんなことなら…理解できない方がマシだろう!?」

 答える者は誰もいない。
 慟哭と哀惜に声が嗄れるほど叫んでも、ただ冷たい風が吹き抜けるだけ。
 彼らの言葉や動作が目の裏に浮かぶ。
 あぁ、彼らは彼のことをあんなにも大切にしてくれていたのだ、と。
 そして、自分も、彼らのことが大切だったのだ、と。
 無くさないと気づかない、なんて、何て馬鹿なのだろう。

 見開いた目には、相変わらずものの動く気配もない静かな世界が映っている。
 「…何だ、簡単なことじゃないか」
 彼は呟いた。
 問題解決は、簡単なこと。
 責務を果たしたのに、機能停止しない容器。
 もう二度と会えない大切な人。
 彼は唇に微笑みを浮かべて立ち上がった。
 簡単なこと、簡単なこと。
 腰の刀で、心臓を一突き。
 あぁ、それよりも、崖の下に飛び降りるのはどうだろう?その方が、この役立たずな容器を滅茶苦茶に壊せて良いかも知れない。
 
 けれど。
 もう一つだけ、彼には出来ることがあるから。


 彼は、空に向けて歌った。
 天へと召された陛下のために。
 彼を愛してくれたソフィアのために。
 唯一人のために全てを切り捨てた長のために。
 大切な部下のために。
 全ての民のために。
 そして、大事な大事な仲間のために。
 その魂が、天の門をくぐるよう。
 安らぎと光に満ちた世界にいられるよう。


 じきに、声は掠れ、喉から血が滲んでも。
 彼は歌い続けた。
 青かった空が、端からオレンジ色に変わっていく。

  綺麗だな
  この世界は、本当に、綺麗

 微笑んで、彼は空に手を伸ばした。
 この空が、闇に覆われたら、一歩踏み出そう。
 彼が辿り着くのは、彼らとは違って闇の世界だろうけど。



  ほらな、こっちから声がするだろう


 自分の嗄れた声以外に、何かが掠めた気がした。


  うっそー、マジでこんなところに?
  一体、いつの間にここまで



 彼は、空へと向けて歌い続けた。


  もう疲れちゃったわよ何でダークマターだけこんなところにいるのよ
  さあねぇ、私たちを迷宮入り口まで飛ばしてくれたのも、誰だか分からないけど



 振り返らない。
 振り返って、誰もいないのが、怖い。


  おい、ダークマター!そんな危なかしい場所に突っ立ってるんじゃない!
  いや…あれでも高レベル侍なんだから、そんなガキにするような心配しなくても
  あれはガキだ!見かけはそこそこだが、とんでもなくガキだ!
  まあ、生後1ヶ月ではな



 だんだん、大きく聞こえてくる、声。
 神様。
 神様、どうしよう。
 もし、振り返って誰もいなかったら、それだけで俺の心臓は破裂しちゃうよ?


  こら、いい加減、こっちに来い!
  む、抜け駆けは許さ〜ん!
  へーへー、二人とも頑張ってくれや



 駆けてくる、音。
 そうして、肩に触れる、温度。

 彼は振り向いた。
 目を瞑ったまま、振り向いて、身を投げ出した。
 「うわっ!こ、こら、ダークマター!」
 「ぎゃあああ!どうせなら、私の胸へ〜!」
 「…いや、だから…それ、楽しいか?お前ら」
 「あぁもうびっくりしたわダークマター全然振り向いてくれないから幻かと思っちゃったわ」
 「あらやだ。ダークマター、泣いてるの?」
 
 まだ目は開けない。
 開けようにも、次から次へと熱いものが目から溢れていて、開けられそうにない。
 頬に感じる温かな感触。それは、ゆっくりと拍動している。
 彼は、それをもっと感じていたくてしがみついた。
 ぎゃー!という悲鳴と、引き剥がそうとする力に抗って、しがみつく全身に力を込める。
 やがて諦めたように溜息が吐かれ、ぐりぐりと頭が撫でられた。


 「…ありがとう…」


 誰にも届かなかったかも知れないけれど、それだけは言わなくては。


 生きていてくれて、ありがとう。
 俺のところに来てくれて、ありがとう。
 
 神様、この人たちを返してくれて、ありがとう。

 それから、俺。
 俺を作ってくれて、ありがとう。




  わたくしの謝意と、ソフィアの謝意、そして、ドゥーハン国民全ての願いを以て、ひとたびの奇跡を…






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