滑り落ちていく砂時計の粒 下
迷宮の外に現れた彼らは、酒場ででも時間潰しするか、と足を向けかけてぎょっとした。
リーダーが、すたすたと迷宮に向かって歩き出したからである。
「え…?さすがに、こんなにすぐじゃ、まだいないと思うけど?」
「どうかな」
奇妙に歪んだ表情で、ダークマターは小さく笑った。
「時間の概念があるのかな?彼らには」
それはいくら何でもひどい、と抗議しかけて、リカルドは声に出すことなくそれを飲み下した。ダークマターに言われて初めて、『その』可能性に思い至る。
「…まさか…」
あんなにも生き生きとしている彼らが。
「い、いや、だってよ、アンマリーは、閃光の原因を調査にドゥーハン以外から来たって言ってんだろ?だから…その…」
言葉にすると、本当にそうなってしまいそうで、残りは口には出せない。
「それも一つの考え方。だけど…」
淡い水色の瞳に、瞳孔が広がった。
どこか遠いところを見ているような顔で、首を傾げる。
「クルガン。もしも、首都が壊滅状態になったら、どうする?」
「どうする、の範囲は広大だが?」
「あぁ…つまり、第17代女王陛下が崩御された可能性がある場合、周囲の反応はってこと」
「もしも、陛下が亡くなられたら」
クルガンが腕を組んだ。その顔は、鋭く彫り上げられた像のように厳しくなり、これが公式な場でのクイーンガードの表情か、と彼らの気分を引き締めた。
「ハンザルのオルタニア姫が後継となるはず。ならば、そこから調査隊が来るはずだな。かなり大規模な。それに復興支援のための人材も派遣されるはずだ」
「それ、来た?」
「いや」
そして、苦笑して己の手首を押さえた。
「今の今まで、そんなことは思いもしなかったな。…なるほど、俺も術中か」
とくとくと、いつも通りに脈打つリズムを確認して、首を振る。自分が死んだとは思わない。だが、何かがおかしいのも確かだった。
「まあ、俺にとってみれば、陛下も城下も、変わりなく安泰に思えていたからな…多少雪が降り続くくらいで」
「…あんたの場合、術がかかってんのか、素で大雑把なのか分かんないからなー…痛い!痛いです、クルガンさん!」
スリーパーホールドを無言でかけられて、ダークマターは己の首に巻き付いた太い腕をがしがしと叩いた。
「まあ、どうでもいいだろう。俺は自分の意志で動いている。何も問題はない」
「…やっぱ、大雑把の方…んぐぐっ!」
宙に持ち上げられて、ダークマターは顔を真っ赤に充血させ、げしげしと背後の男を蹴った。
まあ、クルガンも本気でない証拠に、首だけに体重をかけずに体を支えているし、ダークマターの方も抗議の意志表示程度にしか攻撃していないが。
「仲良くじゃれ合ってるのはいいけど、結局、何が言いたいの?ダークマター」
ルイが、何が楽しいのか、やたらとにこにこしながら言った。
「え…ああ、うん。よいしょっと」
地面に降りて、自分の首をさする。
「俺の推測では、ドゥーハン全体が閉じられてるんじゃないかと。誰も出られず、誰も入れず」
「あらヘルガは出ていったじゃない」
「出ていく、とは本人から聞いたけどね。出て行くところは誰も見てない。そして、その後もヘルガを見た者は誰もいない」
「だって出ていったんだから当然でしょそれにあたしだってここに来たのは閃光の後だわだってあたし誰かの役に立ちたいってずっと思ってたけど閃光の話を聞いてこれは誰かの役に立つ絶好の機会だわって…そう思って…あら?そう思った…はずなのよ…」
急に自信がなくなったように、サラの声が弱くなった。何かを振り払うように、何度も頭を振る。
その彼女の頭をリカルドが撫でた。
「ま、いーじゃねーの。無理に思い出さなくてもよ。…ちなみに、俺はドゥーハンが閉じてるってな推測には反対」
あまり他人の推論には口を挟まない(難しいことは考えない)リカルドが、きっぱりとそう言ったので、ダークマターは怪訝そうな視線を向けた。
リカルドは、決まり悪そうに頭を掻いて、それから思い切ったように言った。
「だってよー。…俺が死んだのは、ドゥーハン城下じゃなくて、ちょい離れた街道だったぜ?」
言ってから、胸を押さえる。数秒して、上げた顔は、妙に晴れ晴れしていた。
「あー、びびった。死んだのを認めたら、マジで死ぬかと思ったぜ〜。いやー、割と無事なもんだなー」
あっはっは、と陽気に笑うリカルドに、ダークマターは呆れたような視線を流してから、考え込んだ。
「…なら、思ったより範囲は広いのか…まさかベノア中ってことは無いはずなんだ。いくら陛下が古エルフの遺伝子を持っていたとしても、本物じゃない以上そこまでの威力が出るとは考えにくい」
「…いや、リーダー。そっちじゃないところに注目して欲しかったぜ…」
肩を落とすリカルドに、ダークマターは小首を傾げた。
「どう言えってのさ。…どうやって死んだか聞けっての?」
「おー、聞いてくれたら答えるぜ?俺はな…思いっきり見捨てられたんだよ。当時の『仲間』に」
顔を顰めて、リカルドは天を仰いだ。瞼に落ちる雪に、目を閉じて、また彼らの方を見る。
「俺は仲間が怪我すりゃ見捨てず手助けしようとしたさ。だけど、あいつらは、俺を見捨てた。…ドゥーハンまで後少し。ちょっと運んでくれりゃ、助かったかも知れねーのによ」
あぁあ、と大げさに肩をすくめる。
「死にながら、俺はずっと考えてたんだ。『仲間って何だ?信頼って何だ?命を懸けられる絆って何だ?』ってな。あまりにも悩みすぎて、怨念残っちまったかなー」
また、リカルドは笑った。そのやけにさばさばした笑いに同調するように、ルイも話し出した。
「それに比べたら、私なんて何で残ってるんだか。私はドゥーハンの繁華街にあったバー『ニードルペイン』でカードやってたはずなのよ。そこで多分、閃光の時に天井の下敷きね。…死体があったとしても、潰れちゃってるでしょうねー」
想像したのか、イヤそうに眉を顰めてから、ルイは拳を握った。
「すっごい良い手が来たはずなのよ!観客総立ちになるくらいの大逆転の手がね!それをあの閃光がふいにしたのよ!死んでも死にきれるもんですか!」
かーっと握り拳を突き上げてから、からからと笑った。
「悪いわねー、大した理由じゃなくて!」
グレッグは、黙って聞いていたが、ふと口布を押し下げて、ぽつりと言った。
「私は…」
「「祭壇で死んだ」」
リカルドとルイの声が重なった。
「……ま、そういうことだ」
苦笑して、グレッグはまた布を戻した。
「あの場に死体は無かったがな」
「…あったらシュールだろ…」
ちょっと想像してリカルドはくすくすと笑った。
ダークマターが無表情に言う。
「大丈夫、魔物が食ってくれてるから。…あぁ、それとも」
少し考えてから、じっとグレッグを見つめた。
「今のグレッグを作る材料になってるかもしれない」
「おぉっ!ロッティングコープスか!ロッティングコ−プスなのか〜!」
わざとらしく飛び離れるリカルドに、グレッグはゾンビっぽい手をしながら迫った。
「君も一緒だ!」
「だよなー!これが、ホントの仲間ってか!」
わははは、と豪快に笑うリカルドに、クルガンは思わず顔を手で覆いつつ座り込んだ。
「…暢気な連中だな…」
その言葉に、彼らは顔を見合わせた。
「だってよー」
「なぁ」
「死んでても、生きてれば、OK!」
3人揃ってびしっと親指を立てる。ダークマターはとりあえず「生きてない、生きてない」と手を振った。
「あぁあ〜」
ひどく陰鬱な声がして、彼らはそちらを見た。
サラがしゃがみ込んでいる。
「私も死んでるわねこれははっきりとは思い出せないけど言われてみれば私閃光の前にここに来てるのよそれで手は余ってますなんて門前払い食らわされてこれからどうしようかしらって宿屋にいたんだわ」
うー、と唸りながら、サラは頭に手をやった。そのままぶんぶん首を振る。
「イヤだわイヤだわ私ずっと死んでたのね」
「…いやまー、死んでたのは俺らも一緒だが。ま、いーじゃねーの。とりあえず、動いてるんだし」
「だって切ないわよせっかく人の役に立ってると思ったらそれは全部死んでからだなんて何よ私は死ななきゃ人の役に立てないってわけ!?じゃあ何!?私は結局誰の役にも立てないまま死んだってことなの!?冗談じゃないわよ私はねーっ!やれば出来るんだったのよーっ!!」
最後は絶叫して、項垂れ、それから顔を上げた。
「あーすっきりした」
その顔は、言葉通り清々しさをたたえていた。
立ち上がって、腕をぶんっと振り回す。
「私の場合はきっと人の役に立ちたかったのにまだ何にも出来てないから死に損ねたのねああ死に損ねたって言うのは語弊だけど」
「いやー、俺も何かすっきりしたぜ。薄々疑ってたのを言葉に出して認めてよ」
上半身を捻る体操をしてから、リカルドは剣の柄をぽんっと叩いた。
「認めても死なねーってことは、糞ったれな神さんをやっつけるまで大丈夫ってことだよな。よし、OK」
うんうん頷くリカルドを見て、ダークマターは視線を迷宮にやった。
「それじゃ、そろそろ行きますか、死人の皆さん」
「はーい!」
手を挙げないクルガンをじろりと見て、しかし何も言わずに彼らは迷宮へ繋がる通路へと進んだのだった。
そして、迷宮に入る扉の前で、3人に会う。
「遅い!遅いぞお前ら!アンマリーを待たせるんじゃねぇ!」
怒鳴ったオスカーが、きょとんとする。
その言葉を聞いた途端に、彼らが笑い出したからだ。
リカルドとグレッグが、ぱんっと手を合わせた。
「仲間〜!」
「うむ、これは間違いなく仲間だな。我が主君のご明察に感服しよう」
オスカーとリューンが笑っている彼らを見て、ぶつぶつ言う。
「なんか、感じ悪いよなー」
「まったくだぜ!」
ダークマターがひらりと手を振った。
「ま、気にしないで。こっちの冗談だから。…で、ファイヤドラゴン狩りだけど」
「お、おぅっ!どの階でもOKだが9階から10階に降りる階段前まで、ファイヤドラゴンを狩った数で勝負だ!見ててくれ、アンマリー!アンマリーのためにファイヤドラゴンを狩って見せるぜ!」
「…あらおかしいわ、リューンが格好良く見えるわ。…そんなわけないのに」
最後の言葉は無視して、リューンが胸を張った。
どうでもよさそうに気の無い声でダークマターが問う。
「で?どのくらい狩ればいいのさ。50頭とか言われると困るよ。時間が無いから」
あくまで時間の問題、と言い切る彼に、ちょっとイヤな顔をしてから、リューンはにやりと笑った。
「いつものように力づくで聞き出せ…と言いたいところだが、今回はちょっと違う!俺が頭も良いところを見せてやるぜ!頭脳戦だ!」
「…あ、そ。はい、どうぞ」
「言っておくが、お前だけだぞ!?他の連中に聞くのは反則だ!」
「いいよ」
あっさりとダークマターは頷いた。自慢じゃないが…というか『自慢』という感情も無いが…自分が一番知識があるとの自信があるのだ。
実際、古代エルフ語から現代戯曲まで、教養部門なら結構な記憶があった。
リューンは、少し唸ってから、手を叩いた。
「第一問!ザクレタは何レベルの魔法か、次から選べ!1.レベル2…」
「レベル3」
最後まで聞くことなく、ダークマターはさらっと答えた。
「…侍に魔術師魔法のことを聞くなんて、馬鹿みたいだわ…」
「だ、第2問!ガード長のフルネームは、1.レドゥア=アムルセイ…」
「レドゥア=アルムセイ」
「…クイーンガードに長の名前を聞くなんて失礼だわ…」
リューンは冷や汗を垂らしつつ、無表情に立っている目の前のエルフを睨んだ。
いくらクイーンガードで上級職のエルフとはいえ、弱点はあるはずだ。
リューンは、うんうん唸り。
くくくく、と地を這うようなおどろおどろしい笑いを喉から漏らして、リューンは顔を上げた。
「こうなれば、禁じられた最後の一手を使うしかないようだな…」
一瞬、緊張の走った背後の仲間を手で抑えて、ダークマターは相変わらず気の無い声で促した。
「はい、どうぞ」
「食らえ!我が最大奥義!!」
リューンがびしぃっと人差し指を突きつけながら叫んだ。
「<P−っ!>の<バキューン!>とは、何だっ!?」
ひゅおおおおおお
迷宮を、風が吹き抜けた。
初めて、ダークマターの顔に困惑が浮かんだ。
「<Pーっ!>の<バキューン!>…?」
「綺麗な顔でそんなことを口にするなっ!」
「……は?だって、あんたが言ったんじゃんか」
ますます困惑を深めて、ダークマターは背後を振り返った。
クルガンは、これ以上もなく苦々しい顔をしている。
ルイは頬を染めながらもにやにやしている。
グレッグは何やら殺気を込めてリューンを睨んでいる。
リカルドはサラの耳を塞ぎ、サラはじたばた暴れている。
「言っとくが、相談はするなよ!」
「…それは、分かってるけど」
どうやら、仲間たちはその言葉を知っているらしい、とダークマターはますます首を捻った。どうやらでっち上げの言葉では無いらしい。
彼らが知っていて、自分が知らない単語…ということは、一般教養では無い。ドゥーハンで彼が地上にいない間に流行した言葉か何かであろうか。
見れば、オスカーは真っ赤な顔で鼻を押さえているが、アンマリーは小首を傾げているし。
「さて…<P−っ!>の<バキューン!>…<P−っ!>の<バキューン!>…」
確かめるようにその単語を繰り返すと、オスカーが、うっと呻いて座り込んだ。
「…口に出して言わんでいい」
背後からの声を無視して、数回繰り返した後。
ダークマターは、両手を上げた。
「はい、降参」
「うわははははは!」
リューンは高らかに笑い、目を輝かせてアンマリーを振り返った。
「見てくれたか、アンマリー!頭脳戦で、俺の勝ちだ!」
「降参はするけどさー。結局、答えは?」
ダークマターの淡々とした声に、リューンの動きが止まった。
が、強引に無視して、アンマリーを見つめる。
「俺がやるときはやる男だって、分かってくれたか?アンマリー!」
「まあ」
アンマリーが、にっこりと微笑んだ。天使のように無邪気な表情で、リューンを見上げる。
「私の知らない言葉を知っているなんて、すごいのね、リューン」
「いやあ!」
「それで」
アンマリーの瞳に、理知的な怜悧な光が宿った。
「答えは何なのかしら?」
「………え?」
頭を掻いている、そのポーズのままリューンは固まった。
「まさか、当てずっぽうな言葉では無いのでしょう?なら、説明できるわよね?」
微笑みは同じなのに、どこかひんやりとした空気に、リューンのこめかみを汗がつーっと流れた。
「ねぇ、リューン。答えが言えないのでは、適当な嘘を言ったのだと思うわよ?」
甘い声が、リューンの耳から忍び込み、脳を掻き回してから出ていった。
数秒後。
「すみませんでしたぁっ!あれは、俺のでっち上げです!」
と、そういうことにしておいてくれっと顔に大きく書いて、リューンは彼らに土下座したのだった。
「…えーと…よく分からないけど、俺の勝ち?」
「お、おお!ドラゴン狩りの目安だったな!5頭だ!」
早く会話を終わらせたい、そんな気持ちが見え見えなリューンは大きく叫んだ。
「さあっ!行こうぜ、アンマリー!俺の勇姿を見てくれっ!」
「うふふ、リューンは相変わらず格好悪かったわ…こうでなくっちゃね」
「…ひどいよ、アンマリー…」
そうして騒がしい3人が先に迷宮に向かったのを見送って。
「ファイヤドラゴンは…9階かなぁ?」
「まあ、浅い階にはいなかったな」
「じゃ、また前の門を使おうか」
そう言って、歩き始めたダークマターが、ぴたりと止まった。
仲間が疑問を顔に浮かべて取り囲む中、振り返る。
「…で、<P−っ!>の<バキューン!>…って何」
仲間の体がびしっと固まった。まるで集団でゲイズされたか石化したようだ。
「つ、つまり…そのっ!」
ぎしぎしと軋むような動きで、まあ待てというような形に手を上げて、クルガンが呻いた。
「…難しいわねぇ…成人男子とはいえ、何となくダークマターは知らない方が可愛い気がするわ」
ルイが首を傾げて呟いた。
そんな中、グレッグが自信たっぷりに進み出た。
「よかろう我が主君には、私が説明しよう。良いか?ダークマター。一度しか言わぬから、よく聞いてくれ」
一度しか、という部分に異常に力を込めて、グレッグがダークマターの目を真っ正面から見つめた。
「<P−っ!>の<バキューン!>とは。「うわっ!あれは何だ!」の時に「えぇっ!?何!?何かあるのっ!?」をしよ「がちゃんっ!(激しく刀が鞘に収まる音)」で、つまり「きゃああっ!」な「どうかしたのルイ姉さん?!」が「ごっめーん!ちょっとバランス崩しただけよっ!」で、相手「ごほんごほんっ!」「げほげほげほっ!」なことだ」
数秒、沈黙が彼らを包んだ。
ゆっくりと、ダークマターが首を傾げる。
「…聞こえなかったんだけど」
「ダークマター」
グレッグが残念そうに首を振った。
「私は、一度しか言わない、と言っただろう?さあ、ドラゴン狩りに行こうじゃないか」
「…そう?…なんかすっごく落ち着かないな〜…」
ぶつぶつと言いながらも、基本的には何事にも執着の薄いダークマターは、すたすたと歩き出した。
背後では、5人が、ぐっと親指を立ててお互いの健闘を称え合ったのだった。
数時間前にも通った<門>を通り抜け、8階祭壇から9階に向かう。
「…こういう時に限って、すぐ隣に下り階段が出来るしなー」
溜息を吐きながら、ダークマターは左側を見た。明かりが漏れるその場所には、さすがにアンマリーたちはまだいない。
「えーと…逆回りで行こうか」
下りから離れて逆回りに1周しよう、と彼らは右側に進んだ。
しばらく進んで、向こうの方に大型の影を見つける。
「ドラゴン発見、ドラゴン発見」
グレッグの声に、皆で走り出す。
だが、横合いから飛び出してきた人影にぶつかる。
「邪魔するなよ、もー…マジキャンしつつダブルスラッシュ、リカルドシンプルジャンプアタックね」
数体の侍に囲まれ、ダークマターはぶつぶつこぼしつつ命じた。
速やかにアレイドが形成され、侍を駆逐する。
ダメージ一つ負わず戦闘を終了した彼らは、ドラゴンの影が見えないことに気づいた。
「うわ、いないし」
「いるとしたら…あちらのドアかな?」
「よし、行こうか」
敵がうろうろする迷宮を歩いているというより、気分は昆虫採集か何かだ。
別の通路に目を凝らしていたクルガンが諦めて首を振る。
「くそっ、さっさと出てこい、ファイヤドラゴン!」
「まったく。面倒くさいったら」
「ところで、何で侍如きにマジックキャンセルなんだ?そいつらも攻撃に加わらせたら、もっと早くケリが付くだろうに」
クルガンが、目だけで司教たちを示した。
「だってさー、物理攻撃は、ダメージ無いだろ?でも多少とは言え魔法だと食らっちゃうじゃん。大したこと無いけど。でも、0じゃないから、魔法は謹んでお引き取り願ってます」
邪悪な魂に染まったとは言え、武士は武士。刀が主力の侍が聞いたら男泣きに泣き出しそうなことをけろりと言って、ダークマターは肩をすくめた。
「あぁ、あんたは短気だもんねぇ。でも、ダメージ食らって治癒魔法かけるのも面倒でしょ。俺のやり方に従ってね」
「…分かった」
クルガンは渋々頷いたが、自分とダークマターに物理ダメージが来ない、というのには同意だ。その代わり、仮に当たったら防御が薄い分ダメージは大きいが。
そんな話をしている間に。
「よし、開けるぞ」
トラップチェックを済ませたグレッグが扉を開ける。
すると、そこには多数の敵が徘徊していた。それらが一斉にこちらを見る。
「ドラゴンはっ!?」
「あの奥だ」
「うー…しょうがない、こいつら瞬殺でいくよ」
当たるを幸い、千切っては投げ千切っては投げ。
一応アレイドも一通りやってのけ、ちゃっかり立体殺法も試したクルガンはご満悦だった。
「この分なら、ワープアタックも出来るかなー」
レッサーデーモンを真っ二つにしながら、ダークマターが呟いた。クルガンがちらりと視線を寄越す。
「確かに強力だが、俺でも1回しかやったことが無いぞ?」
「俺も一回」
「…つまり、あの時だけか」
「まあねー。…お互い、それは思い出さないようにしましょう」
「そうだな」
何があったのか、元同僚は二人で顔を強張らせた。
そして、ようやく見つけたドラゴンに斬りかかる。
「よっし、ブレス対策に散開、牽制ダブルシングルで」
初動の早いクルガンとダークマターのダブルスラッシュで生命力の大半をまず削る。これでブレスは怖くない。
「…ちっ、仕留め損ねたか」
「だから、一撃でやっちゃ駄目ってば」
「せーのっと!」
リカルドが空中から降ってくる。大剣がドラゴンの首に食い込み、ドラゴンが絶叫した。
暴れる巨体から離れつつ、目で合図する。
もう一度ダブルスラッシュが発動して、ファイヤドラゴンはめでたく倒れたのだった。
「まず、一体目っと。証拠ってどうするんだろ。角でも持ってくかな」
ひょいっと刀を振って、角を切り取る。
気づけば、部屋の中に他の敵はいない。
これ幸いとダークマターはワープアタックの説明をすることにした。
「えーと、後衛が空間の歪みを作るんだよね。それで前衛がそれに飛び込み、敵の真上から出現、切り下ろす、という戦法です。ワープゾーンを作るセンスと、飛び込むタイミングが問題だけど…」
説明を受けたルイが、空間に歪みを作ってみる。
顔を顰めて、上げていた両手を降ろし、ルイは額の汗を拭った。
「結構、精神力を消費するわね、これ…」
「そうなんだよねー。だから、出来上がったらさっさと飛び込んで、さっさと出てこないとまずいことになるんだな…」
「…だから、思いださせるな、と言うのに」
「ふふふふ…そうだったね……」
遠い目をする二人に怪訝そうな顔を向けつつも、仲間たちは、あえて何が起きたのかは問わなかった。聞くのは怖いし。
「ま、何とかなるでしょ。考えるより、実践あるのみ」
「努力はするわ」
そうして彼らは円陣を解き、また敵を求めて進軍を開始した。
ドラゴンらしき影を見つけては突進し、間違って体色が青かったりして怒りを炸裂させたりもしたが。
「つーか、何で青と赤を見間違えるんだよっ!」
「おまけに、全然姿勢が違うのにな」
「迷宮は暗いからな」
その一言で全てを片づける大雑把な彼らだった。
「ようやく6体かぁ…」
その階の敵は全て駆逐したんじゃないかという勢いで荒らしまくった彼らは、迷宮の壁にもたれて一息吐いた。
「まあ、めんどくさかったけど、ワープアタックもモノにしたし、結果オーライってことで」
「俺はトラウマになりかけたがなー」
リカルドの嘆きは放置して。
「それにしても、あんたも意外と早く馴染んだね」
改めてダークマターはクルガンの顔を見直した。
「ん?…あぁ、まあ…な」
一人で屈伸していたクルガンが、そっぽを向いた。
「どうでもいいが、ずっと動いているな、君は」
「イライラを紛らわせるには有効だ」
それを聞いてダークマターは顔を顰めながら元の仲間を交互に見た。
「あんた達も、よくこんな、ちょっと大人数で行動したらすぐにイライラするような堪え性無しに合わせてくれたね」
「…どういう意味だっ!」
「言葉通りの意味」
ぎゃあぎゃあとじゃれ合うダークマターとクルガンを諦めの表情で見て、グレッグは身を起こした。
「まあ、言うなれば、我々は『ダークマター好き好き同盟』だからな」
関節技の応酬をしていた二人の動きがぴたりと止まった。
「…………ちょっと……イヤ…………」
「だいぶ、イヤだ」
嫌そうというよりは情けない顔になったダークマターにグレッグが大げさに胸を押さえてよろけて見せた。
「あぁ、ふられてしまったよ…」
それをどつきながらも、リカルドが不意に真面目な顔になった。
「だけどよ。俺たちがあんたのことが好きだってのは、本当だぜ?リーダー」
「その通り。敬愛する我が主君よ」
堅苦しく一礼するグレッグに、ダークマターの顔が強張った。
「その…ごめん。あんたたちが、俺のことを『好き』だというのは、理解できてるつもりなんだけど」
唇を噛み締めて、髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。
「俺も、あんたたちのことが好きであるべきだという理屈は分かってるんだ。嫌いになる理由が無い。だけど」
だけど、だけど、だけど。
「『好き』だと感じられない。『好き』が分からない。『好き』だと胸に響いてこない。いくら『好き』を貰っても、俺には何も返せない。…すまない」
視線から逃げるように、両膝に顔を埋めた。
『好き』になるべきだと、何度も思った。
『好き』になると、どんな気持ちになるのかは、水晶で己の感情を追体験して理解した。
だが、どうしても、そんな気持ちは湧いてこない。
追えば追うほど逃げていく記憶の尻尾のよう。
すまない、とは言ったが、己が本当に罪悪感を感じているのかどうかもはっきりしなかった。
『好き』であるべき相手を『好き』とは感じられないから、それを謝罪する。それは、理屈の上で成り立つもので、彼の心から染み出したものではないのだ。
何故、こんなモノに生まれついたかな、と彼は思う。
何かを『好き』とも思えないなんて、見かけの骨格が多少歪んでいるよりもよほど『醜い』生き物ではないか。
「…嫌い、は分かるようになったんでしょ?」
暖かな手が、頭を撫でる。
苦笑の形に顔を作って彼はルイを見上げた。
「まあね。俺は、これが嫌い」
これ、と指さされたクルガンが、すぱーんとダークマターの頭をはたいた。
「これ、は止めろ、これ、は!」
「…何故、便所スリッパ!」
「こんなこともあろうかと、宿屋から懐にしまっておいたんだっ!」
「…それって、どこから突っ込んで欲しいの!?えぇ!?」
途端に生き生きと怒鳴り合う二人に、敗北感を感じてグレッグとリカルドは顔を見合わせて苦笑する。
「別に、返して欲しくて『好き』なのでは無いよ。私は君が好きだから、『生きる』目的が出来た。こうして、君を守って戦ってこられて幸せだった。それで、十分だ」
「そーそー。俺も幸せだったぜ。信頼出来るリーダーに巡り会って、その元で戦えるんだ。死んだ甲斐があったってもんだ」
「…さっきから、滅茶苦茶言ってるわね、あんたたち」
ルイが肩をすくめた。
「ま、私も幸せだったけどね。生きてる間も好き勝手してきたけど、死んでからまで好きなように『生きて』たのよ。面白い人生だったって、胸を張って言えるわね」
「私もねダークマターのことが好きなのよ」
「えぇっ!?」
突然呟いたサラにリカルドが大げさに反応した。
それにサラはひらひらと手を振った。
「お生憎様ダークマターに対するのは男女間の恋愛感情じゃ無いわよあぁでも少しはそういう気持ちもあったかしらもしダークマターの方にその気があったならねでも実際はそうじゃないんだし恋愛するならもっと違うタイプの人にするわよ私が落ち込んでるときに横で励ましてくれるような人とかね」
「そ、そ、そ、そうか…」
胸を撫で下ろすリカルドににっこり笑ってから、サラはそのままの表情でダークマターに向いた。
「誰かの役に立ちたかったのそうじゃないと自分が生きてる意味がないっていうかそこにいるのを許されないような気がしてたのやっと分かったけどね本当は誰かの役に立って無くても生きる意味はあるし神様は許してくれるってねだけど私は誰かの役に立ちたかったそしてここで私は誰かの役に立つことが出来た。…幸せだったわ」
「…さっきからねぇ!」
ダークマターは勢い良く立ち上がった。
「何で、皆『幸せだった』って、過去形なわけ。まだまだやることあるんだからね。司教様倒して、神様倒して、陛下の魂をお救いして」
リカルド、グレッグ、サラ、ルイは、互いの顔を見て、そしてダークマターを見た。
その顔に浮かぶ微笑みは、どこか一様で、彼らは同じことを考えているのを伺わせた。
だが、彼らは何も言わなかった。
その代わり、にっこり笑って、ドラゴン狩りの成果を報告しに行こう、と言った。
1周して戻ってきた階段の前には、てっきり3人がいて「遅い!」と怒鳴るだろうと予測していたのに、そこにはアンマリーしかいなかった。
彼らを認めて、アンマリーがぼんやりとした顔を向ける。
その顔は、目の縁は真っ赤に染まり、幾筋もの涙の筋が頬を伝っていて、彼女が泣き続けたことを意味していた。
ダークマターは軽く周囲を見回した。そこに誰もいないのは分かっていたけれど。
「…死んじゃったの…」
ぽつりとアンマリーは呟いた。
「ファイヤドラゴンのブレスに焼かれて…ふ、二人は…わ、私を…庇って…」
声は震えるが、もう涙は出てこない。ただ、虚ろな視線を彼らに向けるだけだ。
「死体は?」
いつも通りに冷静な声に、アンマリーはやっと目が覚めた、とでもいうような表情でダークマターを見つめた。
だが、すぐに項垂れて首を振る。
「駄目…焼かれて灰になって…風に乗って散ってしまったわ…カテドラルも効きそうに無いの…」
アンマリーは、そっと手を開いた。
そこには、コイン一枚ほどの量の灰が乗っていた。確かにこれでは復活しそうに無い。
よく見れば、白い手は傷だらけで、剥がれかけた爪もある。どうやらその僅かな灰を求めて石畳の床を掻きむしったらしい。
気の無い様子で、一応、他に灰が飛んでないか見回したダークマターは、ぼそりと呟いた。
「ま、ひょっとしたら、灰を蒔いておけば、その辺から生えてくるかもしれないけど」
すぱーん!
また便所スリッパがダークマターの頭にヒットした。
「言って良い冗談と、悪い冗談があるだろう!」
「…割と本気だったんだけど…」
「余計に悪いわっ!」
もう一回殴られて、後頭部をさすりつつ、ダークマターは恨めしげにクルガンを見上げた。
「じゃあ、あんたに妙案でもあるっての?」
「…うっ…」
詰まって、一歩下がる。
司教たちも首を傾げて相談し合う。
「灰も無しで復活…分からないわ、出来るとは思えない」
「ダークマターの技術ではどうなのかしら」
眉を顰めて、ダークマターは視線に首を振る。
「無茶言わないで。灰から遺伝子抽出するの無理なんだから。仮に出来たとしても、二人分混じってたら、出来上がるのも混合物だよ」
オスカー+リューン÷2。
彼らは想像して、ちょっとイヤな顔になった。まあ、アンマリーが好き、という部分だけは共通だろうが。
「死んでるとは言え、死なせるには惜しい…いや、全然惜しくは無いが、可哀想だよなぁ」
微妙な感想を漏らして、リカルドが唸る。
その間、アンマリーはぼんやりと手のひらを見つめるばかりだ。まるで魂が抜け落ちでもしたかのように。
「とは言ってもねぇ。魔術師魔法はもちろん、僧侶魔法の法則性から外れた復活法なんて、それこそ奇跡でも起こらなきゃ無理だって」
そして、この地に神様…本物の神様の御力が届くのかどうか、とダークマターは思ったが、さすがにそこまでは口にしなかった。
だが、アンマリーの体がびくりと動く。
「奇跡…」
棒読みに繰り返して、途端に頬に赤みが差した。
「奇跡!そうよ、ヴァルハラの魔法!」
叫ぶ彼女に、彼らは一斉に怪訝そうな顔を向けた。
「えーと…ヴァルハラの魔法…確か、術者の経験と引き替えに、魔力がタダになったり経験が増えたり敵が異空に吸い込まれたりするという、いまいち使えない魔法だっけ?」
ぼそぼそと呟いた言葉が、彼らの意見を代表していた。何せ、彼らは今のところ敵無し。わざわざ術者の経験を犠牲にしなくても拳で敵を排除出来るし、死にかけることすら最近は無い。
なので、全然興味なく、習得もしていなかった。それゆえ、思いつきもしなかったのだが。
アンマリーは彼らの様子に気づくことなく、必死の面もちで、祈りを捧げた。
「神よ、私のレベル全てと引き替えにしても構いません!二人を生き返らせて下さい!」
ふわり、と彼女の体を白い光が包んだ。
次の瞬間。
オスカーとリューンが、装備もそのままにそこに出現した。
「あ、あれ?ファイヤドラゴンは?」
「確か、戦ってたんだよな?」
「おーっ!そうだ!俺たちに恐れをなして逃げてったんだな!」
全くいつもと変わらない調子で怪気炎を上げる二人に、こっそりとアンマリーは目を拭った。
「騒がしい人は嫌いよ?」
「「ごめんよ、アンマリー!」」
慌ててアンマリーの方を向き直った二人は、ぎょっとした。
「ア、アンマリー!どうしたんだ、その顔は!」
「貴様が虐めたのか!?」
食ってかかるオスカーを素っ気なく払いながら、ダークマターはアンマリーを見た。どうやら黙っておいて欲しいと希望されているようなので、ふん、と鼻を鳴らした。
「ドラゴンにでも虐められたんでしょ」
「…えぇ、最後に間近にまでブレスが迫ったんですもの。熱くて目がひりひりしたわ」
そう言って、アンマリーはまた目元を擦った。
「うわっ!アンマリー!上で目を冷やそうぜ!」
「畜生!ドラゴンの奴!もっとぎたぎたにしてやれば良かった!」
「ふふ、そうね。私、何だか疲れちゃったわ」
だが、その顔に滲み出ているのは疲労ではなかった。どこか輝くような誇りと、暖かな慈しみに満ちた顔に、オスカーとリューンは顔を見合わせた。
アンマリーは、ダークマターの方を見て、微笑んだ。
「じゃあね、ダークマター。楽しかったわ」
「お、おお、そうだ!ドラゴンは何頭狩ったんだ!?」
「……6頭だけどね……今更、どうでもいいけど」
「うわ!負けちまったぜ!」
やれやれ、どこまで記憶に残っているのやら、と冷たい目で悔しそうに叫ぶリューンを眺める。
証拠として取ってきたドラゴンの角が、邪魔なだけの荷物と化したため、その辺にぽいっと放った。
「…私、いったん帰ろうと思うの」
アンマリーが静かにそう言った。
「法王庁から、いったん帰って報告しろって手紙が来ていたの。上で少し休んだら、私、ハリスに戻るわ」
オスカーとリューンが目に見えてがっくりと肩を落とす。
「え…ハリス…じゃあ、もうお別れなのか…」
アンマリーは、くすり、と笑った。
「一緒に、来る?」
「え!?いいのか、アンマリー!」
「私、今度のことで二人を見直したの。これからも私を守ってね!」
「お、おぅ!任せてくれ、アンマリー!」
ダークマターはその会話を眉を寄せて聞いていた。
手紙が来る。
どこから?どうやって?
推論が間違っているのか。
それとも。
…全ては、彼女の頭の中で起きた出来事なのか。
「ダークマター」
アンマリーが静かに目の前にやってきて、強引に手を取った。背後のオスカーとリューンの悲鳴も無視して、彼を見つめる。
「楽しかったわ。たくさんお話しして、たくさん遊んだわね。…本当に、楽しかったわ」
懐かしむような目の色に、別の光が混じった。
「私は、行くわ。もう二度と会えないでしょうけど、貴方と遊んだ楽しい記憶は忘れない。…魂にしっかりと刻んでおくわ」
魂、という言葉の選択に、ダークマターは訝しそうにアンマリーを見つめた。
「じゃあね、ダークマター。私たちの事を、忘れないでね」
ふふ、と微笑んで、アンマリーはダークマターを睨んでいる二人の元に歩み寄った。
そして、リープを唱え、消えていく。
急に、迷宮が静かになった気がして、ダークマターは肩を震わせた。
「行っちまったな」
リカルドがぽつんと呟く。
「彼女は…知っていたのだろうか。我々が死者であり…彼女もまた、死者であるかも知れないことを」
もう二度と、彼女たちに会うことはないだろう。
だから、彼女たちが本当にドゥーハンを出ていったのか、それともそのつもりで消え失せてしまったのか、確かめようも無い。
「いいんじゃないの」
ダークマターは、ぼそりと呟いた。
「本当にアンマリーは閃光後にドゥーハンにやってきた訪問者でさ、二人はさっきのヴァルハラで本当の意味で甦生してさ。…3人は無事にドゥーハンを出て、ハリスで仲良くずっと過ごすんだよ。…そう考えてれば、いいんじゃないのかな」
クルガンの眉が互い違いに上がった。
「…一番に疑っていた奴のセリフとは思えんな」
その腹を肘でどついて、ルイがダークマターの前に立った。
「そうね。その方が楽しいわね」
サラも勢い良くぶんぶんと首を振った。
「いいわねいいわね昔から物語の最後はそうに決まってるのよ『そして、皆、ずっとずっと幸せに暮らしました』ってね陳腐だけど本当に…そうだったら、いいわ」
最後は噛み締めるように言って、目を落とした。
「最後、か」
リカルドは、俯いたサラの頭を撫でながら、ぽつんと言った。だが、明るい調子で続ける。
「俺が好きだった物語の最後は、『勇者が悪者を倒しました。財宝も悪者から取り返して、お姫様を助けて結婚しました』ってなのが多かったなー」
「…女王陛下は助けても結婚できないけど?」
「いやまー…共に戦った仲間と…ってのも…ありかと…なーんてなっ!」
最後の方は口の中だけでぼそぼそ言って、真っ赤な顔でばしばしとダークマターの背中を叩いた。
構えていなかったダークマターが咳き込みながらよろける。
顔を顰めてリカルドの手が届かない範囲にまで逃げてから、振り返る。
最後。
その単語が、改めて脳裏を過ぎった。
司教を倒す。
禍つ神を倒す。
陛下の…国民皆の魂を救い出す。
目的ははっきりしている。
それで、己が造り出された理由は終わる。
それから?
初めて、ダークマターは『それ』を意識した。
目的を完了して、それから?
終わると思っていた。
だって、そのためだけに造り出された生命体なのだから、目的を完了すれば、それで『終わり』だと。
もしも、終わらなかったら?
ぞくり、と背中を震わせた。
目的を終わらせれば、この身に残るのは虚無だけだ。
そこには、何も、無い。
だが、彼はゆっくりと頭を振って、その考えを追い出した。
推測に不安になる必要はない。
そのときが来れば、イヤでも分かるのだから。
そして、『そのとき』は、もうじきであるはずなのだから。