後日談




 クルガンは、困惑していた。
 確かに自分は『これ』の面倒を見る、と本人に約束した。
 『これ』がとんでもなくガキだということも感じていた。
 しかし。
 「ふぇっ…えぐえぐ…ふえぇええ!」
 引き剥がそうにも全力でしがみつき、力尽くで成功しても、途端もっと激しく泣き出す。
 まるで人見知りして母親に抱きつく赤子だ。
 こんなに図体のでかい赤ん坊の面倒を見る気は、無いのだが。
 辺りはどんどん暗くなる。
 どうせ生き物の気配は無いのだから、野生動物だの夜盗だの魔物だのに襲われる心配は無かったが、何にせよこんな見晴らしが良い場所イコール冷たい風の吹き抜ける中で夜を明かすことはない。
 宿屋とは言わないが、せめて元宿屋の残骸付近で野営する方がマシだろう。
 完全に闇に覆われる前に、適当な場所を探したいのだが、何分これにしがみつかれていては。
 仲間は当てにならない。
 人が困っているのを楽しんでいるのか、全く手を差し伸べようとしない。
 いや、グレッグは自分と替わろうと必死だが、肝心のダークマターが目も開けないままクルガンにくっついているためままならない。
 仕方なく、クルガンはダークマターを抱き上げた。
 首に腕を回させ、横抱きにしている姿は、全くもって子供を抱っこしているようだ。
 「おい。野営の場所を探すぞ」
 「えー。いいんじゃねぇの?そこの林の中で」
 廃墟となった街に降りるのは気が進まないのか、リカルドが背後の林を指さした。
 「水場もあるし、ちょっとした岩ならあるわよ?まあ、完全に風避けは出来ないけど」
 「ひょっとしたら迷宮の中の方が個室になってて暖かいかも知れないわねヘルガの部屋とか使わせて貰ったらどうかしら」
 クルガンが動けない間にその辺を下見したのだろう、ルイとサラが口々に言った。
 「まあ…これを持ったまま、街まで降りるのも面倒だしな」
 ぽん、と軽く背中を叩くと、また泣き声が激しくなった。
 「あぁ、もう!そんなに強く叩いてないだろうがっ!いい加減、泣きやめっっ!!」
 やけくそのようにぽんぽん叩いていると、リカルドが感心したように頷いた。
 「いやー、あんた、意外と良いお父さんになりそうだよなー」
 「…気色の悪い感想を漏らすなっ!」
 「何で『気色悪い』んだよ、家庭的で良いっつって誉めてんだろうが」
 「『これ』は俺の子供では無いっ!」
 ぎゃあぎゃあと言い合う間も、ダークマターはずっとべそべそと泣き続けている。
 泣きたいのはこっちだ、勘弁してくれ、と思いながら、クルガンは抱き上げたまま仲間と共に林の中へと歩いたのだった。

 枯れ木の山にクレタで火を点ける。
 残念ながら食料の持ち合わせがないので、水を飲んで空腹を誤魔化す。
 何せ、そのまま死ぬ予定だったのだ。無駄な荷物を持ったりする余裕は無かった。
 これ以上はないくらいの仏頂面で、クルガンはあぐらの上に横座りになっている馬鹿の頭を撫でた。
 首にしがみついたままのそれの口からは、時折しゃくり上げる声が漏れるだけで、おおむね規則的。
 つまり。
 「…泣き寝入り…子供か、お前は…」
 うんざりと言ってやっても返事は無い。
 「結局、何があったのか聞けなかったわね」
 ルイが毛布にくるまりながら、ただの湯を啜る。
 彼らは、ふと気づくと迷宮の入り口にいた。
 そして、ダークマターがいないため、てっきり彼だけは転移できなかったのか、と、慌てて迷宮に潜り、最下層まで速攻で行ったが、すでに鏡は割れて異世界への通路は無く、不吉な予感におののきつつも万が一のことを考えて最下層から部屋という部屋をしらみ潰しに捜索して戻ってきたのだった。
 それでもいないダークマターに、それこそ泣き出さんばかりだったところに、途切れ途切れに歌が聞こえて来た。
 言葉は聞こえないが、その哀切な旋律に、すぐさまダークマターの鎮魂歌だと気づいたクルガンが、風の流れから居場所の方向を割り出したのである。
 だんだんはっきり聞こえてくる歌声に、方向が合っていると自信を持てば、クルガンには段々と彼の居場所がはっきり想像出来て、いつの間にそんなところに、という疑問は残しつつも彼らは安堵して彼の元へと急いだ。
 そして、ようやく探し当てたら。
 ダークマターは泣くばかりで、話が出来ない状態であった。
 これまで、彼が涙を流すところなど見たことが無かったため、彼らは動揺したが、ひたすらクルガンにしがみついて泣きじゃくっているのを見ているうちに、何となく生暖かい気分になって見守っている次第である。
 で、寝付いたと判断したクルガンが、そーっとダークマターを降ろそうとして。
 「うわああああああ!」
 途端に目を見開いたダークマターが、手をばたつかせた。
 舌打ちしながらまた抱き起こそうとしたクルガンの腕にしがみつき、ひーひーと激しく呼吸する。
 「あぁもう、くそっ!お前、寝付きの悪い赤ん坊じゃあるまいしっ!」
 膝の上に抱き上げて背中をさすってやっても、呼吸がやけに早い。
 「あら…それって、過呼吸ってやつじゃない?パニックになったりヒステリー起こした女がよくなるやつ」
 ルイが毛布から抜け出して、クルガンの背中に回り、ダークマターの顔を確認した。
 焦点の合わない瞳で、ぽろぽろと涙をこぼしながら荒く呼吸するダークマターに、懐からハンカチを取り出して口に当てた。
 「大丈夫よ、ダークマター。クルガンが抱っこしてくれてるからねー」
 「…おい」
 「ゆっくり、大きく、息するの。別に病気でも何でもないから、安心しなさい」
 「あぁ、キスすれば治る、というあれか?なら、不肖このグレッグが…」
 ぽん、と手を叩いたグレッグがにじり寄ってきて、ルイにクレタを飛ばされて大袈裟に仰け反る。
 「おおう!」
 「怪しげな民間療法を披露するんじゃないわよ」
 「いや、実際治るらしいが?」
 「口じゃなくてもいいのよ!ハンカチ程度で十分治るんだから」
 荒い息の下、ダークマターが何か言った気がして、クルガンはダークマターに確認しようとした。
 だが、ようやく呼吸が落ち着いてきて目を閉じた様子に、まあいいか、と諦める。
 「しっかし、マジで良いお父さんになりそうだなー」
 しみじみと言うリカルドを睨み付けるが、全く堪えた様子が無い。
 「うんうん、男同士だが、親子なら許せるぞ、その光景も」
 そうやって事態に付いていこうとしているらしいリカルドに、何も言えなくなってクルガンは苦虫を噛み潰した表情のままでダークマターの体を抱き直した。
 それなりに安定した姿勢になって、マントで体を包んでやる。
 「そういうあんたはどうなの?子供好き?」
 興味深そうに見ていたサラが、リカルドに軽い調子で振った。
 リカルドが腕を組んで唸る。
 「うーん…特に好きってことは無かったが、イナカじゃよく遊んでやってたよなー。リカルド兄ちゃんは山遊びのプロだったからなー」
 「あら楽しそう」
 くすくす笑うサラに、リカルドが頭を掻いた。
 「まー、その、何だ。男のガキなら遊んでやれるが、女の子はどうしたらいいのかさっぱり分からねーけど」
 「私は女の子と遊ぶの好きだったわこう見えて刺繍とかレース編みとか得意だったのよ」
 「あー、それじゃ、男が産まれても、女が産まれても、問題無いわけだ」
 ちょっとした沈黙が落ちた。
 リカルドが、また頭を掻いた。
 「あー、そのーだな」
 俯いて頭を掻いた後、ぽん、と太股を叩いて、リカルドは顔を上げた。
 「つまり、だ。幸い、何故か俺たちは生き残ってるらしいんだが」
 「そ…そうね」
 「生きてれば…その…ガキも作れる…わな」
 「た、たぶん」
 「つまり、その…挑戦してみねーか?俺と」
 そこまで言ってから、リカルドは、サラの前に移動した。
 「いや、ようするに、だ。け、け、け、け…結婚、しないか?俺と。…つーか、結婚してクダサイ」
 ぶんっと音が起きるような勢いで頭を下げる。
 サラが両手を振り回した。
 「わわわわわわわわ私はそのもちろん神の下僕なんだけど僧侶でも結婚は可能であらやだ今は司教なんだけどやっぱり結婚は可能なはずなのよあぁ無料救護院を設立したいって言う夢を諦めた訳じゃないのよせっかく生き残ったならその夢を叶えたいと思ってるわよだけどほらどうせなら二人の方が良いって言うかわわわわわ私あんたにその何て言うかすごく助けられたと思うしだからつまり」
 そこで、ようやく一息吸った。
 「そ、そうね。結婚…してくれる?」
 「よっしゃぁあっ!!」
 高々と腕を突き上げるリカルドに、サラは目尻の涙を拭きながら笑った。
 「でもあんたってムードないわよねまさか夢見たプロポーズが仲間の前でされるとは思ってなかったわ」
 言われて、リカルドは背後を振り向いた。
 拍手しているルイ、ダークマターを抱えながらどんな顔をしたらいいのか分からないと言った態度のクルガン、うんうんと頷いているグレッグ。
 「…あー…何か、勢いに任せちまってなー…」
 曖昧な笑みを浮かべてこめかみを掻くリカルドに、ルイがウィンクした。
 「上出来でしょ。どうせムードのあるお店も何も無いんだし」
 「まあ、幸せになってくれ。私は我が主君と末永く幸せに暮らすから」
 「…それは、どこから突っ込めばいい?」
 クルガンは腕の中のダークマターを見た。
 肩口に埋めた顔からは、すーすーと安らかな呼吸が聞こえてくる。
 「こいつも、見たかっただろうがな」
 もし起きてから悔しがったら、お前が寝ているせいだ、と言ってやろう、と少しばかり意地悪い気分で思う。
 「そうだな、ダークマターには、報告しねーとな」
 「そうねダークマターがいなかったら出会ってもないし今頃…」
 ふとサラが口を閉じた。
 そして、聖印を切って、口早に祈りの言葉を唱える。
 今頃、どうなっていただろうか。
 宿屋にいたはずのグレースとウォルフ、ヴァーゴは消え失せたのだろうか。
 皆…安らかに眠りに就いたのだろうか。
 そもそも本当に自分たちは生きているのだろうか。
 体を休めようとしたサラは、苦笑して起き上がり、リカルドに身を寄せた。
 「お、お、お、おい?」
 「ダークマターの気持ちも分かる気がするわもし目を閉じている間に皆がいなくなっていたらどうしようって怖いものそれより何より自分が消えてしまうのが怖いのかもしれないけどでもこうやって体温を感じてると思うのよあぁちゃんと生きてるのねって」
 リカルドがぎこちなくサラの肩に腕を回した。
 「ま、まあ…そう言われてみれば、分からんでもないけどよ。…でも、俺たちは何つーか…言葉通り、生きるも死ぬも、一緒だろうな、たぶん」
 もしもこれが神の気まぐれで、いったん眠ったらそのまま死んでしまうのだとしても、条件は二人同じのはずだから。
 木に凭れて、リカルドとサラは二人で一枚の毛布にくるまった。
 それを微笑ましそうに見てから、溜息を吐く。
 「あ〜あ。私はどうしようかしら。グレッグ、一緒に寝る?」
 「ふっ、私には、こ奴が我が主君に不埒な真似をせぬよう見張るという重大な使命がある」
 恐ろしく真面目な声で言って、グレッグはクルガンの斜め前に正座した。
 クルガンの眉が上がった。
 だが、頭痛でも感じているような顔になり、ひらりと手を振った。
 「朝までそうしているというなら、好きにしろ。俺は、もう、知らん」
 そう言って、半目になる。
 「…不毛だわ…」
 一言残して、ルイは一人で毛布にくるまったのだった。



 朝、クルガンはもぞもぞと動く感触で目を覚ました。
 ひんやりした手が、彼の頬を撫でたり首筋に触れたり胸の上に当てられたりしている。
 どうせダークマターなのは分かっているが、急所を探られて良い気持ちがするはずもなく、仕方なく重い目を開けた。
 「…おい、何をしている?」
 水色の瞳は、潤みきって今にも泣き出しそうで、しかも何故か怯えたように見られて、クルガンは溜息を吐いた。
 「いや、怒ってはいないが」
 だが、怯えた目は変わらないまま、手だけがぺたぺたとクルガンを触り続ける。
 温かさを確かめるように。命の脈動を感じるように。
 「生きてるぞ。俺も、お前も。それから、あいつらも」
 目で指し示すと、ダークマターが不安そうにきょろきょろする。
 そして、仲間がもぞもぞ動き始めるのを見て、心底ほっとしたように微笑んだ。
 その微笑がやけに無防備というか、儚げな気がして、クルガンは、うぐ、と喉から詰まったような声を出した。
 ダークマターはクルガンの腕から抜け出して、まずは一番近くのグレッグのところに行った。
 そして、クルガンにしたのを同じようにぺたぺたと触る。
 「おぉ、お早う、我が主君よ。ご機嫌如何かな?」
 掠れた声で挨拶したグレッグは、自分の頬に触れていたダークマターの手を取り、体を引き寄せた。
 「どうせなら、全身で私が生きていることを感じてくれ」
 真剣に口説いているように見えるグレッグだが、抱き返されて眉を寄せた。背中に回った手は、怯えた子供が必死にしがみついているかのような力がこもっている。
 「ふむ…なるほど。ダークマター、私は生きているよ。何故だかは知らないが。ここにいる私は夢でも幻でも無いつもりだ」
 やはり強く抱き返して、背中を叩く。
 「まあ、死んでいるときも生きていたつもりだったから、絶対死人でないとも言い切れないのだが」
 そう言うと、ますます強くなった手に苦笑した。
 「だが、殺されない限りは、君といつまでも生きているつもりだよ。君さえ良ければ、ね。ダークマター、我が主君よ」
 また背中を叩くと、ようやくダークマターが離れて、少し笑った。
 「ふむ、やはり君は笑っているのが一番綺麗だな」
 真面目な顔で言うと、ダークマターがますます笑った。
 声は一言も発しないままだったが、その顔は、本当に今まで見た中でも最も綺麗だ、と言い切れる、とグレッグは思った。
 「はいはい、次はルイ姐さんの番よ〜」
 ダークマターの背後からルイが抱きつく。
 豊かな胸に頭を抱き寄せるように腕を回す。
 「よく頑張ったわね、ダークマター。ご褒美に、お姉さんとイイことしようか?」
 不思議そうに首を傾げるダークマターに、ルイは笑った。
 「キミにはまだ早いか。生後一ヶ月の赤ちゃんなんだもんね」
 恥ずかしそうに俯いたダークマターの耳に吹きかけるように囁く。
 「…ところで、何で喋らないのかしら?」
 ん?と言った顔でダークマターが首を傾げる。
 返事もせずににこにこと笑う顔を見て、ルイが「ま、いっか」と腰に手を当てた。
 「さ、リカルドとサラにも抱きついてやりなさい。まだ浮気じゃないでしょ、まだ」
 きょとんとした顔のダークマターの背中を押してやる。
 一枚毛布でお互い凭れかかっているリカルドとサラを見て、ダークマターが、ぽかんと口を開けた。
 近づいて、リカルドの顔とサラの顔に、そーっと指を這わす。
 「んにゃ…くすぐったいぞ、サラ〜…」
 「触っちゃ駄目よぉ〜…結婚するまでは清い身…」
 むにゃむにゃと寝惚けたように呟く二人に、ダークマターは激しく瞬きした。
 振り返って、確認するように首を傾げるダークマターに、ルイが手を叩いて笑った。
 「そうなのよー。夕べリカルドがサラにプロポーズしたの!結婚するのよ、その二人」
 まん丸に見開かれた目が、ルイとリカルドを交互に見る。
 そうして、ふんわりと笑った。
 とても幸せそうに。


 リカルドとサラも起きてから、彼らはついに街へと降りていくことにした。
 生存者の確認のため…と言うよりは、何か食べ物が無いか探しに行くという、実に切羽詰まった理由もある。
 冷たい泉の水で顔を洗っても、まだ瞼の腫れているダークマターは、目に当てようとハンカチを泉に浸した。
 「おい、置いて行くぞ」
 かけられた声に。
 飛び上がって全力で走って、クルガンの腕を掴む。
 持っていたハンカチすら捨ててくるほどの慌てように、クルガンは眉を顰め、それからダークマターの目に不安と怯えが同居しているのを見つけて、頭を撫でた。
 「悪かった。置いて行かないから。ちゃんとハンカチ拾ってこい」
 だが動こうとはせず、腕を掴む力の強さに、諦めて溜息を吐いた。
 「グレッグ…」
 「ああ、拾って来よう」
 すたすたと泉に戻ったグレッグが、すぐにハンカチを見つけてきてダークマターの手を取った。
 ハンカチを握らせてから、冗談のようにその手を繋ぐ。
 「今度は、私と生を確かめ合っても良いだろう?」
 ダークマターは、その手を握り返した。
 が、クルガンを掴んだ手も離さなかった。
 つまり。
 「両手に忍者のエルフ侍か…悪ぃ、俺、前に行かせてくれ。視覚的に痛いわ」
 リカルドは降参して、彼らの後ろから歩くのは勘弁して貰ったのだった。

 手を繋いだまま街へと降りる。
 予想通りそこは長い間放置された廃墟そのもので、生き物どころか草の一本もそよがない。
 「街の中心がかなりえぐれているな。これは、復興は難しいな…いっそ、そこを取り囲むような形で街を作るか…縁起を担いで、しばらく入植は無いような気はするがな」
 クルガンがふと王宮所属の人間の発言をする。
 「あぁ、そういえば、ここに通じるのが分かればハンザルから調査隊が来るだろうが…むしろこちらから経過を報告に行かねばならんか。向こうも俺の顔くらい覚えているだろう」
 栄えあるクイーンガードの顔を、数年経たとは言え王族が忘れようはずもない。
 長も死んだ今、不本意ながらクルガンがドゥーハン代表として第17代女王崩御の正式な報告をせねばなるまい。
 「クイーンガードとして、お前も来いよ?なに、ちょっと種族が変わったくらい気にせんだろう」
 クルガンはしばらく待ったが、予想したような突っ込みが無い。
 ただ怯えたように手の力が強くなっただけだ。
 その手を握り返してやりながら、クルガンは溜息を吐いた。
 「あのな…行くならお前も一緒だ。お前を置いては行かんし、それに…もし、お前がどうしてもイヤだというなら、俺もばっくれるくらいの気はある。…面倒だしな」
 どうせ、クルガンが生き残っているとも思われてないだろうし。
 それでも表情が変わらず、おどおどした様子のダークマターに、クルガンはもう一度溜息を吐いて、もう片方の手で頭を掻いたのだった。

 足下の瓦礫を上手に歩くのに腐心していると、どうしても視界が狭くなる。
 ドゥーハン中心街は完全に石畳で舗装されていた分、崩れると土の道よりも歩きにくい。
 だから、彼らがそれに気づいたのは、かなり近づいてからだった。
 「…ん?」
 クルガンが、ふと耳を澄ませる。
 立ち止まった様子に、手を繋いでいたダークマターと、さらに同じく繋がっているグレッグも立ち止まる。
 ダークマターもクルガンの視線を追って、そちらを見る。
 「ふむ…悪運の強さは、我々とどっこいどっこいということか」
 グレッグも聞きつけたのか、そう呟いた。
 向こうもこちらに気づいたのか、声を上げた。
 「おや、あんたらかい。ちょっと、どういうことなのか説明して貰いたいねっ!」
 「生きて再び出会えることを、神に感謝いたします」
 「おいおい、まさか、あんたら、俺たち抜きでやっちまったんじゃねぇだろうなぁ」
 まずはヴァーゴが降りてきた。続いて、ウォルフが降りて、グレースが瓦礫を越えるのを手伝う。
 ダークマターが二人の手を離し、走り出した。
 「うわっ!ちょいと、何だいっ!勝手に人の胸に顔埋めてんじゃないよっ!金取るよ、金っ!」
 だが、口ではとやかく言いつつも、結局ヴァーゴもダークマターがしがみついてくるのを振り解きはしなかった。
 続いて、ウォルフとグレースにも抱きついたダークマターが、クルガンに首根っこをぶら下げられて引き剥がされた。
 「女性に抱きつくのは、ちょっと考えてからにしろ」
 「我が主君に邪な感情など無いがな」
 「よけいにタチが悪いわ」
 猫の子でも持つようにダークマターをぶらぶらとさせて、クルガンは唸った。
 「で?説明しなよ。どうなったって?」
 宙で揺れているダークマターは自分の首を守るのに必死である。
 クルガンの腕を遠慮のない力で叩いてからグレッグが一歩踏み出した。
 「私で分かる範囲なら。異世界への道を封じていた剣が壊れたため、我々は君たちを待たずにあちら側へ入り、そこにいた機械人形を倒した。そして、気を失って、ふと気づくと迷宮入り口に倒れていた。…まあ、それだけだな。何故、死んでいたはずの我々がこうして生きているのかは分からないな」
 「ふぅん…生きてんのかねぇ、アタシらは」
 ヴァーゴが胡散臭そうに自分の体を見下ろす。
 「ドゥーハンを出た途端に崩れる、なんてことになったらイヤだねぇ」
 「さぁな。それはやってみないと分からないが」
 地に降りたダークマターが、その言葉に怯えたようにクルガンにしがみついた。
 「あの…?」
 グレースの不審そうな目に、咳払いをしてクルガンはダークマターを背中の方に押しやった。
 「まぁ…その…何だ。こいつは、ちょっとばかりショックが大きかったらしくてな。まるっきり子供の反応なんだが。…喋れんし」
 「まあ…」
 グレースが痛ましそうな目を向ける。
 普段なら、そんな風に哀れまれたら絶対に怒るはずだが、ダークマターは背中にぴったりくっつくだけで反応しない。
 「これからどうされるおつもりか?その…我々が言わなければ、ユージン=ギュスターム卿が、あ〜…反乱を起こした、ということは、周辺地域には知られていないはずだ。ザリエル家の生き残りとしてでもよし、ギュスタームの嫁としてでもよし、貴族として新しい王宮に迎え入れられることは可能だと思うが…」
 グレースは目を見張った。
 そして、少しばかり複雑な微笑を浮かべた。
 「さすがは、クイーンガードクルガン様。すでに新しい王宮のことを考えられるなど、視野がお広い」
 皮肉にも聞こえるそれに、クルガンの眉が上がった。
 「私は…まだ、考えられません。ドゥーハンの外には、皆が生活している世界が、ごく普通にまだあると…想像が出来ません。しばらくは、私の領地と、あの人の領地を見回るつもりです。…徒歩ですから、時間はかかるでしょうが」
 「なら、俺も付き合いますよ。どうせ他にやることもねぇし」
 ウォルフが軽い調子で請け合った。独り身の女性に、男がずっと付いていくのも何だかと思ったが、本人たちに他意はなさそうなのでクルガンも黙っておいた。
 「それでは、失礼いたします。またお会いすることもあるでしょう、クイーンガードクルガン様。そして、クイーンガードダークマター様」
 優雅な貴族の娘の一礼を残して、グレースは去っていった。
 二人を見送ってから、ヴァーゴも動き出す。
 「さぁて、アタシもこのけったくそ悪い国から出ていくとするかねぇ。子分どもがいないのが、あれだけど…」
 そう言いながら後ろを振り向いたヴァーゴが何かを見つけた。
 そして、唇がにぃっと吊り上がる。
 「何だい、キャスタじゃないか。まあ、あんなブタでもいないよりゃマシだね」
 「おーい、だどぉ〜!」
 どたどたと転がってくるオークに向かって、ヴァーゴは歩き始めた。
 そして、最後に振り返る。
 「ま、あんたらと戦うのは、割と面白かったよ、お嬢ちゃん…いや、ダークマター。またどこかで会おうじゃないか」
 ぐっと杖を突き出して、高らかに笑いながらヴァーゴは歩いていった。
 聞こえてきたオークの悲鳴や高慢な物言いが、徐々に遠ざかる。
 姿が見えなくなるまで見送ってから、クルガンはぼそりと言った。
 「俺はお前を置いていかんから…いい加減、力を緩めろ。さすがに痛いぞ」
 背中にぺったりくっついたダークマターが、いやいやと首を振る。
 諦めて、そのまま歩き出すと、グレッグが声をかける。
 「どうする?宿屋にいた3人の行方は分かったことだし、別のところに向かうか?」
 「どこへ、だ?酒場にはルイが行ったし、他の宿にはリカルドとサラが行っただろう」
 「私としては、食料が気になってな。王宮には、何か残っていないだろうか」
 「あぁ…」
 彼ら忍者は水だけであればかなりの長期間普通に動くことが可能だ。
 しかし、他の面々は弱っていくだろうし、彼らにせよ、無いよりはあった方が良い。
 偽りの世界だったとはいえ、卵だの小麦粉だのもあったのだ。あれが全て幻ということはなかろう、とクルガンは希望的観測を思い浮かべた。
 「行ってみるか。他の奴らと合流してからになるが」
 「それなら、やはり宿にも行って、食料を漁るとしよう」
 結局、予定通りに宿に向かった彼らだが、完全に崩壊した瓦礫の山を前に、とりあえず、元自分たちの部屋に置いてあった現金だけは確保しておいて、食料は諦めたのだった。

 そうして、打ち合わせの合流場所に向かうと、他の3人も手ぶらであった。
 「酒場には、ダニエルとついでにガルシアもいたわ。ガルシアは元気そうだったけど、ダニエルは猫が死んじゃったってちょっと落ち込んでたわ。さすがに、神様も猫までは面倒見切れなかったみたいね」
 「アオバとオルフェも元気だったぜ。ダークマターによろしくっつってたな」
 「あの二人も結婚すればいいのにね」
 「あ?兄妹だろ?」
 「血は繋がってないでしょ?なら問題ないじゃない」
 あ〜、この幸せオーラに当てられたのか、気の毒に…と見知らぬ冒険者に同情したクルガンだった。ちなみに、本当はオルフェとは面識があるはずだったが、彼の中ではオリビエという名であったため気づいていないのだ。
 「さて」
 報告を受けて、クルガンが口火を切る。
 「目下の目標は、食料の確保だ。他の連中は、さっさとドゥーハンから出ることで食料を得ようとしているのだろうが…」
 「まあ、それも一つの手ね。こんなところでずっといるわけにもいかないし」
 「本当は、まだ魔物の彷徨いている迷宮を放置しておきたくないんだがな。しっかり封じて行かねば、近隣諸国に迷惑がかかる」
 再度入り直した迷宮には、数は少なくなったとはいえそれなりに魔物が徘徊していた。
 これまでは王宮魔導師部隊が入り口を閉鎖していたが、今はそれも期待できない。
 封印されていないと気づけば、魔物たちが続々と出てくる可能性がある。
 「出来れば、駆逐して行きたいものだが…」
 これまでも、どこからあの魔物たちが湧いて出てきたのか不明だったが、あの<神>が倒れ、異世界の通路が閉鎖された今なら、増えないのではないか、という推測も出来た。
 「まあ、食料次第だなー。最悪、誰かが外に買い込みに出ていって、残りの奴で迷宮を見張るってのも可能だけどよ」
 リカルドも、魔物が出てくるのは不愉快なのだろう、協力するのが当然、といった態度だった。
 「封印だけなら、こいつが裏技でも何でも持ってそうなんだが…これだからな…」
 しがみついたままのダークマターを指で指して溜息を吐く。
 自分のことが話題に上がっても、全く聞こえていないかのように顔も上げない様子に、ますます溜息が重くなる。
 「いつもダークマターに頼るのも何だし、私たちでやれることをやりましょ。まずは、王宮ね?」
 「そうだな」
 そうして、彼らは王宮に向かった。
 半分が切り取られたように完全に崩れ、残りの半分もいつ崩れるか分からない、といった光景に、あまり探索するのは危険だと判断する。
 「あまり奥には行くなよ?せっかく助かったのに、こんなところで圧死したら笑い者だ」
 「ちょっと見に行くだけよー」
 ルイがきらきらと目を輝かせて一人奥へと向かった。
 意外と王宮のきらびやかな暮らしにあこがれていたようだから、いまのうちに見ておきたいのだろう。
 廃墟だが。
 サラとリカルドには厨房の位置で、危険でない程度に探すように言う。
 そしてクルガン自身は、記憶を照らして、貯蔵庫あたりの瓦礫をどけ始めた。
 ダークマターは相変わらずクルガンのシャツを握ったままだったので、諦めてグレッグと二人で煉瓦や木材と格闘する。
 ある程度どけると、割れた壷やら何やらが現れ始めた。
 厨房には(不本意ながら)しょっちゅう忍び込んでいたクルガンだが、さすがに食料保管庫の内部にまでは詳しくない。
 一体どのあたりに何がしまってあるのかさっぱり分からなかった。
 「あの積まれた袋など、怪しくないか?」
 崩れた木材の隙間から見える麻袋の山を、グレッグが目を細めて見つめる。
 「しかし…俺たちは、一体何を食ってたんだろうな」
 約3年間近く、この保管庫も崩れたままなのだったら、消費してきた食べ物は一体。
 靄や霞でも食って生きていたとでも言うのだろうか。
 『食べた』つもりになっただけで、実はただの妄想…だとしたら、本当に自分は死んでいたのか。
 ソフィアに助けられて生き残っていたつもりのクルガンは、今更ながらに顔を顰めた。
 「ま、いい。今は生きてるからな」
 独り言を言ってから、木材を押しのけて麻袋に到達する。
 少しだけナイフで切ってみて、中身を確かめる。
 「トウモロコシの挽き粉だな。…少なくとも3年前のものだが」
 しかし、外見も少し舐めてみた感触から言っても、傷んだ様子はない。
 「虫も死んでいた、ということなのだろうな」
 複雑な表情でグレッグが頷いた。
 完全に死の世界では、小麦粉や挽き粉が虫が湧くこともないらしい。まあ、さすがに果物だの野菜だのは干涸らびているだろうが。
 麻袋を引きずり出していると、リカルドとサラが戻ってきたが、こちらは食べ物は見つけられなかったらしい。ある程度の調理用具が戦利品だ。
 そうして、彼らは穀物の類は手に入れた。それ以外は使いものにならなかったが。
 「小麦粉と塩と水があれば、何とか食える物が作れるな。…ちょっと、手を離せ、ダークマター」
 グレッグに手を握らせておいて、クルガンは腕まくりをした。
 どうやら自分が作る気満々らしい。
 栄誉あるクイーンガードが一番にコックの真似をするなんてどうよ、と仲間は思ったが、本人が何ら疑問に思っていないようなので、見守ることにした。
 で、クルガンがネタを練っている頃、ルイが戻ってきた。
 「うふふふふ〜お宝満載〜」
 両手に重そうな袋を持って帰ってきており、中から出したものをサラに放り投げた。
 受け取ったサラが、手の中のものを見て、小さく悲鳴を上げる。
 「綺麗でしょう?そのブローチだけで結構な値段がするはずよ。普通なら、私たちが一生働いても払えないくらいのね」
 それは立派な盗難…というか空き巣だったが、クルガンは苦笑するに留めおいた。どうせ調査隊が到着する前に誰かが立ち入れば、そいつらが着服するだろう。それなら、ルイが持っていく方が遙かにマシだ。
 まあ、クルガンに宝石の良さというやつはさっぱり分からなかったので、この程度の認識だが。
 ひょっとしたら、王家に伝わる秘宝とかもあるのかも知れないが、全く興味が無かったので放置決定。
 「こここここんなの私着けられないわ!」
 「いいんじゃないの?外で売り払うことも出来るわ。…無料救護院創立するなら、お金はあるに越したことないのよ」
 「あ……そそうねルイ姉さんありがとう」
 まあ、手持ちの現金だけで相当な額に上るのだが。
 だが確かに金はあるほど良い。無料救護院は、支出があるばかりで収入は無いのだから。
 「ま、俺が出稼ぎに出るけどなー」
 リカルドが腰の剣をぽんと叩いて陽気に笑った。
 「新妻を置いて?」
 「あ〜…それは、まあ…ぼちぼちと」
 くすくす笑い合う二人を横目に、クルガンは淡々と鉄板に丸めたネタを並べたのだった。


 そうして、辛うじて空腹だけは満たしておいて、迷宮へと向かう。
 もうじき入り口が見える、というところで、曲がった角から誰かが出てきた。
 クルガンが無言で抜刀したが、すぐに相手を認めて目を細める。
 「ミシェルか」
 「お久しう、皆様方」
 小柄な女魔術師が優雅に礼をする。
 そして、その背後には。
 気まずそうな顔をしたエルフの司教も立っていた。
 「あれ?カザは確か、消えたんじゃ…」
 リカルドが言いかけて慌てて口を閉じる。
 憂鬱そうな顔をゆっくりと振って、カザは重く言った。
 「そうだな…消えたつもりだったのだが…その…」
 エルフ特有の長い耳が、ぺたん、と下に向いた。
 「ソフィアに…殴られた…」
 ぼそりと言って、頬を撫でる。無論、その顔に痣などは無かったが、もしも現実ならば相当腫れていたのだろうな、と思わせるほど、痛そうな動作だった。
 「さっさと諦めて死ぬなど何事か、と思い切り…追い返されてしまったのだ…」
 クルガンの背中から、ダークマターがひょいと顔を覗かせた。
 すたすたと歩み寄られてカザが眉を寄せる。
 そして、抱きつかれるとは思っていなかったのか、悲鳴を上げた。
 「ま、ま、待て!お前に慰められたくは無い!こら、止めろ!」
 きゅーっと抱きついたダークマターの、上げた顔がにっこりと邪気無く笑っていたため、カザはそれ以上何も言えずもごもごと口の中で何かを呟いた。
 それからミシェルに抱きつこうとしたダークマターだったが、背後からグレッグに抱き留められてそれは叶わなかった。
 「まあ、待ってくれ、我が主君。抱きつくなら私にさせてくれ」
 「…それじゃ、意味が無いんじゃないか?」
 胸に腕を回され、それ以上近づけなくなったダークマターが、ミシェルに手を伸ばした。
 握手、と言っているように振られたそれを、ミシェルは手に取り軽く握った。
 「感謝いたします、ダークマター。これでソフィアも…いえ、我が同胞たちも安らかに眠れます」
 柔らかく笑っているダークマターを眩しいものでも見ているかのように目を細めて、ミシェルは手を離した。
 「あれは私たちエルフの造り出した者…私たちが始末をするべきものでしたのに…でも私では出来なかったでしょうね。私はとても…弱い」
 とん、と杖で地面を突いて、ミシェルは俯いた。その隣にカザが立つ。 
 「せめて我々に出来ること、と、迷宮の入り口は封じておいた。これで魔物が出てくることはあるまい。もしも、君たちが迷宮に入りたければ、合い言葉を言えば良い。それで扉は君たちには開かれる」
 「合い言葉?」
 クルガンの言葉に、カザは、ふっ、と自慢そうな顔になった。
 「『忘れたもうな、ソフィアの愛を』。…良い合い言葉だろう?この迷宮に入る者は、すべからくソフィアを想うことを許されるのだ」
 「…何て言ったの?」
 その部分だけエルフ語で言われたため、ルイがクルガンの袖を引っ張って訳を頼む。
 人間語に直したものを伝えてやってから、クルガンは呆れたように肩をすくめた。
 「嫌がらせか?」
 「何の、思い切り本気だとも」
 悪戯が成功した子供の誇らしげな表情で、カザは胸を張った。
 「カザ坊らしいわ…」
 「私は…それが後世に伝えられると思うと、恥ずかしい、と言ったのですが…」
 いっそ感心したように頷くルイに、カザの隣でミシェルが肩を落とした。
 「何が恥ずかしい?ソフィアは立派な人だった…」
 夢見るような目で遠くを見るカザの横顔を見つめながら、ミシェルは諦めたように溜息を吐いた。
 「私たちは、エルフの森を見て参ります。せめて、元の豊かな森に戻したい…一族は、滅亡したかも知れないけれど」
 最後の部分は、少し憂いげに言われたけれど、ミシェルはすっと背筋を伸ばした。
 「でも、私たちは、生きている。これからでも、何かが出来るはずですから。…また、いつかお会いしましょう」
 エルフ特有の礼をして、ミシェルは歩き出した。
 カザも併せて歩き出し、グレッグに抱きかかえられたままのダークマターの前で少し立ち止まる。
 「…悪かったな…いろいろと。いつか…ソフィアの話が出来ると良い」
 そうして、怒ったように、ふん、と鼻を鳴らして、カザは足早に去っていった。


 最後の<仲間>を見送った彼らは、顔を見合わせた。
 また怯えたようにくっついているダークマターの頭を撫でながら、クルガンが口を開いた。
 「俺たちはどうする?迷宮が閉じられたのならば、ここにいる必要は無いが」
 ルイが、うーん、と伸びをした。
 「そうねぇ。私は新しい首都にでも行きたいわ。繁華街の空気が恋しくなっちゃった」
 「首都…たぶんはハンザルだが。ならば、俺たちと一緒に来るか?俺は新しい女王…ハンザルのオルタニア姫に挨拶をせねばならんし」
 まあ、確定情報ではないが、とクルガンは肩をすくめた。
 それに、ダークマターの意向もある。
 リカルドとサラがお互い肘でつつき合ってから言いにくそうに言い出した。
 「あのよ…俺たちは、イナカに帰って、無料救護院を創りたいんだけど、よ」
 「ダークマターのこと気になるから元気になってからでもいいんだけど」
 ダークマターの手が伸びて、リカルドの腕を掴んだ。
 そのぎゅーっと入った力具合が「行くな」と言われているようで、リカルドはぽんぽんとその手を軽く叩いた。
 「いやいやリーダーが駄目だって言うなら、どこまでも付き合うぜ?なあ?」
 「えぇだって無料救護院は逃げないもの」
 クルガンを見上げたダークマターが、縋り付くような哀願しているような目であったため、クルガンはしばし唸った。
 「う〜…まあ、あれだ。お前たちもハンザルにとりあえず来て貰って、だな。もし、きちんと王宮に挨拶をするなら、お前たちの紹介もしておきたい」
 うげ、とイヤそうな顔になったリカルドに苦笑して続ける。
 「気持ちは分かるがな。だが、王宮で名を売っておくのも悪くは無い。それこそ、援助すると言い出す奴もいるはずだ。騎士の腕も高く買ってくれるだろうしな」
 「冒険者が気楽で良いんだけどよ〜」
 「出稼ぎするんだろう?せいぜい高値を付けることだ」
 もしもきちんと王宮に話を通したなら。
 ドゥーハンを滅亡させた<神>に立ち向かった騎士、と言う肩書きは、かなりの威力を発揮するはずだ。
 「よし、これで、全員がハンザルに向かうことで決定だな。…これで落ち着いたか?」
 最後の言葉はダークマターに。
 不安そうに誰かが発言する度にきょろきょろしていたダークマターの顔が、少し和らいだ。
 何があったかについては言葉では出てこないにせよ、いい加減分かるというものだ。
 これは、誰かに置いて行かれるのを怖がっているのだ。
 独りぼっちで捨て置かれることを恐れているのだ。
 どうせ、『最後が「すまない」じゃない人生を送らせてやりたい』と思っていたのだ。最後まで付き合ってやろう。
 
 「そうと決まれば、まずはパンを焼くか。どこかで食料が手に入るまで、持っていけるだけの、な」



 そうして、彼らは動き出す。
 感傷も追悼も、全てを後回しにして、まず腹を満たすための行為をする。
 何故なら、彼らは生きているからだ。
 どんなに取り巻く世界が変わっても、時間が経てば、腹が減り、排泄し、眠くなる。
 人けの無い廃墟で、燃やせるものを見つけ、暖を取りながら食事をする。
 そこは誰かが生活していた跡地かも知れないが、そんなことは気にせず笑い合う。


  彼らは、生きているのだから。
 




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