人形



 傷ついた部下たちをまとめ上げ、低級魔神たちと戦いながら6階の奥へと進んでいったクルガンは、扉を開いて眉を潜めた。
 その空間は、他の場所よりも密閉された空間なのか、一段と胞子が多い。彼の目を以てしてもせいぜい数m見通すのが可能という視界の悪さであった。
 一歩踏み込めば、胞子がもうもうと舞い上がる。これでは自分がどこにいるのかすら分からなくなる。試しに壁に印を刻んでみたが、瞬く間に緑色の薄い層に覆われ、指で触れても刻んだ跡を知ることが出来ない。
 「仕方がない。この部分は、上忍のみで行く」
 低レベルの者が行けば、それだけ動作も大きく、胞子の巻き上がり具合も多い。出来るだけ、風が通るほどの気配も立てずに進むことが出来る精鋭のみを選び出して、クルガンは先へと進んだ。
 中は、進めば進むほど濃厚な緑に包まれ、方向感覚が鈍っていく。
 だが、先ほどからクルガンの肌をちくちくと刺激する気配があった。
 それは忍者の感覚と言うよりも、彼の中に息づくエルフの血が為せる技だったかもしれない。
 強大な魔法が発動されている感覚。
 それも、決して『善なるもの』ではない。凶々しい、背筋を粟立たせる『どこか』へ開いた門の気配。
 そこに女王陛下がおわすとは限らぬものの、魔物と契約したユージン卿に関係するものである確率はかなり高い。
 焦るな、と自分に言い聞かせ、その感覚を頼りに目では見えぬ通路を踏破し、ようやく広い空間へと繋がる扉を発見する。
 彼に続いてそこへ出た部下たちも、あの色濃い胞子にはうんざりしていたのだろう、どこかほっとしたような空気が漂った。
 だが、クルガンの表情は彼らとは逆に、厳しく引き締まった。
 通路に事切れた兵士がいる。
 そして、その向こうの重厚な扉の向こうから、障気が溢れ出していた。
 それとともに。
 とてもよく、知っていた気配も。
 陛下の気配は感じられなかった
 とすれば、この肌に粘り着くような不快な気配の魔神は、足止めとして召喚されたものだろうか?
 部下たちに無言で合図を送り、クルガンは気配を消して、扉に近づいた。
 そうして初めて、そこに女が二人いることに気づいた。扉に耳を寄せ、必死に中の様子を窺っている。
 以前見たときとは服装が異なるものの、その二人が『彼』の仲間であることはすぐに分かった。
 だが、何をしているのだろう、とクルガンは内心眉を顰めた。『彼』の気配は、中にある。仲間なら、共に戦うのが筋ではないだろうか。以前と同じ構成ならば、『彼』と共にいるのは戦士と忍者が一人ずつ。魔神と戦うには些か心許ない。
 「…何故、ここにいる?」
 それは、「何故、中で共に戦わないのか」とも「何故、冒険者風情がここにいるのか」ともとれる問い方だった。
 声に、驚いたように二人の女は振り返った。そして、一目で相手を誰か認めて。
 助けを求める目になった。
 クルガンを『リーダーを殺す者』としてではなく『リーダーを助けてくれる者』として認識している様子に、一瞬戸惑い、戸惑ったこと自体に腹を立てる。
 「戦う気が無いのなら、そこを退け」
 ぶっきらぼうに言い捨てれば、赤い髪の女が目を煌めかせた。
 「好きで追い出されたんじゃないわよ。私だって、中に入りたいわ」
 女僧侶も激しく頷いて、口元の布越しに抗議の声を上げる。
 「居ても立ってもいられないってもんよねいっそ一緒に戦ってる方がマシだわこんな心配するならでも私たちが足手まといになるって言うから仕方ないじゃない」
 足手まとい、という言葉に、クルガンは改めて二人を見る。以前見たときよりも成長し、魔力を蓄えているのは見て取れる。そもそも『彼』がそんな言葉を仲間にぶつけるとは思えない。
 「中にいるのは」
 言って、赤い髪の女が両手で自分の肩を抱くような仕草をした。
 「インキュバス。淫魔ってやつね。しかも、その辺で彷徨いてるような奴じゃないわ。高位の魔神よ。…女じゃ駄目なのよ、あれと戦うのは」
 淫魔の名は聞いたことがある。夜、女性のベッドに忍び込み、淫猥な交合の末に精を注ぎ込むという類のもの。
 汚らわしい、とクルガンはますます眉間に皺を寄せる。
 だが、確かにそれの高位魔神となれば、女性が戦うには不向きだろう。下手すれば一撃で精神を破壊される可能性がある。
 「あの子をお願い」
 赤い髪の女が、真剣な目でクルガンをまっすぐに見つめた。長い指が、髪の毛を掻きむしる。
 「上手く説明できないけど…あの子にとっても危険な相手って気がするの。あの子は精神的に不安定だから、ああいう人の心につけ込むような奴を相手にするのは、分が悪いんじゃないかって」
 妙齢の女性が、同じく妙齢の男性を『あの子』と呼んで心配するのを、鼻で笑い飛ばしても良かったが、相手が心から気遣っているのが分かるだけに、クルガンとしては、ただ軽く頷くより他なかった。そもそも、『彼』を助ける立場には無いのだけれど。
 彼女らの視線を背に、扉をゆっくりと開く。
 「彼」は、強靱な精神を持っていた。
 見かけの不安定さに反して、それを恥じることなく自分の身体的特徴を受け入れ、ごく自然なものとしてとらえる大らかさがあった。
 その『彼』なら、淫魔と対峙しても、何ら懸念を要さないだろう。
 だが、確かに今の『あれ』は、すぐに魔神に付け込まれるのではないか、と思われる脆いところがあるのは、クルガンにも承知できた。
 しかし、部下たちの目もある。
 正面切って裏切り者を助けるわけにもいかない。
 さて、どうしたものか、と心の一部で悩みながら、クルガンは扉の内に体を滑り込ませた。
 そうして彼が見たものは。

 そこにいたのは、馬の頭部を持ち、淫猥な長い舌を持つ魔神。滴る唾液が粘り気を帯びていて、ぬめる太い舌を一層内臓めいて見せる。その不愉快な舌で、じゅるり、と粘液質な音を立てて舐めたものは…
 「陛下!?」
 咄嗟に、小さい叫びが口を割る。
 そんなはずがない、と疑念が頭を過ぎる。だが、そこに浮いているのは彼の敬愛する主君で。
 恐怖と、別の感情が浮かんだ顔。
 濡れて張り付く白いローブ。
 ひどく生々しい、そこにいるのは『人間の女』であり過ぎて、クルガンのただ一人仕えるべき主君とは異なる存在のように思えた。
 そして何より。
 自分が、その存在を感知し得なかったことに、クルガンは混乱した。
 女王陛下の気配は、自分の身体の一部のように、よく分かっているものであった。だが、この部屋にはいるまで、自分はその存在に気づかなかったのだ。
 いっそこれは魔神の見せる幻覚か、とも考えたが、視界で捕らえてようやく、そこに『女王がいる』と気配を感じた。ここにいるのは、女王に他ならない。それは、確かだ。
 同時に、自分の記憶している『女王』でも無い。
 混乱したままでも、それは『女王』であり、魔神に汚されるのは許せない、という感情は確かなものであった。
 さっさとその舌を切り落としてくれる、と握り締めた忍刀の感覚が心地よい。この感覚は自分を裏切らない。自分の意志に応え、確実に敵を葬るもの。
 その時、馬の喉から嗄れた人間の声が響いた。
 「はははははは、これは面白い。空っぽな人形が2体か」
 そうしてようやく、クルガンは、もう一人宙に浮かんでいたのを知る。
 後ろ姿だが、見間違えようもない。
 濃青のマント、幾分褪せた色合いの金髪。
 手に刀が握られてはいるが、だらりと垂れた様子から見るに、意識を失っているのか動きを束縛されているのか、といったところか。
 「お前にも、この世では味わうことのない快楽を与えてやろう。そうして芽生えた虚ろな感情を持つ人形が2体。我が遊ぶも良し、2体を掛け合わせるも良し」
 青黒く静脈の浮いた長い舌が、宙に浮かぶ身体を上から下まで舐めずった。
 不快感に、頭の奥が灼ける。
 「我が主君を返して貰おう!」
 クルガンが動く前に、目の前の黒衣の忍者が姿を消した。
 跳ね上がった体が、彼のリーダーを覆う舌へ到達し、切り下ろす。
 僅かに血が滲む程度の傷が出来ただけで、舌はびくりともしなかった。いや、むしろ不気味な蠕動を押しつけた身体に与えているように見える。
 「グレッグ、併せろよ」
 「あぁ、分かっている!」
 目の前の冒険者二人は、ダブルスラッシュを仕掛けるつもりらしい。クルガンの姿なぞ目の端にもかかていないようだ。
 それならば勝手に動くまでだ、と見上げたクルガンは、目を細めた。
 この気配には、覚えがある。
 誰よりも綺麗でまっすぐな剣気。透き通った氷の刃のように鋭く尖った感じは。
 
 不意に降ってきたのは、ダークマターの身体が先で、後から追いかけるようにゆっくりと質感を持ったそれが地響きを立てて床に跳ね、更にその後、青黒い液体がその場に降り注いだ。
 魔神の舌を半ばほどから切り落としたダークマターは、凍り付いた瞳で僅かに笑った。
 「あいにくと、そんなものに興味は無くてね」
 粘液に濡れて張り付く髪を鬱陶しそうに払い、ダークマターは刀を構えた。
 「空っぽな人形?大いに余計なお世話だよ。空っぽ、結構じゃないか。何も考えなくて済んでさ!」
 動き始めたとは分からぬほどなめらかな動作で走り出したダークマターの背に、視界が歪むほどの懐かしさを覚えて、クルガンは眉を押さえた。
 それでも見つめる光景に、淡い水色が煌めいた。
 振り返ったのだ。
 一瞬だけ。
 確かに、クルガンをクルガンと認めて。
 その意味を考えるより早く、体が動いていた。
 もう、合図など必要ない。声も、視線も無用。
 ただ、体が覚えている。目の前の氷の剣士とタイミングを合わせる瞬間を。
 確かな手応えに唇の端を吊り上げて、クルガンは床に降り立った。
 申し合わせたのでもないのに、相手の最も不快な部分は同じだったらしい。二人が切り落としたのは、長く太い舌であった。今度こそ完全に根本から切り落とされて、魔神が吼える。
 もう一度体勢を立て直す間に、リカルドとグレッグのダブルスラッシュが入る。
 「欠けた魂の入った出来損ないの人形よ!なにゆえ我に全てを委ねない!?心地よき悦楽の海に沈めてやろうと言うのに!何もかも、考えずに済むと言うのに!」
 ごぼごぼという泡とともに吐き出された言葉に、ダークマターの唇が更に笑いの形に歪んだ。
 「人のこと、空っぽだの欠けた魂だの、好き勝手言ってくれるじゃないか。他人に言われると腹立つんだよね、そーゆーのって!」
 吐き出された冷気の渦を剣気で断ち切って、真正面から魔神を睨めつける。
 言葉の意味は後で考えよう、と頭の中にセリフを刻みつつ、クルガンは背後を振り返った。付いてきた部下たちが、彼の命を待っている。
 「お前たちは、陛下のお身柄を確保せよ!」
 攻撃は彼らが引き受けるから、その間に宙に浮かぶ陛下をお助けするように、と命じて、クルガンはまた走り出したかつての同僚に動きを合わせた。

 ついに馬を悪意込めて擬人化したような風体の魔神が崩れ落ちた。
 まだ油断せずに構えるクルガンの前で、横向きの頭から、聞き取りにくい声が絞り出された。
 「よくぞ我をここまで追いつめたと誉めてやりたいが、我が本体はここには無し。欠けたる人形よ、己の所行を後悔するが良い」
 本体ではなく一部でこれだけの魔神となれば、本体の力は想像するに余りある。まさか、その本体がこちらの世界に出てくるつもりか、とびりびりと気を引き締めるクルガンの前で、ダークマターは、ふんと鼻を鳴らした。
 「知ってるよ。古き盟約に縛られた哀れな魔神。俺は欠けた魂かも知れないけど、その辺の記憶は欠けてなかったみたいだよ。さっきからずっと思いだそうとしてたんだけどさ」
 白い指の動きに合わせて、宙に青白い文様が浮かび上がる。複雑に絡まり合うそれを解読する知識は、クルガンには無かった。
 「…馬鹿な…」
 呆けたような声が、馬の喉から漏れた。
 「それは、もはや人の世から失われた言葉だぞ!?遙か昔の盟約だぞ!?それを、何故、貴様如き出来損ないの人形が…!」
 全く動じないまま、ダークマターの口からは呪が紡ぎ出される。
 「…盟約に従い、命ずる。汝、自らの肉体に戻ることかなわず。塵と埃を住処とするが良い。盟約者の名は……」
 続きは轟音に掻き消されて聞き取れなかった。
 鼓膜を震わせるそれは、床に転がる魔神から放たれた叫び。
 ぷつりとそれが止んだ時、それはすでにそこにはいなかった。
 ただ、僅かに黒ずんだ床の染みだけが、それが存在したことを主張していた。
 「…何をやった?」
 腕を組んで、あきれたように問えば、素直に返事が戻る。
 「べーつに。ちょっと、あれと契約した古い書物の記憶を呼び起こしただけ。結局のところ、ああいう精神生命体は、一定の規定に従ってかりそめの肉体を与えられているから、同じく規定の手順に従って『名』を組み込めば、こっちの命に従うしかないんだよね」
 そのあたりの術は、クルガンは詳しく無かったが、悪魔召喚者の術式がそれに準ずるものであるのは何となく理解していた。無論、その辺で遭遇するような召喚者とは、全く別次元と言って良いほどレベルが違う話であろうが。
 だが、かつての『彼』は、剣士。暗殺者の技を持っていたとしても、あくまでそれは剣術あるいは体術の類だ。僧侶魔法や魔術も多少唱えてはいたが、せいぜい補助程度。そんな本格的な召喚術に通じていたとは思えない。
 無論…自分はまた騙されているのかも知れないが。クルガンは苦い考えを噛み締め、目を落とした。
 ダークマターは、そんなクルガンを気にした様子もなく、喋りながら胸元の留め金を外して、濃青のマントを肩から滑り落とした。
 それを手に忍者兵たちに歩み寄り、その中心に座り込む「彼女」の身体を包み込むように掛けた。
 「俺のも濡れてるけどね。そのままよりマシって程度?」
 『女王』の白いローブは、濡れてべっとりと肌に張り付き、目のやり場に困るような風体であったが、忍者兵としては無礼に過ぎて自らの衣装を陛下に差し出すわけにもいかず、そのまま周りを囲んでいたのだった。
 その『女王』は、怯えたように自らの両肩を抱き、おどおどと辺りを見回している。子供のような仕草にクルガンは眉を顰め、目の前に膝を突いた。
 「陛下」
 縋り付くような必死の瞳が彼を捉え、またきょろきょろと目線が忙しなく動く。まるで、母親を捜している子供のようだ。
 「陛下?」
 もう一度、確かめるように問うクルガンの背後で、ダークマターが独り言のように呟いた。
 「空っぽの人形、ねぇ。俺とはまた違う感じなんだけど…一体、誰の意志が介入してるのかなぁ」
 思わず振り向くと、淡い水色の瞳が深い思考から帰ってきて、2,3度しばたいた。
 その瞳が『女王』を見つめる。浮かんでいるものが、どこか冷ややかな、まるで『実験動物』でも確認しているような光であったため、クルガンは立ち上がり彼の胸ぐらを掴んだ。
 「お前…!」
 振り払いもせずに、また淡い水色の瞳は焦点を失っていく。
 「さて、外見はまるっきり女王陛下、でも、中身は空っぽ、か。俺の場合は、外見が異なり、中身は欠けた部分的な魂、となると、全然別の術者と考えても良いけど、そんな『偶然』がこんな狭い範囲の狭い時間軸で起こる確率よりは、同一の術者が同一の意図を持って行ったと考える方が自然ではあるんだけど、でもやっぱり何か引っかかるんだよなぁ」
 術式の匂いが違うって言うか…とぶつぶつ呟く姿に、幾分呆気にとられてそれ以上の怒りが持続しない。
 一体、何を言っているんだ。
 混乱したまま、ダークマターを見つめる。
 その言い方は、まるで。
 
 まるで、自分も、『女王陛下』も、『誰か』に作り上げられた、みたいな言い方ではないか。

 記憶にある『彼』とは異なる姿。まるで記憶を失ったかのような言動。
 感知できなかった『陛下』の気配。まるで子供のような今の様子。
 『空っぽの人形』に『欠けた魂の入った出来損ないの人形』。
 断片的な思考が彼の頭を埋め尽くす。
 理性では、そんなはずはない、と分かっている。だが、本能のどこかが、ダークマターが言っていることは事実なのだと囁いている。
 
 ただ見つめているクルガンの耳に、複数の足音が聞こえてきた。
 そうして、背後の扉が開き、室内に入ってくる。
 「陛下!」
 「れどぅあ!」
 駆け込んできたガード長を認めて、床に蹲っていた女王の口から、歓喜に満ちた叫びが放たれた。
 「れどぅあ、れどぅあ!わたくしは、何をすればよいのですか!?貴方がいなければ、わたくしは何をして良いのか分からない!皆に命ずればよいのですか!?それとも竜の心臓を!?」
 子供のような足取りで駆け寄る女王に、ガード長の顔が一瞬ぎょっとしたように歪んだ。
 「落ち着きなされませい!」
 鋭い一喝に、女王の身体がびくりと竦む。
 子供のように頼りない目つきで見上げる女王の肩を軽く叩き、ガード長は一見優しく穏やかな声をかけた。
 「陛下は混乱しておられる。どうぞ、落ち着きなされませい」
 変化は劇的であった。
 背筋が伸び、もたげられた優美な首が、威厳に満ちた姿を形どる。浮かべられた微笑は慈愛に満ちていたが、それに至る過程を見てしまった今は、いっそ不気味なほどだった。
 「さあ、まずは陛下の御身をお救いした冒険者にお言葉を」
 軽く頷き、女王は透き通る声音で彼らの方に声を出した。
 「冒険者の者たちよ、大儀であった」
 まるで肉と思って口にしたものが石であったとでもいうような奇妙な表情で突っ立っているリカルドたちとは異なり、それが当然といった風に一礼して見せたダークマターの表情は、下を向いている間は吹き出しそうに笑いを堪えている様子だったのがクルガンには見て取れた。
 クルガンにしても、これが茶番であるという気が拭えない。
 背後の部下たちも動揺こそ見せていないものの、不審に感じているのは確かだ。
 そんな皆の様子には気づいているだろうが、極々自然な様子でガード長はクルガンに命じた。
 「クルガンよ。大逆者ユージン=ギュスターム卿は、更に下の階層に逃げたようだ。あの者を捕らえよ!」
 「はっ!」
 頭を下げつつ腹をくくったクルガンは、目を上げたそのままに女王にずいっと近づいた。
 「陛下。そこにいるのは、裏切り者のクイーンガード・ダークマターです。どうか、あれを殺すご命令を」
 冒険者たちが緊張して彼らのリーダーの元に集まるのを背中で感じつつも、クルガンはまっすぐに女王を見つめた。
 女王の目に、動揺が走る。
 予想外のセリフに狼狽えているのだ。縋るように見上げた女王を隠すように、ガード長が一歩踏み出した。
 「クルガンよ。お前に命じたのはギュスターム卿の処断である。速やかに任を果たすように」
 言って、ガード長は女王と共に姿を消した。リープの魔法を使ったのだ。
 緊張を解いたゆに、リカルドが溜息と共に呟いた。
 「…何だ?あれ」
 不敬な言葉であったが、咎める気にはなれなかった。
 だが、『女王の』『命令』である。クルガンに逆らう術は無い。
 何にせよ、反逆者であるユージンを捕らえることは、確かに彼の任務であることに間違いは無かったので、色々と思うことはあるにせよ、それを果たすのが先だ、と自分に言い聞かせる。
 部下たちに合図し、部隊編成の確認をする。
 「気を付けた方が良いよ」
 クルガンが振り返ったときには、すでにダークマターは仲間の方を向いていた。そのままの姿勢で言葉が続けられる。
 「何となく…あれを見たのはやばい感じ。俺やあんたはともかく、部下を消されないよう、気を付けた方が良いよ」
 自然に、自分と彼とが並列に扱われているのに気づいて、クルガンは苦笑しつつ頷いた。
 ダークマターの言葉は、一介の冒険者がクイーンガードの長に向けるには不敬であったが、頷かざるを得ない説得力があった。ただでさえ、かつての慈愛に満ちた陛下はどうされたのか、という疑念は多くの民に持たれているのだ。それを裏付けるようなあんな『女王』を見た者が噂を立てぬよう『処理』するのは、ガード長としては当然の処置だろう。対象が、たとえクルガンの部下であっても、だ。
 「冒険者を始末する方が、簡単かもしれんぞ?」
 「でも、噂の影響力としては大したことないからね。特に、最近酒場に人が少ないし」
 「うちの部下に、おかしな噂を立てる奴はいない」
 「それは、俺やあんたの判断。あの人の判断とは別」
 振り返って肩をすくめるダークマターに同意しかけて、クルガンは額を押さえた。
 「ちょっと待て。流されてるぞ、俺。いったい、俺はお前をどう扱えば良いんだ?」
 まるで元の同僚に話すような感覚で会話しているのに気づいたクルガンは、一歩下がって、改めてダークマターを見た。
 もしも、相手が元同僚なら、それは『裏切り者のダークマター』だ。こんなに和やかに話すべき相手ではない。
 かといって、相手がただの冒険者だと言うなら、それはそれで一国の重鎮に関してこんなに馴れ馴れしく話すべき相手でもない。
 つまるところ、どうやら自分は彼を裏切り者とは考えていないのではないか、と今更気づいてクルガンは鼻白んだ。
 状況証拠は、確実にあのダークマターが裏切り者だと示している。
 だが、今のこれの態度を見ていると、そんな風には思えないのだ。
 信じていたからこそ裏切られたことに激怒し、全ての責めを彼一人に負わせていたが、実際目前にしてみると心の奥底から何かの間違いではないか、と囁く声がする。自分でも甘い、とは思うのだが、まるで罪悪感を感じていないような相手を見ていると、どうしても怒りを持続できない。
 「俺は…俺をどう扱うかは、何となく理解出来始めたけどね」
 目を上げたクルガンに、一瞬だけ見えた表情は、どこか悲しい微笑だったが、それはすぐにかき消え思案深げなものに変わった。
 「気づいたか?ガード長は、『それはクイーンガード・ダークマターでは無いから止めろ』とは言わなかったよ」
 言われてみればそうだ。
 城でダークマターについて話したことは無い。そうならば、あれが初めて『裏切り者の元クイーンガード』に対する摘発であったはずだが、ガード長は驚きの一つも見せなかった。それは、つまり、このエルフを『元クイーンガードのダークマター』とすでに知っていて、その上で放置しておけ、と言ったということになる。
 ふと思いついて、クルガンはダークマターの胸のあたりを見ながら言った。
 「そういえば、お前たちは許可証を持っていたな?」
 頷いて、ダークマターは懐から許可証を出してみせた。
 「女王陛下、ガード長、御自ら御下賜下さったよ」
 皮肉に笑って続ける。
 「ガード長はちょっと驚いた顔で俺を見てたな。何も言わなかったけどね」
 それが本当だとすると、その時点でガード長はこれを見ていたことになる。もしもガード長がダークマターを裏切り者と認識していたなら、何某かの反応があったはずだが、それも無し。
 ということは、ガード長はこれを『ただの罪の無いそっくりさん』と考えた、と言うことかもしれないが、それなら、先ほど彼の弾劾に『それはダークマターではない』と言うはずだ。
 なら、ガード長は『ダークマターが裏切り者では無い』と思っているのか?しかし、それにしても行方不明の元ガードが見つかれば、何か反応しそうなものだが…。
 「あの人の得意分野は、人造生物だったっけ。でもって、空っぽな人形、ね。…あんまり、良い気はしないな」
 指先が癇性に金髪を掻き上げる。落ちてもいない髪を耳の後ろに撫でつける仕草は、イライラしているときの癖だ。
 あの魔神の言葉を信用するならば、陛下は『空っぽな人形』で、こいつは『欠けた魂の入った出来損ないの人形』だ。
 魔術に疎いクルガンに、正確な意味は分からない。いや、分かりたくない。
 少なくとも目の前のエルフが、その単語に反論しなかったことだけが、確かな事実として残った。
 ダークマターは、仲間たちの元に歩いていき、振り返った。
 「俺たちは、いったん帰るよ。それから、また下を目指す。俺の記憶は、まだちぐはぐだけど、何となく、下に行けばそれが繋がる気がするしね」
 クルガンも頷き、部下たちを振り返った。
 「俺たちも、下を目指す。反逆者を捕らえる命もあるし、下には真実が隠されている気がするからな」
 そうして、二人は軽く手を上げた。
 かつて任務で分かれるときにしたように。
 「それじゃ。あんたに神のご加護がありますように」
 「お前に、武運を」
 あまりにも、しっくりする挨拶に目眩がする。
 そうして、存外に気分が高揚するのを感じて、同僚を失ったことが思っている以上に痛手だったのだと気づく。
 このまま、かつてのような関係になれれば良い。
 だが、頭を振って、その考えを追い出す。
 これは、『かつての同僚に似た罪のない冒険者』であるか、『裏切り者のクイーンガード』かのどちらかだ。どちらにしても、かつてと同じ関係を築けるはずもない。
 ふと、振った手を握り締めて胸のあたりを押さえているダークマターを見た。
 「そういえば、お前は俺を殺すんじゃなかったのか?」
 「ん?あぁ…」
 開いた瞳孔が虚ろに笑う。
 「あんた見てると、胸がもやもやするからなー。何とも、居ても立ってもいられないような感じというか…心拍数上がって頭ががんがんするというか」
 判断に困るセリフに立ち尽くしていると、淡い水色の瞳がからかうように煌めいた。
 「だけど、ひょっとしたら、愛情の裏返しなのかなって思うんだよね」
 「はぁ!?」
 素っ頓狂に返すクルガンにくすくす笑って、ダークマターは仲間の元に行った。
 その体を二人の男がクルガンの視線から隠すように動いて、彼らは輪を作る。
 懐から帰還の薬を取り出す女をよそに、戦士と忍者がクルガンをじろりと睨み付けた。あからさまに敵意の籠もった目だ。
 「裏返し、だよな、裏返し」
 「その通り。愛情、と勘違いして貰っては困る」
 わざとらしく大きな声で交わされる会話に、ダークマターが首を傾げたのが見えた。
 誰が勘違いするか!と叫ぶより早く、冒険者たちは視界から消えた。
 どうやら自分は、思い切り敵意を持たれているらしい。それもいわれない理由で。
 何となくがっくりと力の抜けた体で、しばらく消えた後を見つめていたクルガンに、ひそひそとした忍び声が聞こえてきた。
 「やっぱりな、ダークマター隊長が、うちの隊長を好きだっていう噂は本当だったんだよ」
 「いやー、生で修羅場を見られるとはなー」
 「ダークマター隊長、戻ってきてくれれば良いのになー」
 ゆらり、と背中に鬼気を背負ってクルガンは振り返った。
 「お前たち…噂話に花を咲かせるなど、忍者として不適格だぞ!」
 「だって、自分ら、人間ですからー!」
 声を揃えて明るく答える部下たちに、拳骨を落としながらも、こんな風に迷宮内で笑ったのは初めてだと思う。
 この陰鬱な場所、陰鬱なシチュエーションで、笑う余裕があるのは結構なことだ。
 そういう点では、あいつに感謝してもいいかもしれない、と、ちらと思う。
 
 それに、文句の一つも言わずに、自分についてきてくれる部下たちにも。



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