滝の前にて




 ようやく陰鬱な墓場を抜けることが出来た彼らは、階段を降りて一歩踏み出したところで、声を失った。
 「こりゃまた…」
 迷宮の中だというのを忘れそうな光景が、彼らの前に広がっている。
 青みを帯びた岩肌に、轟々と音を立てて流れる滝。
 それを取り囲むように、些か頼りない板で出来た通路が絶壁を這っている。
 「…綺麗ね」
 ぽつりと呟いたルイを、ダークマターが振り返る。
 「綺麗?何が?」
 訝しげな表情は、本気だろう。
 ルイは、言葉で説明しようとして、数秒指を振り回し…諦めた。
 「キミには、この風景は、どんな風に見えてるの?」
 「目に映っているものは、ルイ姉さんと同じものだと思うけど」
 「じゃあ、言葉を換えるわ。どんな感じがするの?」
 その問いは、感情を覚え始めたばかりの彼には難しすぎた。
 それでも、自分の感じたことを他人に伝えるのは、なかなか良い訓練に思えたので、彼はどうにか言葉にしてみようと模索し始めた。
 「…圧迫感は感じない。つまり、この場所そのものに悪意は感じない」
 首を傾げながら、言葉を選ぶ。
 「見たところ、岩は花崗岩。水流が急なため、水滴が細かい粒子となって空中を漂っているので、温度の割に湿度は高い」
 だんだん『感情』とは逸れてきたが。
 「そのため、周囲の木で作られた柵や足場は、すぐに腐食すると思われる。特に重量のある防具を身につけている場合は、歩行に要注意だな」
 「…キミねー」
 ルイは、がくりと肩を落とした。
 ダークマターの感想(評価?)を聞いていると、今まで感動的であった光景が、無味乾燥な迷宮の一部に見えてくる。
 困ったようにルイを見つめるダークマターの肩に、リカルドが腕を回した。
 「まーまー。俺も似たようなもんだぜ。何て言うか、こういう『自然の偉大さ、美しさ』ってやつは、自分が感動してるっつーより『人として感動するべきだ!』みたいな強迫観念があるんだよな」
 木の柵から恐る恐る下の水面を覗き込んでいたサラが、その言葉に振り向いた。
 「あらまあいやだわやっぱり男って鈍感っていうか繊細さに欠けるわねこの光景を見てただ単純に感動できないのかしらおぉ神よ偉大なる御技に畏敬の念を抱きますこういう風景ってまあ自分が小さい存在だって知らしめられるみたいでちょっと怖いと言えば怖いんだけど」
 「その柵、あまり体重をかけるのは危険だと思う」
 現実的なダークマターの言葉に、慌ててもたれていた柵から身を離し、彼らの元に戻ってくる。
 「…これって、神様が創ったのか?」
 ぼんやりと水色の瞳を滝に向けて、ダークマターは呟いた。
 「やだわ僧侶が何言ってるのよあもう僧侶じゃなくなってたわねお侍さんだったわねだけどつい昨日まで僧侶だったじゃないの神様がお造りになる以外に誰が自然を配置したって言うのよ」
 「神以外の、誰か」
 冗談のようだが、ダークマターの唇には、ひどく皮肉な笑みが浮かんでいる。
 そして、また思案してい顔になり、独り言のように呟いた。
 「上の牢獄や墓場は、元ある土地が迷宮の一部として繋がっている。てことは、ここも本来はどこかに在った土地なのか?」
 「あらそうねそう言われてみると神様がお造りになったとも言えないんだけどでもやっぱり元々の自然は神様がお造りになったものだわ」
 言いながらサラも滝を見つめる。
 少なくとも彼女の記憶に、ドゥーハンの街中にはこんな大きな滝は存在しない。
 「山の方なのかしらいつかこの雪が止んで街が復興したら皆で行ってみたいわお弁当を持ってピクニックみたいに」
 自分でも、それはあまりに非現実的な夢のように聞こえて、サラは顔を赤らめて最後の方は口の中だけでもごもごと言い終えた。
 どうすれば、この雪が止むのか。
 いつ、国は立ち直るのだろうか。
 自分たちが迷宮に潜るのは、何故だっただろう。
 『魔神の宝』なんてものに興味は無いが、かといって、こんな風に迷宮を探索し続けることが根本的な解決になるとは思えない。
 それとも、その『魔神の宝』なるものが発見されたら、全てが解決するのだろうか?
 『雪が止み、ドゥーハンには日差しが戻りました。そして慈悲深き女王の元で、皆が力を合わせて国を復興させました。めでたし、めでたし』
 それは、とても子供じみた夢物語にしか聞こえない。
 たとえ、自分が必死に迷宮を探索しても。他人の役に立っていると誇らしい気持ちになっても。
 この街は相変わらず雪に閉ざされ滅びの歌を奏でるばかり。
 …そう考えると、不意にこの身が虚ろになった気がして、サラは頭を振った。
 考えてはいけないのに、意識すると余計に考えてしまう何かに囚われてしまった彼女を引き戻したのは、リカルドの暢気な声だった。
 「あー、いいねぇ、ピクニック。俺はハムサンド希望。ワインも付けてくれ」
 多分、彼の脳裏にも同じ風景が見えているのだろう。
 籐で編まれたバスケット。清潔な布。中にサンドイッチ、それからワイン。
 暖かな日差し。踏んだ所から立ち上る草の青臭さ。
 涙が出るほど懐かしい、温かな記憶が、サラの中の空虚な闇を追い払った。
 「ワインの瓶は重いのよあんた自分が飲む分くらいは自分で運びなさいよね」
 「おー、持つ持つ。10本くらい持ってやる。だから、ハムサンドにはパセリも付けてくれ。嫌いな奴もいるけど、俺はあの苦みがたまらんと思うんだよなー」
 悪びれずに、リカルドは腰に手を当て大きく笑った。
 「鶏の空揚げ」
 不意にルイが切なそうに呟いた。
 「あぁチューリップ型になってる奴!それもピクニックの定番だよなー」
 「そうそう冷えてても何故か美味しいのよピクニックだと」
 全く理解できないもので盛り上がる3人を見つめ、ダークマターは眉を寄せた。
 「…ピクニックって?」
 「「籐で編まれたバスケット!」」
 リカルドとサラの口から同じ言葉が飛び出し、ハイタッチして笑う。
 「バスケット…籐で編まれた…」
 難しい顔で考え込むダークマターに、ルイが気を遣って何か言葉をかけようとしたところ、不意にダークマターの顔が険しくなり、その辺の岩を蹴り始めた。
 「…何やってんの、キミは」
 「何かこう…今、エルフ耳が過ぎって…無性にイライラするっていうか」
 鼻にしわを寄せて唇を尖らせ、八つ当たり気味にがしがしと岩を蹴るダークマターに、ルイは肩をすくめて周囲を見回した。
 話を逸らそうにも、リカルドとサラはまだピクニックの話で盛り上がっているし……。
 そこで、ようやくルイは、この階に降りてからグレッグがまだ何も発言していないことに気づいた。
 まあ、忍者にピクニックは無縁だろうが、それにしても何かと茶々を入れるのが好きな彼のことだ。こんなにも気配すら無いのはおかしい。
 改めて、彼を目的として周囲を見ると、ちゃんとそこに質感を持ってグレッグは存在した。
 だが、それまでは風景の一つのように思えたのだから、忍者の気配の消し方というものは、さすがに大したものだ、と内心舌を巻く。
 その忍者は、表情を消して一方向を見つめていた。
 「グレッグ?」
 ルイの声に、手だけを軽く振る。聞こえている、という合図だろうが、こちらを振り向きもしない態度に危険を感じて、ルイは自分の腰の投げナイフを確かめた。
 ダークマターも岩を蹴るのを止めてそちらを向く。
 「…敵意は、無いみたいだけど?」
 「あぁ、だから、警戒だけにとどめておいたが。ずっと見られているのも、落ち着かぬものだな」
 彼らの会話に、リカルドとサラも雑談を止めてそちらを向く。
 そうして、ようやく。
 岩影から、ぎぃっと扉の軋む音が聞こえ、ほっそりした姿が、そこから出てきた。
 「…お久しぶりです」
 苦笑いをして、エルフの少女は礼をした。
 「話しかけ辛かったものですから…お許し下さい」
 まあ、何となく分からなくも無いが。
 迷宮内で暢気にピクニックの話をしていたり、岩壁を蹴っていたりしてる連中相手に、声をかけるのは勇気がいることだろう。
 特に、彼女のように憂いを帯びたシリアス路線の少女には。
 「あぁ、B2階で会った」
 「マントありがたく使ってるわ助かっちゃったありがとね」
 サラが自分のマントの裾を掴んでひらひら振った。
 「それは、よろしゅうございました」
 軽く礼をして、ミシェルはダークマターを見つめた。
 「ここは、エルフの森に似ています。私たち、エルフの故郷に」
 数秒、ダークマターは、何も言わなかった。
 ルイ達は、それはダークマターが記憶を辿っているのだと思い、口は出さずに見守っていた。ダークマターもまたエルフ族であるから、ミシェルの言葉は、彼に記憶を呼び起こそうとしてのものだと解釈したのだ。
 だが、ダークマターは、かすかな冷笑を浮かべるばかりであった。
 「………それが、俺に、何の関係がある?」
 ミシェルは、数度、瞬いた。
 「…貴方は、どこまで思い出したのですか?」
 「さあ。色々と断片的だが…」
 悪意の微笑が緩やかに立ち上り、すぐに消え失せる。
 「少なくとも、エルフの故郷と、俺とは、関係がないのは分かる。…そうなんだろう?」
 淡い水色の瞳がミシェルの草色の瞳をまっすぐに見つめる。
 明るい色合いでありながら、底の知れない深淵を覗き込んだ気がして、ミシェルは軽く頭を振った。
 「貴方は…何のために、この迷宮に挑むのですか?」
 「質問ばかりだね」
 「すみません。でも、これだけは」
 憂いがますます深くなる。
 金色の睫毛が、彼女の頬に影を落とす。
 「お金のためですか?それとも、名誉のため?あるいは……」
 ふと口を噤み、ダークマターを見上げた。
 「教えて下さい。何のためですか?」


 ところで。
 シリアスな前方の光景にも関わらず、残りのメンバーはひそひそと小声で話し合っていた。
 「何?エルフの森と関係がないって…ダークマターって街出身のエルフってこと?」
 「流しのエルフとか…」
 「それはまあ他国にもエルフは住んでるものねどこか違う所の出身なのかしら」
 「どうだろうな。ダークマターの言葉には、他地方の訛りは一切認められないが」
 「おかしいわね。私の想像では、ダークマターとクルガンは同じ森の出身で、ラブラブなのに周囲に認められなくて、駆け落ちしようとしたところをダークマターが記憶喪失になって待ち合わせ場所に現れずに…」
 「…だから、それは却下だと言うのに」
 「それだと、クルガンがクイーンガードっつー部分はどう絡むんだよ」
 「えーと、じゃあ…」
 「しーっこっち見たわ!」
 4人、一斉に生暖かく笑って見せて、また頭を突き合わせる。
 「何のために迷宮に挑む?かー。俺は、信頼ってもんが如何に重要なものかを再確認するためだったが。もう、目的は達成できたけどなー」
 「私は、今となってはもう、我が主君を守るため、この一言に尽きるが」
 「私はやっぱり他の人の役に立つためよこれまでだってそうだったしこれからだって同じだわあとお金が稼げれば無料救護院を設立させるのに有用ねーとは思うけど」
 「私は楽しければ、それで良いんだけど。ま、あんたたちといるのは、退屈だけはしないわ」

 
 ダークマターは、微笑んだ。
 悪意すらない空虚なそれは、無表情よりもいっそ寒々しいほどだった。
 「それはね。俺には、他に何も無いからだよ」
 答えは、さらりと紡がれた。
 ミシェルは、問い返しはしなかった。
 それが、彼女にとって期待していた答えだったか否かは、自分でもよく分からなかった。
 だが、言われてみれば、確かにそれしかないのだ、と思える答えであった。
 「そうですか」
 彼女は頷いた。
 「そうですか」
 もう一度言って、ミシェルは背後の滝を振り返った。
 迷宮の中には似つかわしくない、清浄な滝を。


 「それにしても、だな。明るいところで見ると、彼女はなかなかに私の好みだよ」
 「…そうなのか?うーん、俺ならもうちょっとこう…」
 「胸がある方が?」
 「そう、胸が…じゃねーって。もっと明るい娘の方が好みだと!」
 「いや、あの風景に溶け込んでしまいそうな気配の希薄さが良いのではないか」
 「忍者の感覚って…」
 「あらいいじゃないここが迷宮だろうと事態が切迫していようと男女の愛は存在して然るべきだわいっそ今から口説いてみなさいよここで逃したら次にいつチャンスがあるのかも分からないのよ危険な状況だからこそ恋情が燃え上がるって話もあるし」
 「いや、しかし、今ここで口説いて何をどうしろと」
 「男でしょ!しっかりなさいよ。その気になれば、その辺の岩影だろうが何だろうが、何でも出来るわよ」
 「それも、却下だ」

 
 ミシェルが、さりげなく髪を指先で整え、幾分胸を反らした。
 その女性らしい仕草は、背後の声が聞こえていて、それを意識した証拠であった。
 ダークマターもまた、背後の4人の会話は聞こえていて、首を傾げていた。
 「えーと…グレッグの好みの女性……」
 先ほどとは全く違う、不思議そうな、どこか無邪気な響きさえある呟きに、ミシェルは振り返った。

 ふに。

 ダークマターは、伸ばしていた手を引っ込めて、ぽん、と得心したように叩いた。
 「あぁ、『胸の薄い、未成熟な女性』」
 
 凍り付くような間があった。…思い出せたことを喜んでにこにこしている、ただ一人を除いて。
 ミシェルは、ゆっくりと自分の胸を見下ろし、それから、目を上げた。
 
 
 パシーン!!


 その鋭い平手打ちの音は、キャスタの店からアルバイトオーガが「何事だ!?」と覗きに出て来るほど、周囲に大きく響いたのだった。





グレッグ×ミシェル布石…というより、
リカルド×サラが着々と出来上がりつつある気もする。


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