ある飲んだくれによる開幕ファンファーレ





 彼は酒場に入って、いつものようにカウンターで安酒を注文すると、隅の席へ向かった。
 誰も彼を気にとめるものなどいない。
 ちびりちびりと、大して旨くもないが少なくとも前後不覚にはしてくれる毒を舐めながら、暗く澱んだ目で喧噪を睨む。
 その目に映るのは、迷宮にこれから挑む気概に輝く冒険者たち、または冒険から生きて帰って浮かれ騒ぐ冒険者たち。
 彼が望んでも手に入れられないもの。
 「俺が、悪いんじゃない。俺は、正しいんだ…」
 口の中で呟かれる繰り言など、誰の耳にも入らない。
 そこに存在しているのに誰にも見えない幽霊のように、かれはただそこにいた。

 足下に感じる寒さで、彼は酒場の扉がまた開いたのを知った。
 のろのろとした仕草で顔を上げ、誰が入ってきたのかを確かめる。
 知った顔なのか、新しい冒険者なのか……彼の求める人物なのか。
 それは、もう条件反射のようなものであった。
 たとえ、毎回裏切られ、切り刻まれるだけのことであっても、それでも止められない。
 全てから逃れるために、毎晩あおる酒のようなものだ。
 自分とは違う側の隅にひっそりと座っている黒衣の忍者もまた、顔を上げたのが、目の端に映った。
 あいつも一緒だ。
 自嘲気味に口を歪ませ、彼は手にした真鍮のジョッキを持ち上げる。
 誰かが救ってくれることを待っている。
 ただ、待っている。臆病な殻に閉じこもりながら。
 果たして、彼らの願いは、いつの日か聞き遂げられるのだろうか。
 そもそも、聞き遂げてくれるような神なるものは存在するのだろうか。
 裏切られることに慣れた、諦めにも似た目で扉から入ってきた者を見る。
 それでも期待を捨てきれない己の愚かさを笑いながら。
 
 苦く歪んでいた口が、一瞬、ぽかんと開かれた。
 酒にむせかけて、慌ててジョッキをテーブルに戻す。がちり、と音が鳴ったが、誰も気にはしない。
 誰もが、彼と同じく新入りを見つめていたから。
 「はー、やっぱりエルフ族ってのは、綺麗だねぇ」
 誰かが嘆息したのが耳に入る。
 それで初めて彼は、新入りの耳が長く尖っているのに気づいた。
 雪のように白い肌、光がこぼれるような金色の髪。
 優美な痩身は、確かにエルフ族の特徴である。
 だが、彼が見てきたどのエルフよりも、その新入りは綺麗だった。
 全くもってこんな酒場には似合わない。光に満ちた森の中で微睡んでいるのが似合うような姿であって、冒険者がたむろする猥雑なほどに騒々しい場所には異質な存在である。
 だが、簡素でシミ一つ無いとはいえマントの隙間からは皮鎧が覗き、腰にはメイスが吊られている。
 だとすれば、戦いの心得はあるということだ。
 そのエルフが冒険者なのか、それとも依頼をしに来たのか。
 彼は、知らず知らずカウンターのやり取りに耳を澄ませていた。
 内容は喧噪に紛れてはっきりとは聞き取れない。
 だが、そのエルフが依頼を取りまとめた紙束を繰り始め、酒場の主人と二言三言言葉を交わすのは見えた。
 我知らず、胸が高鳴るのを自覚する。
 やけくそ気味で彼が書いた依頼が、その紙束の最初にあるはずだ。
 『信頼というものを教えて欲しい』
 という、実に不明瞭な、愚痴にも見えるそれが。
 エルフが、彼の方を見た。
 初めて、正面から顔を捉える。
 透き通るような水色の瞳が、はっきりと彼を目的として固定される。
 (うお、こっち見た)
 期待していたはずなのに、何故か狼狽えて彼は目を逸らす。
 盗み見るようにちらりと目をやると、しかめ面の酒場の主人が、エルフになにやら話しかけている。
 どうせ、俺の話でもしているんだろう、と彼はふつふつと沸き上がる怒りに唇を震わせた。
 「あいつは、パーティーリーダーの命令を聞かなかったんだ」
 「そのせいで、任務が失敗した」
 「それで解雇されたのさ」
 聞こえずとも、何を言われているかは予想できる。
 これまで何度も酒場で囁かれたことだったから。
 最初の頃は、何度も「違う!」と釈明もした。
 相手を殴りもした。
 だが、何度も何度も生えてくる雑草のように、その噂は酒場に満ちるのだ。
 即ち、彼はリーダーの命令を聞かない勝手な奴であり、パーティーの足を引っ張る厄介者だと。
 命を賭けた冒険に、そんな男を連れていく物好きはいない。
 そうして、彼は酒場にくすぶり続ける。
 飲んだくれたその姿が、噂を助長しているのにも気づかずに。
 誰かが、彼を必要としてくれるのを待っている。
 ただ、待っている。

 一瞬、意識が飛んだのか、視界の真ん中にいたはずのエルフがいない。
 霞む目を擦り、慌てて見回すと、エルフの青いマントは、黒衣の忍者の傍らにあった。
 何事か、理解できない。
 何故、あいつのところにいるんだろう。
 …彼ではなく。
 あの忍者も、自分と同じく敗残者であるはずだった。
 聞こえてきた噂では、臆病風に取り憑かれて役に立たなくなったとか。
 素早く動けない忍者など盗賊以下だ。
 もっとも。
 酒浸りで、ちょっと動いただけで息の上がる戦士も、役に立たないと言う意味では五十歩百歩だが。
 苦い顔で、ジョッキを傾ける。
 また、待ち続けるだけのことだ。
 そう、ただ、待っているだけ。

 だが、テーブルに付いていたエルフは立ち上がった後、彼の方へと歩んできた。
 背後には黒衣の忍者を従えて。
 奇妙に雲の上を歩んでいるようにふわふわとした足取りなのは何故だろう。
 酔客を避ける身のこなしは洗練されていて、熟練した戦士を思わせるのに、どことなくぎこちない歩き方にも見えた。
 何か大怪我でもして、しばらく歩いていなかった人間のような。
 その動きを見つめているうちに、そのエルフと忍者は彼の目の前までやって来ていた。
 「あんたが、リカルド?」
 彼は、一体どんな声を想像していたのだろうか。
 もっと中性的な声か。または外見に相応しい涼やかな声か。
 どんな声を想像していたにせよ、そのイメージは完全に砕かれた。
 一瞬、本当にこの目の前のエルフから放たれたのかどうかと疑問に思うほど。
 幾分かすれた声質に驚いたのではない。
 その、あまりの無機質さに驚愕させられたのである。
 語尾こそ確認を取るために幾分上げられていたが、他には何も込められていなかった。
 目を見開いたまま顔を上げると、水色の瞳とかち合った。
 そうして間近に見て、初めて彼は気づく。
 遠目には透明感溢れる美しいと見えた瞳が、凝視しているとどこか深い闇に落ち込むような、背筋が粟立つほどに虚ろであることに。
 白目との境がはっきりしないほど淡い水色の虹彩に、盲目を思わせるほど不自然に開いた瞳孔。
 瞳に感情がこもらないことが、これほどに非人間的に見えると、彼は初めて知った。
 居心地悪く身じろぐ彼を、無表情なままのエルフは、ただ待っている。
 「あ、あぁ」
 ごほん、と一つ咳払い。
 「あぁ、俺がリカルドだ。俺の依頼を受けてくれるのか?」
 空気を震わせない恐ろしいほどに自然な流れでエルフがイスに腰掛ける。
 そうして、彼をじっと見つめる。
 「まだ、分からない」
 テーブルの上には、組まれた両手。その桜色の爪は綺麗に揃えられていて、まるで少女のようだ。
 戦士とは思えない手に軽い失望を覚えつつ、彼は促すように顎をしゃくって見せた。
 「明確な依頼内容を確認しに来た」
 あくまで淡々と。
 彼の依頼の不明瞭さを責めるでなく、笑うでもなく。
 「あれは、だなー。いや、まず、何でそんな依頼を出したかってぇとだなー」
 説明をしようとした彼の頭に、アルコールが回る。
 目の前の空洞のような瞳も気にならなくなってきた。
 彼の依頼を、いや、彼自身を責めるでもなく笑うでもない相手を得て、彼は、滔々とこれまでの鬱憤を吐き出した。
 頭の片隅で、あぁ、俺酔ってんなー、とか、なんかさっきも同じこと言ったっけかー、とか思わなくもなかったが、口の方は止まらず喋り続けている。
 「だからよー、俺は、仲間ってのは、そんなんじゃねぇって思うわけ。目の前でやられそうになったら、助けるのが仲間ってやつだろ?あんたもそう思わねぇ?」
 目の前の相手は、無表情のまま小首を傾げて見せた。
 「さあ。俺は、よく分からないけど」
 「あー、いーんだ、いーんだ。あんた、まだ仲間と命をかけて何かするってやったことないんだろ?やったら、わかるってよー。絶対、仲間ってぇのはさー」
 以下、繰り返し。
 相づちを打たれることは無かったが、遮りもされなかったため、延々と語り続け。
 頭ではまだまだ喋っているつもりだったが、目の前がぼんやりと掠れていき。
 どこか遠くで
 「これは、話にならぬかと思うのだが。どうされる?」
 「明朝、もう一度話をする」
 「そうか。私はこの2階に宿を取っているから、この男はそこで休ませることにしよう」
 そんな会話が聞こえた気がした。

 そして、暗転。


 
 目の奥に白い光を感じて、彼はもぞもぞと体を動かした。
 清潔なシーツの感触に、自分のベッドではないことがわかり、一気に起き上がる。
 うげげ、と揺れる頭を押さえる彼に、黒髪の青年が振り返った。
 「起きたか。では少し待っていろ」
 ずきずきと脈打つ視界で、青年が扉から出ていくのを見送る。
 足音も立たないその仕草に、ようやくそれが黒衣の忍者であることに気づいた。
 普通の格好してると、普通なんだなぁ、などと馬鹿なことを考えつつ、ベッド脇にまとめられていた自分の装備を確認し、手早く鎧を付けていく。
 忍者が昨日のエルフと共に帰ってきたときには、何とか人前に出てもおかしくない格好になっていた。
 どうせ夕べはろくでもないところを見られているのだから、だらしない格好をしていても同じことかもしれなかったが、そこはそれ、自分は一人前の戦士であるという自負もある。
 できるだけ真剣な顔をして、二人に挨拶をした。
 「改めて、自己紹介するぜ。俺の名は、リカルド。見ての通り、剣一本の戦士だ」
 黒髪の青年が、それに答えて苦笑する。
 「そういえば、お互い顔は何となく知ってはいても、名乗ってはいなかったな。私は、グレッグ。君も知っているだろうが、臆病風に吹かれて戦えなくなった忍者の端くれだ」
 ちら、と走らせた視線に、エルフが口を開く。
 「俺の名は、ダークマター」
 ただ、それだけ言って、相変わらず感情の欠片もない瞳で彼を見つめる。
 居心地悪くごそごそし始めた頃に、もう一度、抑揚のない声が続けられた。
 「あんたの依頼は、意図不明確だが、引き受けることにする。こっちのグレッグと3人で迷宮に潜る。信頼というものが生まれるかもしれないし、無理かもしれない。無理だとあんたが判断した時点で、契約を破棄して貰って結構だ」
 この無感情なエルフ相手に信頼などというものが生まれるのか、実に不安ではあったが、酒場でくすぶっているよりはマシだろう。
 「よし、それで契約成立…って、そういや報酬の話もしてなかったな」
 頭を掻くのに、ダークマターは興味なさそうに傍らの忍者を見上げた。
 「あぁ、それから、私も、君と同じく依頼を出していたんだ。実を言うと、君が依頼を出すところを見て、私も待ってばかりではいけないと思ったので、君の直後に書かせて貰った」
 忍者…グレッグは照れくさそうに笑った。
 酒場で見ていたときには暗い押し潰されそうな顔をしていて、いかにも「殺戮機械」の名に相応しい面だと思っていたものだったが、なかなかどうして普通の青年らしい表情も出来るのだと、彼は認識を新たにした。
 「私の依頼は『恐怖を乗り越えたい』だ。君も聞いているだろが、私は死にかけたときに恐怖を感じた。死というものに怯えたせいで、全く身体が思うように動かない。私は…」
 静かだが、熱の込められた表情で。
 「忍者としての誇りを取り戻したいのだ」
 その決意にちょっと感動させられていた彼の興奮に水を差すように、ダークマターは、気のなさそうな声音で話し始めた。
 「俺はね。あんたも気づいてると思うけど、異常だろう?」
 それにどう答えて良いのやら返答に窮している彼を後目に淡々と続けられる。
 「俺には、何かが欠けてるみたいだね。色々と。迷宮で『』を見つけられるって、この街の入り口で言った人がいるから、潜ってみようと思って」
 迷宮には魔神の宝が眠っている。そういう噂は聞いたが、『自分』が見つけられる、なんてのは初耳だ。一体どこの無責任な占い師がそんな適当ほざいたんだ、と彼は内心目前のエルフを気の毒がりつつ、曖昧に頷いた。
 「だから、あんたは、俺たちの護衛だろうね。あんたは、戦いの心得があるんだろう?」
 それが、先刻の『報酬』の話に繋がっているのだと気づいて、彼は大慌てでこくこくと頭を上下に振った。実際の話、依頼を達成できたところで払うべき金があるわけではなかったので、腕を買って貰えるならこれ以上の話はない。
 「分かった。任せておいてくれ。迷宮の3階あたりまでなら潜ったことがある」
 そこで迷子になった挙げ句に、帰還の薬を使って這々の体で逃げ帰ったことは内緒。
 よろしく、と差し出した手を、小首を傾げて見るダークマターに、
 「契約成立の握手」
 と、強引に手を取った。
 得心したように軽く握られる手は、乾いていて暖かい。
 滑らかで剣だこの一つもない手を指先で探っていると、グレッグがやんわりと彼の手首を握った。
 「いつまで握っているつもりだ?君は」
 どうやら何かあらぬ疑いをかけられている気がして、彼は誤解だーっと叫ぶ。
 「お、俺はだな、こいつの手が、あんまりにも綺麗で…」
 「ほぅ、やはり」
 「違うーーっっ!メイスは持ってても、戦ったことなさそうだなーっと考えてただけだーっ!」
 あぁ、とグレッグもダークマターの手を見た。
 白い手が、目の高さまで上げられる。
 自分の手だと言うのに、まるで他人のものであるかのような表情でダークマターはそれを見つめ。
 微かに笑った。
 「綺麗、ね」
 夕べ出会ってから、初めて見せた表情の変化だったが、それはどこか嘲笑めいて悪意のあるものであった。
 だが、その顔を見直すより前に、元の無表情さに戻る。
 「俺も、この身体には違和感があるよ」
 平板に綴られる言葉に問い返しても、返事はない。
 まあ、仮に悪意がある奴だとしても、巻き上げられるような金も無し、付き合ってみて駄目なら退散すればいっか、と彼は考えて、よし、と立ち上がった。
 「そうと決まれば、まずは朝飯だよな!腹が減っては戦が出来ぬってな」
 「言っておくが、まだ食べてないのは君だけだ」
 冷静なツッコミに、がう、と一声吠えてから、彼は傍らの愛剣を取り上げた。
 いつも持ち歩いているはずのそれは、何故か今日に限って軽く感じられる。

 「よっし、いっちょやるかぁっ!」




 そうして、気合いを入れたリカルドだったが。

 「で、ダークマター、あんたはどのくらい治癒の魔法が使えるんだ?」
 「さあ」
 「…まさか、治痺だの、解毒だのってレベルじゃないよな?」
 「さあ」
 「えーと…魔物を殺した経験は?」
 「さあ」

 どーでもよさそうに答えるダークマターに、いや、これでも雇い主だ、我慢だ、俺!と彼にしては驚異的な忍耐力で文句をぐっと押さえる。
 「分かった。とりあえず、あんたは俺たちの後ろで控えていてくれ」
 「あぁ、私も後衛に回して欲しいのだが。魔物と対峙するのは恐いもので…」
  
 ぶちんっ。

 「あほかーっ!!3人で、後衛が二人なんてことにするんじゃねーっ!」
 「何のために、君を雇ったと思っているんだ?」
 「やかましいっ!てめーは、前だ、前っ!魔物が恐いってんなら、根性で攻撃を避けろ!人間、気合いだっ!」
 「ふぅ、やかましい男だな」
 「だーれーのーせーいーだーーーっっ!!」


 迷宮の入り口で。
 とりあえず、このメンバーなら、『信頼』が育つかどうかは不明だが、少なくとも『忍耐』は鍛えられると確信したリカルドだった。











あとがき
お気づきかも知れませんが、リカルドはグレッグに誤誘導されて、
自分が『依頼主』であって、雇われている側ではない
ことをすっかり忘れております。
まあ仮に気付いても、
「ま、俺に雇い主は似合わないしなっ」
と気にしないかも知れません。
どうも、バカで強いらしいです。うちのリカルド。

あと、あんまり主人公を超絶美形にするのって好きじゃないんだけど
話の展開上、エルフverは人間verの『理想の肉体』所有ですので。


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