行け、小さき書物よ





 ファイヤドラゴンを巡って9階を制覇した彼らだったが、魔力消費も大したことは無し、まだまだ行ける、何より目の前に下り階段がある…ということで、10階に降りることにした。
 そうして、階段から明るい場所に出た途端。
 今まさに部屋の隅の魔法陣に踏み込もうか、という姿勢のヴァーゴに出会った。
 こちらを認めて、舌打ちしながらヴァーゴが振り返る。
 「ちっ、あんたらもここまで来たのかい。なかなかやるじゃないか、エルフのお嬢ちゃん」
 クルガンが、一瞬怪訝そうな顔になる。このメンバーに『エルフのお嬢ちゃん』などいない。
 「そっくり同じ台詞を返してあげよう、白塗りおばさん」
 さらりと返事をしたダークマターに、あぁ、仲が悪いのか、と納得した。
 「どうやらここが最下層みたいだよ。魔神の宝は、この奥にあるはずなんだ。どうやら、ガード長も向かったらしいしね。そうはさせないよ?何でも願いを叶えるっていう魔神の宝は、アタシのもんさっ!」
 「俺としては、その伝聞型が、一体誰から聞いた情報なのかが気になるところだけど」
 魔神の宝、という部分を丸ごと無視した呟きを漏らしながら、ダークマターは考え込むように首を傾げた。
 「ま、いいや。ヴァーゴちゃんはヴァーゴちゃんの好きにすればいいけどさー」
 「ヴァーゴちゃん、は、お止めっ!」
 「えー、だって、若作りしてるからには、若者扱いして欲しいってことっしょー?」
 きゃるるん、とぶりっ子したポーズをしながら、ダークマターは可愛らしく人差し指を唇に当てて見せた。どうやら自分の若さを強調しているらしい。
 「アタシはまだ若いんだよっ!」
 「生まれて1ヶ月の俺には、かなうまいっ!」
 「…そんなもん、誰でも敵うわけないだろう」
 投げやりに突っ込んでおいて、クルガンは短刀を抜いた。
 「で?どうするんだ?行かせるのか、止めるのか、さっさとしてくれ」
 「んー、俺は行かせても良いんだけどさー」
 ダークマターも面倒くさそうに刀を抜く。それの峰でとんとんと肩を叩きつつ、ヴァーゴの方をちらりと見る。
 「ふん…先に行かれちゃたまらないからねっ!あんたらは、ここで死んで貰うよっ!」
 「ほらー、あっちがやる気満々なんだよねー」
 杖を突きつけたヴァーゴの背後ではポイズンジャイアントが2体ばかり戦闘準備中。更にゲイズハウンドもこちらを威嚇してきているのだが、ダークマターは気の無い態度で肩をすくめた。
 「我が主君よ…今回ばかりは、徹底的に排除する方向でも良いのではないか?」
 「えー、だって、ヴァーゴちゃんは迷宮の和み役だしー」
 同じ冒険者仲間からも恐れられている『爆炎のヴァーゴ』に向かって言いたい放題だ。
 全く歯牙にもかけられていない態度に、ヴァーゴは歯軋りして魔物たちに命じた。
 「構わないから、やっちまいなっ!」
 それを戦闘開始の合図と取ったクルガンが走りかけて…ダークマターに首根っこを掴まれた。
 「…おい!」
 「死の翼よ、汝の上に舞い降りよ」
 抗議の声を顧みず、ダークマターがアッシュを唱える。瞬く間に崩れ落ちるポイズンジャイアント2体を確認してから、ダークマターは手を離した。
 「はい、行ってらっしゃい」
 「…全く…」
 ぶつぶつとこぼしつつ、クルガンが出る。背後からはグレッグの手裏剣も放たれている。
 しゅ、と軽い音をその場に残して、クルガンがとんぼを切ってヴァーゴの杖を避けた。
 「えぇい、お前たち如き…吹き飛んじまいなっ!」
 ヴァーゴの杖に青白い光が宿る。だが、呪文が完成する前に、2本のナイフが飛んできて、詠唱を妨げた。
 ちっ、と舌打ちしてナイフを払ったヴァーゴの左右で、ゲイズハウンドが首から血を吹き出しながら、どぅっと倒れた。
 ヴァーゴの部下が倒れるまで、僅か3秒未満の出来事であった。
 「随分と、腕を上げたもんだねぇ、お嬢ちゃんたち」
 「おかげさまで」
 魔法を封じられた魔術師など、オークよりも役に立たない。…まあヴァーゴは接近戦でもオークよりはマシなダメージを叩き出せるが、本職に喧嘩を売るのは分が悪い。
 そう判断したヴァーゴは、さっさと魔法陣に足を踏み入れた。
 「魔神の宝は、早い者勝ちだよっ!」
 返事をするより早く、姿の消えたヴァーゴに、ダークマターは肩をすくめて刀を収めた。
 「魔神の宝…か。誰が流したかも分からんような噂に引っかかる奴がいるとはな」
 念のためポイズンジャイアントとゲイズハウンドの死体を確認したクルガンが、首を振り振り戻ってくる。
 「まつりごとも無視して、王宮が精鋭を派遣するのが、また噂を煽ったんだけどね」
 「…まあ、それは置いといて、だ」
 ダークマターの皮肉っぽい口調をさらりと動作付きで流して、クルガンは、マップスを唱えた。
 「…面倒だな。魔法陣で小部屋が繋がれているらしい。行ってみるしか無いわけだ」
 この部屋だけで、魔法陣は4つ。
 一体どれがどの部屋に通じているのかも分からない。
 「じゃ、行こうぜ。俺的には、マッピングする奴がいて、楽できて良かったなーみたいな」
 リカルドが嬉しそうにクルガンの肩を叩いた。
 そういえば、こいつらがマッピングをしているのを見たことが無い…と思い出したクルガンは、イヤな予感がしつつも、一応聞いた。
 「…俺が来るまでは、誰がマッピングをしてた…んだ?」
 全員がそっぽを向いた。
 「女の子は、地図が苦手って昔から言うじゃない?」
 ルイとサラが「ねー」と首を傾げ合う。
 「俺がそんな細かい作業に向いてると思うかよ」
 はっはっは、とリカルドが胸を張った。
 「私は…昔から絵心というものに欠けていてな…」
 遠い目をしてグレッグが呟いた。
 「だって、覚えれば地図なんて必要なかったしー」
 ひらひらと手を振りながらダークマターがまとめた。
 クルガンはがくりと脱力しながら、手早く手元の地図に部屋を描き込んだ。
 「お前ら…精密な地図があればこそ、隠し部屋やトラップの配置が分かるというのに…」
 「はっはっは、頼りにしてるぜ、クルガンさんや」
 暢気に笑って、またリカルドはクルガンの肩を叩いた。
 顔を顰めつつ、クルガンがダークマターに問う。
 「さて、どこから行く?あのけばい魔術師の後を追うか、それとも…?」
 「ま、別の道から行きましょ。どうせ、正解は一本だと思うし」
 そう言って、ダークマターは無造作に左の魔法陣に足を踏み入れた。

 
 さて、ようやく本筋らしい場所に出てきて、彼らは一息吐いた。
 「ダークマター…お前は、本当に運が悪い男だな…」
 呆れたようにクルガンが地図をしまった。その紙にはびっしりと魔法陣の繋がり具合が描き込まれている。
 …つまり、彼らは、ことごとく不正解の道を辿り、ようやく最後の最後で正解ルートを見つけたのだった。
 「…いいじゃん。寄り道したおかげで、何かのスイッチも押せたし」
 ぷぅっと頬を膨らませて、ダークマターがそっぽを向く。その頬をがしっと掴んで空気を抜きながら、クルガンがそのまま左右にぐいぐいと振った。
 「何のスイッチかも分からんのに、勝手に押すな!ああいうのは、どこに連動してるか調べてから、押すものだろう!」
 「いや、結構大丈夫なもん…痛いです、クルガンさん」
 ついでに頬を抓って手を離したクルガンが、魔法陣から出て明るい空間への境界を調べる。
 「ま、結果論としては、ここのドアのスイッチらしかったがな」
 「…ひでぇ、俺のほっぺた、抓られ損〜」
 ぶつぶつ言いながら、そこをひょいっとまたぐ。
 やや広めの空間に出てすぐに。
 蹲った後ろ姿に見覚えがあった。それに、一緒に立っている2人の冒険者にも。
 「ウォルフとお姫さんか…いやー、先行されるとは思わなかったなー」
 リカルドの声に、3人が振り返る。
 姿勢が変わったことで、彼らの間から、床にある何かが見えるようになる。
 「神よ…何故彼がこのような目に遭わなくてはならないのですか…」
 その目に涙は無い。白百合の姫は、ぼんやりと開いた瞳に、憤りの炎を宿して叫んだ。
 「彼は…彼はただ!皆の幸せのために立ち上がっただけなのに!このような…このような仕打ちをされる謂れは…!」
 ぶんぶんと激しく首を振った拍子に、手からころりと何かが落ちる。
 軽い金属音を立てて転がったそれをウォルフが摘み上げて、グレースの手に握らせた。
 「あ〜あ。やんなっちゃうねぇ…坊ちゃんはこんな風に魂まで吸われちまってるし」
 ヴァーゴがその場にどっかりとあぐらをかいた。
 顎を手に乗せて、けっ、と唾を吐き捨てる。
 「あたしゃ、奥に行ったんだよ。そしたら気狂い爺が言ったんだ。あたしたちは皆、とっくに死んでるんだってさ」
 「奥に…このすぐ奥?」
 すぐさま反応したダークマターをじろりと見上げて、ヴァーゴがまた唾を吐いた。
 「お嬢ちゃん…あんたも死人なんだよ?あの爺を倒そうなんて思ってんじゃないだろうね?馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。そんなことして何になるのさ。魔神の宝どころか、とっくに死んでたなんて…あ〜あ」
 「少なくとも、ぶん殴れば気が晴れると思うけど」
 ころころとダークマターが笑った。
 「そーそー。死んでてもいいじゃねーの。とりあえず動けるんだし」
 「そうよ死んでても生きてるときとあまり変わらないんだから有意義に生きるべきよ…あら有意義に死んでるべきだって言うのかしら」
 「まあ、君がここで管を巻くのは勝手だから、我々は先に行かせて貰うが」
 全く動転した気配もなく、さらりと言ってのける彼らに、ヴァーゴは目を見張った。
 「あんたら…知ってたのかい?」
 「まあ、ね」
 目を見合わせて苦笑して、代表でダークマターが答えた。
 「もっとも、俺はどうか分からないけど。死んでた奴の体から新しい体を作って魂を移植してるから…ロッティングコープスの上級版というか、ホムンクルスというか」
 「…俺は死んだ覚えは無いが」
 「ここまで大ニブだと、ホントに死んでんだかどうだか分からないよなー…痛いですってば、クルガンさん!」
 ぐりぐりとこめかみを拳で揉まれて悲鳴を上げるダークマターや、その周囲で笑っている彼らを見て、ヴァーゴは呆然と口を開いた。
 「あんたら…なんでそんなに平気なのさ。死んでんだよ?もう宝も何もあっても無駄なんだよ?」
 「私は誰かの役に立ちたかったのだからソフィア様に『陛下の御魂を救って』って頼まれたら喜んでそれに従うわそりゃ自己満足かもしれないけど最高に誰かの役に立ってるじゃない?」
 「まー成り行きだけどなー。でも、このドゥーハンを滅茶苦茶にしやがった元凶がそこにいて、俺はまだ動けるとなったら…そりゃ、一発叩き込んでやりたくなるのも無理ないだろ?仲間と共に向かう最高の舞台…かーっ!たまんねぇな〜!」
 「私は主君の命のままに。陛下の御魂も、国民の魂も、まあ付随的なものだな。ダークマターが行くから、そのサポートをする。それが可能なら、この身が死んでいようが生きていようが気にしない」
 「ま、あんたがそのまま燻っていたいって言うなら、邪魔はしないわよ?爆炎のヴァーゴ。でもさ、楽しく生きてたのを無理矢理断ち切ってくれてさ、それが神様ってんじゃなく、一人の人間で、それがそこにいるなら…ぶん殴ってやりたいじゃない?」
 各々の言い分を聞いているうちに、ぼんやりとしていたヴァーゴの目に、きつい光が灯り始めた。
 口元が、憎々しげに歪む。
 「なぁるほど、ねぇ…確かにそうだ。このアタシを殺しやがった相手に、メガデスを叩き込めるってことか」
 どす黒い怒気を纏って、ヴァーゴがゆらりと立ち上がり、ばしっと両の拳を打ち鳴らした。
 完全に生気が戻り、やる気…いや、殺る気満々なヴァーゴを見て、ダークマターがくすりと笑った。
 「うんうん、ヴァーゴちゃんはこうでないと」
 「ヴァーゴちゃん、は、およし!」
 びしぃっと杖を突きつけられても、ダークマターがただ笑うだけだったので、ヴァーゴは舌打ちしながらそれを降ろして床をどんっと突いた。
 「そうと決まれば行くよっ!あのジジィにアタシの命の代金、払って貰うよっ!」
 「わ、私も連れていって下さい!」
 グレースが思い詰めた顔でダークマターに懇願した。
 「私…私が、彼の意志を継ぐのです!お優しい陛下を取り戻し、このドゥーハンの国民を幸せにと…彼は、そう願っていたはずなのです!」
 「…良いけど。でも、陛下は禍つ神に囚われているから、御魂を解放する…つまり神の御元へ送り出すってことだし、国民の魂も解放して…あぁ、つまり、仮初めにも『生きている』のを、完全に『殺す』ってことになるけど。それでも良いなら、ね」
 「構いません!仮初めの生など、何の意味がありましょうか。そのようなこと、神はお許しになりません。正しき道を示すことこそ、真の『幸せ』へと通じましょう」
 そうして、聖印を切るグレースにダークマターは微妙な表情になった。
 ぽりぽりとこめかみを掻きながら背後をちらりと振り返る。
 「…まー、その『仮初めの生』で、第2の人生をエンジョイしてる人もいるんで、あまり深く論議するのは止めておくけど」
 グレースも釣られて視線を動かし、並んでいるリカルドとサラを認めて、柔らかく微笑んだ。
 「そう…ですね。不躾な真似をお許し下さい」
 ひらひらと手を振るダークマターに、ヴァーゴがイライラとした声をかけた。
 「何やってるんだいっ!さっさと行くよっ!」
 「はいはいっと。…あ、当然、ウォルフも来るっしょ?うわー、大所帯だよなー」
 ぶつぶつ言いながら、ダークマターが先頭に向かう。
 魔術師の癖に一番に乗り込もうとするヴァーゴを宥めているダークマターを見ながら、リカルドはくすくすと笑った。
 「あらなぁに?どうかしたの?」 
 「いや…何かよ、楽しいなぁ、と思ってなー」
 いつもの気のおけない『仲間』と、それにヴァーゴ、グレース、ウォルフ。
 全員死人で、このドゥーハンに災禍を引き起こした張本人との対決という悲愴な場面でありながら、くちゃくちゃと軽口を叩きながら奥へ向かう集団。
 「本当ね楽しいわね」
 「ピクニックみたいだよなー」
 「お前ら…緊張感が無い奴らだな…」
 ぼそりと突っ込む声は無視して、リカルドは隣に立つサラの肩を叩いた。
 「なぁ、サラ。帰ってきたら、ピクニックに行こうぜ」
 「藤で編んだバスケットを持って?」
 「そうそう。唐揚げとワインとチーズサンドとハムサンドに…」
 「パセリ付きでね」
 「そう、パセリは忘れちゃいけない」
 くすくすくすくす。
 顔を見合わせて、笑い合って。
 リカルドは、懐かしいものでも見るかのような視線で、目の前の荘厳な扉を見つめた。
 「たーのしーいねー」
 「楽しいわね」
 そうして、広間に辿り着く。

 奥へと進むごとに、体が重くなる。
 ただの石畳が、粘着性でも持っているかのように、ブーツにまとわりつく。
 死者の怨磋が頭に響く。
 魔物でさえ息を顰めているかのように、動く者の何もいない空間だった。
 広い広いそこの、奥の扉がはっきり見えた頃。
 ゆらりと空間が震えたかと思うと、一人の老人の姿を取った。
 「お久しぶりです、司教様」
 さらり、と、何の感情も籠もっていない声で、ダークマターが挨拶した。
 それとは対極的に、老人の目には昏い光が炯々と宿り、濁ったもう片方の目も、歪んだ口元も、ダークマターへの憎しみを露にしている。
 「さっさと始末しておけば良かったわ」
 「全くですね」
 「哀れな道具の作った出来損ないの人形如きに何が出来ようかと放置しておけば…我が神の大事な燃料であるドゥーハンの民の魂を解放しおって…」
 「ありゃ、過去形?俺は、もう魂を解放したのかなー」
 言葉は戯けているが、全く笑いの欠片も含まない目で司教を見つめる。
 「まあ良い。それだけの魂があれば、我が神は本格的に起動出来る。そうなれば、世界中を楽園にすることが出来るのだ」
 「あ〜、今は予備電源状態なのかー。そりゃ、今のうちに壊しておかないとね」
 「…どうでもいいが、お互い相手の話を聞いていないように聞こえるのは気のせいか」
 ぼそぼそと突っ込みながら、クルガンが手裏剣を放った。
 それは、ただ空気を切り裂いて奥の扉に突き刺さる。
 「あら〜、ダイバとかかけておいた方がいいみたいね」
 「頼む」
 「…いや、話してる途中に戦闘開始しないんで欲しいんだけど」
 当たらなかった…いや、当たってもすり抜けたとはいえ、顔の真っ正面から手裏剣を投げつけられた司教は、怒りの目をクルガンに向ける。
 その底が見えない狂気と言う名の深い闇に見据えられても、神経の太い男は、ふん、と鼻を鳴らして短刀を構えるだけだった。
 「…お前たちの魂を、神に捧げよ!」
 高らかな叫びと共に、怨磋の呻きがこれ以上無いほど膨れ上がった。
 点のように染み出した黒い霧が、瞬く間に実体となる。
 「オオオオオオオッ!」
 「ありゃ、死神実体化パート2だよ」
 「今度こそ、本体らしいな」
 「いやー、あの時は、実体じゃなくて良かったと思ったもんだったけどよー。…強くなったな、俺ら」
 笑いながら構える彼らに、一瞬呆れたような怒っているような視線を向けたグレースにダークマターの指示が飛ぶ。
 「グレースちゃん、ウォルフ、ダブルスラッシュ行っちゃって。ルイ姐、ダイバ、サラ、グレッグ、マジキャン、クルガン、リカルドダイバ後ダブルね」
 それだけ言って、続いてコンエアルを唱える。
 「…あ、ヴァーゴちゃん、好きなようにやっちゃって」
 「あいよっ!あんたら巻き込んでも知らないからねっ!」
 ヴァーゴの詠唱が始まる。
 死に神の虚ろな眼窩が、ぎろりとそれを見た。
 殷々と響き始めた古代語に、さくっと投げナイフが喉へと突き刺さる。
 「フオオオオッ!」
 巨大な剣が、彼らを薙ぎ払うが、コンエアルの魔力もあって、皆ふわりと避けていく。
 空中に浮かぶ影に、2組のダブルスラッシュが食い込んだ。
 「じゃ、次、ワープアタックね。ルイ姐よろしく」
 「ま、やってみるわ」
 開いた空間の歪みに前衛が飛び込んだ後に、死に神の刃が、ぶんと音を立てて通り抜けた。
 「行くよ!メガデス!」
 凄まじい熱量と光が、死に神の胸に灯る。
 う゛ん、と中から弾けるように死に神の肋骨が吹き飛んだ。
 たまらず苦悶の叫びを上げる死に神の真上から、3人の剣が切り下ろされる。
 「オオオオオオッ!」
 黒衣をまとった骸骨のような姿が、ぼろぼろになっていく。
 「やるねぇ、あんたらっ!」
 「ヴァーゴちゃんのメガデスも効いてるよっ!」
 「参りますっ!」
 勢いづいて冒険者たちは死に神に挑む。
 気の弱い者や、低レベルの冒険者なら、その姿を見るだけで失神する、と言われた相手を、ただの魔物か何かのように、淡々と切り刻んでいく。
 
 そうして。

 時間はかかったものの、ついに相手が襤褸くずのように崩れ落ちた。
 「オオオオオオオッッ!」
 最後の叫びと共に、その体が黒い霧へと変わる。
 それが一点に吸い込まれて行ったとき、周囲を覆っていた嘆きの声も消えた。
 心なしか、ライトを灯してさえ薄暗かった空間に光が射した気がする。
 冒険者たちが、達成感に表情を明るくした時。
 「おのれ…おのれ…」
 呻くような声がじわりと耳に染み込んだ。
 ダークマターは、迷い無しに、刀を向ける。
 その切っ先の前で、狂える司教は、ぎらぎらと光る目をダークマターに向け、鈎爪のように指を曲げた。
 「おのれ…よくも、出来損ないの人形の分際で…!」
 「それ、聞き飽きたから」
 右手は刀を支えたまま、ダークマターの左手が懐を探り、何かを取り出した。
 「だが、生憎だったな…わしを殺すことは出来ん…わしはとうに肉体を失っておる…」
 「だから、こんなもの用意してみました。…小さき書物よ、疾く行け」
 左手の上に載せられたそれが、風に吹かれでもしたかのようにばらばらとめくれ…一冊の本であったものが、紙の束となって舞った。
 古びた色合いの羊皮紙が、司教の体を包む。
 「まさか…これは、わしの…聖書、か!」
 「当たり」
 淡々とした声と共に、無造作に刀が突き出された。
 それは、ほとんど無音だった。
 ただ、一枚の紙を突き通すだけの、音。
 周囲を舞っていた紙が床へと落ちる。
 刀と、胸とを繋ぐ、たった一枚を残して
 「お休みなさい、司教様」
 優しいとさえ言えるような声で、ダークマターは囁いた。
 刀を引くと、驚愕に目を見開いたまま、司教の体がその場に崩れ落ちた。
 「ま…さか……よくも……」
 刀を収めて、ひょいっとダークマターは肩をすくめた。
 「司教様、あんた、神様の御力ってやつを舐め過ぎ」
 「違…う…神など…神、など……我が神よ…我が魂を…最後の供物、に…!」
 身藻掻きながら体を薄れさせていた司教が、最後に叫んだ。
 空気と同じくらいに薄れた影から、光が浮かび上がり、奥の扉へと飛び込む。
 数瞬後。
 脈打つような振動が、床からじわりと感じられた。
 「…おい?」
 嫌々確認している、といった風に、クルガンの目がダークマターに向けられた。
 「うーん…」
 扉を透かして見ているかのように、目を細めて奥を見たダークマターが、首を傾げた。
 「再起動…しちゃった…のかな?それにしては、威力が無いし…ぎりぎりのエネルギーで少しずつ起動してる最中…かなぁ」
 「何にしても、止めればいいんだろう」
 あっさり言って、クルガンは扉を開いた。
 そして、目を大きく見開く。
 「…あれは…あの剣は…!」
 「あぁ、あれ。そうかー、あれが、この間から俺に話しかけてたのか」
 クルガンの腕の下から奥を覗いて、ダークマターが懐かしそうな色を浮かべた。
 「あれが言うには、まだもう少し大丈夫、だってさ。あれが、出てくるのを抑えているから」
 大きく開かれた扉から、彼らも見た。
 奥の奥に、怪しく光る鏡のような物体と…その手前で床に突き刺さった一本の剣。
 ダークマターの記憶を水晶で見た者には、それがクイーンガードの剣だと分かった。
 「ま、そういうわけで。たぶん、あの鏡の向こうに、禍つ神がいて、それを倒さなきゃならないんだけどさ」
 言いながら、ダークマターは振り返った。
 座り込んだグレースとウォルフ、それにヴァーゴが、疲れ切った顔を上げる。
 「やれやれ、まだ親玉がいるのかい」
 「所詮『哀れな道具』に過ぎないけど、まあ、それを倒さないと意味が無いっていうか」
 「私も参ります。神の鉄槌を…!」
 「うん、まあ、そうなんだけど。…いったん帰って休んでくれば?随分、疲れてるみたいだし」
 特にヴァーゴはこれでもか!というくらいメガデスを放ち続けたのだ。魔力消費が半端でない。
 「それから」
 言いながら、ダークマターはとある一点を見つめて少し声を大きくした。
 「カザちゃんは、どうするのかな?」
 影が、少し躊躇った後、柱の陰から現れた。
 「どうする、も何も無いだろう。我らはすでに死者の影に過ぎない…」
 「じゃ、行っちゃうの?」
 「あぁ…死を死と認めぬような未練がましい真似をしたくは無い…」
 言いながらも、少しずつその姿が薄くなっていく。
 ダークマターは肩をすくめて、その姿に軽く手を振った。
 「じゃ、先に行ってらっしゃい。でもって、潔く死を認めたって、ソフィアに殴られておいで」
 一瞬、影が濃くなった。
 無言で見交わす目に、恨みがましげな色が混じる。
 だが、それも一瞬のことで、すぐに全ての色がかき消えた。
 「…ま、今更、魂の一つや二つ、行っちゃっても変わりないか」
 さらりと流したダークマターだが、見知らぬ相手だったはずのヴァーゴががくりと肩を落とした。
 「やーだねぇ。本当に、死んでるんだねぇ」
 どうやら怒りで保っていたテンションが、死者の影を前に、がたんと落ちたらしい。
 「あ〜あ。じゃあ何かい?その糞ったれな神様を倒したら、アタシたち皆、本当に死んじまうってことなのかい?」
 「倒さなくても、いずれ吸収されるけどね」
 ここで敵対されては困る、と素早くダークマターが推論を述べた。
 「あっそ…ちっ、なら、自分の手で倒した方がマシだね。…じゃ、アタシは一旦宿に戻って寝てくるよ。アタシ抜きで行ったりしたら、承知しないよ?」
 「はいはい。魔力が戻ったら、合流してね」
 けっ、と毒づいてから、ヴァーゴは胸から転移の薬を取り出した。自分に振りかけようとして…不機嫌な声を出す。
 「どうするんだい。姫さんは」
 「わ、私ですか?」
 グレースが目を丸くする。その白い頬には擦り傷と汚れが黒い跡を残し、結った金髪も乱れている。
 こちらは疲れの欠片もなさそうなウォルフが、柔らかくグレースに語りかける。
 「俺は、少しお休みになられた方がいいんじゃないかと思いますがね。手強い敵には、全力で当たるべきでしょう」
 「…そうですね…」
 僅かに俯いて、グレースは渋々了承した。
 「では、私も出直して参ります」
 「はいな、ウォルフよろしく」
 「任せろ」
 「そうと決まれば、さっさとこっちに来な。ついでにかけてやるからさ」
 どうやらそのために転移の薬をかけずに待っていたらしい。
 「ありがとう御座います」
 深々と礼をしたグレースから唇を歪めて顔を背けたヴァーゴが、ふん、と鼻を鳴らしながら、3人に薬をかけた。

 3人を見送ってから、ダークマターは剣の前へと歩いていった。
 剣の柄に手をかけて、しばらく佇む。
 「なあ、それって…」
 リカルドの躊躇いがちな言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
 「これを抜くと、完全にあれが通じちゃうってところだね。どういう理屈かは知らないけど、この剣が頑張ってそこの魔法陣もどきを封じてるみたいだ」
 「なら、あいつらが帰ってくるまで、抜かずに待つのか?」
 「と、言いたいんだけど…」
 ダークマターは、剣の刃を指で柔らかく撫でた。
 「細かいヒビが入ってる。…結構、もう限界らしい」
 リカルドも、その刃の微妙な反射具合に気づいていたらしい。やっぱり、と言うように頷いている。
 「サラ、ルイ姐。魔力の具合はどう?」
 「完全でも無いけど、空っけつじゃないわよ?」
 「そうね本当は魔力が十分ある状態で行きたいけど無理なら頑張れるわ途中で強敵に出会わなければだけど」
 二人の司教の申告に、ダークマターはまた刃を撫でた。
 「もうちょっとなら、頑張れるってさ。ちょっとだけ、ここで休んで行こうか」
 クルガンの眉が不本意そうに上がったが、何も言わずに鏡とは逆側に移動する。見張りを買って出るらしい。
 背嚢から取り出した毛布にくるまって、サラとルイが床に転がる。
 リカルドとグレッグも各々の武器を手に壁にもたれる。
 「なあ、ダークマター」
 リカルドが囁き声になって、ダークマターに問いかけた。
 「その剣と、話が出来るのか?」
 「え?」
 ダークマターは困ったように首を傾げ、剣に触れる。
 「そういう訳じゃないんだけどさ…何となく…感じるって言うか」
 「ま、昔から逸話の多い剣だからな。初代から伝わっているという話だが…」
 戸口からクルガンが口を挟んだ。
 「俺が聞いたところでは、主を選り好みするとか」
 「あぁ、それも有名だな。切れ味が全然違う、だの、気に入った主が危機的状況に陥れば治癒魔法を使っただの。…話をした、というのは聞いたことがないが」
 「話をしてるって程じゃないんだけどね。何となく…感じるだけ」
 座ったまま、ダークマターは指先で剣をちょいちょいとつついた。
 かつてのダークマターが、一回握っただけで気に入って、老司教との対決に持っていった剣。それまで使っていた、扱い慣れたそれよりも、もっと手に馴染み、重さも長さもまるで彼のためにあつらえたかのようにしっくりした剣。
 それから、何となく気配を感じるのだ。
 男、だとか、女、だとか、そもそも人間なのか、とかはっきりした気配では無いのだが、確かにそこに何某かの意志を感じる。
 そうでもなければ、ただの剣が、異世界との通路を塞げるはずもない。
 まあ、意志があるいわゆる『知性ある剣』の伝説においても、結界を張る能力があるなんてことは、聞いた試しが無かったけれど。
 またしばらく沈黙が続いた。
 それから、リカルドがまた小さく囁いた。
 「なぁ、ダークマター」
 「何?」
 「これで…終わるんだよな。後で言う暇があるかどうか分からねーんで、今のうち、言っとく。ありがとう」
 「…何が」
 「いや…上でも言ったけどよ。俺は、仲間との信頼ってもんを信じたくて、死に切れなかったんだよな。『生きて』ても…ずっと考え続けてたんだ。だけど、こうして、お前に出会って、皆とここに来て、楽しかったぜ。確かに、仲間との信頼、絆ってもんは、存在するんだ」
 そうして、リカルドは晴れ晴れと笑った。
 「だから、ありがとう、だ。これで俺は、胸を張って『俺にとって大事なものは、仲間との絆だ』って言える。そのために死んでも惜しくない、と言える。俺は…間違ってなかったんだ」
 リカルドは壁から離れて、のそのそと四つ這いでやってきて、ダークマターの前に座った。
 無骨な、剣だこのある大きな手が、ダークマターの白い手を包み込む。
 「楽しかったぜ、ダークマター。最後まで、俺はお前に付いて行かせて貰う。俺は…死んで良かった、と心から言える」
 にやっと笑って、リカルドは何度か握った手を振り、それからダークマターの肩を叩いた。
 「ま、生きてるうちに出会いたかったけどな」
 そして、またのそのそと元の位置に戻った。
 「では、私も」
 立ち上がって、グレッグがダークマターの前まで来て腰を下ろした。
 背筋をぴんと伸ばし、それから深々と礼儀正しく頭を下げた。
 「ありがとう、ダークマター。私も、死んで良かった、と言える。私にとって、もはや死とは恐れるべき存在では無い。仕えるべき主を見つけ、そのために全力を尽くす。忍びにとって当たり前のことだが、生きていた頃の私には見つけだせなかった。私は」
 グレッグが、爽やかな笑みを浮かべた。
 「君のためなら、死も怖くない」
 「…口説くなっつーに」
 「忍者心得を根本から叩き込んでやりたい…」
 背後から聞こえる二人のツッコミを無視して、グレッグもまたダークマターの手を取った。
 「ありがとう、ダークマター。最後まで共にあれることを誇りに思う」
 ぎゅっと握られたそれは、リカルドがやってきて頭を殴りながら引きずって行くまで、ずっと続いたのだった。
 「あんたたちは人が寝ようって時にくちゃくちゃと…」
 もそり、と毛布の塊が動いた。
 「サラ。体を休めた方がいい」
 「寝られないわよまったく」
 髪を掻き上げながらサラは唇を尖らせた。それから、毛布から出て、ダークマターの前に来る。
 「私も言っておくわ。ありがとうダークマター。私は誰かの役に立ちたかった。そうでないと自分がそこにいていいと思えなかったの。何のことはない私は私のために誰かの役に立ちたかったんだわ。だけど今は心の底から言える。私の存在が誰に認められなくてもいい。私は陛下やドゥーハンの皆を救いたい。その役目を負うことが出来てホントに幸せだわ。貴方に会えて貴方と共に最後まで戦えて嬉しいわ」
 いつもより言葉を噛み締めるような調子で、それでも一気に言ってのけたサラは、ひょいっと軽い調子でダークマターの手を握った。
 「出来れば生きて出会いたかったけど。まあ生きてた時に会っててもやっぱり貴方と恋愛感情にはならなかったでしょうけどね」
 くすり、と付け加えて、サラはまた元の位置に戻ったが、横にはならずに毛布を膝にかけただけで座り込んだ。
 「…私も何か言わなきゃならない雰囲気じゃない?」
 残った一つの毛布がもそもそと動いた。
 鮮やかな赤い髪がこぼれ、ルイが顔を出す。
 ふわ、と欠伸をしながらダークマターの前に行ったルイは、少しばかり首を傾げた。
 「ん〜…何て言うか…ま、元々私は何かすっごい心残りがあったわけじゃないしね。面白く楽しく過ごせればそれでOKだったんだけど。…うーん、ま、おまけの人生としては、面白かったわ。ありがと」
 手でも握る程度の雰囲気で、ルイは、さっとダークマターの頬に口づけた。
 グレッグの悲鳴には耳を塞いでおいて、ルイはひどく真剣な目でダークマターの覗き込んだ。
 「だけど、キミは生きてる可能性がある。私たちは確実に死んでるけど、キミは生きてる。…生きて頂戴。私たちの分まで」
 初めてダークマターが動いた。
 ふるふると首を振る。
 聞きたくない、と言うように。イヤだ、と言うように。
 その頭を子供にするように撫でてルイはダークマターの前から退いた。
 ちらり、と戸口に座っている男に目をやる。
 クルガンの眉がぴくりと上がった。
 「…俺にも、何か言え、と?」
 俯いているダークマターの前に大股でやってきて、座る。
 「まー、何だ。色々と、あったが。俺は、お前に謝ってなかっ…」
 「謝罪なら、聞かないから」
 仏頂面で言いかけたのを、速攻で遮る。
 「あんたが謝るべきは、元のダークマターであって、俺じゃないから。謝りたければ、あっちに言って」
 「あっちにと言われても…どこにいるんだ。何か?死んでから魂になって謝罪しろと言うのか?」
 相変わらず死んだ気の無いクルガンは、思い切り眉を顰めた。
 「いるよ。…たぶん、あの向こうに。ソフィアが言ってたろ。『もうここでは形さえ取ることが出来ない』って。あっちなら…どんな世界か知らないけど、禍つ神が支配する世界なら、たった13%でも形を取ってるのかも知れない」
 憂鬱そうな目で、ダークマターは揺れる水面のような鏡を見つめた。
 そこに何かが映っていないか見ているような瞳が、急に厳しくなる。
 鏡面が揺れている。
 まるで、向こう側から何かが出て来ようとするのを押し留めているように、膨らんでは元に戻る。
 他の者も気づいて、速やかに戦闘態勢を取った。
 「もう、駄目か?」
 ダークマターが、剣に触れた。
 鏡面が揺れる。
 剣が震える。


 そして。


 きん、と澄んだ音を立てて、剣が砕けた。

 細かな光の粒子となって、周囲を巡り、彼らを包む。


    武運を


 男とも、女ともつかない、ただの溜息のような声がした気がした。
 
 「…少なくとも、治癒魔法を使える、と言うのは、間違いじゃ無かったらしいな」
 クルガンが、かすり傷があったはずの腕を見て呟く。
 「魔力も、ちょっとだけど回復してくれたみたい」
 ルイとサラの顔色も良い。
 そして、ダークマターは。
 剣があった空間を見つめていた。
 「ダークマター?」
 「…凄く…満足そうだったんだ、あの剣」
 ぼんやりと、答える。
 「やっと…長い長い間存在して、ようやく使命を果たせたって感じで…細かいところは分からなかったけど、すっごい充足感が残ってる」
 言葉にすると、少し違う気もしたが。確かに達成感もあったが、どこか…倦んだような気配もあった。存在することに疲れているような。そう…だとすれば、『解放』というのが最も近い感触だったかも知れない。
 ダークマターは奇妙な既視感を、頭を振って追い出した。
 彼には、まだ、やるべきことが残っているのだから。


 「じゃあ、行こうか。神の国へ」





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