2012年01月21日

息子と2人の生活

妻が出産したその日は実家の母がいたが、翌日には福島に帰った。その後はずっと息子と2人の生活を送っている。いろいろ心配されたけど、特に問題なく楽しく過ごしている。

息子と2人の生活はこんな感じ。

06:00
起床。ベッドから出ようとすると息子も起きてぐずぐず。だっこしてリビングへ連れて行く。息子はヒーターの前でうだうだしている。その間に朝食の準備。

07:00
朝食。自分の分はすぐに終わるが、息子はうだうだしてなかなか食べ終わらない。デザートのプリンを目標になんとか食べさせようとする。その合間にひげを剃ったり、お茶を入れたり、保育園の準備をしたり、めまぐるしい忙しさであっという間に時間が過ぎる。

07:30
車で保育園へ。保育園に着くと息子は友だちと遊びたくてすぐに飛び出していく。荷物を準備して息子とバイバイ。保育園の先生にあいさつ。

07:50
一旦家に戻ってオートバイに乗り換えて会社へ。定時までは会社で働く。

17:30
定時で会社を出て家に戻る。

18:00
妻に指示された荷物をまとめて車に積んで車で保育園へ。

18:15
保育園に迎えに行くが、友だちと遊んでてなかなか帰ろうとしない。保育士と雑談など。

18:30
ようやく息子を連れ出して妻と娘がいる産科へ。

18:45
産科の病室。娘をだっこしたりする。息子は妻にべったり。授乳中でもおかまいなし。やっぱりママがいなくてさびしいんだね。

19:30
産科を出る。息子は別れ際に泣くかな、と思いきや全然そんなことはなくて意気揚々と帰る。割り切ってるね。

20:00
ラーメン屋や牛丼屋などで外食。外食は楽だね。

20:30
家に帰って息子と遊んだり、後片付け、お風呂掃除など。

21:00
お風呂。ばしゃばしゃ遊ぶ。息子大喜び。

21:30
裸で逃げ回る息子を捕まえて着替え。歯磨きしてから軽く遊ぶ。

22:00
寝室のベッドへ。手あそび歌を2曲くらい歌ったら息子就寝。一緒に就寝。

こんな感じの生活。22:00に息子と一緒に寝てしまうと、まったく自分の時間がない。平日はまったくパソコンもテレビも触れることができなかった。同じくらいの子どもを持つお母さんはこういう生活を送っているんだなあ、と実感。すごい。尊敬する。むしろ残業で働いている方が楽かもしれない。

それと働いている間に預かってくれる保育園がとてもありがたい。自分が働いているよりも長い間子どものことを見てくれていることに本当に感謝。保育園がないと働くことができない。すごく大切。

そんな生活も今日が最終日。明日、妻と赤ちゃんが退院する。明日からは赤ちゃんが増えて家族4人の生活が始まる。幸い、来週いっぱいは休暇なのでしばらく主夫生活を送る予定。おそらく赤ちゃん返りするだろう息子にストレスをかけないように、息子も娘も大切に育てたい。

投稿者 ittoku : 15:11 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2012年01月20日

第2子誕生

2012年1月16日、第2子の女の子が生まれた。予定日は1月8日だったので8日遅れ。その記録。

2011年12月中旬
検診の結果、だいぶ赤ちゃんが下がっているらしく、お腹の張りも多いのでもしかしたら予定日よりも早く生まれるかもとのこと。年内に生まれるかもしれないのであれこれ準備を始める。

4人でダブルベッドは狭いのでシングルベッドを買ったり、寝室で赤ちゃんとずっと過ごすからと37インチのテレビを買ってそれまで使っていた32インチのテレビを寝室に置いたり、冬乾燥する我が家のために1階と2階用にそれぞれ加湿器を買ったり、ベビーバスを買ったり、おむつを買ったり、おむつのごみ箱を買ったり。2人目なので手際よく、Amazon等のネット大いに活用して準備は着々と進んでいった。

2011年12月末〜2012年年始
例年は福島か山形のどちらかの実家で正月を過ごしているのだが、もうすぐにも生まれるかもしれないのでずっと仙台で過ごす。年末年始を病院で過ごすのは嫌だったので、なるべく生まれないようにほとんどどこにも出かけず、出かけてもあまり歩かずにじっと過ごしていた。

2012年1月5日(木)
福島の実家から両親が来仙。予定日が8日なのでちょうど今生まれたらいいね。なんて話してたけどこの日は生まれず。

1月6日(金)
父は福島に帰った。母は赤ちゃんが生まれるまで仙台に残るとのこと。4人での生活が始まる。いつ生まれてもいいようにこの日からお酒を飲むのをやめた。

1月7日(土)
もういつ生まれてもいいので、外に出かけてたくさん歩いた。お腹もよく張るようで、いまかいまかと生まれるのを待つ。

1月8日(日)
出産予定日。1人目の息子は出産予定日ぴったりに生まれたのでいよいよか、と緊張する。でも結局生まれなかった。

1月9日(月)〜13日(金)
毎日、今日か?今日生まれるか?と思いながらの日々。2-3日で生まれると思っていた母もだいぶ長居している。まだ生まれない。この辺りでたぶん成人以降の人生の禁酒記録を日々更新し続けている。

1月14日(土)
産科へ。予定日をあまり過ぎてしまうと胎盤の働きも弱まってくるので、週末に陣痛が来ないようだったら来週月曜日から入院しましょうとのこと。もう半分諦めた感じになった。

1月15日(日)
週末。やっぱり陣痛はこない。悶々と過ごす。

1月16日(月)
8:00
結局陣痛はこなかった。入院グッズをそろえ、息子を保育園に預けてから産科へ。

8:30
陣痛促進剤を使うのかな、と思っていたがその前に子宮口に風船のようなものを詰めて自然に陣痛が始まるのを待つらしい。経産婦の場合は8割くらいが陣痛がくるのだとか。

9:00
鈍い腰痛のようなものがあるみたい。これが陣痛?というような感じらしい。

9:30
3分おきに陣痛が始まった。でも1人目の時ほど痛くはないみたい。

10:30
陣痛が1分おきに。痛みは激しくなってきたようだ。陣痛のたびに腰をさする。

12:00
1分おきの陣痛が続いている。陣痛の合間はまだ余裕があるようで、1人目の時はほとんど食べられなかった食事も完食できてた。

14:00
だいぶ子宮口が開いてきた。中に入れていた風船も取り出した。もう少し。

14:30
いよいよ分娩室へ!今回も立ち会うことに。

14:45
妻の痛みは極限状態。かなり辛そう。自分は1人目の時は緊張で震えていたけど今回は割と落ち着いていて、周りをよく見ることができている。

15:00
3400gの女の子が誕生!良かった!産声いいね。感動。

15:30
お医者さんや助産師さん、看護師さんがてきぱきと後片付けをしていく。生まれたばかりの赤ちゃんはすぐに妻の胸元に。さっそくおっぱいを吸っている。すごいな。

17:00
生まれてから2時間は分娩室でゆっくり過ごす。お疲れさま。本当にお疲れさま。

17:30
いったん家に帰って、母と息子を連れて産科へ。

18:00
写真を撮ったりなんだり。息子は赤ちゃんを見て、とても不思議そう。

19:00
家に帰る。夕食。11日ぶりのお酒。おいしかった。

20:00
息子とお風呂。

21:00
ようやくまとまった時間がとれる。誕生報告メールなど。この間もちびちびとお酒を飲んでた。

22:00
息子を寝かし付ける。

23:00
お祝いメールの返信など。長かった1日が終わる。

投稿者 ittoku : 10:08 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2012年01月03日

2012年の抱負

今日で31歳。29歳から30歳になったときほどの感慨はない。これからもこうやって少しずつ年を取っていくんだろうな。

2011年は3月11日の東日本大震災が衝撃的だった。幸いぼくは家も家族も財産も失うことはなく、少しだけ不便な生活をしただけですんだ。それでも家族や友人や近所の人からいろんな支援をもらって本当にありがたかった。

2011年の抱負は「感動して行動すること」だった。ウイスキーに感動して、ニッカウヰスキーの2つの蒸留所(宮城峡、余市)に行った。Project Eulerに感動して、30問まで解いた。auからiPhoneが発売されることになり、類を見ない行動力で発売日の翌日にはiPhoneをSoftBankからauに乗り換えた。感動とはちょっと違うけど、原発事故で傷ついた故郷福島へのささやかな恩返しとして、毎月11日に1万円の義援金を振り込んでいる。行動は継続することが大切だと思っている。これからも継続できるものは継続していきたい。

2012年の抱負は「記録すること」。これからもどんどん年をとっていく。いろんな記憶が積み重なっていくだろうけれども、どんどん記憶が薄れていくのも確か。だけど記録を残していればその記憶は簡単によみがえってくる。例えば、震災のときの記録。記憶はだんだん薄れていって「そんなこともあったっけ」ってなるけど、そのときの記録を読み返すとあのときの記憶が映像とともによみがえってくる。

写真もそう。もともと写真を撮るのは好きなのだが、震災直後はショックで写真を撮ることを忘れてしまっていた。後になって撮っていればと後悔した。写真は簡単に記録できるので後で後悔しないように有効に活用したい。2011年に撮った写真は2830枚だった。シャッターはその倍くらいは切っている。写真を撮ることはずっと継続していきたい。

あとは、最近はやりのライフログ。2011年は食事の記録や飲んだウイスキーの銘柄、GPSロガーなどの記録をとっていたので、それをもっと拡張していきたい。

あと数日で第2子が生まれる予定。新しい家族についてもどんどん記録を取っていきたい。

投稿者 ittoku : 08:55 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2011年11月30日

3歳

先週、息子が3歳の誕生日を迎えた。つい先日2歳になったばかりと思っていたのにもう3歳。あっという間の1年。早いものだ。

3歳の誕生日当日、誕生日プレゼントを買ってあげようとトイザらスへ行った。思ってたとおり車のおもちゃのコーナーに釘付け。どれどれじゃあなにか買ってあげようか、と思って息子に聞いてみるとおもちゃは見ているだけでいいらしい。だけどせっかくなので、トミカ4台(郵便車、タンクローリー、ロンドンバス、ランボルギーニ)を買ったらそれだけで大喜びしていた。なんとまあ親思いな。でも誕生日プレゼントが1000円以下なのはどうかと思って、後日トミカのパノラマバッグを買ってあげた。それもまた大喜びだった。

この1年で一番印象に残っているのは、やっぱり3月11日の東日本大震災。本震後の余震が続き、雪が舞う中保育園に迎えに行って、息子の無事がわかったときの安堵感。その後、なかなか帰ってこない妻を停電中の暗い家の中で待っているときに、息子が全然泣かなかったことが印象深い。当時は彼なりに状況がわかっていたんだろう。とても心強かったし、自分もちゃんとしないといけないと改めて思った。

来年は家族が増える予定。最近自己主張が激しくなってきた息子もお兄ちゃんになる。これからの息子の成長も新しい家族もとても楽しみだ。

投稿者 ittoku : 22:49 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2011年05月15日

田植え2011

新幹線の車窓

息子と2人、新幹線で福島に帰省した。目的は入院している祖父のお見舞いと田植えの手伝い。妻は研修で一緒に行くことができず、去年の夏以来の息子と2人での帰省。

乗り物が大好きな息子。去年の夏の帰省時、仙台駅のバスターミナルのバスで大興奮した息子は、せっかく新幹線に乗ったのにすぐに力尽きてしまい新幹線の中ではずっと寝てた。今回はそのときの反省を活かして地下鉄で仙台駅へ。なるべくバスやタクシーなどを見ないように新幹線のホームへ。

ただ、時間がぎりぎりだったこともあって急いで新幹線に乗ったため、息子は新幹線に乗っている実感がなかったようだ。車窓を興味深そうに見ていたが、20分ほどで寝てしまった。

郡山駅からは在来線に乗り換え。駅に母親に迎えに来てもらって、宇都宮から来た弟も合流して祖父が入院している病院へ。だいぶひどいように聞いていたが、思ったよりも元気そうで来週には退院だそうで良かった。

久しぶりに兄弟3人そろって、夜は晩酌。妻がいなくても、みんなに遊んでもらって息子は終始ご機嫌だった。

田植え

翌日は田植えの手伝い。息子は母に見てもらい、父と兄弟3人で田んぼへ。父が田植機を運転し、ぼくと真ん中の弟が軽トラで家から田んぼまで苗を運ぶ。下の弟が苗を父へ渡す。家族総出での田植え手伝い。素晴らしい。あっという間に午前中には予定していた2枚がほぼ終了。

夕方までのんびり過ごして、また在来線と新幹線で仙台に帰ってきた。帰りは時間があったため、新幹線をたっぷり見ることができて息子も満足げだった。「新幹線ながいー、おっきいー」と大興奮だった。

実家の飼い犬すず

東日本大震災の影響で、町のほとんどの田んぼの水源であるダムが破壊されたため、ほとんどの田んぼは休耕していた。幸いに実家のたんぼは別の水源だったため田植えができたが、規模を例年の2/3に縮小し余った田んぼを誰か別の人に貸すようだった。

また、田植え前に土壌調査を行い、放射性物質の含有量が国の基準以下であることを確認したようだった。作った米は売れるかどうかわからないが、何人かの個人からは今年できた米を直接買いたいとの申し入れがあったそうだ。たいへんありがたいことである。農家の励みになる。

以下、今回の帰省で気付いたこと感じたことを列挙する。

heartbeat.photos.2011

投稿者 ittoku : 22:16 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto , shashin

2011年04月18日

震災後の帰省

青空と桜

東日本大震災から1ヶ月が過ぎて、ようやく我が家のライフライン(最後は都市ガス)が全て回復した。余震はまだまだ続いているが、物不足もガソリンパニックも収まって、仙台市内陸部は通常の生活を取り戻しているように感じる。そんな中、震災後初めて福島の実家に帰省した。ちょうど桜が咲いている時期。天気がとても良かった。

土壁が崩れた蔵

実家は福島県の中通り南部の矢吹町。3月11日の地震の震度は6弱だった。ぼくが住んでいる仙台市太白区の震度は5強だったので、なにげに震度が大きい。福島ではいままで大きな地震が起きたことがほとんどなかったので、津波を除いた今回の地震の被害は仙台市よりも大きい箇所が多々ある。

実家は昨年夏に新築したばかりだったが、瓦の一部分が地面に落ち、外壁の一部にひびが入り、内壁にもあちこちひびが入っていた。柱は無事なので生活に支障はないが、修復にはだいぶお金と時間がかかるとのこと。それでも家族はみんな無事で何よりだった。

落ちた墓石

矢吹の町をいろいろ回ってみた。ぼくの祖父母も眠る墓地は、ほとんどのお墓の墓石が倒れ悲惨な状況だった。古い墓石も倒れていたので、ずっと昔戦前から数えてもこの地区では一番大きい地震だったのだろう。

道路はいたるところでこぼこで亀裂が入っている箇所も多々あった。スーパー、ヨークベニマルは通常営業はしていたものの天井の一部がはがれ落ち、ガラス張りの壁は一面ブルーシートだった。昔バイトしていたカラオケスナックは、地震で建物が損壊。営業は停止で建物の解体作業をしていた。

通っていた中学校は昔から耐震性が問題視されていたので、去年から新校舎を建築していてちょうど3月に新校舎が完成したばかりだった。奇しくも新校舎の体育館のこけら落としを兼ねた卒業式の3月11日、卒業式が終わってから震災に見舞われた。町内でも建物が全壊や半壊の住宅が数多くあったため、新築したばかりの体育館が避難所になった。旧校舎は倒壊の危険性があるとのことから立入禁止。完成したばかりの新校舎への引越がすんでいなかったが、すでに解体が始まっていた。旧校舎からは高価な物品以外は持ち出すことができず、泣く泣く解体作業が開始されたとのこと。

解体中の旧校舎

以下、今回の帰省で気付いたこと感じたことを列挙する。

原発問題や余震など、不安なことは多々あるがみんな元気に暮らしている。今回の帰省ではそんな印象を持った。

heartbeat.photos.2011

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2011年03月28日

東北関東大震災-井土浜-

東北関東大震災-井土浜-14

東北関東大震災から2週間経って、ガソリン以外の物流はだいぶ回復してきた。牛乳や納豆、水など一部手に入りにくい商品はあるが、スーパーやコンビニは時間は限られているが通常通り営業しており、当初見られたような行列もない。ガスなどのライフラインはまだ完全に復旧していないけれど、仙台市の内陸部はだいぶ震災前の生活に戻ってきた。

だけど、沿岸部の被害は甚大だ。テレビの映像等で沿岸部の状況はなんとなくわかっていたが、内陸部の通常生活を知っているだけに数km先があのような状況になっているとは信じられなかった。

沿岸部に行ったことがある人は、沿岸部の状況を「絶対見ておいた方がいい」と言う。ぼくもずっとそうだったけど、内陸部にいると多少生活が不便なだけなので、同じ市内の沿岸部の被害などは遠い世界の出来事のように思っていた。だけど、仙台市民として沿岸部の状況を見ておく必要があると思い、自転車で仙台市若林区井土浜まで行ってきた。

東北関東大震災-井土浜-16

仙台市若林区の沿岸部は海岸線から2〜3kmの所に仙台東部道路(高速道路)が通っている。ほぼ高速道路を境にして津波の被害状況は全く異なる。高速道路から西側の津波の被害は浸水程度。高速道路から1kmほど西に行くと津波の被害はほとんどない。逆に高速道路の東側の津波の被害は甚大。

車が積み重なり家が押しつぶされがれきの山が連なっている。何にもない。ほんの少し向こうには比較的被害の少なかった仙台市中心部が見える。信じられない。ほんの数kmの差で被害状況がまったく違う。震災後初めて自分の目で見た惨状に言葉を失った。

ゆっくりと井土浜を自転車で見て回った。ところどころ、自衛隊、警察、消防等の方が捜索してる様子が見えた。かろうじて建物が残っている場所では、そこに住んでいたと思われる人たちが重機や手作業ででがれきを片付けたりしていた。ここに住んでいた人たちが元の生活に戻るためにはどのくらいの時間がかかるのだろう。その様子を見てとてもいたたまれない気持ちになった。

このとき見た風景は、ここだけじゃなくて東北、関東の太平洋沿岸にはずっと広がっている風景なのだろう。その被害の甚大さは想像もできない。ただただ圧倒されるばかりだった。

heartbeat.photos.2011

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2011年03月19日

東北関東大震災(5-6日目、まとめ)

2011年3月15日(火)
07:42
昨日の支援物資のおかげで食材はけっこうあるのだが、追加の食料がいつ手に入るのかわからない不安からか、どうしても食事を制限してしまう。朝食はクリームパンとみそ汁だけ。

09:41
地震で倒れたW650は起こしただけでカバーをめくってはいなかった。おそるおそるカバーをめくってみると、ウインカーはステーが破損しただけでウインカーはちゃんと点灯する。ガムテープで補強していつでも乗れるように準備。エンジンもかかる。ただ、ガソリンがほとんど入っていなかったので50km走れるかどうか。

12:35
近所のガソリンスタンドが給油しているとの情報をインターネットで知り、無駄かと思いつつも並んでみることに。店員に確認したところ1台2000円分までは給油しているとのこと。2日前に3時間並んで諦めたことがあったので乗り気ではなかったが、妻の強い要望もあり仕方なく車列に並ぶことに。果てしない車列は1km以上並んでいる。並んでいる間、車内で食パンとジュースで昼食。

15:05
車列は微妙に進んではいる。しかしまだまだ。半分くらいすぎたところで急にスムーズに流れ始める。もしやこれはと思ったら案の定。ガソリン品切れで営業停止。3時間弱ならんでこのありさま。ガソリンが安定供給されるまでは、もう並ばないと心に誓う。

15:27
上司からメール。いつから出社できるか教えてもらいたいとのこと。保育園で息子を預かってもらえば出社は可能なので、保育園に確認。電話はつながらないので直接行ってみる。保育園は電気と水道がまだ通っていないが、お弁当を持参してもらい日没(17:30)までに迎えに来れれば預かるとのこと。たいへんありがたい。上司へは明日から出社可能と報告。

16:34
昼食が食パンだけだったのでお腹が空いて早い時間に夕食。冷蔵庫に残っていた即席生ラーメンと支援物資のほたるいかの干物とバーボン。ちょっぴり贅沢な夕食。ラーメンあったかい。

18:46
上司からメール。出社時間はいつでもいいので明日から出社してもらいたいとのこと。やっと社会復帰できる。

22:45
やや大きめの地震。静岡で震度6強とのこと。被害が心配。結構な揺れにもかかわらずぐっすり寝ている妻と息子に感服。

2011年3月16日(水)
06:55
久しぶりに米を研いで朝食はご飯と納豆とみそ汁。いつもの朝食だ。

07:40
息子を保育園に預ける。この時間で子どもを預けている人はまだいない。申し訳なく思いつつ息子と別れる。案の定、別れ際に息子は泣いた。

08:01
地下鉄で職場まで。街の様子をあちこち見てみる。ダイエー前にものすごい人が並んでいる。青葉通の地下駐輪場は営業している。SS30のビルのてっぺんのアンテナがない。

08:30
業務開始。まずは地震後停電でシャットダウンされてしまったサーバを立ち上げる。ほぼ無事だったが1台だけHDDが壊れたサーバがあった。社内メールを確認すると、東京では地震後も普通に業務をしていたようだ。すごいな。東京も大混乱だったろうに。

10:00
ぞくぞくと人がやってくる。約半分くらいの人が出社。出社後しばらくはお互いの安否情報の確認や、食料調達の情報交換など。なかなか通常業務には入れない。多賀城から来ている人もいて、その人に沿岸部のひどい有様の話を聞く。ニュースじゃない直の体験の話はとてもリアリティがある。とにかくみんな無事で良かった。

その後は普通に業務。フロアが2階でほとんど被害がなかったため、後片付け等も特になくびっくりするくらい普通に仕事してた。

16:48
まだライフラインが復旧していない人がほとんどなので、業務は日没前に終了。雪が降ってきて帰りがなかなか辛かった。

18:03
妻はお昼過ぎに保育園に息子を迎えに行っていた。子どもは数人しかいなかったようだ。夕食はカップラーメンとカレーライスを半分ずつ。

18:35
うちのお向かいさんはオール電化。なのでお湯が出る。そのお向かいさんからお風呂使ってとのたいへんありがたいお誘いが。お言葉に甘えてお風呂に入れてもらうことに。あったかい。

22:29
お風呂後は晩酌までいただく。なんだかんだと盛り上がってだいぶ遅くまでお邪魔してしまった。お向かいさんもうちも1年前に家を建てて、それまで挨拶や簡単な立ち話をするくらいの間柄だったが、一緒に飲んだのは初めてだった。お互い親交を深める機会をうかがってはいたのだが、うちは共働きで土曜日も妻がほとんど仕事のため、なかなかそういう機会がなかった。これから暖かくなって、落ち着いたらバーベキューしましょうと約束しておいとました。

まとめ
地震から日数がたち、まだ物資が不足気味だったりライフラインが完全に普及していなかったり多少不便はあるが、ちゃんと生活できている。スーパーやガソリンスタンドの長い長い行列は異常だが、仕事は普通にできる。

仕事中に職場近くのコンビニや八百屋や魚屋の営業情報があると、仕事そっちのけで食料を調達しにいったりすることがあって、地震前には考えられない日常と非日常が奇妙に入り交じってはいる。だけど、仙台は確実に復興に向かっている。

テレビでは暗いニュースしか報道していないように見えるけど、仙台の街はだんだんと営業しているお店も増え、物流も回復しつつある。なによりもみんなの顔が明るい。少なくともぼくの周りには暗い表情の人はほとんどいない。きっと大丈夫。またいつもの生活に戻れる。

投稿者 ittoku : 17:54 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2011年03月18日

東北関東大震災(4日目)

2011年3月14日(月)
2:54
深夜にふと目が覚め、家の外を眺めてみると外灯が点いてる!もしやと思ってブレーカーを上げてみると家に電気が通ってる!ネットにもつながる。興奮しすぎて真夜中だというにもかかわらず安否メールを送ったりしてしまった。後で考えると迷惑だったかも。

07:22
興奮冷めやまぬまま朝食。ガスは使えないが、IHクッキングヒーターがあったので料理はできる。主食はコーンフレークだったけど、スープをあたためて飲むことができる。あたたかい食事素晴らしい。iPhoneもauも前日よりはつながりやすくなっている。平日なので妻は出勤。息子と2人。午後には妻の家族の計らいで支援物資を街中で受け取れることに。たいへんありがたい。

10:49
うだうだと自宅で息子と遊んだりネットしたりしていたが、なんとか食料を調達せねばと思い、息子を乗せて自転車で外へ。制限はあるが開いているお店が増えている。近所の団子屋さんでは10分くらい並んだだけでおこわとおはぎを買うことができた。スーパーではほとんど並ばずにティッシュやおしりふきを購入。嬉しい。

11:33
息子が通う保育園に荷物を取りに。保育園には電気も水道もまだきていなくて、医療関係者や公務員の子どものみを預かる体制。保育士の先生たちとお互いの安否を気遣いつつ荷物を受け取って帰宅。

11:46
さっき団子屋で買ってきたおこわと朝食の残りのスープを昼食に。おこわとはいえ久しぶりの米。とてもおいしい。1パックを息子と2人でわけたが息子の食欲もすごくて、2人でほぼ半分ずつわけて食べる。

14:24
仙台市中心部で妻の家族の計らいで支援物資を受け取ることに。息子はお向かいさんに預かってもらい、SRで街中へ。途中会社に寄ってみたら、上司たちが出社している。お互いにたいへんな生活状況にもかかわらずいつも通りの雰囲気で日常を感じる。非日常の中の日常。みんな元気そうで嬉しい。

14:38
支援物資を運搬してくれる方と待ち合わせ。バイクで行くのでみかん箱1つ分くらいしか受け取れないと前もって言ってあったのだが、実際はみかん箱2つ分くらいの荷物。サイドバッグやタンクバッグ、荷物ネットを駆使してなんとかSRに積載。米や保存食やカップ麺、乾電池や防災ラジオなど、とてもありがたい貴重な支援をいただく。この支援物資のおかげで生き長らえる。妻の家族にも運搬してくれた方にも感謝。物資を取りに行く間、息子を預かってくれたお向かいさんにも感謝。お礼に物資の中からいくつか差入する。

17:39
妻が帰宅。次の日は休暇になるらしい。良かった。地震から4日間もお風呂に入っていないので、水しか出ないけどシャワーを浴びることに。水シャワーはなかなか刺激的だった。あまりの寒さに「うひょー」という情けない声が出る。仕上げはさすがに沸かしたお湯で体を流す。意外にも水シャワーだと体が過剰に反応するのか服を着た後のぽかぽか感が大きい。

18:43
暗くなって電気を付ける。明るくなる。電気が点く幸せ。電気があるだけで、もういつもの生活に戻ったような気がする。ただ、ガスは通っていないため暖房とお風呂はなし。電気のある生活万歳。夕飯は午前中に買ったおこわとカップ麺とウイスキー。夜はゆっくり晩酌。

今までは余震があったり停電があったりしたので1階の和室に布団を敷いて寝ていたが、この日からは2階の寝室のベッドで寝ることに。いつもの生活みたい。

投稿者 ittoku : 00:37 | コメント (2) | トラックバック (0) | omoukoto

2011年03月17日

東北関東大震災(3日目)

2011年3月13日(日)
6:00
ぐっすり眠って気分もすっきり。iPhoneもauもやっぱり電波はつながらない。ストーブで昨日の夕飯の残りのスープにうどんを1玉入れて食べる。暖かい食べ物って素敵。心もあたたかくなる。

8:00
この日は震災後初めて家族3人一緒にいられる日。仙台市中心部では電気が復旧し、携帯の充電ができるらしいとの情報があり、もしかしたら携帯の電波がつながるかもしれないという期待があって、仙台市中心部に向かうことを予定。その前に車にガソリンを入れようと言うことで、近所のガソリンスタンドを見て回ったがどこも行列。仕方なく並んで待つ。この間に携帯の充電ができたのと、ラジオからの地震情報はとてもありがたかった。

9:30
ガソリン待ちの車列。待っても待ってもいっこうに進まない。妻にお願いして前の状況を見てもらう。ガソリンスタンドに店員はいるのだが、電気が供給されていないため給油ができないとのこと。電気さえ通れば店を開くがいつ電気が通るかわからないとのこと。開くかどうかわからないガソリンスタンドを待っている車列だった。この間、auの電波が微妙につながることがあり、届いていたメールに何件か返事。ただ、電話はつながらず、電波も不安定。

10:30
開くかどうかわからないガソリンスタンドを待って2時間。家に帰らなければならない用事があったため、妻子を残し1人自宅まで歩いて向かう。その途中、いくつか営業している飲食店を見つけた。お店が開いているとなんだか元気が出る。お互い不便な生活を強いられているのに他人のために食事を供給するなんて素晴らしい。なんだかとても嬉しくなった。

11:30
自宅に帰って用事を済ませて自転車で移動。1時間くらい経過していたがガソリン待ちの行列は全然進んでいなかった。息子の機嫌も限界だったので、これはもう給油の見込みはないと判断して列待ちを諦める。家に帰ることにした。仙台市中心部に行くことも諦める。

12:00
さっき歩いて帰ったときに見た開いている店はすでに店じまい。入手できる食料が限られている中の限定営業だったのだろう。残念。銀行が開いていたのでお金をおろす。帰宅途中で新聞を購入。家に戻ってからはコーンフレークで食事。

13:00
買ってきた新聞を読む。福島原発爆発の衝撃的な記事。ワンセグから得られる断片的な情報ではなく、新聞からは圧倒的な情報量の情報を得ることができる。それは素晴らしいことだが、のっている記事は死亡の数や原発の悲惨な状況、放射線の影響など絶望的なことばかり。情報を得られることはありがたかったが、せっかく前向きに生きていこうと思っているのに暗い気持ちにさせてくれる。

14:00
天気が良かったので庭でひなたぼっこ。そうやっていると被災しているだなんてまったく思えない。いつもの平和な日常が広がっているように思える。だけど、新聞を読むと数km先で地獄絵図が広がっている。おかしい。

16:00
妻の携帯はdocomoでぼくのiPhoneとauが圏外でもdocomoはつながる。妻の家族から山形県天童市まで来れれば食料や灯油などの物資を供給できるとのこと。午前中のガソリンの件もあって躊躇したけど、意を決して天童に行くことにする。夕飯は朝の残りのスープにレトルトカレーと玉うどんを入れてカレーうどん。おいしい。

17:30
天童に向けて出発。途中途中電気が復旧している箇所があって希望が持てる。ただ、道は愛子までは全然混んでいなかったがそこから先が激混み。微妙に車列は動いているのでエンジンを停められずガソリンを消費してしまう。1時間くらい車列に並んだが作並すら辿り着けず。諦めて仙台市中心部に向かう。

19:37
仙台市中心部。会社ビルは電気が付いていたので一安心。予想通り仙台市中心部は電気が復旧し、iPhoneもauも電波がつながる。電気がきていることがとても嬉しい。復興のきざしを感じる。ここでも電話連絡やメールの返信。上司から連絡があって会社から連絡があるまでは出社しないようにとのこと。まずは生活優先。

20:30
もしかしたら電気がきているかもしれないと期待して帰宅したが、残念ながら電気はきてない。iPhoneもauも圏外に。残念。救援物資が受け取れなかったことと電気が復旧していなかったことにがっかりして就寝。停電のおかげで早寝早起きの毎日。

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2011年03月15日

東北関東大震災(2日目)

2011年3月12日(土)
5:57
ほとんど眠れず朝を迎えた。明るくなってくるとだんだん不安が小さくなっていく。しかし、明るくなると共にiPhoneのがつながらなくなってしまった。auの携帯も持っているがauは地震直後からずっと使えなかった。自宅では外部の情報をまったく得られなくなってしまった。

8:00
朝食には家にあったコーンフレークを食べた。我が家はあまり備蓄食料がない。今後の食料事情が心配される。そんな状況でも公務員の妻は出勤。地震の情報が欲しかった(iPhoneもauもつながらなず、ワンセグ見るにはバッテリーが足りなかった)ので、妻と一緒に家を出て息子と2人で近所の避難所を見て回ることにした。

近所の中学校の武道館が避難所になっていて、100人くらいが避難していた。暖房が効いていて暖かかった。ただ、電気はきていないようでラジオもテレビもなかった。おにぎりと水の配給をしていた。中学校の時計をみたとき、14:46で止まっていたのが印象的だった。

近くのコンビニにも寄ってみた。電気は消えていたが営業はしていてとても混雑していた。品物は食料品はほとんどなかった。何も買わずに退散。

11:00
避難所やコンビニではあまり情報を得られなかったので、自転車で少し広い範囲を回ることに。乾電池が欲しかったので大型電器店に行ってみたが長蛇の列。大型ショッピングセンターも同様。すれ違った親子の会話で「生きるためだからしょうがないでしょ!」というのが聞こえてきた。それを聞いて「ああ、被災したんだな」と実感した。なんとかして食料を手に入れなければと思ったが、小さい子連れであの列に並ぶ気にはならなかった。

12:00
近所の生協に寄ったら混雑していたが大型ショッピングセンターほどではなく、しかも全品100円で販売していた。ただ、おにぎり、パン、カップ麺などはすでに売り切れていて、残っているのはお菓子、漬け物、ベビーフード、コーンフレーク、ジュースなどだった。それでも食料がないと生きていけない!と思い次々と商品を手に取る。ここで偶然にも職場から帰宅した妻と遭遇し、妻と合わせて30点3000円の食料を手に入れた。まだ不安はあるけど、数日はなんとか暮らせる。

家に帰ってから昼食。昼食もコーンフレークだったがヨーグルトを添えてちょっとだけ豪華になった。

14:00
昨日からあまり寝ていないからか2時間近く昼寝した。爆睡だった。

16:00
物置に引越前に使っていた石油ストーブがあることを思い出した。予備の灯油はなかったがストーブに灯油が残っていたので、火をつけてコンロがわりにした。我が家は高断熱高気密なので本当は家の中で燃焼させてはいけないのだが、非常時なので仕方がない。玄関の窓を開けて火をつけた。幸い水は出るので鍋でお湯をわかして冷蔵庫にあった玉うどんとたまごで煮込みうどん。おいしかった。ずっとコーンフレークばっかりだったのもあるけど、本当においしかった。

18:00
玄関にちゃぶ台を置いて奇妙な風景だったが、暖かいものを食べて暖かいストーブの前でなんだか元気が出てきた。電気はつかなくて暗いけど、キャンプのようでなかなか楽しい。息子も楽しそうだった。1日目はお酒を飲む気になんてなれなかったけど、この日はウイスキーをゆっくり飲んで、そうそうに布団にもぐり朝までぐっすり寝てしまった。

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東北関東大震災(1日目)

3月11日に発生した東北関東大震災。東北の沿岸部を中心にたいへんな被害が報告されている。ぼくは仙台市の中心部で地震にあったが、多少生活が不便なだけで特に大きな被害は受けていない。自分自身の記憶のためにも今回の地震の出来事を記録する。

2011年3月11日(金)
14:46
仙台市青葉区の会社ビルで勤務中に地震に遭遇。みんなの携帯の緊急地震速報がなって直後に大きな揺れ。ものすごく大きな揺れ。今まで何度か緊急地震速報がなったことがあったけど、そのときは長くても1分未満の揺れだったが今回は違う。

長い。とても長い。今まで経験したことのある地震よりもずっと長い。その間に机の上に置いたコーヒーカップがこぼれたり、PCが倒れたりした。このときになると「いつもの」地震とは違っていることにみんなが気付く。誰かが避難経路確保のためにフロア入り口と階段の扉を開けるためにフロアの外に出る。ぼくもそれに続いてフロア入り口の扉を押さえる。フロアのブラインドが45度くらいまでぐらんぐらんと傾いていて、地震の大きさを実感する。「やばい」「やばい」「やばい」と自然に声が出た。

ぼくはだいぶ動揺していたけど、フロアのみんなはそれほど慌てた様子はないように見えた。その温度差に驚きつつも携帯のワンセグで情報を確認。「三陸沖が震源地」「震度7」「10mの津波」といった情報が断片的に入ってくる。避難指示が出て帰宅の準備をしてビルから外に出る。意外とみんな落ち着いていて、避難もスムーズ。避難場所は人が多くてその間に余震も多々あったが、大きな混乱にはなっていなかった。怪我をした人もいなかった。そのうちに会社から解散命令が出て家に帰ることに。

15:22
街は同じように避難した人たちでごったがえしていた。停電しているため信号が消えている。青葉通の駐輪場まで行ってバイクで帰宅。途中まで一緒に帰った人に大きく手を上げて「気を付けて!」と言って別れたのが印象深い。帰宅途中街を見回してみたが停電で交差点がやや混雑しているくらいで、そんなに被害があるようには見えなかった。

仙台市太白区の自宅に到着。外観は特にいつもと変わらない。玄関先に停めていたW650が倒れていてショックだったがよく見るとウインカーが破損しただけ。どうにか起こしてサイドスタンドで停める。おそるおそる家に入ると、植木鉢やカメラ、酒瓶が落ちていたが他に目立った被害はなし。カップボードもストッパーがきいていたようで食器が散乱することもなくほっとした。電気は止まっていた。水道はまだ流れていた。

その後、自転車に乗り換えて息子が通う保育園へ。保育士と子どもたちは保育園の隣の公園に避難していた。怪我した人は誰もいなかったようで安心した。保育士から息子を受け取るとき、思わず涙が出そうになった。お互いの安否を気遣って帰宅。

16:41
iPhoneを見ると何件かメールが来ていた。メールを返そうとしたが、i.softbank.jpのサーバへはつながらない。別のPC用のアドレスでなるべくメールを返す。停電でそろそろ暗くなるので懐中電灯を探す。余震が続いていてとても怖い。息子を抱きながら家中を探し回ってなんとか懐中電灯を発見。妻からメール。帰りは遅くなるかもしれないとのこと。無事で良かった。

18:18
夜になった。お向かいさんからローソクとカップラーメンをいただいた。たいへんありがたい。暗闇で息子と2人で布団にくるまって過ごす。暗闇で音がないと不安になるので息子に話しかけながら、電池式のスピーカーで音楽を流す。ワンセグでニュースを見たら沿岸部は大津波でたいへんな被害であることに気付いて驚く。信じられなかった。

19:16
妻から帰宅するの連絡。しかし、道路が混んでいていつになるかわからないとのこと。意を決して息子をお向かいさんに預けてバイクで迎えに行くことにした。迎えに行った途中、偶然妻とすれ違い家に戻る。息子を迎えに行って家族の再会を喜ぶ。家族はみんな元気だ。このあいだ息子はずっと泣かなかった。えらい。

20:18
暗闇の中、妻が持っていたパンを食べて早めに就寝することに。ときおり余震がくる。携帯のバッテリーがなくなるのがものすごく不安になる。でも気になって地震の情報を見てしまう。不安であまり眠れず、結局3時間くらいしか眠れなかった。

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2011年01月03日

30歳と2011年の抱負

今日は30歳の誕生日。20代のうちに結婚、子どもの誕生、家の新築と、いわゆる人生の大きなイベントをこなしてきたが、29歳の去年は子育てに関する事柄が一番大きかった気がする。

息子が4月から保育園に通うようになった。妻は6月から職場復帰。案の定、保育園に通い出してから息子はすぐに病気にかかるようになり、7月にはクループ症候群で入院することもあった。そのときは、自分も38度の熱があるなか、息子を救急病院まで送っていき、徹夜で付き添って次の日はほとんど寝ずに仕事で出張するというたいへんハードなスケジュールだったが、家族や地域や職場の協力もあって、息子もぼくも特に大事に至ることなく元気で過ごしてくれている。たいへんありがたいことだ。

2010年の抱負は、落ち着いた生活を送ることだった。まだまだの部分もあるけれど、育児に積極的に取り組んだし、住宅ローンが始まった中でもなんとか家計をやりくりすることができた。また情報セキュリティの資格も取得できたし、いろいろあったけど落ち着いてよくやった1年だったと思う。

ただ、30歳になって昔と違うなと思うことがある。20歳の頃やもっと前の頃は感受性が豊かでいろんなことに刺激を受けて感動したり自分で考えたり、またそれが行動に結びついたりしたものだ。しかし、ここ最近は落ち着きすぎてしまったのか、何かできごとがあってもそれを自分の中にあるテンプレートに当てはめてしまい、あまり刺激を受けることがなくなった。そして、それが行動に結びつくことはほとんどない。

年を重ねてある程度落ち着いてしまうのは仕方がないことなのかもしれないけれど、それじゃあ面白くない。大人になっても子どもの気持ちを持っていたい。2011年の抱負は感動して行動することだ。

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2010年11月23日

2歳

肩車

息子の2歳の誕生日。誕生日の朝も元気いっぱい。父母をあしげにベッドの中でにこにこ暴れていた。お昼は福島の実家の母と待ち合わせ。誕生日プレゼントはトミカのおもちゃと動物と自動車の音が出る絵本。ケーキを買って帰宅。2歳の誕生日をみんなで祝った。音が出る絵本はかなり気に入ったようで、ずっと音がなりっぱなし。子ども心をつかむのがうまいな。

1歳から2歳の成長は0歳から1歳までのような劇的なものではないように感じた。それでも、だんだん話せる言葉が増えてきたり、走ったりジャンプしたりネットをよじのぼったりして運動能力が上がったり、いろんな成長があった。特に4月から保育園に通うようになって、友だちも増えて家庭以外の社会との関わりができた。

保育園を卒園したら小学校、小学校を卒業したら中学校と、だんだん大きくなっていく。今は子どものことは何でも知っていると思っていても、いつの間にか知らないことがどんどん増えていって、やがて自立していくんだろうな。子どもの成長を見守りつつも自分も同じだけ年を重ねて味わい深い人間になりたい。

heartbeat.photos.2010

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2010年01月06日

2010年の抱負

2010年になり、また1つ年を取った。今年は20代最後の1年。ここ数年で、結婚、子どもの誕生、家の建築と大きなイベントをこなしてきた。今は、安定した生活を望む気持ちとこれで満足してもいいの?と思う気持ちが揺らいでいる。

2009年の抱負は、自分の時間を持つことだった。通勤以外でオートバイに乗る機会は確かに激減したが、昨年は8月9月に2回のキャンプツーリングに行き、中身の濃いオートバイライフを送ることができた。また、27本の映画を観ることができ、いろんなことを感じられた。資格取得は達成できなかったが、50以上の文章を書き、自分の考えを言葉にすることができた。

子ども中心の生活になっていることは確かだが、そんな中でもうまく空いた時間を使って、自分のために使えたように思う。ただ、楽しいことには時間を使えたが、資格取得のための勉強時間はほとんど確保できなかった。勉強時間を確保する強い意志を持つことが今後の課題だ。

2010年は生活が大きく変わる。3月には新居が完成し引越をする。4月には子どもを保育所に預ける。6月には妻が仕事に復帰する。それを受けて、2010年の抱負は、落ち着いた生活を送ること。

今は7時少し前に起きて8時頃に家を出ているが、それを少なくとも30分は早めないといけなくなる。また、共稼ぎで実家が遠いため、保育所以外に子どもを預けることができない。出張が多い仕事なので、出張中は妻に負担を掛けることになる。そのあたりのバランスが難しく、具体的な対策も見えていないが、少なくとも育児には積極的に取り組み、落ち着いた生活を送れるようにしたい。

孔子の論語では、30歳にして学問で自立できるようになるという。向上心を失わず、30歳前にもう1つ何かを成し遂げたい。

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2009年11月23日

1歳

息子(1歳)

子どもの1歳の誕生日。父親になって1年が経った。1年前の出来事は、鮮明に覚えている。ずいぶんと昔のことのようでもあり、つい先日のようでもある。それだけ、中身の濃い1年間を過ごしてきたということか。良い1年だった。

子どもの1歳の誕生日プレゼントに、木のおもちゃを買うことにした。本当は木製で子どもが乗れるような乗り物を買いたかったのだが、おもちゃ屋にはプラシック製の乗り物しかなかった。プラシック製だと、使わなくなるととたんに邪魔になってしまい、収納に困る。木製だと、ただ飾っておくだけでもなんとなく素敵。そんな理由で、我が家ではほとんどのおもちゃが木製かペットボトル等でできた手製。

結局、子どもが乗れるくらいの大きな木製の車はなかったため、木製の積み木風蒸気機関車とスポーツカーを購入。あと、最近よく物を投げるようになってきて、積み木などを床に打ち付けてうるさかったため、ゴム製のボールも購入。お互いにボールを投げて、簡単なキャッチボールのようなこともできるようになった。これからの子どもの成長がますます楽しみだ。

かつてのぼくは、年を取ることに対して、言いしれぬ恐怖を感じることがあった。だけど、今になってはそれも薄らいだ。年齢を重ねれば重ねるほど、家具が年月を重ねて良い色合いになるように、人も良い風に変わっていく。そう思えるようになった。かつては、若さをうらやましく思ったり、自分よりも若い人の活躍に嫉妬を感じるようなこともあったが、今は、誰と比べるでもない、自分の存在を大切に、誇りに思う。5年前の自分よりも今の自分が好きだ。

heartbeat.photos.2009

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2009年01月05日

2009年の抱負

気が付けば2009年。高校を卒業し、実家を出てからもう10年が経つ。1999年が10年前という事実を認めたくない一方で、これからの我が子の成長が楽しみで、時間と寛容な付き合いができるようになりたいと思う。

2008年の抱負は家庭生活を大切にすることだった。2008年を振り返ると、妻の妊娠と出産の出来事が大きかった。特に、子どもが生まれてからは今までの生活が一変した。何をするにも子どもが中心。仕事の面では、ずっと出張が続いた時期もあったが、全社的な残業削減の動きもあって、ほぼ毎日早く帰ることができた。おかげで、のんびりと家で過ごせる時間があって、家事も積極的にこなせた。妻の出産前には、沖縄、横浜、青森、会津、秋田、日光など、たくさん旅行に行くこともできた。家庭生活を大切にできたと思う。

それをうけて2009年の抱負は、自分の時間を持つこと。家庭生活や仕事を大切にすることはもちろんだが、仕事や子どもに自分の時間を全て捧げるのではなく、空いている時間を自分のために使うこと。具体的には、自分の考えを文章にしたり、資格を取得したり、映画を観たり、ツーリングにでかけたりすること。ジャガイモの種芋みたいに、子どもにすべての栄養をとられて腐らないようにしたい。

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2008年12月27日

チャイルドシート

先日、実家の母にチャイルドシートを買ってもらった。新生児から4歳まで使える回転式のチャイルドシートで、お値段もなかなか良い値段。10kg以上もあり、試行錯誤でなんとか取り付けた。ぬいぐるみの人形を使って、使い方も万全!さっそく息子に使ってみた。しかし、機嫌が悪かったのか、収まりが悪かったのか、息子は大泣き。そのまま車を走らせたのだが、声を震わせて泣く息子にとうとう折れてしまい、チャイルドシートから降ろして妻にだっこしてもらった。

しかし、後で冷静になって考えた。チャイルドシートは子どもの命を守るためにある。もし、泣いているから可哀想と、一時の感情でチャイルドシートから降ろしてしまい、事故に遭ってしまったら、取り返しのつかないことになる。親として、例え子どもが泣いていようとも、しっかりとチャイルドシートを装着させる義務がある。一時の感情に流されず、本当に大切なことを見失わない必要がある。今回、折れてしまった自分を深く反省した。

いろいろ調べてみると、最初はチャイルドシートを嫌がり、泣き叫んでいた子どもでも、例外を作らずにチャイルドシートを装着し続ければ、そのうちに慣れて泣かなくなり、自分からチャイルドシートに座るようになるらしい。

投稿者 ittoku : 17:20 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2008年11月23日

11月23日

2008年11月23日。子どもが生まれた。長かった1日の記録。

2008年11月22日(土)
19:00
出産予定日は11月23日だったが、特に前兆はなかったため、義母から送られた祝いの日本酒を飲む。

2008年11月23日(日)
00:40
就寝時に妻が破水に気付く。かかりつけの産科に連絡し、緊急入院することに。このときに実家にも連絡。

00:45
就寝前に飲酒していたため、タクシーを呼んで産科へ向かう。

01:00
産科に到着。妻は診察室へ行き検診。夫(ぼく)は待合室で待たされる。

01:15
破水は確認されたが、子宮口が充分に開いていないとのこと。しばらくモニターする。ここで、陣痛室に通され、妻と対面。

02:30
しばらく様子を見たが、陣痛が始まらない。妻を産科に残し、一旦帰宅することに。

03:00
タクシーで帰宅後、荷物を準備。いつ呼び出されても構わないように、身支度を調える。

04:00
就寝

04:40
実家の母からのメールで目が覚める。なんと、仙台まで来ているとのこと。自宅に招く。

06:40
朝食をとっていたら、妻から電話。陣痛が始まったので来て欲しいとのこと。母を乗せて、自家用車で産科へ向かう。

07:00
陣痛の始まった妻の腰をさする。このときは5分おきの陣痛。子宮口はまだ充分開いていない。

07:40
妻食事。食事中にも陣痛が5分おきに来る。かなり辛そうだ。

08:30
陣痛室へ。引き続き、妻の腰をさする。待合室で待つだけの母には一旦帰ってもらう。

09:50
引き続き、妻の腰をさする。陣痛の痛みが激しさを増してきたようだ。子宮口はまだ充分開いていない。

11:35
2〜3分おきの長目の陣痛。いきみを感じ始めている。野球ボールを使って、いきみ逃がしをする。

12:10
いきみが強くなってきた。子宮口は全開に近い。家族に連絡して分娩室に入ることに。

12:30
妻の陣痛は最高潮に。自然と涙が出る。手足がしびれ、顔もしびれる。妻の呼吸とともにぼくの呼吸も激しくなる。

13:09
ついに、赤ちゃんが誕生!3190グラムの男の子。大きな声で泣いて、元気そうだ。すぐに医師のチェックを受け、親子の対面。引き続き、経過を見る。

14:30
分娩室を出る。待合室で待っていた両親と義姉と合流。

15:00
妻が分娩室を出る。入院先の部屋へ。

16:00
実家へと帰る両親を見送る。

16:50
義姉を見送る。一旦、自宅に戻る。

17:20
荷物の準備、洗濯、報告を行う。

18:50
ふたたび産科へ。

20:00
面会時間を過ぎたため、帰宅し、今に至る。

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2008年10月18日

ハイプレッシャー下での交渉術

会社の研修でちょっと変わった研修があった。研修名は「ハイプレッシャー下での交渉術」。ここで言うハイプレッシャーとは、交渉相手が感情的なっていること。つまり怒っている相手と交渉するための術を身につける研修。なかなか興味深い。

SEの交渉において、相手が怒っている場面は結構ある。客先に納入したシステムで不具合が発生した場合とか、設計・製造まできてプロトタイプを見せたら顧客の希望と全然違ってたとか、見積もりが甘くて開発規模が膨らみ、納期の延長と予算の追加をお願いするだとか。

ハイプレッシャーのレベルは4段階あるらしい。

レベル0:理性的に話ができる状況。
レベル1:やや語気を荒げ、怒っている状況。まだ理性的な話は可能。
レベル2:怒鳴ったり、机を叩くなど、理性的な話が難しい状況。
レベル3:物を投げつけるなど、理性的な話が不可能な状況。身の危険を感じる状況。

怒っている顧客と交渉するためには、まず怒りを静めさせ、理性的に話ができる状態に持って行かなければならない。そのためには、言われる前に謝罪する。そして、顧客の立場を尊重すること等を念頭に起く。その上で、顧客のいいなりにならないように、守れない約束はしない。個々や全部の責任については認めない。最優先事項に集中し、話を広げない。顧客にも協力や依頼を積極的に行う等、非常にデリケートかつ高度な交渉術が求められる。

それらを確実にするためには、事前準備がとても大切になってくる。収拾が付かなくなりそうなら、三変対応(人を変える、場所を変える、時間を変える)を行う。また、DESC法と呼ばれる方法を使い、自分の要望を伝える。DESC法とは、コミュニケーションテクニックの1つで、次の通り。

Describe:描写する
現在の状況を客観的に描写する。

Express, Explain:表現する、説明する
描写したことに対する自分自身の主観的な気持ちを表現、説明する。

Specify, Suggest:提案する
状況を変えるための具体的な解決案、妥協案を提案する。

Choose:選択する
要望や提案を相手に選択させる。

研修の参加者は、ぼくが一番若いくらいで他の人はマネージャークラスの人たちばかりだった。研修は3割くらいが講義であとは演習。3人でグループを作って、顧客役(怒り役)、PM役(怒られ役)、オブザーバー(観察者)の役割になってロールプレイを行う。ぼくの場合、怒ったり怒られたりした経験が乏しい上に、相手は目上の人ばかりで、なかなかのプレッシャーだった。特に、怒られ役のときは本当におっかなくて、なかなか上手に対応することができず、途中で言葉に詰まったりしてしまった。それでも、何度か演習を重ねていくうちに、少しずつ上手に対応できていった。

研修を受けているとき、SEってそんなに怒られる職種なのかと思ったら、なんだか情けなくなった。だけど、怒られながらもそれは、本音で話ができるだとか、状況を打開するだとか、前向きにとらえている。その点は素晴らしいと思った。研修自体もとても楽しかった。実際の業務ではあまり怒られたくないけれど。

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2008年02月10日

GTD

GTD。Getting Things Done。アメリカのコンサルタント、デビッド・アレンが提唱した個人用の時間管理システムのこと。従来、タイムマネジメント(時間管理法)によって、計画を立てることが強調されてきたが、昨今の複雑化する仕事においては、割り込みが頻繁に発生し、綿密な計画は破綻する。これを解決するため、仕事に優先度を設けず、頭の中にある仕事(気になること)を全て外に書き出し、分類、管理するのがGTDである。GTDの詳細については、このサイトを参考にするとよくわかる。

GTDを簡単に紹介する。まず、GTDの大きな流れは次のようになる。

1. 頭の中の「やりかけの仕事」を「すべて」紙に書き出す
2. それぞれの「やりかけの仕事」について望むべき結果を決める
3. 定期的にそれらをレビューする

そして、これを具体的に実現するために、次の5つのステップを実行する。

1. 収集(Collect):頭の中の「気になっていること」をすべて紙に書き出す
2. 処理(Process):書き出した事柄について、フローチャートにそって、しかるべきリストに仕分けする
3. 整理(Organize):作ったリストを、自分が使い慣れているツールに組み入れる
4. 評価(Review):自分が置かれている状況、持っているエネルギーを把握しつつ、今何が出来るかをレビューする
5. 実行(Do):今できることの中からやるべきことを実行する

この5つのステップを最低でも毎週繰り返し行うことで、GTDは機能する。

このGTDを自分の生活の中に取り入れることにした。GTDを取り入れようと思ったきっかけは、出張の予定がない週の予定表に空白が多く、寂しかったこと。それから、冬の週末の過ごし方が引きこもりがちになったこと。GTDを取り入れることで、日々の生活に活気がでるのではないかと考えたから。

まず、1. 収集に取り組む。この作業はなるべく時間がかけたほうが良いらしいが、ぼくの場合は1時間の時間で実行した。今現在頭の中にある「気になること」を書き出していく。仕事もプライベートも区分けなく書いていく。ツールはMacのMailのメモを使用した。開始後10分くらいはすらすらと書けるが、途中で行き詰まる。行き詰まってもそこで終わりにせず、トリガーリストを参考にしながら、更に書き足していく。書いては考え、書いては考え、1時間で「気になること」が150個くらい書き出せた。これで頭の中はだいぶすっきりした。頭の中にあるだけだと、頭の中でぐるぐる回り続けて出口が見つからないが、メモに書き出すことで頭の中がすっきりする。頭の中は空っぽのはずなので、余計なことを考えずに済む。安心する。

つぎに、2. 処理に取り組む。1. 収集で集まったリストをフローチャートに従って、リストに分ける。続いて、3. 整理。リスト分けした項目をツールに転記していく。ぼくの場合、カレンダーに該当する部分はGoogle Calendar、それ以外はMailのメモにリストごとに個別に転記することにした。こちらは、15分程度で終わる。

4. 評価、5. 実行は今後実践していく。

はじめてのGTDの感想。頭の中に思い描いている「気になること」をメモに書き出せたことで、すごくすっきりした。例えば「コンタクトの定期検診に行かなくちゃ」とか「誰かを食事に誘おう」とか、頭の中で思っているだけだと、なかなか実現できずに、少なからずストレスになっていた。しかし、それらを明確に文章化することで、頭の中にあっただけではなく、具体的に「この日は空いているから、この日に実行しよう。」と予定を立てることが出来、実現の可能性が増えてきた。また、「週末何しよう」と週末の直前で考えるのではなく、リストの中から、「これをしたい。あれもしたい。」と積極的に前もって週末のスケジュールを組むことができた。

仕事に限らず、プライベートのことも全て頭の中から書き出してしまう。そのために、自分の頭の中がメモ帳やカレンダーで表現されてしまうことに多少の抵抗を感じたりもした。が、よく考えてみれば、GTDを使わない頭の中のものは、雑音が多い音声のようなもの。自分で難しく考えているだけで、本来は難しいものではない。実際にそのときの頭の中にあるものは、もっと鮮明で、もっと簡単であったりする。GTDを使うことで、雑音のないきれいな音が聞け、余計なエネルギーを消費せず、本来の「次にやるべきこと」にエネルギーを費やすことができる。

良いものを見つけた。

投稿者 ittoku : 21:39 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2008年01月04日

2008年の抱負

中庸を保つことが2007年の抱負だった。難しい言葉だが、簡単に言うと偏った物の見方をせず、多視点で見ること、取り組むこと。生活、趣味、仕事、どれが大事というわけではなく、そのときにもっともふさわしいものに力を入れるということ。

2007年を振り返ると、結婚したこともあって、今まで以上に生活への力の入れ方が大きかったように思う。特に結婚式前は週末もその準備が多かった。もちろん、それは楽しかったし、結婚式・披露宴も良かった。だけど、それで燃え尽きたりしないように気を付けていた。

2007年を反省すると、良いバランスでそのときに応じた力の入れ方ができたと思う。

その一方で、結婚式直前は出張が多く、結婚生活の時間が奪われることが多かった。1週間まるまる東京出張となると、生活も何もあったものではない。独身の頃以上に、出張に対する嫌な気持ちが膨らんできた。とはいえ、仕事なので避けることはできない。

出張の多い仕事の方は、この辺りをどうバランスを取っているのだろう。特に幼い子どもがいる家庭。ぼくが知っている限りでは、奥さんが専業主婦だったり、両親が子どもの面倒を見てくれたりしている。父親はいないもの、と言う風に考えられてしまうのかな。それは嫌だ。

まだ子どもがいるわけではないが、仕事と家庭のバランスについて、今まで以上に考えるようになった。難しい。

それらを踏まえ、2008年の抱負は家庭生活を大切にすること。家にいるときは家事を積極的に行う。たくさん旅行に行く。家庭生活を充実させることで、仕事にも趣味にも精が出るだろう。

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2007年07月23日

結婚式・披露宴

7月22日。嵐のような一日が終わった。結婚式・披露宴。いろんな思いがあったが、終わってみてとても良かったと思う。

おそらく、一生のうちでこれほどの短時間で「おめでとう」を言われたり、カメラのフラッシュを浴びることは、この先もないだろう。とても不思議な感覚だった。ちっぽけなぼくでも、自分が思っている以上に人と繋がっているんだな、と感じた。たくさんのおめでとうを素直に受け取ることができたと思う。いままで、ここに書き留めていた両親への思い、結婚への思いを伝える機会もあった。

残念だったのは、自分たちが主役だとゲストの方とゆっくり話す時間がなかったことと、めまぐるしく演出に追われ、会場の雰囲気を感じることができなかったこと。食事は一口もできなかったし、飲み物もコップ1杯程度しか飲んでいなかったと思う。歓談の時間の記憶は、フラッシュの嵐とお酌と、ほんの一瞬の断片的な会場の雰囲気しかない。

ぼくたちが意図した演出のねらいや思いがゲストの方に伝わったか。ゲストの方には満足してもらえたか。気になることはこれから情報収集していこう。

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2007年07月22日

結婚前夜

結婚前夜というと、「のび太の結婚前夜」が思い浮かぶ。当時はしずかちゃんのパパの言葉にえらく感動したものだが、果たして、今のぼくはのび太のように人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができるだろうか。

いよいよ結婚式、と言っても、既に2月に同居、3月に結婚(入籍)している。これといって、今後新しい生活が展開されるわけではない。だけれども、今までの人生にないくらいたくさんの人から「おめでとう」と言われる。こんなちっぽけなぼくのために、立派な会場で立派な式と披露宴が催される。

当初、結婚にあたり、けじめとしての結婚式は行いたいと考えていたが、披露宴には反対だった。大勢の前で見せ物になるのが嫌だったし、ぼくは誰からも祝われなくても、2人だけの生活が幸せだと思っていた。それはそれで間違いではなかったのかもしれない。だけど、結婚は2人だけのものじゃなくて、親族や他人とのつながり、社会的な役割を認識するためのものだ、という一面もある。中庸を保つためにも、披露宴をすることを決めた。

決心が付いた後、一度式場に足を運んだら、もうあっという間だった。あれよあれよの間に、プログラムが決まっていく。いろいろ問題もあったけど、2人で楽しみながら、明日を迎えるに至った。

こんなちっぽけなぼくのために、ほんとうに恐縮だけれども、おめでとうを素直に受け取りたい。

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2007年07月08日

炊飯器

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学生時代の研究室の後輩達から、結婚祝いの品をいただいた。品目は炊飯器。そんなに安い物じゃなかったから恐縮だったけど、こんなに素敵なものをいただいて本当にありがたい。

高性能炊飯器、あなどれない。さっそく米を炊いてみたのだが、まず音が違う。炊飯器から蒸気時代の工場のような男の子心をくすぐる素敵な音がする。炊きあがった釜の中には、真珠のようなごはん。つやつやでうまい。すごいな。朝炊いたやつを夜にレンジでチンして食べても旨味が残っていた。

学生時代の研究室は、ぼくの人生にとって、とても充実していた時期だった。それまで、どちらかというと自分中心だったものの見方を、もっと広い見方へと変化させることができた時期だった。ただ好きで付き合うような関係ではなく、目的があって一緒にいる仲間がいた。楽しいこともあれば、そうでもないこともあった。あの頃の経験は、今のぼくには大切な思い出と糧になっている。

いただいた炊飯器のおかげで、素敵なお米ライフが送れる。どうもありがとう。

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2007年03月03日

結婚

結婚した。正確には、婚姻届を役所に提出した。休日の提出のため、宿直の警備員さんに書類を渡しただけなので、正式に受理されたのではない。記入事項に不備があれば後日訂正を行わなければならない。その場合でも、提出日は今日になるので、どちらにしろ結婚記念日には変わりない。まずはおめでとう。自分を褒めたくなる。

結婚することって大人になることだと思っていたけど、それはどうやら正確ではないようだ。結婚するから大人になるわけではない。結婚とそれに伴う形のある儀式、形のない儀式を通じて、自分と親族、他人とのつながりを意識したり、自分の役割を再確認したりする。そして大人になっていく。単なる自己満足じゃない社会的な役割が結婚にはあるんだなと、それを大きく感じた。

その前提には結婚してくれる人がいて、幸せな気持ちがある。だけど、好きだという感情だけでは幸せな生活は望めなくて、お互いの立場や性格、嗜好を考慮し、妥協点を見つける技術が大切に思える。好きだという気持ち、毎晩米を研ぐという約束、週に2日は休肝日を設けるという思いやり。そういうものが重なって、お互いに納得のいく結婚生活を送ることができるんだと思う。

結婚に関連する一連の儀式を通じて、両親の偉大さを知った。子どもの頃は「自分は立派な人間になってやる」なんて、何が立派だかわからないままに言っていたけれども、自分の子どもが結婚するまで育てるだなんて、こんなに立派なことはない。ぼくの両親は間違いなく立派な人たちだ。そして、それを自分にも自分の子どもにも伝承していきたい。

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2007年01月05日

2007年の抱負

対価の高い時間を過ごすことが2006年の抱負だった。時間が限られた中で、その時間にどう意味を持たせるのか。この抱負は成就できただろう。

2006年を振り返ると、本当に充実した1年だった。仕事の面で言えば、府中生活から解放され、具体的なプロジェクトが始まって、一緒に仕事をする仲間が増えた。それなりに忙しい毎日ではあったが、限られた時間を有効に使って、春秋の情処試験に合格することもできた。趣味の面でも、失いつつあったオートバイへの情熱が、大型二輪免許取得とW650の購入によりよみがえった。いろんな所へ走りに行って、素敵な体験をすることができた。良い1年だったと思う。価値のある時間を過ごすことができたし、時間に価値を持たせる術も身に付いた。

それを踏まえて、今年の抱負は中庸を保つこと。勇気は足りないと臆病だが、過ぎると蛮勇になる。その中間の状態である勇気がもっとも望ましい。それを中庸と呼ぶ。一方に偏ることなく、多視点で物事を見ること、物事に取り組むことを大切と考える。

例えば、生活、趣味、仕事、どれも大切。どれが1番というわけじゃないし、そもそも比べるものでもない。仕事に70%、趣味に20%とかそうじゃなくて、そのときにもっともふさわしい労力をそこに注ぐということ。

簡単なことではないけれど、少しずつ精進していきたい。

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2006年12月10日

自己啓発

入社2年目社員のための研修があった。内容はいわゆる自己啓発。技術的な内容から離れ、今までの会社生活を振り返って、グループで共有し討議する。また、自分たちの経験を踏まえケーススタディの検討を行う。最後にグループメンバーからの励ましの言葉と上司からの手紙を読んで、これからの会社生活について決意発表する。うさんくさい研修だな、とも思ったが受けてみると案外良かった。

ぼく自身、自己啓発は常に自分の中で行われているようなので、今更という感じではあった。だけど、同期がどういう経験をしてきたのか、どういう考えを持っているのか。それを知ることができたのは大変興味深く、面白かった。また、自分について語ることで満足できた部分もあった。

特に印象に残っていたことは、言葉の奥の真意を確認するということ。普段の生活の中で、相手の言葉に含まれる意図を理解しなかったり、または勝手に意図を汲み取ってしまうことが多々ある。だけど、それでは確かな意思疎通とは言えない。相手の意思を確認するために、素直にどういう心持ちでそのような言葉を言ったのかを聞き返す。「言わずもがな」「察する」などとは言うが、そんなのでは相手の本当の気持ちは見えてこない。本人に確認することが一番手っ取り早いし、確実だろう。

研修の最後の決意発表。ぼくが心がけることは、仕事に溺れない。仕事に怠けない。中庸でいる自分。研修の中で、バランスという発言を多用したが、一番言いたかったことはこれだ。仕事に限らず考え方でも同じ。過不足がなく極端な考えを持たず、1つの立場に偏らない中庸でありたい。

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2006年08月27日

オートバイとのなれそめ

かつて、父がオートバイ乗りで福島から大阪の万博に何週間もかけて行った話は聞いたことはあったが、だからといって自分が同じオートバイ乗りになるとは思っていなかった。

今はそうでもないが、昔は四輪が嫌いだった。物心がつくかつかないかの頃、畑で農作業をする父に付いていって遊んでいたのだが、それに飽きて父のトラックに乗っていた。何を思ったか幼い自分は、父のトラックのエンジンを回して遊ぶことに夢中になってた。鍵を回すとランプが光る。それがたまらなく楽しかったらしい。

最近のMT車はクラッチ・スタートシステムといって、クラッチを踏まないと鍵を回してもエンジンが始動しない仕組みになっているが、昔はクラッチを踏まずに鍵を回すと、セルモーターで車体が少しだけ前進するようになっていた。そのため、幼い自分が乗っていたトラックも鍵を回すたびに少しずつ前進し、やがて前方にある用水路に落下した。

おそらく、自分にとっての最古の記憶。幼い頃に四輪で怖い思いをしたためか、18歳で免許を取るまで四輪が嫌いだった。密室であることと車内特有の臭いが嫌いだった。だが、嫌々ながら自動車学校に通い、普通免許を取得する過程でそういうものは徐々に薄れていった。

無事免許を取得することはでき、四輪へのトラウマも克服できたのだが、免許を取得しても四輪には興味が持てず、まったく乗る気はなかった。通学に便利な交通手段は欲しかったので、原付を購入することにした。

高校生のとき、同級生が乗っていたギア付きの原付が格好良く思えたので、購入候補はギア付きの原付に決めていた。そして手に入れたのがモンキー。当初は、オートバイの運転方法すら知らなかった。購入先のレッドバロンで店員に簡単に教習してもらって走り出した。お店の近辺の道路で軽く練習。ギアの入れ方がわからなくて何度か店員に手伝ってもらったりした。

初めて走り出したときの感動は今でも覚えている。自分の力ではない別の力で、風を切って走っている。四輪では感じることのなかった感覚。思わず頬がゆるむ。それまでの人生の感動ランキング5位以内に入る出来事だ。

でも、その後右折方法がわからずにずっと走り続けてしまった苦い思い出。

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2006年08月01日

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社会人になって仙台に越してくるまで、ずっと内陸の山に囲まれた土地に住んでいた。そんな環境もあって、海にはある種のあこがれを感じている。そんな海に自分の力だけで行ってきた。

海まで自転車で行った。自転車での初めての遠出。距離は20kmくらい。実はそれは遠回りだということは後で気が着いたのだが、海へのルートは、地図も見ずに適当に川沿いを走った。川の河口には海岸線と並行して運河と防砂林があった。しかし、目前に海があるのに運河に橋が架かっておらず、何kmも運河に沿った自転車道を北上するしかなかった。自転車道の道中に、馬がいた。乗馬場と馬小屋。何十頭もの馬がいて、軽い感動を覚えた。

馬に会って元気を取り戻し、さらに運河を北上する。見たことがある橋が見えて、やっと海に着いた。自宅を出てから海まで2時間。ちょっとした冒険だった。 久しぶりに見た海と体の疲れに軽い興奮を覚えつつ、波の音を聞き入る。海だ。動力を借りず、自分の力だけできたことに達成感もひとしお。

帰りは川沿いではなくて、市内を突っ切る形で帰ってきたら1時間で着いた。なんだ、意外に近かったのか。

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2006年07月29日

苦手なこと

たばこを吸う人と体育会系の人には申し訳ないが、たばこと体育会系はどうしても好きになれない。

昔からどちらかと言えば内向的なことや個人で楽しむことを趣味としてきたので、団体が苦手。いわゆる体育会系のノリにもついて行けない。それから、たばこは生まれたときから嫌いで、たばこの煙を吸うだけで気持ち悪くなる。たばこを吸う人に悪いと思いつつも、たばこの煙が近づくと鼻を手で押さえたり、煙が来ないところに避難したりする。自分の髪の毛や服にたばこの臭いがつくことも非常に不快だ。

部活の飲み会があって、しかも閉め切った個室だった。部活の人たちは青春時代を体育会系で過ごしてきた人たちばかり。独自の連帯感があって、個人主義(?)なぼくにはなかなか入り込む余地がない。そして、たばこ。もくもくと閉め切った部屋でたばこの煙が充満する。飲み会の間、どうしても気持ち良くなれず、不快な気持ちを引きずったまま飲んでいた。

ぼくは基本的には物事を前向きに考えて、嫌なことも良い方向に考えるものなのだが、これらのことはどうしようもない。四半世紀生きてきて身に付いてしまった生理的なものなので、今更どうしようもない。

体育会系だけ、たばこだけ、苦手なものが一つだけならばなんとか我慢できるのだろうが、それがコンボで重なってしまうと、もうどうしようもない。たくさん飲んだはずなのに全然酔わないまま、2次会も行かずに帰ってきてしまった。

このことについて幸せになれる方法は、そういう会合に極力参加しないことなのだろうか。悩めるところである。

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2006年07月21日

夏祭り

夕飯の弁当を買うために会社ビルを出ると屋台が出ていた。この辺りの夏祭りをやっているらしい。いつもと違う風景。夏祭りにわくわくするほどの年ではなくなってしまったが、オレンジ色の風景に懐かしさを感じた。

6年前、SRで初めてのキャンプツーリング。会津からいわきへ。いわきの塩屋崎で一晩を過ごした。灯台の見える海岸沿いで寝袋にくるまったが、興奮して眠れなかった。波の音と満天の星空に包まれながら一夜を過ごした。そのときに気まぐれに流していたAMラジオ。Whiteberryの夏祭りが流れていた。

密かな興奮を携えたまま夜が明ける。雲一つない空。水平線から放射状の光が空に向かって放たれる。水平線の向こうはみるみるうちにまぶしく輝いて太陽が顔を出す。あのときの感動を一生忘れることはないだろう。

このとき以降、何度か夜明けの太平洋を訪れているが、雲一つない日の出を見たのはこのときだけ。誰に誇るわけでもない自分だけの宝物。

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2006年07月04日

先輩社員

部署に新人が配属されて、自動的に先輩社員になった。先輩社員と言うと何かと世話を焼いたり、職場のあることないこと愚痴を言ったりするものだが、まあ自分も多分に漏れずそんな感じ。

これからの新しい生活に夢や希望を抱いている新人に対して、愚痴をこぼしてその夢や希望に傷を付けたり、現実の厳しさを必要以上に強調して伝えたりするのが先輩社員だが、でもだけどそれだけじゃないよな。

新人が持ってる夢や希望を自分のものと照らし合わせて自分の夢を再確認したり、前向きな言葉で励ましたり、逆に励まされたり。お互いにwin-winな関係が望ましいとも思う。

かといって、あまりにも楽観的なのも問題。現実の厳しさをそれなりに伝えつつ、前向きな姿勢が一番いいのかな。

まあ、それよりも何よりも、飲みの機会が増えるのが一番嬉しいね。

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2006年07月02日

海外で働くこと

夢を見た。海外で仕事をしている夢。海外で働くこと。昔からの夢だった。一時期は青年海外協力隊を希望することも考えていた。しばらくこの気持ちは忘れていたが、最近この気持ちが大きくなってきた。

会社の同期で海外に行っている人がいる。だから、今の会社で自分にチャンスがないわけではないし、同じ部署にも過去に海外で働いた経験がある人がいる。それに、以前、飲みの席で上司に「アメリカに行くか?」と聞かれたことがあった。そのときは「20代のうちに行く機会があったら行きたいです。」と答えた。その頃は、「海外で働く」という夢を忘れかけていたので、そういう答えだったがやっぱり今はすごく行きたい。

不安なことは多々ある。飛行機に乗ったことがない。異国文化になじめるのか。外国語は話せるのか。仕事としてやっていけるのか。そもそも、なぜ自分が海外で働きたいのかがわからない。欧米に対するコンプレックスか他者への優越感か新しい環境の熱望か。

臆してはいけない。あれこれ考えるよりもとにかく実際に行動してみた方がいいのかも。積極的にアプローチしてみよう。

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2006年01月09日

2006年の抱負

「時間を大切に使うこと」が昨年の抱負だった。昨年の年始に予想した通り、社会人になって学生だった頃とは比べ物にならないくらい自由な時間は減った。特に今の部署に配属後、11月末からの府中ホテル生活が始まってからはなおさら。1日の2/3は仕事しているなんてこともある。そういう時間をどうやって使ってきたのか振り返ってみると、良いことも良くないこともあった。

良いことは、限られた休みを有効に使うために頻繁に旅行に行けたこと。昨年は、岩手、石巻、東京、とあちこちに旅行に行けた。貴重な思い出を作ることができた。良くないことは、残業が増え、帰宅時間が遅くなるにつれて、じっくりとものごとを考える時間が少なくなってきたこと。このblogの更新もだいぶ停滞するようになってきている。その日その日のスケジュールに追われて、狭い視野でしかものごとを見れないことがあったような気がする。それに、最近は忙しくなりまとまった休みが取れないため、旅行に行くこともままならなくなってきた。

だけど、時間は自分で作るものだと思う。残業が多いだとかそういったのは言い訳で、作ろうと思えば時間は作れる。たとえ、物理的に少ない時間しか作れなかったとしても、中身の濃い過ごし方ができるはずだ。また、例えば仕事に費やす時間には代価が支払われる。仕事に限らずプライベートでも、費やした時間の過ごし方と対価(決して金銭的なものだけではない)が釣り合っているか、客観的に見ることも大切だと思う。「時は金なり」とは、まさにその通りだと思う。

2006年の抱負は「対価の高い時間を過ごすこと。」昨年の抱負に似ているが、時間の「大切さ」をもっと具体的に表現して、全ての時間に意味をもたせるようにしたい。いわゆる「無駄な時間」を極力なくす。たとえ、無駄な時間に思われる時間があっても、その時間で得たものを考え前向きに捉えることができれば、決して無駄ではないと思う。

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2005年10月30日

人とのつながり

ぼくが所属していた研究室は何かといわくつきで、そのおかげか当時の研究生の絆は今でも強い。ほぼ、月に1度は会津で飲み会を開いている。そういう慣習はとても良いことだと思う。

寒くなってきたことだし会津行きはバスにした。バスに揺られながら、懐かしい会津の地を窓越しに見ながら、いろいろ学生時代のことを思い出してた。飲んでばかりいた毎日。高校時代の恋人を振ったこと。その後付き合った人にすぐ振られたこと…。自分のことなんだけど、意外にドラマがあった。

そういうドラマが良いとか悪いとかじゃないけど、そのドラマを通じて結び付きが途絶えた人だとか、逆につながった人だとかがいる。なんとも不思議な縁を感じながら会津に着いた。

飲みの翌日、友人から連絡があった。昔の友人が結婚するとのこと。相手の方も昔の知り合い。不思議な縁だ。だけど、つながりが薄くなってしまった今は、どうしたらよいかわからない。

兄弟でもそうだ。特に明確な理由があるでもなく、弟といつの間にかすれ違ってしまって、ろくに口を利かなくなってしまった。でも、不思議な縁を感じた今日、その弟からメールがあった。

「今までの関係は良くなかった。これからは兄弟仲良くやっていこう。」

本来ならば、兄であるぼくが使うべき言葉が弟から出された。申し訳ないと思いつつも嬉しかった。

大事にしていきたい。

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2005年07月18日

目標

社会人になって4ヶ月。いよいよ部署にも配属され、覚えることがたくさんの毎日。日々の生活でいっぱいいっぱいになってしまいそうだが、もっと大きい視点で物事を見ていきたい。ぼくの目標は今の会社の役員になることだ。

ぼくの会社はある大企業の子会社。会社の事業部長以上の役員は全て親会社から来た人たちが勤めている。近い内に自社出身の役員ができるとかできないとかの噂を聞いたが、定かではない。ぼくがそこに喰い込むのは20年後か30年後かはわからないが、一つの大きな目標として持っている。

この目標は途中で変わっても構わない。大きな目標を持つことで、目先の損得に惑わされず自分の進みたい道へ進むことができる。これから先、様々な苦難が身に降りかかるかもしれないが、行き先を見失わないためにも大きな目標は必要だ。

目標と今の自分を照らし合わせて足りない部分があれば、それを解決していけば良い。目標は大きすぎて漠然としてるが、その目標を細かくモジュール化すればおのずと足りない部分が見えてくる。具体的に言えば、社会の仕組みを知ることだとか業務経験だとかになる。

まだまだ若くて何も知らないが、今後はわからない部分がわかるようになることが楽しみだ。

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2005年05月07日

人は必ず成長するということ

人は必ず成長すると信じている。今日の自分は、1日前、1週間前、1ヶ月前、1年前の自分よりも必ず成長している。時には困難に出合い、自分を信じられなくなる場合がある。その場合は、過去の自分を振り返り、現在の自分と比較し、成長している部分を見つけ出し、自分を取り戻すことができる。

福島県の会津の地で、学部時代4年、大学院時代2年の計6年間を過ごしてきた。その大学生活は大きく2つに分けることができる。それは大学生という身分を充分に謳歌し、決して真面目とは言えなかった前半3年と、前半の自分自身を反省し、積極的に研究等に取り組んだ後半の3年間である。

大学に推薦で入学し、特に受験勉強というものをせずに大学生になった。新生活への期待と新しい仲間との出会いで素晴らしい毎日を過ごしていた。その一方、出身高校が商業高校ということもあり、他の学生との学力の差や、難解な大学の講義に喪失感を感じることもあった。当時は勉学で身を立てることは難しいと考え、勉学以外の趣味の領域に没頭することが多くなった。そのような状態で1年、また1年と月日は流れていった。

大学3年の秋に研究室を決める時期があった。当時は適当に論文を書いて卒業できればいい、などと簡単に事を考えていた。しかし、現実は甘くなかった。いくつかの研究室を訪問したのだが、それまでの成績が良くなかったことや自分自身の技術の不足などがあって、何度も研究室を断られた。このときに現状を打破しなければいけない必要をはっきりと自覚した。そして、ようやく5つ目か6つ目で研究室が決まり、今までの勉学の遅れを取り戻そうと毎日必死に勉強をした。1日12時間勉強した日もあり、1年分の授業内容を1晩で自習した日もあった。そのような努力の結果、それまで不足していた学力や能力を取り戻すことができた。それと同時に、このときの努力と結果から大きな自信を持つことができるようになった。この点が人は必ず成長すると信じている所以である。

転機が訪れてからは成績が伸び、大学院へ進学することを決意した。卒業研究も無事に終了し、卒業することができた。そして、大学院生活が始まった。大学院の授業や研究は学部のとき以上に難解なものとなったが、問題に当たってもその問題を解くのに必要充分な自信があったので、問題に悩むどころか逆に問題を解決する過程で自分自身の成長を発見することができ、それが喜びにさえなった。

以上の経験から、人は必ず成長すると信じている。そして、人は必ず成長するという定義より、将来における自分は現在よりも向上していると仮定できるため、肯定的な姿勢で物事に取り組むことができる。また、問題にぶつかって自信をなくしかけた場合でも、過去の自分と現在の自分を照らし合わせ、成長している部分を発見することで自信を取り戻すことができる。自分自身の経験から発見したこの法則の一部は、経営学の基本的な考え方である目標設定と問題解決手法の考え方、それから根本的な姿勢である、所謂プラス思考と一致する部分がある。そのこともまた、自信の1つとなっている。

大学生活を振り返り、前半の3年間と転機、後半の3年間を述べた。そして、そこから得た人は必ず成長するという定義を導きだした。この定義より、未来に対する肯定的な姿勢が得られた。また、困難に当たった際の現在と過去の照合による自信の取り戻し方を述べた。

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2005年03月23日

卒業・修了

修了式を迎えた。卒業から2年。6年間の学生生活。長かったな。大学で過ごした6年間は本当に大切な、大切な時間だった。

大学での勉強よりも自分自身の趣味や興味を大切にしていた前半3年。オートバイのことや心理学に興味を持って一生懸命にやっていた。その分、勉強がおろそかになって悲観した時期もあったけど、後半の3年間は前半の不勉強を反省して取り戻すことができた。そして、前半で得た経験や知識から研究に趣味に充実した日々を過ごすことができた。

この6年間でぼくは大きく成長した。高校時代に身に付いた変な価値観のプライドはとうに捨て去って、いろんな価値観を認めることができるようになった。自分自身の性質を把握することで冷静に自分の行動と思考を考えることができるようになった。

いろんな人との出会いもあった。良い出会いも。悪い出会いも。いまここにぼくがこうしてあるのも、いろんな出会いがあってそこで出会った人たちに切磋琢磨されて、ぼく自身が自分をどう置いたらいいか考え、いまあるようにある。

これから、大学を出てからも常に成長し続けるだろう。人は必ず成長すると信じている。明日の自分、1週間後の自分、1年後の自分は現在の自分よりも必ず成長している。

そうやってこれからも生きていく。

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2005年02月08日

スリランカカレー

学食のランチメニューにスリランカカレーがあった。スリランカからの留学生が販売していた。カレーの代金500円は全て年末の津波で被災したスリランカのために使われるようだ。具体的には津波で流された学校の再建設が目的らしい。

募金をしたことはほとんどない。募金を迫られてそのお金の用途もよくわからずにただお金をあげて、それで満足したりするのが嫌。見返りもないのにその満足感で良いことをしているような気になるのが嫌。偽善のような気がしてしまう。

このスリランカカレーはおいしかったし、その代金はスリランカのために使われることがわかってる。きちんと見返りもあったのでお互いに満足できて、ほんのちょっぴり良心が潤った。

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2005年02月05日

書くことの視点

ぼくが書く文章って視点が個人に向けられているようだ。「〇〇がもたらす社会全体への影響が…」とか「一般的に△△では□□となっており、その結果××になる」のように、大きい視点でものを見ることはあまり書いていない。

ここで言う個人ってのは大域的な見方に対する局所的な見方。天から物事を見てそれについて語っているわけではなくて、ある個人が物事をどう受け止めてどう行動するのか。そう言う意味で視点が個人に向けられている。その個人は自分であることもあるし、また別な人であることもある。

物事を大域的に語るには知識が不足しているし、経験も浅い。それに複雑な物事には一つの決まった回答はないと思っている。いろんな人のいろんな意見を汲み取って多角的に捉えるものだと思っている。仰々しい口調で物事を語っても、そこには個人の主観が隠れているだろう。

それに今のぼくには発言に責任がないことが多い。ぼくの発言で損をする人も得をする人も少ない。自分の発言に責任がかぶさるならば、多角的な意見を天秤にかけてなるべく損をする人が少なくなるように発言をまとめ、言葉を選ばなければいけないが、今のぼくにはその必要はない。

だからこそ個人に焦点を当て、その人がどう感じたのかそこに興味がある。

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2005年01月28日

らくだ

らくだが好き。不思議なほどらくだが好き。初めてらくだを見たのはいつだろう。一人暮らしを始めてからだったろう。らくだの目に癒された。

らくだの目はいつも潤んでいる。モンゴルの遊牧民の間に、こんな言い伝えがある。

かつて、らくだには角が生えていた。あるとき、鹿が角を貸してくれと言った。どうしてもと言うので、優しいらくだは快く角を貸した。鹿は喜んで遠くへ旅立った。らくだは、鹿が角を返してくれるのを待った。いつまでも待った。しかし、鹿は帰ってこない。いつまでも戻ってこない。らくだは、今でも鹿が角を返してくれるのを待ってる。遠く、地平線を眺め、目を潤ませて待っている。

らくだ。たまらなく好きだ。

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2005年01月17日

2005年の抱負

昨年の抱負、「英語を日常的に使えるようになること」は、まあまあ成就できた。英語ペラペラというまでにはいかないけど、少しは勉強したし、語いが足りなくて表現に困るときもあるが、研究室の留学生と会話もできるようになった。今まで英語で会話するなんてことがまったくと言っていいほどなかったので、大きな進歩だ。達成具合は10段階評価で7くらい。

さて、今年は長かった学生生活も終わりを迎え、4月からは新しい土地、新しい環境で社会人としての生活が始まる。住み慣れた会津の地を去ることは寂しいが、それ以上に新生活への期待が大きい。学生と社会人の最も異なる部分は、暇とお金だろう。暇はあってもお金がない学生。お金があっても暇がない社会人。限られた時間の使い方が大切だと思う。

そこで、2005年の抱負は「時間を大切に使うこと。」残された学生生活の時間を自分を磨くため、思い出を作るために有意義に使う。社会人になってからは、限られた自分の時間を思いっきり楽しんだり、自己鍛錬できるように使う。気が付いたら年をとっていた、なんてことにはならないように、毎日毎日を充実させて過ごしていきたい。

投稿者 ittoku : 20:56 | コメント (0) | トラックバック (0) | omoukoto

2004年12月23日

インフレ

学区内に信号が1つもないようなところで育ったぼくにとって、幼い頃の世界は実に狭いものだった。家族旅行とかする家庭でもなかったのでなおさら。あの頃の楽しみはと言えば、家族で月に一度くらい出かけるラーメン屋だとか、ラーメン屋で読む漫画だとか。そんなもん。

中学生になってコンビニや本屋に行けるようになり、高校生になって電車に乗ってちょっとした都会に行けるようになり、大学生になって自分の意志でどこでも行けるようになった。

だんだん自分の世界が広がって、いろいろ素敵な体験をして今に至っている。だけどその一方で、そういった素敵な体験に慣れてしまって、どうにも感受性が豊かでない自分がいる。何か新しいことを体験するにしても、素直にそれを新しいものとして受け入れるのではなく、過去の事象と照らし合わせて、「ああ、これは〇〇みたいなもんか。」って、先入観を持って接しているような気がする。

それが大人ってもんで、成長ってことなのかもしれない。だけど、なんか寂しい。今まで体験したことのないような刺激を味わうにしても、やがてそれにも慣れてしまって、感受性のインフレが起きてしまう。

子どもの頃にちらっと読んだ大人向け漫画のえっちシーンとか、なんだか難しい横文字が初めて理解できた喜びとか、そういう些細なことで大きな感動を感じられなくなることが寂しい。

退屈な日々を送っているわけでもないのにな。

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2004年10月25日

オートバイに乗る理由

二輪免許を取得してから5年。乗り継いだオートバイの走行距離を合わせると、地球二周分に迫る勢い。ぼくがオートバイに乗る理由は、「生きている実感を感じられるから」だと思っている。

(少なくともぼくの周囲では)平和な世の中、いのちを賭してまですることが少ないはず。オートバイに乗っていれば、嫌でも「死」の一面が見えてくる。「死」と隣り合わせならば、その分「生」に対する執着も大きくなるだろう。おおげさな言葉かもしれないけれども。

ぼくは幸いなことに大きな事故の経験や事故で失った友人はいない。だけど、もし自分が事故に遭って死んでしまった場合、周囲の人は「オートバイなんかに乗らなければ…」って思うだろう。それでも、自分のわがままを押し通してオートバイに乗っている。乗せてもらっている。確かにオートバイは気持ちよくて楽しくて、最高の乗り物で、気軽な気持ちで友人に「オートバイ乗ってみれば?」なんて、薦めることもある。それで実際に乗り始めた人もいる。しかしながら、やっぱり「危ない乗り物」なんだよね。楽しいことの何百倍もの不幸の可能性を背負っている。

ぼくをオートバイに乗せてくれている、社会や友人や家族や自分自身ではない”誰か”に感謝してオートバイに乗り続けよう。

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2004年07月23日

感動

ここにこうやって文章を書いて公開しているのって、自分自身を見つめなおしたり、自分の考えを他人にわかってもらいたいってことや自分の存在を誰かに知ってもらいたいってことの他に、特定の誰かに当てた遠回りなメッセージって場合もある。

そんなぼくの遠回りな素直なメッセージが受信されて、その人の心を動かしたときの感動は、今までの自分の存在や価値観が全て肯定されたような心地よい感情。

今まで、ただ「いいなあ」って感じてた曲や歌詞の意味が自分の実体験と重なって、もっと好きになっていくような感情。

つまり、何を言いたいのかって言うと、ぼくは幸せだってこと。

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2004年07月06日

他人との距離

ある分類によると、ぼくの性格はマイペース型。マイペース型は、時間感覚が「分断」。まずは自分。相手の感情・情動をさほど重視しない、または「わからない」。表情は硬く、動きもぎこちない。筆跡は、いわゆる「下手な字」。

マイペース型に対極する型として、情動型があり、時間感覚は「流れ」。相手あっての自分。相手や自分の感情・情動を重視する。表情は軟らかく、動きも滑らか。筆跡は、丸みのある優しい字。達筆であることが多い。

ほとんどの人が「どちらか」の型を持っている。両方持つことは無い。気質的(体質的)なものなので、変えることはできない。

そんなマイペース型なぼくは、他人の感情が「わからない」ときがある。ビジネスライクな付き合いであればさほど問題はないのだが、ある程度親しくなって、相手の内側に踏み込める程度の距離になったとき、境界線がわからずに、知らないうちに相手を傷つけることがある。それが怖い。正直なところ、相手を傷つける行為自体は自分でも気が付かないくらいなので、よくわからないのだが、「相手を傷つけている自分」に対して罪の意識を感じる。

親しくなるとどうしても忘れがちになってしまうが、もっと他人との距離を意識して、自粛しなければいけないときがある。

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2004年04月05日

自己PR

「研究活動を通じて、未知の事柄への対処の仕方を経験的、感覚的に身に付けてきました。一見複雑な理論も本質を見抜いてじっくりと取り組めば、解決できることを経験しています。これは、研究のみならず全てのことに応用ができます。

「サークル活動を通じての心理学的知識の習得や体験学習から、他者との良好なコミュニケーションの築き方や自己理解を深めてきました。

「私は、人は必ず成長すると信じています。明日の自分、1週間後の自分、1年後の自分は現在の自分よりも必ず成長しています。ときには挫折を味わったり、落ち込むこともありますが、そのときは過去の自分を振り返り、過去の自分と現在の自分を照らし合わせ、成長している部分を見つけて、自分を取り戻すことができます。」

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2004年01月26日

新年の抱負

テレビを見れば横文字に溢れ、ラジオを聞いても横文字に溢れている。その「テレビ」「ラジオ」すら横文字。いま、ぼくの目に映っているものですら、半分は横文字という有様。そこまでにも横文字、外来語が日常にある日本。「ジャパニーズ・ヒップホップのパイオニアでもある彼らがリスペクトするアーティストは○○です。」なんて、意味不明な日本語(?)もまかりとおる。そして、気付けば自分でもよく意味を捉えていない横文字を使っていたりする。「この言葉のニュアンスは〜」「そもそもアイデンティティというのは〜」云々。

決して欧米諸国に対して羨望感があるわけでも、いわゆる日本人的資質に対して不満があるわけでもなく、ぼくは日本人であるということに誇りを持っている。

ところで、今年の(だいぶ遅くなったが)新年の抱負は、英語を日常的に使えるようになることである。一見、矛盾するようだが、スティール・ボール・ランの砂男も、ラストサムライの渡辺謙も言ってた。敵を知るために敵の文化を知ると。

美しい日本語を使いたいから。適当な外来語で無理に相手を煙に巻く表現や、理解が曖昧なままの表現を綺麗な日本語にしたいから。そんな理由で、日々英語の勉強に勤しむのである。

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2003年11月14日

アイデンティティ

Identity。横文字で書かれてもなんのことやら。直訳すれば「(自己)同一性」。 国立国語研究所の提言によれば「自己認識」。要は「自分はこんな人間だよ。」ってことを自分でわかること、もしくはわかってる状態のこと。

「自分探し」が最近の中高生の間で流行っているらしい。自分探し。自分がどんな 人間なのかを知ること。「自分探し」のために、人は宗教に音楽に文章にあらゆる表現手段、受容手段に「自分」を求める。

「自分」なんて、いかにももっともらしく言われると、それがなんなのか曖昧になって きてしまうが、その曖昧さを感じている部分も「自分」。だから、何もしなくていい。 ありのままの状態でいい。それが「自分」。

そんなふうに「自分」を認識している。

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2003年11月13日

電話

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19世紀後半に発明された電話。空気の振動である音は、電気信号に変換され、 電線を伝って相手に届けられる。電話を発明したと言われるグラハム・ベルが 立ち上げた会社は、今では世界最大規模の会社組織「ベル研究所」と名称を変え、情報技術、科学の発展に大いに貢献している。我々情報系の人間が学ぶ、 UNIX、C言語などはベル研究所によって開発されたものである。

電話が苦手だ。毎月の携帯の通話料は100円を越えない。手元の携帯の発信履歴を見たら3ヶ月前の履歴が残っていた。電話すればすぐなのに、 美容室ではわざわざ店舗まで行って予約をとる。自分で出前を取ったことがない。そのくらい電話が苦手。携帯電話はもっぱらメール着信用(送信はあまりしない)。

夜中にふと目がさめて、電話を見ると着信があった。誰からだろう? 履歴を見ると、3年前に会ったきりの人からだった。突然何の用事だろう?でも、忙しさのせいにして、電話を返すタイミングを失っていた。

数日経った。やっぱり気になって、勇気を持って電話してみた。コール音が1回、2回…。電話が繋がるまでの間、いったい何を話したらいいのか、 頭の中をかき回して考える。相手が出たらなんて話し掛けよう。 でも、結局繋がらなかった。

久しぶりに発信履歴が増えたぼくの携帯電話は、電話の役目を果たすことなく、明日の朝、いつものようにけたたましい目覚まし音をあげる。

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2003年10月01日

年齢コンプレックス

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空条 承太郎がDIOを倒した年齢に自分が達したとき、あれ?って思った。 子どもの頃に描いた18歳は、承太郎ほどではないにしてもずっと大人だと思っていた。 だけど、現実の18歳の自分は想像していた18歳の自分よりもなんだか ずっと頼りなかった。そのとき感じた違和感は、自分が20歳、 22歳と年を重ねるにつれて、開き直り、諦め、とも思えるように薄くなってきた。

だけどやっぱり、自分よりも年下の人の行動・思想・表現・文章に触れて、 「負けた」と感じることがあると悔しい。逆に年上の人に「勝った」と 感じられると嬉しい。「勝ち負け」なんて自分の主観で計っただけで、みっともない感情なのに。 この年齢コンプレックスが自分をより卑屈にさせるときがある。 「どうせぼくは」なんて。逆に高慢にさせるときがある。「どうだ!」なんて。

他人との比較で一喜一憂するのも、刺激があっていいのかもしれないけど、 まずは自分自身をよく見つめて、把握して、受け入れることのほうが もっとポジティブなんじゃないかな、と思った。 もちろん、正しくないところは修正するようにして。

※空条 承太郎
少年漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木 飛呂彦)第3部の主人公。
最強のスタンド使い。

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2003年09月10日

先生

同級会で久しぶりに会った先生が言ってた。「隣のおじさんが自爆テロで亡くなったんけど、そういうことがだんだん 気にならなく、普通のことになってくるんだよね。」その先生は、文部省の派遣事業で3年間スリランカに行っていた。

スリランカでも内紛が絶えないらしい。スリランカは日本と同じ島国。 九州よりも大きく北海道よりも小さい島に、仏教・ヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教など多数の宗教が存在する。

先生が言ってた。「ぼくがスリランカに行ってわかったことは、ぼくが経験したことをぼくよりも若い人に伝えることなんだな、ってこと。」スリランカ語を教えてくれるイギリス人研究者。日本人をぼったくる市場。 日本人同士の小さなコミュニティ。子どもたちの笑顔。 酒の席でそんなことを語ってくれた。

ああ、やっぱり、やっぱりいつかは行ってみたい日本とは全く異なった環境。 生きている実感を得られる環境。だけど、ぼくの周りの環境が、ぼく自身が それを許してくれるだろうか。

そんなことを一瞬考えながら、いつもと同じ夜を過ごす。

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2003年07月24日

夏の午後

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ふらりと立ち寄ったドライブイン。温泉があったので入ってみた。 お世辞にも綺麗とは言えない浴室。外から丸見えの露天風呂。だけど、生活感があった。

お風呂上りにベンチに腰掛ける。夏の午後。セミの声が聞こえる。子供たちが 遠くで遊んでいる。肩にタオルをかけたおっちゃん。若いバイトの子らしい温泉の番頭さん。いつの間にかオレンジの夕立。ああ、なんだろう。この心地良さは。初めて訪れた場所なのに、その雰囲気はずっと昔から知っていた。

小学校?幼稚園?の頃、夏休みの予定を記入するノートがあった。わくわくした夏休み。セミの声。縁側で網戸からの涼しい風を受け、ノートを見ては夏休みが残り何日か数えていた。夕暮れになると、外の色がオレンジ色になって夕立が降った。そんな夏の午後。

ノスタルジックを感じるほど大人になってしまった。

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2003年06月27日

チャネル

key.jpg

チャネル。情報の送信側と情報の受信側の間にある通路、媒体のようなもののこと。チャネルには太さがあって、送信した情報がすべて必ず受信されるという保証はない。

ぼくの脳は頭の中にあるイメージを文章化し、指先に命令する。ぼくの指先がキーを叩き、つたない文章を打っていく。文章になったぼくのイメージは、ネットを通じてあなたの前のディスプレイに表示される。

コンピュータほどには人間のチャネルは太くない。大人数の伝言ゲームのように、情報が不足したり誤って伝えられることもある。 ぼくの頭の中のイメージがそのままあなたには伝わらないかもしれない。 誤解されて伝わるかもしれない。 だけど、それでもぼくはぼくの居場所を知らせるためにキーを打つ。

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2003年06月25日

帰り道

思い出した。 ぼくの家に遊びに来た友達が、ぼくの家の前で事故に遭ったことがあった。ぼくの家の向かいに住んでいた幼なじみが、事故に遭って死んでしまったことがあった。

家に遊びに来た友達が、次の日にまた学校で会えるのかが心配だった。 会えるとほっとした。帰り道が心配だった。

誰かと別れるときに「気を付けて」と言うようになった。

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2003年06月15日

奴隷

あらかじめ決められた予定通り行動することが好きだ。今日の予定は、これをしてあれをして。やることが決まっていると安心する。 多少困難があっても、予定通り行動をこなしていくと安心する。

逆にやることが決まっていないとき、退屈なときは不安になる。こんなに暇でいいのだろうか。何か他にやることがあるのではないのだろうか。 そういった不安が込み上げてくる。そして、時間を浪費してしまう。

「人生には何もしない時間も重要だ」なんて、昔誰かに言ったことがあったけど、何もしない時間なんて耐えられない。自由を履き違えた奴隷のようだ。

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2003年05月07日

柱の影

対人恐怖症。自分が他人からどう見られているか、どう思われているかを過剰に気にしてしまい、他人の視線や他人の存在そのものを恐れてしまう症状。程度の差はあれ、誰もが対人恐怖の傾向を持っている。

微妙な知り合いに会うことが苦手だ。挨拶が交わせればまずまず。 会話ができればかなりのこと。たいがいは、微妙な知り合いを見かけたら、 なるべく会わないようにわざわざ遠回りをしたり、柱の影に隠れる。 廊下などで、どうしてもすれ違わなければならないときは最悪だ。仕方がないので、意味もなく腕時計を見たりして、気が付かないフリをする。

自ら他人とのコミュニケーションを絶っていることはわかっているのだが、わざわざ愛想をふりまくのも億劫なので、柱の影に隠れてしまう。

かなり感じの悪いことだが、卒業に伴って微妙な知り合いがいなくなることに、多少の安堵を感じたりもした。

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2003年04月25日

適度な忙しさ

4月から新たに大学院生となり、忙しい(実に本当に忙しい)日々を送っている。 一限の時報が鳴る前に登校し、日付が変わる頃に帰宅する日々。帰宅後、 ひっそりと一人で飲む酒が心と体に染み渡る。

忙しいと言っても毎日充実している。仕事はたくさんあるし、研究もしなければ ならない。勉強もしなければならない。しなければならないことがたくさんあるが、苦にはなっていない。「忙しい」とは言っているが、毎日が充実している。週末は、研究・仕事・勉強をしないポリシーだが、週末もあちこち飛び回って 充実している。この適度な忙しさに快感を感じているようだ。

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2003年03月26日

卒業

卒業式を迎えた。卒業後も大学に残るが、それでもいろいろなことが頭をよぎった。

4年前、初めての一人暮らしと大学生活にわくわくして、毎日が楽しかった。 胃が荒れるくらい、毎晩浴びるように酒を飲んだ時期もあった。 体重が5kgも落ちたときがあった。遊んでばかりで、 大学の授業がそっちのけになったこともあった。周りのノリに合わせて、 自分らしくないようなこともしていた。だけど、月日とともに、 だんだん落ち着いてきて、本来の自分らしい静かな生活になってきた。 飲み会の機会もだんだんと減って、面子も固定されてきた。

卒業研究の研究室を決める時期になって、自分の不勉強さに落胆した。そして、いままでの遅れを取り戻そうと、毎日何時間も勉強した。半年分の授業を一晩でこなしたときもあった。その甲斐もあってか、無事に卒業できることとなった。

また、1年生から3年生まで、サークルの代表を努めた。いろいろと勘違いしていた部分もあったが、それなりに一生懸命だったし、 やりがいもあった。チームワークで大切なことは、リーダーがなんでも解決すること ではなくて、リーダーがメンバーを信じることなんだ、ということもよくわかった。

4年間の一番の思い出は?と聞かれたら、2年生と3年生のときに学園祭にサークルで出店したおにぎり屋、と答える。お客さんにも好評だったし、 サークルのメンバーの結束力も高まった。あの頃のぼくは、 4年間で一番輝いていたように思う。他人と比べるでもない、 自分なりの大学生活の良い思い出が築けた。

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2003年03月18日

CC

CC。カーボンコピー。電子メールを送るときに、そのコピーを送ること。 書類を書くときに一番上に書けば下にも写るアレ。 自分自身にメールのコピーを送るときによく使う。

たまたま昔のCCを読み返す機会があった。

To: xxxxxxxxx@xxxxxxxxxx cc: xxxxxxxx@xxxxxxxxxx Subject: これからのこと Date: xxxx xx xxx 2001 23:39:36 JST From: xxxxxxxx@xxxxxxxxxx

>やりたいこと
こないだ、TVでイスラエルのリポートを見たんだよ。
リポーターのすぐ後ろで、パレスチナ人とイスラエル兵の衝突が起きてんの。
ああ、やっぱり、ああいう空気を感じてみたい、と思った。
もっと自分を大事にできると思う。

>青年海外協力隊
協力隊といっても、いろいろあって、ぼくが応募したいのは、
システムエンジニアなんだ。現地へ行って、
コンピュータシステムの構築とか教育とかするの。
応募資格は、ほとんどが、大卒と、3年以上の実務経験なんだ。
20代のうちに、応募できたらいいな。

とはいっても、表向きは、立派な青年海外協力隊だけど、裏は…。
いろいろあるみたい。

>世界の情勢、民族、宗教
実は、宗教(というか神話)に興味があるんだよね。
そして、宗教の違いなどから起きる対立。
何のための宗教か?と疑問に思うけど、対立が起きていることは現実。
もっと、いろいろ知りたいと思うことがある。
文献で調べるだけじゃ限りがあるから、肌で感じてみたいのかも。

古い文章は読んでいて恥ずかしくなるが、夢のある文章だった。今は目の前のことが精一杯で、どこかに置いてきぼりになっていたぼくの夢が、広いところに現れたような気がした。

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2003年03月01日

大学院

今年で大学を卒業する。去年の今ごろは、研究室の先生に乗せられて、 院に行くことに対して何の疑いもなかった。しかしながら、ここ数ヶ月いろいろな思いが交錯している。

一年前は就職活動に励む同級生を離れた目で眺めていた。「どうせ進学するんだし。」そんなことを考えていた。だけど、今は就職活動をしてきた人たちが羨ましい。

進学に関して不安なことが多い。今まで、成績は優秀なほうではなくて、 なんとか乗り越えられた程度だった。院の授業に付いていけるだろうか。 成果のある研究ができるのか。卒業できるのか。卒業してからどうするのか。学費のこと生活費のこと。

今までは漠然と楽観視していた近い将来のことが間近に迫ってきた。 院のことを考えると、ネガティブなことしか浮かばない。後悔はしないようにしていたが「就職すれば良かった。」と呟く回数が増えた。

こんなことで不安がっている自分がちっぽけに思える。

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