ハートネットふくしま

シリーズ・西郷村「太陽の国」
             



災害連絡 8・27大雨洪水災害救援活動

-シリーズ・西郷村「太陽の国」Index へ戻る-


減災
掲載3回目・1998. 11/2 作成



あの、8・27大雨洪水災害から早2ヶ月以上もたちましたが、太陽の国はその後どうなっているのでしょうか。施設利用者は、どんな日々を送っているのでしょうか。

現在も施設利用者はいまだに、各施設に戻ることができずに、分散して生活を送っています。施設のある地域一帯は何事もなかったように静まり返っていますが、入り口から中に入ってみると、立ち入り禁止の看板は目立たなくなりましたが、さつき荘と給食センターの間の裏山は無惨にも崩れ去ったままで、手つかずの状態のままでした。茶色の山肌が見えており、引き倒された樹木は枯れていてそのまま放置されている状況です。土嚢もそのまま残っていました。

災害当日8月27日の現場写真 被災して避難をしている、かしわ荘、けやき荘、からまつ荘、きびたき寮、さつき荘の5施設は事務関係の職員だけ戻っていますが、入所者はいまだに避難したままです。

施設の中はすでに掃除と消毒は済んでいるようですが、”危険”という理由から戻れないでいるようです。

犠牲者の出たからまつ荘は激甚災害ということで、裏山の砂防工事が始まっているようですが、それ以外の施設は後回しのようです。すぐにでも入居できるのに危険という理由(地域の人たちはもう大丈夫だろうと思っているみたいなようすですが)で避難したまま・・・一般の家庭ならとりあえず戻って考えようといくところですが、施設という性格から県の関係者も神経質になっているようです。

施設の中の利用者に知人がいるので少し話を聞いてみましたが、避難したときは着の身着のままだったため、現在も本人の所有物は不自由の無い最小限の状態です。持ってくる気になれば持ってこられるようですが、一人が持ってこれば、「俺も俺も、私も私も・・・」と他の人も言い始めればきりがなくなり、部屋を狭くしてしまったりと収集のつかない状態になってしまう理由から我慢しているようです。電器製品は被害が少なく、すぐにでも使用可能な状態らしいですが。テレビなど部屋の中で共用しているので、見たい番組も我慢のようです。

避難前に比べれば、プライバシーもあまりなく、慣れたとは言っても、やはり「早く戻りたい。もう、土砂崩れの心配はないと思うんだけどねェ・・・」と漏らしていました。

施設の職員さんたちも入所者の入浴に、不自由な設備で対応しているようですが、いくら慣れたとはいえ、笑顔は戻っても、やはり不自由は不自由。肉体的、精神的負担は計り知れないものでしょう。

太陽の国施設内でも、このような状態なのに、他の施設で仮の生活を送っている人々や、ましてや、県外に移っている人たちはいったいどんな生活を送っているのでしょうか?県内で対応できずに、県外に頼っているそういった状況になっていることもちょっと変だと思いますが。

今回の災害で、いろいろな事を学んだと思います。災害は無ければいいのですが、思いもかけないところに潜んでいるというのが現状だと思います。防災という考えもひじょうに大切ですが、災害が防ぎように無い場合がほとんどだと思います。もしかしたら人災ばかりではないでしょうか?(例えば・・・ここを護岸工事したら今度はあそこが決壊しましたというイタチごっこや、行政と市民の意思や情報の疎通など)

ならば減災(げんさい)という考えはどうでしょう。防ぎようのない災害であれば、2次災害、3次災害の発生を少なくしていくための工夫です。そして被災者への早急の対応です。十数年ぶりの災害なのに前回の教訓が生かされていないと良く聞きますが、各方面それぞれの工夫はあったと思います。努力もあったと思います。
でも、追いつかなかったという解釈をすれば、今度は、行政と民間のお互いの弱点を克服して協力体制をを今以上に強くしていけばどうでしょうか。

「のどもと過ぎれば、あつさ忘れる」いう言葉を思い出します。災害発生時には、あれほどさわいでいたことも、今となっては、遠い過去になりつつあります。まだ2ヶ月位なのに・・・。でも、被災者はいまだに苦しんでいます。そして、太陽の国の人々も、行き場を失って、早くもとの場所に帰りたいと、毎日考える日を送っています。彼らが以前の生活に戻れるのはいつのことでしょうか。


(文中の写真は、すべて災害のあった『太陽の国』です)

<写真撮影> 
ハートネットふくしま
吉田   



-シリーズ・西郷村「太陽の国」Index へ戻る-

『ハートネットふくしま』へ戻る