切腹 

2004/9/13 19:00                昔の武士は自分の感情を論理的に説明する言葉を持たなかった。だから昔の人は寡黙であり、情が言葉に出来ず高ぶると男泣きしたようだ。激情が号泣で解消できないときそして不名誉を論理で説明できないときは武士は腹を切った。     

 そもそも哲学的、社会学的、心理学的な言葉は本来の日本語には無くて、明治期にどっと輸入された西欧の学問の新たな概念に対して漢文素養のある士が漢語を借りて翻訳・造語したものである。日本語は漢語氾濫(同音異義語の氾濫)によって歪な言葉になったのは近代化を急いだ副作用であり致し方ない。森鴎外とか西周(にしあまね)などの事績が有名である。北村透谷は「恋愛は人生の秘鑰である」といったが恋愛という漢語も明治の発明だ。                        

 だから明治期以前の武士には自らの心理的葛藤・錯綜を明確に説明する術などなかった。結局、潔い武士のみならず、未練逡巡の武士も過失や行状難詰に対しては腹を切らざるを得なかった。潔い腹切を上腹という。詰め腹を切らされるという状況では中腹、下腹というのもあった。                           

 新撰組総長・山南敬介や海援隊の饅頭屋長次郎と呼ばれた近藤長次郎の切腹も説明する言葉を持たない人間の名誉を維持する唯一の方法だった。                                

 現在は小中学生の自殺が多いのは子どもたちが自分の感情、事情を説明する言葉に窮している表現能力とコミュニケーション能力の著しい衰退によるものだろう。子どもたちが没頭する携帯電話メールやチャットでは真のコミュニケーションは不可能と言われている。所詮ぱネットは事務的な連絡手段にしか役立たない。                                

 自己を表現する日本語能力が江戸時代以前の人々以下となっては真理的葛藤を伝えられない子ども達(大人になりきれない大人も)が憤死を選ぶのは不思議ではないと思う。                                

 現在の人々は近代化以前の人々よりもはずっと緻密な監視社会にいる。かっては蒸発しても「神隠し」とされたし、放浪旅に生きること、山中に消える(山中で生存する、あるいは死ぬ)ことがあっても十分な捜査・追跡、詮索はされなかった。現代は人間一人一人の存在が国家・社会に把握されていることを原則としており、未来は一人一人の存在がリアルタイムで把握されている社会になるようだ。ICチップ(エンゼルチップという特許があり、技術も完成している。)体内埋めこみによる個人の監視衛星による存在把握はSFではなくなりつつある。(自分が徘徊性痴呆人間になった場合の対策を想像すると良い。)                          

 このような逃げ場のない社会、しかも密なコミュニケ―ションの失われた社会で子どもも大人も憤死を選ぶ事は避けられないと思う。過労死は業務死と認定されるようになったが、私は自己表現できない人間の憤死のように思う。いわば時間をかけた切腹それも詰め腹といえる。                      

 簡単な例として、小林よしのりの「日本人やめますか。それとも国のため死ねますか」という詰問に対しては私は十分な反論の言葉を持っているから、こんな粗雑な論理に捕らわれて日本人をやめることも盲目的に国に殉ずることも避けられる。仮にこのような論理の実行を会社などの共同体から要請されたら勝てないと思う人は卑怯といわれようと逃げるか自分の殻に閉じこもるが良い。中途半端な武士の意気地に染まって憤死することはありません。上司の命令は不条理でも拒否したり再考を願うのはとても困難ですがコミュニケーション能力と腹切の関係をよく考えましょう。                                

 また「日本人は武士の精神に則って・・・」というごとき結構な意見、要請には気をつけよう。                       

 長崎で女子児童が同級生の喉を掻き切った事件について犯人女児は動機を説明できていない。コミュニケ―ション(説明)能力不足が激情を呼んだ犯罪だろうから、本人の説明を期待することはパラドックスの一種であろう。真の言葉能力とコミュニケーション能力の重要性は計り知れない。                      

 今後の成功ビジネスはコミュニケーション提供ビジネスだと考える。すでにカリスマツアーガイドが企画実施するツアーは旅行というよりコミュニケーション提供ビジネスといえる。成功するスポーツ教室、語学教室もそうだと思う。学習塾も同様だろう。廻りまわって学校こそコミュニケーション能力養成を第一にされたい。                           

 人は誰でも自分の言葉、体で十分な自己表現を出来るわけではない。先天的な障害があれば訓練してもハンディは残る。したがって自他共に逃走・遁走・日和見なども見逃す大度・態度能力も必要だろう。                            

 雑誌『大人の隠れ家』が売れる、『隠れ宿』などという響きに心引かれる理由も分る。                            

 もう秋の夕昏、「男は黙って・・・」ビールを飲もう。古いなぁ。