瞽女唄について




瞽女は、瞽女宿などで客の求めに応じてたくさんの唄を歌いましたが、長編の語り物でである「祭文松坂」と「口説」が瞽女唄と呼ばれ、瞽女唄の代表的なジャンルです。





祭文松坂(段物)


長い物語唄を、幾段にも分けて歌うことから「段物」と呼ばれています。その起源は不明ですが、中世から伝わる「説教節」を受け継いだものであろうと言われています。「葛の葉」、「山椒大夫」、「小栗判官」、「信徳丸」などが代表的なものです。音楽性よりも物語性を重視して、七五調の12音節を1コトとし、5コトで1小節になり、三味線の間奏が入ります。単調な節の繰り返しでおよそ100コトで1段が構成されています。三味線の伴奏は一定の同じ旋律を繰り返して弾きます。調子は三下り。淡々とした語りを聞いているうちにいつしか物語に引き込まれていきます。



葛の葉の子別れ(1段目)


眠っているわが子を抱きしめてかきくどく葛の葉。子を思う母の心は、昔も今もかわりません。信太の森の白狐は、命の恩人安部保名の許婚の葛の葉姫が行方不明になったと聞いて、嘆き悲しむ保名のもとへ葛の葉に化けて嫁入りします。童子丸という子が生まれて5歳になった時に、突然本物の葛の葉が現れので狐は森へ帰らなければなりません・・・・・


さらばによりてこれに又
いずれにおろかはあらなども
もののあわれをたずぬるに
しゅじなるりやくをたずぬるに
なに新作もなきゆえに
葛の葉姫の哀れさを
あらあらよみあげたてまつる

夫に別れ子に分かれ
もとの信太へ帰らんと
心の内に思えども
いて待てしばしわが心
今生の名残りに今一度

童子に乳房を含ませて
それより信太へ帰らんと
保名の寝つきをうかごうて
さしあし抜き足忍び足
我が子の寝間へと急がるる

我が子の寝間にもなりぬれば
目をさましゃいの童子丸
なんぼ頑是がなきとても
母の云うをよくもきけ

そちを生みなすこの母がにんげんかえと思うかえ
まことは信太にすみかなす
春欄菊の花を迷わする
千年近き狐ぞえ

さあさりながら童子丸
あの石川の赤右衛門
常平殿に狩り出され
命危なき場所なり
その時この家の保名様
我に情けをかけたもう

我に情けをかけたもう
多勢な人を相手にし
ややひとしくと戦えば
自ら命を助かりて
そのまま御恩を送らんと

葛の葉姫の仮姿
これで添うたは六年余
月日を送るその内に
二世の契りを結びしぞえ
つい懐胎の身となりて

月日を満ちて臨月に
生んだるそなたもはや五つ
我は畜生のみなるぞえ
今日は信太へ帰ろうか
明日はこの家を出よかと

思いしことは度々あれど
もっといたならこの童子
笑うかはうか歩むかと
そちに心を魅かされて
思わず五年暮らしける

葛の葉姫はその時に
なれど思えばあさましや
年月つつみしかいも無く
今日はいかなる悪日ぞえ
我が身の化様現れて

母は信太へ帰るぞえ
母は信太へ帰りても
今に真の葛の葉姫がお出ぞえ
葛の葉姫がお出でても
必ず継母と思うなよ

でんでん太鼓もねだるなよ
蝶々とんぼも殺すなよ
露地の植木もちぎるなよ
近所の子供も泣かすなよ
行燈障子も舐め切るな

何を言うても解りゃせん
誰ぞの狐の子じゃものと
人に笑われそしられて
母が名前を呼びだすな
この後成人したならば

論語大学四書五経
連歌俳諧詩をつくり
一事や二事と深めつつ
世間の人に見られても
ほんに良い子じゃはつめじゃと

なんぼ狐の腹から出たとて
種は保名の種じゃもの
あとのしつけは母様と
皆人々にほめられな
母は陰にて喜ぶぞえ

母はそなたに別れても
母はそなたの影にそい
行末永う守るぞえ
とは言うもののふり捨てて
なんとこれにかえりゃりょう

とは言うもののふり捨てて
なんとこれにかえりゃりょう
離れがたないこち寄れと
ひざに抱き上げ抱きしめ
これのういかに童子丸

そちも乳房の飲みおさめ
たんと飲みゃえのう童子丸
母は信太へ帰るぞえ
母は信太へ帰りても
悲しいことが三つある
保名様ともそなたとも

呼んでとめての妻と子を
抱いて寝るよな睦言も
夕べの添寝は今日限り
母が信太へ帰りても
残るひとつの安じには

お乳が無くてこの童子
何とて母を忘りょうぞ
忘れがたなきうち思い
今は一つの安じには
人間と契りをこめしものなれば

狐仲間へ交じられず
母は信太の暮れ狐
身のやりどこもないわいな
なんとしょうぞえ童子よと
あわれなりける次第なり

さて皆様にもどなたにも
あまり長いも座の障り
これはこの座の段の切れ


「葛の葉の子別れ」は段物の代表曲であり、また瞽女唄を代表する曲でもあります。「母は信太へ帰るぞえ」と繰り返すこの唄は、他の段物の継子のいじめなどの因果応報物の残酷さに比べて、しみじみと涙を誘う母狐のいじらしさが昔から多くの女性に愛されました。戦時中、農村を回ると「葛の葉の子別れ」のリクエストが必ずありました。夫や子を戦争に取られて悲しいと言えなかった女性たちが「左手と右手に夫と子を抱いて寝るよな睦言も、夕べの添い寝はこれ限り」という唄の文句に思いきり泣いたといいます。





口説


段物のすぐれたものが口説といわれます。七七調の文句を同じ節回しでくどいほど続けるところから口説きとよばれています。三味線も調子が二上りになり、三味の音にも勢いが出てきます。内容はバラエティーに富んでいて、男女の世話物、心中物、滑稽や風刺や艶笑物、天災地変を語る事件物、宗教、縁起物などがあります。長岡瞽女の口説きとくらべて七音十七音のヒトコトで一節になり、ヒトコトごとに三味線がはいる構成は同じですが、音曲はまったく異なります。どちらも段物が民謡化していますが、高田瞽女の口説のほうが音楽的にまとまっており、古風な味わいを伝えているといわれます。主なものに「松前口説」、「清三口説」、おしげ口説」、「三人心中口説」、治郎さ口説」、「お馬口説」、「御本山口説」、「二十八日口説」などがあります。また、口説は、新保広大寺が新保広大寺くずしとなり瞽女によって主に東北地方へ伝えられ、それが広がった語りものであったとされています。津軽の三つ物であるじょんから節、よされ節、おはら節もこの口説節から端を発して津軽の先人芸人達によって手を加えられ、現在の華やかでありながらどことなくもの悲しいものに変化していきました。



新保広大寺


「松坂」、「広大寺」、「追分」、「おけさ」を日本の民謡の四大源流といいます。「広大寺」は、十日町市下組新保にある広大寺の住職が、門前の豆腐屋の若後家お市に恋慕したのを歌いはやしたもので、天明の飢饉の年に江戸まで大流行しました。
これが各地に伝わって上州の「八木節」、越中の「古代神」、近畿の「高大寺」などの民謡になりました。瞽女もこの伝播に一役買ってきました。




 新保さえ  広大寺は  ありゃ何処から出たやれ  和尚だなぁ  
 新保新田から出たやれ  和尚ださえ
   ほらなんきん  たおだか  ほねつくようだよ
   戸板に豆だよ  ごろつくようだよ
   へんへんてばなっちょなこんだよ



 新保さえ  広大寺は  ありゃなんで  気がやれそれた  
 お市迷うて  そんで気がそれた
   サァ来なさい  来なさい  晩にも来なさい
   おじいさんお留守で  ばぁちゃんツンボで
   だれでも知らない  そろりと来なさい
   へんへんてばなっちょなこんだよ



 切れたな  切れた切れたよ  一思いにやれ切れたな  
 水に浮草根がやれ  切れたさえ
   新潟街道で  イナゴがつるんで  三石六斗の  
   あぜ豆倒して  ハァイナゴで幸せ
   人間ごとなら  そうどうのもとだよ
   へんへんてばなっちょなこんだよ

  




松前口説

(心中全文)



恋愛・心中・こっけい・風刺・地震水害・事件ものなどバラエティーに富んでいます。松前口説は松前江差の遊女の心中ものです。



国は サァーエー 松前 江差の郡(こおり) 江差 山の上 げんだい町の

音に聞こえし こばやし茶屋に 抱え女(おなご)は 三十二人

中にすぐれし かしょくと(女郎の名)言うて 年は十七 いま咲く花よ

花にたとえて 申そうならば 春は三月 八重咲く桜

夏は涼しき 朝顔の花 秋はもみじに 白菊の花

冬は山茶花 みず水仙の とんと見染めし 仲新町の

重家倅に 重兵衛というて 年は二十一 男の盛り

昔美男か 今業平か 町の内でも 評判息子

器量がよければ 一つの難(え)で 親の定めし 女房を捨てて

花のかしょくに 心を呉れて 文の使いも 七十五たび

重兵衛かしょくは 相惚れなれば 重兵衛小林 かよいの時に

下に白無垢 合いには綸子(りんず) 上に着たのは 空色小袖

帯は流行(はやり)の 琥珀の帯を 三重にまわして うしろに止めて

繻子(しゅす)の羽織に 梅鉢御紋 右の腰には 大和の印籠(いんろう)

左の腰には 銀鍔(つば)刀 晒(さらし)足袋はき おおつの雪駄

肩にかけたる 手拭いもよは 八百屋お七の寺入りの段

忍び行くのは 小林茶屋へ さてもおいでか 重兵衛さんと

酒も肴も 銚子もそろえ しかも今宵は お客が見えぬ

一つ上がれや ゆるりとあがれ いえば重兵衛も 心に思案

かしょくよく聞け 身の上語る わしが今まで そなたに迷い

使いこんだる 金銀ゆえに 二人親衆の 意見に及ぶ

どうせ今宵は 死なねばならぬ お前あとにて 世にながらえて

わしを思わば 香花たのむ そこでかしょくの 申する言葉

お前行くなら 私も共に 二人手を引き 冥土やらへ

言えば重兵衛も その挨拶に 女郎の誠と たまごの角は

あれば晦日に 月さんとやら そんな浮気に わしゃだまされぬ

かしょくそれ聞き 涙を流し さらばそれなれ 何処を語る

わしが生まれは 津軽の国よ 津軽青森 しょうだて町の 

工藤新平が 一人の娘 雨は三年 日照りが二年 

両方合わせて 五年の不作 娘売ろうか 経ち田地を売ろか

田地この家の 宝であれば 娘売ろうと ご相談いたし

三五両で 五年の年期 売られ込んだる この身でござる

色のいろはの わしゃ筆始め はつに見染めし 今日今までは

空の星ほど お客があれど 月と見る人 重兵衛さんと

思って便りに 務めしものよ 捨ててゆくとは そりゃ何事よ

裏に山々 重なりますと 言えば重兵衛も うたがい晴れて

さらば互いの 心中よかろう 是非も泣く泣く 酒取り出して

泣きの涙で 盃いたし さえつおさえつ 三言重ね 

さあさ死にましょ 夜もふけまする かくごよいかと 重兵衛こそは

二尺三寸 すらりと抜いて 花のかしょくを ついさし殺し

返す刀で 我が身の自害 あさぎ起きては 家内の者は 

それを見るより 打ち驚いて 急ぎ急いで 仲新町の 

上家(じょうげ)方へと 飛脚を立てる 重兵衛かしょくの 心中でござる

それを聞くより 二親様は 急ぎ行くのは 小林茶屋へ

泣きの涙で 死骸にすがり せめて一言 聞かせたならば

こんな難儀も させまいものよ たとえかしょくは千両しょうとままよ

身受け致させ 相続せんと さあさこのこた 下ではすまぬ

お上様へと 御注進致し お町お奉行は お下りなされ

事をひそかに 検死をすませ 上(かみ)のおおせで 親類達は

かしょく死骸を 貰い受けまして 二人一つの 火葬と致し

あわれはかなき 無情の煙り 空へ上がりて 一つになりて

西へなびいて 消え行くばかり それを見る人 聞く人さー共にヤーレ

見ては涙で 袖やコレにしぼるさえー




口説節(鈴木主水口説)



これも口説物の代表的なもので一段目に鈴木主水の女房のお安が自害するまで、二段目では主水が敵討ちの身であることが明らかとなり、三段目では見事に仇を打ち白糸と心中して果てるという物語です。津軽三味線名人の故高橋竹山も自身の演奏会でこの鈴木主水口説をうたっています。




花のお江戸のそのかたわらに  さても珍らし心中ばなし  音に聞こえし橋本屋とて

あまた女郎衆の数ある中に  お職女郎の白糸こそは  年は十九で当世そだち

愛敬よければみな人様は  我も我もと名指しであがる  あがるお客はどなたと聞けば

春は花咲く青山辺の  鈴木主水という侍は  女房もちにて二人の子ども

二人子どものあるその中で  きょうもあすもと女郎買いばかり  見るに見かねた女房のお安

ある日わが夫主水にむかい  わたしゃ女房で妬くのじゃないが  ふたり子供はだてにはもたぬ

十九や二十の身であるまいし  人に意見をする年頃で  やめておくれよ女郎買いばかり

言えば主水は腹立ち顔よ  なんの小しゃくな女房の意見  おのが心で止まないものを

女房お安の意見で止まぬ  それがいやなら子供をつれて  主のお里へ出てゆきやれと

言えば主水は腹立ち顔で  いでゆく姿は女郎買い姿  あとにのこりし女房と子供・・・





門付け唄



村に入るとまず瞽女宿に荷物を置いて、家々を訪ねて瞽女の来訪を告げる挨拶の唄を歌います。門付け唄は場所や季節で色々歌い分けられました。




かわいがらんせ




この唄は、春の東頸城の旅などで歌いました。




千夜通うても会われぬときは  ご門とびらにソリャ文をかく

ご門とびらに文かくときは  すずり水やらソリャ涙やら


ござれ語りましょう小松のかげに  松の葉もりもソリャこまやかに




こうといな




歌詞が短いので、日の短い秋や急ぎの時などに歌います。雨降りの時に三味線を出さずに歌ったのもこの唄で「雨降り唄」ともいいます。




色は紫  身元は浅黄  しのぶ心は幾夜染め

なるはいやなり  思うなならん  とかくかなわぬ浮き世かな




雑唄




瞽女は各地の民謡やはやり節などを覚えてほかの村々へ伝播していきました。遠くは津軽から函館まで瞽女の運んだ民謡が伝わっているといわれます。また、変わらないように思われる民謡なども時代とともに変わってきますが、瞽女の伝承している民謡の中には昔のままで残っているものもあります。賑やかな「伊勢音頭くずし」、「鴨緑江節」、「今しもああと飛行機は、プロペラの音高く新夫婦を乗せまして新婚旅行・・・」と、80歳のキクエ親方が男女の声色を使い分けて「ねぇあなた、もっとこっちへおよんなさいよ」艶っぽいやりとりが聞かせる「新磯節」は絶品です。そのほか「糸魚川小唄」、「直江津小唄」、「新井小唄」などの地元の唄をとりあげました。





新磯節




わしとあなたは 酒屋の桝よ(ハァー サイショネ)

一合 二合 三合 四合 五合 六合 七合 八合

惚れてついに 一緒(一升)になる身じゃないか

(アラ イッサリー スカドント)

わしもなりたい 敷島タバコ(ハァー サイショネ)

好いた(吹いた)お方の 手につぶされて 口に吸われ

灰になるとも わしゃ厭なせる

(アラ イッサリー スカドント)

花の電車は 電気で走る(ハァー サイショネ)

回る水車は ありゃ谷の水

私しゃあなたの 心次第に  回るじゃないか

(アラ イッサリー スカドント)

恋に上下の隔てはないとよ(ハァー サイショネ)

伯爵夫人のカマコさえも 身分忘れて

自動車の運転手と あの千葉心中

(アラ イッサリー スカドント)

空を飛ぶ飛行機はナイルススミス

(語り)
今しもああと飛行機は 新夫婦を乗せまして

プロペラの音高く 一夜開けの光景 新婚旅行


ねぇあなた

あのむこうに小ーさく見えるの あれはどこ?

あれは日本三景秋の宮島よ

して あの向こうに帯のように細く見えるのは

あれはどこ?

あれは馬漢の海峡じゃ

馬漢の海峡越えて どこへおいでになさるの?

これから支那朝鮮

満州 シベリア モスクワを越えて

王城戦乱の跡を見学に行くのさ

してお帰りはいつ頃なんでしょう?

帰りは来年の四月頃

してここはどこ?

ここは雲の中よ

雲の中なら誰も見ちゃおらないでしょう?

誰も見ちゃおらないよ

誰も見ちゃおらないならちょっとこっちお寄りなさいよ

そっちの方へ行ったんじゃハンドルが取れないじゃないか

ハンドルなんてどうでもいいじゃないの


うちら もろ共

抱きつ抱かれつ あなたと二人











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