個別にそれぞれを“放浪記”の1ページにするには、ちょっとネタとして弱いかなぁ…と思いつつも、 ほっつき歩いた関東近郊あちらこちら。
思い付くままランダムにざっとまとめて書き残してみることにする。

津久井郡郷土資料館

以前、掲示板にも書いたが、やはりここから書き始めないわけにはいかないであろう。
ここについてはキチンと了承を得て案内されているHPがあるので、そちらを御覧頂くだけでも興味ある人にはその凄さを判ってもらえるはずである。惜しむらくは、こちらに所蔵閲覧できる雑誌の完全リストがないので、どの雑誌のどの号があるのかまでHPでは判らないのが少し残念ではあるが、それも、実際に自分で見て確認してしまえば済むことなのだから…と、幸いにも、それほど遠方のことでもないのでドライブがてら見に行く。
交通の面は、私のように車じゃないと、さすがに不便かもしれない。
旧蚕業取締所の建物は、山村の昔ながらの役場という赴きで、こんなところにこれほどの資料が残されているのかと思うと、驚愕すべきことだと思う。昭和30、40年代にはまだ見ることが出来た木造の小学校の図書室を思わせるちょっと薄暗い所蔵室にぎっしりの雑誌が並んでいる。ここまで昔の雑誌が棚に並んでいる壮観な様は池袋にある光文シエラザード文化財団ミステリー文学資料館の閲覧室にも匹敵するのではないか…というと言い過ぎか。国立国会図書館とか日本近代文学館といったメジャーな施設のように、閲覧室と書庫が別々に切り離されているところよりも、やはりこうして実際に雑誌が並んでいるところでそれを手にすることができるのは本好きにはたまらないし、何よりも書庫から資料を出してきてもらう事務手続きの面倒さを考えると、自分ですぐ棚から取り出せるのは嬉しい。が、しかし、逆にそういった所ほど保管管理に目が行き届かないところもあるのかもしれない。あまり手に取られることのない資料などには、薄らとホコリも目につくが、でもそれを特に責めることはできないかもしれない。
私が訪問した日も私一人貸し切り状態でゆっくりと資料を楽しむことができた。

「前にやはりインターネットでここのことを知ったと言って来てくれた人で、自分が昔『少年倶楽部』の表紙の絵のモデルをやったことがあるという人だったんだけど、もう自分ではその時の本なんか持ってないものだからと言って、わざわざ来てくれて、御自分の子供の頃と対面されていった人がいたよ…」

というお話をうかがえたのも、こういったところであればこその心暖まるエピソードだなと、ほんの少し胸が熱くなった。


中伊豆町歴史民俗資料館

ネットでいろいろと検索しているなかで「古雑誌 昭和初期から」といった言葉を見つけたので、津久井郡郷土資料館の例もあることだし…との思いもあり、ま、伊豆なら例え無駄足になっても、どこか海辺で魚でも食ってくるか、或いは温泉にでも浸かってくればいいか…くらいのノリで行く。
結論からいうと、目指す資料の探究という目的とは程遠いものしかなかった。「書籍雑誌等」というのは寄贈先農家で所蔵していた農業関係の物とか、地方自治関係の物がほとんどで、わずかに二、三冊「小説の華」とかいったものも中に混ざってはいたものの、いずれも私の望みにはかなわぬものであった。まぁ、それだけでがっかりしていても何なので、場所柄、地震の話しや、近くから出土された化石の話しなどを伺う。

「この写真の崖の上にあるのが浴槽で、こちらの段差の下にあるのがその横にあった土間です」

地震による地盤沈下と隆起の驚異に驚き、太古のロマンに感動しながらも近い将来に訪れるかもしれない大震災の恐怖に威されるようにして施設から退散する。

ここから車であれば、来る時に通り過ぎて来た修善寺に戻って温泉を楽しむのもよし、以前に行った蝋人形美術館&メキシコ館や、そのすぐ横にそびえる円谷特撮ファンなら思わずニヤリと喜んでしまうかもしれない大室山、伊豆シャボテン公園などもすぐ近くである。
この日は天気も良かったので、海でも眺めてゆっくりするか…と伊豆半島の東側に出て、やはり東宝特撮ファンなら判るであろう、40年前に大猿と絶滅したはずの巨大生物の喧嘩のあおりを受けて破壊されたハズの城をちょっと見学して、その中で開催されていた展示にウンザリさせられたり、溜め息まじりで隣接する秘宝館などというところまで覗いてみる。もちろん「秘宝」なんかはありゃしません。ちょっと蝋人形が気になっただけで、他はね…。
海沿いで魚を食べ、土産に干物を買ったのはいいが、干物を買った店のオヤジ曰く、

「お客さん、ウチの干物は地元でとれた近海ものだから、スーパーなんかで売ってるノルウェー産とかの輸入モノみたいには脂がノリってないけど、そこんとこだけは先にことわっておくよ」

…って…。
そんなこたぁ見りゃぁわかりそうなもんで、それを承知の上で買ってやろうという客をつかまえて、よくもまぁ、こんな自信無いようなモノ言いができたもんだ…。そんな弱気な商売してて平気なのかね?
日本人の食生活もよほど安くさえあれば大味でも構わないってもんに毒されちまってんだなぁ…。

… あ、そうか、資料館では地震の話し、こっちでは自信のない話しと、「じしん」繋がりってわけね…。

まぁこんな休日もたまにはいいでしょ。


群馬県桐生市市立図書館

講談社の創立者、野間清治という人物が桐生出身ということで、講談社から寄贈された書籍などを『野間文庫』として管理していて、それを閲覧することができると聞いたので、どれ程のコレクションなのだろうか…と気になったので行ってみたのがコチラ。
ところで、群馬県桐生市って、関越自動車道と東北自動車道の間なんだよねぇ…。どうしようかと悩んだ挙げ句、とりあえず関越方面はまた別の“可能性”も無いこともないので、その時に譲るとして、今回は東北自動車道を上って、群馬へ入ってみることにする。
さいわい首都高も東北自動車道もそれほど混雑していなかったので、寄り道しないで3時間ちょっとで着けてしまった。
普通の図書館の二階の一室に、目指す『野間文庫』は整然と鎮座していた。


横溝正史作品に関してだけ言えば
 ◎ 昭和25年9月刊  長篇小説名作全集16 横溝正史(蝶々殺人事件・本陣殺人事件・獄門島収録)
 ◎ 昭和26年5月刊  傑作長篇小説集5 八つ墓村・犬神家の一族
 ◎ 昭和27年9月刊  女王蜂
 ◎ 昭和27年1月刊  少年少女評判読物選集 大迷宮
 ◎ 昭和28年2月刊  金色の魔術師 
 ◎ 昭和36年12月刊 東都ミステリー15 白と黒
の六冊しか無く、人形佐七はもとより、ロマンブックスや雑誌関係の資料も見られなかった。
とはいえ、この六冊だって、それなりに珍しいものでありながらも、かなり状態の良い本を実際に手にして見ることができるのは、そうあまり出来ることではない。それに、他の作家の児童向け書籍とか、大衆文学関係も、シリーズがこうキチンとそろっているのはなかなか見ごたえある光景である。
残念ながら、古い書籍ということもあり管理上の都合でコピーは不可ということであったが、写真撮影は構わないということ。それじゃぁということで、書影などを記録として撮影させてもらう。
これだけの資料が揃っていながら、それらを自由に手に取ってみることができただけでも、ここまで来た甲斐もあったというものである。ただ、惜しむらくは、

「雑誌関係は所蔵と管理の関係で講談社さんから寄贈を受ける際にお断りしたので、その際に廃棄されたんじゃないかなぁ…」

という話しを聞いてしまって、ちょっとがっかりさせられたことと、もう一つ。
『もう一つ』の方はちょっと詳らかにできない話しではあるので、敢えてここでは大っぴらにはしないでおくことにする。
大っぴらにはしないけど、

「桐生らしくってイイんじゃないかと思いましてね…」

と嘯く『桐生らしさ』っていうのは、一歩間違えば誤解をまねくぞ。


高崎市歴史民俗資料館

ここもネットで検索しているなかで「寄贈資料から書籍雑誌等を館内で閲覧可能。」との文章を見つけたので、桐生市まで行くのならついでに足を伸ばしてみてもいいかな…と行ってみる。
上州名物空っ風にあおられながら走って行ったものの、予想通りというか、『まさかの出会いを期待して』という意味では擦りもせず。「書籍雑誌等」というのは寄贈先農家で所蔵していた農業関係の物とか、地元自治関係の物ばかり。展示スペースの関係で閲覧室すらなくなっていたが、学芸員の方は親切で、いろいろと倉庫を見てくれたが、わずかばかり年代違いの婦人雑誌が出てきたくらいで、およそ期待からは懸け離れていた。もっとも、こういった『民俗資料館』で、それ程期待していたわけでもないので、それほどの落胆はなく、むしろ無かったことが確認できただけで満足ですらある。
この時は昔の雛人形かなにかの展示をしていて、近在の御婦人方らしき数名の団体さんが「あら、懐かしいわねぇ」といった感嘆の声を上げておられた。『民俗資料館』というのは、本来そういうものなんだろうね。…少なくとも、昔の雑誌だけを探し回るようなところじゃないのかもしれない…と思ってしまった。

「一応、今後何かみつかるようなことがあれば御連絡差し上げましょうか?」

とのやさしいお言葉にメールアドレスを残してきたけど、ま、連絡はないだろうなぁ…。
ちなみに、リンクしてある資料館の館内案内には『図書室』という文字も見ることができるが、実際に行ってみたら、館の運営上の都合で図書館というスペースも今では実質的には無くなっていて、HPは直接この資料館の中から管理しているわけではなく、HPの管理は別の役所から情報発信しているからとのことで、

(情報も実際には)若干タイムラグがあるんですよ」

などというのも、デジタル時代のネット情報だというのに、なんだかのんびりしていて良いんだか悪いんだか…。

このまま帰るのも勿体無いということで、高崎市内の古書店を何軒か回ってちょこっと拾いモノ。こんなこともあるのだから、面白いものである。群馬県なら他にも前橋とか伊勢崎などといったところにも面白そうな古書店があるようだが、さすがに日帰りで全部は無理と、この日はさっさと帰路に向かう。


横浜開港資料館

横浜に遊びに行った時、横を通りがかった時、ふと「そういえば、ここにも昔の雑誌が所蔵されてたとか言ってなかったか?」と思い出して立ち寄ってみる。
確かにそれなりの所蔵資料としての『昔の雑誌』はあったのだが、私の探究目的に沿ったものは全くの皆無。よくよく考えてみれば、開港記念の資料としての雑誌という性格と横溝作品が掲載されているような雑誌とじゃ時代的にいってもズレはあるよなぁ…。
とはいえ、横浜生まれの人間としては、やはりこうした昔の横浜を感じることができる施設は楽しい。
横溝正史作品の昭和初期の短編のいくつかの舞台となった横浜の波止場などにちょっと思いを馳せつつ、昔の写真などが掲載された資料などを見て楽しむ。


吉川英治記念館

HPには『所蔵資料』というなかに、吉川英治作品掲載雑誌というようなものもあるようなニュアンスで書いてあるのだが、そういったものがどういった形で所蔵されていて、普通に手に取ってみることができるのか…さらにいえば複写サービスとかは?…と思いつつも、よくよく考えてみると吉川英治作品のコピーが欲しいわけじゃなくて、吉川英治が作品を掲載しているような雑誌であれば、場合によっては横溝作品も掲載されていることも…といった副次的目的達成機会を狙ってのことなので、あまり大っぴらに「コピーできるんですか?」と訊ねることもできず、とりあえず行ってみればわかるかな…と、行ってみることにする。
おりしも季節は梅の時季ということもあって、

「青梅で梅の花見じゃ」

と勢い込んで行くが、関東南部と青梅のある多摩地区とじゃぁちょっと梅の見頃には時差があるのを忘れていたため、見頃とはちょっと言いにくいような状態であった。
ただ、青梅などという場所のことなどあまり知らなかったので、青梅の駅前周辺に昔の映画の看板などが再現されていて、一種の昭和レトロを売り物にしている。昭和レトロ商品博物館だの青梅赤塚不二夫会館だのとといったものも駅からほど遠からんところにあり、それはそれで面白いモノを見せてもらったような気にさせられて楽しかった。ふ〜〜ん。青梅ってこういった町だったんだ…。


青梅の町中の一風景。
こんな感じでいたるところに
昔懐かしい手書きの看板が…。
「人形佐七」の看板までは
さすがになかった。


こちらは吉川英治記念館。
奥に見える山までが
施設の敷地だという訳ではない。
…にしても大したスケールである。

記念館は、いやはやさすがに吉川英治だわいと思わせるような規模(駐車場からして10台は車がおけるし、バスで団体さんがくることすら念頭にある施設構えなんだから大したものだと思わざるを得ない)で、広大な庭園やらピカピカの展示室などの豪華さに圧倒させられるが、展示されている雑誌や書籍は全てガラスケースの中に収められていて、手にすることもできやしない。ただ眺めて見るだけである。本もこうしてただ陳列されているとただの物体となってしまっていて、感激が薄れてしまうように感じるのは気のせいだろうか?…やっぱり本は実際に手にして頁をめくることができてこそ本なんじゃないかなぁ…。
そんなこんなで施設に圧倒されてしまったためか、さすがに所蔵されている資料のなかには展示されているモノの他にも多くの雑誌などが書庫の方にあるということだけは館の人から聞くことができたが、それを見せて欲しいとか、あわよくば複写させていただくわけにはいかないか…などと持ちかけることなどできるはずもなく、すごすごと館を後にすることにする。
どんなに素晴らしい資料を所蔵していて、外観が立派な施設であっても、その資料を書庫に埋もれさせたまま、一部の研究員だけしか目にすることができない資料なんて、資料としては価値が薄い。
できることなら一般にも資料をうまく活用してもらえる方法で公開してもらいたいものである。

 

大和市つる舞の里歴史資料館

ある天気の良い日曜日。何も予定がなく、かといってウチでゴロゴロしているのも勿体無い長閑な昼下がり。
あ、そうだ。ネットにあったあの資料でも確かめてくるか…。
と、車でお出掛け。
ネットで検索すると『講談雑誌』が所蔵されているようなのだが、どうもここのHPにある所蔵資料目録のPDFファイルは相性が良く無いんだよなぁ…ウチのPCと…。…といった訳で、どうせ車で片道30分もあれば行けちゃうんだし、と直接行って確かめてみることにする。
旧家を利用した資料館は住宅街の真ん中に重々しくたたずんでいた。
入り口を入りざっと館内を見て回るが、展示されているのは古民具だとか発掘物ばかりで、雑誌の類いはどうやら収蔵庫の中らしい。
情報コーナーにある目録を見て所蔵を確認してみると確かに『講談雑誌』『日本少年』といった珍しい雑誌があるわあるわ。
…ただし、どれも大正のモノばかりで、またしても時代的にズレがあったため、閲覧申請をするまでもなく探索終了。
帰り際、それでもしつこく

もしかしたらまだ目録化されていない寄贈品とかが整理をまっているなんてことがないとも限らないのではないか…。

との一縷の望みを賭けて、事務室兼学芸室の窓をたたいてみるが、出て来た学芸員の対応はあまりにも冷たいものであった。

「ないですね」

いいよ、もうお前なんぞには、例えあったとしても頼まねェ。
全く世に学芸員と名のつく人は数あれど、あれほど太々しい態度の野郎はあまり見かけないぞ。ちょっとカチンときた。
どうせお前ら、学芸員だなんぞとぬかして、事務所で茶をすすってナンボという仕事でもしてやがるんだろ。
あぁ、思い出すだに腹が立つ。
これまで散々無駄足の労を惜しまずあちらこちらへ出向いてみたが、一番ウチから近い上に講談雑誌の所蔵すらあるというココが、一番対応が不誠実だったとは、なんとも皮肉な話である。
もっとも、あくまでもこういった対応はたまたまこの時だけのことであって、他の学芸員なり事務員が別の人への対応はちゃんとできているのかもしれないが、私は二度と行きませんからね。
あぁ、無駄な時間を使ってしまった。ま、たかだか往復1時間ちょっとだからいいけどね。


富士見市立中央図書館

雑誌は約1000タイトル、約10000冊を数え、戦前からのものを含め多数所蔵しています。

なんだか凄そうだけど…。と行って参りました。埼玉県富士見市。
渋谷定輔文庫という寄贈資料に関しては、ありがたいことにちゃんとHP上でPDF形式でちゃんとリスト化されているではないか。
…と思ったら、雑誌名と所蔵冊数までは記載されているのに、肝心な何年の何号があるか…という詳細が無いじゃないか!
確かにこれだけの雑誌の種類をいちいちデータ化するのも大変かもしれないけど、詳細は問い合わせてくれってこと?
でもなぁ…。電話やらなんやらじゃぁちゃんとこちらの探究内容を伝えられるかわからないしなぁ…。やはり、一応雑誌のメドだけつけて、あとは実際に確認に行くくらいのつもりじゃないといけないのかな…。トホホ。
…ま、いいや。行って何も得られなくてもちょっと足を伸ばせば川越じゃないか。
最悪、ドライブのつもりで川越まで行って、某HPの古書店ガイドでなんとなく興味をかきたてられる紹介をされている古書店をいくつか覗いてみればいいや。…と、いったスタンスで行くことにする。
やたらと大きい図書館に入り、渋谷文庫の閲覧を頼むと、図書館利用者カードを作ってくれと言われる。
…あのぉ…。たぶん、今回調べられる分だけ調べられたら、二度とここへ来ることはないと思うのですが、それでもやっぱりカードつくらないといけないんですかね…。
ま、別にカードを作るのに料金がかかるわけでもなし、身元を明かすのを躊躇う理由があるわけでもないので、これも来館記念になるのかな…とカードを作ってもらって、目録から数冊の雑誌を申請して書庫から出して来てもらう。
はい、該当無〜〜し!(佐七モノの為だけに目的を絞っていたのでもしかしたら見落としが無いとも限らないけど…)
実に呆気無くここでの探索は終了。図書館まで片道1時間半かけて来て、実際に図書館にいたのは30分足らず。

気持ちを切り替えて、川越までドライブして古書店をいくつか覗いてみたが、一軒は閉店してしまっているようだったし、あとの数軒もこれといった出会いに恵まれるということもなかった。
帰りはタイミングを誤った為、もののみごとに渋滞にはまってしまい、やっとこさ帰り着く始末。なんだかネット上の記述に踊らされただけの一日になってしまった…。

 

豊島区立郷土資料館

こちらは、こういう言い方をしてしまうと失礼には違いないのだが、ほとんど“ついで”に行ってみたにすぎない。
池袋駅から歩いて10分もかからないところにこういった施設があるだなんてことも知らなかったし、HPをみるとなんとなくそれっぽいモノも所蔵しているのではなかろうかという匂いがしていたので、池袋に用事があったついでにいってみた。
フロアの中央に設えられた池袋の戦後すぐのヤミ市を再現したジオラマ模型はなかなか面白かったが、探し求めているような資料との出合いまでは望むまでもなかった。

 


襟裳屋の探訪はまだまだ続く…(のか?)。

 

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