(十一)

 駐車場から車を出して、由里子の案内に任せるままにしばらく走ると、山裾一面葡萄畑になった場所に入った。由里子は更にそのまま観光葡萄園の並ぶ道を登って行くようにと指示した。
 あたり一面の葡萄畑は新緑に彩られ、こういった光景は始めて見たと、ありきたりな感想を口にすると、由里子はさもそれがおもしろかったかのようにクスクスと笑いながら言った。
「あたしにしたら当たり前の光景なのにね。…あと一ヶ月くらいしたら花がさいて、夏になったら木村さんも見たことのある普通の葡萄がそれこそ一面になるのよ…。そしたら、また案内してあげる。葡萄棚になっているのを取ったその場で食べる葡萄のほうがスーパーなんかで売ってるのよりずっと美味しいんから…。美味しい葡萄つくっている人知ってるから、さっきのご飯代のお返しに御馳走してあげる…」
 そう言われた時始めて由里子がこの土地の人であることを実感した。これまで店でも地元の客と話すときは山梨の言葉で話すようなこともあったが、私と二人の時はそういったこともなかったし、店を離れて外で食事などをした時なども特に山梨の地元人といった振舞いをあまり見せなかったので、そういったことを意識したことがなかったのだ。そしてそう思った時、まさか、いきなり親…父親はだいぶ昔に他界していると聞いていたが、母親はまだ健在で山梨にいるはずだった…とか、親戚だとかに会わせる気なんじゃないだろうか…という考えが浮かんで、ドキリとした。  周囲はさらに民家もまばらになり、葡萄畑が広がっていった。
 由里子は葡萄畑のはずれにある空き地に車を止めさせ、
「車はここに置いといて平気だから、あと少し、歩いていっしょに来て」
 と先に助手席から表に出てしまった。その後を追いかけるように車から降りると、眼下に広がる光景に目を奪われた。背後の甲州盆地に広がる葡萄畑の緑が、春とは思えないような強い日射しのなかで霞んでいるように見え、なかなかの壮観さであった。
「葡萄畑に囲まれて育った女か…。石和には温泉まであって、まるで『手毬唄』の鬼首村まんまじゃん」
 私は自分の何気ないひとりごとに苦笑した。
 由里子は車を停めさせた空き地のある一角の葡萄畑わきにある細い路地を少し登ったところで立ち止まって私がついてくるのを待っていた。
「勝手に葡萄畑に入ったりして平気なのかい?」
「ここは大丈夫。いいから来て」
 そう言って由里子はひょこひょこと更に小高くなった斜面を登って行った。
 つづいて付いて行くと、葡萄畑の途切れたところで由里子の姿が突然見失ってしまった。
「ちょっと、こんなとこでかくれんぼでもしよってぇの?」
「こっちよ」
 由里子の声に誘われるままに歩いていくと、斜面が大きく窪んで一段低くなった中に由里子は座っていた。
 由里子の座っている窪みは雑草が生い茂っていて、見てくれこそ悪かったが、天然のソファのようになっていて、まるでちょっとしたひさしのように窪みの上に被い茂った木立の影ができていて、春の穏やかな木漏れ日を受けながら昼寝でもするには絶好の場所のようになっていた。
 私は由里子の隣にならんで腰をおろし、そのままゴロリと身体を横たえると、由里子も笑いながら私の胸の上に頭を預けるようにしながらいっしょになって横たわりながら
「ここね、もうだいぶ来てなかったんだけど、子供の頃のあたしの秘密の場所だったんだ…」
 と恥ずかしそうに言った。
「今、登ってきた葡萄畑がね、もともとはウチの畑で、父と母がやってたんだけど、父が亡くなって、母だけで続けていくのが大変になったから母の従兄に譲ってやってもらってるの。…だから、まだ小さい頃はすぐ向こうにある家に住んでて、よく一人でここに来て遊んでたの。…ここならまだ葡萄畑の方の仕事もそんなにあるわけじゃないから伯父たちが来ることもないし、ほかには誰が来るわけでもないからゆっくりしていても誰も怒らないから…」
 そんな思い出の場所に連れて来られてと、感激に胸も熱くなったが、同時に、そういった邪魔の入らないところでなら、ゆっくり『悪魔の手毬唄』の話しの続きをできるといった意味でここにいるのなら、ちょっと淋しい気持ちもした。
 由里子にしてもついた早々いきなりそんな話しをし始めるといったことをさすがにするようなこともなかったが、
「なんだってまた金田一耕助は、あんな風に関係者を集めて討論会でもやろうかのよう話して聞かせたのかわかる?」
 と、まるで寝言で言っているかのような小さな声で聞いて来た。
「さてね…。普通に考えると、関係者たちのほうが金田一耕助より知り得る細かな事情を聞きながら話しをまとめた方がより詳しく真相にせまれる…と考えたのかな?」
「普通ならそうかもしれないけど、金田一耕助は自分からそういった細かな事情を知り得る関係者たちに質問をして自分の推理を補足させているわけではなく、逆に関係者たちから質問させるかのように発言させてそれに答えてることのほうが多いの。だから、関係者たちはリカが自殺したことを前提として、リカが全ての犯人であるという先入観だけから全てを考えてるだけで、誰ひとりとして、あたしみたいに違った観点から金田一耕助に質問するようなことをする人がいないの…」
「…そりゃ、お前と、この事件関係者たちとを同じレベルで考えるわけにはいかないだろ…」
「そりゃそうだけど…。…でも、結果的に金田一耕助もそれでよしとして、それ以外の可能性には、この場では触れることはしなかった…」
「この場では?」
「あたしね、前にも言ったと思うけど、決して金田一耕助が間違ってるとか思っているわけじゃないの。…あるいは、金田一耕助は別の…例えばあたしが考えているようなことも推理していたんじゃないかなって思ってるんだけど、あえて、それを口にすることなく、関係者たちを納得させる為にこういったやりかたをしたんじゃないかな…って思うの」


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