旅先の弱き性                                          LN. 1922.10.20


 さて、あなたは列車に乗込み、トランクを網棚に放り上げ、コートを窓際の空席にコートをかけて、大急ぎで新聞を買いにホームに出ていきます。

 戻ってくると一人の婦人が
 「われここにあり、ここにとどまる」
というナポレオンの文句の決意もさながらに、あなたの席に座を占めています。

 結構。あなたは野蛮人じゃありませんから、別の場所に座って一言も発しません。婦人はあなたのコートの位置をなおして、心地よさそうに、ちゃっかりそのコートによりかかっています。あなたを恐ろしい顔で見てから目を閉じます。
「あたしこれからひと眠りしますからね」。

 でも、あなたのコートはあなたほど我慢づよくないらしい。コートの掛け輪が言いたがっています。すみませんが、奥さん、頭を少し。婦人はあなたにすごく怒ったような目をむけます。

 あなたは顔を赤らめ、なにやらわびごとを言い、などなど。それで、あなたはコートを網棚に上げてから、どぎまぎしながら葉巻を取り出します。
 だって、ここは喫煙者用の車両ですからね。婦人は咳をして、頭を弱々しく振って、息をします。

 よろしい。あなたは葉巻を吸いに通路に出ます。そしてもどってく ると、あなたの席には別の婦人がナポレオンの決意もあらわに「われここに在り、ここにとどまる」です。よろしい、あなたは無教育な人間ではありませんからね。荷物をまとめて、隣の半ば空のコンパートメントに座りにいきます。    しばらくすると、車掌がきて、鄭重に「申し訳ありませんが、ここは御婦人専用のコンパートメントですので」と告げます。
そうかい、わかったよ。心のなかでそう言って、通路に立ち続けます。
 すると、あなたの席から出てきた婦人が通路を通り抜けようとします。
あなたに噛みつかんばかりの顔をむけてから、また顔をそむけ、はっきり口に出して言います。「この人ったら、どこまでも邪魔する気なんだから!」

 すみませんが、御婦人専用の特別列車を仕立てるわけにはいきませんかね?