選挙前の四週間                リドヴェー・ノヴィニ・1935年5月1日



 今年の五月一日は、古い象徴的旗をひるがえすのに適当な日ではありません。この日、選挙が告知されるのです。すると、いろんなことが語られ、五月の末にはまた数年間にわたるわが国の国政を与る政府をどのように作るかについて頭を悩ますことになるでしょう。
 私たちの誰もというわけではありませんが、選択を容易にするために、もう前もってどこかの党に所属して義務的かつ当然の納付金として自分の一票をその政党に投じる人もいます。でも、私たちの多くは、たぶん私たちの大部分は、自分の一票と自分の全権を来たるべき何年かのあいだ、どの人物に、そしてどの政党の政策にゆだねようかと、今、自ら決めようとしているところでしょう。それに私たちが生き、私たちがこれから向かおうとする時代は恐ろしく、しかも危険に満ちていますから、私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票券で与えるというのは、そう些細なことではありません。

 もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。たしかに私たちは長い時間をかけて過去において何が実行でき、また実行さるべきだったのか、そして、実行されなかったか。あるいは、何がもっとよく、大々的にかつ効果的になされえたか、なさるべきであったかを話し合うのもいいでしょう。しかし私たちが正しくあろうと望むなら、わが国ではどんな不幸なことが起らなかったかという点も勘定に入れなければなりません。ただ、覚えておいていただきたいのは、私たちの周囲の民族や国家がいかなる災難や大殺戮、いかなる道徳的、文化的堕落のなかを進行してきたし、進行しているかということです。幸いにも私たちはそれをまぬがれています。もう十七年もの間、いわば平安と秩序の孤島として存在しつずけています。私たちは金融恐慌も階級闘争も、政治暴動、国際的侵略、市民戦争もまぬがれました。わが国の民族的発展の安定した持続は驚嘆に値するものであり、かけがえのないものです。したがって、この点も啓蒙化された民族の特別の成果として,
また民族の運命にたいして責任を託されていた人たちの成果として加える義務があります。もしあなたの一票でわが国の大きな流れにたいして賛成を表明したいというのであれば、あなたの投票はそう難しくも、迷うこともないでしょう。
 しかし、投票用紙は過ぎた時代にたいする単なる卒業証明書ではない。ある程度もだ、私たちの一人一人がそれによって未来の政治的発展を共同決定するのです。私たちは投票によって、私たちの意見や決定にしたがって物事がどのようにこの先発展するべきかをいうのです。だからそれは小さな問題ではありません。この時代において、どちらの不安や心配が私たちをより強く圧迫するか、戦争だろうか、平和だろうか。私たちはただそれを言うだけでいいのです。経済的困窮からはい出せるかどうか。私たち民族的少数派のなかで信頼できる市民となるか、国家の敵となるかどうか等々です。たしかに、平和も、裕福も、忠実さも、投票用紙で意思表示することはできません。しかし、この大きな問題を左右する国家の政治は、そこ、ここにいるあなたが、あなた方男性や女性が、あなた方一人一人が五月のある日曜日に投票することによって決定されるのです。自分の一票が大切じゃないなんて、どうか思わないでいただきたい!
 つまり当然のことですが、私たちは平和に投票することはできません。しかし平和を求める人たちの政治に、または戦争賛成論者の政治に投票することはできます。そのことを十分考えてください。今日、平和は平和主義の問題ではなく、平和の確実な保証の問題です。それは準備と冷静な思慮の問題であり、また同じくらいの、そして恐らくより以上に大きな度合いで、明瞭な国際的契約と保証の問題です。
 故シュヴェフラ氏は「たとえ大砲の砲撃はないとしても、世界戦争は依然としてまだ継続しているのだ」と言いました。なあるほど、戦争の真最中というのなら、最前線は変らない。かつてわが軍の兵士たちが立っていた場所に、私たちは今も立っている。古い同盟国と並んで、セルヴィアやルーマニアとならんで。信頼の二十年は小さくはない。そこでわが国のヨーロッパにおける立場についても投票されるでしょう。わが国の外交政策の平和的なヨーロッパ・ラインはこれまで国家の運命に責任を負ってきたすべての政党によって保証されたし、保証されています。あなた方の投票はこの線に賛成かそれとも何か別の線に賛成かを語るでしょう。そして、問題がどう決着するかは、あなたに、あなた方の一人一人にかかっているのだということをもう一度思い出してください。
 次に、あなた方の大きな気掛りは、わが国と私たちのすべては経済的にまた社会的にどうなるかということでしょう。あらゆる経済的判断について特許をもっている人など一人もいはしません。あらゆる不況は解決し、大きな繁栄の国土をみなさんに提供すると約束できるのは詐欺師だけです。
しかし、一点だけはほぼ確実です。それはわが国における経済的破綻は、いずこも同じに、資本主義的自由主義の腐敗の結果だということ、そしてそれを修復できる一つの方法は資本家によっておこなわれる政治だということです。いかに経済生活を立て直すかの方法については、なおも長い時間をかけて、ゆっくりと、苦労しながら探し続けることになるでしょう。ただ、今日の破綻をもたらした一つの道へだけはもはや戻ることはないでしょう。そして忍耐と同じくらいおおきな貧困をかかえているわが国の十万からの失業者の軍団とともに、社会的反感を絶えず深め、鋭くする方向へは進まないでしょう。あなた方の投票は社会的平和か戦争かをも決定するのです。

 第三に、私たちは隣国のイデオロギー的圧迫のもとにわが国の少数派の政治的理性がどのように進展しているかをみていると不安は増大するばかりです。そしてチェコ民族と少数派との間の対立は闘争的国家主義の方向へむかって一層尖鋭化すべきかということもまた決定しなければなりません。それともわれわれ少数派に啓蒙的デモクラシーの恩典を与えて、政治的スローガンの代わりに現実的政策の可能性を与えてくれる政治のなかを進むべきかどうかを。
  単純に言って、少数派の代表と一つのテーブルを囲んで座ることのできる政党を選ぶか、代表者たちとともにプラハやその他の街路で少々騒がしい遊びをおこなう政党を選ぶかということです。そんなゲームにたとえかったとして、それが何だというのです? でも、現代において国家主義的憎悪をあおり立てることは民族統一主義(イレデンティズム)を組織すること、それどころか危険きわまりない導火線に火を点けるようなものです。この問題に関してもあなた方は自分の一票で決定することになるのです。
 フス派の女たちから、ガイダのサーザヴァ突撃隊、コプシネクのファルスタッフ攻撃隊にいたるまで、異常な興奮にかられたあらゆる急進派が、どんな党派に群がるかを思い出してください。何があったかを決して忘れないことです。このような野蛮な行動は平穏な時代には不愉快だし、滑稽でしょう。今日、私たちは国の政治にたいしていかなる冒険主義をも勧めません。御存じのように、ドミン教授やクト氏やホダーチュ首相その他の方々のカロリーナ英雄物語は、このような突出行為が今日では非常に高く付くことを証明しています。ドミン教授とその一派が祖国防衛戦線の隆盛にどれだけ貢献したかという事実を考えてみただけでわかるでしょう。政治的良識と警戒心という点にかんしては善良なるチェコ人なら誰もがハヴリーチェクを手本にしてください。
 最後に、この選挙ではデモクラシーのことも問題になります。まさに私たちの民主主義的発展、私たちの自由の秩序、権利、それにヒューマニティーが私たちを教養あるヨーロッパの西側に位置づけたのです。それがまさに私たちの民族に信頼と威厳をいう高価な財産、わが国の道徳的堅固さにたいする世界の信用を与えてくれたのです。ただ一つの政治的転覆もショックもなしに苦しい年月を生きてきたのです。今日、誰もが私たちが将来性のある企業だと見ています。ここでも私たちは蓄えられた財産をさらにふやし続けるかどうか、または別の方法で、そして今のところは単にイメージ的なものである価値観をもって経営をはじめるかを一緒に決定することになるのです。
 単に、誰かを選ぶだろうということだけで決めないでもらいたい。そうではなく、未来の年月において、自分のためにも、国家のためにもあなたが望むところのものが実現するように選ばなければならないのです。みなさんは六年の間、ほとんど知らない人にあなたの全権を委ねることになるのです。だから非常に慎重に、そして重要な点を心にとどめておいてください。