(25) 魔 法    一九一八年


 当時、ヒンデンブルク・ジークフリート防衛線での戦闘で、平べったい鉄兜にカーキ色の軍服を着たトミーの部隊は、チェック地のスカートをはいたスコットランド高地人部隊と連携しながら、あらゆる障害をものともせずに突進してくる敵戦車部隊の背後から攻撃をしかけていた。そして、その同じころ、カウボーイ帽をかぶったジミーの部隊はシャトー・ティエールのあらゆるドイツ軍の防衛線を分断していた。
 ハチドリ酒場の客たちは、そんなことについてはほとんど何にも知らなかった。仮に知っていたとしても、たとえば、情報通のアドロン・カフェの客たちのように、その情報を株式投資に利用するなどといった狡猾な手口をハチドリ酒場の客たちに期待するのは、しょせん無理な話である。
 アドロンの客たちはその日の午前中には、クルップ企業やシュコダ工業の株式で何をたくらめばいいか、とっくにご存じだ。
 その反対に、私たちの友人ゴッビ・エーベルハルトはもう夜明けだというのに、まだアブサン、スウェーデン・パンチ、アイルランド・グロッグを取っかえ引っかえしながら飲んでいた。彼はカジミエシュ・ウィシュニョウスキと、それにもう一人の私たちの友人クルト・フォン・ティーッセンとともに「ハチドリの腹」のなかのテーブルの一つにすわって、まるでフーガでも演奏しているといった具合だった。
 その後の三年間にわたるゴッビの行動にかんする情報をお伝えしなかった点について、読者のみなさんが私を非難されたとしても当然のことである。私は夜のどんちゃん騒ぎの際には何度も彼をかついで帰ったものであるが、みなさん方も私と同様に、この髪を伸び放題にした老熊公を愛しておられることと確信している。
 みなさんの非難にたいする申し開きとして、彼にかんする次のことをご報告しておこう。実は、その三年間のあいだ、彼は熱心に原稿用紙の山を積みあげていたのである。その量たるや、出版者はその膨大な原稿の山を見ただけで恐れをなし読む気にもならないだろうと思われるくらいのものだった。そんなわけで最近の三年間の彼の複雑な精神的決闘にかんしては、いずれにせよご存じにはなれないだろう。
 その後    私はそのころロシア戦線にいた    トマノヴィツェでの銃剣突撃の際に一発
の榴散弾が私の左目を完全にだめにしてしまった。そのことは画家としてのキャリアには重大なダメージを意味する。そんなわけで、私もまたハチドリ酒場の腹で長年の友人たちと再会したときになって、やっと事件を再構成できる状況にもどったのである。
 一人の男が重い足どりで地下室への階段をよろよろとおりる姿を見たとき、すぐに彼の片足が義足であることがわかったが、まさかそれがクルトであるとは、とっさには気づかなかった。
 それはみじめな姿だった。着ているものいえば、流行おくれの古い濃紺の上着に、博物館もののようなハイカラーのシャツ、それに鹿の角の握りのついたサクランボの木のステッキをにぎりしめ、どこかの幅のせまい段で足をすべらせ、下までころげ落ちるのではないかという恐怖に汗べっとりになっていた。
 最後の段まできたとき、彼は立ち止まり、荒い息を吐き、趣味の悪い黄色のハンカチで汗にぬれた額を拭いた。それから右の目に黒い紐のついた金縁の片メガネをかけ、探るようにタバコの煙の充満した騒音のなかを見まわした。二つ目の部屋の開いたドアのなかに私を見つけたとき、彼のなつかしいグレーの瞳が輝いた。
 私はふたたび彼の親しみを込めた微笑を見たのだ。私のほうに鹿革の手袋をした左手をふった。しかし、かつてバルトリーニの店でしたようにではなかった。その手の先はちじこまって、ただ肘の近くでゆれていた。
 彼は近づいてきて、私を抱いた。私はその手が彼の手ではないような気がした。私がそれに気づいたことを、彼は見逃さなかった。
「片手、片足。だからぼくは戦場から抜け出せたんだ。で、君は?」
「片方の目が、榴散弾でやられた。硝子体液に血が入ったんだ」
「画家にとっちゃとんでもないことだな。クルップとシュコダの株のおかげだ。ヘヘ」
 これで戦争の話はおわりにしよう。モーベージュの榴弾とパリの病院の物語はあとで詳細に知ることになるだろう。今はゴッビが話をする。
「それにしても、君だけは恥知らずなやつだな、カジミエシュ。まさにグァルネリ・デル・ジェスゥそのものだ。まったく瓜ふたつだ」
「ストラディヴァリのならもっとよく作れますよ。だって、どのみち、何かで食っていかなきゃなりませんもの。女たちはもうあきあきしました。先生が弟子たちにあきあきされているのと同じです」
「おまえはうまく立ちまわったということだな、このくたばりそこないの悪党め。もっとも、今はバイオリンが私を生きのびさせているがね、ハハハ。以前、自分の弟子をまだ信
じていたころはな……、あの二人のレナルドゥッチ、クレモナ出身の若者だが、彼らはど
うしている? たぶん………もしかしたら、アジアーゴかアルジエーロ、モンテ・レンメルレーンかモンテ・トンバか、またはコート・3841の戦場で名誉の戦死をとげていることだろうな、わたしが大コンチェルトを書きげもしないうちに……。
 想像もしてくれよ、雄鶏の羽根をつけたイタリア狙撃兵部隊の幅広の帽子をかぶって、チャイコフスキーのコンチェルトを耳に聞きながら突撃する二人の姿を。だってあの二人は本当の音楽家だったのに……、ちきしょう。彼らはさらに叫びつづける、気が狂ったよ
うに、突撃! 突撃! と    そんな彼らの姿をちょっとでも想像してもみてくれよ」
 私たちは想像しよう。彼は言葉を続ける。
「それとも、あのピシュタだ、あのバボチャーニュィだ……・。あいつがバイオリンを顎の下にあてがったときの様子ったら。ちきしょう、どうして、あいつが、どっかの騎兵部
隊の攻撃で死ななきゃならないんだ    おれはもう怒りで爆発しそうだ。
 そしてあの小さなベルトルートだ。覚えているだろう、イルゼ小母さんと一緒だった。それが、行きついたところは街の通りだ。最低級の娼婦になっちまった。一昨日、クルフュルステンダムの路上で客引きをしているのに出会った。まだ、どこかでバイオリンを弾いていると、そしてこうなったのはみんなイルゼ小母さんのせいだと言っていた。
 ところで、あのハロルドだ。エイゼンフェルト、それとも何と言う名だったかな。まるで天才なんてもんじゃなかったが、現代の連中とくらべりゃ、うほーだ! 彼から赤十字経由で二通ばかり手紙が来た。彼は軍艦「ノース・ダコタ」の准尉で、そこでも一日に八時間練習をしていると。戦争がおわったら……などと書いていたが、それっきり、彼からもなんの音沙汰もなし。
 それからクラーラだ。彼女はあんなふうなコンサート企業家だったが、誠実な仕事、ダイアモンドの研磨師、それだけだ。オランダのハールレムでバイオリン・スクールを経営している。かなり金を稼いでいると書いていたが、まあ、やれやれだ。それから、ここにいるカシミエシュ……。
 要するに、それがおれの弟子たちのなれのはてだ。だからおれは、あれ以来、軍需物資の補給部隊員の鼻たれ小僧たちを教えている。そいつら、レッスンのたんびにぶったたいてやりたくなる。その後、ある軍需産業企業家の胸っくその悪くなるようないやな子供が
来た。その企業家はこれまでのレッスン料全部を合わせたよりも多く払ってくれる  そ
してそのレッスン料が、いま、このパンチに化けているってわけだ。このいまいまし酒代め!」
 彼はパンチを流し込み、グラスをテーブルにたたきつけた。私は撃墜されたパイロットのカシミエシュを見た。彼の肋骨は一本欠けていた。足は三度も切断され、ひびの入った頭蓋骨はプラチナのくさびで接合されている。そしてクルトは私の傷ついた目をそれとなく見つめていたが、やがて苦々しい微笑を浮かべ、痙攣的に笑った。
「ねえ、君、いま、ベックリンやシュトゥックやクビンの絵を思い出したよ。彼らは実によく戦争を知っている。ヘヘ、彼らは、今こそ、ゴッビのバイオリンを聞くべきだ。そして、だれかレントゲンの目をもった画家がおれたち四人を描くべきだ。だれかが……、こんなふうに、人工の手をもち、死んだ目、折れた肋骨、打ちくだかれた魂をもっている、あるがままのおれたちをな。乾杯!」
 彼はアブサンをあおった。そして私たちはそんな新しい画家を待ち望んでいるかのように、また、探しまわっているかのように、それぞれにあたりを見まわした。なぜなら私たちは、そんな新しい画家が来るはずだ、そして百回でも、千回でも復讐を叫ばねばならないと信じるからだ。
 私たちの隣の角のテーブルに二人の水兵がすわって、卵を添えて、いろんな彩りを加えた複雑なカクテル「ヘルゴレンダー」をストローですすっていた。一人の水兵は赤錆色の顔をして、広い肩幅の濃紺のセーラー服の背はぱんぱんに張っていた。耳たぶは平らになり、鼻柱は折れている。それはまさにこの水兵がボクサーだったことを示していた。
 もう一人はピンク色の頬をして、カールのかかったブロンドの髪、健康にはち切れんばかりの筋肉をした若者で、短い柄のパイプを吹かせながら、話していた。
「これはいったいどうなっているんだ? あそこの家では、この地区では、よくはわからんが、さらにもういくつかの地区では、そしていくつかの町では、すでに人は食うものがないのだ。子供はぎゃーぎゃー泣く、だって、コップ一杯のミルクさえないんだ  ところが、ここをちょっと見まわしてくれ、ここには何でもある。外国の酒、ペースト、肉、みんないっぱいある。閉店時間なんて野暮はここじゃ、お笑いぐさだ……。
 見ろ、ハンス、問題は金だ。ここにあるのは金だ。これこそ、天にむかって叫ぶべき不公平だ! なんでこんなことが許されるのか言えるか! こんなものこそ無秩序というべきじゃないのか? ウェストファーレン号の砲塔の三本の大砲がたったの一回火を噴いただけで、どれだけかかるか、おまえは知っているのか? それだけで完全な設備をそなえた病院か、または学校が出来るんだ」
「よし、よし、だがなあ、学校や病院では生きていくわけにはいかんぞ、この石頭。おれが、今、ヘルゴレンダーを飲みたくなったとき学校や病院に行ってもしょうがあるまい。よし、おれはリングにあがる。おれは銭をかせぐ、そしたらいいんだ」
「馬鹿野郎、おまえは明日、おれと一緒に『スパルタクス団』に行くんだ。そこでなら今みたいなことはみんなおまえに説明してくれる。たしかにこんなことがいつまでも続いちゃいかん。どこかの病人や不具の人や、または年寄りの婆さんを誰かがぶとうとしているのを見たら、おまえだって放っておきゃせんだろう?」
「そうなりゃ黙っちゃいない」
「そうだろう、じゃあ、精神的な貧困者や自覚のない人間がひどい危害を受けているとき、ペーストや毛皮のために彼らが搾取されているとき、そのまま放っておくか? そんなわけにはいかん! しかし……」
 二人の娼婦が入口のところへ跳ねるように現われた。赤錆色の水兵は女たちにむかって喚声をあげた。
 ずんぐりとした指にいっぱい指輪をはめ、肉屋の風貌をした、どこかの血色のいい禿の
男  それまでミュージック・サロンで新しいダンス、シンミーを踊っていた  が、今
度はけたたましい声で叫んだ。
「こいつはまた、なんたる恥さらしだ! すぐにつまみ出せ! 恥さらしもいいとこだ! 痩せた若いユダヤ女、羽を焼かれた夜の蝶、彼女が男をなだめながら、ヒステリックに笑った。
「あんたこそ、つまみ出されるのべきだわ。そいつったらシンミーを踊りにきて、あたしの足とあたしの一番あたらしい靴をふんづけておいて、今度は叫んでいるわ。わめくのはやめて、あたしのあたらしい靴の弁償でもしたらどうなのさ。あんたのシンミーのおかげであたしの靴がだいなしになったのよ、この老いぼれのドタ靴野郎……」
 肉屋は乗馬ズボンの尻のポケットから札束のつまった財布を取り出して、何枚かの札を娘の顔に投げつけた。
 ピアニストは狂ったように新しいダンス曲を弾きはじめたが、誰も踊らなかった。突然、電気が消え、ピアノはやんだ。
「シーッ、シーッ、ガサ入れだ」闇のなかで誰かが叫んだ。「誰も動くな!」
 このようにして長いあいだすわっていた。少しずつささやき声がはじまった。それからキスの音が鳴り、押し殺したようなくすくす笑いがひろがった。シーッという声がそれを
黙らせる。ふたたび長い沈黙。充満した息。小さな叫び声。ふたたび「シーッ」。大騒音。
ゴッビはつぶやいた。
「なにがガサ入れだ。たかが、ただの女郎屋じゃないか……」
 三つの地下室のあらゆる片隅で入り乱れる愛の営み、興奮の狂気のほとばしり、そして戦場とその背後の非常線。私は朦朧とした意識のなかで少なくともそういうふうに考えていた。私はここから逃げ出したかった。しかし、もしここのどこかで刑事たちが見張っていたらどうしよう。ドアが閉まっていたらどうしよう。ここは「ハチドリの腹」のなかだからな。今まさにそれを体験しているのだ。
 ついに何かの明りが射してきた。きっと、もう夜が明けたのだ。ドアが開いた。ここまで、もの影がしのび込んできた。その直後、押し合いへし合いの混乱がはじまった。私には誰がだれやらわからなかった。階段のほうへ向かった。漆黒の闇のなかを手探りした。もしかして、もう一方の目もやられたのではないかという不安でぞっとした。
 いや、ちがう。キッチンの匂い。電灯の明りがあかあかとついた。廊下のドアのところにビア・カウンターの男とウエーターの二人が立っていた。全員が払う。ここから金を払
わずに消えることはできない。私たちはかなりの金額を払っている    徹底的にふんだく
られた。
 やがて私は外の朝の霧のなかに出た。ゴッビを探した。それともクルトを。しかしカジミエシュが私をつかまえて、車のなかに押し込んだ。彼とふたりで車に乗った。
 これは私の一番望まないことだった。カジミエシュとはあまりしゃべったことはないし、何となくいやだった。今でも私は彼にたいする昔の嫌悪感をぼんやりと覚えている。
 当時の記憶をあらためて思い返してみると、私がそのころいかに人間知らずであったかを恥をもって告白しなければならない。そして次の三十年後には、現時点での自分の人間理解の程度を笑うだろう。
 そのころ私はゲーザ・ガールドニィの『フン族の栄光の影に』と目に見えない人間の人物像を思い出していた。朝の霧のなかに傷ついて倒れた人間が姿を現わすと、本当はどんな人間も、目には見えない存在なのだという感じがしたものだ。
 彼は話した、ただ話すために。そしてタクシーは走り続けた。私には、彼が私にではなく、自分自身か霧に、すでに燃え尽きた世界の大火事に、ごみをあさりに舞い降りた黒いチョッキのカラスに話しているような気がした。
 今の私には、彼が私を説得したかったのだということがわかる。なぜなら、彼は私の視
線のなかに軽蔑といわれのない憎しみとを感じ取ったからだ。だから空気や女や、古いバ
イオリンの秘密や、金や生活のように私を支配したかったのだ。
 彼の両目はやや斜視だった。それぞれが別の方向を見ていた。口の端の皺の白っぽい象形文字はいつも実りない戦いに敗れ、いつか落ちるだけ落ちた堕落の深淵のなかで、はじめて勝利の火がもえるだろうということを言いあらわしていた。
「さあて、というわけで、この戦争ももうおわりましたね」
 彼はそう言って、汚れたなめし革の手袋に突っ込んだ手で鼻の頭をかいた。
「おわりました。すごいじゃありませんか。平和主義者にしたところで『残念ながら、われわれはこの偉大な時代の目撃者だ』という連中と同様、偽善者に変わりはありません、これはたしかです。ぼくは聞きたいんです、サーントーさん、偉大な時代の目撃者になること以上に大きな贈物を虫けらのような人間が受け取ることができますかね?」
 私は答えなかった。このような問題にたいして、当時の私は、はっきりとした確信を自分でももっていなかったのだ。私たちは朝の霧のなかをすべっていた。
「じゃあ、どんな目撃者だというんでしょう! ぼくがフランスの飛行機に大鷹のように襲いかかったとき、それはただの目撃者だというのはどういうことなんです? じゃあ、雲や山の上を飛んでいたとき、太陽の光の饗宴がぼくのほうに近づいてきたとき、眼下の人間の群れがバクテリアのように小さく見えるようになったときは?
 ぼくはバイオリンの音のように無限へ向けて飛んでいき、新しい視点から生と死を認識しながら空をただよっていたました。
 ぼくは機械の鳥の機関銃をフランス人のパイロットをねらって発射したことはありません。ぼくはたしかにポーランド人です。でもガリア人を憎む理由はぼくにはまったくないのです。ドイツ人かポーランド人に向けてなら同じくらいの快感をもって撃つことができるかもしれない。ぼくにはどうでもいい。この場合、愛なんてくそくらえです。
 問題は情熱、それが大きいか小さいか。命を与え、命を奪う    まるで神だ! 新しい
ポセイドンのように嵐の尾根に向かって突き進んでいく。これまでシラミのようにへばりついていた地球から解放されるんです。
 じゃあ、今は? 結構なことに、ぼくはこわれた破片です。何もかもがぼくには不愉快でたまらない。健全な人間は表面をすべる。あるときは背中で、あるときは腹で。しかし、
ぼくは  やつらの下か、それとも上です。いま……ぼくは、ちょうど下のほうにいるの
かもしれません」
「何を作っている? バイオリンかい?」
「いや、魔術です。ぼくは木のなかに、線や形やニスや色のなかに、また音のなかに  
古いクレモナを呼び出したいのです。ぼくはそれを欲しています、それが必要なのです。ぼくが贋物をつくっていると、みんなは言います。でも、ぼくのまわりに、かつらをかぶり、短刀を腰にさげた骸骨がしのび込んできて、唇のない歯でキスをする音がかちかちと聞こえるのです。黒い眼窩のなかで地獄の火の川がちらちらと光っています。
 ぼくにはアントニオ・ストラディヴァリがポンテ・ヴェッキオ(橋)を渡ったり、プラッツァ・ピッティ(宮殿)の大理石の階段をのぼっていく姿や、愚かなコジモ三世にバイオリンを手渡す様子がが見えます。
 また、グァルネリ・デル・ジェスゥが監獄のなかであの悪魔のタルティーニのために最高の名品を製作している姿も見えます。ヤコプ・スタイネル、彼は狂気に目を血走らせながら山をさまよい、樵の斧で木を一本一本たたいてまわっています。
 これらのバイオリンのなかには彼らの命と血、それに死までもがあります。だからぼくは、ぼく自身の命と血と死を流し込むようにしたいのです。ぼくはこの世のあらゆる魔術師よりもデリケートにやってごらんにいれます。ぼくはあの秘密を解き明します。そして勝ちます。ここ当分はゴッビに、こいつは上出来の贋物だと言わせておきましょう、ヘヘ」
 カジミエシュはこのすべてを未知の人間に告白したのである    やがて、霧が切れ目が
見えだした。遠くで太陽の光線がこまかにふるえている。まるでフェンシングの老達人が真鍮の柄のついた剣で濃く立ち込めた煙の円盤を突き刺しているかのようだった。私には、イヴァノフの館のフェンシング練習室でコノヴァロフの子供たちに稽古をつける様子が、そして彼らの声までもが聞こえるようだった。
「アン・ギャルド! ア・テンポ! スゴーン・ギャルド! ピフ!」
「ねえ、君。君の親戚のなかにスタニスラウ・ウィシュニョウスキという名の人はいないかい? あるいは先祖と言うべきかな?」
「ティーッセンのストラディヴァリの持主の名簿に、自分の名前を書きなぐった人でしょう? そうです、ぼくの父の叔父に当たる人です。家族は彼との関係を一切断ちました。なんでも、皇帝軍に仕えたからというのです」
 彼は、そのことが私を興奮させたのを見た。
「もし、ご希望がおありなら、祖父に手紙を書きましょう。祖父なら詳細な報告を書いてよこすはずです。そのことに関心がおありのようにお見うけしましたが。あなたは画家で
した……よね? もちろん    画家だからといって隠された関係について興味をもって悪
いわけはありませんよ。ぼくは、あなたが単なる好奇心から言っておられるのでないことを確信しています。
 この一連の名前のまわりには不思議な偶然がまとわりついているのです。たとえば、これだっておもしろいと思いませんか? ティーッセンはパリの病院であるオーストリアのシュヴァルツェンベルクと出会ったのですが、その先祖の名前もその名簿のなかにあるのです。彼らは非常に親しくなり、ティーッセンは前線で失明したその侯爵の領地を訪問するつもりになっています。
 残念ながらその名簿ももう存在しません。その名簿から何かまだおもしろいことを発見できたかもしれないのに……。もちろん、そのことはむしろ小説家のほうが興味をもつかもしれませんね。そしてそれを題材にした小説か映画を作るかもしれません。
 どうやらあなたもぼく同様に好奇心の強い人のようですね。あなたの目を見ればわかりますよ……」
「片方の目だけじゃなんにも見えないようなものだよ。いいかい、つまり……」
「見えなくなった目でさえ多くのことを語ります。たとえば、あなたの見えない目は、その無傷の目と同様に完全に見ていますし、観察しています。あ、もうぼくのねぐらはすぐ
そこです    寄っていかれませんか、お茶にでも?」
「ありがとう。ぼくはお茶はきらいでね。世界中のいやなやつ全部合わせたよりもきらいだ」
「取って置きのソーセージがあるんですよ。一緒に料理してやりましょうよ」
 彼はその「取って置きのソーセージ」によって一瞬のうちに私の心をなごませた。その言葉を発した彼のなんといじらしく見えたことだろう。待ちどうしそうにその斜視の目をまばたかせた。
 私は焼いたソーセージの香りを感じ、ソーセージの焼ける音を聞いた。いったいどうし
て私はこの人間を憎んだりなんかしたんだろう? あたりまえじゃないか  私は女ゆえ
に彼を嫉妬していたんだ。私が望みさえすれば、女だってここえ連れてくるだろう。「ぼくはソーセージにはどうも抵抗できないんだよ、君。じゃあ、行くか。いずれにしろ料金のメーターはすごい金額だ」
「シッフバウエルダム、七番」
 彼は運転手に大声で伝えた。
 間もなく私たちは疑似バロック様式の館の前に立っていた。カジミエシュが払った。彼は彫りのあるクルミ材の門扉のなかの小さな通用門の戸を開けた。このときにはすでに太陽は優美な階段の上に強い光を投げかけていた。
「豪勢な邸宅じゃないか」
 私は嘲笑的に言った。
「ええ、徴発されたものです。傷病兵としてのぼくのものになっています」
 部屋は大きなホールのような広さだった。それはサロンと貴族の部屋の無意味で陰鬱なごた混ぜだった。いろんな素材の組み合わせで出来たカーテンは完全に太陽の光をさえぎっていた。私は何よりもこの三つの窓のすべてから、ブロケードもビロードもチュールも
レースもみんなひっぺがしたかった    私はアトリエの明るさになれていたのだ。
「どこでソーセージ料理をするんだい?」
 私は裏切られたような気持ちでたずねた。そしてその瞬間、私はカジミエシュをペテン師と見なした。
「そんなことは女中がしますよ。ぼくたちはご馳走になるだけにしましょう。コートを脱いでくつろいでください」
 部屋の一隅に天蓋のついたベッドが寝具もととのえて蠱惑的に待ちかまえていた。悪い気はしなかった。素早く上着を脱ぎ捨てると、即座に徴発したコーヒー色のラクダの毛織りのガウンをひっかけて、金の花を刺繍したアップル・グリーンの掛布の下にもぐり込ん
だ。私はうやうやしく真紅の天蓋を見つめた    私は天蓋つきのベッドに寝たのは生まれ
てはじめてだった。それは私がすぐに寝入ってしまったほど快適だった。
 夢のなかには、何年もたったあとでも、見たいと思えばいつでも見ることのできる夢がある。それはすぐに消えてしまう、とりとめもない夢の映像ではけっしてない。それどころか、夢うつつのなかで見る極彩色の走馬灯の画像でさえもない。
 このような瞬間に、私たちの存在の深淵のどこかに、はっきりと見えてくる海の底は、深い眠りと無意識の境界線のどこかにある。そしてそこで急に目を覚ます。一瞬の閃光。その幻覚は目覚めた意識の世界に投げ込まれる。すると、それらの幻覚はそこにとどまり
  はっきりと長い間    そして孤独の時に、本当に体験したことででもあるかのように
夢に見た幻影を思い出す。
 それにしても言葉はいったい何を意味するのだろう? この場合はきわめてわずかであ
る。あの幻覚の記憶は、まったく特殊で、強力な絆で現実と  それどころか私たちがまったく経験したことのない現実とも  結びつけられた部分をどこかに含んでいる。
 だから、もしあわてて神秘主義者の言葉を引っぱり出してくるとか、夢とは一部はつい最近の会話ないしは経験から、一部は自分自身の願望から出てきたものであると主張する精神分析の方法論によって、夢の構成要素を研究しようとしようとしても無駄である。
 多少の真理はそれらの主張のなかにもあるだろう。しかしそこの天蓋つきの徴用された
ベッドの上で    それは物事の深淵である孤独な海の底でもある  体験した夢の集合体
を例として考えてみよう。するとそれらの夢を私は今日まではっきり覚えているのだ。
 まさにそのとき、私はジャコモ・ストラディヴァリと会ったのだ。私はシダの茂みにかこまれた古い四阿のなかで弟の子供たちに取りかこまれた彼を見た。私は橋の下で若いジプシー娘と愛しあっている彼を、ローマ時代のの円形劇場の廃墟のまんなかで詩を朗誦している彼を、荒れはてた古い屋敷の庭で山椒魚やその他の小動物と交歓している彼を見た。 また、ベンベヌートやベッポ、マルキーズと、また、神父やイスラムの苦行僧、それにエルヴィーラ、また小さなアルベルト・マグヌスと一緒の彼を見た。それどころか彼の話し声の断片を聞いたこともある。それに私はそれを待ちうけていたとも言える。
 だから、彼のまったく常識ばなれな友人たちについて私が語っていることは、作家の勝
手な想像でも何でもない  要するに私たちのあいだには超時間的なある種の連帯が実現
しているのだ。残念ながらこの点をフロイドの「夢判断」の手法をもってしても十分説明することはできない。
 カジミエシュが一時間ほどまえタクシーのなかで、ある魔術について、アントニオ・ストラディヴァリ、スタイネル、タルティーニ、またはグァルネリ・デル・ジェスゥについて語っていたのは事実だ。グァルネリ・デル・ジェスゥについては、私のバイオリン・コンチェルトの第四楽章の主要主題の一つとして語られるはずである。
 ところが、ちょとおかしな老牧羊神のジャコモについては一言も触れなかった。それに私にしても彼と近づきになろうなどという気もちはまったくなかった。私は彼が昔、実在したのかどうかも知らなかったのだ。
 やがて私が意識を取りもどしたとき  屋根裏部屋をさまようエルヴィーラがひどく私
をおどろかせたので  しばらく考えてから、ストラディヴァリにジャコモという名の兄
弟があったかどうかをカジミエシュにたずねてみた。
 窓のところでバイオリンのどこかの部品をもてあそんでいたカジミエシュは、驚いたようにその斜視の目で私を見つめた。
「ストラディヴァリが? 知りませんね。ちょっと待った! もしあなたに興味がおありなら、いまそいつを調べてみましょう」
 机の上の大きな紙の山のなかから、分厚な本を引っぱり出して、その頁をめくった。
「ここに彼の家系図があります。アレッサンドロとアンナ・モローニとのあいだの最初の子供はジュゼッペ・ジャコモです。これがそれでしょう。アントニオはその二十三年あとに生まれています。でもその間に子供がなかったというのも変ですね。あなたはどこでその名前を聞かれたんです? なんでまた、今になって不意に思いつかれたのですか?」
 「ぼくはこんな馬鹿げた取りとめのない夢を見るんだよ。でも、その名前は……、本当だよ、ぼくは一度もそんな名前、聞いたことがない。どうも、君がここで魔術でも使ったんだろう。そんなのは……そう、贋物の製作から、なんはなしにわき出してくるものなんだろう? ぼくの夢はフロイド派の連中がやっているような夢の分析から出てくるんだろうよ、ハハ。ところでソーセージはどうなったんだい、君?」
「もう、冷めてしまいましたよ、あなたがいびきをかいているあいだに。すぐにもってきます」
 白地に黒い縞の入ったパジャマを着た彼は右左にゆれながら歩いている。片方のスリッパは、三度も手術で切断したので、もう一方よりかなり短くなった足から脱げ落ちていた。今になって私はやっと、彼がいかに苦労しながら歩いているか、杖なしで動くときの彼がどんなにひどいびっこを引いているかに気がついた。
 彼はソーセージと一緒に二個の大きなロール・パンを運んできた。
「あなた方ハンガリー人が私たちと同様にロール・パンが好きだということを知っていますよ。ドイツ人だったらソーセージもジャガ芋と一緒に食べるんでしょうがね」
 この時代、ロール・パン二個と言えば一種の宝物のようなものだった。いずれにしろドイツのパンはひどくみじめな戦時体制下の代用食品だった。私はすぐに焼きソーセージを飲み込み、汁をロール・パンのやわらかいところにこすりつけた。それから私はカジミエシュに葉巻を求め、ベッドの真紅の天蓋に吹きかけた。
 カジミエシュはミニアチュアのかんなでバイオリンの部品をけずり、にかわを塗って貼りあわせ、万力で締めた。彼はその仕事を続けながら赤毛の女やゴッビ、グレーネンにクルト、それにさらに何人かのかつてのバルトリーニの店の常連たちについて語った。
 彼の話を聞くのは楽しかった。銃剣突撃の記憶が私のなかで駆けまわっていた。私はベッドも葉巻も、カジミエシュのおしゃべりまでもが快かった。煙のなかに新しい絵の構想
さえいくつか浮かび出した……。ゴルリツェの戦場で、私がいつかもう一度絵筆を握るこ
とがあるなんて、いったい誰に考えられただろう。私はバルトリーニの店の仲間たちのことについてたずねていた。
「フランツ・マルクは戦死しました    あのグリーンのキュービズムの虎を描いたやつで
すよ。ワイスベルガーも死にました。矢に射抜かれたセバスチァンがその最もお気に入りのテーマだったというやつです。カンペンドンクはまだ生きています。そして相変わらず鹿の住むおとぎ話の森や月や、黒い星を描いています。今は記念病院のそばの『ロマーニッシェ・カフェ』に通いはじめました……。
 連中は前衛造型芸術の視点に立った雑誌『シュトゥルム(嵐)』を出そうとしています。そのリーダー格になっているのがカンジンスキーというぼくの同郷人です。雰囲気的にも、またキャンバスの上にも激しいものが渦巻いていますよ。ダダイズム、エクスプレッショニズム、イタリアでは未来派、そのほかにどんなイズムがあか、ぼくにはわかりません」 それからなんの前触れもなしに、突如としてグァルネリ・デル・ジェスゥの話に移った。牢獄のなかで作った彼のバイオリンについて、二人の若いモフェッティのこと、ガエターノやパオロについて。そして悪魔のような顔をしたタルティーニについて。カジミエシュに言わせれば、タルティーニはパガニーニの最初の顕現だそうだ。
 どこかで鈴が鳴り、誰かがドアをノックし、誰かが入ってきた。ベッドから来訪者は見えなかった。
「あたしよ、カジミエシュ。もう、あたし二度もあなたを見かけたのよ」
「本当かい? ぼくはここさ。何か用かい?」
「もう一年近くも、あたしたち会っていないのよ。あなたが撃墜されたって聞いたとき、あたし、ハールレムからまっすぐこっちへ来たのよ。それなのに、あなたって、あたしに何の用だって聞くの?」
「ぼくは半年前に病院を出た。君はぼくを看病にきたのかい?」
「ねえ、いい、電報ですんだことなのよ、一言、そしたら、あたしすぐに飛んできたのに。どうして電報打ってくれなかったの?」
「だって、いやだったからさ、君がここに来るのが。それに、今だっていやだ」
 このくぐもった女の声を、ずっと以前にも、どこかで聞いた覚えがあるような気がした。そして女がハールレムから来たのだと言ったとき、それがまさにクラーラ・ヴァン・ゼルホウトだということがわかった。カジミエシュがこの金髪の娘と話すその話し方に私は腹
がたち、またもや彼を憎みはじめた。
「あんたがいやだろうと何だろうと、あたしはあなたに会わなければならなかったのよ。あたしだって最初はいやだったわ。あんたは何度もあたしを馬鹿にしたわ。でも、あたしは来なければならなかったの」
 カジミエシュは答えなかった。私はこの後に続くだろう事態の内密の目撃者にならないほうがいいと思った。そしてこの場面に登場して、なにか気の利いた冗談でも言って、この場の緊張した状況をほぐしたほうがよさそうだと、ちょうど考えていたところだった。「あんたにグァルネリをもってきたわ。あんた、これをばらばらにしてもいいのよ」
「そんなもの、くそ食らえだ。そんなもの興味ない。君のバイオリンも、君の金だって、君の……」
 私は身がえりを打ち、ばかばかしく咳をしはじめた    私に注意を向けさせたかったの
だ。
「ああ、わかったわ、カジミエシュ、あんた、ベッドに誰かいるの……。だとしたら、その誰かにとってあたしは、今、いい見せ物になっているわけね」
 私は天蓋の下から顔をのぞかせた。そしてちょうど今、目を覚ましたような、今の会話をまったく聞かなかったようなふりをした。
「もちろん、あなたは私を覚えてはいらっしゃらないでしょうね。ごめんなさい、こんなネグリジェ姿で……」
 私は彼女のほうへ急ぎ、彼女の手にキスしようと思った。ほかには私はなす術を知らなかったからだし、そんなことでもしないと彼女の気持ちを何とはなしにほぐすことはできないと思ったからだ。しかしそれはうまくいかなかった。彼女は鹿皮の長い手袋をしていてその口のところはインデアンふうの切り込みをいれてふさふさになっているものだったからだ。私はとまどって、お辞儀をするしかなかった。
「私、ジェルジュ・サーントーと申します。たぶん、思い出していただけると思うのですが、バルトリーニの店で何度かお会いしたことが……」
 大きな冷ややかなグレーの目に、私は彼女が覚えていないことを読み取った。彼女はその場に、高くてすらりとした彫像のように身動きもせずに立っていた。グレーのホームスパンの旅行服を着て、こげ茶色のローヒールの靴、脇の下には大きなすごいワニ皮のハンドバッグ、手にした短い雨傘の柄にはみごとな仏像の彫りがある、ウィーンの芸術工芸品工場の最も新しい製品。
 私ならたぶん彼女を生涯崇拝することだってできそうだ。しかし彼女は私のほうに目もくれようとしなかった。絶望感にいっぱいになりながらカジミエシュを見ていた。そしてやがて黙って出ていった。彼女は近寄りがたく、推し量りがたかった。
 私は荒々しくカジミエシュに食ってかかった。
「どうして彼女をあんなふうに扱えるんだい? ぼくだったら幸せに思うだろうよ、もし……、それに君があんなふうに……」
「サーントーさん、スウェーデン女なんか信じちゃだめですよ。表向きは海のように神秘的で、はかり知れないように見える。ところが、それでいて、ほかのことには……まったく興味がない……。私が言わんとすること、おわかりですよね? まったく、何にもです。しかも、それが下品で、退屈で。そんな女の自尊心なんて、もうとっくに卒業しましたよ。ぼくにはあのグレーの目がいやでいやでたまらないのです。
 彼女を知らない人はその目のなかに、イプセンやストリンドベリや、クヌート・ハムスンや、その他のもろもろを読んだかのような気になるのです。海の妖精、神秘的がらくた、誇大広告。しかし、私は彼女がいかにゆれるかを見ました。彼女のうめき、叫びを聞きました。ぼくは知っています……。本当です」
 背をかがめ、びっこを引きながらそこここと大きな色あざやかなスミルナ(トルコ)産の手編み絨毯の上を歩きまわった。額にはまるで憎しみが彫ったかのような深い傷跡の溝がきざまれていた。やがて立ち止まり、両手を上に突き出した。
「もし、あなたが一瞬のうちに理解されたように、わたしの魔術を理解できる女が存在するなら……、もし、彼女がかつてブレッシアかクレモナに生きていたのであり、ぼくのために今あらためて生まれてきたのだと信じられるような、そんな女が存在したら、そしたら、ぼくはきっと……」
 カジミエシュは急に私に背をむけた。その背はふるえていた。私はその背中が、声もなく、ひきつったようにむせび泣くのを見た。
 そのとき、たぶん最初は近衛師団の擲弾兵のものだったらしいコーヒー色のガウンを着てそこに立っていた私はきっと滑稽に見えたにちがいない。なぜならそのガウンはかかとのところまでたれさがっていたからだ。
 私はそのときクラーラ・ヴァン・ゼルホウトにほとんど何の影響も与えられなかったのはたしかである。そして私はそのとき、彼女ををひどく軽蔑したが、それと同時に、胸が苦しくなるほどひどく憧憬したのも事実だった。





 
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