(14) アンナ・モローニの借り
アンナ・モローニ――いつも笑顔を絶やさず、働き者のシチリア女――はストラディヴァリ家の古色蒼然として堂々たる構えの家にはまったく似合わない。私自身にもよくわからないのだが、彼女のことを思うとき、なぜかアンピール様式の画家がこれもまた永遠化した歴史的場面が思い浮かぶ。それは謎めいた微笑を浮かべ、鼻の欠けたスフィンクスの下に立っている擲弾兵たちである――そして当時はまだ痩身のコルシカ人(ナポレオン)が悲愴な声で宣言していた。
「兵士たちよ、四千年が君たちを見おろしているぞ!」
彼の言葉は永遠のなかにこだましていった。その一方でプロヴァンス地方出身の一人の青年がガスコーニュだかパリだかの悪党のわき腹をつつきながら言った。
「おい、見ろ、アフリカの病気がお情け深い奥様の鼻をそぎ落としたぞ!」
鷲たちはお情け深い奥様方を嘲笑していた。そして歴史的瞬間は、冬の滑りやすい歩道の上で尻餅をつき、街のごろつきどもの笑いものにされた上流市民階級の紳士方のように、滑って転んでなんとなくすぎていった。
同じく、ストラディヴァリ家の初期ゴチック様式のファサードや、薄暗い広間の冷ややかな壁、空気のよどんだ書斎の書棚に象徴される五世紀間という年月がアンナ・モローニを見つめていた。
半球の断面をもつ巨大な窓には、鉛の枠に流し込まれた丸いステンドグラスがはまっていて、外からの光を吸収している。また裕福市民や夫人たちのひびの入ったポートレート、茶色の塊のようにうずたかく積み上げられた羊皮紙の山や手書きの文書、虫に食われた印刷術初期の記念物、木食い虫に食い荒らされたテーブル板、革ベルト、これらは何はともあれいきのびてきたのだ。
鉄でおおわれたオーク材の長持の上のローマのメダルとカメオ、ガスパル・ダ・サロー作の最初のバイオリン、ガラスの蓋のしまった最初のスイス製の時計、錬金術師の誰かが残したものと思われる古い鉱物の標本、それに錆びついたお化けのような大きな鍵穴、なんとなく謎めいた鍵束、それにアルコール漬けの小さな怪物や奇形物、義勇軍の短剣とフン族の半月刀、カール大帝時代の巨大な剣、金を埋め込んだサラセン帝国の兜、執務室の書卓の傾斜板の上に置かれた館の経理簿、額縁に入った表彰状と認定書。
この太った大乳の百姓女はシニョーレ・アレッサンドロがひょんな気まぐれから、思いがけず商用の旅から連れ戻ってきたのだが、それにしても、これらのすべてのものがこの女に何の関係があるというのだろう?
小柄な百姓女は、思いもかけない幸運に出会ったことも、しかし、また、この幸運のなかにも思いがけない不幸があることも知っていた。彼女は自分の本能的な感情については語らなかったし、示そうともしなかった。だが彼女の微笑の多様性は魂という楽器を通して幸福と苦痛との間の全音域を表現していたのだ。
壁の上で眠っている上流市民の奥さん方も、布地商売の使用人たちも、家のなかの召使たちも、街角の乞食も、それどころか動物たちまでもが彼女の微笑の意味を理解していた。ただ、肝心のアレッサンドロ・ストラディヴァリだけが気づかなかった。
しかし、私は頭のおかしなジャコモとまじめなアントニオもアンナ・モローニの微笑の二つの表れだということを知っている。二人の男の子の誕生のあいだには二十三年の歳月のへだたりがある。その間、アンナ・モローニは不妊だったのだ。この不毛は何を意味するのだろう・・・・・・? それはアンナ・モローニとアレッサンドロ・ストラディヴァリとのあいだをへだてる測りがたい大きな距離以外の何物でもあるまい。
なぜなら、ジャン・ジャコモ・カープラが名づけ親となった一風変わった性格のジャコモは――正真正銘――アンナの息子だったからだ。狂乱のシチリア・ワインと熱烈なシチリアの空の日射病は、この息子が母親の胎内にいるときから、すでに襲っていたのだ。
しかしアンナは、いまにも崩壊しそうな古いこの家にも何かしらの借りを感じていた。彼女は来るべき未来のいつか、その借りを返済するために彼女の百姓女としての精根を傾けてきたのだ。こうして二十年と三年がすぎた。やがて彼女の「存在理由」がもはや無に帰そうとするぎりぎりのときになって、彼女はいま一度、自分自身の存亡をかけて微笑み、自らの借りを返済したのだった。これこそが、われらが主人公アントニオ・ストラディヴァリの嘘いつわりのない誕生の物語である。
父親がアントニオのなかに自分自身を認識しはじめたのは、アントニオがほぼ二歳になったころだった。小さな彼は同世代の大部分のものと比べても、おとなしく、はっきりしていた。そして彼が五歳になったときには、すでに本当にもの静かで、威厳もあり、賢かった。いつも陽気で、ひょうひょうとしていた兄のジャコモは彼を不安げに見つめながら言った。
「お父さん、この子は子供じゃないよ」
「ほうっておけ、みんながみんなおまえみたいな阿呆なはずはない。この子こそ、わしの息子だ」
「おまえみたいな・・・・・・」という言葉によってもわかるとおり、だれだってジャコモのような立場に立たされたら、つまりその無言の、それでいて決定的な差別をされたら、普通なら子の小さな子供に向かって怒りを爆発させるか、そうでなければこの差別扱いの子供を憎むようになるだろう。
ところがジャコモは違っていた。彼はアントニオを自分の命よりもだいじにし、まるで自分の子供でもあるかのようにかわいがった。彼は放浪のたびからもどってくるときには、いつも、いろんなめずらしい宝物で弟を喜ばせた。
たとえば、内側が虹の色をしたすごく大きなホラ貝。ジャガイモのような鼻をしたジャコモはどこかのトリトーンか何かのようにそのホラ貝を吹いてみせる。彼はタツノオトシゴやヒトデや盲目のピンク色のホライモリをもって帰ったり、別のときには耳の長いミミズクや、まったく珍妙な生きものを思わせる鍾乳洞のなかの石灰のお化けをもって帰ったりした。
あるときジャコモは人間に似た形をした木の根っこをもって帰り、名匠の誉れ高い、自分の名づけ親でもある仕立て屋のカープラ親方と一緒にアントニオの服やズボンに合うサイズにまで切りつめた。
名も知らないすごく美しい蝶々や、赤銅色の羽をもった特大のカブト虫やクワガタなどの見事な標本を作って、それをアントニオに教えた。
ジャコモはアントニオをかわいがりもしたが、同時に同じ年代のもの同士のようにも扱った。それどころかこの幼い弟にたいしてある種の畏敬の念をさえいだいていた。だからといって、この子からウエハースのご褒美にあずかっていたわけでもない。
ジャコモはその名人芸的腕をふるって、香りのいいシデの木をけずって作った木馬に小さなアントニオを乗せて遊んでいるときなど、われを忘れて喜んだ。彼は自分で木馬を連銭あし毛に塗り、鞍をつけ、信じられないような技巧をもって見事な象眼細工の飾りをつけた。彼はアントニオのためにサーベルもけずって作り、皮ひもを編んで本物の鞭も作ったし、さらに鳥の巣も集めてきた。
彼はまるで召使のように弟の命令を待っていた。ジャコモがしばしば家を空けていたということは事実だし、賢い子供が自分の権力を悪用しないわけではなかったということも、またその権力行使の裏で、実はこの兄にたいして限りない愛を感じていたということも事実だろう。
ジャコモは彼の放浪の旅からわが家へもどってきたときは、いつも弟を、弟の名づけ親でもあるアントニオ・アマーティのところへ連れていった。名づけ親は一度もどこへもいったことがない人だったから、もちろんストラディヴァリ家を訪れたこともない。だが、名づけ子が彼のところへ訪ねてきたときはいつも喜んでくれた。そしてときには、おもちゃの小さなバイオリンで彼を驚かせたが、そのバイオリンは彼を驚かせるために、ときにはまる一ヶ月も引出しのなかにしまい込まれたままのこともあった。そして、このバイオリンはそのたびに、親指一つ分だけ大きくなっていた。
あるときジャコモが名づけ親にそのすばらしいバイオリンの作り方を教えてくれと頼んだことがある。アントニオ・アマーティはストラディヴァリ家から二軒目の自分の仕事場へ彼らを案内したが、そのときから小さなアントニオの心のなかで貝殻や蝶々や昆虫、木馬やサーベルや鞭といったものからバイオリンへの関心がだんだんと大きくふくらんでいった。
干からびて、苦みばしった顔の独身老青年は、ジャコモの道化的なウイットや、木や道具をあつかう並外れた器用さにときどき苦虫をかみつぶしたような笑みをもらしていた。その一方で、ぐんぐん成長する、ひょろっとした少年のほうも、いつしかアントニオ・アマーティの仕事場に、わが物顔で、しじゅう出入りするようになっていった。
そんなある日、アントニオ・アマーティは少年アントニオがいかにたくみにもの作りができるかを見にくるようにといって、弟のニコロを呼んだ。ニコロが兄の仕事場にくるのは、兄に呼ばれたときだけだった。そんなわけで、小さなストラディヴァリが何かを作っているときは、その度に呼ばれるようになった。
ある日の夕暮れどき、ニコロは「金の輪」酒場に出かけていった。
「わたしはある人を探しておるんですよ、エルコールの旦那、この時間になるといつもこの店にワインを飲みに現れるというんですがね。店じゅうどこにも見当たらんのです」
「その人の名前を言ってごらんなさい、わたしゃ、もう見ているかもしれませんな」
いかにも持病もちの、がさつな小男の亭主が無愛想に言った。
「アレッサンドロ・ストラディヴァリを探しておるんだが」
「あんたがすぐに、それをおっしゃれば、酒場じゅう探さなくてすんだでしょうよ。もし誰かさんの行きつけが『三女神』(スリー・グレイセス)なら、ここにどんな人がくるかわからないのは当然でさあね・・・・・・」
「馬鹿野郎! わたしはどんな『女神』のところへも行ったことはない、たとえそれが三人であろうが、四人であろうがだ」
「へえ、そうですかい、わたしゃ何かのみょうちきりんな道具を作っている人は、みんなあっちへ通っていると思っとりましたがね・・・・・・」
「わたしは妙ちきりんなものなんか作ってはおらん。わたしはニコロ・アマーティだ!」
「存じておりまさーね。だからこそわたしゃ、あんたがバイオリンという道具を張りあわせてつくっとられるんだと思っとったんですわ。それにしても、なんで籾殻を打つような無駄なことをなさるんです。あんたがお探しの人物は『祖国の息子たち』の部屋においでですわ。しかし、いまは、わたしにあんたが皇帝軍をどれだけ憎んでおられるかどうかをいってもらわにゃなりませんな」
「それがあんたに何の関係がある、このとんま野郎!」
「ところが、わたしにゃ大有りなんですな。要するにです、ちっとも皇帝軍を憎んでおらん方は、なかにお通しするわけにはいかんのです」
「そんなら、もし神聖な仕事の最中に少しでも時間があったら、やつらを憎むことにしよう」
「そうですかい、そんなら、こっちへどうぞ」
二人は曲がりくねった暗い廊下をゆっくりと歩いていき、螺旋階段をのぼって、そこでエコール旦那が落とし扉を開いた。
「シニョーレ・アレッサンドロ、あなたを、この善良な方が探しておられます」
ストラディヴァリはアマーティをここの常連で仕立職人組合の会長ジャコモ・カープラとのあいだの席に導くためにテーブルの前から立ち上がり、すでに手前のほうから呼びかけていた。
「これはようこそ、アマーティさん! どうぞこちらへ、どうぞどうぞ! 酒場でニコロ・アマーティさんにまでお会いできるとは、これはまた何たる奇跡でしょう! さあ、何があったのかお話ください」
ニコロ親方はレナルドゥッチ、マンターニとも、カラッチやカープラ親方とも、またボナヴェントゥーラ神父とも、もちろん監獄長のシニョーレ・モフェッティとも丁寧にあいさつを交わした。
「何も奇跡なんて言うほどのことではありません。このシニョーレ・アレッサンドロに、ちょっとおもしろいことをお話したかっただけです。とはいえ、もちろんみなさん方もお聞きになって、ちっともかまいません。で、できましたら、わたしにもグラスを一つお願いしたいですな。よろしければ、すぐにもはじめたいのですが」
二口三口、パレルモ・ワインを飲んだか飲まないうちに、落とし扉の口に大男のフランチェスコ・フェラボスキの姿が現われた。大袈裟な身振りで「真の祖国の息子たち」の面々にあいさつすると、娘婿のカープラの隣に席を占めて、チロル製のパイプにタバコを詰めはじめた。
「それでは、少年アントニオについて二三言お話したいのです」
ニコロは話しはじめた。
「あなた方には興味深いことでしょう。私がこんなに早く、ご子息アントニオ君と近づくことになったとは。あの子は毎日姿を見せるわけではありません。つまり、これはジャコモのことですが・・・・・・」
「ジャコモか、わしの名づけ子だ、へへへ!」
カープラ親方は説明のために、ニコロの話のあいだに割って入った。
「そうです、そのあなたの名づけ子が弟のアントニオをわたしの兄の仕事場へ連れてくるのです――この兄がまた、アントニオの名づけ親なのです。わたしの兄はひどく人付き合いの悪い男で、自分の名づけ子を例外として、金輪際、人と会いたがりません。そしてたぶん、ジャコモもいろいろと突拍子もない冗談のおかげで、例外となっておるのでしょう。そんなわけで、この二人の訪問はことのほか兄を喜ばせているようです。兄はときどき、小さなバイオリンでアントニオをびっくりさせているようです。その子の成長につれて、バイオリンのほうもだんだんと大きくなっているのです」
「わたしはそのバイオリンをいつも部屋のなかにしまっていますよ」
シニョーレ・アレッサンドロは非常にまじめに話しかけ、目にはなにかうるんだものが光っていた。
「そんなわけで、どんな説教にもそれなりの結末(アーメン)があるものです――ジャコモもアントニオもバイオリンの製作がおもしろくなったようなのです。その小さいほうが、はじめてから、あっという間に上達したと兄が言っています。そしてだんだん頻繁に来るようになったそうです。今日その子の最初のバイオリンが完成しました。そのバイオリンはわたしの弟子の職人の誰かが作ったものだと言っても、決して恥じる必要がないほどの楽器です
一同はワインを前にして、ワインをすするのも忘れて、驚いてこの高名なバイオリン製作の親方を見つめていた。熱血漢のボタン製造と紐類製造業の親方フランチェスコ・フェラボスキはうすい胸をした娘婿の仕立屋の背中に力づよい一撃をくらわせた。
「聞いたか、ジャコモ・カープラ。聞いたか、この話を?」
カープラは仕立屋には不都合な自分の名前のゆえに笑いの種になっていた。それというのも「カープラ」というのはイタリア語で「山羊」といういう意味だからだが、人のよさそうな「メー」という鳴き声にも似た声で、せいぜいよくて「へへへ」というような声で言った。
「わたしのその名づけ子は、弟に何ができるかを知っていたんですよ。アントニオをアマーティさんの家に連れて行ったのは無駄ではなかったんですね。その子が何を作ったのか見てみようではありませんか。もし、ニコロ親方が・・・・・・」
どうかみなさん、わたしに最後まで話させてください。それはすごく見事なバイオリンです。ネックは小さなアントニオのために兄のところの職人チェルッティが作ったのですが、とはいっても、この職人は兄の工房でそれ以外のものは何も作っておらんのです。それ以外のものはすべてアントニオが自分の手で作りました。そのうえニスまで自分でかけたのです。それで兄が弦を張ろうとしたところ、アントニオは自分で弦を張らせてくれといって、自分で弦を張ったのです。それから音を合わせました。兄はただじっと見ていただけだったそうです。
やがて、わたしも呼ばれました。わたしたちは別々に仕事場をもっておりますのでね、それで、わたしも兄のところへ行ったというわけです。わたしもただ見つめて、黙っていました。その子は弾きはじめました。彼の手によってバイオリンが鳴りはじめたのです。
わたしはもう何千回となく、このようなバイオリンの産声を聞いてきました。わたしだって、もう小さなころから父の仕事場で、あれこれとまぜっかえしていましたからね。わたしが自分の最初のバイオリンを弾いたとき、そのとき、わたしの叔父が、やはりアントニオといって、兄の名づけ親でもあるのですが、まあ、そんなことはどうでもいい、要するに、わたしの叔父が言ったものです。『聞いてごらん、アンドレア兄さん、このニコロは自分のバイオリンの一部になりきっている』とね。
ところがアントニオも自分のバイオリンの一部になりきっているのです。わたしはその瞬間、感じましたよ――みなさん方にご理解いただけたかどうかはわかりませんがね。わたしも、この手で大勢の職人を育てました。その多くのなかから親方も育ちました。しかし、楽器の一部になりきったなと、わたしが感じたのは一度だけでした。それはチロル出身で、ヤコプ・スタイネルという若者のときだけでした。そしていま、アントニオです。
みなさんにご理解いただけるかどうかわかりませんが、その意味するところはバイオリンに魂を吹き込み、へその緒を切るまでは血を通わせることができるような、そんな人間の一部になるということです。このような楽器からこそ本当の音が生まれてくるのです。それ以外は救いようのない張り合わせの寄木細工にすぎません」
「わたしは、まったく、あなたのおっしゃることがよく理解できますよ、アマーティ親方。まったく同感です」
大きな図体の監獄長モフェッティが大きな息をして言った。
「そのようなバイオリンは母親が産む生きた子供のようなもんですな。それ以外のものはただの好き勝手に切り刻んだ道化人形のようなもんなんでしょう。ただ格好だけはいやにけばけばしいが・・・・・・」
ニコロ親方は、ワイン・グラスが飛び跳ねてカチンカチンと音を立てるほど強くテーブルをたたいた。
「そのとおりです、モフェッティさん、聖バルトロミューにかけて、そのとおりです! わたしは、自分ではそのことをうまく表現できなかった」
「それはまさに神秘(ミステーリウム)です!」ボナヴェントゥーラ神父も熱くなって言った。「神の言葉にもあるとおりです。百年間にわたって、わけのわからんことを言ってきた王侯がいます。しかし、たとえ言葉をいかように飾ろうとも、神は彼らの口を借りて言葉を発せられたことは一度もなかった。だが、ときに、山のなかの貧しい孤独なる炭焼きが歌をうたうとき、木々までもがその歌に耳を傾けた。なぜなら彼の口を通してうたわれたのは神だったからです」
神父の言葉にすっかり魅せられたニコロはふたたびテーブルをたたいた。
「そのとおり! そのとおりです! わたしはどんなに頑張っても、あなたのように見事に真情を吐露することはできませんでしょう、敬愛おくあたわざる神父さま」
老レナルドゥッチは心の底から笑った。
「あんたじゃ、ニコロ親方、あんたが語っておられるのは口ではなくて、バイオリンで語っておられる。しかし、そのほうが、わしら全員が一緒になって語るよりも、多くのことを語ることがおできになるようじゃ。あんたがわが町の誇りと名誉のために末永く健康であらせられますように!」
これは飲むには格好の口実だった――杯が打ち合わされて、ガラスの樂の音と善意とが美しいハーモニーをかもし出した。そしてみんなが杯を飲み干したとき、しばらくしてニコロ・アマーティが口火を切った。
「ほかでもありません、わたしがここに参りましたのは、シニョーレ・アレッサンドロ、あの少年にそなわっているものが何かを、あなたに申し上げたくて参った次第です。もしアントニオが、たとえば布地の商人に向いていると思われるなら、あなたはあの子をそういう商人になさることもおできになります。しかし、わたしがこのようなことを申し上げにこなければならなかったのは、わたしの兄がずっとまえから人間嫌いがこうじまして、こういうところへ来たがらないからであります」
「ニコロ親方、ご好意に感謝いたします。わたしは自分の息子たちを何にすると言う気は毛頭ございません。あの子たちがなりたいものに、自分でなるなら、そうなればいいのです! 自分の意志にまかせます」
「たとえば、わたしの上の息子のことを考えてください。わたしはあの子がいまの職業を選ぶように、強制したことはありません。あれが四つ目の十字路につくまでに、誰もがあれに向かって微笑みかけます。そしてわたしにも微笑みかけるでしょう。ただ、わたしにたいしては、たぶん、こんなとんまな、こんな役立たずの養育者ということで笑うのでしょう。
笑いたければ笑うがいいのです。しかし、わたしはあのとんまな息子が、ときどき庭の藤棚の下でペトラルカや自分の詩を朗読するのを耳にしているのです。息子はまた放浪の旅か夢のなかで見た未知の風景を描いているのも知っています。息子が円形劇場の古い石や古い石柱を集めてきて築き、その周りにシダを生い茂らせた庭の東屋を毎日目にしています。息子がどんなふうに子供と遊んでいるか、どんなふうに口笛を吹いて小鳥たちを呼び寄せているか、どんなふうに乞食たちに食べさせているかも注意して見ています――そしてそれ以外のいろんなことも見聞きしているのです。
仮にそれを見て笑うものがいたにしろ、そのような特技もやはりこの世には必要なのです。だから、もしアントニオにバイオリンが向いているというのなら、生涯、それにたずさわればいいじゃありませんか、どうです、ニコロ親方」
ニコロ・アマーティは静かに聞いていた。そして全員が彼の目がうるんでいるのを認めた。大きな涙の粒が膝の上にたれた。そして彼はただ高い、厳然たる、乾いたアレッサンドロを、まるで、どんな木から切り出されているのか、それを確かめようとして、彼の心臓をこつこつたたいているかのような、刷毛や、色や、上塗りのニスを少しずつ確かめながら塗りつけているかのような、そんな感じで見つめていた。
やがてニコロは突然立ち上がった。そしてアレッサンドロ・ストラディヴァリの高い、禿げ上がった額に長く熱いキスをすると、一言も発せずに駆け去った。
ほんとは駆け去ったであろうと言うところである。もし「真の息子たち」の部屋の壁のどこかにせめてひとつのドアでも見出すことができたとしたら・・・・・・。そこで彼は壁にそって駆けながらひと回りしただけだった。やっとことで隠しドアを見つけて引きおろすと、ほとんど前につんのめりそうになりながら螺旋階段をぎしぎしいわせながら飛び出していった。
こうして次の日にはアントニオは早くも白い皮の前掛けをして、カンナのかかったカエデの板にアントニオ・アマーティが描いてくれた裏板を削っていた。やがてカンナのかかった横板をバイオリンの裏板の上に当てて、その裏板の端にぴったりあうまで、長い時間をかけて、横板を熱い鉄に当てて整形していった。
次に、膠(にかわ)をつけて、六個の締め金で裏板に固定する。表板はすでに裏板の型にしたがってトウヒの板に自分で描いてある。その板を削り、ふくらみを作り、アマーティの雛型にしたがって繊細な形の「f」字孔を切り抜いた。横板にネックを膠でつけ、その先端に美しい渦巻きを彫り、下地を塗り、よくこすってから仕上げのニスをかけた。その手つきは、これまでそのことだけに打ち込んできたかのような仕事ぶりだった。
親方は真っ先に、バイオリンの内部の右側にまん丸に削った小さなトウヒの棒がいかに確信をもって差し込まれているか、そしてなんたる確信をもって表板の左側の内部に湾曲した共鳴梁がつけられているかを観察した。それからまたアントニオがバイオリンについていった言葉がアントニオ・アマーティ親方を驚かせた。
「多くの点でバイオリンは人間に似ていますね、親方。外面はシンメトリックな形態をしています。胸部と臀部とのあいだは細くくびれて、腰のようになっています。それでも内部は左右で違っています。一方の側には梁(はり)が通っていて、反対側には魂柱があります。ただ異なる点といえば、人間の心臓(魂)は左側にあるのに、バイオリンの心臓(魂柱)は右側にあることです。どうしてそうなんでしょう?」
「シンメトリーだと・・・・・・? いったいそんな言葉をどこで覚えた?」
「ジャコモ兄さんがよく幾何学について話してくれるんです。そのほかにも、いろんな擦り切れたような古い本のなかに書いてあることのほとんどすべてを話してくれます。兄はあらゆることについて話します。そのほかのいろんなことについて・・・・・・植物のことも、鉱物のことも。数についても、町や国についても。ただバイオリンがどうして心臓を右にもっているかということだけは知りませんでした」
「おまえにはそれを知るための時間はたっぷりある。いまは、とりあえずちゃんと仕事をしろ」
そこで少年はちゃんと仕事をした。彼は見習い職人たちと悪遊びにふけることもなければ、職人にしたがうこともなく、彼のなかでは自立的で、慎重で、男性的精神が仕事をしていたが、それでも彼は仕事場のなかでも愛された。彼の寡黙さにも誇りにも、何とはなしに他人を疎外しないなにかがあり、かえってある種の畏敬の念さえ呼び起こした。
彼は親方以外には誰にも質問しなかったが、それでも誰かにたずねられたようなときには、年よりも早く老成したかのような賢明さと忍耐で、それでも慢心の気配など一切見せずに教えてやった。
夜には仕事場で起こったことのすべてを母親に語った。父親にたいしてはすでにそれほど打ち解けなくなっていた。だがそれでも、ある日、アマーティの工房の外で、自分の道具を使って製作したバイオリンを贈物としてもってきた。
シニョーレ・アレッサンドロは贈物にたいして至極丁重に感謝をし、長いあいだその楽器に見入っていた。
「形はアマーティのバイオリンには似ていない。これは少し長めだし、やや細い。横板の線もゆるやかだ――表板も裏板もそれほどふくらんでいない。これはおまえがいとてきにやったことなのか?」
アントニオは微笑んだ。
「お父さんがそんなにバイオリンにくわしいとは思いませんでした。もちろん意図的にやったことです。工房ではこんなものは作れません。怒られますよ――ぼくはこれを日曜日に庭の東屋で作ったのです。この楽器の音を聞いてみてください」
彼はおもいつくままにパッセージをいくつか弾いて、かわいらしい子供の歌を弾いて、それにいくつかの変奏曲を加えた。最後にはさらにトッカータも弾いた。
「どこで弾き方をおぼえたのだ?」
「さあ、ぼくの先祖の誰かがバイオリンを弾いていたにちがいありません――洞窟のなかに地下水が噴出すときのように、突然、それがぼくのなかに現われたのです」
シニョーレ・アレッサンドロにはトッカータやバイオリンそのものよりも、アントニオが用いた比喩のほうがいっそうの喜びを与えた。彼は十三歳の子供の口からこのような言葉をかつて聞いたことがなかったからだ。そしてそのとき、アレッサンドロの眼前にひとつの論理的関連性――洞窟の先祖の魂と、一族の血管のなかに赤く脈打つ地下水との関連性が見えてきたのである。
次にジャコモのことを考えた。その一見ばかげた奇行のすべてはアントニオの理性と意志を通して、大きな行為に融合している。
大きな庭の片隅のローマ風の東屋でアマーティの楽器とはことなったバイオリンをつくった。それをひそかに母親とジャコモが見守っていた。やがてそのバイオリンが完成したとき、アントニオはその楽器を弾いていた。
アンナ・モローニ夫人はこれまで一度もこんなににこやかな笑顔を見せたことはなかった。そしていまは、いくらか荒っぽく塗った唇だけでなく、目も心も微笑んでいた。それは、きわめてまれなことだった。
ジャコモは驚いた牡牛のように東屋のまわりを駆けまわり、一日中落ち着かなかった。アンナはさらに夜になって大きな喜びをこめて、長く引きのばした、なつかしいシチリアのメロディーを口ずさんでいた。
次の日、アンナは父親や親戚を訪問したいのだがと許しを乞うた。彼女はこの十五年間、故郷の風景を見ていなかった――そこでシニョーレ・アレッサンドロは許しを与えた。
「しかし、一人でおまえをやるわけにはいかん。ジャコモを連れていけ。あっちのほうでは武器をもった盗賊が大勢出没するそうだ。ほんとはわしもおまえと一緒に行きたいのだが、ちょうど大きな荷が着くのを待っているところだ。わしもおまえを連れ出してきた土地をもう一度見たいのだよ、アンナ。しかしそう簡単に家を空けるわけにもいかん。だからジャコモと一緒に行ってきなさい」
夫の日頃にもないやさしさに、アンナは勇気を得た。
「アントニオも一緒に連れていくと言っても、あなたは怒らないでしょう? あの子はうちで作ったバイオリンももっていくといいですね。あっちの人は、あんなものをまだ一度もきいたことがないんですよ」
アレッサンドロ・ストラディヴァリは苦笑した。それというのも、アンナが故郷をおもいながら浮かべる郷愁の真の微笑の真の原因がわかったからだ。
「いいだろう」
彼らは三人で出かけた。そしてアントニオはその生涯の最晩年においても、この夢のようなさすらいの旅をまだなつかしがっていた。ジャコモとアントニオは母親なしでもどってきた。ペスト腺腫がアンナ夫人を、彼女が生い立った土地に眠ることを強いたからだった――はたして、それがよかったかどうかは誰にもわかるまい。
疫病の惨禍は兄弟のあとからゆっくりと北上してきた。いたるところで惨禍は彼らのすぐあとに着いてきてクレモナも襲った。そしてきいろの痩せ馬にまたがって「ヴィ・サン・セバスチアーノ」を早足で駆け抜け、その大鎌は運河やポー川の岸辺でも風を切り、「金の輪」酒場からはエコール旦那や、かの著名なジャン・ジャコモ・カープや、レナルドゥッチやマンターニの両氏をも引きずり出し、アマーティ家の三人の息子やアンドレア・グァルネリ家の二人の娘も痩せ馬に乗せて連れ去った。
やがて疫病神はいい仕事をしおえた者のようにピエモンテのほうに遠ざかり、黄色い馬も大鎌も山道をこえてちょろちょろ流れる水のなかか、雪をかぶった雪花石膏の岩盤の下か、灰色の雲のかなたへか消えていった。
できる人は町から逃れ、できない人は葬儀にかかわり、黄色の騎士の到来を待ちかまえていたのだ。みんなはこの黄色の騎士のことを頭に房かキジの羽根飾りをつけた高いチロル帽をかぶった狡猾で、筋肉質で、斜視の若者だろうと想像していた。その大鎌は騎士がそれを振りあげたほんの一瞬、ちらりと見えただけだった。
そうでないときは、自分の馬のたてがみをもてあそんでいるとも――あるいは、鞍の上から体を深くかがめてタンポポやキンセンカやキンギョソウを摘んで、花束にし、曲がり角などで娘たちに出会ったときなど、死神は花のつぼみに息を吹きかけて、娘たちの上にばらまいて不吉な呪いをかけるとも言われていた。
別のときには、人々は馬さえない黒い長衣を着た放浪者として、悪魔の放浪学生として想像した。彼はすでに大鎌さえもっていない。ただ孔雀の羽根をもっていて、それで軽くさわるだけだった。すると、さわられたところは硬く、青いこぶになる。
またロザリオの玉で生命の最後の時間を勘定している白い衣の尼僧の姿の、または茶色の長衣を着た修道層の姿の疫病神を見たというものもいた。そのサンダルは広場の花崗岩の敷石や礼拝堂のモザイクの床に腐敗の病原菌をはたき落としていく。しかしこんなものは、そもそも無知で愚かな幻想にすぎない。
やがて、すべての人々が死者を葬り、田舎の別荘や狩猟の館や農園にもどってきたとき、戦闘のあとのように生き残った人間の数が調べられた。しかし、新しい子供が生まれ、新しい花が咲き、新しい楽器が作られ、新しい詩も書かれた。
その一方で、新しい犯罪人が訴えられ、新しいもめごとが起こった。そして究極的には愛の抱擁があった――そして群集は彼らの背中をたったいま黄色い馬のひづめが駆け抜けていき、高い草や穀物の茎をなぎ倒していったことも、きっと気づかなかったのだろう。
ところでアントニオは・・・・・・? アントニオはバイオリンの一つ一つに、笑みをたたえたベアトリーチェ・アマーティの面影を見いだしはじめていた。ここで私たちは多くの冒険を経てきたあとで、ふたたびこの物語の第三章に回帰した。そして「アレグロ・コン・ブリオ」のテーマは今度は「ラルゴ・ソステヌート」でさいげんされ、その規模も広がり増大して痛々しい展開を見せる。なぜならアントニオの最初の恋はこの上もなく不幸な恋だったからだ。
読者、出版者、批評家には、この作品がいかなる作家手法によって叙述されているかについて質問されるのは当然である。その質問はたぶん次のようなものだろう。
「われわれは物語の時間の流れに即した筋の展開を希望している。それなのに、時間のなかをこのように跳躍していったり来たりするのは何のためだ? 小説(ロマン)に期待されるのは徹頭徹尾、信憑性のある事実を伝えることではないのか・・・・・・?」と。
私はそこまでロマンに期待していない。だが、私が欲していること、また私にできることは、バイオリン協奏曲という形式で、楽器の誕生と生と死を物語ることである。そして私にはこの協奏曲の各楽章に時間的流れの整合性をを求めるは無駄なように思えるのだ。
私の弓はバイオリンの四本の弦をこすり、メロディーはながれ、主題(テーマ)は暗示的な予感のように浸透しながら、やがて突然姿をあらわし、急速に結晶化する。四本の弦をとおして私の冒険的放浪の旅がどこへ向かうのか私にもまだわからない。
しかし私としては年代的な記録の章を加えることお約束することはできる。だから、みなさんは時代的な迷路のなかで方向性を得ることはできるだろう。私はちゃんとしたロマン作者にふさわしく、アリアドネの糸を後ろに引いていこう。
しかし、いまはまだそれはできない。アントニオの愛のテーマが私の弓にのりうつっている。だから私は未知の「楽長(マエストロ)」と未知の私の「我」が導くがままに「明暗」(キアロスクロ)のコンサート・ホールでオーケストラにともなわれながら、その主題を弾きつづけるだろう。
細い棒杭のように痩せていた少年はたくましい骨格をした背の高い若者にせいちょうした。そのときを私はよく記憶している。私たち男性はその点ではすべての者がアントニオと完全に同じだ。子供時代と大人とのあいだにあるものは浄化の火である――浄化の火、それはけっして喜びに満ちた過程ではない。
私たち肉体と精神の竈(かまど)は真っ赤に焼けている・・・・・・か、それとも、もしかしたら、その竈というのは肉体だけであり、そのなかで私たちの精神という鉱石が精錬されるのだろうか? ここではただ思い出すだけにして、実例を探すのはやめよう。たしかに、物事の本質を把握できるのは、対応する事象の形態論的、また歴史的な共通点が検証可能な場合においてのみである。
最初の娼家への冒険は気の利かない冗談、ないしはロマンポルノ的な挿話でもありうる――しかし聖なる竈のなかには、それでも鉱滓が分離されているし、火山のクレーターの煙のなかの溶岩や火山のように苦悩の泡とともに噴出しているのである。
私は協奏曲の第一楽章でアントニオと大乳のバルバラとの出会いを恋愛学の権威としての私にも出版者にも迷惑がかかることがないように、また保守的な書評家から道化者扱いにされずにすむように、小心なブルジョア階級をいたずらに刺激しないように、控えめに書いたつもりである。
私だってかつてこのクレーターの奥底をさまよい、この底からはいあがる手がかりはないものかと大声を張りあげたことがある。たしかに大乳のバルバラがいなかったら、ストラディヴァリにかんする専門書のなかでは「白鳥の歌」と呼ばれている最後のバイオリン――それはベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲のように完璧で、エーテル的で、純粋である――はたぶん、日の目を見なかったことだろう。
私にしたところが、恐ろしく、また痛ましい大声を張りあげねばいられないほど完璧な、そして途方もなく大きな歓喜のなかで、つまり大乳のバルバラの汚らしいねぐらのなかで、魂の目覚めを体験したのである。そしてまた、同じく、精神の最初の激しい突風の吹くかたわらに――無限に聖なる不可侵の頂上として――一人の美しいベアトリーチェが立っていたのだ。
ものごとにはそれほど大きな違いがあるわけではない。私のベアトリーチェはユリエといった。彼女はブロンドではなく、ブルネットの髪だった。彼女の父親はニコロ・アマーティではなく、ルーマニアのルゴイのギリシャ正教の神父だった。もし仮に彼女とほんの数語でも交わすか、あるいはもしかして抑えつけていた感情の溶岩を噴出する機会が与えられたとしても、アントニオが息を押し殺したように、私もまた彼女に話しかけることは絶対にできなかったであろう。
私も彼女の住む家の前に何時間も立ちつづけたことがある。そのあいだに別の小賢しいピエトロ・グァルネリがやってきて、ユリエに愛や、その他の空疎な言葉をだらだらと語りつづけた。その男はダンスのときにはしっかりと彼女を抱きしめ、または「羊と狼」遊びのときには彼女の引きしまった細い腰に体に強く押しつけた。彼は彼女を誘って人のいない野生の木の茂みのなかの礼拝堂の陰に連れていき、彼女の唇から不器用な最初のキスの金色の吐息をたっぷりと吸い取ったのだ。
そして私たちは大人への成長過程にある者の愚かな、誇り高い、失恋の痛みを心の中のいだきながら、手練にたけた、狡猾で、下劣なピエトロたちを見ている。私たちは自分の心のなかの高尚なほうの半分を失い、根こぎにされた頑なな若木のように大乳のバルバラたちの醜悪な婚姻の床に倒れこむ。だが、彼らはやがて春になれば神秘なる樹液によって芽を吹き返す。
このような惨めな敗北をもたらすのは、しばしば美化して語られる初恋だが、この初恋こそ、ある日突然、霧にかすむ夢幻的虹色の天の啓示に変化するのだ――とはいえ、私のユリエを母親にしたのがどこの粗暴な村の公証人か教師かは、私自身も知らない。
しかし、別のときには、愛は長い人生の棘の冠に変わることもありうる。なぜならアントニオは彼のベアトリーチェを見失ったことは一度もないからだ。そしていま、すでに私はそのことを、これ以上物語ることはできない。だってこの二人は一緒に語り合ったことさえ一度もないのだから。
私はアマーティ家の庭にしつらえられたぶどう棚の下で、大広間で、仕事場のなかで、あるいは小部屋や廊下の薄暗がりのなかで語られた言葉を記録してみたい。しかし私は沼地に足をとられている。なぜなら彼らはお互い口を利いたことがないのだから。そして長い年月の後に、すでに時を逸した会話が交わされたとしても――自分の耳で聞かなかった言葉を一言だってここに書くわけには行かない。
あるとき、一度だけ、ベアトリーチェがアントニオの挨拶にただ頭をさげるだけでなく、言葉によって応えたことがある。だからアントニオも娘が自分に何か話したいのだから、立ち止まるべきだと言うことが、彼にも理解できたのである。ベアトリーチェはぶどう園のいちばんはずれの低い壁に寄りかかっていた。
「アントニオさん、あなた、あのチロルの熊さんがあとどれくらい、、うちにいるかご存じありません?」
朝の鐘の音に似た音楽的な唇から自分の名前が響き出たとき、アントニオはその樂の音にふるえた。アントニオ、トニオ、トニオ、トニオ・・・・・・、このリズムにあわせて彼の心臓も鼓動した。これまでアントニオという名前がこんなにも美しいとは意識したことはなかった。
それにしてもチロル人はその当時、その熊公だけしかいなかったにもかかわらず、彼の混乱した頭のなかでは、ベアトリーチェがたずねた熊公が誰のことだかまるで思いつきもしなかった。
「あたしが本物の熊さんのことを言っているのにわからないなんて! そうよ、あのスタイネルよ」
二人は思わず声を出して笑った。そして、このときアントニオがベアトリーチェから得た言葉はこれだけだった――それと、唯一、親しみを感じさせる笑いだった。そのときまったく偶然に朝を告げる二つの金が鳴り響いた。早い雲の流れにかげった二本の鐘楼のあいだの広場は騒々しい鳩の羽ばたきの音で満たされていた。
「スタイネルですか? ぼくはほんとに知りません。彼がここにもう三回もたいざいしたということ聞いています――ずっと以前のことだそうです。なんでも、彼はいつも不意に山のなかに消えてしまい、また不意にここにいるのだそうです」
「あたし、あの人がこわいの――だからよ、聞いたのは。あの人がもうここにこなければいいんだけど。どうしてこわいのか自分でもわからないのよ。あたしってきっと馬鹿ね。ジロラモはそのことであたしを馬鹿にしてわらうの。あの人はここで見習だったんですって、ここで修業して、ここで職人になったの、だからみんな彼を知っているんだって、兄はそういうのよ。でもあたしの考えでは、彼のこと誰も知っちゃいない! 不意に何かをしている・・・・・・、いつもすごくこわい目であたしを見ているのよ、あの目つきでよ・・・・・・」
アントニオはいまこそ英雄になりたかった。彼のなかでこの娘を魅了できるような何かをしたいという衝動と願望がごっちゃになって渦巻いていた。彼の頭のなかをどす黒い思いが駆けめぐっていた・・・・・・あの熊公と命をかけた取っ組み合いをやってやるか・・・・・・。その命令をベアトリーチェが出すのを待っていた。しかし彼女は言った。
「ほんとは、ちょっと聞いてみただけよ。あたし、あなた方がいつもいっしょに話していらっしゃるのかと思ったの。だからたぶん、ご存じかなと・・・・・・、でもあの人、不意に出ていくって・・・・・・、あたし父には聞きたくないし、ジロラモったら、いつもあたしのこと、馬鹿にして笑ってばかり。だからあなたにたずねたの」
これが一年をとおしてベアトリーチェとアントニオが交わした唯一の会話だった。私としても物事がまさにこのように起こるというのは残念である。私のロマンの読者のみなさんが、がぎ括弧でかこわれた対話の部分を好んでおられること、その部分が読者に休息を与え、新鮮な気分と楽しみを与え、叙事的な、物語的――ときには濃密な、彩りに欠ける――言葉の奔流に、ほんのちょっとした劇的な風味を添えればいいということもわかっている。
また手紙の引用や、日記や市の断片によって薬味を利かすのも効果的だし、そのほかにも対話の利点は、何行かにわたる説明文――それはまたいわゆる外面的性格づけとも言われているものだが――よりも人間の性格をほんのわずかな言葉でより明らかにすることができることである。
私は中等教育時代に、すでに叙事詩(エピック)は、ヒーローたちをその行動と対話によって性格づけるべきであるということを学んでいた――だから叙事詩が自分で英雄たちについて語ってはいけないのだ。英雄たちに語らせておこう。
しかし私は何をすればいいのだ。この二人はこの年月のあいだ一緒に語ったことはない。それは単純に言って、アントニオと会うことをベアトリーチェがまったく望まなかったからだ。そしてこの唯一の会話が、たとえその会話が無意味だったにしろ、アントニオのなかに新しい感情を呼び覚ましたのはたしかである。
これまでは人を憎むなどかつて思いもしなかったのに、アントニオは突然このチロル人にたいして憎しみを覚えたのだ。もし少年時代に遊び仲間をもっていたら、きっと、ときにはそのなかの誰かと取っ組み合いの喧嘩もしただろうし、その喧嘩でもほかの子供のように、多少はうまく立ちまわれるようになっていただろう。
しかし、いま、かつて体験したことのない敵意という新しい感情と対面して、これほど途方にくれたことはなかった。こんな感情はスタイネルそのもの、また嫉妬そのものと同様に、アントニオにとっては無縁のものだったのだ。
しかしアントニオは兄のジャコモ以外には遊び相手を知らなかったし、それまでは愛情以外の感情は感じたことがなかったのだ。だから彼は自分の最初の敵と対決するまえに、袋小路に入り込んでしまったのだ。他のものが彼の立場にいたら、早速何かの計画を編み出していたにちがいない。
工房のなかではチロル人にいやがらせをしたり、喧嘩を吹っかけたり、言い争ったり、それどころか、あからさまに相手と立ち向かうのがいやなら、悪党を何人か使うことだってできるはずだ。アントニオはこのような手立てなどというものはまったく思ってもみなかった。チロル人の熱い視線のなかにあの娘の姿を認めたときは、いつも、ただ地獄の拷問に耐えていただけだった。それどころか、この炎のような視線がニコロ親方の意向に必ずしも反したものではないことを認めざるをえなかったとき、アントニオの苦悩はいやがうえにも大きなものとなっていった。
そして、モフェッティ家の息子の一人ガエターノが、園遊会のときにベアトリーチェとピエトロ・グァルネリとのあいだにえ演じられたことをアントニオに話したとき、アントニオは何の理由もないのに怒りに駆られて、あらゆる苦渋という苦渋の塊をガエターノの上に浴びせかけたい気持ちを抑えるのがやっとだった。
最後にはガエターノ自身が自分のおしゃべりで言う必要のないことまで言ってしまったことを後悔した。彼はまじめなアントニオを愛していたが、余計なことを言ってしまったということにきがついたのだ。
「ぼくは、君がそんなことでそれほど苦しむとは思いもしなかったよ」
ガエターノは思いもかけず大変な事故か不幸を引き起こしたいたずら小僧のようにびっくりして言った。
「しかし、ぼくが君にそのことを言ったということは、考えようによっては、むしろよかったのかもしれないよ」
ガエターノは長い沈黙のあとで言った。
「だって、君はベアトリーチェに自分で、直接話すこともできるんじゃないのか?」
「ぼくにはできない」
「じゃあ、ジロラモとは?」
「ジロラモはたしかに何もかも知っている。でも、彼に何ができるんだい?」
「そんなら・・・・・・、何もかも親父さんに打ち明ければいいじゃないか。君のお父上は立派な方だ。アマーティの家に行ってベアトリーチェをおまえの嫁にくれと頼み込んだら、ニコロ親方もよろこんで申し入れに応えてくれるだろう」
「でも、ベアタリーチェのほうはどうだろう?」
「たぶん、いやだっていうかもしれんな。周囲の誰にも彼にも当り散らすだろう。しかし、そのうち・・・・・・君も自分の工房をもって彼女を母親にしてしまえば――そしたら、彼女もおとなしくなって、君のところに住みつくだろう。で、君はバイオリンを作り、遠い国まで君の名声はとどくだろう。そこでおまえは彼女のために名声と富を築きあげればいい――そしたら、かのじょだってあんなはなたれ小僧のピエトロのことなど思い出しもしないだろう。そういうふうにすることだってできるんだよ」
ガエターノがそれを善意で思い、アントニオがそうするべきであると考えているのは疑うまでもない。しかしベアトリーチェに無理強いして、自分のものにするという考えにアントニオはひるんだ。彼はカーネーションを摘むことも、ゴム鉄砲で小鳥を撃ち落すことさえできない。ベアトリーチェを無理に自分のものにすることさえ、これと似たようなことに思えるのだ。
だから、監獄の巨大な防壁の下で無言のまま友人と別れた。ただ苔におおわれた防壁の石だけが、アントニオがある種の悲劇的袋小路に行き当たったことを知っていた。
このような激しい感情の嵐はバイオリン製作者の若者の心を激しく駆り立てた。
大きな木の茂った森のなかで材木を選び、鑿(ノミ)でバイオリンのカエデの裏板とトウヒの表板を形作り、削り、形を合わせてよこ板用の幅の狭い薄板を熱い鉄に当てて曲げ、ニカワづけをして締め金でしめつけ、ネックを削り、渦巻きを彫り、ゆるやかにふくらんだ表板にf字孔をあけ、駅にひたし、色をつけ、秘密の植物のエキスを調合したニスで上塗りをする。駒の下に魂柱を立てて弦を張り、調弦をして音を出す。
やがて古風な建物のわが家にもどり、父に何度となくくり返されたシチリアへの不幸な旅のより詳細な話をしたり、兄には工房での日々のできごとを報告する――要するに何もかもすべて話すのである。ただ、春の神秘的な樹液が若い木を勢いづかせるように、彼をほとんど弾けんばかりに張りつめさせているものについてだけは語らなかった。
やがて彼は自分の部屋の木食い虫に食われた跡のあるベッドの上に背を伸ばし、風と窓ガラスとの対話に耳を傾ける。彼の上を覆っているドーム型の天井が開いていくる。二つの星が地上的事件を注目している。そしてこれらの二つの星のあいだのめにはみえない、遠い遠いたかみに、天子の羽のついた白い長衣を着たベアトリーチェがただよっている。
やがて天使ケルビムがラッパで『パラダイス』の三連句を数節、地上にむかって吹き送ると、骨の張った顔をした『神曲』の詩人が彼にむかってうなずく。そして彼は長衣を着てひげを生やした一人のローマ人と地獄へと降りていく。
星は消え、ドームの天井は閉じ、アントニオは三連句の詩人と長衣のローマ人と一緒にさらに深く深くとくだっていく。家の地下室を通って地中にくだり、モグラのように地面を掘り、息苦しくなり、地面の恐ろしい塊が彼らの胸に全世界の重みをかけてくる。やがて地下世界の薄明かりのなかで、その下のほうに川の水面が光っていた。鎖を引きずる音がして、境界線が火の手をあげた。
ベアトリーチェは裸で丘の上に横たわっていた。あたり一面、ヒナゲシの洪水だ。しかも彼女のベッドの下にも血の海のようなケシの花の絨毯が敷きつめられている。まさに金の髪を振り広げて血のなかに憩うているかのようだ。乳房の頂点には小さな赤い乳首が突き出している。足のつけ根の三角の部分は絹の綿毛におおわれ、その下には細い赤い筋。両腿は大きく投げ出されているが、すねも足の裏もヒナゲシのなかに隠れている・・・・・・。
頂の下の斜面には動かぬ影がうつり、そのなかの誰かが『パラダイス』の三連句を韻をふみながら唱している。ほかのものは合唱となって地獄編の数節をもって応じている。ベアトリーチェは微笑み、さらに一層大きくそのその両股を開く、まるで雲の形か、白鳥か、それとも牡牛の姿をした神の降臨を待っているかのようだ。
アントニオは体中が固くなり、若者は大きく息をする。すると掛布もシーツも秘密の樹液で染みとなった。この樹液こそ春になって若木に芽をめぶかせるのだ。そしてその同じ若芽がベアトリーチェの乳房の上にめぶくのだ。
地下世界の川はいま一度光に映え、丘の頂や洞窟の上のほうには虹の橋がかかる。放り出されたラッパのかわりに、ケルビンたちは剣を取る。炎を上げる剣をヘビの蛇行のように振りまわす。天空の星を突き刺す。頂上のヒナゲシの地は動き、トラッゾがやっと彼女のひざにまでしかとどかないほど、ベアトリーチェは勝ち誇ったように起立する。
彼女は身をかがめて、円形劇場のどこかむこうで、いま塗りあげられたばかりの光輝くバイオリンを取りあげ、また身をかがめるとポー川の岸辺で美しい弓を取りあげる。バイオリンを顎の下にあてがい、弓を弦の上に置く。すると天体のあいだの雲の上で甘い感傷的な音が鳴り、響き、うたいはじめる。
わたしによって、彼らは拷問の町へ入る、
わたしによって、彼らは永劫の苦しみに入る、
わたしによって、彼らは神の永遠の罰を受ける者のもとにいたる。
(ダンテ『神曲』地獄編第三歌、冒頭の三行)