(13)音楽家のあいだを画家がさまようとき


 その夜、私はクルト・フォン・ティーッセン大尉と赤毛の女性との三人でバルトリーニの店のここちよい片隅にすわっていた。するとオリーブ色の団子とでも言いたくなるような主人のバルトリーニが何かといえば私たちのところへよろよろとよろめきながらやってきた。彼はまさに熊だった。油で揚げたエビやカキを自分で運んできてから、オードブルとして自慢のオリジナル作品をもってきた――それはポレンタにマカロニ、パルマ・チーズ、これらすべてをかき混ぜてこまかなサージンといっしょに調理したものだった。
「言っておきますが、こいつはトスカーナ産の赤ワインじゃないとあいませんな、いいですか、みなさん、トスカーナの赤です」
 彼はそう言って何らかの反論を期待するかのように、拳闘士の身構えで、ダイアモンドが唯一の装飾品である短い丸太のような指で鼻ひげと顎の山羊ひげをひねっていた。誰も何の異論もさしはさまないのがわかると、テーブルから離れてトスカーナ産の赤ワインを自らかかえてきた。わきの下には氷の入った容器はなかった。
「ワインの赤は本質的に冷やしてはなりません。もちろん例外はあります。たとえば、赤でもブルゴーニュの冷やしたものなら、わたしも好きです。しかしですよ、もし誰かがわたしに冷やしたオボールトとかマディラをもってきたら、わたしは率直に申し上げたいですな・・・・・・」
 彼のおしゃべりは私たちを退屈させた。だからクルトは、いつものように何らかの気の聞いたジョークで報いるということさえしなかった。本当を言うと、私は、私たちの関係が単なる顔なじみが固い友情に変化したときから、ティーッセンが大きく変化したことに気づいていた。
 彼はギターも、かの宿命的ストラディヴァリさえも以前のようには弾かなくなった。大理石のテーブルの上にカリカチュアも描かなくなった。その上、この赤毛の女を例外として、ほかの女とはまったく話をしなくなかった。
 彼は近づきつつある恐ろしい事態について語っていた。その灰色の目は落ち込み、その視線は急に鋭くなったかと思うと、すぐに夢見るようになり、三枚の複製画を見るときのあの子供っぽい目の輝きは消えていた。
 彼のアトリエ風の部屋のなかで彼がしばしば眺め、私にさえ見せた三枚の複製画というのは、ベックリンの『黙示録の騎士』とシュトゥックとクビンの『戦争』だった。
 いつの間にか私はこのように変化してきた彼の目の表情を潜在意識のなかに刻み込んでいた。この表情は以前どこかで見たのと、まったくそっくりだという気がした。その後、私は思いもかけずナショナル・ギャラリーでそれと出会ったのだった。
 ベックリンの自画像からその視線が焼きつくように私を見つめていた。そして私は、繰るとの背後でも、目には見えぬ骸骨の姿の死神がバイオリンの最後の一本の弦を弾いているのだということを理解した。
 私は死神のバイオリン――三本の切れた弦、いまにも切れてしまわないかと、はらはらするほど張りつめられた最後の一本の弦――を見つめていた。この瞬間、どうしてクルトのことを思い浮かべたのか私にもわからない。たしかに死神は私たち全員の背後でバイオリンを弾いているのだ。
 昨日も私はクルフュルステンダム通りで、速度制限を無視した猛スピード突っ走る若いブライヒレーエルのスポーツ・カーにすんでのところではねられるところだったが、それも運命の一瞬の裁定で幸運にも助かったのだ。それから間もなく、そこには大勢の群集が血に染まり、救急車のけたたましいサイレンの音が響き渡っていた。自動車に跳ね飛ばされた老婆のちぎれた死体が車に乗せられるとき、その死体は群集の頭の上を運ばれていった。
 それでも私はその絵についてはまったく別の何かを感じる。この絵の画面には死、火、疫病といった破滅的な猛威を振るう騎士たちが、何らかの不吉な予感さえも覚えない町や村を、泡を吹く馬を駆ってすぎていく。
 シュトゥックの騎士の長い血にぬれた幅広剣(だんびら)と、たてがみを振り乱して、いやいやながら戦っている墨のように真っ黒な馬、それにクビンの鉄兜のなかの幻想に現れる巨大な馬のひづめは軍隊の頭上に後ろ足で立ち上がり、踏みつけ、踏みにじろうと構えている――これらのすべては、破滅的な死神―骸骨のバイオリニストの姿を背景の地球全体に投影しているかのような、また、目に目ない手がクルトのほこりをかぶって沈黙しているストラディヴァリで全人類の「死の舞踏」をぎーぎーときしませているかのようであった。
 しかしそれは単なる混沌のなかの閃光だったのかもしれないし、私の内面の変化にも原因があったのかもしれない。しかし、いまは私の精神の変容について語るつもりはない。そのためには新たな別の一巻の書物が必要となるだろう。
 私はクルトの表情の変化をいくつかの幻想に投影したいだけである。もし、それがまったくうまくいかなかったとしたら、その理由は、私の構想のなかであの赤毛の女をなんとなく軽んじていたからかもしれない。
 描写のために絶えず絵(比喩)を用いるというのが、小説家の本道ではないとしても、みなさん方は私を悪く思わないでいただきたい。だって私はその当時は同時に画家でもあったのだから。しかし、やがて黙示録的騎士たちが来て、私の目を奪った。
 ポーランドのゴルリツェ村の防衛線突破の際に、脳みそ、内臓、心臓の収集物のなかにまさに一組の眼球が欠けていた。私が言ったように、あの当時、私は画家だったのであり、シュトゥックがサロメの姿になぞらえて華麗に描き出した赤毛の女はクルトと結びついてまったく別の幻覚――シュトゥックの『スフィンクス』――を呼び覚ましたのだ。
 男が女性にキスをするとき、それは美しい牝である。しかし女性の魅力的な丸っぽい、彫刻のような美しい手が、男の背後では醜悪な獣の指のようにゆがんいるのかもしれないのだ。男がキスをすると、猛獣の手が彼に死の判決をくだす。
 だから私はいまではバルトリーニの店に行くたびに、ティーッセンの赤毛の女の念入りに手入れされた手を見つめるのだった。私はいつ変化するかを待って黙り込んでいた。するとクルトは落ちくぼんだ緑色の目のなかに沈み込んでいる。それを尻目に女はいろんなものを詰め込みすぎた創作料理を美食家の貪欲さと、先史時代の穴居人たちの健康な食欲をもって食べていた。
 それに今回はゴッビが弟子たちを全員引き連れてきていた。先頭にハロルド・アイゼンバーグ、摩天楼とパットの詰まった肩とオセロ的ファンタジー。彼のことについては読者のみなさんはまだご記憶のことだろう。
 その次に、真新しいダーク・ブルーのダブルのコートを着たピシュタ・バボチャニュィが頭をさげて挨拶した。その隣のカジミエシュ・ヴィシュニョウスキは汚いよれよれのジャケットを着ている。
 クララ・ヴァン・ゼルフハウトは小さなゲルトルード・ゼーヴィッツの護衛のためにお供してきたイルゼ叔母さんと連れだってきた。
 二人のレナルドゥッチは歩いてきながらバルトリーニの親父と肩を叩き合っていた。そして最後に大きくよろけながらゴッビと未知の頬ひげの男が彫刻家のヴィラックに伴われてやってきた。
 みんなは大きな音を立てながらテーブルを動かし、ざわめきのなかで席についた――やがて私たちに向かって全員で叫んだ。
 クルトはこの色とりどりの連中にたいして即座に気の聞いた言葉を返したが、そこには多少無理をした感じがないでもなかった。その間、赤毛の女は私の膝に体を押しつけながら、ストラスブール風のパスティーを詰め込んでいた。しかし私は彼女のタッチにも気が乗らなかった。むしろすべてを飲み尽くさんばかりの彼女の計り知れない猛烈な食欲に感嘆するだけだった。
「ちょっとのあいだ、あの人たちのところへ行ってらっしゃいよ」彼女はクルトにいった。「その後であたしを連れ出して。今日はあの人たちと楽しむ気分じゃないの」  クルトはおとなしく向こうに行き、テーブルをひと回りして一人一人言葉をかけた。遠くから見ると以前と変わりはなかった。そしてテーブルを回るとき、彼の言葉の後にはいつも爆笑が起こった。
 すでにラインハルト劇場のスター俳優に鋭い視線を送っていた赤毛の女は、私の手に爪を立てた。彼女の鼻孔はピクピクと動いて魔女に変身した。
「もしあたしの記憶に間違いがなければ、あたしたち、最後にお会いしたのは去年の夏でしたわね。あの後も、あなた、ここにしばしばおいでになってましたの?」
「そういうわけではありません。あれからぼくは旅に出たのです。そしてもどってきたのは、ほぼ一週間前です」
「まあ、いったいどこを放浪なさってたの?」
「ほとんどはブダペストです。それからウイーンへ。そのほかハンガリーの小さな町をいくつか」
「あのとき、あなたは郊外の誰だか娘さんと一緒でしたわね。帽子はヒナゲシと何か小さな花をあしらっていた。それに服はイチゴ・アイスクリームの色だったわ」
「あなたの記憶力は大変なものだな。でも、そこまでですね。だって、あの娘はぼくが連れてきたんじゃありませんから」
「そうだわ! あの娘を拾ってきたのは、あの大きな図体のバイオリン弾きの牛だったわ。でも、あなたはあの娘といっしょに出ていったわよ」
「いっしょに出たわけではありません。ぼくの後からあの娘が逃げ出してきたのです」
「それであなたの愛人になったっていうわけ?」
「愛人? そうとも言えませんね。ほかの誰かともするようにぼくといっしょに寝ただけですよ。その後、何回か手紙を書いてよこしました。昨日、ぼくは彼女を訪ねていきました。そしたら、彼女は誰かに殺されていましたよ。ほんの二週間まえ、ぼくは彼女から絵葉書を受け取りました――それは皇帝の宮殿の上に浮かんでいる飛行船の絵でした」
「誰かが殺したって、誰よ?」
「いまのところはその点については、ぼくにもわかりません。ぼくとしても恥じ入っているのですが、もともとぼくにはあまり興味がないんです」
 当時の流行に反した、奇妙なペイジ・ボーイ・カットの髪の下から私を見つめたとき、赤毛の女の目のなかにキラリと稲妻が走った。
「あんた、いったいなんなのよ? 一年間も文通しておきながら、その人が殺されたっていうのに、まったく興味がないなんて!」
「ぼくは何にも書きませんよ。それは彼女のほうです。例のドイツ的忠誠心ってやつがぼくを手紙攻めにしたんですよ」
「ハハハ! それは言えるわね! あたしの父は幸いなことにフランス人だわ。だから、あたしにはそんな忠誠心なんて無関係。そういった種類のドイツ女ってきっと怖いわよ」
「もちろん、その男はやがて永遠の良心の呵責をもちつづけることになるでしょうがね。われわれ男性というのは、街角のすれっからしの尻軽女ほどのプライドさえもっていないのですよ。彼女は殺された。それなのにぼくのほうは今朝、もう・・・・・・、そう、つまり・・・・・・、こんな話、いやじゃありませんか?」
「今朝? いえ、ちっともいやじゃないわ。だいいち、誰がその人を殺したの? あなたに女の人、殺せるかしら?」
 これが小説家なら、私たちの視線は「互いに刺し違えていた」とでも言うだろう。しかしそれは単なる言葉の綾で、事実上は何も言ってはいない。私たちは四個の黒い瞳孔をとおして、お互いに相手の内面の汚れた肌着を点検しあっていたのだ。実情はそういうことだった。私はこの女の黒い瞳のなかに、肉欲の究極の達成をあこがれるように殺人者にもあこがれていることを十分な確信をもって認めた。
 彼女はかの男性神が雲か白鳥か、あるいは牡牛か金の雨か、とりわけ殺人者の姿に身をやつして、彼女が耐えられなくなるまで、性的雷鳴と、サディスティックな凶暴と、破廉恥な変体的狂乱にもみくちゃにしてくれることを望んでいるにちがいなかった――彼女はそれが満たされるその瞬間まで、エーヴェルスの吸血鬼の癒されざる渇きをもって男を破滅させるだろう。
 何年かして、その瞬間をオスカル・ココシュカの表現主義的戯曲『殺人者・女性の願望』のなかで完璧なまでの神秘的な赤裸々さではじめて見た。
 しかしクルトはすでにもどっていた。そして彼が私たちのほうを目指してやってくるとき、金紗色の髪にひどい仕立てのジャケットを着て、酒場の中央にあけられた通路をとおって歩きながら、パスキンの軽いタッチの線描のアパッチ風のタバコを長い指でもっている姿を見て、私は不意に彼は死んでいると感じた。そして私は、私に女性が殺せるかという大きな質問に答える借りを永久に背負うことになった。
 赤毛の女はさらに二個のウズラのラード煮とコーヒー入りのザバイヨーネの載ったチョコレート・プディング、それにパイナップルを二分の一たいらげてから、クルトとともに消えた。私はゴッビの誘いに応じてイルゼ小母さんと彫刻家ヴラックのあいだに席を占め、いち早く一座の状況の風向きを読み取った。一行は最初の演奏旅行からもどってきたクララ・ヴァン・ゼルフホウトの祝賀をかねてゴッビが夕食をおごり、その足でシャルトレ街からここへ流れてきたのだった。
 スモーキングを着た頬ひげの紳士はクララのマネジャーだった――彼はやや時代遅れではあるが正真正銘のアムステルダム・ジェントルマンであった。ゼルフホウト家はこの目的のために、長い話し合いののちにこの人物を選んだのだった。演奏旅行は平均的な経済的成果を収め、新聞などに掲載された演奏批評は赤いシカ革の表紙のファイルにはさんであった。ヴラックはそのファイルを私の前に置いたが、それは百パーセント満足のいくものだった。
 シャトレ街でのライン地方産の軽い白ワインはグループ全員の血液の循環を激しく刺激していたが、彼らの赤く染まった頬やキラキラ輝きはじめた目は、ライン地方産のワインが、先ほど栓を抜かれたばかりのイタリア・ワインと渾然一体となって、効果を一段と高めたことを如実に示していた。
 二人のレナルドゥッチはゲルトルートをあいだにはさんですわり、まるでもう明日が求婚解禁日ででもあるかのようにご機嫌取りにつとめていた。ピシュタ・バボチャーニュィはワイン・グラスを、グラスの脚だけしか手に残らないほど力強くテーブルの上に置いた。彼はラインハルト劇場の一人の見習い女優にむかって日焼けした悪党面をゆがめて見せた。
 カジミエシュ・ヴィシュニョウスキとハロルドはラグタイムと黒人霊歌について議論していた――ハロルドの主張は、黒人音楽が低地ドイツの対位法音楽と親近性をもち音楽の新時代を告げる使途であるというのだった。カジミエシュは口角泡を飛ばして、その気になれば自分を一発でノックアウトできそうなハロルドに向かって反撃していた。しかしハロルドはポーランド人の口汚いののしりにもただ微笑を返すだけで、大きな声で『ミシシッピ』や『シェナンドー』をうたい、そのあとで、テーブルの下でラグタイムのリズムでステップを踏んでいた。
 マネジャーの口からは都市やコンサートホール、それに広告の文句、鉄道やホテルの数や名前などが噴出してきた・・・・・・アントワープ、二千八百六十九、サヴォイ、オリエント・エクスプレス、六時間二十分、ウエスト、マディソン・スクウェア、四〇〇ドル、アルバート・ホール、オール・ブルの弟子、シェフチーク、クライスラー、フレッシュ、七〇馬力、フラナガン・マネージ、トランス・アトランチック、祖国、二百八十六!
 ハロルドはこんな話には飽き飽きだった。私はこれらの言葉や話の断片から魅惑的な絵を構成してみたい。しかし私は自分の絵のために、いったいどこをどう引っ掻きまわせばいいのだろう――そのためにダダイズムか未来主義の写真モンタージュないしはコラージュが必要かもしれない。そして私はこの領域には決して到達しえないであろう。なぜなら私の進路は別の方向にそれていたからだ。
 何年かあとになって、マネジャーの衣装プランにしたがってピカソが私の代わりのそれをやってのけた。 ピカソにとって摩天楼はシルクハットであり、その腹から目がフォンが突き出していた。しかし私たちのテーブルにいる男のなかには大様式の片鱗さえなかった――単なるペダンチックなオランダ人にすぎず、ハロルドは彼にたいして顔をしかめていた。
 しかし私はクララが去っていくクルトの後をどんな目つきで見ているかを観察していた。彼女は赤毛の女の勘定のことで何か言いたかったのだ。しかしその言葉を飲み込んだ。演奏旅行はもう興味がなかった。それで彼女は私に話しかけたかったのかもしれない。だが、私はすでにイルゼ小母さんとの話に熱中していた。このオールド・ミスはここバルトリーニの店で、髪をぼうぼうに伸ばし、黒か水玉模様の蝶ネクタイのあいだでファンタジックな成功を収めていた。悪党の税関吏アンリ・ルソーなら、たぶん、ここで彼女を描くことができただろう。しかし彼はパリジャンであり、ベルリンでは当時、その存在すら知られていなかった。
 そこで私自身がイルゼ小母さんを描かざるをえなくなった。小母さんは白いレースの襟のついた黒い服に、かわいい黒い帽子――その形はめんどりのトサカを思わせる――をかぶってここにすわっている。そのてっぺんにマーキュリーの羽をつけた帽子は十文字に差した黒い頭の留め金がずれて、つやのない髪の髷(まげ)の上に浮き上がって止まっている。おまけにイルゼ小母さんの痩せた細い体はベルトで容赦なく締めつけられているから、細い腰はいよいよ細くなり、まるでスズメバチみたいだ。そしてこれまで一度も経験したことのない、そして二度と経験することはないだろうこのような場所に身を置く緊張感から、体を硬くしている。それでも時折顔を赤くしたり、微笑んだりしている様子は何かのはずみで、思いもかけず別世界からここに落っこちてきた奇妙な生物とでもいえそうだった。
 ところで私はイルゼ小母さんについてはさらに補足しなければならない。小母さんは指を切りつめて、房をつけた短い透かし織りの手袋をしている。それに手首の上で手袋を締めつけている真珠を埋め込んだ指の幅ほどの黒いエナメルのブレスレット。その同類はボビン・レースの襟の下のブローチと丸っぽいイヤリングだ。私自身も、もし一晩中このようなビーダーマイエル様式の博物館的な実物見本を目にしていなければならないとしたら、ちょっとうんざりだなと思った。
 イルゼ小母さんは赤ワインとサボイ・ビスケットを注文していた。彼女はちょっぴりすすっては、恥ずかしそうにワインを味わっていた。小母さんはゲルトルートの父親のことを語ってくれた。彼はカメルーンの軍隊で少佐だったが、バンツー族にたいする幾多の戦闘に勝利したあと、毒蝿の犠牲になって死んでしまった。彼女はバルトリーニの店の客の一人一人についてもこまごまとしたことをたずね、ビスケットを細長い指で小さく割っていた。だがそんなあいだにも彼女はその薄黄色の瞳のなかに遠い昔の愛の秘密をいつくしんでいるのがわかった。もしかしたらブロンドの口ひげをたくわえた近衛師団の中尉さんだったかもしれない――そのすべてを、彼女の瞳からかすかに燃え上がるあわい炎の色が物語っていた。やがて、何の前置きもなく彼女はグレーネンとその哲学体系について語りはじめた。そして私があまり哲学を勉強していないことを残念がり、かなり苦労しながらグレーネンの主著である『哲学原論』について説明しはじめた。  薄いブロンドの髪に象牙色の肌のクララは、襟高の白い絹のブラウスに真っ赤な細いネクタイを男のように結んでいたが、全体の印象はイギリスの雑誌の表紙に描かれた水彩画の女性を思い出させた。しかし彼女の高い額や青白い表情のなかの繊細な金銀の線細工(フィリグリー)を見ているうちに、彼女のポートレートを描けるのはデューラーかホルバインかそれともクラナッハくらいであろうと心底から感じ入ったものである。
 カジミエシュのカラスの鼻、深いしわ、額にたれたにごった茶色の髪、彼の野暮ったさ、意表をつく奇妙な行動を私は以前にも見たことがある――たぶん、ゴヤの銅版画チクルス『幻想画集』のどれかだ。いわゆるスペインの落ちぶれ貴族(ヒダルゴ)のポーランド版だ。彼は英雄的行為もできればスリだってやれる、ときには思いもかけず芸術作品もものにする。
 エレガントなレナルドゥッチ兄弟はずいぶん以前に流行おくれになった騎士フェリチエン・ロペスを思い起こさせる。
 それにたいしてゲルトルートを描けるのはルノワールだけだろう――彼女のしまったピンクの頬にどれほど太陽の光が差したことだろう。オランダ風の髪形「ディアボロ」に整え、両方のこめかみのあたりに髪を束ねた輪が作ってある。その彼女の歯の白いホーロー質はボヘミアンどもの夜の溜まり場のタバコの煙にけぶった明かりのなかでも清らかに輝いていた。
 それにたいしてピシュタ・バボチャーニュィがシギの羽根飾りをつけたサクランボ色のテン皮のシャコー帽をかぶってクペツキーやマーニョキの暗い茶色の背景から登場してくるのを見たことがある。彼の彫りの深い、だが陽気なプロフィルはここではまったく効果がない。
 たしかに、大勢の画家の画筆がキャンバスをこすっていたし、私も当時それによって自分の生活を生きていたのだが、ここで私が画家的意欲をもちながら同時にロマンの著作にも打ち込むことをお許し願わなければならない。
 ここにあげたシュトゥック、パスキン、ルソー、ゴヤ、マーニョキ、それにロペスのキャンバスはぜんたいとして、それでも絶えず前進を続けるピカソが落とした影のなかに現れた単なる絵画的特徴にすぎないわけではない。むしろ一つの筋書きなのだ。だからこそ――ロマンとなりうるのである。
 このパーティーもいつものように全員が酔っ払っておわりになった。そしてゴッビはときにはマネジャーの肩をたたき、ときにはテーブルを強くたたいた。ヴラックは絶えず怒鳴っていた。
「ロダンを例外として印象主義は彫刻には何の意味もない。全然、無意味だった」
 彼の無意味で、小さな、汚れた魂は、この否定によって巨大な塔にまで膨張したかったのだろう。そしてそれができないとなると、泥酔のよるのあと、驚嘆すべき繊細さで作られた胸像のなかに満足を求めた。それはグレーネンの誕生日の贈物になるはずだった。
 カジミエシュとハロルドの議論についてはすでに触れた。そこで私はマネジャーの混乱した説明から小さなモンタージュを合成しようと試みていた。
 ゲルトルートはイルゼ小母さんの絶望を尻目に、テーブルの上でダンスを踊っていた。白いソックス、白のセーラー服、ひだのスカート――その下からピンク色のふくらはぎ、膝、太ももがオスどもを挑発した。私さえもが女性への躍動的成長の神秘をそこに垣間見たことを告白しなければならない。
 それから、やがて私たちが立ち上がり、ベッドへ、浴室へ、娼家へ、そしてアトリエへと散っていった。夏の早朝、菩提樹の並木のなかを私と並んでレナルドゥッチ兄弟がゆっくり歩いていた。  ニコロ・アマーティ、ルクレージア・パリアーリ、アンドレア・グァルネリ、それに彼の赤毛の花嫁アンナ・マリア・オルツェッリについて語ってくれたのは、実はかれらだった。それに、また、ピエトロ・グァルネリも、チロルの熊ヤコプ・スタイネルも、当時はまだバイオリン作りの若い王だったアントニオ・ストラディヴァリも、同時に愛した美しいベアトリーチェについても語ってくれた。
 これらのすべての人物については、これまでの章ですでに部分的には語ってきた。そしていまは夏の朝の菩提樹の並木を通りながら、トスカーノ・ワインの酔いに朦朧となりながら、兄弟にその先の話を聞いている。その話はこの後の章でさらに語り継ぐことになるだろう。





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