(12) 山のマドンナと赤毛の女について


 ニコロ・アマーティがグァルネリの一家に「罰当たりな連中」と言わなかった時代があった。一六四五年のこと、したがって二十六年まえのことだが、ルクレジア・パリアーリと結婚し、所帯をもつ。そのときお気に入りの弟子アンドレア・グァルネリを結婚式の立会人にして、彼に名誉を与えようという決心をなかなかつけかねていた。
 ニコロはそのとき五十歳まで一年を残すのみであり、最年長の兄アントニオの模範(ひそみ)にならって、ひっそりと落ち着いた、恬淡(てんたん)として、簡素な老青年の生活への最良の道をたどりつつあった。
 ある夏の夜、職人アンドレア・グァルネリが両アマーティにたいして、ことのほか美しい羊飼いの女について語った。彼はそのころ旅修業から帰ってきたばかりだったが、その二年間の義務的旅修業をチロルの山ですごしたのだった。
 もともと旅修業は当時の職人の習慣だった。チロルの職人たちはクレモナやブレッシアのバイオリン製作の秘密と技法をクレモナとブレッシアの地で――一報、クレモナやブレッシアの職人はミッテンヴァルトやフオシン、つまり、言うところのフュッセンの山間地帯に居を構えているバイオリン製作者たちから――盗み取ろうとしていた。
 アンドレアの語ることは両アマーティにとって、とくに耳新しいことではなかった。それというのも、この両人にしたところが、彼らの旅修業のよき時代に、その同じ地域を訪ねたことがあったからだ。それでも彼は何かおもしろいことを話したかった。そんなわけで話が、まるでおとぎ話のなかから抜け出してきたような、すごくきれいな羊飼いの娘のことに及んだのだ。
 この娘の生活を取り囲んでいるおとぎ話的なものとは、おそらく、無限の、処女地的隔離性にあったのかもしれない。その人里はなれた土地には、小さな鈴をつけたおとなしい羊の穏やかな雰囲気に包まれて野花が咲きにおい、照り映えている。
 アンドレアが太陽の光のなかにくっきりと浮き出したマドンナの顔を描写したとき、この無垢な存在が、もしかしたら、星もない真っ暗な秘密に満ちた夜、荒れくれた山男と愛しあっているのかもしれないという奇妙な予感が三人の男たちの想念のなかを駆け抜けた。口に出してこそ言わなかったものの、お互いの表情のなかに、一瞬、よぎった暗黙の了解のようなものがあったことだけは見逃すわけにはいかない。
 次の日、ニコロは仕事場で職人アンドレアを片隅に引っ張っていって唐突に質問した。
「正直に言ってみろ、アンドレア、おまえはあの羊飼い女にほれていたんだろう?」
 アンドレアは驚いて親方の顔を見つめたまま、まるで自分で自分の気持ちを問いただしているかのように長いあいだ答えなかった。それから、やっと微笑んだ。
「もし、わたしが彼女にほれていたら、一緒に連れてきていますよ。でも、わたしはラファエロかジオットの天使を見るように彼女を見ていました。だからその絵が自分の所有物になるなんて、考えたこともありませんでした」
「口を利いたこともないのか?」
「あります。絵が語りかけるとしたら、すばらしいじゃありませんか。だいいち音楽家なら、すばらしいバイオリンを見たら弓でこすってみたいと思うでしょう?」
「それじゃ、おまえもこすったのか?」
「いえ、親方が思っておられるようにではありませんよ。わたしはただ、彼女にうたうようにとか、話をするようにとか頼んだだけです。すると彼女の声に小鳥の声や、遠くのアルペンホルンや羊たちの鈴の音がお供をするのです。それで、わたしは思ったものです、わたしは教会の侍童が鳴らす鈴の音を聞いているんだと。ホルンの響きは、つまり巨大な山の教会のパイプオルガンのピアニッシモであり、また、彼女はお香の煙の雲のなかをただよう祭壇画なのだと。
 彼女はわたしと話をしました。わたしのためにうたってくれました。そしてわたしは、彼女が何を言ったか、何をうたったのかさえわかりませんでした。彼女のシャツの幅の広い袖はレオナルド・ダ・ビンチが描いたものそのままに規則的な襞の折り目がついていました。彼女のベルトの薄青色とスカートの緑はサン・ピエトロ寺院のフレスコ画でしか見たことがありません。
 彼女の背後には黒々とした山脈がそびえ、アルプスの尾根の白い雪が目に映える、その下には無数の山の草原の花が咲き乱れ・・・・・・、彼女の頬には黄昏(たそがれ)のブロンズの赤みがさし、夜になると何百という地上の星、また、蛍のように、雄や雌の羊たちの目が輝くのです」
「おい、アンドレア。おまえが言ったことをよーく考えろ――おまえは彼女を愛してるな? よーくだぞ、いいか、よーく考えろ!」
「もし、わたしが教会の建物のなかからフレスコ画か祭壇画を、たとえば、太陽の照りつける市場の混雑のなかとか、金色の穂波のゆれる麦畑のなかにもち出してきたらどうなります。おそらくその絵から魂が抜け出して、その絵の色彩の神秘な生命は血の通わないただの色の染みに変わってしまうでしょう。
 もしその娘をあそこから連れ出したとしたら、彼女もやはりそんなふうに変わってしまうでしょう。台所では何かをこぼすでしょうし、小枝のかわりに木の杓子を振りまわすでしょう。子供を産むでしょう。そして鈴をさげるための羊の首輪を丈夫な樹皮で編むかわりに、しょっちゅう子供のお尻を拭いているでしょう。
 たぶん、わたしはまさにそれだからこそ彼女を好きだったと言えるかもしれません。そして、彼女を連れ出すことは神聖なるものを汚すことになるでしょう」
 するとニコロ・アマーティはすごく憂鬱そうになり、自分の嘆きを一丁のバイオリンのふくらんだ表板の上にたたきつけた。四日ほどたってニコロはアンドレアに言った。
「わしは夜な夜な、娘の夢を見るんだよ」
「どの?」
「あの羊飼いの娘だよ。困ったことに落ち着いていられなくなった」
 アンドレアは皺でおおわれた師匠の顔を見つめて笑いを押し殺した。
「まあ、そんなわけだ、アンドレア。わしらのまわりには何千という女が歩きまわっている。そのなかの誰でもうちに連れてくることはできるかもしれん。しかし、そのどれもが、わしの目から見れば何かの欠点がある。一人はいやな声をしている。次の女は手が太りすぎだ。三人目は足がО型に曲がっている。四番目は・・・・・・、たぶん、おまえの山の美女にも何かの欠点があるのかもしれん。しかし・・・・・・その欠点を知らないかぎり、わしは心の平安を得られないだろう。すぐに何か彼女の欠点をうそでも言いから言ってくれ、たとえば首が太いとか・・・・・・、あそこの山では甲状腺腫にかかっているものが大勢いる。だから言ってくれ。彼女にも沢山瘤があるとか。でなければ、わしはまたバイオリンを打ち壊す。さあ、何とか早く言え、早く・・・・・・」
 しかしアンドレアは答えなかった。彼は神聖な祭壇の絵を破壊するような男ではなかった――そして一言断言することによって自分の信念をつらぬいた。
「どうだ、それでは彼女には欠点はまったくないのか?」
「あそこではありません。たぶん、ここに来たら欠点が出てくるでしょう」
「ここでか、ここで・・・・・・だな! それじゃ、そこで彼女を見ようじゃないか。行こう、その山まで旅行をしよう。おまえは彼女のところまでわしを案内できるな? もし、おまえが言うとおりその娘が完全無欠なら、わしはそいつをわしのところへ連れてくる。ここに来れば彼女はおまえにとってなんでもなくなる。彼女は台所で料理をする。そして子供を産む。
 そんならいっそのこと、行って、彼女を連れてこよう。そうしたらおまえだって、もう、ニセものの祭壇画のことを考えなくなるだろう。そして、わしは・・・・・・アルペンホルンの音や鳥のコンチェルト・グロッソや鈴の音をもう一度聞きたくなった。それから、彼女を連れてこよう。たぶん彼女はおまえか、わしを求めるだろう。山の娘は山のなかの湖や、山間の平地、洞窟、滝といったもののようにわしらの理解の及ばないところがある。いいか、アンドレア、わしら一緒にあの娘を連れてこよう!」
 アンドレアは自分の無駄口に後悔していた。彼は危険を知っていた。予想もしない山の恐怖、たとえば、雪の塊が氷河の上を転がりはじめると、一つの村を押しつぶしてしまうまで止まらない。氷の表面がいつのまにか解け、それが広範な破滅的な雪崩を準備する。あるいは低木の繁みに隠れた岩の崖もある。彼は辞退したかった。
「もちろんです、ニコロ親方、でも、それは容易なことではありませんよ。わたしはさまよっていました。そして羊飼いの女の彼女も羊の群れと一緒にさまよっていました。それに、わたしにしたところで、どこで彼女に会えるかさえ、もうわからないのです。少なくとも正確には知りません。彼女がどこの村の出身か、それが誰の羊の群れだったのか、名前は何というのかさえわからないのです」
 ニコロ親方の目に夜の闇にきらめく匕首(あいくち)のような異様な光が宿った。
「よし、準備をしろ。おまえの言ったことがおとぎ話でないことくらい、わしにもわかる。そんな話をおまえに考え出せるはずがない。わしの勘では、彼女を探し出せる。その女はドイツ語を話すのか?」
「いえ、イタリア語です。アーデジェ川周辺の連中が話すようなイタリア語です。それはちょっと変な言葉ですがね――彼女の語った言葉は忘れましたが、彼女の発音は覚えていますよ」
「その娘を探し出そう、アンドレア。明日の未明に出発しよう」
 彼らは未明に出発し、彼女を探し出した。名前はルクレージア・パリアーリだった。
 六日間、彼女を探した。息を切らせながら谷間を渡り、山の尾根を越えて、親方とその弟子の職人は一緒に村々を、町々を、岩場岩場を、風に鳴る人跡未踏の森の魔力の真っ只中を訪ね歩いた。もし、ここのどこかに例の未知の羊飼いの娘がいなかったとしたら、ニコロ親方は弟子の職人とともに新しい旅修業の放浪の年月をふたたびはじめていただろう。それほどまでにに放浪の古い熱病がニコロ親方を捕らえていた。
 しかし、彼女と面と面を突きあわせたとき、ニコロの放浪は永遠におわりを告げた。ルクレージアは美しく、また、非の打ちどころもなかった。だから、この白髪まじりの奇妙な男が語るバイオリンと平地のために羊の群れと山を捨てたのだった。
 三人がそろって山から出てきたとき、アンドレアはニコロのところにはとどまるわけにはいかにことがすでにわかっていた。旅の道すがらも、初老の親方が疑わしげに、それとなく警戒し、嫉妬に燃える鋭い視線を彼のほうへ投げかけていたからだ。だから、隠れてこっそりルクレージアのほうを見ることさえはばかられた。
 彼女のこの世のものとも思えぬ美しさが、彼をいたく悩ませれば悩ませるほど、そしてそのとき、この貴重な高嶺の花をまさに自分が手折らなかったこと、ないしは、少なくとも口をつぐんでいなかったことを何度後悔したことだろう。いま彼は苦しかったし、彼のなかで煮えたぎる情熱に、実際、自分で驚いていた。彼はルクレージアと老人との新婚の夜のことを想像してみた。すると細部にいたるまでの生々しい想像が耐えられないほどの苦痛を彼に与えた。
 彼はまさにこの娘だけを待っていたかのような、ニコロ・アマーティのこれまでの踏ん切りの悪い人生を思い、また、彼女とともにこれから営もうとする生活について思ってみた。そして、この老人の前に立ちはだかり、もし、快く許してくれなかったら、どこかの崖から突き落としてやろうと決心しかねないほどだった。
 巨大な山の悪夢の影響力の薄れた平野に達したとき、アンドレアは一刻一刻と変わってきた。娘に冗談を言い、無駄口をたたいた。ニコロもまた彼の嫉妬心が蒸発してしまったかのように、彼らと一緒に楽しんだ。実際にはそうではなかったのだが・・・・・・。
 ニコロは彼らを試そうとしたのだ。すべては偽りなのかもしれないと、ニコロ親方は監視の目をおこたらなかった。娘はテストをうまく乗り切った。そして彼女は父も母もなく、村の善意で育てられ、野花のように野育ちの孤児であることなど、まるで感じさせない陽気さのなかにも落ち着きを見せていた。ただ、時々よくわからない原因で沈み込むことがあり、薄紫の瞳の色も暗くかげり、ため息をつき、まるで誰かを探してでもいるかのように、不安げに周囲を見まわした。
「どうした、え、おまえ? 羊でも探しているのか?」
「あたしたち、みんな村に置いてきてしまったんだわ」
「それで?」
「あたし、自分でもわからない。たぶん・・・・・・山だわ」
 それに続く数年間、ルクレージアは落ち着かない目つきで自分のまわりを見まわしていた。やがてニコロは兄のアントニオにそのことを語った。
 それに続く数年間、ルクレージアは落ちつかに目つきで自分のまわりを見まわしていた。やがてニコロは兄のアントニオにそのことを語った。
「まるであいつのなかの弦がどれか一本切れたみたいだ。どう思う・・・・・・? わたしには訳がわからん」
 その一方で、彼女はアマーティー家のために九人の子供を産んだ。そして九人が九人とも、彼女から、その煮え切らない正確を受け継いでいた。すべての子供たちが何かを探していた。たぶん娘は夫になる男を、男は職業か仕事を。どっちにしろ彼らも何かを探していた。
 たぶん、これらの探し物のすべてを跡づけるのも興味がなくはないだろうし、私も不確定な灰色の人間の運命をきらいではない。しかしこのロマンではそんなことをしていると、ストーリーそのものがすごく水ぶくれになってしまう。だから私たちがテーマからあまり離れてしまわないように、ただベアトリーチェとジロラモの運命についてだけ語ることにしよう。
 そして、まったくそれと同じ理由から、両家の反目の出発点を十分、分析できるように、アンドレア・グァルネリにもどることにする。やがてアンドレアには、ニコロ親方の婚礼の立会人となるべき名誉の機会が訪れた。
 彼が回想するように、ルクレージアを連れてもどってきたとき、すでに、婚礼後は彼女に首ったけの親方の家にはもうもどることができないということは明らかだった。要するに羊飼いの娘について語ったとき、氷河の上の雪だまはころがりはじめ、それはいまや、永遠の嫉妬と憎しみの雪崩にまで増大していたのだ。
 アンドレアはその雪崩を回避した。彼はニコロに、自分の工房を開き、アマーティの屋敷から出て行くことを告げた。ところがニコロは思いもかけず、悲しげな面持ちになり、やがて一心に思い直すように説得しはじめた。
「おまえはわしに生涯でいちばん美しい贈物を与えてくれたんだ、アンドレア。わしの心は感謝でいっぱいだ――ところが、おまえはいま、わしを放り出そうとしている。わしはバイオリンにかんすることで、一度には教えることができん多くの秘密をおまえに伝授してやることができるかもしれん。おまえはたしかに、わが家のバイオリンヲよく知っておる。新しい発見、新しい経験、または理解のためには長い年月、何十年の歳月が必要だ。残っておれ、後悔はさせん。おまえを共同製作者として受け入れよう。
 はっきり言って、ヤコプ・スタイネルを除けば、わしらの芸術にとっておまえがもっているような、そんな才能に、わしはかつて出会ったことがない。ただ、やつは、スタイネルは・・・・・・わしらと同じ血ではなかった。わしのところから出ていかんでくれ、アンドレア」
 しかしアンドレアはがんとして引きさがらなかった。この瞬間に彼は親方に自分の心の内を打ち明ける気にはならなかった――それにまた、そんなことはできもしなかっただろう。ニコロ・アマーティはアンドレアの心のなかで何かが成熟し、何かが彼らの進路を分かつことになったかを知るべきだった。たしかに、彼にはアンドレあのことは手にとるようにわかっていたはずである。
 それなのに、なぜ、そのことが理解できなかったのか? なぜ、それをわかろうとしなかったのか? わかっていたとしたら、なぜ知らない振りをしていたのか?
 このような見てみない振りをする場合というのは、たとえば兄弟とか父と息子とのあいだだけに突如として起こりうるような、残酷な近親的憎悪をもって、お互いを見ていたからなのだろう。
 やがてアンドレアは出ていった。七年間、彼の姿はクレモナで見ることができなかった。ある一月の朝、マントーヴァからたくさんの荷物と、自分の馬車と、馬丁と、二人の召使と、三匹のボローニャ犬とミルクのような白い頬に少しそばかすのある赤毛のマントーヴァ女が到着した――彼女はアンナ・マリア・オルチェッリだった。彼女は高名な貴族の家系の最後の末裔だった。彼女の父、赤毛のウバルド・オルチェッリは対スペイン戦争で教皇軍として戦って戦死した。
 彼は時代遅れのルネサンス的人物であり、メディチ家、ゴンザーガ家、あるいはスフォルツァ家の無任所家庭教師、召使、劇場支配人の称号をもっていた。彼は何でも知っていた。彼はスケールの大きなディレッタントであり、音楽においてオペラが誕生したとき産婆役を演じた者たちの一人だった。古代のドラマをオペラの台本に書きなおし、最終的には音楽劇のために独自の台本(テキスト)が創作されるようになるまで、モンテヴェルディの先行者たちの音楽的実験のために田園劇や喜劇を書いていたのだった。
 彼がまったく必要もないのに、なぜ対スペイン戦争などに出かけていったかは誰にもわからない。たぶん、それは戦争の命がけの喧嘩も、音楽劇のなかの闘争場面と同じに考えたあげくの、芝居っ気たっぷりなポーズだったのかもしれない。彼は瀕死の状態のなかで、一歳半になるアンナ・マリアのことを考えていた。そして彼を突き刺したスペイン軍の矛槍のなかにどんなふうにして巻き込まれたのか理解できなかった。それは彼が領主の台所で料理女たちと冗談を言いながら砂糖菓子作りをやっていたときと同じに、いとも簡単に彼を突き刺し、突き転がしたのだった。
 彼の妻は奇妙に成長の遅れた女で、ゴンザーガ家の落ちぶれた家系に属していた。その後、マントーヴァの地域内に家を買い、宗教的な狂気におちいった。そんななかでアンナ・マリアを養育した。
 アンナ・マリアは美しい声でうたい、同様の巧みさでリュート、ギター、チェンバロ、バイオリンを演奏した。もともと彼女は父親同様に、何か常識を超えたところのある存在だった。そしてアンドレア・グァルネリとともに家から飛び出すと、母親は修道院に入った。なぜ彼女が家から出て行ったかについては、彼女自身でも説明することができない。
 アンドレアは世間の常識、習慣に逆らうことなく、彼女に求婚し、彼女の母親も一緒に来ることを望んだのだが、アンナ・マリアは思いもかけない断固たる態度で別の決断をくだした。それは彼女の父が二編のオペラ台本を完成したのち、戦争に出かけていったのと同様の意外さだった。
 その後、彼女はアンドレアのために三人の子供と四人の娘を恵みゆたかに出産した。この物語が進行している時点では、すでに三人の息子はみんな工房で働いていた。そしてピエトロとジュゼッペよりウルバルトが他の二人の兄弟よりも巧みであった。だからといって彼らを責めるわけにはいかない。
 アンドレア・グァルネリは結婚の当初、この気まぐれで、機知に富み、奔放で、火のような小柄な赤毛の女とともに幸せを感じていた。彼女は知り合って一週間後、なんのためらいもなく宗教的幻想に悩まされつづける母親を捨て、一緒にマントヴァから逃げようとアンドレアをそそのかしたのだ。
 アンナ・マリアの燃えるような赤茶色の目は、人の興味を引きつけ、興奮させた。そしてミルクのように白い肌、薄茶色のそばかす、それに薄い血の気のない唇、真珠の紐を編み込んだルネサンス風の髪型からは、かなり強烈にグロテスクな雰囲気を発散していた。アンナ・マリアは楽器のほかに画筆も巧みにこなした。ときどき古い画匠の複製画を数点、本物そっくりに描きあげては、ベネチアやパドヴァ、あるいはブレッシアのユダヤ人に本物としてきわめて高い値段で売りつけていたが、このような手腕においても実に見事なものであった。
 ときには、また、ちょっときわどい、それどころかそのものずばりのエロチックな銅版画も作った――それらの絵はかなりのいい値段で、高い僧職の人たちや、その以外の秘密の収集家といった新興の紳士方にもよく売れた。
 もともとアンナ・マリアは陽気で、いつも笑っている、冗談や軽口の好きな女だったが、家のなかでも客のあいだでも持ち前のジョークで和やかな雰囲気を作り出していた。彼女は妊娠中もよく耐えて、子供を産み、ほとんど誰も気がつかないほどだった。
 彼女はアンドレアのバイオリンを祭壇の上の神聖なものであるかのように崇拝し、彼のヴィオロンチェロは比類なきものと宣言し、チェロのために賛歌をうたった。要するに、そこにはあらゆる種類の精神的なるものと物質的なるものとの前提条件が満たされ、幸福な結婚生活には豊かすぎるほどの調和があった――が、だからといって物事が円滑に進むとはかぎらない。
 つまり、アンドレアは時折ルクレージア・パリアーリとの「聖セバスチャンの生涯」の出会いをするのだ。彼はこの出会いをなんとしても避けようとした。また、何とかして自分をあざむき、自分自身でもさりげないふりをしたが、それでも心の奥底で癒しようのない痛みを――どうしてルクレージアを自分で山から連れてこなかったか、そして彼女と一緒に跡形もなく消えてしまわなかったのかという悔いを――覚えるのだった。
 ここに取り返しのつかない誤り、運命的な間違い、人生の迷いの根源、人生を台なしにしてしまったという痛みを感じるのだ。だが外見上は、その気配はまったく見えなかった。その片鱗さえ誰の目にもとまらなかった。だからといって、それが宵闇のなかでさえ赤面せざるをえない心のやましさであることに変わりはない。
 やがて、アンナ・マリアさえもが合いお顔を見せるようになった。それはまるで彼女の精神的葛藤からにじみ出た腐食性の液体が彼女の顔に付着して色あせさせているかのようだった。新しいかつらの流行がはじまると、アンナ・マリアは異常なほど赤い自分の髪の上に、白い人工の髪の高い塔をのせた。
 彼女の冗談も笑いも日に日にまれになり、新しいかつらの下で老け込んだように見えた。七人の子供たちも、何かの古くさいしきたり、より高所からの命令にしたがって、自分の意思に反して産んだものででもあるかのように、彼女を引きつけることはできなかった。そしてある日、忽然として跡形もなくグァルネリの家から姿を消した。アンドレアは心のなかでおおいに喜んだ。子供たちも同じだった。
 私は遺伝の法則を無条件に受け入れるつもりはないし、例外のない法則はないという格言にも必ずしも賛成しない。たしかに何百年もたったあとで、未知の先祖の影響が子孫に現われることがあるかもしれない。私はこのような問題をあまり深く勉強していない。たぶん、精神分析がたとえどんな問題にも新しい光を投げかけているとはいえ、私の同世代の場合の精神分析への信仰はやや度を越えていたと私が考えているからかもしれない。
 私はいま性格を描写するつもりはない。ただ、私が主人公たちと、そして彼らのなかで――たとえそれらが人間たちであったり、操り人形であったり、または動物、天体、あるいは木や花であったとしても――体験し夢想したことについての報告を提出したいだけである。それでもこのアンナ・マリアの物語は、遺伝学の理論家たちに喜んでいただくために、詳細に述べることにしよう。なぜなら、ピエトロ・グァルネリはアンナ・マリアとそっくりだからである。
 偶然がピエトロとベアトリーチェ・アマーティをモフェッティ監獄の典獄の家に導いたとき、グァルネリとアマーティ両家の競争と相互の憎しみはまさに最高潮に達していた。アンドレア・グァルネリは日曜日ごとにサン・セバスチアーノ通りで、教会に通うルクレージアを盗み見ていた。
 彼の妻が失踪するまでは、彼らの出会いは単なる偶然だった。しかも非常にまれだった。しかし、その後、アンドレアは出会いの規則性を増すために気を配った――そしてかつての祭壇画のような美しさが度重なる出産によって損なわれているのを苦々しく、また残念に思った。女性の華は少しずつ色あせ、その張りのある姿形は気遣いもないままに、太っていた。
 足の運びも、姿勢も、身のこなしも、すべてがリズミカルな調和を失っていた。アンドレアはカビ臭い地下の蔵に長いあいだ置きっぱなしにされたバイオリンのようだと感じた。その色の輝きはくもり、音もまたこもっている。
 だがそれでもアンドレアは、冬のみぞれのなかでも、もの悲しい秋の朝も、焼きつくようななつのたいようのもとでも、彼女をそれとなく見つめ、礼拝堂の入口のアーチの暗がりから見守っていた。そしてルクレージアは一度も彼のほうを見なかった。
 彼女はときどき、秋の風が梢をそよがすように、あるいは、目には見えぬ燃えるような熱い視線を感じでもしたかのように見をふるわせることもあった。しかし、やがて彼女は歩き去る。いつも白いレースの縁取りのある孔雀の青色の衣装にくるまれ、彫刻をほどこした象牙のすばらしい飾りのついた赤茶色の祈祷書をスカーフに来るんで握り締めていた。すると、アンドレアは日曜日のぶらぶら歩きの歩行者や散歩をする人々のあいだの一直線の視野のかなたに彼女が消えてしまうまで、その後姿を見送るのだった。
 ときには教会の行列のなかに彼女を見かけることもあった。そんなとき彼は、この女が高貴な、祝福の行列に加わって、彼の魂のなかを通り抜けていうような感じをもった。なぜなら、彼は彼女を――たとえ何度もの妊娠で体も弱り、また体の線もくずれてきたとはいえ――愛していたからだ。そしてアンドレアのかつての親方にたいする憎しみが増大してくるのと平行して、彼の愛は絶えず純粋になり、とどもあることなく増大していった。これらのことについてはピエトロもベアトリーチェもほとんど何も知らなかった。
 この二人がモフェッティ家の園遊会で「小屋のなかの子羊」遊びのとき、ピエトロはベアトリーチェに「ぼくは君が好きだ」と言った。この言葉は、すでに何千年来、どんな狼もがあらゆる子羊にむかってくり返してきたこれに似たあらゆることと同様にばかばかしく聞こえた。そして追いかけっこのとき二人が出会うときはいつもピエトロはこの同じ愚かな言葉を頑としてくり返したのだった。  やがてベアトリーチェは若い騎士からまっさらの長いかつらをはぎ取った。そして彼女の求婚者が火のように赤い髪をしていることがあからさまになったとき、全員が大声で笑った。そして赤毛の若い紳士はお互いに手をつないだ若者たちと娘たちの輪の中に入ったり出たりしながら、ベアトリーチェが冗談めかして振りかざす自分のかつらを追いかけた。
 それでも最後にはかつらは何とか赤い髪の上に落ち着いた。ピエトロも笑ったが、復讐を誓った。そして、すでにスカーフ遊びになったときに、強くつねって復讐を果たした。この楽しい騒ぎの最中に、モフェッティ家の二人の若者だけが、この復讐はどうやらあとを引きそうだということに気がついた。彼らは囚人たちのあいだで育っただけに、人間をよく知っていたのだ。
 モフェッティ家については、この後、私たちの物語のなかでさらに多くの言葉を費やすことになる。ただ、ここでは、たった今触れた二人の若いモフェッティの一人についてだけはほんの一瞬のことではあるが、すでに出会っていることを読者のみなさんに注意をうながしておこう――そして、それは教会合唱隊の指揮者のみぶんで、また、バッティスト・オーケストラの楽長としてである。
 しかしいまは、成長過程にあるガエターノ・モフェッティはレナルドゥッチ家、カラッチ家、マンターニ家、アマーティ家、グァルネリ家、その他の家庭の娘たちの魅力的な紳士である。
 私たちが最初に彼と出会ったとき、彼はだみ声でわめきたてる老楽長だった。彼は一曲のアダージオ・ソステヌートのために、手負いのライオンのように怒り狂って合唱隊やオーケストラのメンバーをふるえあがらせていた――たぶん、まだ忘れではないだろう。このような若い魅力的な二枚目が、やがて、がみがみと怒鳴りまくる老合唱隊長になってしまうのは残念なことである――そして、ロマン作法のあらゆる法則にそむき、あらゆる春に先立って寒々とした冬の和音を鳴らしてしまうことをお許し願いたいものである。
 しかし、これまでは、まず一本の弦による一つのテーマの変奏曲を奏でるとお断りしだから、これからはだんだんとほかの三本の弦もきちんと張って調弦をして鳴り響かせることにしよう。  (この節おわり)











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