自己紹介 (version_2)
『クラカチット』 との出会い
カレル・チャペックは、人問に奉仕するために作り出されたロポットによって、人が滅ぼされるという戯曲『ロボツト』で、世界的名声を博したチェコを代表する作家であり、ジヤーナリストである。
チャペックは文学作品ばかりでなく、コラムの筆者としても人気があり、その著作のほとんどが彼のホームグラウンドである「民衆新聞」をとおして発表された。この『クラカチット』も一旦同紙に連載され、完結後ただちに出版されたものである(一九二四年)。
私がチェコという国を意識したのは一九六八年のソビェトの『プラハの春』への介入事件のときだった。当時、私は劇団俳優座で舞台監督という芝居の裏方を職業としていた。時はまさに六〇年安保と七〇年安保とのあいだの時代だったから、劇団ないし新劇界には全体的に反体制、反安保ムードがただよっていた。それまでノン・ポリで学生時代をとおりぬけてきた私も、そんな雰囲気のなかで政治行動に参加し、反体制的、左翼的思考になじみはじめていたころであった。
そんなとき「人間の顔をした社会主義」を求めるチェコスロバキアの首都プラハにソ連の戦車が侵攻して弾圧したというニュースが入ってきたのである。 このニュースは、当時の私にはある意味で非常なショックだった。そこで私はあまり知られていないチェコのことを知るため、チェコ語の勉強からはじめようと思い立ったのだ。
それから数年して私は俳優座を退団し、プラハのカレル大学チェコ語夏期講習に参加する機会を得た。そのとき、チャペックが最晩年をすごしたストルシュ村の別荘(記念館)を訪れて、たまたま買ったのがこの長編小説『クラカチツト』だった。それ以後、この作品を翻訳することが私の目標となった。
ところが訳してはみたものの、誰も相手にしてくれなかった。当時、わが国では、カレル・チャペックの名前は主として『ロボット』『山椒魚戦争』『園芸家12カ月』『童話』などの作者としてしか知られていなかったし、もうほとんど忘れられかけていた。私が接したある編集者など、「チェコ文学と聞いただけで避けて通る」とさえ言ったものである。
それほどまでに、わが国の出版界におけるチェコ文学にたいする認識は低かったのである。そんなわけで私の訳は十年近くものあいだ引出しのなかに眠っていた。その眠りをさましてくれたのは楡出版のK氏だった。
さて、この長編小説『クラカチット』であるが、作品のテーマは、核爆弾のような大量殺人兵器を戦争目的に使用することの非人問性にたいする警告であると同時に、それを作り出した者の倫理的(つまり個人的)責任を問うというものである。
主人公プロコプは、自分が発明した原子爆薬『クラカチット』製造の秘密を一部盗まれるが、驚異的な破壊力をもつこの爆薬が、戦争に使用されたときの人類の悲劇に思いを馳せて愕然とする。そして、そのような危険なものを作り出した責任者としての自覚から、使用はおろか製造そのものを止めさせようと懸命の努力をくりひろげるのである。
チャペックのヒューマニズムと先見性は、現在、世界唯一の被爆国としての日本が、世界に訴え続けている「核兵器廃絶」の願いを、原子爆弾が実現する二〇年も前にすでに提示していることでもわかる。
また、アメリカが広島、長崎に原子爆弾を投下したあと、原爆製造にかかわった多くの原子物理学者たちがはじめた原爆使用禁止を訴える行動にも証明されている。
ところが、このようなテーマの重大さにもかかわらず作品自体は、恋あり、冒険ありの奇想天外・荒唐無稽な大衆的大ロマン小説なのである。その批判精神とユーモアにおいては、まさにセルバンテスの「ドン・キホーテ」の伝統を受け継いでいるとさえいえる。
もともとチャペックは文学の大衆性にも非常につよい関心をいだいていた。彼の大衆文学にたいする考え方を私流に要約すれば、「大衆文学はおもしろくなければならない。しかも文学がおもしろいためには叙事的(ここでは講談的と理解してもいいかもしれない)でなければならない。大衆文学と純文学の違いは作品の質にあるのではなく――かつてホーマーの叙事詩が、同時代の大衆にたいしてあったように――大衆に愛されるか否かにある」と言う。
小説『クラカチツト』はまさにこのチャペックの大衆文学論を自ら実践し、証明した作品であると言うことができる。このように大衆に愛されるはずのチャペックの作品が、翻訳者の確信にもかかわらず、まだ、わが国の読者に広く受け入れられるにいたらないのはきわめて残念である。
なお、チャペックのジャーナリズム作品については、先ごろ『コラムの闘争』<1995(社会思想社、筆写付記、この続刊とでも言うべき『カレル・チャペックの闘争』<1996>も同社より出版された) というタイトルで出版したが、こちらでもチャペックの面目はいかんなく発揮されているので、ぜひ、こ一読いただきたい。(初出・月刊「黙」1995.12)
(参考)私の翻訳作品については 「アマゾン・ブックのまとめによる、田才益夫翻訳作品の一覧」をご参照ください。
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